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2007年10月22日 (月)

ヨハネ3:1ー21 「神は世を愛された」

                                                2007年10月21日

 不条理な苦しみに出会うとき、「神がおられるなら、どうして・・」と考えがちです。しかし、聖書によると、神が世を愛されたからこそ、この世に悪が残されたままにされていると考えることができます。そして、「救い」とは、目の前から問題がなくなることではなく、問題に直面する力が得られることではないでしょうか。なすべき問いとは、「神を信じることなくして、どうしてこの世で誠実な生き方を全うすることができようか・・・」というものかもしれません。人は、損得勘定だけで態度を変えるような信念のない人を軽蔑します。自分の幸せしか考えないような人とだれが結婚したいと思うでしょう。結婚の誓約とは、何があろうともあなたに寄り添い、いのちも差し出しますと約束することです。キリスト教式の結婚式が流行っているのは、人がそのような愛を求めているからでしょう。しかし、私たちは弱いものです。自分で自分が信じられないようなところがあります。だからこそ、キリストは私たちに真の愛を教え、愛する力をもお与えくださるのです。

1。 神の国を待ち望んでいたニコデモ

  ニコデモは、神の教えに熱心なパリサイ人で、ユダヤ人の指導者でしたが、彼は人目をはばかって夜イエスを訪ねました。彼が求めていたことは「神の国」の実現でした。当時のイスラエルの民は、ローマ帝国の支配のもとで重い税金を課せられ、自由も制限されて苦しんでいました。人々の期待した「神の国」とは、神がイスラエルをローマ帝国の支配から解放し、愛と平和に満ちた国に変えてくださることを意味しました。しかし、イスラエルの民は、互いの足をひっぱり合うような争いを続けていました。特に、パリサイ人たちは、取税人や遊女たちを軽蔑し、「あんな奴らがいるから、いつまでたっても神の国は実現しないのだ・・・」と自分たちの基準に達しない人々を排除しようとしていました。彼らは、神のみわざよりも、人間の行いに目を向けていたのです。

  ニコデモは、当時の指導者としてはめずらしく、イエスのみわざに感銘を受けてはいたのですが、イエスを「神のもとから来られた教師」としてしか見ていませんでした。彼はイエスに、「神の国を実現させるため、何をすべきか?」ということを聞きたかったのでしょう。それに対し、イエスは不思議にも、人は新しく生まれなければ、神の国を見ることができません・・(3節)と言いました。それは簡単に言うと、「このままの人間がどんなに努力しても無理・・」という意味です。それでニコデモは、「もう一度、母の胎にはいって?」などと言いますが、それは、「そんな雲をつかむような話ではなく、もっと具体的な・・・」という気持ちだったと思われます。それに対してイエスは、人は水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることはできません(5節)と、すべては、神の一方的な働きであることを強調したのです。

ニコデモは、人から隠れて夜イエスを訪ね、また、イエスの前でも自分の問題を隠して議論をしていました。彼は、なぜ、人目を恐れていたのでしょう。それは彼には失うべきものが多くあり、自分の身を守ることで頭が一杯だったからではないでしょうか。確かに、国の現実に本当に心を痛めているのですが、自分自身が根本的に神によって変えられる必要があるとは分かっていません。どこかで評論家的になり、自分の問題と向き合おうとはしていません。

彼は、世界の問題が、神にとってもご自身の御子を犠牲にしなければならないほどに根深いものだとは思いもよりませんでした。事実、神の国の実現のためには、何よりも人間の心がまず変えられる必要があったのです。なぜなら、神がせっかく理想的な世界を創造されたとしても、今のままの人間がそこに住めば、その世界を再び腐敗させてしまうからです。そして、イエスが行なわれたしるしは、単にご自身の教えを権威づけるためのものではなく、神が今まさに、イエスによって決定的に世界を新しくし、救い出そうとしていることを証しするためだったのです。

2。  「モーセが荒野で蛇を上げたように・・・」

  イエスは、「新しく生まれなければならない・・・御霊によって生まれる」(7節)と言いましたが、ニコデモは、どうしてそのようなことがありうるのでしょう(9節)と答えます。それに対して、イエスは、あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか(10節)と厳しく応答します。なぜなら、エレミヤ(31:33等)もエゼキエルも(36:26等)、終わりの日に御霊が人の心にくだることを預言していたからです。しかし、イエスは彼を責めながらも、彼ひとりだけに向かって、愛と忍耐をもって、人の想像を超える天上のことを話します

天から下った者はいます。すなわち人の子です(13節)とは、ダニエルが見よ。人の子のような方が天の雲によって来られ・・(ダニエル7:13)と預言した救い主のことです。つまり、イエスは、ご自分こそが、旧約聖書で預言されていた救い主だと語ったのです。そのことばの意味は、少なくとも表面上はニコデモにも分かったことでしょう。

しかし、人の子もまた上げられなければなりません(14節)ということばの意味をどうして理解できたでしょう。それはご自身の十字架を示唆したもので、ニコデモは、それを後になって初めて分かったに違いありません。それは、神の国の実現が、神の側の一方的な犠牲によらなければ実現しないことを意味しました。

  なお、モーセが荒野で蛇を上げた(14節)とは、民数記21章にある記事です。イスラエルの民は、天からの特別なパンであるマナによって養われていました。彼らは、40年ぶりのカナン人への勝利を体験し、今まさに約束の地に入ろうとしていたのですが、その矢先に忍耐の限界に達し、私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした(民21:5)と言いました。彼らは既に始まった新しいことではなく、まだ変わっていない現実に目を奪われたからです。私たちもしばしば、目の前の状況が変わり始めた頃、かえって変化のスピードの遅さにしびれを切らし、「何も変わっていない・・・」という気持ちになることがあります。期待を持たなければ、不満も生じません。そのとき、「私は期待を抱くことができるところまで導かれた・・・」という点にこそ目を向けるべきでしょう。たとえば、あなたの身近な人が「変わりだそう・・」としているなら、変わっていない部分ではなく、その人に期待を抱くことができていること自体を感謝すべきです。

はそんな恩知らずな民に、燃える蛇を送られ、それによって多くの人々が死にました。彼らはモーセに、「私たちは主(ヤハウェ)とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主(ヤハウェ)に祈ってください」(民21:7)と言いました。しかし、その時、は何と、蛇を取り去るのではなく、燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば生きる(民21:8)という不思議な救いを与えられました。彼らに与えられた救いは、蛇という問題をなくすことではなく、かまれた後の癒しを備えることでした。「噛まれても生きる」というのが彼らに与えられた救いでした。ニコデモもパリサイ人として、神の国を待ち望みながら、人々の罪に苛立ち、「彼らを取り去ってください・・」と願っていたことでしょう。しかし、イエスの目からはそのような発想自体が問題であり、彼こそが神の国を阻んでいる張本人なのです。しばしば、愛や平和という理想に熱くなって、まわりの人々を非難ばかりする人がいます。彼らは、人を非難することで、自分自身が愛の交わりを壊しているということに気づきません。しかし、イエスは、このニコデモひとりに真剣に向き合い、ご自身の愛を示しておられます。決して、「お前こそが問題なのだ!」と責めるのではなく、時がきたら自分の罪を自分で認めることができるようにと配慮しておられます。

  私たちはだれも自分の命が明日どうなるかを知ることはできません。しかし、人はそれを忘れて生きています。そして、悲惨なできごとに遭遇して初めて、「生きていられるのは決して当たり前ではない・・」と悟ることができます。ですから、残念ながら、この世には常に、適度な苦しみが必要なのです。しかも、ひとつの問題の解決は、必ず次の問題を生みだすというのが現実です。ですから、目の前の問題の解決ばかりを願う人は、この世では一生、平安を味わうことができなくなります。それに対して、神の救いは、死の危険が目の前にあるにも関わらず、今、ここで神に守られているという平安を味わうことができるようにすることにあります。ニコデモを初めとするパリサイ人たちは、この世から罪をなくそうと頑張ることによって、かえって社会全体を息苦しくしていました。たとえば、36歳で自殺した芥川龍之介は、24歳のとき、「周囲は醜い。自分も醜い。そしてそれを目の当たりに見て生きるのは苦しい。しかも人はそのまま生きることを強いられる。一切を神の仕業とすれば、神の仕業は憎むべき嘲弄だ」と語っています。それにも関わらず、彼は神を求め続け、彼の最後の枕許には聖書がおいてありました。本当に悲しいことですが、彼にとってはイエスの十字架を仰ぎ見るだけで救われるという福音はあまりにも安易に思えたのではないでしょうか。それは、旧約聖書全体から、イスラエルの不従順にたいする神の痛み、神の葛藤という視点を見ることができなかったからだと思われます。

  ここで、信じる者がみな、永遠のいのちを持つ(15節)とありますが、永遠のいのちとは、来たるべき神の国のいのちという意味です。ある人にとっては、永遠に生きることは拷問にしか聞こえないかもしれませんが、私たちの身体は終わりの日にまったく新しくされ、もう退屈を感じることもなくなります。それは、神との豊かな交わりのうちに生きる喜びの生活です。私たちは、そのいのちを、御霊によって、今この不条理に囲まれながら体験することができるのです。

3。  神は世を愛された

  16節以降も、文章の流れから言えば、イエスのニコデモに対するメッセージの続きと考えられます。なぜなら、16節の信じる者がみな・・永遠のいのちを持つということばは、15節の同じ繰り返しであり、新しく深めるものだからです。

  ニコデモは、罪人たちがいなくなれば神の国はすぐに実現されると思っていましたが、イエスは、神は世を愛されたと語りました。そのとは罪人たちの集まりですから、ここは、「神は罪人を愛された」と解釈することができます。ニコデモは、イスラエルの現状を憂え、取税人や遊女の存在を心で裁き、彼らを否定していましたが、神はその彼らひとりひとりを愛しておられるというのです。しかもその愛の深さは、ひとり子をお与えになったほどにと説明されています。つまり、神は、罪に満ちた世をさばく代わりに、かけがえのない御子を犠牲とすることで、救おうとされたのです。なお、この福音書のはじめに、世はこの方によって造られた(1:10)と記されていますが、犠牲となられたのは、この世の創造主ご自身でした。だからこそ、そこに、御子によって世が救われる(17節)という保障があるのです。

  ニコデモは、わざと夜になってイエスを訪ねました。それは光よりも闇を愛した(19節)生き方でした。彼は、取税人が私腹を肥やすために働いていることを非難しながら、自分自身が自分の身を守ることに夢中でした。しかし、後に十字架を見た彼は、光のほうに来る(21節)者へと変えられ、イエスを葬るために最大の貢献をする者へと変えられました。彼は、イエスが自分ひとりに、どれだけ真実に向き合ってくださったかが分かったのです。しかも、イエスは神の国について評論家的な議論をする代わりに、ご自身の身を犠牲にして、人の心を造り変えようとしておられるのです。イエスに信頼する者は、御霊によってすでに新しく生まれ、来たるべき神の国のいのち、永遠のいのちを得ています。それは、わざわいに会わないということではなく、問題のただ中でいのちが輝き出すという意味です。

  試練の中に、いのちは輝きます。三浦綾子の小説に、「塩狩峠」というのがあります。今から約百年前、当時極めて急勾配だった峠で暴走した客車を、自分の身をなげうって止め、殉職した長野政雄さんの実話をもとにしています。キリスト教への誤解がはなはだしかった時代に、彼の自己犠牲のことを聞いた人々が数多く、イエスを信じるように変えられました。それは人々が、そのような真実の愛にあこがれているしるしでしょう。今も、三浦綾子のこの小説を読んで、信仰に導かれる多くの人がいます。神の愛は、今、この世から矛盾がなくなることとしてあらわされるのではなく、この矛盾に満ちた世の中で誠実に生きる力を与えるものです。その神の愛こそが、すべての人間関係を平和に導く鍵です。このままの自分がイエスの十字架の犠牲によって永遠のいのちへと入れられたことを信じる者は、目の前のかけだらけの人を、矛盾に満ちた社会を、なお大切に思うことができます。「神は世を愛された」とは、「神は罪人を愛された」という意味です。神の愛は、愛するに値しない者を、愛するに値する者に変えてくださることにあらわされます。

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2007年10月14日 (日)

Ⅱ列王記14章~16章「神の子としての謙遜と誇りに生きる」

 傲慢と誇り、謙遜と卑屈はまったく違うかと思えば、案外、重なる部分があるのではないでしょうか・・・
長い箇所ですが、最終的な結論は、おちつくべきところに落ち着いています。
 チューッリヒの教会のステンドグラスの大きな分厚いカラーコピーを正面に張って説明しました(当教会員に今年、買ってきてもらったので・・・・)。そしたら、長い話の結論がすっきりとまとまりました。
                                             20071014

 多くの人は、成功すると傲慢になり、失敗すると卑屈になります。傲慢から人を人とも思わない傍若無人が、卑屈から被害者意識にとらわれた自己憐憫が生まれます。どちらも愛の交わりを壊すものです。一方、キリスト者は、順境の日にも謙遜に神のみわざを喜び、どのような逆境の中でも神の子としての誇りを忘れずに、日々の勤めを誠実に果たすことができるはずだ、と言われます。しかし、英語のPrideは、「傲慢」とも「誇り」とも訳せ、Humbleも「謙遜」という訳が一般的ですが「卑屈」という意味も辞書には記されています。このように善悪両方の意味があるのはヘブル語でもギリシャ語でも同じです。傲慢も誇りも、基本の意味は「高さ」を、反対に、謙遜も卑屈も基本は「低さ」を表し、心の状態としては区別がつきにくいのかもしれません。そして、これらに決定的な差をもたらすものこそ、私たちの創造主との関係だと思われます。傲慢な人の前では息がつまります。そればかりか、危なくて仕事を任せることはできません。しかし、一方で、誇りを忘れた卑屈な人間はどこかで人を裏切るような気がします。ただ、創造主の御前で謙遜な人こそ、人の前で卑屈にならずに、誇りある生き方ができるのではないでしょうか。

1.「アマツヤは塩の谷で一万人のエドム人を打ち殺し・・・エルサレムで人々が彼に対して謀反を企てた・・・」

 アハブの娘アタルヤの手から助け出され、ユダ王国再出発の王とされたヨアシュは、祭司エホヤダの死後、神に背きます。そしてアラムの王ハザエルに屈服したあげく家来たちに殺されました。その後、彼の子アマツヤがエルサレムで王となり、29年間、国を治めます。そして、力をつけた後、自分の父である王を殺した者たちに復讐し、彼らを殺しました。ただ、その子達は殺しませんでした。それはモーセの律法(トーラー)の書に記されていること(申命記24:16)に従ってのことでした(14:5,6)。それは彼が主の御教えにしたがって国を治めていたしるしです。

そしてアマツヤは死海の南端の塩の谷でエサウの子孫エドムに勝利しました。ところが彼は、その後、エドムの神々を持ち帰り、「その前に伏し拝み、香をたいた」というのです(Ⅱ歴代誌25:14)。負けた国の神々を拝むとは何とも不思議です。それは復讐を恐れてのことなのか、その偶像がよほど刺激的だったかのどちらかでしょう。現代で言えば、宗教指導者が女性問題を起こすことに似ているかもしれません。そのような彼に、主は落とし穴を用意されました。それは、アマツヤを傲慢のままに置いて、北王国イスラエルと戦いたいままにさせることでした。

このときのイスラエル王ヨアシュはアハブ家を滅びしたエフーの孫で、預言者エリシャの最後の指導を受け、北の国アラムに三度の勝利を治めた王でした。彼はアマツヤに向かって、「あなたはエドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、争いをしかけてわざわいを求め、あなたもユダも共に倒れようとするのか」(14:10)と言いました。これはまさに神が語らせたことばでしょう。私たちも、成功を誇っても良いのですが、神から与えた限界(バウンダリー)を超えるなら自滅せざるを得ません。

「しかし、アマツヤは聞き入れ」ませんでした。それで、「イスラエルの王ヨアシュ」はエルサレムに攻め上ってきて、ユダを徹底的に打ちました。そして、アマツヤを捕らえたばかりか、エルサレムの城壁の北の部分を破壊し、主(ヤハウェ)の宮と王宮の宝物倉にあったすべての金と銀を奪い取ってサマリヤに帰りました(14:11-14)。これは後のバビロン捕囚の前触れと言えましょう。アマツヤが主の前に謙遜だったとき、彼はエドムに勝ち、高ぶったとき捕虜とされました。まさに「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」(箴言18:12)とあるとおりです。

なお、アマツヤは、イスラエルの王ヨアシュの死後、十五年間も生きながらえますが(14:17)、それは北王国の捕虜または傀儡政権としてだったと思われます。そして最後に、彼は家来の謀反によって殺されます(14:19)。何と、ダビデの血筋の王が、親子二代にわたって家来の謀反で殺されました。なお、ここでユダの民はアマツヤの子アザルヤを十六歳で王に立てたとありますが(14:21)、それはアマツヤが捕らえられてすぐのことだったと思われます。つまり、ユダ王国には十五年間ふたりの王がいて、最終的に北王国イスラエルの支配から独立することを願った人々がアマツヤを殺したのでしょう。ユダの王のヨアシュもアマツヤもダビデの血筋であるという理由だけで、家来によって王として立てられ、ひとり立ちするとその愚かさによって政策を誤り、最後に家来によって殺されます。

このふたりに共通することは、順境の中で神を忘れ、他の偶像の神々に心を寄せ、預言者たちの声を退けたあげく、隣国との戦いに負けて、家来たちの信任を失ったということです。血筋の高貴さは、協力関係を築く上では役に立つものでしょうが、それと個人の能力は別です。日本でも血筋の良い指導者が悲しい最後を遂げました。共通するのは、自分の知恵や力を誇り、まわりの声が聞こえなくなったということです。古来、人々が王を求めるのは、国としてのまとまりを保つためです(申命記17:14-20)。それは人と人との利害の対立を調整する機能でもあります。ですから、人々の声を聞くことができない指導者や自分の利益を最優先する指導者はそれだけで失格です。彼らは、国を治めるという使命のために、神と人とによって立てられた器なのです。「立てられた」者としての「誇り」を持つことは大切ですが、使命を忘れた特権意識におぼれてしまっては存在意義がなくなります。

2.主(ヤハウェ)がイスラエルの悩みが非常に激しいのを見られたから

ユダの王アマツヤの大敗北の後、北王国イスラエルでは、ヨアシュの子ヤロブアムがサマリヤで王となりました(紀元前793-753)。彼は初代の王と区別するためヤロブアム二世と呼ばれますが、彼の治世においてイスラエルはアラムを圧倒し、ダマスコのはるか北のレボ・ハマテから南はアラバの海と呼ばれる死海までも占領しました。エルサレムを含む南王国ユダの占領地を別とすれば、これはダビデ、ソロモンの時代の占領地に匹敵します。しかも、41年の治世はダビデ、ソロモンを上回る長さで北王国では最長です。ところが彼については、「彼は主(ヤハウェ)の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪をやめなかった」(14:24)と、決して良い王ではないことが記されています。この一時的繁栄は、アミタイの子ヨナの預言のとおりでした。彼のことは、ヨナ書で、アッシリヤの首都ニネベ(現在のイラク北部クルド人自治区)で主のさばきを宣べ伝え、彼らを悔い改めに導いたと記されます。このときのアッシリヤは、北のウラルトゥ王国との戦いに苦しみ、パレスチナへの影響力を失っていたときでもありました。つまり、ヤロブアム二世の繁栄は、アッシリヤの一時的弱体化のおかげであって、彼の功績ではありません。そのことが、「主(ヤハウェ)がイスラエルの悩みが非常に激しいのを見られたからである・・それでヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである」14:26,27)と記されます。ところが彼らは、これを主のあわれみと受け止めず、ますます主を怒らせるような偶像礼拝を続けました。

  この時代に預言者アモスが現れ、イスラエルがみせかけの平和に溺れ、自分の力を誇っていることに対し、「あなたがたは、わざわいの日を押しのけている、と思っているが、暴虐の時代を近づけている・・・まことに、イスラエルの家よ、今、わたしはひとつの民を起こして、あなたがたを攻める」(アモス6:3,14)と警告します。皮肉なことに、アッシリヤはヨナのことばを聞いて悔い改め、その後急速に力を回復してきます。一方、イスラエルは自分たちの繁栄が国際政治上の一時的空白から生まれたことを忘れて、傲慢になり、預言者アモスの警告を無視しました。そして、ヤロブアム二世の死後、たった二十年で北王国イスラエルはアッシリヤによって滅ぼされます。

これは第一次世界大戦直後の日本と似てはいないでしょうか。たまたま欧米諸国が互いに争い、東アジアに手が回らなくなっていとき、日本は自分こそがアジアの盟主であると勝手に思い込んでいました。力の均衡という国際政治の現実を無視した傲慢さが、日本を軍事的な冒険へと駆り立て、第二次大戦の悲劇に至りました。

3.「主(ヤハウェ)が王(ウジヤ)を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒されたものとなり」

  「イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった」(15:1)とありますが、彼の別名のウジヤの方が聖書では一般的です。彼は父アマツヤが北王国に負けた直後から実質的にユダの王であり、「彼は十六歳で王となり、エルサレムで52年間王であった」(15:2)という支配の開始時期は北の王ヤロブアムと同じ年だと思われます。先に、「彼は・・エラテを再建し、それをユダに復帰させた」(14:22)と述べられていましたが、これは南の端、アカバ湾の入り口を回復したことを指します。またⅡ歴代誌26章によれば、彼はダビデと同じようにペリシテ人の地を支配したばかりか、死海の北東のアモン人の貢物を受けるまでになっており、絶頂期の北王国と競合する力を持っていました。このことが、「こうして、彼の名はエジプトの入り口まで届いた。その勢力が並みはずれて強くなったからである」(Ⅱ歴代26:8)と記されています。つまり、ウジヤは、北のヤロブアムと同時期にイスラエル南部でダビデとソロモンの時代の支配地をほぼ回復したのでした。しかし、これらの安定は、たまたま南のエジプトも北のアッシリヤも力を失っていた時期であったことの結果に過ぎません。当時の世界情勢からしたら、イスラエルもユダも、吹けば飛ぶような小国でした。彼らが唯一の創造主である主(ヤハウェ)を礼拝し、主の律法(トーラー)を受けているのでなければ、ウジヤの名前など歴史に残ることはありえませんでした。ユダにとって偉大な王の名が、列王記でこれほど小さくしか扱われないのは、そのためだと思われます。

実際、ここでは、「彼はすべて父アマツヤが行ったとおり、主(ヤハウェ)の目にかなうことを行った・・・主(ヤハウェ)が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアト(らい病?)に冒された者となり、隔ての家に住んだ」と、彼の生涯の光と影が何の説明もなく記されています(15:3-5)。一方、歴代誌では、彼の晩年の悲劇の理由が、「しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた(Ⅱ歴代誌26:16)と記されています。それは彼が祭司の働きを奪って神殿に入り、主に香をたこうとした結果、神殿の中で、額に突然、ツァラアトが現れたことを指します。

彼は隣国の絶対王政の影響を受け、彼自身が宗教的にも最高権力者になり、神の律法が命じる礼拝形式を破ろうとしたのです。しかし、ユダ王国は、唯一の神、主ヤハウェを礼拝する神の国でした。そこでは神の律法が王権の上に立ちます。それは、現代の法治国家と似ています。どれほど強い権力者であっても、法を犯すなら失脚させられ、牢屋に入る可能性があります。ですからここは、「ウジヤは、かわいそうに少しの過ちで神の罰を受け、重い皮膚病にかかった・・」という見方よりも、今から三千年近く前の国で、現在の法治国家と同じような原則が守られていたという不思議にこそ目を留めるべきでしょう。とにかく、ウジヤも南王国に驚くべき繁栄を築きましたが、主の前に傲慢になって自滅しました。それは、彼の父や祖父の場合と同じです。彼ら三人に共通するのは、最初、主に喜ばれる政治を行いながら、順境の中で傲慢になり、主を恐れなくなったということです。

4.「彼は主(ヤハウェ)の目の前に悪を行い」―北王国イスラエルの滅亡に向かっての混乱―

 一方、北王国ではヤロブアム二世の死後、彼の息子ゼカリヤが王になりますが、彼はたった六ヶ月の王権を保った後、家来によって殺されます。これはアハブ家を滅ぼしたエフーの子孫は四代までイスラエルの王座に着くと預言されたことの成就でした(15:12)。しかし、ゼカリヤを殺したシャルムも一ヶ月で殺され、メナヘムが王となります。彼は十年間サマリヤを治めますが、アッシリヤの王プルに卑屈になり、貢物を贈ってどうにか独立を保ちました。

ところが、メナヘムの子ペカフヤも、また二年後に、レマルヤの子ペカによって倒されます。ペカは二十年間サマリヤで王の地位を保ったと記されますが、彼の支配はメナヘムと重なっていたと思われます。つまり、アッシリヤに対する対応で穏健派のメナヘムと強硬派のペカが争い、ついにペカがサマリヤで唯一の王となったということだと思われます。しかし、まもなく、この傲慢さのゆえに、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルによって徹底的に北部と東部を占領され、その住民がアッシリヤに捕らえ移され、エフライムの山地しか残りませんでした(15:29)

これらの四人の王とも同じように、「彼は主(ヤハウェ)の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった」と描かれます。これは北王国イスラエルの王の罪を示す定型句でもあります。そして、わずかに残ったサマリヤでは、穏健派のエラの子ホセアがペカを倒して王になります。そして、このホセアが北王国最後の王になります。目の前の脅威への対応をめぐって内部抗争を繰り返し、自滅するというのは、国の滅亡の方程式のようなものです。しかし、困難の中で常に求められるのは、原点に立ち返り、「どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい」(黙示2:5)という命令に従うことではないでしょうか。

先のヤロブアムの時代の繁栄の直前、エフーの子の時代には、「・・・が(ヤハウェ)に願ったので、(ヤハウェ)はこれを聞き入れられた(13:4)という救いが見られました。しかし、その後、彼らは繁栄を享受する中で、それが主のあわれみであることを忘れました。そして、卑屈と傲慢の狭間に大きく揺れながら、主に祈ることをすっかり忘れてしまったようです。そのことを主は、預言者ホセアを通して、「あなたがたはわたしの民ではなく、わたしはあなたがたの神ではない・・・わたしはエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いた。しかし、彼らはわたしがいやしたのを知らなかった。わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた・・・わたしはあわれみで胸が熱くなっている・・・イスラエルよ。あなたの神、主(ヤハウェ)に立ち返れ・・」(1:911:3,4,814:1))と熱く語っておられます。

5.ユダの王アハズは使者たちをアッシリヤの王・・に遣わし

そして、このペカの初期に南王国ユダを治めたのがウジヤの子ヨタムでした。彼についても、「彼は、すべて父ウジヤが行ったとおり、主(ヤハウェ)の目にかなうことを行った」(15:34)と記されます。ヨタムは十六年間王位に留まりますが、歴代誌で、彼は、「彼の神、主(ヤハウェ)の前に、自分の道を確かなものにした」(27:6)と、晩年までそれまでの王たちの悲惨とは対照的な姿が描かれます。さすがに三代続いた悲劇から学んだのではないでしょうか。

ところが、ヨタムの子のアハズは、北王国イスラエルの王たちと同じように主に背きました。そればかりか、異邦の民の忌み嫌うべきならわしをまねて、自分の子供に火の中をくぐらせることまでしたというのです。これは、アモン人の神モレクへの礼拝行為でした(レビ18:21)。彼の父たちはアモン人を屈服させ彼らから貢物を受けていましたが、アハズはウジヤ、ヨタムと続いた繁栄の中で、退屈し、刺激的な宗教にはまってしまったのかもしれません。

このときアラムの王レツィンとイスラエルの王ペカがエルサレムに攻め上ってきました。それは南王国ユダを対アッシリヤ同盟に招き入れようとして拒絶されたためだと思われます。するとアハズは、より恐ろしい敵のアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに貢物を贈って援軍を求めました。これは地域の争いの解決のために広域暴力団の助けを得ようとするようなものです。短期的には極めて効果がありますが、より大きな悲惨が待っています。そこで彼は、アッシリヤの王に向かって、「私はあなたのしもべあり、あなたの子です。どうか、上ってきて・・私を救ってください」(16:7)と、自分が神の国の王、ダビデの子であるという誇りを忘れ、同胞を売るような卑屈な懇願をしています。

そればかりかアハズは、アラムの首都ダマスコを占領中のアッシリヤ王に会いに行き、ダマスコの祭壇を見て、その設計図を得、エルサレム神殿での礼拝形式を根本的に変えてしまいました。彼は、ソロモンの神殿の最高傑作でもある神殿の庭にある巨大な車輪つきの洗盤や、直径4.4mもあった巨大な鋳物の海までも分解してしまったというのです。これはすべて、「アッシリヤの王のため」16:18)だと思われます。アッシリヤはこのとき民族を混ぜ合わせる政策を行っていましたから、エルサレム神殿の独自性を保つことはアッシリヤ王への反抗とみなされるおそれがあったのでしょう。ここでアハズは、卑屈な宗教的妥協によって危機を乗り越えようとしています。これは日本の教会がかつて戦時中に、教会内に神棚や天皇のご真影を飾って、迫害を逃れようとしたことと同じです。

預言者イザヤは、アハズがこのような妥協に走る前に、彼に向かって主のことばを、「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません。あなたはこれらのふたつの木切れの煙る燃えさし、レツィンすなわちアラムとレマルヤの子(イスラエル王ペカ)との燃える怒りに、心を弱らせてはいけません」(イザヤ7:4)と伝えました。そして、アハズがそのことばを拒絶したとき、神の救いはずっと遅くなるという意味で、「見よ。処女がみごもっている。そして、男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」という有名なキリスト預言を語りました(7:14)。そして、イスラエルの最終的な救い主が、これから七百年あまりたってベツレヘムに生まれることになったのです。救いは途方もなく遅れたようでありながら、主がダビデに、「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまで続き、あなたの王座はとこしえまで堅く立つ」(Ⅱサムエル7:16)と約束されたことがたがうことなく成就したといえるのです。

イスラエルという名はヤコブに与えられた神の民としての新しい名前でした。それは神が、「虫けら」のようなヤコブに目を留め(イザヤ41:14)、エジプトやアッシリヤという巨大な帝国にはさまれたなかで、イスラエルを通してご自身の栄光をあらわすためでした。ヤコブが石を枕に寝たとき、夢の中で、天からのはしごが伸ばさ御使いが上り下りしました。また彼がエサウとの再会におびえているとき、ヤボクの渡しで御使いが彼に現れて格闘し、祈ることを教えてくれました。その格闘の様子を、シャガールのステンドグラスは、神の御使いによる抱擁として描いています。神はダビデ王国を立て、それを新しい天上のエルサレムとして完成してくださいます。キリストにある者は、すでに新しいエルサレムの市民とされています。私たちは苦しみにあったとしても、それは一時的なものです。私たちは神によって抱擁され、守られています。私たちの人生のゴールも保障されています。ですから、私たちに必要なことは、神の子としての真の誇りを持ちつつ、キリストに習って、この世の暗闇の中で、世界の光として輝くことです。

かつてイスラエルは、神の民としての使命を果たすことに失敗しました。しかし、神は今、私たちにキリストの御霊を授け、人を見下す傲慢ではなく、人との比較でも揺るぐことのない真の誇りを与え、この地に神の平和を実現するために用いてくださいます。私たちはどんなに無力でも、自分を卑下する必要はありません。イエスは私たちに向かって、「あなたがたが父に求めるものは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります・・・求めなさい。そうすれば受けるのです。」(ヨハネ16:24)と言われました。確かに、願っても与えられないように思えることがあります。それを使徒ヤコブは、「願っても受けられないのは、自分の快楽にために使おうとして、悪い動機から願うからです」と言いました。その上で、この世の評価を求めるのではなく、自分が神からねたむほどに慕われている存在であるということを認めるようにと勧め、最後に、「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたを高くしてくださいます」と聖書の真理を簡潔に述べています(ヤコブ4:3-10)。今回の聖書箇所で、様々な名前の王の歴史を見ながら頭が混乱したとしても、この最後のみことばを覚えていただければ幸いです。

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2007年10月 8日 (月)

Ⅱ列王記11-13章「主(ヤハウェ)の名を呼ぶ者は、みな救われる」

Ⅱ列王記11-13章「主(ヤハウェ)の名を呼ぶ者は、みな救われる

                                                         2007年10月7日

 現在、社会保険を横領した市町村の職員をどこまでさばくかということが話題になっています。すでに市町村がさばいたのだからという意見と、身内同士のさばきでは手ぬるいという意見の両方があります。これはある意味で昔からある議論です。ダビデ王国から分離した北王国イスラエルはエルサレム神殿を否定して、独自の礼拝をするようになりました。本来、この時点で、彼らは神の民であることを止めたのですから、彼らの存在意義はなくなったはずです。ところが神は、彼らを滅ぼすことを望まれませんでした。そのような中で、公然と、バアル礼拝を主導する王アハブが力を持ちました。神は、なおも忍耐を重ね、預言者エリヤ、エリシャを遣わして、イスラエルの民の心をご自身に向けさせようとしました。しかし、神がさばきを遅らしている中で、アハブの家は南王国ユダにまで影響力を持ち、ついに乗っ取るところまで来てしまいました。まさに、がん細胞が転移したようなものです。これは、神が最初から、毅然として悪をさばかなかったことのつけとも言えましょう。しかし、神は、「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(Ⅱペテロ3:9)とあるように、神は、この世にがん細胞が増殖するというリスクを犯しながら、ひとりでも多くの人がご自身に立ち返るのを待っておられるのです。

1. 「主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、彼に約束された」

 北王国イスラエルにバアル礼拝を持ち込んだアハブ王とその妻イゼベルの影響力は南王国ユダにも及びました。それは、主(ヤハウェ)に忠実だったはずのユダの王ヨシャパテが、彼らの娘アタルヤを息子ヨラムの妻として迎えたからです。ヨラムは、主のさばきで内臓の病気にかかり、8年間しか王位を保つことができませんでした(参照Ⅱ歴代誌21:11-20)。そして、ヨラムの子アハズヤは、北王国を訪問中に、エフーに殺されました。彼は、アハブ家を滅ぼすために神によって立てられた器でした。それを聞いたアハズヤの母アタルヤは、ユダの王族をことごとく滅ぼしました(11:1)。それは北で息絶えたアハブ家を南王国ユダに復興するためだったかと思われます。つまり、ユダ王国をイゼベルの娘アタルヤが乗っ取ったのです。このような例は歴史上しばしば起きています。その約二千年後の日本でも、源頼朝の妻、北条政子は鎌倉幕府を乗っ取ったと言われています。歴史上、多くの英雄が女性の影響力を軽んじて後世に問題を残しています。それゆえ、箴言の結論は、「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりはるかに尊い・・・麗しさはいつわり、美しさはむなしい。しかし、主(ヤハウェ)を恐れる女はほめたたえられる」(31:10,30)となっています。女性の信仰こそ、家の霊的基礎となるからです。

しかし、悪女アタルヤの圧制の中で、たったひとりのアハズヤの息子ヨアシュが、ヨラム王の側室の娘エホシェバによって助け出され、六年間もの間、主(ヤハウェ)の宮の中に匿われます。これは幼子モーセのいのちがエジプトの王パロの娘によって守られたことに似ています。なお歴代誌によるとエホシェバの夫は祭司エホヤダでした(Ⅱ歴代22:11)。そして、七年目にこの祭司エホヤダが、ユダ全土からレビ人を集め(参照Ⅱ歴代23:1-11)、主の宮での奉仕ばかりか、王の護衛の任務につかせました。そして祭司エホヤダは、「王の子を連れ出し、彼に王冠をかぶらせ、さとしの書を渡し・・・彼に油をそそぎ」(11:12)ました。王冠とモーセの律法がセットにされたのです。それは王の第一の使命が、主の御教えに従うことにあるということを示すためでした。すると、民がそろって「王さま。ばんざい」と叫びました。人々の心は一気にアタルヤからヨアシュに移り、アタルヤは王宮で殺されました。その後、祭司エホヤダは、「主(ヤハウェ)と王と民との間で、主(ヤハウェ)の民となるという契約を結び、王と民との間でも契約を結んだ」(11:17)というのです。これは主の律法をもって国を治めるという神の民の原点に立ち返ることでした。そして、人々はバアルの祭壇を徹底的に壊しました。このとき王に立ててられたヨアシュは七歳でした。

以前、ヨラムがアタルヤを娶ってユダ王国にバアル礼拝を持ち込んだとき、「主(ヤハウェ)は、そのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、彼に約束されたからである」(8:19)と記されていました。つまり、アタルヤの王家乗っ取りのなかで幼いヨアシュの命を守ったのは、主ご自身であられたのです。この世にはいつも不条理があります。ダビデの血筋の者がアタルヤによって皆殺しにされたと思われたとき、人々は主の真実を疑ってしまったことでしょう。私たちも同じように不信仰になることがあります。しかし、主は、人の手を通して、たったひとりのダビデの血筋を保っておられ、ご自身のときに彼を王位に立てました。幼子が権力者アタルヤに勝ったのです。イエスの誕生も、ときの権力者ヘロデによる幼児虐殺と結びついています。私たちは、「神がおられるなら、なぜ、このような不条理が起きるのか・・・」と思うことがあるかもしれません。しかし、神のご支配の現実は、悪が完全な勝利を治めることはないということの中にこそ見られます。神はどのようなときにも、小さな「ともしび」を残しておられます。そして、神の大逆転は必ず起きるのです。

2.「ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも、主(ヤハウェ)の目にかなうことを行った」

ヨアシュの王位は、ダビデやソロモンと同じ四十年間も続きました。しかし、彼の権力は極めて限られたものでもありました。それは、「ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも、主(ヤハウェ)の目にかなうことを行った」(12:2)という表現の中にあります。人々の目は祭司エホヤダの方に向けられていたのだと思われます。王が主の宮の修理を祭司たちに命じても、それはほとんど無視されました。エホヤダもヨアシュを王として厳しく指導しながら、身内に対しては甘くなっていたのかもしれません。それで、ヨアシュは在位23年目、三十歳のときになって王権を発揮し、祭司エホヤダに迫り、祭司たちが、民からささげられたお金を自分のためではなく、主の宮の修理のために使うようにさせ、そのお金の管理も主の宮の工事の監督者に直接に渡るようにしました。集められたお金の計算は、大祭司と並んで「王の書記官」が行う仕組みにかえられました(12:10)。現代で言えば、郵政民営化によって、郵便局を通して集められたお金が、政治家の手を経ずに配分される仕組みを作るようなものです。

このことはヨアシュとエホヤダの間の緊張関係を表しています。ヨアシュの信仰はエホヤダによって育まれましたが、彼が成長するにつれ、王である自分よりも祭司エホヤダが権威を発揮していることに不快感を持ったことでしょう。ですから、彼が主の宮の工事に熱心だったのはエホヤダへの対抗意識だったかもしれません。なぜなら、エホヤダの死後、あれほど神に熱心だったはずのヨアシュが神に反抗するようになったからです。今も、神への信仰が、親への対抗意識として現れる例がないでしょうか。そのような場合、非常に信仰に熱心だったはずの人が、状況が変わると驚くほど簡単に、神に背くというようなことになりかねません。パウロは、「立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」(Ⅰコリント10:12)と言いましたが、ヨアシュはすべてが順調に進む中で、自分が神の一方的なあわれみによって立たせていただいているという原点を忘れてしまったのではないでしょうか。私たちの信仰は、神からの賜物です。信仰の熱心さが、隠された劣等感の現われという場合があります。しかし、本来の自分の心の中には神に喜ばれる信仰などないことを心から認めるとき、そこに神のみわざが現されます。

祭司エホヤダは百三十歳まで生きましたが、歴代誌によると、彼の死後、「ユダのつかさたち」が、王に進言し、「彼らは主(ヤハウェ)の宮を捨て、アシュラと偶像に仕えるようになった・・預言者たちは彼らを戒めたが、彼らは耳を貸さなかった」という背教がおきてしまいました(Ⅱ歴代24:17-19)。そればかりか、ヨアシュはエホヤダの息子ゼカリヤを主の宮の庭で殺してしまいます(同24:22)。彼は、自分を王に立てたのが、人間ではなく、主ご自身であったことを忘れてしまいました。これはサウルが王位から退けられた経緯と基本的に同じです。ダビデは生涯、自分を立てた方が「主」ご自身であることを覚えていましたが、ヨアシュはサウルのように「人」を見てしまいました。

「そのとき、アラムの王ハザエルが上って来て・・・エルサレムを目指して攻め上った」(12:17)とありますが、それはこのような背景の中で、主が下したさばきでした。ところが、このときになってもヨアシュは、主の前にへりくだる前に、人間的な解決に走りました。それは彼自身がかつて熱心に集め、整えた主の宮にあるすべての金を、アラムの王ハザエルに贈ったというのです。ハザエルも主ご自身がエリシャを通して立てた敵の王でした。ヨアシュは、そのような主のご支配の現実を見ていませんでした。しかし、人間的な力に頼る者は、同じ人間の力によって裏切られます「ヨアシュの家来たちは立ち上がって謀反を起こし・・・ヨアシュを・・打ち殺した」というのです(13:20)。彼らはヨアシュが王のままでは国が持たないと思ったのでしょう。ヨアシュを殺して、彼の息子を王に立てました。

神のあわれみによって奇跡的に立てられた王が、家来の謀反によってあっけなく息絶えました。幼いころの彼を見た者は神のみわざを心からあがめたことでしょう。しかし、彼の最後は何とも悲惨です。何ともやりきれない気持ちになってしまいます。必死に自分の力で道を開こうとした結果、その無力さが軽蔑されたのです。残念ながら、王を王とも思わない心がアタルヤのクーデター以来、人々の心に蔓延してしまったのでしょう。ダビデは、サウルがどんな理不尽な理由で彼を追い詰めても、また彼にサウルを殺すチャンスが来たときも、「主(ヤハウェ)に油注がれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう」(Ⅰサムエル26:9)と家来を諌めていました。しかし、ヨアシュは自分を立ててくださった主ご自身を忘れることによって「神の国」をこの世の国と同じ支配構造に変えてしまったのです。この世では、力のない者は軽く見られます。それが人を権力闘争に駆り立てます。しかし、私たちはダビデのように、愛と信頼の種を蒔き続けるべきでしょう。力に頼る者は、力によって裏切られます。しかし、「私たちの主・・は、幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち立てられた」(詩篇8:1,2)方です。この方に信頼する者は、この世的な意味での力をどんなに失っても、たとえ幼子のように無力になっても、主ご自身によって守られ続けます。

3.「あなたは、五回、六回、打つべきだった」

 ヨアシュの在位23年のときに、北王国ではエフーの子エホアハズが王となります。「彼は主(ヤハウェ)の目の前に悪を行い・・・主(ヤハウェ)の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主(ヤハウェ)は彼らをアラムの王アザエル・・・の手にいつまでも渡しておられた」とありますが、それにもかかわらず、「エホアハズが(ヤハウェ)に願ったので、主はこれを聞き入れられた・・・」と記されます(13:2-4)。この構図は、士師記にあったものです。ここには、「主の燃える怒り」は、人を悔い改めと祈りに導くための「主の愛の招き」であるという不思議が見られます。これは親が子を愛するがゆえに厳しく叱ることに似ています。それにしても、主のさばきによって容赦なく死ぬ人もいる中で、主はエフーの子に特別に寛大に思えます。それは、主がエフーに、「あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に着こう」(10:30)と約束されたことの結果でした。ですから、これはエホアアズの悔い改めを主が喜ばれたというより、主ご自身が彼に祈りを起こさせようと熱く迫っているのです。ところが、彼の悔い改めは不徹底でした。それで、主はアラムを通してイスラエルを苦しめ続け、「騎兵五十、戦車十台」しかないところまで落ちぶれました(13:7)。

そして、ユダの王ヨアシュの第三十七年に、エホアハズの子が王になりますが、彼の名もヨアシュでした。彼も主の目の前に悪を行い、主のさばきとしてのアラムの攻撃に悩みましたが、彼は苦しみの中でエリシャの助けを求めます。エリシャが死の病を患っているときに、彼に泣き伏して、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫びました(13:14)。それは、かつて、主の軍隊がエリシャを取り囲んで、アラムの軍隊を盲目にしたことを思い起こさせることばのように思えます。それにしても、彼は苦しみの中で、真心から主に立ち返ったのでしょうか。彼のことばを見る限り、彼は主ご自身よりも、エリシャの不思議な力のほうに気が引かれたように思われます。

ヨアシュはエリシャの指示に従い、東側の窓を開けて矢を放ちます。それに対してエリシャは、(ヤハウェ)の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを打ち、これを断ち滅ぼす」と言いました(13:17)。彼は、「主(ヤハウェ)の勝利」ということばを強調して、王の心を主に向けさせようとしています。その上で、彼は王に矢をとらせ、「地面を打ちなさい」と命じます。しかし、王が三度しか打たなかったとき、「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、断ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう」と言いました(13:19)。これは、アラムを滅ぼすということばが、ヨアシュの信仰の不徹底によって弱められたことを意味します。この北王国イスラエルのヨアシュも、エフーの孫であり、主がエフーに約束したことのゆえに主のあわれみを受けているのです。彼はその主のあわれみにもっと徹底してすがるべきだったのです。

なお、「こうしてエリシャは死んで葬られた」という記事とともに、死んだはずの人が「エリシャの骨に触れるや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった」という不思議が記されます(13:20,21)。しかし、生き返った人には、この世の地獄が待っているかもしれません。すべての者が終わりの日によみがえりますが、ある者は最終的な救いのため、ある者はさばかれるためなのです。その上で、イスラエルがなおも、主によって立てられたアラムの王ハザエルから苦しめられる様子が描かれます。しかし、そこで、(ヤハウェ)は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のために、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅びし尽くされることを望まず、今日まで彼らから御顔を背けられなかった」(13:23)と記されます。つまり、主が、滅ぼすに値する民になお忍耐深くあわれまれるのは、ご自身の契約への真実さのゆえなのです。そして、イエスこそ、神の契約の成就として世に送られた救い主です。

旧約の歴史は、まさに神の真実の現れです。それは、神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(Ⅰコリント10:13)と記されている通りです。ダビデ王家が断ち滅ぼされそうなとき、主はヨアシュを守り抜きました。しかし、ヨアシュはその神の真実を忘れてしまいました。「立っていると思うものが倒れてしまった」のです。しかし、そのような中でも、神はかえって救いようのないほどに堕落した北王国イスラエルに真実を尽くすことによって、ご自身の愛を現わし続けました。それは神の民を最後の瞬間まで真の悔い改めに導こうとする神のあわれみでした。

この時代に南王国ユダに立てられた預言者だと思われるヨエルは、「主(ヤハウェ)の名を呼ぶ者はみな救われる」(2:32)と大胆に真理を語りました。イエスの昇天の後、ペテロはこのみことばを引用して人々を悔い改めに導いています(使徒2:21)。日ごろの行いの良さに応じて、主が私たちの祈りに耳を傾けてくださるというのではありません。すべてが神の一方的な恵みであり、主を呼び求める祈りさえ、人間の働きではなく、神のみわざです。私たちは「主(ヤハウェ)の怒りが燃え上がる」という記述の中にさえ、主の燃えるような愛を見出すことができます。私たちが生きている限り、主の名を呼ぶのに、遅すぎることはありません。「私たちの主の忍耐」こそは「救い」です(Ⅱペテロ3:15)。そして、イエス・キリストの復活を信じる者は、どのような暗闇にも、「脱出の道」を見ることができます。

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