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2007年11月26日 (月)

Ⅱ列王記20~23章 「主の怒りと救い」

イスラエル王国にたいする神のさばきを語るというのは、順番に聖書を読んできているので、避けがたいことですが、自分で準備をしていてなんですが、ここから十字架の福音にダイレクトに結びつくということが示され、心より御名をあがめました。

 いつでも結果として思うことですが、「こんな箇所から、何を語ればよいのだろう・・・」と迷いつつ準備しているときに限って、「今日の説教はほんとうによくわかりました・・・身にしみてきました・・・」という感想をいただきます。これはレビ記などのメッセージをしていたときにも感じていたことです。聖書は、ほんとうに面白いですね・・・・

Ⅱ列王記2023章 「主の怒りと救い」

                                                        20071125

  この世で言われる「悔い改め」とは、自分の罪を反省して、心を入れ替え、行いを改めることです。それを、圧力を加えてやらせようとする人も多くいます。しかし、それで心が変わるぐらいなら、神の御子が十字架にかかる必要などありませんでした。たしかに、尊敬に価する指導者に励まされて一時的に良くなることはあっても、多くの場合、かえって人間の力の限界に直面させられます。しかし、聖書が命じる「悔い改め」とは、何よりも、心の向きを変えることです。それは人間の意志の力に信頼することをやめて、神の御霊の働きに心を開くことです。

1. 神のあわれみとヒゼキヤ王の失敗

 人間的に見ると、ユダの王ヒゼキヤは、古代最初の世界帝国アッシリヤ帝国の攻撃を退けることに成功しました。それは当時の世界中の人々を驚かせた奇跡でした。しかし、それは彼が軍隊を動かす前に、「主(ヤハウェ)の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した」(19:35)ことの結果でした。そのような中で、ヒゼキヤは重い病にかかり、預言者イザヤが、「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない』」と伝えに来ました(20:1)。そのとき彼は、自分が熱心に主に仕えてきたと訴えつつ、大声で泣いた」(20:3)のでした。すると主が再びイザヤを通して、「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす・・・あなたの寿命にもう十五年を加えよう」とご自身のみこころを変えてくださいました(20:5)。ただ、その際、「わたしのしもべダビデのためにこの町を守る」とも付け加えられました。そこには、主(ヤハウェ)がダビデ王国を守られるのは、何よりもダビデとの契約のゆえであるという意味です。それこそ神の愛の真実(ヘセッド)です。

 ところがこのとき、ヒゼキヤはしるしを求めます。それは日時計の影を十度あとに戻すという不思議なことでした。これは地球を逆回転させるということではなく、影だけを戻すということで、光の創造主である方には、容易なことでしょう。全宇宙の創造主に難しすぎることなどないということを覚えたいと思います。実は、神にとって影を戻すことよりはるかに難しいのは、人の心を変えるということかもしれません。それこそが聖書のテーマです。しかも、ここで「主はアハズの日時計におりた日時計の影を十度あとに戻された」20:11)というのは大きな意味があります。アハズはヒゼキヤの父でしたが、ユダの王では最悪の王のひとりで、あらゆる偶像礼拝を持ち込み、エルサレム神殿を汚すことを行ったからです。本来ならそれによってユダ王国は神のさばきを受けてしかるべきでしたが、神がご自身のあわれみによってその時代をもとに戻してくださるという意味が込められているように思われます。

 しかし、ヒゼキヤは国の滅亡と自身の肉体の滅亡という危機を過ぎたとき、高ぶります(Ⅱ歴代誌32:25)。そして、彼は自分の国も肉体も神のあわれみの中に支えられていることを忘れ、アッシリヤの向こうにあるバビロンの国からの使者に、自分の家と宝物倉にあるものすべてを見せてしまいます。それはアッシリヤに対抗するためバビロンとの友好関係を築くことの証しです。しかし、これは東京の暴力団に対抗するため広域暴力団との関係を結ぶことと同じです。イザヤは彼に対して、「見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日までたくわえてきたものがすべて、バビロンに運び去られる日が来ている・・・」(20:17)と警告します。しかし、ヒゼキヤはそれを真剣に受け止めず、自分が生きている間は、平和で安全ではなかろうか・・」(20:19)と思ってしまいます。彼ほどの王でも、人生の危機を通して、世界の見方が近視眼的になるのは驚きです。信仰によって巨大帝国アッシリヤと戦ったヒゼキヤでさえも、自分の身を守るのが精一杯でした。それこそが多くの人の現実ではないでしょうか。たとえば、地球温暖化の危機が叫ばれていても、多くの人々には、「自分が生きている間、平和で安全であれば・・・」と子孫たちへの配慮が欠けています。しかし、そのような無責任、無関心こそが、罪の本質ではないでしょうか。

2. カナン人よりも堕落したといわれたユダ王国

 21章ではユダ王国史上最悪の王マナセが登場します。彼は12歳のとき紀元前700年すぎに即位し、55年間も王座にとどまりますが、これはイスラエルとユダ王国を通して最長です。「憎まれっ子、世にはばかる」ということの典型でしょうか。彼の時代に、アッシリヤはますます勢力を強め、紀元前670年ごろにはエジプトを征服します。マナセはアッシリヤ帝国に服従しご機嫌を取りながら驚くほどの悪政を敷きました。彼は敬虔な父に反発するかのように、かつてのイスラエルの悪王アハブの模範に習います。何とエルサレム神殿の中にバアルのための祭壇を築き、その庭の中に天の万象のための祭壇を築き、祖父の悪王アハズにならってモレクにささげるために、「自分の子供を火の中をくぐらせる」(レビ18:21、Ⅱ列17:17)ことまでしました。そして、彼の支配は、「マナセは彼らを迷わせて、(ヤハウェ)イスラエル人の前で根絶やしにされた異邦人よりも、さらに悪いことを行わせた」(21:9)と描かれます。主がイスラエルの民を約束の地に導きいれたのは、カナンの国々があまりにも堕落し、その「咎が・・満ち」るという状態になっていたからでした(創世記15:16、申命記9:5)神はがん細胞を除去するためにイスラエルを用いたのに、イスラエル自身ががん細胞になってしまったというのでは、彼らに存在意義はなくなります。

また、「マナセは・・罪のない者の血まで多量に流し、それがエルサレムの隅々に満ちるほどであった(21:16)とありますが、ユダヤ人の伝説によれば、預言者イザヤはこのとき、のこぎりで真っ二つにされました。そのことをヘブル書が、「さらにすぐれたよみがえりを得るために釈放されることを願わないで拷問を受け・・・のこぎりで引かれ・・」(11:35-37)と記しているのだと思われます。マナセは強大なアッシリヤ帝国と協調することばかりを求め、神の民としてのアイデンティティーを軽蔑したのではないでしょうか。そして、自分の権力を守るためには、父ヒゼキヤを助け導いた最高の預言者さえも獣のように扱ったのでした。なお、歴代誌では、彼がアッシリヤの怒りを買って捕虜とされたときに、主に立ち返ったことが記されていますが、それは晩年のことと思われ、そこに至る過程で彼は、とりかえしのつかないほどに国を堕落させてしまいました。イスラエルの民はかつて、預言者サムエルに向かって、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください」(Ⅰサムエル8:5)と懇願しました。彼らにとっては、「主(ヤハウェ)こそが王(詩篇96:10)であるはずでした。ダビデ王のすばらしさは、それを心から理解していたことにあります。しかし、その原点を忘れて、強い国の顔色ばかりを伺い、支配下の者にはあらゆる横暴を働いたマナセは、人々の目から神を見えなくさせ、国民全体を悲劇のどん底に陥れる影響力を持ったのです。

3.  ヨシヤの宗教改革

マナセの後継者アモンも父に習って、「主(ヤハウェ)の目の前に悪を行った」(21:23)とあります。そして、彼は二年後に家来たちによって殺されます。それは、かつての悪女アタルヤの後に立てられたヨアシュとアマツヤという二代続いた敬虔なユダの王たちと同じ悲劇ですが、宮殿内で殺されるというのは初めてです。その理由は分かりませんが、以前の場合と同様に、外交政策の対立である可能性が高いと思われます。このときはアッシリヤがエジプトへの影響力を失った直後で、外交政策の転換を迫られていたときだからです。

ところがこのときは、民衆がすぐに蜂起して、王に謀反を起こした者たちをみな打ち殺し、まだ八歳のヨシヤを王に立てます。ヨシヤは31年間王位にとどまりますが、彼はヒゼキヤにまさる敬虔な王で、「彼は主(ヤハウェ)の目にかなうことを行って、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった」(22:2)と描かれます。彼はマナセが汚したエルサレム神殿の修理に力を注ぎます。その際、工事に携わって大工たちを全面的に信頼しているという関係が見られることは大きな驚きです(22:3-7)。王が誠実だと民も誠実になるのでしょうか。そして、そのような中で、大祭司ヒルキヤが、「私は主(ヤハウェ)の宮で律法の書を見つけました」と伝えます。それまで、律法の書が祭司の間においてさえも読まれていなかったことが示唆されています。主はモーセの後継者ヨシュアに、「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない・・・そうすればあなたのすることで繁栄し、栄えることができるからである」(ヨシュア1:8)と言っておられましたが、ユダ王国は堕落に堕落を重ねたあげく、祭司すら律法の写しを持っていない状態に堕落していました。そして、「王は律法のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた」(22:11)とありますが、これは特に申命記2829章などにある、「のろいの誓い」(申命記29:19)の部分を読んだからだと思います。そこには、主の御声に背き続けるときに、「主(ヤハウェ)は、遠く地の果てから、鷲が飛びかかるように、ひとつの国民にあなたを襲わせる」(28:49)と、国の滅亡と住民の強制移住のことが警告されていました。そして、ヨシアがこの書を読んだのはバビロンがアッシリヤ軍を打ち破って間もなくで、アッシリヤよりも恐ろしい国が起こる可能性を見ていたのでしょう。彼らはこのとき、北王国イスラエルに起こった悲劇が外交政策の失敗などではなく、主の怒りの現れであると理解し、同じことがエルサレムにも起こると見えてきたのです。

このとき(ヤハウェ)女預言者フルダを通して、「・・わたしの憤りはこの場所に燃え上がり、消えることがない」(22:17)と宣告しながらも、ヨシヤ王に対しては、彼が「心を痛め、主の前にへりくだり、自分の衣き、わたしの前で泣いた」のでが、彼が生きている間にその悲劇は起きないという保障を与えます(22:19,20)。するとヨシヤは国中の長老たちを集め、契約の書を読み聞かせ、それを実行することを誓い、民もこの契約に加わります。王はその後、あらゆる偶像礼拝の施設を排除し、ソロモンが妻たちに誘惑されて立てたあらゆる「高き所」までも破壊しました。

しかも彼は、北王国の初代の王ヤロブアムが作ったベテルの「高き所」も破壊します。それは三百年前、彼に向かって神の人が預言した通りでした。そのとき、「ひとりの男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ」と具体的に預言されていました(Ⅰ列王13:2)。ベテルの町の人々は、それを預言した神の人の墓の石碑を指し、預言が文字通り成就したことを悟りました(23:17)。これは、神が歴史を動かしておられるという何よりのしるしです。

その後、ヨシヤはサマリヤの町々の高き所の宮までのすべてを取り除きます(23:15)。これはヨシヤ王の支配権が、かつての北王国にまで及んだことを示します。Ⅱ歴代誌34:6によれば、その支配地はガリラヤ地方の北にまで広がっています。それは主が、ヨシヤを喜び、彼に繁栄を与えてくださったからです。これは国際政治の観点からはアッシリヤ帝国の滅亡の直前の権力の空白期と説明できます。しかし、イスラエルの神、主は、巨大帝国をも自在に立て、また滅ぼすことのできる方です。「主(ヤハウェ)は全地の主」であるというのは当時の人々に理解し難いことでしたが、ヨシヤはそれを理解し、何よりも主への誠実を第一とすることで、国を復興しました。そして彼の在位十八年での過越のいけにえは、イスラエルの民が約束の地に入って以来の最大のものとなったと言われます。「ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主(ヤハウェ)に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にもそのような者は、ひとりも起こらなかった」(23:25)とは、最大限の賛辞と言えましょう。しかし、「それにもかかわらず、マナセが主の怒りを引き起こしたあのいらだたしい行いのために、主はユダに向かって燃やされた激しい怒りを静めようとはされなかった(23:26)とあるのは、主の怒りが、これまで積み重ねられた結果と言えましょう。それはまもなく起こるバビロン捕囚を示唆しています。ヨシヤの悔い改めは、ヨシヤ一代の王国を繁栄させることにしか役立ちませんでした。神の怒りが蓄積されていたからです。

 この構造は、パウロがローマ人への手紙で、「あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです」(2:5)と言ったことに通じます。そして、神のさばきは、今ご自身の御子を十字架にかけるということに現されました。イエスは、ヨシヤの宗教改革によってさえ変えられなかった流れを変えてくださいました。それは人間にはできないことだからです。不思議にも、神がご自分の御子を十字架にかけるということでご自身の怒りをなだめられたのです。それをパウロは、「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました・・それは・・イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです」(ローマ3:25,26)と語っています。これは人間には理解し難い神秘です。しかし、イエスにすがるすべての者の上を、神の怒りが過ぎ越すことの保障です。

 今も、イエスは私たちに、「悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう」(黙示2:22)、また、「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」(ヘブル3:15)と語っておられます。しかし、ヨシヤの宗教改革は、人間の意志による悔い改めの限界を示しています。その不可能を可能にしてくださるのがイエスの十字架と創造主ご自身である御霊の働きです。つまり、イエスが求める悔い改めとは、自分の意思の力の弱さを認めて、ただイエスとイエスの御霊に心を明け渡すことなのです。イエスは、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(黙示3:20)と言っておられます。イエスは、あなたを助けたいとあなたの心の戸をたたき続けておられます。あなたに求められているのは、ただ戸を開くことだけです。

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2007年11月19日 (月)

マタイ11:25-30 「幼子たちに現された福音」

                                              20071118

  人は誰しも、馬鹿にされると傷つき、大切にされると嬉しくなります。そしてこの社会では、人の価値がその人の生産能力で測られているかのようです。そのような中で、あなたの中には、「自分の存在価値を証明しなければ!」という駆り立てる思いがないでしょうか。しかし、その気持ちをイエスの前でも持ち続けるなら、信仰に安らぎは生まれません。それどころか、身体を壊すほどに頑張りながら、イエスを悲しませることになりかねません。

1.これらのことを幼子に現してくださいました。

  イエスはご自身のみわざを、「目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている」(5)と語りました。それはイザヤ書35章などに預言されていた救いが実現したことを意味しました。しかし、それらのすばらしいみわざを目撃したカペナウムを初めとするガリラヤの人々はイエスを救い主と信じませんでした。そのような中でイエスは、それらのガリラヤの町々に対する神のさばきを宣言しました。ソドムはその罪深さのゆえにアブラハムのときに天からの硫黄の火で焼き尽くされましたが、それより厳しいさばきがこの地に下るというのです。

  イエスはそのような厳しいことばの直後に、「あなたをほめたたえます。天地の主であられる父よ」(11:25)と祈ります。それは、そのような中でもイエスを救い主と信じる人々も起こされていたからです。そのことをイエスは、「これらのことを、賢い者や知恵ある者には隠して、幼子たちに現してくださいました」と、父なる神の選びによるものであると言います。ここでの「幼子」とは、文脈からすると、年齢的な意味よりも、未成熟な者、無知な者という意味が込められており、イエスの弟子たちが社会の底辺の人々から構成されていたことを指すと思われます。イエスは、「そうです。父よ。これがみこころにかなったことでした」(26)と言われますが、そのことを後にパウロは、「神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです・・・これは神の御前でだれをも誇らせないためです」(Ⅰコリント1:27,29)と語っています。つまり、神は、自分の愚かさ、弱さを自覚した「幼子」のような人から順番に福音を知らせようとしたのです。ところが、しばしば、聖書が「いのちの書」というより、ひとつの教養に留まってはいないでしょうか。日本には、福音がインテリ階層から広まり始めたことの固有の弱さがあると言われます。しかし、福音は本来、愚かな者に生きた知恵を、弱い者に真の生きる力を与える神の生きた働きとして理解されていたことを忘れてはなりません。

  その上でイエスは、福音の核心を、父なる神とその御子であるご自身との関係から説明します。「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています」(27)ということばの中に、ご自身が父なる神から徹底的に信頼され、ゆだねられているということが表されています。そして、「父のほかには、子を知る者がない」とあるように、イエスが完全な人でありながら同時に完全な神であるという不思議は、父だけが理解しうる神秘なのです。そればかりか、神の子であるイエスご自身と、イエスが「父を知らせようと心に定めた人のほかには、だれも父を知る者がいない」と言われます。つまり、イエスが私たちに知らせてくださらない限り、だれも父なる神を真の意味で知ることができないのです。私たちの信仰はイエスによって与えられた一方的な恵みです。

「私が神の子とされた、罪びとの私が・・・無限の愛の大きさにただ感謝をしよう」という賛美がありますが、私たちが「神の子」とされるのは、互いを完全に知り合っている父と子の親密な愛の交わりの中に、聖霊のみわざによって招き入れられるという途方もない奇跡です。イエスの父なる神を「私の父」と呼ぶことができるということこそ、神がもたらした最高の救いです。私たちはどこかで自分の知恵や信仰の訓練によって神を知るかのように思い、自分の敬虔さや信仰心を人間的な基準で計ろうとしてはいないでしょうか。そのようなとき、神がご自身の救いの豊かさをまず「幼子」に知らせようとしたという神秘に思いを向けてみましょう。私たちはどこかで福音を難しくしすぎていないでしょうか。また恵みによって与えられた信仰を、人間的な基準で評価してはいないでしょうか。

2. 「すべて、くたびれた人、重荷を負わされた人は、わたしのもとに来なさい」

  この世の組織は、有能な人材を集めようとします。ところが、イエスは「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」(28)と不思議な招きをしました。ここで、「疲れる」とは、「くたびれる」という強い疲労感をあらわすことばです。また、「重荷を負っている」も、厳密には、誰かによって「重荷を負わされている」という意味です。旧約聖書の核心である律法は、本来、罪人に対する神ご自身の愛の語りかけです。ところがイエスの時代の宗教指導者は、それを人の行ないを矯正する道具に用い、「お前は、神の教えに反したので、神ののろいを受ける」などという脅しの手段に用いました。あなたもこの社会で、あなたの個性を無視した一方的な重荷を負わされて苦しんでいないでしょうか。また、「こんなこともできないのは社会人として失格だ・・」などと、「人間失格」という烙印を押される脅しを受けて生きてはいないでしょうか。しかし、イエスは、「取税人や罪人の仲間」(11:19)と非難されるほどに、落ちこぼれ意識を味わっている人々の味方となってくださったのです。

  イエスは、わたしがあなたがたを休ませてあげます」(28)と力強く断言されました。この「休み」とは、「そうすればたましいに安らぎが来ます」(29)とある「安らぎ」と同じことばです。つまり、イエスが与える「休み」とは、肉体的な疲れや重荷がまったくなくなるということではありません。それどころか、イエスは「わたしのくびきを負いなさい」と命じられましたが、「くびき」とは、苦難や服従を強いられることの比喩として用いられる表現でした。

  初代教会で、異邦人から信仰に導かれた人に「割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」と主張する人々がいました。それに対しペテロは、「なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです」と反論しました(使徒15:5-11)。つまり、イエスの招きの基本は、人間的に解釈された律法のくびきで苦しんでいる人に、イエスご自身のくびきを負わせることにあったのです。ですからイエスは、「わたしから学びなさい」と付け加えています。つまり、イエスのくびきを負うとは、イエスの生き方、働き方に習うということを意味したのです。

  人は、「くびき」からの解放を望んでいるようで、互いに「くびき」を作り続けています。たとえば、人は、仕事からの解放を望みながら、仕事がなくなったとたん、「自分は生きていても何の役にも立たず、呼吸をするたびに空気を汚しているだけだ」などと自己嫌悪に陥るかもしれません。アダムが、禁断の実を食べて、「神のようになり、善悪を知るようになった」結果、人は、神の基準ではなく、人間的な基準で、互いや自分を評価し続けています。人に向かって「おまえ役立たずだ!」と言っている人は、自分をいつも仕事に駆りたて、決して安らぎを体験し続けることはできません。ですから、くびきをなくすことよりも、自分に合った「くびき」こそ救いとなるのです。

  イエスは「わたしは心優しく、へりくだっているから(29)と付け加えられました。「心優しく」とは「柔和」とも訳され、人や状況に合わせて揺れることができる柔軟さ、「力みのない生き方」を意味します。また、「へりくだっている」とは、「自分が軽く見られた!」などと怒ることの反対で、イエスが、奴隷の姿になって弟子の足を洗う自由を持っておられたことを示しています。つまり、イエスは、自分の存在価値を証明しようなどというあらゆる駆り立てから自由な生き方、「疲れない生き方」をしておられる、その生き方に習うようにと勧められているのです。

私たちが頑固で傲慢になるのは、余裕がないからです。それがまた互いを安らぎのない状態へと駆りたてます。イエスに見られる柔和と謙遜は、「すべてのものが・・わたしに渡されている」(27)という、御父から信頼され、愛されている関係から生まれています。そして、御父と御子だけが互いを完全に知り合っているのですが、私たちは「子が父を知らせようと心に定めた」結果として、御父を知り、「神の子」とされました。ですから、イエスの「くびき」とは、何よりも「神に愛されている子」としての生き方Sonshipを習うためのものではないでしょうか。

3. 「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」

  イエスは、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」(30)と言われました。彼は、有能な大工で、特注品のくびきを作ることに長けていたという話しもありますが、ここでは、イエスが私たちに一定の枠を当てはめてさばく代わりに、それぞれの能力と個性に合わせた働きのリズムを与えてくださるということを意味します。

社会では何らかの共通の尺度が必要になります。偏差値教育を否定はしても、生徒の学力を評価をひとりひとりの教師の内申書の評価に頼ることのほうがはるかに危険かもしれません。たとえば、私は野村證券で苦しみましたが、そこにある公平さにも感謝しています。上司からは「数字は顔である」と教わりましたが、それは会社が社員を公平な物差しで計っているという意味でもありました。どんなに口先で偉いことを言っていても、結果を出すことができない人が出世するようでは、同業他社のように倒産の憂き目に会います。それが問題になるのは、会社が与える評価を、自分という人格への評価?として受け入れてしまうセルフイメージの不安定さにあります。

私たちはイエスのくびきの代わりに、この世のくびきを自分の首にはめるから苦しくなってしまうのです。パウロは、「私は自分で自分をさばくこともしません」(Ⅰコリント4:3)と言いました。私たちは知らないうちに、人間的な尺度を受け入れて、「もっと成果を出さなければ・・」と自分を駆りたてて、自分で自分の首を絞めてはいないでしょうか。働きの成果を出すことには際限がありません。それは旧ソ連共産党支配下のノルマのように、果たすたびに目標が上がるだけです。自分で自分を責めるのでも、人に脅されながらでもなく、神に愛されている子としての働きのリズムを見出すようになりたいものです。それは、イエスとの親密な交わりの中から生まれるものです。

  あなたの上司、あなたの依頼主、あなたの主人は、イエス様です。人ではなくイエスの期待に答えることを求め、日々、課せられている働きを、イエスから委ねられたものとしてとらえなおすことが大切ではないでしょうか。

ある講演会で、ある母親が「私の息子は偏差値教育の犠牲者です」と訴えたところ、講師は、「お母さんはどんな尺度でお子さんを見てきましたか?」と問い返しました。それは、彼女自身がイエスの基準にしっかり立たなければ息子の回復は期待できないからです。私たちには、この世のくびきか、イエスのくびきかの選択が迫られているのです。中途半端な立場を保ち、ふたまたをかけていると、ふたつの「くびき」で首がまわらなくなります。働きに評価はつきものです。それを否定するのではなく、それを超えた神の基準に常に思いを向けましょう。  

Hidenori Takahashi
tachikawa evangelical free church

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2007年11月11日 (日)

Ⅱ列王記17~19章「地のすべての王国は、あなただけが神であることを知りましょう」

                                                20071111

  あなたは自分よりはるかに強い人々から攻撃を受けたとき、とっさにどのような姿勢になるでしょう。ある人は、すぐに逃げの姿勢に入り、ある人は積極的に新たな支配者に適応しようとすることでしょう。ある身体生理学者は、少々乱暴に、逃げの姿勢が習慣化すると腰が曲がり、積極的な適応の姿勢が習慣化すると腰痛になるなどと言っています。私の首が曲がっているのは、逃げと適応の姿勢が同時に起こっているのかもしれないとも思います。しかし、危険に直面したとき何よりも大切なのは、一瞬でも力を抜いて静かに呼吸をすることではないでしょうか。それによって臨機応変に対応できるようになります。主に向かって祈り、静まるとは、力を抜くことかもしれません。

1. 北王国イスラエルの滅亡とアッシリヤ捕囚

 171-6節は北王国イスラエルの滅亡の様子が驚くほど簡潔に記されます。最後の王ホセアは、アッシリヤに服従するように見せかけながら、エジプトに助けを求めるという、適応と逃げを同時に行なってアッシリヤ王の怒りを買います。たとえ敵であっても守るべき真実はあるはずですが、それを踏みにじって自滅しました。これはしばしば、大国に挟まれた小国が陥る過ちです。しかし、神は敢えて小国イスラエルをご自身の民とすることによって、ご自身の栄光を現わそうとしておられるのです。たとえば、モーセは、イスラエルへの告別説教で、「主(ヤハウェ)があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった(申命記7:7)と語っています。たとえば、マザー・テレサが働きを始めようとする時、イエスは、「貧しい人をわたしのもとに引き寄せて欲しいのだ・・・わたしは、おまえが最も能力がなく、弱く、罪深い人間であることを知っている。だからこそ、わたしの栄光のためにおまえを用いたいのだ。おまえはそれを拒むのか?」と迫ってきたとのことです。私たちは世の力の論理に惑わされ、イエスが、「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる」(Ⅱコリント12:9)と約束されたことを忘れてはいないでしょうか。

 「ホセアの第九年」(17:6)とは紀元前722年のことだと思われます。三年間の包囲に耐えたサマリヤは陥落し、その住民は、かつてのアブラハムの寄留地ハランの東のゴザンからニネベ近郊の町ハラフ、そしてそのまた東のメディヤの地にまで強制移住させられました。不思議に、ここではサマリヤ陥落の様子や人々の苦しみを描く代わりに、このような悲劇が起きた理由を詳しく説明し、「こうなったのは、イスラエルの人々が・・・主(ヤハウェ)に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ・・・異邦人の風習・・・に従って歩んだからである」(17:7,8)と記されます。神は「十のことば」において、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために偶像を造ってはならない・・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、(ヤハウェ)であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」(出エジ20:3-6、申命記5:7-10)と命じられました。その上で、モーセは、「見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く・・・あなたはいのちを選びなさい」(申命記30:15,19)と迫りました。しかし、彼らは豊かさの中で堕落し、自ら進んでのろいを選び取ってしまいました。北王国イスラエルは分離独立して以来ずっと金の子牛の像を拝み、神の怒りを引き起こし続けてきました。彼らは二百年前に滅ぼされてしかるべき国でしたが、神は忍耐を続け、エリヤやエリシャを遣わしてご自身の栄光を民に明かし続け、その後も預言者アモスやホセアなどを遣わし、彼らに悔い改めを迫り続けていました。つまり、このような悲劇が起きたのはイスラエルの神、主(ヤハウェ)がアッシリヤの神々に劣っているからではなく、イスラエルが神の民でありながら偶像の神々を拝み、「主の怒りを引き起こし」(17:17)続けてきた結果なのです。

  一方、中東全域を支配したアッシリヤ帝国は、バビロンの住民やアラムの北のセファルワイムの住民をサマリヤの町々に住まわせました。しかし、そこに住んだ彼らが、主(ヤハウェ)を恐れなかったので、「主(ヤハウェ)は彼らのうちに獅子を送られた」(17:25)という悲劇が起きました。ところが彼らは、主の律法を聞く代わりに、イスラエルの神、主(ヤハウェ)の怒りをなだめる方法ばかりに目を留めるばかりでした。そして、「これらの民は(ヤハウェ)を恐れ同時に、彼らの刻んだ像にも仕えた」(17:41)という混合宗教(シンクレティズム)が生まれたのです。これが後のユダヤ人たちに軽蔑されるサマリヤ教の始まりです。そして、これこそ日本の宗教的土壌に深く根付いている考え方です。しかし、神はご自身を「ねたむ神」と紹介しておられます。そのような神のご機嫌を取りながら、同時に、日本古来の文化に根付いた神々を拝むというのは、自分で自分を窮屈にするだけです。そのような人は、八方美人的に周りを気遣いながら、唯一の神にいのちを守っていただけるという確信を抱くことが出来ません。せっかく聖書の神を拝むようになりながら、神にある自由を体験できないのは多くの日本人が味わっている悲劇ではないでしょうか。

2.ヒゼキヤの宗教改革と主のことば

  サマリヤが陥落する六年前、ユダ王国ではアハズの子ヒゼキヤが王となりましたが、彼は父とは正反対に、「ダビデが行ったとおりに、主(ヤハウェ)の目にかなうことを行った。彼は高き所を取り除いたばかりか、モーセの作った青銅の蛇までも打ち砕きました。それは、主がモーセに命じて作らせたものが彼らの偶像となっていたからです(18:3,4)。そして、「彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどのものはだれもいなかった」(18:5)と描かれます。ソロモンがエルサレム神殿を建て終わった直後から、民の信仰は堕落し始めましたが、ヒゼキヤはエルサレム神殿においてあるべき姿での礼拝を全うした初めての王と言えるかもしれません。ソロモン以来の歴代の王は、高き所での礼拝を残したばかりか、生涯の最後に主に背くということがあったからです。歴代誌によると、彼は約束の地にまだ残されていた北の十部族それぞれに使いを送り、彼らをエルサレム神殿での過越の祭りに招きました(Ⅱ歴代誌30:1-20)。これは、まさにソロモンが神殿を建てた原点に立ち返らせる画期的なことでした。

その結果として、「主(ヤハウェ)は彼とともにおられた。彼はどこに出陣しても、勝利を収めた」(18:7)という祝福の時代が訪れました。しかしそれも束の間、サマリヤ陥落の八年後にアッシリヤ軍が、「ユダのすべての城壁のある町々を攻めて、これを取った」(18:13)という絶体絶命の危機が迫りました。ただ、残念なことにヒゼキヤは、一時的に、「私は罪を犯しました」とアッシリヤ王に屈服し、大量の金銀を貢いでしまいました。それは、パニックに陥ってとっさにこの世の常識の判断に身を任せたからでしょうが、それは途方もない無駄になりました。アッシリヤはそれに満足せずに、エルサレムに迫ってきたからです。ここでも逃げと適応を同時に果たそうとして自滅しそうになるというプロセスが見られます。しかし、ヒゼキヤはすぐに主に立ち返りました。すると、アッシリヤ王の使いはエルサレムの住民すべてに聞こえるように、「ヒゼキヤにごまかされるな・・・主(ヤハウェ)は必ずわれわれを救い出してくださる・・・」という言葉を信じてはならないと、全面降伏と他国への強制移住を受け入れるように迫りました(18:28-32)。そして、アッシリヤ王のことばとして、「国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。主(ヤハウェ)がエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか」(18:35)と、(ヤハウェ)を侮りました。

 「ヒゼキヤ王は、これを聞いて、自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、(ヤハウェ)の宮に入った(19:1)のでした。そして、彼は家来たちを預言者イザヤに遣わし、主のことばに耳を傾けようとしました。それに対して、主は、「あのことばを恐れるな。今、わたしは彼(アッシリヤ王)のうちにひとつの霊を入れる。彼はあるうわさを聞いて、自分の国に引き上げる。わたしは、その国で彼を剣で殺す」(19:6,7)という不思議な計画を告げられます。主は、戦う前にアッシリヤの王の心を動かすばかりか、彼がもっとも安全と思う場所で、彼の命を奪うというのです。

 私たちが困難に陥ったとき、すぐに、「今、右に進むべきか、左に進むべきか」と地上的な知恵を求めます。しかし、もっとも大切なことは、主のみこころに従って主を礼拝するという原点に立ち返ることではないでしょうか。ヒゼキヤは、アッシリヤの危機が迫る中で、右か左かという地上的な対応策に心を傾ける前に、主へのあるべき礼拝の姿に戻る事を必死に求めました。そのことをイザヤは、「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15)と語っています。残念ながら、多くの信仰者が、「私はみこころがわからない・・・」と嘆きながら、時間と財を主に聖別するという、今明らかなみこころに従おうとはしていません。しかも、主の救いは、しばしば、人の思いもつかない奇想天外な方法でもたらされます。あなたも自分の歩みを振り返るとき、「右でも左でも、あれでも、これでもなかった」という不思議な解決を見たことでしょう。

3.「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」

  アッシリヤの王は、今度は手紙をもってヒゼキヤ王に、「おまえの信頼するおまえの神にごまかされるな・・・」(19:10)と脅します。すると彼はその手紙を主(ヤハウェ)の宮に持って行き、「主(ヤハウェ)の前に広げ」(19:14)「主(ヤハウェ)よ。アッシリヤの王たちが、国々と、その国土を廃墟としたことは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石に過ぎなかったので滅ぼすことができたのです。私たちの神、主(ヤハウェ)よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主(ヤハウェ)よ、あなただけが神であることを知りましょう(19:17-19)と訴えました。これこそ私たちが危機に陥ったときになすべき祈りでしょう。それに対し、主は預言者イザヤを通して、アッシリヤ王へのことばを告げます。それは、彼が主をののしったことばが、そのまま彼の上に降りかかるということと、彼が誇っている勝利などは、主がイスラエルに現したみわざに比べちっぽけであることを語りつつ、「あなたが座るのも、出てゆくのも、入るのもわたしは知っている・・・あなたの高ぶりがわたしの耳に届いたので・・あなたをもと来た道に引き戻そう」(19:27,28)と告げます。

そして、「その夜、主の使いが来て、アッシリヤの陣営で十八万五千人を打ち殺した・・・アッシリヤの王セナケリブは立ち去り、ニネベに住んだ。彼がその神・・の宮で拝んでいたとき、その子は剣で彼を打ち殺し・・・」という不思議な救いが実現します。ヒゼキヤが軍を動かす間もなく、主はかつて予告していた通りのことをされました。  

これらの経緯はイザヤ36,37章にもほぼ同じように記録され、Ⅱ歴代誌32章でも簡潔に記されます。同じことが三度も繰り返されるのは極めて異例で、これは主が紅海を分けてイスラエルの民を救い出したことにも匹敵します。それは詩篇46篇で歌われている通りの救いです。この詩はその約百五十年前のものと思われますが、ヒゼキヤはこれを聖歌隊に、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、すぐそこにある助け・・・」と歌わせたのではないでしょうか。すると文字通り、「神は夜明け前に、これを助けられる・・・主は地上に驚異を置かれた。主は地の果てまで戦いをやめさせ、弓を折り、槍を砕き、戦車を焼かれた」ということがり実現しました。この詩篇では、「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」(46:10)と、右往左往するのをやめて、主の前に静まることを訴えています。ヒゼキヤは、一度はパニックに陥ってアッシリヤに貢物を納め、彼らをなだめようとしたことを反省したことでしょう。

  マルティン・ルターは宗教改革に着手して十年後、精神的にも肉体的にも瀕死の状態に陥りました。その中で彼の何よりの慰めとなったのが詩篇46篇で、彼はそれをもとに「神はわが砦」という賛美歌を作りました。その二番目の歌詞は、「私たちの力によっては何もできない。このままでは私たちは敗北するしかない。私たちに代わって戦ってくださる方がおられる。その方は神ご自身が選んでくださった方。それはだれか。その方の名は、イエス・キリスト、万軍の主・・・」と歌われます。J.S.Bachはそれをもとにカンターターを記しましたが、ソプラノで「私たちは敗北するしかない・・・」と歌う中で、力強いバスの声で、「すべて神によって選ばれた者は、勝利者として選ばれている」と繰り返し歌われます。私たちは逃げるのでも巻き込まれるのでもなく、主に祈る中で勝利するものなのです。

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2007年11月 5日 (月)

ルカ15章 「失われていた二人の息子」 

ルカ15章 「失われた二人の息子」                                                         2007年11月4日  私は昔、「あなたはどうして、そう肩肘張って生きているの・・・」と言われたことがあります。先日、シンガポールでは、「高橋先生は、完璧から程遠いけれど、何とも愛嬌がある・・」という趣旨のことを何人からも言われ嬉しくなりました。私は昔、「完璧」と「完全」の区別がついていませんでした。「完璧」とは元来、傷のない宝石という意味でした。そして、完璧を目指す人の前では、しばしば人は、息が詰まるような感じを味わうのではないでしょうか。しかし、聖書が語る「完全」は、神が悪人にも太陽を昇らせ、雨を降らせて下さるという包容力として表現されます。しかも、列王記などでは、「完全」の模範は、あの欠点だらけのダビデとして描かれています。今日の記事は、何事も「完璧」を目指したパリサイ人、律法学者に向かって、神が望まれる「完全」を教えたものと言えないでしょうか。 1.申命記の結論から生まれる放蕩息子のたとえ    モーセはイスラエルの民への遺言として、「私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい」(申命記30:20)と語りました。しかし、神は、彼らが「のろい」を選び取り、彼らの上に、「多くのわざわいと苦難がふりかかる」ことを知っておられ、彼らが苦難の中で神に立ち返ることができるようにと歌を授けました。その中心は、「主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これを抱き、世話をして、ご自分のひとみのようにこれを守られた」(申命記32:10)という主の愛を思い起こさせるための歌でした。放蕩息子は父の愛を軽蔑して自業自得の苦しみを招きましたが、遠い異教の地で、父の愛を思い起こしたからこそ、家路につくことができました。つまり、イスラエルを、また放蕩息子を父の家に帰るように仕向けているのは、父なる神の愛なのです。事実、神はご自身のことを、そこで、「わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす」(同32:39)と歌うようにも命じておられたからです。まさに、悔い改めさえも、神のみわざなのです。ところが、イエスの当時の宗教指導者は、「悔い改め」をあくまでも人間の働きと理解していました。つまり、きちんと悔い改めた者を、神は受け入れてくださるのであり、悔い改めの実を結ぶことこそが何よりも大切であるとの教えです。それで、取税人や罪人たちがイエスのみもとに近づいている様子を見たパリサイ人、律法学者たちは、イエスを非難して、「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする」(2節)と非難しました。イエスはそんな彼らに、三つのたとえを話されました。第一は、百匹のうちの失われた一匹を「見つける」羊飼い、第二は、十枚のうちの失われた一枚のコインを「見つける」女の人、第三は、放蕩息子の帰還を「見つけた」(20節)父の物語です。そこに共通するのは、失われたものを探し出し、その回復を喜ぶ神の熱い思いであり、回復を導くのは神ご自身の主導であるということです。そして、神の喜びが、三つの祝宴として描かれます。そして、第一と第二のたとえの結論として、ひとりの人の悔い改めのたびに天では喜びの賛美が沸き起こると記されます(7,10節)。 2.放蕩息子のたとえ 自分の恵まれた環境を軽蔑すること放蕩息子の物語は、弟息子が、「お父さん。私に財産の分け前をください」(12節)と言ったということから始まりますが、それは、父親が死んだことを前提としての権利を主張することで、これほど親不孝な願いはありませんが、父は、不思議にも、その願いを叶えてしまいます。それは、息子が自業自得で挫折しない限り、立ち直ることができないということを見越した苦渋の決断でした。そして、息子は、財産をお金に変えて、遠い国へと旅立ちました。彼は、自分のしあわせは、父の家ではなく、遠い国にあると思ったことでしょう。それは私自身のうちにもあった憧れでした。しかし、神はあなたを、計画をもって創造されました。あなたの出生の環境のすべても神の御手の中にありました。それは、「あなたは私を母の胎から取り出した方。乳房に拠り頼ませた方。生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です」 (詩篇22:9,10)とある通りです。  弟息子は、遠い国で、「放蕩して湯水のように財産を使ってしまった」(13節)のでした。その後、その国に飢饉が起こり、彼は食べ物にも困り始めます。ユダヤ人は豚を汚れた動物の代名詞のように見ていましたが、彼は豚の世話をするほどに身を落としてしまいます。しかも、彼は豚の餌で腹を満たしたいほどだったのに、「だれひとり、彼に与えようとしなかった」(16節)のでした。彼はまさに、だれも味方がいない孤独な状態になりました。そしてそれは、自分の出生を軽蔑した代償でした。彼は、かつて、自分の力で生き、自分で人生を切り開くと張り切って家を出たことでしょうが、そのように与えられた交わりを軽蔑した結果、いざとなったら誰も助けてくれないという孤独感を味わうはめになりました。まさに、恵みの大きさは、失ってみて初めて分るものと言えましょう。  ここで、「われに返ったとき」(17節)と記されます。これは、「自分に立ち返る」ということで、自分の存在の根本、出生のうちにあった恵みを思い起こす事です。それは「父のところには、パンのありあまっている雇い人が大勢いる」という現実です。そこには、幸せを父の家とは別のところに探そうとして、「飢え死にしそう」になっていることへの反省があります。つまり、放蕩息子の回心とは、父の家の恵みを思い起こすことに他ならないのです。ところで、「私の父母はそんないい人間ではない・・」と言わざるを得ない人もいることでしょう。しかし、ここにおける「父」とは、創造主である神をイメージしたものです。そして、あなたの創造主は愛に満ちた父であり、その方が、あなたの出生のすべてを支配しておられました。実際、神は、あなたに苦しみと同時に、それに耐える力をも与えてくださったのです。また、悲しみと同時に、喜びをも与えていてくださった方です。私たちは、ひとりで生きていたかのように誤解することがあるかもしれませんが、何と多くの恵みがあったことでしょう。私たちは苦しみばかりを思い出し、自分を被害者に仕立てる天才ですが、苦しみにまさる恵みがあったおかげで今まで生きてくることができたのです。「私は罪人です」という告白とは、「私は生きるに価しない駄目人間です」と認めることではありません。そうではなく、「私はこんなに愛されているのに、その愛に応答して生きていない」という自覚です。この放蕩息子は、父に会ったときに言うべきことばを思い巡らしながら、父の家への旅路を歩んだことでしょうが、「まだ家までは遠かったのに、父は彼を見つけ・・・」(20節)とあるように、息子が悔い改める前から、父は息子をずっと探し続けていたのでした。父の痛みは、神の痛みです。そして、旧約聖書には神の痛みの歴史が記されているのです。父は、「かわいそうに思い、走りよって、彼を抱き、口づけした」のですが、そこには息子に、悔い改めのことばを語らせる余裕もないほどの情熱が見られます。それは、回復の主導権が、息子の悔い改めではなく、父のあわれみにあることを記しています。父親が走り寄る姿を、ある人は、「踊る神」とさえ表現しています。息子は、「お父さん・・」と呼びつつ、「天に対し」また「あなたの前に、罪を犯しました。もう私はあなたの子と呼ばれる資格はありません・・」と言いますが、父はそれをさえぎるように、彼に子としての誇りを回復させるための用意を命じます。「一番良い着物」とは、貴族としての正装、「指輪」とは、家督相続者のシンボル、「靴」は、奴隷ではなく、自由人であることの象徴です。つまり、「赦し」は、悔い改めへの結果として勝ち取られるものではなく、神があらかじめ用意しておられたものなのです。それについてパウロは、「ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたにお願いします。神の和解を受け入れなさい」(Ⅱコリント5:20)と記しています。神の側から、「赦し」を与えたいと懇願しておられるというのは何という驚きでしょう。  父は後で、「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのが見つかった」(24節)と言っていますが、見つけた主導権は父にあったということを忘れてはなりません。私はこの世では放蕩息子のようではありませんでしたが、放蕩三昧をした人の証を聞きながら、自分の悔い改めの不徹底さを恥じるようなところがありました。しかし、それは何という矛盾でしょう。悔い改めとは、悪事の反省である以前に、「この私は・・」(17節)という、父の子としての自覚の回復にあることを決して忘れてはなりません。しかも、すべては父の主導権のもとにあるのです。   3.放蕩息子の兄  兄息子は、祝宴の音を聞いて、嫌悪感を覚えます。これはイエスの祝宴を嫌悪したパリサイ人、律法学者の気持ちを言い表したものです。実際、やりたい放題やって父を悲しませ続けた者に、すぐに祝宴をはるなど、正義が成り立たないと言えないでしょうか。まさにこれでは、「正直者がバカを見る」ということわざの通りです。兄が、「怒って家に入ろうともしなかった」(28節)というのももっともではないでしょうか。ところが、このとき、父が出てきて、「いろいろなだめてみた」というのです。父は、兄の怒りに寄り添い、慰めのことばを与えようとしています。しかし、彼は父を誤解していたのです。彼は、「長年の間、私はあなたに仕え」(29節)と言っていますが、原文では、「お父さん」とは呼んでいません。彼は、「あなたに仕え・・・」と言っていますが、これは、横暴な主人に奴隷として仕えてきたような表現です。しかも、「あなたの戒めを破ったことは一度もありません」、それなのに、「子山羊一匹もくださったことがありません」(29節)と言いながら、父親を厳しくけち臭い人間として描いています。これほど失礼な表現があるでしょうか。しかし、事実は、「父は身代をふたりにわけてやった」(12節)のであり、彼には自由があったのです。そのことを父は、「子よ。私のものは全部お前のものだ」(31節)と表現しています。兄は、自分が父の子であることを忘れているという点では、弟息子と変わりはしません。しかも、それ以上に悪いとも言えるかもしれません。なぜなら、彼は父を横暴でけちくさい奴隷主人であるかのように見ているからです。 パリサイ人や律法学者は 神を誤解していました。モーセ五書を誤解していました。彼らは、愚かにも、聖書の教えを、「愛」ではなく「義務」に変えていたのです。兄息子は弟のことを、「遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶしたこのあなたの息子」(30節) と的確に表現していますが、自分の問題は見えていません。少なくとも弟は、自分勝手を求めはしましたが、父を横暴な奴隷主人と見ていないという点では兄よりまともとも言えましょう。  父は、弟息子のことを、「死んでいた・・・いなくなっていた」(24,32節)と繰り返していますが、これは兄息子に優しく聞かせていることばと言えないでしょうか。父は兄息子に向かって、「子よ。おまえはいつも私といっしょにいる」といいました。「子よ」という呼びかけの重さを覚えたいと思います。これは、原文の大切な言葉ですが、第二版では自明のこととして省かれて、第三版で初めて訳出されたことばです。父にとって彼も、かけがえのない息子であり、父は、兄息子の働き以前に、彼の存在自体を喜んでいるのです。「それで父は出てきて・・・」(28節)ということばの重さを覚えたいと思います。失われている兄の回復を導こうとしているのは父自身なのです。 私たちは、主の教会で仕えられること自体が何よりの恵みであるのに、神の愛を勝ち取ろうとするかのように必死に頑張ってしまうようなところがないでしょうか。そこには、「良い子でなければ拒絶される・・」という隠された恐れがあると思われます。しかし、頑張った程度に応じて報われるという因果応報の考え方は、この世の常識であって、 神の存在を前提としなくても成り立つ原則です。しかも、弟の放蕩を非難する気持ちの中に、「気ままな生き方をしてみたい・・」という憧れがないでしょうか。多くの人々は、放蕩の結果を恐れるだけで、本当はそのような気ままな生き方にあこがれているのかも知れません。しかし、弟息子は、そこにある不幸を、身を持って体験したのです。お金がないのは辛いことですが、それ以上に苦しいのは、生きがいのない人生ではないでしょうか。 4.失われたふたりの息子の父に習うイエスは、「あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深くしなさい」(ルカ6:36)と言っておられます。兄は弟の問題をひとことで言い表わしましたが、父は弟息子の罪に対して、何の指摘もしていません。弟息子は財産の分与を願った時点で、既に父を殺していました。しかし、父は彼が帰ってくるのを忍耐してただ待ち続けています。そして、弟息子を迎えた時も、弟息子を恥じ入らせることも追い詰めることもなく、父の子としての誇りをまず回復させようとしておられるのではないでしょうか。私たちは真に守るべき誇りがあります。それは神の子としての誇りです。それがなければ父なる神のあわれみの姿に習おうとする気力が生まれません。  私たちも、人の相談などをうけたとき、その人の悩みを軽蔑しないという態度がまず必要です。何よりもまず、誇りの回復を手伝う必要があるのではないでしょうか。そして、罪の目覚めは誇りの回復から生まれます。  帰ってきた弟息子は、心から、「お父さん」と呼びましたが、兄は、「あなた」(29節)としか呼んでいません。しかも、そのように父を心の中で軽蔑していた兄息子に、父の側から懇願しているというのは何とも驚きです。父は兄に向かって、真っ向から 「お前は失われている・・」とは言ってはいません。弟息子へのことばを通して、兄に父の愛を伝えようとしています。そこには、あくまでも兄息子の気づきを待とうとする忍耐の姿勢が見られます。しかも、父は喜びの祝宴を開いています。愛は何よりも喜びで表現されるからです。神はご自身が傷つきながらも神の民に喜びを与えようとしています。愛は「すべてを覆い・・」(Ⅰコリント13:7別訳)と言われますが、そこには神のいつくしみの御翼があります。それは、手を広げて、やさしく寄り添い、罪を覆う姿です。「神はそのひとり子をお与えになるほどに世を愛された」(ヨハネ3:16)とは、神がご自身の身を削りながら私たちを愛されたということです。ろうそくは自分を削りながら回りを照らします。私たちの憧れは、愛の交わりの完成ではないでしょうか。そして、そのために私たちに求められていることは、裏切られながら何度も手を差し伸べることではないでしょうか。  私たちは自分が放蕩息子と同じように、与えられていた恵みの大きさを忘れ、軽蔑していたことがありました。そして、神に立ち返ったのは良いけれど、完璧なクリスチャンを目指して自分で息苦しくなるばかりか、まわりの人をも息苦しくしてきたことがあるかも知れません。しかし、神が喜ばれるいけにえは、何よりも、「砕かれた霊、砕かれた、悔いた心」(詩篇51:17)です。そのとき私たちは神のあわれみを心から喜ぶとともに、人の過ちに対しても寛大になることができます。そこに余裕のある愛の交わりが生まれます。そして、最後に、私たちもこの放蕩息子の父の姿に習って、恩知らずで身勝手な人々に忍耐しながら、自分の身を削りながら愛するように召されています。

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