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2006年5月21日 (日)

士師記6-9章「神の救いを人間の働きとする悲劇」

今回はイスラエルで勇士として尊敬されているギデオンの記事です。
一回でギデオン家の没落まで話しましたが、それを通してとっても大切なことが見え
てきました。
 それは、神の救いを人間の働きとして解釈してしまうことです。私たちも、人や自
分の「信仰」の力をはかってしまう誘惑があります。信仰によって神を動かすという
発想が、私たちの信仰を傲慢にしたり自己卑下に導いたりし、あげくのはてには教会
に来るのを辛くさせます。しかも、ギデオンの精鋭三百人ということばのもとに臆病
な人の意見が封じられるように誤解されることさえあります。
 神はあなたが祈り叫ぶのを待っておられます。神はあなたを救いたいと願っておら
れます。神の救いの記事を信仰の英雄の話にすりかえないで欲しいと思います。
 なお旧約からずっと読み通してきているおかげで、レビ記26章の記事の枠からギデ
オンの話を見ることができ、本当に感謝でした。よろしかったら合わせてレビ記26章
をお読みになってみてください。

士師記6-9「神の救いを人間の働きとする悲劇」

                             2006521

  ギデオンは士師記における最高の英雄と見られています。しかし、彼はイスラエルの堕落を止められたでしょうか?それどころか彼の死後、国はますます堕落してしまいます。何が問題だったのでしょう?

1. 弱虫ギデオンに「勇士よ。」と語りかけ、召し出された神

デボラとシセラが北のカナン人の王に勝利を収め、「この国は四十年の間、穏やか」(5:31)であったのですが、「イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なって」(6:1)しまい、「主(ヤハウェ)は七年の間、彼らをミデアン人の手に渡し」ました。ミデアン人は、かつてモーセが寄留していた遊牧民ですが、このとき、「らくだ」(6:5)を軍隊に用いて死海の東南部の本拠地からの約400kmもの長距離を「らく」に移動し、収穫を奪い取り続けました。それは「いなごの大軍」が襲ってくるかのようでした。そして、「イスラエル人は・・・非常に弱くなっていった。すると、イスラエル人は主(ヤハウェ)に叫び求めた。イスラエル人がミデアン人のために主(ヤハウェ)に叫び求めたとき、主はひとりの預言者を遣わした」(6:6,7)と記されます。ミデアン人の勢力を強くしイスラエルを弱くされたのは、主ご自身のみわざであり、それも一定期間のことであり、またレビ記26:16の預言の成就でもありました。それは彼らを主の御前にへりくだらせ、「主に叫び求め」させるためでした。残念ながら人は順境のとき、神に祈ることを忘れてしまいがちだからです。なお、遣わされた預言者は、彼らが現地の「エモリ人の神々を恐れて」(6:10)生きている罪を指摘します。イエスも「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません」(マタイ10:28)と言われました。人は、恐れるべき方を恐れることを忘れたとき、この世の神々や権威者の奴隷とされてしまうのです。

このときイスラエル人は、恐れに囚われ、「山々にある洞窟や、ほら穴や要害に」(6:2)隠れて住んでいましたが、ここに登場するギデオンも、「ミデアン人から逃れて、酒ぶねの中で小麦を打っていた」(6:11)というのです。小麦を、ぶどう酒を作る大きな酒ぶねの中で脱穀するなどあり得ないことですが、彼はそれほどに恐れに囚われていました。そんな弱虫に、主の使いは「勇士よ」と語りかけます(6:12)。しかし、これは皮肉ではありません。主は、自分の弱さを熟知し、主の全能の力を知る人を、はじめて勇士として用いられるからです。彼は、「主は私たちを・・ミデアン人の手に渡された」(6:13)という霊的現実を知っていました。また、主が彼に「あなたのその(弱いままの)力で行き・・イスラエルを救え」(6:14)と命じられたとき、「私の分団はマナセ族のうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです」(6:15)と、自分が解放者として選ばれる人間的な資格がないことをよく知っていました。それに対して主(ヤハウェ)ご自身が、わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデアン人を打ち殺そう」(6:16)と言われました。つまり、神がともにおられるなら、イスラエル人がまとまってでも決して勝てないミデアン人にひとりでも立ち向かえるというのです。私たちはこれをギデオンという英雄の物語として読む傾向がありますが、これはあくまでも主ご自身による救いの物語であることを決して忘れてはなりません。

2. ギデオンが求めた「しるし」の意味 

それに対しギデオンは、「そんなことは無理です!」と言う代わりに、「私と話しているのがあなたであるというしるし」(6:17)を求めます。つまり彼は、イスラエルをエジプトから救い出した神が自分とともにいてくださるなら不可能が可能になることを知っていたのです。それに応えて主は、ご自身に献げられた肉とパンをたちどころに焼き尽くす不思議を示され(6:21)彼を、主だけを恐れる礼拝者として整えられました。その後、主は彼に「あなたの父が持っているバアルの祭壇を取り壊し・・アシュラ像の木で全焼のいけにえをささげよ」(6:25,26)と命じます。彼の父がバアルの祭壇を持っていたということ自体が衝撃ですし、しかも彼はそれを夜陰にまぎれて実行せざるを得ませんでした。翌朝、それを発見した町の人は彼を殺すように主張しますが、このときになって父は、自分の偶像礼拝の愚かしさを反省し、「もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が取り壊されたのだから自分で争えばよい」(6:31)と言ってのけます。

その後、ミデアン人がヨルダン川の東のアマレク人などを糾合してイズレエルの谷に陣を敷いたとき、(ヤハウェ)の霊がギデオンをおおったので、彼が角笛を吹き鳴らすと、(父の氏族の)アビエゼル人が集まって来て、彼に従った」ばかりか、彼らが属するマナセと近隣のアシェル、ゼブルン、ナフタリ部族までもが合流します(6:3435)。これ自体が主の霊が起こしてくださった不思議ですが、それでも彼は慎重に、「私の手でイスラエルを救おうとされるなら・・」(6:36,37)と、二度にわたってしるしを求めました。「羊の毛の上にだけ露が降りる」(6:37)ことは、自然現象と誤解される可能性がありますから、彼は「羊の毛だけがかわいていて土全体に露が降りる」(6:39)という自然に反するしるしをも求めました。これはある意味で、主を試みることですが、主は、彼の動機の真実さを見られ、怒らずにその求めに応じてくださいました。

   「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけがなる」(箴言19:21)とありますが、私たちの働きが、計り知れない大きな主のご計画の一部とされているなら、人間的な不可能が可能へと変えられます。ですから、私たちは常に、主の御前に静まり、全世界に対する主の救いのご計画に思いを馳せ、ギデオンに習って、主ご自身が自分を用いようとしておられることの確信を求めるべきでしょう。

3. 『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけない

このとき集まったイスラエル軍の数は三万二千人に及びました(7:3)。しかし、ミデヤン人の陣営にはそれよりはるかに多い135,000人の兵士がいたと思われます(8:10)。ところが神は何と「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない」(7:2)と言われ、まず、「恐れ、おののく者」を帰らせます(7:3)。それで三分の二もの人数が減り、一万人が残りましたが、主はなおも、「民はまだ多すぎる」と言われ、水の飲み方から、三百人にまで削らせます。彼らは「口に手を当てて水をなめた者」(7:6)たちで、敵への備えが身についている精鋭と言えることは確かです。ただし、主は決して、戦いの勝敗は、軍の多寡ではなく、勇気や力によるということを教えようとしたわけではありません。主は人数を減らされる理由を、「『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけない」(7:2)と説明しています。つまり、勝利が不可能と見えるまで人数を削ることに目的があったのです。奇襲作戦の模範とされる源義経による鵯越や織田信長の桶狭間の戦いなどと決して混同してはなりません。

「ギデオンの精鋭三百人がいれば大丈夫・・」などと、積極思考の人が臆病な人々の意見を押さえる口実にこれを用いてはなりません。それは神の民の一致を崩すだけです。実際、主はギデオンに、「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから」(7:9)と命じつつも、「しかし、もし下って行くことを恐れるなら・・・」(7:10)と言われながら、ミデアンの陣営の中にギデオンの剣を恐れさせる夢を見させ、その解き明かしまでも彼に聞かせてくださいました(7:13,14)。しかも、彼は三百人を大軍に思わせる手段を講じましたが、ミデアン人が敗北した理由は、「三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主(ヤハウェ)は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた(7:22)という一点にあります。しかもこの後、彼は一度帰した軍を呼び集め、追撃作戦を展開しました(7:23)。つまり、臆病な人たちも勝利を味わい、分配にあずかる道が用意されていたのです。そればかりか、勝利が決定的になった時点で、エフライムが戦いに招かれます。彼らはヨシュアを生み出した誇り高い部族で、ギデオンの召集に最初から応じるとは考えられなかったからです。そして彼は、彼らがより多くの勝利の分け前に預かることができたことを祝福さえしています。つまり、ここに一部エリート集団が突出してイスラエル全体の一致が乱されないような配慮が見られるのです。なお、残念なことに、ヨルダン川の東側のスコテとペヌエルの住民は、ギデオン軍に食料を与えるのを拒絶して、勝利にあずかる機会を自分で閉じて、国を分裂させました。

4. ギデオンの最後の失敗と一族の滅亡

ギデオンによる勝利の後、イスラエルの民は、彼と彼の子孫に王になるように求めます(8:22)。彼は、「主(ヤハウェ)があなたがたを治められます」(8:23)とそれを退けます。これは模範的な応答でしたが、同時に、金の耳輪を供出させてエポデを作り、それを礼拝の対象にしてしまいました。本来なら、ギデオンは、民全体を当時エフライムのシロにあった神の幕屋に集め、感謝のいけにえを献げて主を礼拝すべきだったのです。この勝利が真の礼拝復興に結びつかなかったことが、民全体とギデオン一族の悲劇になります。実は、「百人は万人を追いかける」という勝利はレビ記26:8の預言の成就だったことを彼らは気づきませんでした。神が与えられた勝利がカナン文化の影響で歪められて捉えられたのです。私たちも、神のみわざを信仰の英雄の働きとして解釈することがありますが、そこから信仰の堕落が始まります。

イスラエルは「四十年の間、穏やかであった」(8:28)のですが、「ギデオンが死ぬとすぐ、バアルを慕って淫行を行ない・・・自分たちを救い出した彼らの神、主(ヤハウェ)を心に留めなかった」(8:3334)という堕落に陥ります。そして、9章では彼の一族の滅亡が描かれます。彼は大勢の妻を抱え(8:30)、エフライム領内の異邦人都市シェケムの女からアビメレクを生みます(8:31)。彼は、母の一族の異邦人を味方に引き入れ、異教の宮から得た軍資金を元手に兵士を集め、ギデオンの息子七十人を虐殺し、王になります。つまり、イスラエルとカナン人の混合王朝ができたのです。しかし、神は彼らに「わざわいの霊」(9:23)を送って戦いを起こさせ、シェケムを裁くとともに、アビメレクを女の手によって殺します。彼らは主の勝利を、人間の勝利に再解釈し、神の国ではなく人間の王国を作ろうとして滅びてしまったのです。

  「あの人の信仰によって」とか「あの人の祈りによって」などと、神のみわざを人間のわざに再解釈し、神ではなく人間を中心とした教会を作ってしまうというのは今も私たちが警戒すべきことでしょう。

 

  下記のURLのご案内は当教会とは一切関係ありませんのでご理解いただければ幸いです。

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2006年5月14日 (日)

「聖霊による礼拝の交わり」

使徒の働き2「聖霊による礼拝の交わり」

                                              20065月14日

  しばしば礼拝が、守るべきお勤めになってしまったり、聖書の勉強会になってしまうことがないでしょうか。また、出来上がったカルチャーに合わない人が排除されたり、またその反対に、外部の人への配慮ばかりが優先されて信者が駆り立てられるように動かざるを得ないなどということがありえないでしょうか。

1.聖霊によってめいめいの国のことばで話し・・聖霊によって主の名を呼ぶ

  使徒の働き2章にはペンテコステの日の出来事が記されています。それは「みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話し出した」(2:4)ということでした。バベルにおいて人間たちは一致して主に逆らいましたが、それに対して主は人間の言葉を混乱させ、地の全面に散らされました。それは人々が同じ基準で序列を作るような社会を正そうとする神のあわれみでもありましたが、それがために異なった言葉を持つ者たちの間の意思疎通が難しくなり、民族と民族の対立の原因となりました。このペンテコステのできごとは、みなが同じ言葉を話せるようになることではなく、イエスの弟子たちが、自分たちの間の少数者の言葉を話すようになることでした。このときエルサレムに来ていたユダヤ人は本来ヘブル語が理解できて当然のはずなのに、この場にはそれができないユダヤ人が集まっていました。そのとき、神の霊が注がれた弟子たちが、そこに集っている人々の出身地の言葉を話すようになったというのです。それは日本にいる外国出身者に、「日本にいるなら日本語を習いなさい」と言う代わりに、私たちが中国語や韓国語、タイ語、アラビヤ語などを話すようになることに似ています。つまり、聖霊に満たされるとは、立場の弱い人たちに合わせて話すことができるようになることだったのです。それによって、外国出身のユダヤ人たちが福音を理解できるようになりました。パウロは自分の伝道の姿勢を「私は誰に対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになり・・・律法を持たない人には・・律法を持たない人のようになりました・・・弱い人々には、弱い者になりました」(Ⅰコリント9:19-22)と語っています。たとえば、現代の教会の礼拝でもそれぞれの感性や使っている言葉の違いに配慮できるようになることこそ聖霊のみわざであると言えましょう。また、聖霊は、何よりも三千年前の文化と現代の文化の橋渡しをしてくださるとも言えましょう。

   そして、福音を聞いた人々も、主のことばを理解し、主を呼び求めるように変えられるというのが聖霊のみわざでした。ヨエル書の預言の趣旨は、神の最終的なさばきが下る前に、神が人々の心を造り変えてくださるというものです。神の命令の中心は、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主(ヤハウェ)を愛しなさい」(申命記6:5)ですが、イスラエルの民は神を愛することができなくて神のさばきを受けバビロン捕囚となりました。しかし、神は、終わりに日に、「心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる(申命記30:6)と約束しておられました。つまり、人々が真心から主を呼び求めるように変えられることこそ聖霊のみわざなのです。

2. この方をあなたがたは殺し・・この方を神はよみがえらせました。

  ペテロは、聖霊降臨を、「終わりの日(完成のとき)」(17)のヨエルの預言の成就であり、それを実現した救い主こそ「ナザレ人イエス」(22)であることを語ります。22-24節は、「この方は神によってあなたがたに証しされた・・・この方を・・あなたがたは十字架につけて殺しました・・しかし、この方を神はよみがえらせました」(2:23,24)という展開が記されます。つまり、ペテロはまず、「神が証しされた救い主を、あなたがたが殺した」という彼らの罪を厳しく指摘しつつ、「しかし、この方を神はよみがえらせました・・」と、神の恵みのみわざが人間の罪のわざを圧倒し、それを呑み込み、救いが成就したと語られています。

  そして彼は、「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です」(31)と宣言します。私たちも常にこれを自分の告白とすべきでしょう。続いて、「神の右に上げられたイエスが・・御父から聖霊を受けて・・この聖霊をお注ぎになったのです(33)と言われますが、これは、今、ダビデの王国に代わるイエスの王国が聖霊によって建てられていることを意味します。しかも、その聖霊はイエスの生涯を導いていた方であり、その方が私たちをイエスの代理として用いてくださるというのです。

彼は最後に、「このイエスをあなたがたは十字架につけた」(36)と厳しく指摘します。これは私たちをも同じように責めることばです。これを聞いた人々は「心を刺され」、「私たちはどうしたら良いでしょうか」と尋ねます。それに対して彼は、「悔い改めなさい・・バプテスマを受けなさい」(38)と答えます。

   ただし、ここで指摘されている罪は、何よりも、神がお立てになられた救い主を十字架につけたということです。つまり、自分の正しさによって神の好意を勝ち取ることができると思い、自分が罪人の頭であることを認めない傲慢さこそが何よりも責められているのです。実際、イエスを十字架にかけることを主導したのは、自分に自信を持っていたパリサイ人を初めとする宗教指導者たちでした。それと反対に、「神様。こんな罪人の私をあわれんでください。」(ルカ18:13)と、自分が赦され得ない罪人であることを認めた取税人こそが義と認められました。「バプテスマを受ける」とは、「私はイエス様なしには生きて行けない・・・」と降参することの象徴です。洗礼という儀式を受ければ「賜物として聖霊を受ける」という約束ではなく、自分の肉の力では神を喜ばせることはできないと降参する人に聖霊がくだるという約束です。

  私たちも自分の惨めさに圧倒されることがあります。しかも、自分で自分を変えようとあせるほどかえって絶望感を深めざるを得ません。しかし、神があなたに求めておられることは、神の救いのご計画に身を任せることです。あなたはイエスを十字架につけました。しかし、神はこの方をよみがえらせました。ですから、もう後悔の念にとらわれる必要はありません。神のみわざは人の罪にも関わらず完成に向っています。私たちもキリストの復活の証人、聖霊を受けた者として、明日に向けて生きることができます。

3. 初代教会の礼拝  使徒たちの教え、コイノニア、パン裂き、祈り(賛美)

  この日、三千人もの人が、みことばを受け入れ、バプテスマを受けました(41)。彼らはすべて約束の聖霊を受けた人々です。その結果生まれた共同体の礼拝の様子が、42節の原文では、「彼らは堅く守っていた」と記され、その内容が、「使徒たちの教え、交わり(コイノニア)、パン裂き、祈り」という四つに分けられます。それは、第一に、福音書を朗読し、その教えを身につけることです。第二に、信者となったもの同士が互いのために祈りあい助け合うことです。第三に、それは聖餐式を守ることです。そして、第四に神に向かって賛美し、祈ることです。祈りと賛美は、詩篇において融合しているからです。

これらは何よりも聖霊のみわざによる礼拝の姿でした。そして、このことが43節以降具体的に展開されます。「一同の心に恐れが生じた」(43)とは、47節までのすべての要約です。それは真に恐れるべき方を恐れ、愛することによって自分から自由にされることです。そして、第一の使徒たちの教えには、「多くの不思議としるし」が伴っていました。それは、彼らの語ることばが、信頼するに値することを保証しました。第二の「交わり」は、「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた」(44)ということで現されました。これは原始共産制などではなく、聖霊のみわざです。聖霊が、人の心を、自分の所有物はすべて神と人のものであるという気持ちへと変えるのです。そこには一切の強制も、見栄もありません。第三に、彼らは毎日、「心をひとつにして集まり・・パンを裂き・・食事をともにしました(46)。初代教会の時代は、聖餐式と食事の交わりが不可分であり、また聖餐式のない礼拝はあり得ませんでした。なお、カトリックでの「ミサ」ということばは、みことばの説教の後、聖餐式に移る前に、「求道者はこの場から出でてください」と「解散」(ミサ)させたことに起因していると言われます。聖餐式は、聖霊を受けた者たちだけがあずかることができた信者の交わりでした。たとえば、「主の祈り」なども、求道者はともにすることが許されませんでした。第四に、彼らは「神を賛美し」(47)ていました。そして、賛美の中心とは、主の復活の証人として、主の復活を歌うことでした。彼らは歌いつつ、主に祈っていました。

   そして、この一見閉鎖的な信者だけの交わりが、「すべての民に好意を持たれた(47)というのです。私たちの間に真実の愛の交わりがあるなら、まわりの人々は、「ここに愛がある」と認め、まるでミツバチが蜜に引き寄せられるのと同じになり、その結果、「救われる人々」が仲間に加えられ続けるのです。

  聖霊のみわざによって始まった初代教会では、少数者や社会的弱者が尊重されました。説教の中心にはキリストの復活がありました。そして、「イエスを死者の中からよみがえらせraise upた方の御霊が」、私たちのうちに住み、この「死ぬべきからだをも生かしてくださいます」(ローマ8:11)。つまり、キリストの復活は、私たちが聖霊によって生かされることと直結しています。私たちは「おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊」(Ⅱテモテ1:7)を受けました。私たちの心は、しばしば、沈んで、うめき、騒ぐばかりで、空しさを感じます。しかし、それを自分で変えようとする代わりに、そのままを神に差し出すとき、聖霊は私の心を引き上げ(raise me up)てくださいます。そこに聖霊に導かれた礼拝の交わりが生まれ、また、その礼拝の中で、落ち込んだ人の心が生き返ります。まさに、キリストの復活は、私たちの「心の復活」につながります。そして、聖霊によって私たちはキリストの復活の証人として用いられて行くのです。 

You raise me up

1.  心が沈んでしまい、せつなくうめく時に
私はひとりたたずむ、あなたが来られるまで
*あなたは、私を支え、高めて下さるから
そびえたつ山さえも、恐れず上って行く

2. 心が騒いでしまい すべてがむなしい時
不思議な御手に包まれ 永遠の愛を知る
*あなたは 私を支え 背負って下さるから
  あらし吹く海さえも 恐れず進んで行く
                         (訳詞:高橋秀典、常田美香)

 繰り返しは下記の英語を歌う

You raise me up, so I can stand on mountains
あなたが私を高くしてくださるから、私は(困難の)山々の上にも立っていられる
You raise me up to walk on stormy seas
あなたが私を高くしてくださるから、私は(人生の)荒ぶる海にも歩み出られる
I am strong when I am on your shoulders
私は強くなることができる、あなたが私を背負ってくださるなら
You raise me up to more than I can be.
あなたは私を高くしてくださる、私以上の私になれるまでに


下記のURLのご案内は当教会とは関係ありませんので、ご了承ください。
   

 

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