« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月25日 (月)

Ⅰ列王記9~11章 「私たちの憧れの中にある罠」

                                               2007年6月24日

イエスも「栄華を窮めたソロモン」と言われましたが、ソロモンは人が憧れるすべてを手にしました。それは富と権力ばかりか、聖書全体に通じるような知恵でもありました。私たちもそれぞれ憧れるものがあるでしょう。しかし、ソロモンの最後を見るとき、イエスが教えられた「九つの幸い」(マタイ5:3-12)の重みを改めて感じさせられます。奢れるもの久しからず・・・と言われますが、あらゆる知恵に満たされながらイスラエル没落のきっかけとなったソロモン、一方、彼の父ダビデの生涯は苦しみに満ちていました。しかし、ダビデは悩みの中で、何と多くの慰めを残していることでしょう。

1. 主のことばとソロモンの事業

 ソロモンは神殿の奉献において、聖霊に導かれた最高の祈りをささげました。そこには、彼がイスラエルの歴史全体を貫く神のご計画を知らされていることが明らかにされています。そして、その祈りを主ご自身も喜んでくださり、「ソロモンに再び現れ」てくださいました(9:2)。以前に現れてくださったのは、彼がエルサレムの北10kmの町ギブオン(ここに神の幕屋があった)で一千頭のいけにえを献げたときです。主は彼が願った「知恵の心と判断する心」ばかりか、「富と誉れ」までも与えてくださいました(3:10-13)。そして、この二回目のときも、主は「わたしは・・この宮を聖別した。わたしの目とわたしの心はいつもそこにある」(9:3)と語ってくださいました。ただそこには約束とともに、厳しい警告がありました。主は、あなたの父ダビデが歩んだように、まったき心と正しさをもって、わたしの前に歩む・・・なら・・・あなたの王国の王座をイスラエルの上に永遠に確立しよう」と約束しながら、同時に、「・・・ほかの神々に仕え、これを拝むなら・・・地の表からイスラエルを断ち、わたしがわたしの名のために聖別した宮を、わたしの前から投げ捨てよう・・・」と警告されました(9:4-7)。そして、ここでも後に実現するバビロン捕囚の辱めが警告的に述べられます(9:8,9)。

 その後、「ソロモンが主の宮と王宮とのふたつの家を二十年かかって建て終わったとき(9:10)と、彼の大建築工事が振り返られます。このとき彼はツロの王ヒラムに木材と金への返礼として、ガリラヤ地方の二十の町を与えます。しかし、それにヒラムが不満を述べます。ヒラムが送っていた金の量は何と120タラント(約4トン)にも上っていたからです。なお、少し飛んで26節からは死海のはるか南、現在のアカバ湾の入り口に、ソロモンが「船団を設けた」ことが記されていますが、それを助けたのはヒラムでした。ツロは地中海の海上交易で栄えた町ですが、ソロモンはアラビア半島とエジプト、エチオピアに至る紅海での交易によって栄えました。このヒラムが助けた船団はオフィル(位置不明、アラビア半島南部からインドのボンベイあたりまで諸説あり)というところから420タラント(約14トン)もの金を得てきたと報告されます。ヒラムは対等の同盟者というよりはソロモンに服従し、あらゆる面で彼を支えたことが分ります。

 ソロモンは町の再建にも力を尽くしました。ガリラヤ湖の北20kmにあるハツォル、またガリラヤ湖南西40kmあたりに広がる肥沃なイズレエル平原の中心都市メギド(9:15)、またエジプトのパロの娘の結婚の贈り物として譲り受けたペリシテ支配の拠点ゲゼル(9:16)、死海の南40kmぐらいにある南の棒得拠点タデモルなどです(9:18)。また多くの軍事拠点を建てると共に、「すべての領地に建てたいと切に願っていたものを建設した」(9:19)とあるように彼の建設意欲は驚くほど旺盛でした。彼はそれを「イスラエル人が聖絶することのできなかった人々・・の子孫を・・・奴隷の苦役に徴用した」(9:21)ことによって成し遂げました。つまり、聖絶されるべきカナン人が、なくてはならない労働力になったのです。そして、これと合わせて、ソロモンがパロの娘のために特別な家を立てて住まわせたことが再度記されます(9:24,7:8参照)。ここには、ソロモンが防衛拠点を建て、エジプトとの友好をはかりながら、頼ってはならない力にたよる過程が示唆されます。ただし、このときソロモンは、律法に沿った形でいけにえをささげながら主を礼拝していました。彼の心はふたつに分かれています。主を礼拝しながら、主に背いてまで人間的な力に頼ろうとしているからです。

2.「あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています」

 そのような中でシェバの女王がソロモンを訪ねます。シェバはアラビア半島の南西端、現在のイエメンあたりに位置したと思われ、砂漠に覆われた半島の中でも例外的に土地が肥沃で、海峡を隔たエチオピアとの通商によっても栄えていました。女王は多くの有力者を従え、バルサム油(香油)と「多くの金および宝石」をらくだに載せて来ました(10:1)。彼女は、「主(ヤハウェ)の名に関連してソロモンの名声を伝え聞き、難問をもって彼を試そうとして、やって来」ました。しかし、「ソロモンは・・すべての質問を説き明かし」、また、宮殿の様子や主(ヤハウェ)の宮での全焼のいけにえを見たので、彼女は「息も止まるばかり」(10:5)になり、「あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています」(10:7)と感嘆します。ただ、ここで彼女の感動のことばは、ソロモンの家臣たちが彼の知恵を聞くことができること自体「なんとしあわせでしょう」と記され(10:8)、また、「あなたの神、主(ヤハウェ)はほむべきかな」と、イスラエルの神をあがめたことが強調されています。イエスはこの南の女王が「ソロモンの知恵を聞くために地の果てから来た」彼女の信仰を評価し、彼女は終わりの日にパリサイ人や律法学者を罪に定めるといっています(マタイ12:42)。

  彼女の贈り物で特に際立っていたのは、120タラント(ヒラムの場合と同じ量で約4トン)とバルサム油でした。これは木から採取される香油で、非常に高価なものでした(10:10)。また「オフィルから金を積んできたヒラムの船団」(10:11)も、香木である「びゃくだん」を大量に運び込んだことが記されます。このように香油や香木が珍重されるのは、生活必需品が十分に満たされていることの象徴です。そして、「ソロモン王は・・・シェバの女王が・・求めた物は何でもその望むままに与えた」(10:13)と、彼の豊かさが強調されます。しかも、一年間に入ってきた金の重さは666タラントであったと記されますが(10:14)、これは何と、21.6トンに相当します。それに加えて、「アラビヤのすべての王たち」(10:15)からのものがあったとあるのを見ると、シェバの女王との交流は氷山の一角のようなものでした。

そして、ソロモンの玉座の豪華さや飲み物の器までもが金であると描かれます。なお、10:22の「タルシシュの船団」に関してはいろんな解釈がありますが、中心的な意味は往復に三年かかるような遠方との交易を強調することでした。その上で、「ソロモン王は、富と知恵において、地上のどの王にも勝っていた。全世界の者は、神が彼の心に授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた」(10:23,24)と、神から与えられた知恵自体が、何よりの富の源となったことが記されます。つまり、知恵と繁栄自体は、神の栄光を現すものであり、日本的な「わび」や「さび」の観点から非難されるべきものではありません。世界中の人々が、イスラエルに贈り物をもってやってくる、また平和のうちに海の果てとの交流が盛んになることは、すべて神の民にとっての憧れであり、神の祝福のシンボルでした。

3.「ソロモンは主(ヤハウェ)を愛した」 「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女を愛した」

「ソロモンは戦車と騎兵を集めたが・・・」(10:26)以降は、ソロモンの危なさを描くものです。「王は銀をエルサレムで石のように用い」(10:27)とありますが、当時の貨幣は銀でしたから、これは彼の際限のない贅沢を表します。そして、「王の御用達」と呼ばれる商人達は、エジプトから戦車や馬を輸入して、それをヘテ人の王やアラムの王たちに輸出するという、武力の仲介を大がかりに行なっていました(10:28,29)。そして、最後に、「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女を愛した・・・ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった」(11:1,2)と記されます。これは、かつて神がモーセを通して、「王は自分のために決して馬を多く増やしてはならない。馬を増やすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない・・・多くの妻を持ってはならない。心をそらしてはならない。自分のために金銀を非常に多く増やしてはならない」(申命記17:16:17)と、権力の乱用を戒めていたことにことごとく反しています。

  その中でも、最も悪いのは、異教の神々を信じる者たちを妻とすることでした。そして、「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうに向けたので・・・シドン人の神アシュタロテとあの忌むべきミルコムに従った」(11:4,5)と記されます。これは途方もないスキャンダルです。アシュタロテは愛と豊穣の女神で彼を助けたツロでも拝まれていた神です。ツロと仲良くしたあまり、その神々にまで好意を持ってしまいました。またミルコムは7節のモレクと同じで「子どもに火の中をくぐらせる」ような忌みべき神です(Ⅱ列王記16:4参照)。ソロモンはこれらの神々のために「高きところ」、つまり、礼拝の場を築いたというのです。しかも、彼は、「外国人のすべての妻」それぞれが信じる異なった神々への礼拝施設までも作ったというのです。彼は妻を愛するあまり、妻の神々まで愛してしまいました。

 ここでのソロモンの問題が、「彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主(ヤハウェ)とはまったくひとつにはなっていなかった(11:4)と記されます。これは「神と平和(シャローム)ではなかった」とも訳すことができます。彼の名が「平和」(シャローム)に由来することを思うとき、なんとも皮肉です。彼の行為が、いかに神を悲しませたかが伝わってきます。彼は妻たちとの平和を優先して、神との平和を軽んじてしまったのです。同じことが私たちにも起こりえます。

そのような中で、主がソロモンに二度も現れ(11:12,13)、「わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて・・・家来に与える」と言いつつ、「あなたの父ダビデに免じてあなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう」と、猶予期間を与え、悔い改めを促しています。「ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、ひとつの部族だけをあなたの子に与えよう」と言われます。ここには、主がダビデ王家を永遠に立てると言われた約束が、子孫たちの不従順にも関わらず守られる希望が見られます。

そして、主(ヤハウェ)は、ソロモンに敵対する者三人を起こされます。第一はエドム人のハダテです。彼はダビデの時代にエジプトに亡命した者ですが、パロの娘をめとり、強い指導者となってエドムに帰ってきます(11:14-22)。第二は、エリヤダの子レゾンで、彼はダビデに敗北したツォバ(Ⅱサムエル8:3)の出身者ですがアラムの首都ダマスコに拠点を置いてソロモンに敵対する勢力となっていました(11:23-25)。第三はイスラエルの名門エフライム人のヤロブアムです。彼はソロモンに能力を認められ「ヨセフの家のすべての役務を管理」(11:28)する指導者に抜擢されました。そして主は預言者アヒヤをヤロブアムに遣わし、「ソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える」(11:31)と言われ、主ご自身が主導権をもって国を分けることが記されます。ソロモンはヤロブアムを殺そうとしますが、彼はエジプトに亡命します。そして、ソロモンの死が11章終わりで報じられます。彼は40年間イスラエルを支配しました(11:42)。

 

かつて、「ソロモンは(ヤハウェ)を愛した」3:3)と言われた王は、外国人の女を愛し、彼女たちの偶像礼拝に巻き込まれました。まさに後のパウロが、「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」(Ⅰコリント10:12)と警告している通りです。不思議なのは、ソロモンは神の救いのご計画を知り、また神の警告を明確に聴き、この世の富や権力のむなしさを良く分かっていたはずなのに・・・という点です。それは、彼の権力が強くなりすぎて、また、その知恵によって人々から尊敬を集めているうち恐いものがなくなったからではないでしょうか。「恐れ」は人を謙遜にします。主を恐れることと、わざわいを恐れることは、人の心の中では分離できません。恐いものがなくなってしまうことは悲劇かもしれません。繁栄と栄誉自体は決して悪ではありません。ただそれは神を忘れさせる危険があります。そして、自分の創造主を忘れた者は、すべてを手にしているように見えても、すべてを失っているのです。

| | コメント (0)

2007年6月23日 (土)

ルカ14章1-14節 「すでにある神のご支配を喜ぶ日」

                                               2007年6月17日

 「時は金なり」とこの世の常識が教える中で、神は、「週に一日の休み」を勧めるのではなく、命じておられます。それは、人はいつも、時間でも人でも、何かの目的達成の「手段」におとしめてしまうからです。しかし、一方で、「主の日」を「義務を果たす日」としてしまい、喜びを失っている信仰者も意外に多いのかもしれません。主の日を、神にある「自由」と「喜び」の日として、本来の意味を回復させることは、現代の課題でもあるように思われます。

1.「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか」

 イエスの時代、ユダヤ人たちはローマ帝国の圧制に苦しみながら、ソロモンの時代のような平和と繁栄を待ち望んでいました。そして、預言者エゼキエル20章では、彼らが外国の支配に屈せざるを得ないのは、安息日を汚したことへの神のさばきであると記されていました。それゆえ、イエスの時代の宗教家の関心の中心は、安息日律法をいかに厳格に守るかということであり、イエスの働きを、安息日律法を破壊することとして危険視していました。

  ある安息日、パリサイ派のある指導者の家に、イエスは食事に招かれました。そのとき、「みんながじっとイエスを見つめていた」(1節)と敢えて記されます。彼らはわざと、「水腫をわずらっている人」「イエスの真っ正面」に座るように計りながら、イエスを試したのではないでしょうか。当時の律法解釈によれば、緊急の場合を除いて安息日に病人に癒しを施すことは「七日目は、あなたの神、主(ヤハウェ)の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない」(出エジ20:10)という主の命令への違反と理解されました。この「水腫」という病は、明日まで待てないものではありませんが、先の「十八年間・・・腰が曲がっていた女」(13:11)の場合よりは、治療の切実性がはるかに高い病です。何とも不思議なことに、彼らの関心は、イエスに難病を癒す力があるかということよりは、イエスが安息日律法をどのように解釈しているかにありました。人は、自分の利害の視点から物事を見るものですが、彼らの目には、難病にかかっている人は、神のさばきを受けてすでに死んだも同然の人でした。しかし、安息日の秩序を守ることは、国の将来に関わる一大事だと思われたのです。私たちの関心にも偏りがありはしないでしょうか。

イエスは、そんな頑なな彼らの気持ちを察しておられました。3節は、「そして、イエスは答えて言われた」とも訳すことができますが、イエスは、律法の専門家やパリサイ人たちの心の声に答える意味で、「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか」と一般化した質問を投げかけます。それに対して、「彼らは黙って」(4節)いるしかできませんでした。「この病は、緊急性を要しない・・」などと言うのをはばかったからでしょう。彼らは、この人の中に、切実な必要があることに気づいていたからです。ここに彼らの矛盾があります。だいたい、人の癒しの切実性を、その人の痛みの声を無視して判断しようなどとは、傲慢の極みではないでしょうか。あなたも、深い悩みを抱えているときに、「そんなことで悩むのはおかしい・・」などと言われてさらに傷ついたという体験がないでしょうか。感覚はその人固有のものですから、そのような非難は、人格を否定することに等しいことです。

この病の人も、病気の苦しみと同時に、人格を否定されたような深い孤独を味わっていたことでしょう。それでイエスは、その人を癒す前に、しっかりと抱擁します。「イエスはその人を抱いていやし、帰された」というのは何とも感動的なプロセスです。この人はイエスにハグされながら、身体とともに心が癒されたに違いありません。

 その上でイエスは宗教指導者たちに、「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか」(5節)と尋ねます。当時の律法学者たちは、家畜が井戸に落ちた日が安息日である場合、「明日まで待つべきだろうか・・」とまじめに議論していたからです。ところがイエスは、そこに「自分の息子が落ちたのに・・・」ということばを付け加えることで、この議論を抽象的な神学論議から、自分にとっての切実な問題に置き換えさせました。当然、彼らも自分の家族のことになれば放置できないはずです。これによって、イエスは、彼らが「水腫をわずらっている人」を家畜以下に扱っているということを示唆したのではないでしょうか。「彼らは答えることができなかった」(6節)という中に彼らの矛盾が明らかになります。

  彼らは、安息日は、「・・・をしない」ということに心を集中しながら、「なすべきこと」を忘れていました。出エジプト記では、安息すべき理由を、「主(ヤハウェ)が・・・七日目に休まれたから」(20:11)と記されています。それは私たちが神に似せて造られた者として、神に習うことを意味します。主はその日に、ご自分の創造のみわざをご覧になり、喜ばれたのですが、私たちも同じように、一週間に一度は、静まって神のみわざを思い起こすときが必要です。

一方、申命記では、「自分がエジプトで奴隷であったこと」を思い起こしながら、奴隷にも家畜にも安息を与えることが命じられています(5:14,15)。ですから、安息日は、主の救いのみわざの恩恵を、奴隷や家畜にも分かち合い、彼らを愛する日です。つまり、律法学者こそが、病人に対する無関心によって、安息日を破っていたのです。

詩篇92篇には、「安息日のための歌」というタイトルがついています。そこでは、「十弦の琴」「六弦の琴」「立琴」という三種の琴を用いながら主を賛美することが命じられています。そこでは、「まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません」6節)と言いつつ、一見不条理に満ちた世界を、全能の神が支配しておられることを思い起こさせています。楽器の演奏は英語でplayと言われますが、安息日は、祈り(pray)の日であると共に、あそび(play)の日でもあります。私たちも安息日が真の喜びの日となっているかを反省すべきかもしれません。

2. 「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです」

  7節は、「それでイエスは、招かれた人々にたとえを話された」と訳すことができます。つまり、これは先の場面の続き、上座から水腫をわずらっている人を見下ろし、またイエスがどうするかをさばきの目をもって見ていた宗教指導者たちへのことばです。彼らは自分こそ上座にふさわしいと思ってしまう人だったからです。それでイエスは、彼らを真っ向から責める代わりに、「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座に座ってはいけません」(8節)という一般論として話されました。そして、その理由を、「あなたより身分の高い人が招かれているかもしれないから」と言われました。当時の家の主人は、身分の高い主賓が遅れてきた場合、既に座っている人を移動させてでも上座に座らせました。その場合、既にそこに座っていた人は、唯一空いている末席に移動せざるを得なくなり、「恥をかく」ことになるというのです(9節)。しかし、反対に、初めから末席についていたら、「満座の中で面目を施す(いっしょに座っている者たちの中で、あなたの栄誉となる)」(10節)というのです。そして、このことからイエスは、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです(11節)という神の国の原理を引き出しました。これはイエスが、当時の宗教指導者に、いろんな場で話していたことでした。彼らは神の国の上席を自分で掴み取るような生き方をしていました。それこそ、神のようになろうとしたアダムの生き方の延長線上にあります。

  この記事が滑稽なのは、現代の私たちの目から見たら、イエスこそ最上席にふさわしい方なのに、彼らはそれを知らず、イエスを上座から見下ろしているということです。神がご自身の支配を目に見える形で表されるとき、彼らは自分を恥じ入ることになります。私たちはこのとき敢えて下座に座っておられたイエスの姿に習うものでなければなりません。そのことをパウロは、「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい・・・それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです」(ピリピ2:3,5)と言いました。

  ここで「互いに人を自分よりすぐれた者と思う」とは、自分の能力を人より低く見るという意味ではなく、能力の比較などを超えて、ただ人を上座にふさわしい人と見るということです。たとえば、ある小学校のクラスに一時的に知的障害を抱えた子が入ってきたときのことです。最初、子どもの勉強が遅れると苦情を言っていた親たちが、その子の世話を巡ってクラス全体が優しくなり、自分の子たちの表情が明るくなった様子を見て、自分たちの判断を恥じ入ったという実話があります。この場合、その知的障害を抱えた子どもこそ、神の目から見た「すぐれた者」または「上座にふさわしい人」だったのです。「すぐれている」ことの基準を能力で計ろうとすることがすでに堕落です。能力が高い人は、より多く人々に仕えることが求められているのです。イエスは、神と等しい方であったからこそ、「ご自分を無にして、仕える姿を取られた」(ピリピ2:7)のです。どうか、自分の能力を過少に表現するという日本的な見せかけの謙遜さではなく、すでに与えられている能力を最大限に生かして人々に仕える働きをしてゆくことを考えていただきたいと思います。それこそイエスに習う道ではないでしょうか。イエスが、席順の話をされたのは、彼らが自分たちに与えられた能力や権力を、病んでいる人を見下ろしてさばくために用いていたからなのです。

3.「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです」

最後にイエスは、「自分を招いてくれた人」つまり、「パリサイ派のある指導者」のことを意識しながら言われます。それは、「昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません(12節)という驚くべきことばです。食事は交わりの場ですから、招くにふさわしい人を招くのが当然とも言えますが、それは異教徒や無神論者でもしているこの世の発想です。イエスは、そのような交わりを否定したのではなく、神の国の祝宴の姿を思い起こすように招かれたのです。金持ちなどは、招かれたら、招き返すことができますから、そこに神のみわざは現われもしませんし、また期待する必要もありません。しかし、「祝宴を催す場合に、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招く」なら、「あなたは幸い」だというのです(13,14節)。「その人たちはお返しができないので」、「義人の復活のとき」になって、あなたが神ご自身から「お返しを受ける」ことができるからです。それは神の目を意識した奉仕になっていますから、貧しい人のプライドを傷つけることもありません。私たちも、この世的な報酬を期待することによって、神から与えられる「幸いを受け損なってはいないでしょうか。

  イエスを招いた人は、自分は安息日に人々を食事に招くというつとめを果たしていると思ったことでしょう。しかし、彼はその場を、イエスを訴える口実を見つける手段の場におとしめ、また水腫を患っている人を、イエスを訴える手段としておとしめていました。しかし、この日は、苦しんでいる人、病んでいる人をこそ、主賓として招くべきなのです。この主人は、安息日を守ることに熱心なようで、安息日の心を忘れていました。彼が持っていた財産は神から預けられていたに過ぎません。それを正しく用いたときに与えられる恵みの機会を、自分で閉じたのです。

 

安息日は、すでに与えられている恵み、今ここにある神の国を喜ぶ日です。ところが当時の宗教指導者たちは、安息日を神の国を実現する手段と変えてしまいました。彼らはそれによって、すでに実現している神のみわざを見ることができなくなっていました。たとえば、神はユダヤ人をバビロンの支配から解放するために、その東の異教徒の国ペルシャを動かしました。当時のユダヤ人はローマ帝国の支配の悪い面ばかりを見ていましたが、地中海世界に国境がなくなったおかげで、遠くに住む異邦人が聖書の神を知ることが可能になっていたのです。それも神のみわざでした。そして、実際、イエスの昇天後、パウロはローマ市民としての特権を生かして地の果てまで福音を伝えることができました。私たちのとっての「主の日」も、天国に入れてもらうためのお勤めの日ではありません。神が今、すでに与えてくださっている恵みを、より多くの人に分かち合い、ともに喜ぶ日です。

| | コメント (0)

2007年6月10日 (日)

Ⅰ列王記7,8章「救い主を指し示すソロモンの神殿」

                             2007610

 イエスは当時の壮麗な神殿を見ながら、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」(ヨハネ2:19)と言われました。これはイエスが、十字架にかけられる告訴理由になり、それであざけられましたが、三日目に死人の中からよみがえれたとき、真の神殿が完成したのです。ソロモンの神殿はイエスの時代に神殿にはるかにまさるものでしたが、「本物の模型」(ヘブル9:24)に過ぎませんでした。ソロモンは与えられた知恵によってそれを理解していました。

1.「神殿を建てるのに七年かかった・・・十三年かかって自分の宮殿全部を完成した」

「ソロモンは自分の宮殿を建て、十三年かかって宮殿全部を完成した」(7:1)は、直前の、「神殿のすべての部分が、その明細どおりに完成した。これを建てるのに七年かかった」(6:38)との対比で、彼の危うさを示します。しかも、「レバノンの森の宮殿」(7:2)は、「神殿」との比較で、長さで1.67倍(約44m)、幅で2.5倍(約22m)にも及びます。つまり、ソロモンは、神殿の約二倍の時間をかけ、その四倍余りの大きさの宮殿をはじめ、それとは別に「王座の広間」(7:7)や自分の住む家とパロの娘のための家を建てたというのです(7:8)。もちろん、これらは政治の集会場所と生活の空間であり、祭司が奉仕のためにしか入れない神殿と大きさを比較することも無意味ではありましょうし、神殿内部の豪華さは宮殿とは比較にならないものだったとは思われますが、列王記の著者は、このような記述によって、ソロモンの心が神の栄光と自分の栄光とに分裂していることを描こうとしています。ただし、7章13節からは神殿に関する工事の継続が記され、51節になって、「こうして、ソロモン王が主(ヤハウェ)の宮のためにしたすべての工事が完成した」とあるように、神殿全体が七年で完成したと誤解してはなりません。しかも、準備はダビデの時代に始まっていたのですから・・・。

ソロモンがツロから呼んだ青銅の細工師のヒラムは、ツロの王と同じ名前ですが、ナフタリ族のやもめの子で、父はツロ人でした。彼はイスラエル人の枠から外れながらも、「青銅の細工物全般に関する知恵と、英知と、知識とに満ちていた」ので、ソロモンのもとで「いっさいの細工を行なった」のでした(7:14)神殿は当時の技術の集大成でした。

彼はまず、18キュビト(約8m)もの高さの「青銅の柱」を二本作りました。その太さは周囲5.3m(直径1.9m)もあり、その上に5キュビト(2.2m)の高さの美しい飾りの青銅の「柱頭」をつけ、各柱にはヤキン(確立する)、またボアズ(力をもって)という名がつけられました(7:15-22)。それから「鋳物の海」が作られましたが、それは直径が約10キュビト(4.4m)深さが5キュビト(2.2m)もある巨大なものでした。これは三頭ずつ東西南北に向いた十二頭の牛の鋳物の上に置かれました(7:23-26)。この容量は二千バテ(46,000リットル)にも及び、これは「祭司たちがその中で身を洗うためのもの」でした(Ⅱ歴代誌4:6)。また、次に青銅で移動式の十の「台」とその上の「洗盤」が作られました。それぞれの洗盤も直径1.8mという大きなもので、それはケルビムと雄獅子と牛の上に置かれていました(7:27-37)。これは全焼のいけにえをすすぎ清めるためでした(同歴代誌)。またいけにえを処理するために用いられる「灰つぼと十能と肉刺し」が作られました。

そして、「ついで、ソロモンは神の宮にあるすべての用具を作った」(7:48)とあります。これは一台の香をたく祭壇供えのパンを載せる机燭台が十台ずつなどですが、すべてが純金で作られ、驚くほど豪華なはずですが、それについてはごく簡単に記されます。これは宮の中の器具ですから純粋なイスラエルの金細工人が作ったと思われます。

ソロモンは、杉材の調達においても青銅の細工人も、同盟関係にあったツロの助けを受けました。それはダビデ時代から続いているものであり、ツロの王もイスラエルの神、主(ヤハウェ)をあがめつつ協力していることでした。この書はその協力関係を敢えて好意的に強調していると思われます。ふたりのヒラムの神殿建設への貢献は象徴的です。

一方、ソロモンが大量に輸入した杉材を用い、十三年もかけて豪華な宮殿を作ったことは、民全体に大きな負担をかけ、後の北王国の分裂の種となりました。伝道者の書で彼は、「私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした・・・しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ」(2:10,11)と、この大事業の後で、むなしさを覚えたことを告白しています。そして最後に、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ、神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」(12:13)と認めました。しかし、それを悟るための代価はあまりにも大きなものでした。私たちもソロモンの民族を超えた協力の構築は評価しつつも、彼が事業の拡大の後に感じたむなしさからも学ぶべきでしょう。

2.「主(ヤハウェ)の栄光が主(ヤハウェ)の宮に満ちた」

  「主(ヤハウェ)の契約の箱」が町の南から北のモリヤ山上の神殿へと運び入れられたのは「第七の新月の祭り仮庵の祭り、レビ23:33-42)」(8:2)でしたが、どの年かは不明です。「神殿のすべての部分の完成」(6:38)第八の月でしたので、約一年後に主の宮の用具が完成した推測する人もいます。祭司たちはイスラエルの全長老が集められた中で「箱」を担いました(8:3)。またその際、ギブオンにあった(3:4)会見の天幕とすべての用具もレビ人によって運ばれ(8:4)、礼拝の場がひとつにまとめられます。箱が進む先には、数えることができないほどの羊や牛がいけにえとしてささげられ、ついに、至聖所のケルビムの翼の下に運び入れられます(8:6)。そしてここで敢えて「箱の中には二枚の石の板のほか入っていなかった」(8:9)と記されます。私たちの「聖書」はそれ以上のものですから、恐れをもって扱うべきでしょう。

  祭司たちが聖所から出てきたとき、雲が(ヤハウェ)の宮に満ちた。祭司たちはその雲にさえぎられ、そこに立っていることができなかった。(ヤハウェ)の栄光が(ヤハウェ)の宮に満ちたから」(8:10,11)と描かれます。真っ暗な「雲」が満ちることは「栄光」が満ちることでした。「栄光」は「重さ」と同義語で、明るさ(「あ!軽い」)よりも恐怖心を引き起こします。これは、モーセのもとで「会見の天幕」が完成したときと同じ情景でした。そのときの「栄光の雲」は、イスラエルの民を地上の約束の地へと導きましたが、今、ここに現れた主の栄光は、人々の心を天上の栄光へと導くと言えましょう。

  このときソロモンは、「主(ヤハウェ)は、暗やみの中に住む、と仰せられました。そこで私はあなたのお治めになる宮を、あなたがとこしえにお住みになる所を確かに建てました」(8:12,13)と語ります。これは主が、見ることも近づくこともできない方でありながら、その栄光をご自身が王として支配するイスラエルという国を通して現されるという意味です。

  ソロモンはイスラエルの歴史を振り返りつつ、主が「わたしはわたしの名を置く宮を建てるために・・・わたしはダビデを選び・・」(8:16)と言われたことを引用し(Ⅱサムエル7:5-16参照)、神殿は、人間のわざではなく、歴史を支配する神の一方的なみわざであることを強調します。そして、「ソロモンはイスラエルの全集団の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を天に差し伸べて」(8:22)祈りますが、その際、「主(ヤハウェ)は・・・契約と愛(恵み「ヘセッド」)を守られる方(8:23)と賛美しつつ、主が約束どおりダビデ王家を永遠に存続させてくださるようにと祈ります(8:25)。そこには「心を尽くして御前に歩む」(8:23)という条件がありますが、具体的には、ダビデがわたしの前に歩んだように・・」(8:25)ということでした。それは私たちをほっとさせることばでもあります。彼は多くの過ちを犯した人でもあったからです。しかし、神の前に正直に歩み、神にすがり続けていました。彼は聖人というより自分の弱さを心の底から自覚した人でした。私たちも何度も罪を犯しながらも、それを正直に認め、神にすがり続けるなら、神は守り通してくださいます。なぜなら、イスラエルは何度も神の命令に背き続けましたが、神はイエスをダビデの子として立て、王家への約束を成就されたからです。

主の契約と愛(ヘセッド)こそ神殿の中心です。そして今、主は私たちと「新しい契約」を結んでくださいました。私たちは、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたキリストの手紙」(Ⅱコリント3:3)であり、「主の御霊は・・・私たちを・・栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えて」くださいます(同3:17,18)。私たちのうちには御霊であるヤウェご自身が住んでくださいました。それこそが新約の圧倒的な恵みです。そして、私たちに求められることは、「御霊に逆らう冒涜をしない・・聖霊に逆らうことを言わない」ことです(マタイ12:31,32)。それは神の赦しを拒絶することに他なりません。またキリスト者に対しては、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」という命令と並んで、御霊を消してはなりませんと勧められています(Ⅰテサロニケ5:16-19)。これは私たちが自分の肉の思いで心を一杯にして、神の前に静まることができないときに起こる悲劇でもありましょう。

3.「地上のすべての国々の民が、主(ヤハウェ)こそ神であり、ほかに神はないことを知るようになるため」

ソロモンは、「天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮などなおさらのことです」(8:27)と認めつつ、「あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、昼も夜も御目を開いてくださって、あなたのしもべがこの所に向ってささげる祈りを聞いてください・・天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください」(8:29,30)と祈ります。その後の七つの祈りのそれぞれで、天で聞き・・・してください」と繰り返されます。

第一は、不当な苦しみにあった人の訴えに公平なさばきがくだされることです(8:31,32)。第二は、イスラエルが神への罪のために敵に敗北するときに、反省した彼らを助けて欲しいと願うものです(8:33,34)。第三は、罪のさばきとして雨が降らなくなった場合、立ち返った彼らに、「歩むべき良い道を教え」てくださるようにとの願いです(8:35,36)。第四は、疫病等の災害に襲われたり、敵に攻め込まれたとき、彼らが心からへりくだるなら、その訴えに耳を傾けて欲しいと願うことです。それは「彼らがあなたを恐れるため」と敢えて述べられます(8:37-40)。第五は、驚くべきことに、「あなたの民・・・でない外国人・・が、あなたの御名のゆえに、遠方の地から来て祈るとき」と言われ、彼の祈りは新約への窓を開きます。イエスが異邦人の庭から商売人を追い出したのは、すべての民の祈りの家」(マルコ11:17)という「外国人の祈り」を守るためでした。第六は「あなたの民が、敵に立ち向かい、あなたが遣わされる道に出て戦いに臨むとき」(8:44,45)と、神によって召された戦いでのことで、それまでと趣旨が異なりますが、次の祈りへの導入となります。

第七の祈りは、彼らが罪を犯して、神の怒りを受け、「敵国に捕虜として捕らえられていった場合」のことです(8:46-53)。それはこの三百年近く前の申命記28章49節以降の預言を思い起こすことであり、この約四百年後にバビロン捕囚として実現することです。捕らわれていった敵国で、心を尽くし、精神を尽くして、あなたに立ち返り・・・この宮のほうに向いて、あなたに祈るなら」(8:48)という勧めを、ダニエルは捕囚の地で実行しました。彼は礼拝を禁止されながらも、エルサレムに向って、日に三度ひざまずいて祈っていました(ダニエル6:10)。イスラエルの民は、捕囚を通して、主を恐れることを学び、再び約束の地に戻ることができました。それはこのソロモンの祈りがかなえられた結果とも言えましょう。なお、この第七の祈りの始まりに、「罪を犯さない人間はひとりもいないのですから・・・」(8:46)と敢えて述べられているのは興味深いことです。後に使徒ヨハネは、「もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです」と言いつつ、「義なるイエス・キリスト・・・こそ、私たちの罪のための・・なだめの供え物です」と宣言しています(Ⅰヨハネ1:10-2:2)。それは、イエス・キリストが私たちにとっての真の神殿となってくださったことを意味します。

そして、ソロモンは、これらの祈りの目的を、「地上のすべての国々の民が、主(ヤハウェ)こそ神であり、ほかに神はないことを知るようになるためです」(8:20)とまとめています。まさにこのソロモンの祈りは新約への窓を開くものです。いまや、全世界の人々が、真の神殿となられたイエスの御名を通して主(ヤハウェ)に向って祈るようになりました。ソロモンは、その神殿建設からこの祈りに至るまで、神から与えられた知恵で、イスラエルという民族の枠を超えています。

 ソロモンが建てた神殿は、主がこの地に平和をもたらしてくださった象徴でした。ですから、そこでは神の民の枠を超えた人々の協力が強調されます。しかし、彼は異邦人との交わりを深めながら、その影響を受け巨大な宮殿への思いを膨らませてしまったのでしょう。その過ちは、真のダビデの子がソロモンではなくイエスであることを示すものです。しかし、神はそのソロモンを用いてご自身の神殿を建てることによって、私たちの心をもっとすぐれた天上の宮に向けさせているのではないでしょうか。その神殿はイエス・キリストを指し示しています。彼はダビデ以上に欠けだらけの王でしたが、神は彼を用いて、新約への道を開く、歴史を貫くような祈りをさせてくださいました。その神殿は何よりも彼らに祈ることを、また主を恐れることを教えるためのものでした。そして今、イエスの御名こそ私たちの神殿です。 

| | コメント (0)

2007年6月 3日 (日)

ルカ13:18-35「神の国に生きる祝福」

神の国の成長ということから、ふとフローレンス・ナイティンゲールの伝記を読んで感動したことを分かち合いました。
たったひとりの女性が、世界の医療の歴史を変えたからです。しかし、それは神のみわざでした。
 今日のイエス様のお話は厳しいところがあります。イエス様は、「わたしに向って、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者が入るのです」(マタイ7:21)とも言っておられますが、それと同じ趣旨のことがここで語られています。しかし、その厳しさの背後に、何ともいえない優しさが込められています。


                                         2007年6月3日

 イエスを主と告白し、神の国の民とされることは想像を絶するほどの大きな祝福です。ところが、その喜びを味わうことができていない人が多くいます。その鍵は、「絶えず祈りなさい」という命令と結びついてはいないでしょうか。なぜなら、神の子とされた恵みは、何よりも祈りの生活の中で体験できるからです。その際、私たちはもちろん遠慮することなく何を願っても良いのですが、それ以前に、祈りの基本は神に聴くことにあるのではないでしょうか。

1.「神の国の成長」

イエスは「神の国」の成長を「からし種」「パン種」にたとえました。「からし種」(19節)は当時の人が育てる植物の中で最も小さなもので「庭に蒔いた」ときも誰も気づかないほどですが、その成長はすさまじく、庭の中で「空の鳥が枝に巣を作る」ほどの木になり、4.6mの高さになるものもありました。また次に、「女がパン種をとって、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました」(21節)と記されます。「三サトン」は約40ℓで、当時焼くことができた最大量、百人分のパンに相当しました。「パン種」はその中で隠れる程小さなものでしたが、これほど大量の小麦粉を膨らませる力がありました。そのように、イエスがこの地にもたらした「神の国」(神のご支配)は、ローマ帝国の片隅で、誰も気づかないほど小さく始まりながら、やがてローマ帝国全体を変える力を持つようになったのです。

  たとえば、世界の医療システムを根本から変え、国際赤十字の生みの母とさえ呼ばれるフローレンス・ナイティンゲールは1820年にイギリスの貴族の家に生まれましたが、17歳のときに「神に仕えなさい」という明確な声を聞いたと日記に記しています。そして、22歳の頃「病める者、悲しむ者に仕える」ことを使命と自覚します。しかし、当時の上流階級のしきたりに従い結婚を迫られる中で、ノイローゼになり身体も衰弱し、三ヶ月間寝たきりになります。そして、回復と共に重病に陥った祖母や乳母の看護をする中に大きな喜びを感じます。ただ、当時の英国では、看護の仕事は、身を持ち崩した女が最後に行き着く働きと軽蔑されていました。しかし、諦めず道を進む中で33歳に、ロンドンの婦人家庭教師のための病院の看護婦長に任じられます。そして、34歳で英国がロシヤと戦ったクリミヤ戦争に派遣され、昼夜を問わず傷病兵の看護を続け、多くの人の心を動かし、ついにはビクトリア女王の支援を受け40歳で看護学校を創設、それに習った看護学校はまたたくまに世界に広がります。またその頃、彼女に感化されたアンリ・デユナンが敵味方の境を越えて傷病兵の治療に励み国際赤十字社の発足に至ります。 

彼女はいつも完全な看護を求めながらも、かけ離れた現実に忍耐をしつつ、一歩一歩、働きを進めましたが、その心はまさに神に捉えられていたのです。しかし、そんな彼女も、神の求める完全より、自分の完全を性急に求める傾向を反省し、「ああ、主よ。いまも私は、あなたが見ておられる世界の管理を、あなたの御手から奪い取ろうとしているようです・・・」と悔い改めつつ祈っています。彼女は自分を、神の国、神のご支配に服従する「しもべ」として位置づけ、委ねられた仕事を、神の方法で成し遂げるようにと心がけていたからです。そして、そのような謙遜さこそが、多くの人の心を動かしました。私たちは、このような事例を、特別な偉人の記録と見てしまいがちですが、これは人のわざというより神のみわざ、神の国の成長力の証しです。神は、目に見える人を用いられるのです。

2.「狭い門から入りなさい」

 その後、「イエスは、町々村々を次々に教えながら通り、エルサレムへの旅を続けられ」(22節)ますが、そこに、「主よ。救われる者は少ないのですか」と問いかける人がいました。当時の人々は、神の国に入れられるのはユダヤ人だけと信じながらも、その中でも、どのような種類の人が入ることができるのかに関して議論していたからです。これは、現代で言えば、たとえば、「福音を聞いたことない人は、どのようにさばかれるのでしょう?」と議論することに似ているかもしれません。イエスはひとりでも多くの人に神の国の福音を伝えようと働き続けておられるのに、彼らは何となく評論家的に神学を議論しているだけで、今、自分が何をなすべきかという問いを忘れています。

 それに対してイエスは、「努力して狭い門から入りなさい」(24節)と言われました。これは、「狭い門を通って入るように格闘しなさい」という意味です。そして、イエスはその理由を、「入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから」と付け加えながら、たとえを話します。それは、家の主人が戸を閉めてしまった後で「ご主人さま。あけてください」と戸を叩く愚かなしもべの姿です25節)。しもべが主人の戸締りの時間を知らないなどというのは、本来ありえないことで、主人を軽んじ、無視しているしるしです。そのとき主人が「あなたがたがどこの者か、私は知らない」と言うのに対し、「私たちは、あなたの前で、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました」と答えても、「不正を行なう者たち。みな出て行きなさい」(27節)と言われるというのです。つまり、イエスの教えを知っているだけでは不十分で、生活を通してイエスを自分の主人と認めている必要があるというのです。

  イエスは、「今、あなたは、わたしの招きに従いますか?」と問うておられます。そして、その時々にあらゆる言い訳ができるからこそ、「・・・格闘しなさい」と命じられたのです。たとえば、「信仰か家族か、信仰か仕事か、信仰か結婚か」などと二者択一を迫られるように感じ悩むかもしれませんが、私たちは常に、イエスに従うという「狭い門」に心を集中しなければなりません。ただ、イエスに仕えることと、家族や仕事や結婚が矛盾することは意外に多くはなく、どっちつかずの中途半端な姿勢こそが、かえって信頼感を損ない、すべてを失わせるきっかけになるのかもしれません。あるご婦人は、夫への気遣いから洗礼を躊躇していましたが、自分の死が近いことを悟って、もう引き伸ばすことができないと決心したとたん、意外にも、ご主人もともに洗礼を受けたいと言い出しました。そして、このように導かれる男性たちは、驚くほど多いばかりか、彼らの多くは後にすばらしい証し人とされています。

  ある人がマザー・テレサに、「信仰を捨てなければならないような国で働くことになったらどうなさいますか?」と尋ねたところ、彼女は、「キリストの愛を伝えるためにはどこにでも行きます。私の生命ならいつでも差し上げます。でも、信仰を捨てることはできません」ときっぱり答えたとのことです。また、彼女にとって、イエスへの信仰は、何かを成し遂げるため、また何かを得るための手段ではありません。彼女は自分を「私は神が手に持つペンに過ぎません。文字を書くのは神ご自身です」と言っています。イエスは、彼女のいのちそのものであり、自分のいのちよりも大切な方です。そしてそれはイエスが、すべてのご自身の弟子たちに、問い続けておられることなのです。

  イエスは、今、躊躇している人に向って、「あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりとなるのです」(28-30節)と言われました。それは、私たちの信仰生活が、漠然とした聖書知識の上にでも、教会の活動に加わることでもなく、日々、主の問いかけに真剣に向き合うことの積み重ねによって成り立つべきだからです。その意味で、神の御前では、信仰の先輩も後輩も、また偉人も聖人もいません。ただひとりで、あなたは神の前に立つ必要があるのです。

3.「それなのに、あなたがたはそれを好まなかった」

イエスがこのような話をしておられるとき、何人かのパリサイ人が来て、国主ヘロデがいのちを狙っていることを伝えますが、イエスはその権力者を、「あの狐」と呼びます(32節)。彼は、ヘロデ大王の息子で、アンテパスと呼ばれ、自分の利得のためには手段を選ばない冷血さを持ちながら同時に、いつも人の顔色を伺うような臆病者でした。それでイエスは彼をそのように呼んだのです。イエスはその上で、ご自分が権力者の脅しなどを気にすることなく、「きょうもあすも」、必要な働きを続けると言われました(32,33節)。なお、「三日目に全うされます」とは、具体的な期間というより、短いうちに、ご自身が他の「預言者」と同じように、「エルサレムで・・死ぬ」ことを指しています。イエスにとって十字架は、ご自身の働きが全うされることを意味したからです。これは、この世の権力者など恐れる必要がないことを指摘しながら、この地の真の支配者である父なる神だけを見上げて生きるべきことを教える意味があります。実際、いつの世でも、最終的に働きを全うできるのは、きょうもあすも、誠実に生きる人なのですから。

  そしてイエスは、「ああ、エルサレム、エルサレム・・・」と、神の都が「荒れ果てたままに残される」ときが来ることを預言します(34,35節)「めんどりがひなを翼の下にかばうように」とは、当時の農村で、火災の中、めんどりがひなを自分の翼の下にかくまい、自分は焼死しながら、ひなを生き延びさせるという情景を示したものです。それと同じように、イエスは、ご自身が彼らの身代わりとして神のさばきを受けようとしているのに、彼らがそれを「好まない(望まない)」で、自滅に向っていることを嘆いたものです。キリストの十字架は、神の国に入れていただくための最後の唯一の「狭い門」です。この招きを拒絶する者は、自分の罪によって神のさばきを受けざるを得ません。

  なお、イエスのことばはこれから四十年後に実現します。エルサレムはローマ軍によって滅ぼされ、神殿も破壊されます。しかし、このときイエスに従った者たちは、ローマ軍が町を包囲する前に町を離れ、イエスに習って「きょうもあすも次の日も進んで」行く先々で神の国の福音を伝え、ローマ帝国をキリスト教国にしてしまいました。

 そして、「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」(35節)とは詩篇118:26からの引用で、救い主が歓呼をもって迎えられる様子が描かれています。そのときまで、「あなたがたは決してわたしを見ることができません」とイエスが言われたのは、この後、イエスは、ご自分を歓迎する者にだけ、ご自身が王であり救い主であることを啓示されるという意味と、またイエスが再び栄光を持ってこられるという再臨のときまで、主を見ることができないという両方の意味が込められています。どちらにしてもその中心は、イエスは、「いま、このとき」、ご自身に従う決心をしなければ、あとの機会はやってこないと決断を迫ることにありました。私たちのこころは複雑です。いま、聞いて心が感動するようなことでも、明日また同じ話を聞けば、感動が薄れています。ですから、自分の心に迫りを感じたときに何らかの決断をしなければ、あしたも決断することはできなくなるのです。それは、「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」(ヘブル3:15)と言われている通りです。なお、これは決定的な回心という一回限りのことばかりではなく、私たちの人生の中で日々、繰り返し問われていることでもあります。私たちは一瞬一瞬、この世に従うか、イエスの招きに従うかを問われているのではないでしょうか。

  ナイティンゲールは自分の生涯を神に献げようと決心し、父親に向けて次のように書いています。「私にとってすべての真理はふたつのことばにあるように思えます。第一はサムエルのように、「主よ。お話しください。私はここにおります(Lord, here I am)(Ⅰサムエル3:10別訳)と神に向かって人が言うことばです。そして、第二は、弟子たちが暗い嵐の湖上の舟の中で恐れているときに、イエスが湖の上を歩いてこられ、「わたしだ(エゴー・エイミー、わたしはある)、恐れることはない(Lo. it is I, be not afraid)と言われたことばです(マタイ14:27、ヨハネ6:20)。どちらのことばも、一方を欠いては完全にはなりません。私はいままでずっと、「主よ。わたしはここにおります」と言いながら、恐れにとらわれてばかりいて、主ご自身が、「わたしだ・・・」と言われる語りかけを聞くことができませんでした・・・・」。

これは、私たちが無謀な冒険心に駆られ、「主よ・・」と静まることもなく動き出し自滅することも避けなければなりませんが、主の招きを聴きながら、恐れにとらわれて立ち止まってばかりいては、神の国に生かされている圧倒的な恵みを体験することもできないという意味だと思われます。主が何よりもご自身の圧倒的な御力を現して下さるのは、私たちが嵐の中で身動きできなくなっているときだからです。そして、それが主の招きの中にある嵐の中なら、たとい一時的に、何もかも失うように思えても、結果的に、あふれるばかりの恵みを受けることができます。

| | コメント (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »