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2011年4月24日 (日)

マルコ15章37節-16章8節 「空の墓にある希望」

                                        2011年4月24日

 今年の受難節は3月9日に始まりました。そして、その二日後に東日本大震災が起きました。私たちがこの期間をキリストの御苦しみに合わせて過ごし、主とともに嘆くことができたのは大きな恵みです。そして今日は、キリストの復活を祝う日になりました。

この世的に見ると、クリスチャンとは、十字架にかけられた犯罪人を神とあがめる不思議な人間です。キリストの復活こそ、どんなに暗く悲惨な出来事をも喜びの始まりに変える転換点なのです。そして、「空の墓」こそが、キリストの復活の最大の証明になっています。何もない空の状態にこそ、神の不思議なみわざが見られます。

驚くべきことに、明日にはもう仙台行きの新幹線が再開されます。この世界は恐ろしいスピードで動いています。そして私たちもこの世界で生きるようにと召されています。目の前の問題から逃げようとすると、かえって辛くなりますから、どんなに疲れていても、退却することはできません。

しかし、疲労がたまって行きます。そのような中で私たちは自分で自分を駆り立てるのではなく、主の前に静まり、憩うことによって、キリストの復活の力をいただくことができるのです。

1.十字架の死によって始まった新しいこと

イエスはダビデの子、「ユダヤ人の王」でしたが、神と人から見捨てられた「のろわれたもの」として十字架にかかりました。しかし、それによって旧約時代には想像もつかなかった全世界への救いが実現しました。

そのことをパウロは、「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです」(ガラテヤ3:13,14)と述べています。

そして、今、私たちはその「約束の御霊」を受けることができたのです。

マルコはイエスの最後の場面を、「それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた」(15:37)と記していますが、この「大声」とは、ヨハネによると、「完了した」という声だったと思われます。それは、ご自身の働きを全うされたという勝利の声でもあります。

その上で、「息を引き取る」と訳されていることばは、極めて日本語的な表現ですが、厳密には、「霊を出す」となっています。ルカでは、イエスが「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と言われたと記された上で、「霊を出した」とマルコと同じ動詞が用いられています。ヨハネは、「霊をお渡しになった」と、主体的に描かれています。

人間の最後の呼吸が吐く息なのか、吸う息なのかは、諸説があるようですが、イエスの最後は、ご自身の「霊」を父なる神に明け渡すという主体的な行為でした。

イエスは殺されたというよりは、働きを全うされて、霊を明け渡されたのです。そして、その「イエスの御霊」は、今、「約束の御霊」として、私たち一人ひとりに与えられています

  その上で、十字架の場面の最後の描写として、「また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた」(15:40、41) と記されています。

「マグダラのマリヤ」はルカによる福音書では、「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ」(8:2)と描かれますが、彼女はイエスの弟子たちの中で、最も悲惨な過去を持っていた女性でした。今、その女性に最初の復活の証人の栄誉が与えられようとしています。

「小ヤコブとヨセの母マリヤ」とはヨハネでは「クロパの妻マリヤ」(ヨハネ19:25)と呼ばれています。

「サロメ」とは、「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ」の母です。彼女はイエスに向かい、息子たちを神の国においてイエスの左右の座に付けてほしいと図々しいことを願った女性です(マタイ20:20、21)。

彼女たちは特別に信心深かったというよりも、ごく普通の女性たちでしかありませんでした。

そして、そこでまったく予期しないことが、「すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった」(15:42、43)と描かれます。

まず、「すっかり夕方になった」とは、日没が近づいて、残されている時間が限られていることを示しています。当時の安息日は日没から始まりましたから、そうなってはイエスを葬ることができなくなります。

そこで、「アリマタヤのヨセフ」という人が突然現れ、ピラトにイエスのからだの下げ渡しを願ったというのです。彼の名は、十字架の前にはどの福音書にも登場せず、十字架後にすべての福音書に描かれます。彼は、「イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れて、そのことを隠して(ヨハネ19:38)いましたが、同時に、「みずからも神の国を待ち望んでいた」とあるように、イエスがイスラエルに神の国をもたらしてくれることを待ち望んでいました。

彼は、ユダヤの最高議会(サンヘドリン)で他の議員たちには同意をしていなかったとあるように(ルカ23:51)、イエスが裁判の席で、ご自身がダニエル7章13,14節に預言された救い主であると宣言されたとき、全員で、イエスには死刑に当たる罪があると決めた」(マルコ14:64)という中には入っていませんでした。そのとき、ヨセフは、議員の席から意図的に離れていたのではないでしょうか。

しかし同時に、彼は積極的に反対もしてはいません。それは、イエスがご自分のことを、「力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのをあなたがたは見る」(マルコ14:62、ダニエル7:13)と宣言されたとき、イエスに疑いを持ち、弁明を止めたからなのかもしれません。

ところが、ヨセフはここで、イエスの十字架の姿を見ながら、イエスへの愛を掻き立てられ、自分を恥じたのではないでしょうか。彼は、その御姿に心を揺すぶられ、それまでの疑問と恐れから解放されました。

そして、彼は、これから何が起こるかを理解できないまま、「今、ここで」なすべきと示されたことを誠実に行おうという勇気を持って立ち上がりました

そのことが、「思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った」と描かれます。これは、自分の立場を不鮮明にしていたヨセフとしては、驚くべき決断でした。なにしろ、イエスの弟子たちはみな、自分たちがイエスの弟子であることを隠さなければ自分の身が危ないと恐怖に駆り立てられていたときのことですから。

ただ、もしヨセフが事前に自分の信仰的立場を公表していたとしたら、このような願いはピラトに聞き入れてもらうことはできなかったことでしょう。

神は、私たちの失敗をさえ、ご自身の目的のために用いることができることの良い例です。

2.「彼の墓は悪者どもとともに設けられた。しかし、彼は富む者とともに葬られた」

 そこで、「ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた」(15:44、45)と描かれますが、イエスの死は驚くほど早いものでした。十字架刑は、何よりも見世物にするのが目的でしたから、息が絶えるまで四日間もかかることがあったとのことです。

しかし、イエスは夜通しの裁判と厳しい鞭打ち刑で衰弱しており、ご自分で十字架を負うことができないほどでしたから、死期が異様に早かったのかもしれませんし、また、そこに神のあわれみとイエスご自身がご自分の死をも支配していたという事実があるのかもしれません。ピラトがヨセフの申し出にすぐに応じたのは、以前から彼のことを知って信頼していたということがあるのかもしれません。

その後の葬りのことが、ごく簡潔に、「そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入口には石をころがしかけておいた」(15:46)と描かれます。

この墓は「まだだれをも葬ったことのない」(ルカ23:53)、「自分の新しい墓」(マタイ27:60)でした。ユダヤ人は葬式を非常に大切にしましたから、ヨセフが自分のために用意していた新しい墓を、イエスのために用いようとしたことは極めて自然な動きでした。

これらのことを通して、イザヤが、「彼の墓は悪者どもとともに設けられた。しかし、彼は富む者とともに葬られた。それは、彼が暴虐を行わず、その口に欺きはなかったから」(53:9私訳)と預言したことが成就しました。当時、十字架にかけられた者の死体は、共同墓地に投げ込まれました。

しかし、イエスの遺体は、サンヘドリンの議員のために用意された地域の、真新しい墓に、「富む者」の仲間として、葬られました。それは、神が義人を守り通してくださるということのしるしでした。

そして、神は、このときヨセフを用いて、イエスの復活のための舞台を用意してくださったのです。共同墓地に投げ込まれた遺体がなくなっても、誰も気にも留めません。しかし、真新しい墓に葬られた遺体がなくなったとしたら、人々は、みな、何かが起こったはずだと不思議に思わざるを得ないからです。

私たちもヨセフのように、いろいろ迷いながら行動しながら、後で、自分の行動を恥じることもあることでしょう。しかし、先が見えないながらも、手探りのような状態で、「今、ここで」、自分にできることを大胆に行う勇気が、結果的に、期待をはるかに越えた明日を開く原動力になります

ヨセフは自分の行動が何をもたらすかを知りはしませんでしたが、イエスの復活の後に、自分がイザヤの預言を成就させる者として神によって用いられたことを心から感謝できたことでしょう。ヨセフの墓に葬られたイエスの御霊が、彼の心のうち既に宿っておられたかのようです。

3.「あの方はよみがえられました。ここにはおられません」

「マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた」(15:47)とありますが、「安息日」は、金曜日の日没から始まりますから、女たちは、墓の場所だけを確認して、安息日の後で、もう一度イエスを丁重に葬りたいと思ったことでしょう。

彼女たちは、ただ、イエスの遺体が腐敗して悪臭を放つなどということなどを想像したくないと必死に願いながら、とにかく、今自分たちができる最大限のことをしようとしました。合理的に考えると、遺体の腐敗は決して避けられませんが、神は、そのような彼女たちの人間としての情を用いてくださいます

「さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った」(16:1)とありますが、彼女たちは、安息日にイエスの遺体に香料と香油を塗ることができなかったことを歯がゆく思ったことでしょう。それで、安息日が明けた土曜の日没後に香料を買い求めたのだと思われます。

「そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた」(16:2)とありますが、彼女たちは、「朝早くまだ暗いうちに」(ヨハネ20:1)、墓に向かって動き出していました。

そして、神は、そのような彼女たちの切ない痛々しい思いを用いて、彼女たちを最初の復活の証人としようとしておられます。当時の安息日であった土曜日に、彼女たちはどうしても急いで行いたい思いながら、休まざるを得ませんでした。それが益とされたのです。

  ところで、マタイは、ユダヤ人の宗教指導者たちが何と安息日に総督ピラトに願い出て、ローマ軍の兵士を番兵に出してもらっていたと記しています。それは、イエスを偽預言者とした彼らの方が、イエスがご自分で三日目によみがえると言っておられたということばを思い出したからでした。イエスの復活預言は、敵対者の間にさえ広がっていたのに、弟子たちはそれをすっかり忘れていたというのです。弟子たちの信仰はそれほど頼りないものでした。

とにかく、このときの墓の状態は、「彼ら(番兵たち)は行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした」(マタイ27:66)という状態になっていました。とにかく、ヨセフがすでに「大きな石」(マタイ27:60)で墓の入り口を閉じていた状態が、さらに、ローマの兵士によって、その石がだれにも動かされないように封印されたというのです。

それを前提として、この週の初めの日の日曜日の早朝、女たちは墓に着いたとき、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」と、「みなで話し合っていた」と描かれます(16:3)。彼女たちはそんな当然のことも十分に考えることなく行動してしまいました。

しかし、ときには、そのように熱い情熱だけで動き始めることが、神によって用いられることがあります。すべての準備が整うのを待って行動しようとすると、いつになっても動けないということがあります。

そして、このときも、「ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった」(16:4)という不思議が起きました。私たちのうちに神が行動への思いを与えてくださるとき、しばしば神は、先回りするかのように、すべてのことを備えていてくださいます

それは、かつてイエスも、それを前提に、「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します」(マタイ6:34)と言っておられたとおりです。

そして、ここでまったく予想もしなかったことが起きました。そのことが、「それで、墓の中に入ったところ、真っ白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた」(16:5)と描かれます。ルカの福音書では、そのときの経緯が、彼女たちが、「はいって見ると、主イエスのからだはなかった」(24:3)と描かれます。

彼女たちはとっさに、ユダヤ人の指導者たちによってイエスの遺体が運び出され、どこかにまた「さらしもの」にされているとでも思ったのではないでしょうか。

しかし、彼女たちが「途方にくれていると」(24:4)、「見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た」(24:4)と描かれます。このふたりの御使いと、マルコがここで描いている「青年」は同じ存在です。

それを見て、「彼女たちは驚いた」(16:5)と描かれますが、そこで御使いは、「驚いてはいけません」と言いながら、「あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう」(16:6)と不思議な語りかけをします。

これは厳密には、「あなたがたはイエスを捜しているのでしょう。ナザレ人を、十字架につけられた方をという語順になっています。これは、イエスを捜している彼女たちの気持ちに寄り添いながら、同時に、「十字架につけられた」ということが既に過ぎ去ったことであるという思いが込められています。

ルカでは、「その人たちは」、「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか」と問いかけたと記されます(24:5)。これほど示唆に飛んだことばがあるでしょうか。今も、「生きている方を死人の中で捜す」ように、イエスを昔の宗教的な偉人としてしかみない人々が多くいます。彼らはイエスをマホメッドや仏陀などと同じように新しい宗教の開祖と見ています。

しかし、どの宗教指導者が、これほど無残な死を遂げたでしょう。もし、イエスが死んだままなら、イエスの教えが世界を変えるなどということはありえなかったはずです。つまり、イエスの復活を文字通りの歴史的な事実として認めることのないすべての人は、聖書の教えを、単なるファンタジーのひとつにしているのです。

その上で、御使いは彼女たちに、「あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です」(16:6)と言いました。

私がイスラエルを旅行し、イエスの墓をイメージさせる園の墓の中に立った時、そこには、空の墓とともに、「He is risen. He is not here」と書いた小さな看板が掲げられていました。そこで、私は、電流が身体を走るように、イエスの復活を、心で実感することができました。

実はその少し前、カトリックとギリシャ正教が共同で管理する聖墳墓教会を見学しました。長い列を作って、金色に飾られた暗い墓の中を見て、何かとってもむなしい気持ちになりましたが、このシンプルな園の墓を訪ねて、深い感動を味わうことができたのです。

イエスは、エルサレムの墓の中にいるわけではありません。また、天にも届くような荘厳なカトリック教会の中にいるわけでもありません。イエスは、今、私たちの交わりのただなかにおられます

それは、「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」(マタイ18:20)とイエスが言われたとおりです。

4.「前に言われたとおり・・・・」

その上で、御使いは彼女たちに、「お弟子たちとペテロ」へのメッセージを、「イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます」と伝えます(16:7)。

ここで、「前に言われたとおり」ということばが最後に記されていますが、これは、何よりも、弟子たちは既に語られたみことばによってイエスの復活を理解すべきであるというメッセージです。

私たちは復活のイエスに出会うために、遠くエルサレムに旅行する必要はありません。「今、ここで」、みことばをともに読む中で、イエスの復活と臨在を知ることができるのです。

 そして、多くの信頼できる古い聖書の写本は、マルコの福音書の最後が、「女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(16:8)で終わっていることを示しています。これは、なかなか理解できない終わり方なので、後に、その後に様々な付け加えが出てきたのかもしれません。

しかし、基本的に、9-20節に記されていることは、他の福音書に記されていることなので、これらの部分をあまり深く詮索する必要もないかと思われます。それよりも、このあり得ないような8節の終わり方こそが、イエスの復活を御使いから聞いたときの最も自然な反応と言えましょう。不思議なのは、それにも関わらず、弟子たちはこの後、イエスの復活を、命がけで伝えるようになったということです。

当時は徹底的な男性社会でした。そして、女性たちのことばは信頼されていませんでしたから、裁判の際の証人としても認められていませんでした。ルカでは、イエスの弟子たちもこのとき同じような態度を取ったことが、「使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった」(24:11)と描かれます。

この後、エマオ途上のふたりの弟子たちに、みことばを解き明かしたイエスの話が、続けて描かれています。そのうちのひとりの名は、「クレオパ」という名が記されています(24:18)。あまり根拠はありませんが、彼は、ヨハネ19章25節のクロパと同一人物であるという解釈もあります。もしそうなら、彼は、十字架を見続け、復活の目撃者となったヤコブの母マリヤの夫ということになります。

ひょっとして、クレオパは、御使いと出会ったという妻の話を聞いてさえも、なおもそれを信じることができなくて、弟子たちの交わりから立ち去って行ったのかもしれません。ところが、イエスは、彼らからご自身の姿を隠しながら、旧約聖書全体から、救い主の受難と復活を解き明かし、ご自身の復活を信じさせてくださったのです。

 以前、クリスチャン新聞に、『心の復活』というテーマでメッセージを記させていただきました。そこにジェームス・フーストン氏のことばを、「復活を法的に証明できれば、それは有益な本になります。でも、それは本にすぎません。イエスの復活の本当の『証明』は、イエスが心の中に住むことによって変えられた人生、生まれ変わった人生です」と引用しました。

そして、その結論を、「自分の変化を自分ではかるとナルシズムの世界になります。しかし、茫然自失の状態で、神の御前で、うめき、ため息をついていることは、『心の復活』の始まりです。自分の無力さに圧倒されるような時こそ、自分の願望が死んで、『イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊』が『死ぬべきからだ』の中に働くことを体験する(ローマ8:11)チャンスなのですから」と記しました。

私たちは、ときに、自分の力では何ともできないという絶望的な状況に追い込まれます。そこでは、「ため息」しか出てきません。しかし、それを、主の前での「ため息」とするとき、そこから、「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊」の働きが始まります

キリストの復活は、歴史上の事実であるとともに、私たちが日々の生活の中で体験できる現実でもあります。

私たちはしばしば、先が見えないまま、目の前の働きに専念せざるを得ません。しかし、主は、そこに思ってもみなかった不思議な道を開いてくださいます。それは人生の復活です。

また、私たちはともに集まってみことばを開いている中で、復活の主の臨在を体験することができます。キリストの教会こそ、キリストの復活の生きた証です。

そして最後に、私たちは自分の力の限界を超える絶望的な状況に置かれることで、キリストの復活の力が自分の内側に働くのを、身をもって体験できます。それが『心の復活』です。

それがわかるとき、自分の身を必死に守ろうとする自己防衛的な行動から自由にされます。私たちは自分で自分の身を守ろうとする必要はありません。

主に向かってこの心と身体を開き、それをささげてゆくときに、主ご自身が私たちを守ってくださるということがわかります。そして、そこに真の隣人愛が生まれます。

 「空の墓」を御使いの輝きが満たしました。マザー・テレサが「空っぽ」という題の詩を残しています。 

神は いっぱいのものを満たすことはできません

 神は 空っぽのものだけを 満たすことができるのです

本当の貧しさを、神は 満たすことができるのです

イエスの呼びかけに 「はい」と 答えることは

 空っぽであること、あるいは 空っぽになることの始まりです 

与えるために どれだけ持っているかではなく、

どれだけ空っぽかが 問題なのです

 そうすることで、私たちは人生において十分に受け取ることができ、

私たちの中で イエスがご自分の人生を 生きられるようになるのです。

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2011年4月17日 (日)

マルコ15章1-41節 「イエスの御苦しみを黙想する」

                                          2011417

今回の大震災に対してひとことメッセージを書いてくださいと百万人の福音の編集者から依頼されて、ふと、次のような文章を書きました。

この大震災を巡って、ある人は、人間の傲慢に対する神のさばきと言い、ある人は、日本に福音が広がるチャンスと言い、また、日常生活のすべてが神の恵みだとわかったと言います。私も礼拝説教のたびに、何かの解釈をしています。しかし、あらゆる解釈を控え、ただ、おろおろと、『主よ。あわれんでください・・・』と泣きながら祈る、そんな姿こそが、信仰の原点なのではないかと、ふと思いました。」

私たちは何か途方もないことが起こると、それをどうにかして意味づけようとします。それは、想定外のことを想定内のことに置き換えようという意識の働きかもしれません。

科学文明はある意味で、この世界に起こっていることを、人間の理性で把握しようとする努力から生まれています。しかし、それを人の心を扱う信仰の世界に適用しようとすると、最も大切な真理を見失ってしまう可能性があります。

たとえば、イエスは十字架上で七つのことばを語られましたが、マタイもマルコもそのうちのひとつ、「わが神、わが神・・・」という不可思議なことばしか記録していません。

私自身このことばに向き合うたびに新しい発見がありますが、最近は、「あまりわかった気持ちになってはいけない・・・」とも思うようにもなっています。

私たちはあまりにも、「これは現代の自分にとってはどんな意味を持っているか」などという解釈を安易に求めすぎてはいないでしょうか。もっと、当時の時代背景を把握することには理性を働かせるとしても、イエスのことばの意味に関しては、心に落ちるまで静かに待つという姿勢が必要など思います。

イエスの十字架を見ていた女性の弟子たちは、何が起こっているかわからないまま、ただおろおろと泣いていたのではないでしょうか。そして、そのような女性たちに、イエスは最初の復活の姿を現してくださいました。

自分の頭で神のことを把握しようとしすぎると、想定外の神からの啓示が見えなくなってしまうような気がします。

1.「あの人がどんな悪いことをしたというのか」

  イエスはユダヤ人の最高議会で裁判を受けたとき、大祭司が「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか」と尋ねたことに対して、ご自分がダニエル書713,14節で預言されている救い主であるという意味を込めて、「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座につき、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです」と答えました(14:61,62)。これはイエスが、ご自分のことを、イスラエル王国を復興する王である以上に、全世界の支配者であると主張したことを意味します。

当時の人々は、ダビデ王国の復興を待望しており、この五日前にはエルサレムの住民が、イエスのエルサレム入城を歓呼のうちに迎え、多くの人が自分たちの上着を道の上に敷きました(11:8)。これはイエスをエルサレムの王とするという意味が込められていました。

ところが、ここで、すべての弟子たちに逃げられ、たったひとり無力に大祭司の前に立たされているイエスは、ご自分のことをダビデにはるかに勝る王であると宣言されたのです。

それを聞いた大祭司が、イエスを、神を冒涜する者として宣言し、ユダヤ人の最高議会が全員一致でイエスを死刑と定めたことは極めて自然なことでした。なぜなら、彼らからしたら、このような大法螺吹きが民衆の支持を受け、扇動するのを看過するなら、神殿の権威が失われるばかりか、ローマ軍による武力支配が強化され、自分たちの信仰の自由さえも奪われると思われたからでしょう。

ただし、当時の法律では、死刑判決を下し、死刑を執行できるのはローマ帝国の代理であるローマ総督だけでした。それでユダヤの最高議会は、総督ピラトのもとにイエスを連行し、死刑判決を下すように強く迫りました。しかし、ローマ帝国の法律では、神への冒涜という罪で、人を死刑にすることはできません。ただイエスが「ユダヤ人の王」を自称して、群集の独立運動を扇動しているなら十字架刑は当然でした。

それで、ピラトは、「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねましたが、イエスは「その通りです」とだけ答えます(15:2)。しかし、これは本来なら、「私は独立運動を扇動してはいません」と答えるべき所です。そればかりか、イエスを訴える様々な罪状が訴えられているのに、「イエスは何もお答えにならなかった」(15:5)というのです。そして、「それにはピラトも驚いた」と描かれているほどに、イエスは不思議な沈黙を守っておられました

それはイエスが、民衆の期待する姿ではないにしても、確かに「ユダヤ人の王」として苦しむことを望まれたからです。王には民全体の身代わりになる資格があるからです。

ピラトは、イエスの応答の姿を見て、ローマ帝国への反逆罪を適用するには無理があることを認めながら、責任のがれのための妥協策を考えます。それは誰の目からも十字架刑にふさわしいバラバという人と、イエスのどちらかに恩赦を与えるというものでした。群集は、つい五日前にイエスをダビデの子として歓迎しましたから、イエスの釈放が願われると思ったことでしょう。

ところが彼らは、宗教指導者の説得に応じてバラバの釈放を願い、本来彼が受けるべき刑罰をイエスに要求しました。彼らは、無抵抗のイエスを見て、自分たちの期待が裏切られたことに腹を立てたのだと思われます。

ピラトは群集のヒステリックな反応に驚きながら、「あの人がどんな悪い事をしたというのか?」と尋ねます(15:14)。これは、ピラトがした最高の質問ではないでしょうか。バッハのマタイ受難曲では、この問いかけに、ソプラノで次のように歌われます。

「あの方は私たち皆に良いことをしてくださいました。盲人の目を開き、足なえの人を歩かせ、御父のことばを私たちに告げ、悪魔を追い払われた。嘆く人を助け起こし、罪人たちを受け入れ、引き受けてくださった。私のイエスはそのほかに何もなさらなかった・・・」

ところが、群集は、ピラトの問いかけに答える代わりに、「ますます激しく、『十字架につけろ』と叫んだ」(15:14)というのです。どうして、人々の心はこうも変わってしまったのでしょう。

その理由は、バッハが、「私のイエスはそのほかに何もなさらなかった」と歌わせたように、イエスが敢えてなさろうとしなかったことに隠されています。イエスはユダヤ人を虐げるこの世の権力者と戦おうとはされませんでした。また、この世の富も、名声も、権力も与えてくれませんでした。しかし、残念ながら、それらこそ、ここに集まった群衆が望んでいたことでした。

あなたがそこにいたとしたら、どのような反応をしたでしょう・・・。群集は、自分たちの国や社会をたちどころに変えてくれる強い指導者を求めていました。しかし、イエスはあまりにも無力に捕らえられ、惨めな姿をさらしています。彼らは、「だまされた・・裏切られた・・・」と思ったことでしょう。しかし、彼らはあまりにも自分の身勝手な期待を抱いていただけなのです。

たとえば、現在、多くの人々が、「原発反対を唱えています」が、ついこの前までは、原発はクリーン・エネルギーの代表と見られ、その技術で世界をリードし、米国の会社も買収した「東芝」などは生まれ変わった会社として世界中の人々から非常に高く評価されていました。そのような幻想を作ったのは政治家や大企業だけの問題でしょうか。このような事態が起きてしまうと、原発の危険性は、少し考えれば誰の目にも明らかだったように思われます。それに無頓着に、目先の便利さを追求し、電力を湯水のように使った私たちにも責任があります。

「神を信じて、何になるのか」という逆説的な題の本が売れています。イエスの福音は、多くの人にとって、あまりにも無力に感じられることがありますが、実は、壮大すぎて、目先のことしか考えない人間には理解できないのです。しかし、イエスは私たちの霊の目を開き、社会で生きる力を与え、聖書の読み方を変え、悪魔による死の脅しを無力化し、嘆く者に希望を与え、罪の赦しによって創造主なる御父との交わりを回復してくださいました。

福音の中心は、私たちの生活環境を変えることではなく、私たちの生き方を変えることにあります。住まいよりも、私たちの心を明るくする力なのです。そして、私たち一人一人の心が変えられる時にのみ、世界に完全な平和が実現します。

2.「十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた」

 ピラトは群集の声に圧倒される形で、バラバを釈放しましたが、そのことをマルコは、「ピラトは群集のきげんをとろうと思い・・・」(15:15)と描写します。ピラトは自分の信念を曲げる判決を下したことによって、後世のすべての人々から軽蔑されることになります。

そして、その後のことがごく簡単に、「そして、イエスをむち打って後、十字架につけるように引き渡した」と記されます。パッションという映画で当時の「むち打ち」の場面がリアルに描写されていましたが、それは、それは、おぞましく酷い刑でしたが、ここでは厳密には、「十字架につけるために引き渡した。むち打って・・」と、肉体的な痛みを思い起こさせる表現を隠すように配慮しつつ描かれています。

他方で驚くほど詳しく描かれているのが、イエスがあざけりを受ける様子です。総督の「兵士たち」はイエスに「紫の衣を着せ」ましたが、これは王族の着物の色でした。また当時の王や競技の勝利者は月桂樹の冠をかぶりましたが、イエスにはそれに似せた「いばらの冠を編んでかぶせ」ました。

そして、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んで挨拶をして、イエスを嘲りました。「葦の棒でイエスをたたいた」とありますが、「葦の棒」とは、王酌に見せるためのものでした。

なお、19節は、「たたき続け、つばきをかけ続け、ひざまずいて拝み続けた」と、三つの未完了形の動詞で、このような嘲りが繰り返し行われたという様子が鮮やかに描写されています。

ローマの兵隊たちはユダヤ人のテロ攻撃を恐れていましたから、イエスをテロリストの王に見たてて日頃の憎しみをぶつけたのかもしれません。人は、怒りをぶつける相手を求めています。私たちも、あらぬ誤解を受け、あざけりをうけることがあるかもしれません。そんなとき、「そんな愚か者たちの声など気にする必要はない・・・」と言われることがありますが、人はだれしも、自分の尊厳を奪われることは、何よりも辛いことです。

しかし、私たちはその痛みの中で、イエスに出会うことができます。イエスはあなたのために「つばきをかけられ」続けたのですから・・・

イエスは自分がかけられる十字架を背負わされてゴルゴタと呼ばれる死刑場に連れて行かれます。その際、クレネ人シモンに十字架が無理やり背負わされたのは、イエスが衰弱し切っていたからです。しかし、不思議に、肉体的な痛みの描写は最小限に留められます。

兵士たちは、「没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしました」(15:23)が、それは痛みを和らげる麻酔薬のようなものです。ところが「イエスはお飲みにならなかった」というのです。ここに、肉体的な痛みを正面から受け止めようとしたイエスの雄々しさと見られます。

そして、「それから彼らはイエスを十字架につけた」と描かれます。ここでも、実際は、イエスの手に大きな釘が打ち込まれたはずなのですが、その描写は省かれています。そして、「だれが何を取るかをくじ引きで決めた上で、イエスの着物を分けた」(15:24)と描かれます。これは、イエスの存在が徹底的に無視されていることの象徴です。

イエスが十字架にかけられたのは午前9時でしたが、その罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてありました。これはまさに、イエスが文字通り、イスラエルの民の王として、彼らのすべての罪を負い、彼らの歴史を完成に導くという意味がありました。イエスの十字架と復活以降、神の救いが異邦人にも明確に及ぶようになったのは、イエスがユダヤ人の王として、彼らに対する神のご計画を全うされたからです。

一方、イエスがふたりの強盗にはさまれているのは、イエスを強盗の頭として見世物にしたという意味でもあります。ユダヤ人たちは、「頭を振りながらイエスをののしって」「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ」と言いました(15:29,30)

これは、イエスが神殿の崩壊を告げたことへの皮肉ですが、イエスは本当に、ご自分の十字架と復活で、神殿を完成してくださいました。もう私たちは目に見える神殿なしに、イエスにすがるだけで神からの罪の赦しを受け、また、神に向かって祈ることができます。

イエスは荒野で悪魔の試みを受けられたとき、神殿の頂きに立たせられて、「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい」と言われました(マタイ4:5,6)。今、宗教指導者たちは、悪魔と同じことばを用いて、「他人を救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。今、十字架から降りてもらおうか。われわれはそれを見たら信じるから」と言います(15:31)

彼らはエルサレムに神の栄光が戻って来ることを待ちわびながら、心の底では「神の沈黙」に対して怒っていたのではないでしょうか。イエスはその不満と怒りをその身に受けたとも言えます。

そして、ここではルカに記された強盗の悔い改めの代わりに、「イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった」(15:32)という点に焦点が合わされます。イエスはすべての人の心の底にある怒りをその身に受けました。

しかも、「十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた」(15:33)のは、神の愛が、イエスが負われた罪によって遮断されたという意味に理解されます。イエスはこのとき、まさに、神と人の両者からのろわれた者となり、絶対的な孤独を味わわれたのです。

なお、神のさばきの日に、「太陽が暗くなる」と表現されることは、多くの預言書に記されていました。そして、イエスご自身も、かつて、「これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり」(マタイ24:29)と言っておられました。つまり、これは何よりも、預言が成就したという積極的な意味があります。事実、主はその直後、「地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです」(24:30)と、ご自身の栄光の復活のことを語っておられます。

つまり、「太陽が暗くなる」ことは、神のさばきのしるしであるとともに、ひとつの時代が終わり、新しい時代が始まることのしるしなのです。

今回の原発事故は、人間の傲慢に対する神のさばきだと言われることがあります。もしそうだとしても、その背後には、神のあわれみがあるのではないでしょうか。それは、神の新たな救いのご計画の始まりでもあるからです。

3.「わが神、わが神・・・」 

  イエスは孤独の極みの中で、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか・・」と叫ばれました。その響きを伝えるために、マルコはイエスが当時用いていたアラム語のままの発音を残していると言われます。

そして、何よりもこれは詩篇221節の祈りそのものです。そこには、まさにイエスが受けたあざけりの様子がそのまま記されています。イエスは、この期に及んで「どうして」と不信の気持ちを訴えているわけではなく、全世界の罪を負って、のろわれた者となりながら、なおあきらめることなく、神の救いを訴え続けています。

イエスはここで罪人の代表者であるばかりか、すべての見捨てられた気持ちを味わっている者の代表者となって叫ばれたのです。

 ところが、「エロイ、エロイ・・」という叫びは、この期に及んで、預言者エリヤを呼び求めたこととして嘲られました。イエスが救い主なら、その前にエリヤが現れはずだからです。ここには、「自分を救い主と自称している者が、今頃になってエリヤを呼ぶとは、神の救いのご計画をまったく知らない愚か者め・・・」という感じが込められています。

そばに立っていた者のひとりが、「酸いぶどう酒を・・・イエスに飲ませようとした」(15:36)のは、イエスの渇きをいやすためではなく、その反対に、イエスにたいする嘲りのしるしです。これは、ダビデが、自分が受けた嘲りを、「私が渇いたときには酢を飲ませました」(詩篇69:21)と表現していることを思い起こさせるものです。

その後、「それから、イエスは大声を上げて、息を引き取られた」と記されます。そして、このとき「神殿の幕が上から下まで真二つに裂け」ました(15:37,38)

これはイエスが全世界の罪のあがないの代価として受け入れられ、神と人とを隔てる壁が取り除けられたことを意味します。これによって神と人との和解が成立してのです。

  そして、ここに至って、「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『この方はまことに神の子であった。』と言った」というのです(15:39)。

ローマの百人隊長は多くの人々の死を見届けてきましたが、イエスの死は、いかなる人の死とも比べられない、崇高な威厳に満ちていたことを認めざるを得なかったのでしょう。イエスはご自身の死において、ご自身が神の子であることを証ししたのです。

詩篇22篇においても、「わが神、わが神・・・」と沈黙しておられる神への訴えに続いて「あなたは私に答えて下さいます」(22:21)という告白があります。イエスの叫びは、どん底でなお神に呼び求める信仰の現われだったのであり、イエスの復活こそ、それに対する神の答えでした。

不思議にもこの詩篇には、救い主がユダヤ人の王であるばかりか、すべての人間の王、代表者として、神の救いを求めて叫び、それが聞き入れられると描かれています。

  最後に、イエスの十字架の場面を遠くから見ていた女性の名が記されます。十字架の主な目撃者は女性たちでした。男性の弟子たちは、イエスが捕らえられたとき逃げてしまっていたからです。

彼らはたぶん、イエスが兵士たちと戦っていたら、自分たちもいのちをかけて戦ったのだと思います。しかし、イエスが無抵抗に捕らえられ、人々からあざけりを受けている様子に、心が萎えてしまったのではないでしょうか。その意味で、自分たちの期待が裏切られて、イエスを十字架につけろとののしった群衆とイエスの弟子たちは同じだったと言えましょう。

今回の震災の犠牲者の約五分の一は石巻市からのものです。そこに、神学校の同期の金谷政勇先生が牧会する保守バプテスト同盟いしのみなと教会があります。彼は在日韓国人としての葛藤の中で神の愛に出会い、神学校での卒論でも、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばは、何よりも在留異国人への愛として現されると論じていました。彼は阪神淡路大震災のときは被災地の真ん中の神戸で牧会をしていました。

その後、石巻に招かれ、宮城県の保守バプテスト教会同盟議長として諸教会の信頼を集めていました。隣人愛を大切にする先生は、私が本を自費出版したとき真っ先に多くの本を買って勧め、当教会の会堂献金にご協力くださいました。

彼は4月のニュースレターに次のように書いておられます。「どうしてこんなことが起きたのか…、わからないことだらけです。ただわかっていることは、父なる神がさばきのためにこのような大災害を起こされたのではないということです。これだけは確かです。被災された方々の悲しみを、主なる神が一番よく理解されているという以上に、主イエスが被災者と共に悲痛を味わっておられるということです。愛する者を失った悲しみに暮れる人々と、すべてを失って困窮し、明日が見えずにいる人々と共に、主イエスは今そこにおられ、人では負いきれない重荷を担ってくださるため、被災の地におられることを。そのため主は、御体なる教会をお用いになり、日々新たにキリストのいのちを注いでくださっているのです。被災した人々に仕えるために・・・」

その金谷先生が諸教会に出された支援物資配給の活動報告に、「私どもの教会は人数も少なく、今までの震災での活動は、私と家内、春休み中の娘たちで仕分けをしたり、支援物資を運んだりしておりました。そういう人手が足りない中で、近隣の・・・教会や東京の・・・教会が10名のボランティアを派遣してくださり、ドロ出し、廃棄処分などの奉仕に大きな協力をしてくださいました・・・」と記されていました。

ただでさえ小さな群れの中で、三家族が避難所暮らしをされ、また有力な信徒の方が別の地方に転居せざるを得なくなると、教会で奉仕ができるのは牧師の家族だけということになりかねません。それにも関わらず、近隣の教会や東京からのボランティアを受け入れ、近隣の被災地の清掃作業に黙々と協力しておられるという姿に、ただただ感動するばかりです。

金谷先生は、「主イエスが被災者と共に悲痛を味わっておられる」と書いておられますが、彼がマスクをし忘れながらも被災地のヘドロ掃除をしている姿を見たとき、そこにイエスの思いが現れていると感動しました。また、彼は、「主イエスは今そこにおられ、人では負いきれない重荷を担ってくださるため、被災の地におられる・・・」と書いておられますが、これは、負いきれない重荷を担おうとして初めてわかることではないでしょうか・・・。

この教会の多くの方々が、震災により仕事を失い、また県外退避をせざるを得なくなっています。すると、このような震災を通して、キリストの愛を伝えることができたとしても、どのようにこの教会がその地で活動を続けることができるのでしょう。このままでは、教会は牧師給を出すこともできなくなってしまいます。すると、いっしょに被災者支援をやっていたという金谷先生の可愛いお嬢さんたちは学校に通い続けることもできなくなる恐れだってあります。

正直言って、この大震災以来、心が硬くなって、悲惨な知らせを聞いても涙も出ないという感じになっていました。しかし、金谷先生の人生が身近に迫ってきたとき、毎日のように涙が出てしまいます。大震災について分析する代わりに、大震災の悲劇のために泣くことができるようになってきました。そして、イエスがこの世界の救いのために十字架にかかり、父なる神の救いを求めて祈っている姿が少し見えるようになった気がしています。

私たちはあまりにも安易に、イエスの十字架の苦しみを自分の視点から解釈してはいないでしょうか。まるで、イエスの十字架が私たちにどんな利益をもたらしたかを分析するような見方をしてはいないでしょうか。しかし、イエスの十字架の苦しみに自分の心が動かなければ、私たちは本当の意味で隣人を愛することはできません。

「主の御頭」という賛美歌は、イエスの十字架の苦しみを黙想するために作られた賛美歌です。大切なのは、目の前の問題に対処しようと動き出す前に、イエスの十字架の姿を黙想することです。そのときに、私たちの硬くなった心が動き出すことでしょう。

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2011年4月10日 (日)

ダニエル1,2章 「寄留者としてこの世に生きる」

                                                2011年4月10日

福島第一原子力発電所から約5kmの所に、東北地方の福音的な教会の中で非常に高い評価を受けていた福島第一聖書バプテスト教会があります。佐藤彰先生を中心に約50名の方が、現在、奥多摩福音の家での避難所生活をしておられます。子供たちが奥多摩の小学校に通い始め、日常生活のリズムが戻りつつあり、先日の礼拝には近郊に避難している方を含め80人近くが集まったとのことです。

ただ、先の見通しがなく、佐藤先生は自分たちの時計の秒針は3月11日午後2時46分で止まったままだと記しています。東北地方で津波に流された町でも復興の動きが急ピッチで進んでいますが、彼らには自分たちの家にも教会にも帰る目処がまったく立っていません。彼らは人の支えによってしか生きることができません。そのような中で、「ありがたい。ありがたい。」が口癖になっています。日々の食べ物、住まい、衣服のすべてが贈り物によって成り立っています。

そして、今から、2,616年前のエルサレムでその前途を有望視されていた少年が、突然、バビロン軍に連行され、文化も宗教も違う現在のイラクの地に住まわされました。ダニエルにとっても自分の時は、紀元前605年で止まったままと思えたことでしょう。しかし、自分のすべての望みが絶たれた彼に、神は最も鮮やかに、その後の世界の歴史の推移を見させてくださいました。神の支えなしに一瞬たりとも生きられないという環境の中でこそ、見せていただけるビジョンがあったのです。

1.「神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた」

「ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムに来て、これを包囲した」(1:1)とは、エルサレムが滅ぼされる約20年前の紀元前605年の第一バビロン捕囚のことを指します。このときバビロンの王はエルサレム神殿の宝物とともに、イスラエル人の王族か貴族の子の中から数人の少年を選んで連れて来させました。

そして、「その少年たちは、身に何の欠陥もなく、容姿は美しく、あらゆる知恵に秀で、知識に富み、思慮深く、王の宮廷に仕えるにふさわしい者であり、また、カルデヤ人の文学とことばとを教えるにふさわしい者であった。王は、王の食べるごちそうと王の飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当て、三年間、彼らを養育することにし、そのあとで彼らが王に仕えるようにした」(1:4、5)と記されます。

その上で、「彼らのうちには、ユダ部族のダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤがいた」(1:6)とその由緒ある名が記されます。それぞれ、「神は私のさばき主」「主はあわれみ深い」「誰が神のようであろう」「主は私の助け」という意味が込められていますが、「宦官の長は彼らにほかの名をつけ、ダニエルにはベルテシャツァル、ハナヌヤにはシャデラク、ミシャエルにはメシャク、アザルヤにはアベデ・ネゴと名をつけた」(1:7)というのです。

それぞれの意味は、「ベル神の妻、王を守りたまえ」「月の神、アクを恐れる」「誰がアクのようであろうか」「ネボ神の家臣」という偶像の神々にちなんだ名前です。

彼らにとって、これは自分のアイデンティティーを奪われる耐え難い屈辱でしたが、それを受け入れざるを得ませんでした。なぜなら、バビロンの王は、ぞれぞれの民族の誇りを捨てさせ、彼らを徹底的にバビロン文化の中に取り込もうとしていたからです。彼らは、この命令に逆らうことは許されませんでした。

しかし、そこで彼らは、自分たちの信仰を守り通すために、可能な抵抗を試み、「ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った」(1:8)というのです。レビ記には、神の民が食べてはならないものが細かく規定されていました。とくに豚肉を食べないとか、牛肉でも完全に血を抜く必要があるという規定は、異邦人とユダヤ人を明確に区別させる力を持っていました。

しかし、ここで、「王の飲むぶどう酒」までが「身を汚す」ものとして描かれているのは、レビ記に基づくものではありません。これはたぶん、王と同じ食事にあずかるということが、自分たちを異教の王の家族の一員とするという意味が込められていたからだと思われます。これは、異教徒の目から見たら、途方もない特権ですが、それがかえって、彼らを徹底的に王に依存した存在とし、自分たちがイスラエルの神の民であることを忘れさせることになります。

これは、現代的に言えば、会社という家族の一員とされ、力を持った上司の徹底的な子分とされるということに似ているかもしれません。日本の会社の家族主義は、しばしば、私たちの信仰を無力化させる方向に働きます。

そこで、「神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられ」(1:9)ました。その結果、「宦官の長」は問答無用で彼らを従わせる代わりに、自分の不安を「私は、あなたがたの食べ物と飲み物とを定めた王さまを恐れている。もし王さまが、あなたがたの顔に、あなたがたと同年輩の少年より元気がないのを見たなら、王さまはきっと私を罰するだろう」(1:10)と正直に打ち明けます。

それに対し、ダニエルは彼の立場を理解した上で、彼が受け入れることができる条件として、「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませ・・・そのようにして・・・見比べて」(1:12、13)という提案をします。

それに対し、「世話役は彼らのこの申し出を聞き入れ・・・彼らをためし」(1:14)てみました。その結果、「十日の終わりになると、彼らの顔色は・・・どの少年よりも良く、からだも肥えていた。そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした」(1:15、16)という、両方の立場が生かされる方向が見えました。

これは、日本の職場や家庭にも適用できる原則です。私たちはどこかで、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです」(ローマ13:1)という命令と、「あなたがたは、(主によって)代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません(Ⅰコリント7:23)という命令の狭間で悩むことがあります。ダニエルが異教的な名前をつけられることに服従せざるを得なかったように、私たちも、自分の大切なプライドを捨ててまで組織の命令に従わざるを得ないことがあるかもしれません。

しかし、これを以上譲ってしまうと、神との関係が壊されてしまうという限界に来る場合があります。そのとき、ダニエルの対処が参考になります。彼は、自分の信仰的な立場を優しく表現しながら、同時に、世話役が本当に恐れていることは何なのかを聞き出すことができました

これはたとえば、自分が信仰の原則を貫こうとするときに、上司や夫がどのような不安を持つのかということに配慮することを意味します。あなたの上司は多くの場合、その上の上司の評価を恐れています。中間管理職の立場は非常に微妙です。もし、あなたがその気持ちが理解できるようになったら、上司との関係はずっとスムースに行くことでしょう。

相手の立場になって考えることを大切にしてゆくと、おのずと、私たちの信仰の立場をも尊重していただける方策が見えてくるものです。人は、しばしば、恐れにとらわれて、上司にすら攻撃的な態度で自己主張することがありますが、それは長期的にはマイナスにしかなりません。ダニエルが偶像礼拝の文化の中で、しなやかに自分の信仰を守った姿に習いたいものです。

そして、ダニエルはこの宦官の長の顔を立てることができました。その様子が、「神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた・・・王が彼らに尋ねてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっているということがわかった」(1:17-20)と描かれます。

ダニエルたちは、自分たちの神への忠誠を保ちながら、異教の文学や知恵を徹底的に学びました。異教の文化を学ぶことは決して、私たちの信仰の障害にはなりません。ほとんどの場合、かえって聖書の教えのすばらしさに目が開かれる結果になります。

たとえば、私の生家は浄土真宗で、大学時代は親鸞の教えに親しみを覚えましたが、それはイエスを救い主として信じるための導入となりました。また、神学校時代には古事記を学びましたが、それによって創世記の記事のすばらしさにかえって目が開かれました。

私たちは、日本人の心の奥底に根付いている文化を学ぶ必要があります。それを軽蔑するのではなく、理解できるなら、異教を信じる日本人との協力関係がうまく行くようになります。

2.「彼らはこの秘密について、天の神のあわれみを請い・・・」

 「ネブカデネザルの治世の第二年に、ネブカデネザルは、幾つかの夢を見、そのために心が騒ぎ、眠れなかった。そこで王は、呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人を呼び寄せて、王のためにその夢を解き明かすように命じた」(2:1、2)とありますが、当時は、王が見る夢は、その国の行く末に決定的な意味を持つことがありました。

しかも、ネブカデネザルの治世の第二年をどのように計算するかは様々な可能性がありますが、これはまだ、ダニエルたちが三年間の訓練期間が終わってない時期だと思われます。

ですから、ここでダニエルたちはまだ王の前に呼ばれてはいません。王はカルデヤ人の学者たちに夢の解き明かしを命じます。そこで彼らの会話が2章4節から始まりますが、ここから7章の終わりまではヘブル語ではなく、当時の国際語のアラム語で記されています。

彼らは、「王よ。永遠に生きられますように。どうぞその夢をしもべたちにお話しください。そうすれば、私たちはその解き明かしをいたしましょう」(2:4)と言います。それに対し王は、まず、彼の見た夢が何であるかを知らせるようにという無理難題を押し付けます。それは、王が自分の見た夢を忘れてしまったのか、それとも、呪法師、呪文師たちが、王の気に入るような解釈を適当に言うことを懸念したからなのかはわかりません。

とにかく、王は、この夢が自分の気に入るようにではなく、正確に解釈される必要があるという切迫感を感じていました。それでまず、夢が何かを告げることができなければ彼らの「手足を切り離させ・・・家を滅ぼしてごみの山とする」(2:5)と宣言したのです。

 それに対し、「カルデヤ人たちは王の前に」出ながら、「この地上には、王の言われることを示すことのできる者はひとりもありません・・・肉なる者とその住まいを共にされない神々以外には、それを王の前に示すことのできる者はいません」と必死に訴えます(2:10、11)。彼らの言い分はもっともであり、それによって、この夢の解き明かしは真の神によってしかできないことが明らかになります。

それに対し、「王は怒り、大いにたけり狂い、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じた」(2:12)というのです。王の怒りは不合理とも思えますが、王はこれを国家の存亡がかかっているととらえ、この緊急のときに自分の身を守るための弁明ばかりをする御用学者などは百害あって一理なしと思えたのでしょう。王の懸念ももっともで、彼らの心の奥底の自己保身の動機を見抜いていたと言えましょう。

  ただ、「この命令が発せられたので、知者たちは殺されることになった。また人々はダニエルとその同僚をも捜して殺そうとした」(2:13)という不条理なことが起きようとしていました。ダニエルはまだ独立した学者と見られていなかったので、先輩の学者たちとともに殺されそうになったのでしょう。

これに対し、「そのとき、ダニエルは、バビロンの知者たちを殺すために出て来た王の侍従長アルヨクに、知恵と思慮とをもって応待した」(2:14)と記されます。自分の身に危険が及んでいるときにも、何よりも大切なのは、悪い知らせ自体に反応する前に、それを知らせた人の身になって問いかけるということです。

ダニエルは、王も、王の侍従長も批判することにならないように配慮しつつ、冷静に、「どうしてそんなにきびしい命令が王から出たのでしょうか」(2:15)と尋ねます。

ことの次第を聞いたダニエルは、大胆にも、直接に、「王のところに行き、王にその解き明かしをするため、しばらくの時を与えてくれるように願」います(2:16)。彼が自分の身の安全ではなく、真に王の夢を解き明かそうといのちをかけていることは、取り次いだ侍従長にも、王自身にも通じました。自分の命を捨てる覚悟を持った人の思いは、人の心に届くからです。

 その後、「ダニエルは自分の家に帰り、彼の同僚のハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせ」(2:17)ます。問題を共有し、信仰の友とともに祈るためです。

そして、「彼らはこの秘密について、天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚が他のバビロンの知者たちとともに滅ぼされることのないようにと願った」のですが、「そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに啓示され」(2:19)ます。それに対し、「ダニエルは天の神をほめたたえ」ますが、これを通して、この夢が解き明かされるのは、徹底的に神のあわれみによるということが明確にされます。

彼は、「知恵と力は神のものと告白し、「神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自身に光を宿す」と神の知恵と力をたたえながら、その上で、「あなたは私に知恵と力とを賜いと感謝をささげています。

私たちも何かの洞察が与えられたとき、同じように神をたたえるべきではないでしょうか。

 それからダニエルは、「アルヨクのもとに行き」、まず、「バビロンの知者たちを滅ぼしてはなりません」と最初に言います。彼は何と、自分の競争相手になり得る異教の学者の身の安全を第一に求めます。

その上で、「私を王の前に連れて行ってください。私が王に解き明かしを示します」彼の立場をわきまえた言い方をします(2:24)。

そしてアルヨクも、「ユダからの捕虜の中に、王に解き明かしのできるひとりの男を見つけました」(2:25)と、ダニエルの知恵に信頼しながら、同時に、そこに彼を見出した自分の功績もやんわりとアピールすることができました。

   ダニエルは王に向かって、夢の解き明かしは、自分の知恵ではなく、すべてがイスラエルの神のみわざであるということを何よりも強調しながら、「王が求められる秘密は、知者、呪文師、呪法師、星占いも王に示すことはできません。しかし、天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです」(2:27、28)と述べます。

しかも、ダニエルは、「王さま。あなたは寝床で、この後、何が起こるのかと思い巡らされましたが」と言いながら、この夢は、王自身の問いかけから始まっていることを強調します。これは、まさに王の心に寄り添った言い方ですが、それによってかえって、「秘密をあらわされる方が、後に起こることをあなたにお示しになったのです」という神の圧倒的なみわざに目が向けられ、「この秘密が私にあらわされたのは、ほかのどの人よりも私に知恵があるからではなく、その解き明かしが王に知らされることによって、あなたの心の思いをあなたがお知りになるためです」と、すべてが王の必要に答えるためであると、控えめな言い方をします。

3.「一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いた」

  いよいよ夢の内容が、「王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。

その像は、頭は純金胸と両腕とは銀腹とももとは青銅、すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました」(2:31-35)と正確に描写されます。

 そして、その解き明かしが、2章37-45節に記されますが、その書き出しは、「天の神はあなたに国と権威と力と光栄とを賜い、また人の子ら、野の獣、空の鳥がどこに住んでいても、これをことごとく治めるようにあなたの手に与えられました。あなたはあの金の頭です」というものです。つまり、ネブカデネザルは自分の知恵と力によって世界の支配者になったのではなく、すべてが「天の神」からの賜物であるというのです。

その上で、四つの王国の現れのことが鮮やかに啓示されます。しばしば、これらの王国が何を指すかばかりが注目されます。一般的な解釈は、第一の王国がバビロン帝国、第二の王国がペルシャ帝国、第三の王国がアレキサンダー大王によって建てられたギリシャ帝国、第四の王国がローマ帝国であり、その時代に救い主が現れるというもので、そのように説明されると七章の四頭の獣のまぼろしと一致して、その後の世界の歴史が見事に預言されたものとして大きな感動を呼びます。

ただし、それによって夢の中心テーマが見失われてはなりません。ここには、バビロンがペルシャに滅ぼされ、ペルシャがギリシャに滅ぼされ、ギリシャがローマに滅ぼされるという王国の興亡が描かれているのではなく、四つの国すべてが、ひとつの石によって、打ち砕かれると記されています。

事実、夢では「一つの石が人手によらずに切り出され・・・鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕け」(2:34,35)と記され、その解き明かしでも、「一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いた」(2:45)と強調されています。

  しかも、この夢は、ネブカデネザルが、「この後、何が起こるのかと思い巡らした」ことに対する神からの啓示として示されているのです。しかし、この王がなぜ、ギリシャ帝国やローマ帝国の様子を知る必要があるというのでしょう。彼が知る必要のあるのは、自分の国を滅ぼすペルシャ帝国のことで十分ではないでしょうか。

しかし、この夢ではどこにも、バビロン帝国を滅ぼす国が現れるとは記されず、ただ、「あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります」(2:39)と言われているに過ぎないのです。決して、自然淘汰のように、次から次と、より優れた国が現れて、劣った国を滅ぼしてゆくというようには描かれていません。それどころか、ここでは、歴史の流れとともに、金、銀、青銅、鉄、粘土と価値が劣ってゆくと描かれています。

ところで、第四の王国は、鉄と粘土が人間の種によって交じり合うと記されていますが(2:41-43)、これはローマ帝国が様々な異なった文化を持つ国々をまとめることで未曾有の世界帝国となることを指しています。それは現代の多国籍企業の原点であり、人間の知恵による組織化の成功の模範のようなものです。しかし、「鉄と粘土が交じり合わないように」(2:43)、その結束力は弱く、それは「一つの石」によって簡単に崩されます

それに対して、「一つの石」から始まるキリストの王国は、鉄の強さによってではなく、ひとりひとりの心のうちに働く御霊の力によって、地道な愛の交わりを作り出し、世界に広がってゆくというのです。

  つまり、ネブカデネザルにこの夢が示されたのは、彼が恐れるべきは、より強い国、より優秀な指導者が現れることではなく、すべてを一度に滅ぼすことができる、「一つの石」であるということなのです。これは神がご自身の民、イスラエルのために遣わす救い主を指しています。

多くの人々は、自分の競争者の台頭を恐れています。自分の仕事がより優秀な人によって奪われることを恐れています。しかし、歴史は決して、優秀な者が劣った者を淘汰するという流れでは進むわけではありません

私たちが真に恐れるべき方は、すべての王国、すべての人を支配する「天の神」であり、私たちが望みをおくべきなのは、目に見える地上の王国ではなく、一つの石」から生まれる永遠の国のことなのです。それは私たちにとってはイエス・キリストご自身が王として支配される「神の国」のことです。

  この後、「ネブカデネザル王はひれ伏してダニエルに礼をし」「まことにあなたの神は、神々の神、王たちの主、また秘密をあらわす方だ」と、ダニエルの神こそ真の神であると認めます(2:46、47)。そして、「王は、ダニエルを高い位につけ、彼に多くのすばらしい贈り物を与えて、彼にバビロン全州を治めさせ、また、バビロンのすべての知者たちをつかさどる長官とした。王は、ダニエルの願いによって、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに、バビロン州の事務をつかさどらせた」(2:48、49)という驚くべき展開が見られます。

これは、ヨセフ物語よりはるかにスケールが大きなものです。なぜなら、この直後エルサレムを滅ぼすのがネブカデネザル王であり、彼を支える知者たちを治めていたのは、エルサレムの貴族の息子たちだというのですから。

つまり、エルサレムを滅ぼすのは、ネブカデネザル王である前に、「王を廃し、王を立て、知者には知恵を・・授けられる」天の神ご自身であるということなのです。

  私たちはこの世の出来事をあまりにも人間的な観点から見てはいないでしょうか。私たちが唯一恐れるべき方は、「天の神」です。その天の神こそが、この世のすべてを、また、この地の動き自体を支配しておられるのです。

私たちは、しばしば、「なぜ、このような悲惨な地震が起き、猛烈な津波が起きたのか・・・」と疑問を持ちます。しかし、それ以前に、私たちは、「なぜ、地球の自転が一定速度で保たれ、水と空気が与えられ、四季の繰り返しがあり、大隕石も落ちてこず、洪水が日本を飲み込むことがないのか・・・」と問いかけるべきではないでしょうか。

停電になって電気のありがたさが改めてわかるように、私たちは大災害にあって始めて、この地球を創造し守っておられる神の恵みに気がつくのではないでしょうか。

すべては当たり前ではないのです。というより、当たり前のことがどれだけの大きな恵みなのかを忘れてはいけません。人間の知恵と力がこの世界を保っているというわけではないのです。

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2011年4月 3日 (日)

マルコ2章13-22節「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」

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  19239月に14万人の命を奪った関東大震災が起きました。それは第一次大戦に伴う好景気の反動から激しい不況に突入し財政赤字が膨れ上がっていた当時の日本経済をますます混乱に陥れ、四年後には金融恐慌、また、その四年後には満州事変と、日本の破局へのきっかけとなりました。それは、新しい状況に対応した財政運営ができなかったからです。

しかし、一方で、岩手県出身の医者で東京市長の任期を終えたばかりの後藤新平氏は、内務大臣として関東大震災からの帝都復興計画を大臣として主導し、当時としてはだれも思いつかないような幅の広い道路と緑地帯、中央から放射線状に延びる幹線道路と同心円的に重ねた環状道路によって東京都心部の骨格を作り上げました。

惜しいことに、予算不足のため道路の幅も緑地帯も大幅に縮小されましたが、今もその先見の明により多くの東京都民から尊敬されています。

残念ながら、人間は、大きな苦しみを体験しない限り、生き方を変えるという決断ができません。今回の東日本大震災を、日本の変化のきっかけとできるかどうか、それが今、問われています。その際、私たちは守るべき伝統と、「新しい皮袋」の区別をしてゆくことが大切でしょう。

1.取税人に向かって「わたしについて来なさい」ということの革命的な意味

「イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって・・」(2:13、14)とありますが、アルパヨの子レビとは福音記者マタイのことです。彼は取税人で、集めていたのは通関税だと思われます。

舞台はガリラヤ湖畔西北部の町でイエスの宿舎があったカペナウムです。その町はエジプト、シリア、イスラエル、ギリシャを結ぶ交通の要衝の地で、多くの税金取立人が商品の運搬にかける通関税を集めていました。

当時の税金集めは請負制で、日ごろローマ政府に代わって税金を集め、年に何回かに分けてローマ総督府に税金を納めていました。取税人の収入は、現在の税務署の役員のように固定給があるわけではなく、集めた額と納めた額の差額から生まれました。そのため、彼らはローマ帝国の権威を傘に着て、かなり乱暴に税を取り立てていました。

そんなわけで、この仕事は、通常の感覚の人間にはできないことでした。たぶん、「人の愛など、信頼することはできない。どんなきれいごとを言ったって、お金こそが幸せの鍵なんだ・・」など自分に言い聞かせながら、心を鬼にして働いていたことでしょう。

そればかりか、多くのユダヤ人はローマ帝国からの独立を望んでいましたから、取税人はユダヤ人から特別に嫌われ、宗教指導者が彼らと口をきくことは決してありませんでした。また、彼らはユダヤ人の会堂でみんなといっしょに礼拝をすることもできませんでした取税人とは罪人の代名詞的存在で、売春婦や強盗と同じレベルで見られ、彼らに娘を嫁がせることは野獣に娘を与えることだと言われました。

ところが、イエスは取税所で働いている最中のマタイをご覧になって、何と、「わたしについて来なさい」と言われました。これはイエスが、ペテロやヨハネを漁の仕事の真っ最中に呼びかけたのとまったく同じパターンです。それにしても、取税人を弟子として招くなどということは、当時の人々には奇想天外なことでした。

このイエスの招きに対して、「すると彼は立ち上がって従った」と記されていますが、マタイの信仰は記されていません。ペテロやヨハネを招いた際も、彼らの信仰以前に、イエスのことばの権威が彼らを従えたと言いましたが、ここでも同じです。イエスのことばには王としての権威がありますから、彼は従わざるを得なかったのです。

2.「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」

 「それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた」(2:15)とありますが、イエスはマタイを弟子にしたばかりか、すぐに彼の家に行って食卓に着きました。

当時の感覚からしたら、マタイのような取税人がイエスのように人々からあがめられている人を自分の家に招くなどということはとんでもない失礼ないことです。ですから、これはイエスご自身がそれを望まない限り決して実現できないことでした。

イエスがマタイの客になってくださったことは、彼にとっては天にも昇る気持ちだったことでしょう。なお、マタイはユダヤ人から人間とは見られていませんから、彼が家に招くことができるのは同じような取税人を初めとする社会の落ちこぼれ、またははみ出し者ばかりだったことでしょう。

しかも、興味深いのは、そこになお、「こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである」と記されています。つまり、マタイが自分の仲間を集めたというばかりでなく、イエスに付き従ってきた人々自体が、マタイやその友人の取税人と変わりはしない社会のはみ出し者であったというのです。

聖さ」の中には、汚れとの断絶という意味もありますから、イエスの行為は当時の「聖さ」の観念を揺るがす一大事であったのです。

パリサイ人はそれに驚き、イエスの弟子たちに向かって、「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか・・・」と質問しましたが、これは当時としては当然の疑問です。イエスはある意味で、律法の教師として神のみこころを教えていたのですから、これは明確なルール違反と思われました。これは、警察官とやくざがいっしょに食事をすることなど比較にならないほどにありえないことでした。

彼らの見方からしたら、取税人はまず、自分の財産すべてを貧しい人に分け与え、悔い改めの明確な実を結んではじめて仲間に入れることができるはずなのです。

まだ取税人をなりわいとしている人と食事をするなどということは、彼らの職業を是認したことになり、社会の道徳秩序を根底から揺るがす一大事と思われたのでしょうが、それは極めて自然な感覚でした。

 ところが、そのとき、「イエスはこれを聞いて、彼らに」、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」と言われます(2:17)。これは現代も多くの人々をイエスのもとに招く感動的なみことばです。

ただし、これはイエスが当時の宗教指導者を「丈夫な者」とか「正しい人」と見ていたというわけではなく、彼ら自身が自分たちを「丈夫な者」「正しい人」と自負していたことへの皮肉です。

彼らは自分が健康で正しいと思うから自分たちのためには救い主を必要としていませんでした。それに対して、取税人や罪人たちは、自分たちが病んでおり、汚れているということを自覚していました。彼らはイエスの救いを切実に求めていました。イエスは誰もよりも、そのような渇きを持っている人をご自身のみもとに集めたのです。

  日本ではしばしば、「敬虔なクリスチャン」とは、この世の基準よりもはるかに高い道徳基準を守る人であるかのように見られますが、クリスチャンであるとは、立派な行いができるということ以前に自分が病んでおり、罪びとの頭であることを自覚している人に他ならないのです。

人々に信頼していただけることはすばらしいことですが、決して、人の期待に沿った生き方ができることが信仰者であるなどと誤解しないでください

人から、「あなたは、なぜ教会に行くのですか・・・」と聞かれたら、「私の心はとっても貧しく、病んでいるので、イエス様なしには生きてゆけないのです。私は自分の心の醜さや弱さを知っているからこそ、イエスの十字架にすがっているのです・・・」と言うのが、聖書的な答えです。

決して、「教会に行ったら、私のように元気に、堂々と、すべてがうまく行く人生を歩むことができます・・・」などと自慢しないでください。それはあなたを息苦しくするだけです。キリストがあなたのうちにおられることのすばらしさは、おのずと明らかになることであって、決して、ことばで宣伝すべきことではありません。

3.「あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか」

 「ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた」(2:18)とありますが、当時の宗教的に熱心な人々は、週に二度、昼の間、何も食べませんでした。そして、バプテスマのヨハネの弟子たちも、ヨハネに習って極めて質素に、この世の富から無縁な生活をしていました。

ヨハネはイエスを救い主として認めていましたから、彼の弟子たちもイエスのもとに来ましたが、イエスの生活のスタイルやイエスに従う者たちの質の悪さに唖然として、イエスが救い主であることを信じられなくなったのかもしれません

それで、その疑問をイエスに向かって、率直にぶつけながら、「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか」と尋ねたのだと思われます。

なお、ルカによる福音書での並行箇所では、当時の宗教指導者たちは、イエスご自身を指して、「あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み」と非難していたと記されています(ルカ7:34)。

 それに対してイエスは、「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。しかし、花婿が彼らから取り去られる時が来ます。その日には断食します」(2:19、20)と言われました。

「花婿」とはイエスご自身のことで、「付き添う友だち」とは弟子たちのことです。ヨハネの弟子たちは、救い主の到来を待ち望むという意味で断食していました。それなにに、救い主が来てもなお断食するなどというのは、何を待ち望んでいたのかが分からなくなります

詩篇118:24には、「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう」と記されていますが、このときのイエスの弟子たちは、預言された神の国の到来を喜ぶべきだったのです。次から次と、病んでいる人が癒され、人々が悪霊の支配から解放されているのに、ヨハネの弟子たちを気遣って、また、当時の社会の雰囲気に合わせるように、すべてを自粛するというのは本末転倒です。

現在の日本には、被災地の方々の苦しみを思うあまり、みなそろって楽しい計画を自粛しようという動きがありますが、それは本末転倒です。東日本大震災が示していることの中心は、私たちの生活の土台がいかに脆いものかという現実です。今回、災害を免れた人も、明日はわが身です。

私たちの人生にも、断食して涙を流さざるを得ないときが、必ず来るのです。そのときは、楽しい思い出をより多く持っている人こそが、困難に向かう力を発揮することができます。日ごろから喜びを自粛し、主にあって喜ぶことができていない人は、困難の中で、主がともにいてくださるという安心感を持つこともできません。

4.「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」

  イエスはその上で、「だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります」(2:21)と言われましたが、「真新しい布切れ」とは、厳密には、「まだ使ったことのない」と訳すことができる言葉で、決して、新しい布切れを無駄にしてはならないという意味の戒めではありません。

当時は、衣服にほころびができるたびに、それを修繕して使い続けました。そして、ときに愛着の衣服があることでしょうが、それを長持ちさせたいと思うあまり、使ったことのない布切れで継ぎ当てをすると、布の収縮度が違うので、かえって古いものを引き裂くことになってしまうというのです。「もったいない・・・」という気持ちが仇になることがあるという例です。

「また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです」(2:22)とありますが、ここでの「新しい(ネオス)とは、「若い」と訳した方が良いことばです。

ルカ5章39節では、「だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物は良い』というのです」と記されているように、古いぶどう酒の方が良いに決まっているのです。

したがって、「新しいぶどう酒」を、イエスの教えに当てはめると、イエスの教えはまだ未熟なものというまったく失礼な解釈になってしまうのではないでしょうか。

イスラエルの地は雨が少なく、飲み物は貴重でしたが、ぶどう果汁はすぐに酸化してしまいます。それで保存の効く飲み物としてワインが珍重されたのです。現在のようにぶどうジュースとして保管することは無理だったのです。それで、しぼりたてのぶどう果汁を、外気に直接に触れさせないように子やぎの皮に入れました。

ぶどう果汁はすぐに発酵を始め二酸化炭素を放出しますから伸縮力のある子やぎの皮でなければすぐに破けてしまいます。そのことが、「新しい(ネオス)ぶどう酒」は、「新しい(カイノス)皮袋」にと記されます。この際、ネオスは時間的な新しさ、カイノスは質的な新しさを示すまったく別のギリシャ語が用いられています。

このようにして、若いぶどう酒は、保存しながら発酵させました。皮袋を通して皮膚呼吸のようなことがなされるためです。したがって、中身が途中で入れ替えられることはなく、ぶどう酒は皮袋の古さに比例しておいしくなりました。贈り物をするときには、保存していた皮袋とともに贈りました。目に見えることとしては、古い皮袋は、中身の熟成度のシンボルになりましたが、決して、古い皮袋自体に価値があるわけではありません

しかし、古い皮袋自体にも愛着が沸くというのは人情で、古い皮袋を大切に用いたいという思いも湧き上がります。しかし、それに若い」ぶどう酒を入れると、発酵力が強いために、すでに老朽化した皮袋自体を破ってしまい、ぶどう酒も皮袋も駄目になってしまいます。

古い皮袋は、ワインを飲んだ後は、水を持ち運ぶために用いられました。用途が変えられる必要があったのです。

これは文脈からすると、明らかに、「新しいぶどう酒」とは、イエスの弟子たちを指します。そして、古い皮袋とは、律法から生まれた様々な生活規範です。たとえば、週に二回の断食という決まりは、聖書のどこにも規定されていませんが、それは当時の律法の解釈から、それが絶対であるかのように一人歩きしていました。

しかし、イエスに従った貧しい人々は、週に二回も断食したら、仕事に支障が生まれます。また、パリサイ人が守ってきたような様々な細かい生活規定を漁師や取税人に守らせること自体に無理があります

今も、たとえば、海外からの帰国者クリスチャンや十代後半で初めて教会にくるようになったような若者たちが、古い教会の賛美歌や礼拝式になじむことができずに葛藤を味わうということがあります。そのようなときに生きていくるのが、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」という教えです。

「新しい皮袋」とは、新しい教会文化というようなものです。私たちは絶対ゆずってはならない伝統と、時代とともに変わってゆくのが当然とも思える礼拝スタイルや生活規範を見分ける必要があります。

それにしても、「古い皮袋」「古い着物」も、それに慣れ親しんでいる人は捨て難いもの、信仰生活の核心とさえ思えることでしょう。しかし、イエスの目には、断食規定を初めとする様々な生活規範は、聖書の教えの適用例に過ぎず、絶対化する必要のないものと見えていました。

しかし、伝統に固執する人は、「新しいぶどう酒」であるイエスの弟子たちを、古い皮袋の中に収めようとしていました。そうすることは、かえって、それらが新しい人の信仰の成長を阻むばかりか、それによって、新しい信仰者も古い伝統も両方とも損なってしまうというのです。

私たちの救いは、今まで積み上げてきた努力や功績に無関係に得られるものです。それは過去の労苦を誇るものにはかえって躓きになり、この世で成功を収めている人ほど転換が難しくなります。私などは大した成功も修めてはいませんでしたが、それでも、牧師になろうとするときに、それまでの学びや訓練を思いながら、「これまでやってきたことは何だったのか・・・」と葛藤を覚えました。しかし、自分の守り続けたものに固執すればするほど、イエスの恵みの新しさが見えなくなるのです。

イエスはあらゆる人間的な努力で手に入るものを超えたものを与えてくださいます。しかも、過去に自分が積み上げてきたものを、新しい恵みを受け止めるために一度まったく捨ててしまい、それへの未練がなくなった頃に、不思議に別の形で用いられるということがあります。それは、古い皮袋を水を持ち運ぶために用いるようなものです。

あなたにとっての古い皮袋とか古い着物とはなんでしょうか・・・。

多くの日本人は、毎週教会に通うような人を、「敬虔なクリスチャン」と呼んでくださいます。そこには道徳的な生き方をする人という尊敬が込められている面があります。それは先輩たちが残してくれたすばらしい遺産です。

しかし、その呼び名が、しばしば、時代の変化に適用できない、融通の利かない、活力のない人間というイメージと合わさってしまうことがあるとすると、それこそ残念です。

イエスの弟子たちは当時の枠からはみ出たような人たちでした。それは若いぶどう酒が勢いよく発酵を続け、新しい皮袋を膨らませることに似ています。そして、イエスの築いた教会は、そのような活力あふれるエネルギーを生かすことができた交わりでした。

今回の大震災を、新しい活力を復興させるための神からのチャレンジと受け止められるなら幸いです。それは新しい発電技術の革命の機会かもしれません。残念ながら、新しいいのち、新しい生き方は、悲劇を通らないと生まれてきません。

安泰な時代は、人々の目が、「古い皮袋」を守る方向に向けられます。そのような時代には、「新しいぶどう酒」が育ってゆくための「新しい皮袋」に目が向かいません。

すべての悲劇には、常に、二重の側面があります。これが、日本の教会が新しくされる契機とされることを神は望んでおられるのではないでしょうか。

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