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2011年9月25日 (日)

マルコ6章14-29節 「権力の罠の中で神の前にひとりで立つ」

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 韓国ドラマでは、朝鮮王朝の歴史物語が多くの人気を博していますが、王宮の中での権力闘争や怨念の連鎖を見るときに、「王族に生まれるのも大変だな・・」と思わされます。しかし、そのようなどろどろとした世界は、神の民であったはずのユダヤ人の歴史に中にも見られました。

人はひとりでは何もできないひ弱な存在なので、いつも何らかの組織を作りますが、そこには権力闘争が必然的に生まれます。自分の理想を実現するためには権力を握るしかないからです。しかし、やがて権力自体が人間の良心を麻痺させて行きます。誠実に生きなくても、力によって望む結果を生み出すことができるからです。

しかし、信仰者はみな、ひとりで神の前に立つということを知っている者です。天の真の権力者を知ることによってのみ、私たちは権力の罠から自由になることができます。

1.イエスからさえも、「あの狐」と呼ばれたヘロデ

「イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った」(6:14)とありますが、このヘロデとは、ヘロデ大王の息子、ヘロデ・アンティパスのことです。彼はガリラヤとヨルダン川東岸のペレヤ地方の国主でしたが、イエスから、「あの狐」(ルカ13:32)と呼ばれるほどずる賢い人間でした。

イエスは、パリサイ人から「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています」と警告を受けたとき、イエスは、「行って、あの狐にこう言いなさい」と言いつつ、ご自身はどのような攻撃や脅しを受けようとも神の御旨を成し遂げ続けるということを、ヘロデに伝えさせようとしました。それは、人の顔色を見てばかりいてその行動に何の真実も見られないヘロデの生き方とは対照的でした。

それにしても、ヘロデは「狐」のように生きていなければ、40年余りにもわたって自分の王座を守り通すことはできなかったことでしょう。彼の父ヘロデ大王はイエスの誕生に際してベツレヘムの二歳以下の男の子を皆殺しにしたほど残虐な王ですが、大王はその前に嫉妬に狂って自分の最愛の妻マリアンメを殺し、続けてその二人の息子も自分の命を狙っていると信じて殺し、自分の死の直前には長男をも殺しました。それで、「ヘロデの息子であるよりはヘロデの豚である方が安全だ」という陰口を叩かれました。それに加えて、当時のユダヤの支配権は、ローマ皇帝から委任されているもので、皇帝の思いひとつで支配権はすぐに奪われる可能性がありました。そのような中で彼が生き残ることができたのは、「狐」のような用心深さを持っていたからだと思われます。

当時の人々の中には、イエスに関して、「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が、彼のうちに働いているのだ」と言う者たちがいました。これはヨハネが人々の信頼を集めながら、ヘロデによってあまりにも無残な死を遂げたことによります。またイエスのことを「エリヤだ」と言う者たちがいたのは、預言者エリヤが地上での死を見ることなく火の戦車とともに天に引き上げられ、マラキ書の終わりでは世の終わりのさばきに先立って再び神から遣わされると預言されていたからです。なお、イエスはバプテスマのヨハネこそ、「きたるべきエリヤなのです」(マタイ11:14)、また、「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした」(マタイ11:11)と言っておられました。

なお、ここでイエスのことを、「昔の預言者の中のひとりのような預言者だ」と言っていた人もいたと記されていますが、それこそ人間的には最も自然な解釈と言えましょう。ところが、そのような解釈がある中で、「ヘロデはうわさを聞いて」、不思議なことに、「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ」と言っていたというのです(6:16)。これはどう考えても迷信的な発想だと言えましょうが、それほどに彼はヨハネを殺したことを後悔しながら不安に襲われていたということを表しているのではないでしょうか。

そして、そのようになった背景が、「実は、このヘロデが、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、──ヘロデはこの女を妻としていた──人をやってヨハネを捕らえ、牢につないだのであった。これは、ヨハネがヘロデに、『あなたが兄弟の妻を自分のものとしていることは不法です』と言い張ったからである」(6:17、18)と記されます。

ヨハネがヘロデを非難したのは、レビ記20章21節に「人が自分の兄弟の妻をめとるなら、それは忌まわしいことだ。彼はその兄弟をはずかしめた」と記されていることに由来します。しかし、そこには、「彼は律法に逆らって自分の兄弟の妻を奪ってしまった」というひと言では済ますことのできない、恐ろしくどろどろとしたドラマがありました。

その少し後の時代にヨセフスが記したユダヤ古代誌を参考にすると以下のような経緯が見えてきます。ヘロデはローマ皇帝の勧めに従って隣国のアラビヤ王アレタスの娘を妻としていましたが、あるときローマに行く途中に腹違いの兄弟ピリポのもとを訪ね、そこでピリポの妻ヘロデヤと恋に落ちます。

ヘロデヤはヘロデがアレタスの娘を追い出すことを条件に、自分もピリポとの間に生まれた娘サロメを引き連れて夫を離縁し、彼と再婚することを約束します。ヘロデはヘロデヤの言うとおりにアレタスの娘を離縁しようとしますが、それを察した彼女は先手を打って彼のもとから逃げ出し、父であるアラビヤ王アレタスにヘロデの非道さを訴えます。それが原因で、後にヘロデはアレタスから攻撃を受け、散々な敗北を喫しますが、ローマ皇帝にうまく取り入って助けてもらい、どうにか危機を乗り越えます。

一方、ヘロデヤも、妻でありながら、夫を捨てることができたのは、自分の血筋を誇っていたからだと思われます。彼女はヘロデ大王の孫娘でしたが、それ以上にヘロデ大王が愛しながら嫉妬で殺害したマリアンメの孫娘でした。そして、マリアンメこそは、ヘロデ大王の陰謀で滅ぼされた正当なユダヤ王家の血を受け継いでいると自負し、夫のヘロデ大王を軽蔑していた女性でした。そしてマリアンメの息子でヘロデ大王に殺害されたアリストブロスからヘロデヤが生まれています。

まさにヘロデヤは高貴な血筋というよりは、怨念を受け継ぎながら育ち、当時の権力者ヘロデ・アンティパスとの再婚によって自分の道を開こうとしていた情熱的な女性でした。

それを背景に、「ところが、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた」(6:19)という記事を読むと、ヘロデヤという特異な女性の恨みを買うことの意味や、その恐怖が伝わってきます。

一方、ヘロデは「ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていた」ばかりか、「ヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも喜んで耳を傾けていた」というのです(6:20)。ここに彼の臆病で歪んだ性格が現れています。彼は真っ向から自分の再婚を非難するヨハネを放置しておくことはできずに投獄していましたが、同時に、「正しく聖なる人」に危害を加えては罰が当たると恐れていました。そればかりか、ヨハネが当時の人々から賞賛されている様子を見て、彼の教えを聞きたいとも思っていました。

彼は恐れと好奇心に動かされた極めて臆病な人間であり、ヨハネの話を聞いたとしても、自分の生き方を反省しようなどという気持ちはまったくありませんでした。

この行動パターンはイエスが、後に捕らえられ、ローマ総督ピラトのもとから一時的にヘロデのもとに送られてきたときのものと似ています。そのときの様子が、「ヘロデはイエスを見ると非常に喜んだ。ずっと前からイエスのことを聞いていたので、イエスに会いたいと思っていたし、イエスの行う何かの奇蹟を見たいと考えていたからである」(ルカ23:8)と描かれています。

しかし、そのときイエスはヘロデから何を聞かれてもお答えになりませんでした。それは彼が単に好奇心に駆られているだけで真理を求めようとしていないということがイエスには見えていたからです。ヘロデはこの態度に腹を立てたのか、その後態度を一変させ、「自分の兵士たちといっしょにイエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、はでな衣を着せて、ピラトに送り返し」ました(同23:11)。

ヘロデはまさに、何の信念もない、薄っぺらな軽蔑すべき人間の代表者でした。イエスは確かにひとりひとりに誠実に向き合ってくださる方ですが、聞く耳をまったく持とうともしない人の前では沈黙を守り、過ぎ去って行かれることがあったのです。

2.「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきとうございます」

ところがここで、「ヘロデヤ」にとって「良い機会が訪れた」というのです(6:21)。「ヘロデがその誕生日に、重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人などを招いて、祝宴を設けたとき、ヘロデヤの娘が入って来て、踊りを踊ったので、ヘロデも列席の人々も喜んだ」のですが、その際、王は、この少女に、「何でもほしい物を言いなさい。与えよう」と言ったばかりか、愚かにも、「おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう」と言って、「誓った」というのです(6:21-23)。

ヘロデは、ローマ皇帝のご機嫌を取り、へつらいながら、ようやく自分の支配地を与えられているに過ぎません。彼はまだ領主ではあっても、正式な「王」としての任命も受けていない不安定な立場にあったのです。しかし、しばしば、そのような不安の中に生きる人こそ、人々の前で虚勢を張り、自分の権力を必要以上に誇示したくなるものです。

威張りたがる人に限って、心の奥底にはとてつもない不安を抱えています。反対に、人の前でへりくだることができるのは、心に安心感を持っている人です。キリストが徹底的に謙遜になることができたのは、彼が真の王であったからです。ヘロデは偽者の王だからこそ、威張る必要があったのです。

ここで、悲劇が起きます。「そこで少女は出て行って」、その母親であるヘロデヤに向かって「何を願いましょうか」と尋ねましたが、ヘロデヤは、何と、「バプテスマのヨハネの首」と言いました。たぶん、自分の血筋を誇っているヘロデヤは落ち着き払って、何でもないことのようにこの残酷なことを願ったことでしょう。

そればかりか、この少女も、すぐに、大急ぎで王の前に行き」、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきとうございます」と言って頼んだというのです。ここでは、「すぐに、大急ぎで・・今すぐに」と、この少女が母親の願いに急かされ、また、王に考える暇も与えないように急かす様子が描かれています。

なお、この少女はサロメという名で、当時の文化からすると、12歳から14歳の間であったと思われ、自分の言っていることの残酷さを十分に理解していました。たぶん、事前に母のヘロデヤと打ち合わせをしていたのではないでしょうか。どちらにしても、サロメは母の連れ子として母に逆らうことができなかったばかりか、同時に、怨念の連鎖の中に生きていたのだと思われます。

ヘロデヤには、自分こそユダ・マカベオス以降のユダヤ人の王家の血筋を受け継ぐ者との誇りがあったことでしょう。しかし、同時に、彼女はヘロデ大王の血を受け継ぐ孫でもありました。そしてヘロデ大王こそ、ユダヤ人の正当な王家を滅ぼした張本人であったばかりか、嫉妬によって王女マリアンメとその息子でヘロデヤの父アリストブロスを殺した当事者です。

血筋への誇りと、それに結びつく怨念、そのような者にとっての権力は、何かの崇高な理想を達成するための手段などではなく、鬱積した恨みをはらすための凶暴な道具となります。権力と怨念が結びつくと、人は普通の人間としての感覚を失ってしまうかのようです。

そして、それはヘロデヤだけの問題ではなく、その娘であるサロメの問題でもありました。彼女は母親の気まぐれな恋愛に振り回されて実の父親のもとから引き離され、母しか頼りにできない環境に置かれています。サロメは母に逆らうことなどできないのです。そして、彼女も、そのような怨念と恐怖を、非道な権力を行使することで和らげようとします。あどけない少女が血のしたたる生首を盆に載せて運ぶことができるというのは、彼女の心がそれ以上の恐怖や恨みに支配され、人間としての自然な感情を失っていた最大の印といえましょう。

ヘロデヤもサロメも、権力者の家族の中にいなかったとしたら、これほど卑劣で残酷な行動は取れなかったことでしょう。権力は偶像になります。権力が人を堕落させます。

 

3.「自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった」

それに対して、「王は非常に心を痛めた」というのですが、「自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかったと描かれます(6:26)。「好まなかった」というのは、厳密には、「望まなかった」と記されていますが、彼は非常に心を痛めながらも、少女の願いを退けるのを敢えて「望まなかった」のです。それは、「国の半分でも与えよう」と大げさに言った誓いを破ることで、後で恐い妻のヘロデヤに責められ、軽蔑されるという恐れもあったことでしょう。

しかし、ヘロデには何よりも、列席の人々の前で、自分をひ弱な支配者と見られたくはなかったいう歪んだ恐れがあったのではないでしょうか。本来ならば、自分の過ちをすぐに認めるのが真の勇気ですが、ヘロデは臆病すぎて自分の過ちを人々の前で認めることができなかったのです。

そして、その後の経過が、淡々と、「そこで王は、すぐに護衛兵をやって、ヨハネの首を持って来るように命令した。護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女は、それを母親に渡した」(6:27)と記されます。

兵士は日頃から、支配者の命令をそのまま実行するように訓練されています。まして、王の家来たちの前で王命に背くことなど不可能です。兵士たちは、まさに機械のように、命じられたことを実行し、ベプテスマのヨハネの首を牢の中でたちどころに切り落とし、その首を盆に載せて、少女に渡しました。そして、この少女も、それをそのまま、母親のヘロデヤに渡しました。

そして、その結果が、「ヨハネの弟子たちは、このことを聞いたので、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めたのであった」(6:29)と淡々と記され、悲惨な最後の様子が読者に迫ってきます。誰からも信頼され、時の権力者からも恐れられていた人が、どうしてこんな無残な死を遂げたのでしょう。

これが自分たちの信仰を守るためには命をもかけてローマ帝国と戦うと豪語するユダヤ人が作っていた国で起こったことなのです。そこには「神を恐れる者」がひとりもいなかったのでしょうか・・・・。

そこには「重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人など」、当時のその地の高い地位の人々が招かれていました。そこには、神を恐れる、優しい人間もいたことでしょう。彼らはいったい何をしていたのでしょう。ただし、その場の雰囲気を思い浮かべると何も言えなかった気持ちもわかります。もし、これが公式な祝宴ではなければ、ヘロデヤに恨まれるのを覚悟で、なお、王の命令をたしなめる人もあり得たかもしれません。

しかし、ここにあったのは組織的な動きでした。軍隊組織は命令系統がしっかりしていないと機能しません。そこに列席していた重臣たちは、王の相談を受けたときには発言できても、王が人々の前で兵士に発する命令に意義を唱えることは基本的に許されません。

多くの人々は、組織は誤った決断をしないというとんでもない誤解を抱いています。しかし、歴史を見て明らかなように、組織こそ、個人では決してやり得ない、とんでもない過ちを犯すのです。

たとえば、個人としてのドイツ人は信頼できる人が多くいますが、彼らは組織として600万人ものユダヤ人を虐殺することができました。個人としての日本人は優しい人が多いのですが、組織的には朝鮮半島や中国でとんでもないことをしました。社会保険庁にお勤めの方々はまじめな方がほとんどだったのでしょうが、組織としては年金制度の信用を崩してしまいました。東京電力には優秀な方々が多いのですが、原子力発電所の大規模事故の可能性を想定しないという前提の上に組織が運営されていました。ひとりでは絶対やり得ない過ちを、組織はすることができるのです。

ジェームス・フーストン氏はそのことを、「組織は罪に対して盲目であることが多いものです。なぜなら、誤るはずはないという暗黙の前提があるからです・・・組織は悔い改めるようにはなっていません。誰かが誤ったことをした場合、それを矯正するわけでもなく、自らを深く探ろうともしません。むしろ、組織というものは・・自分自身を政治的に信じ、信頼するように意図されているのです」と指摘しつつ、キリストに従うことができるのは、組織ではなく、個人であるということを決して忘れてはならないと強調しています。

日本では、しばしば、個人的な決断よりも、集団としての決断の方が信頼できるという大きな誤解があります。しかし、ある一人の人が、真剣に神の前に祈り、問題が起きた場合には個人として全責任を負うという覚悟を下す決断であれは、多数決による決断よりも、はるかに信頼できるのではないでしょうか。多数決には個人の責任が曖昧になる危険があります。

宗教改革の原点は、1521年にマルティン・ルターが、ドイツ皇帝臨席の下、ウォルムスで開かれた帝国議会で主張の取り消しを迫られたとき、たった一人で、皇帝の命令に逆らったことに始まります。時の皇帝カール五世はアメリカ大陸をも支配する大国スペインの王でもありました。

ルターは皇帝と議会との前において、「聖書の明らかな証拠によって私の誤りが証明されるのでない限り・・・私の良心は神のことばに堅く結び付けられています。私は、私の良心に反して行動することは危険であり、不名誉でありますから、私は何も取り消すことができません・・・私はこれ以外の何もできません。私はここに立ちます。神よ、私を助けてください」と語りました。

プロテスタント教会、また私たちの自由教会とは、ひとりひとりが神の前に立ち、神のさばきのみを恐れ、自分の良心に反する組織的な決定には従わないということの上に立っています。信仰とは、ひとりひとりが神の前に立つことなのです。

ところで、ヘロデ・アンティパスは、その後、ローマ皇帝がティベリオからカリグラに代わったときにその地位を奪われます。ヘロデヤの弟のヘロデ・アグリッパが、新皇帝のカリグラの幼馴染だった関係を利用してヘロデ・アンティパスの隣り合わせの領地の支配を任されたばかりか、国王の称号を受けることができました。

そのとき妻のヘロデヤは、ヘロデに、「あなたは私の弟より低い地位に甘んじているのか・・」と何度もけしかけられ、皇帝に嘆願しますが、それがかえって皇帝の不興を買い、また、そこにアグリッパの讒言もあり、すべての領土を失ってしまいます。人の顔色ばかり見て自分の身を守ろうとしたヘロデは、最後に、妻の競争心に動かされて自滅しました。

一方、無残な最期を遂げたバプテスマのヨハネは、自分のいのちをかけて王の非道を責めつつ、人々を救い主イエスのもとへと導きました。

そして、イエスは、ヨハネよりもはるかに悲惨な十字架刑で殺されましたが、三日目に死人の中からよみがえりました。キリストは今、天において「王の王、主の主」として世界を治めておられます。

ヘロデ・アンティパスも、ヘロデヤとその娘のサロメも、権力の罠の中で、神のかたちとしての人間性を失ってしまいました。組織も権力も、この社会を変革する上では何よりも有効な手段となります。それはお金と同じように、あまりにも大切なものであるからこそ、偶像になり、人を堕落させます。

力は短期的には自分の望む結果を生み出すことができますが、それが人の良心を麻痺させることがあります。最近も、大臣になったとたん辞任に追い込まれたという例が続きましたが、組織や権力は、その人の持っている罪の性質を露にする力があります。

一方、崇高な理想を持つ高潔な人間には、この世の矛盾を解決するための権力を持ち、人と人との協力を作り出す組織を動かしてもらいたいとも思います。しかし、どんなに立派な人間でも、神を恐れるということを知らなければ、権力を乱用し、組織を機能不全に陥らせてしまいます。それは最近の日本の総理大臣に見られるとおりです。彼らはみな、それなりによい人たちでした。

しかし、「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」(箴言9:10)とあるような意味での、知恵と悟りがありませんでした。力を持つ者は、神を恐れていなければなりません。

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2011年9月18日 (日)

エズラ記3章 「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう」

                                   2011918

 私たちの礼拝では2004年5月から、創世記1章から駆け足で聖書を解き明かし、聖書の時系列からすればほとんど最後の書に至っています。そしてその中心テーマは、エルサレム神殿の再建です。それはソロモンの神殿に比べれば「無いに等しい」ほどに、ちっぽけなものでした。

しかし、預言者ハガイはそれを指して、この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう」と主のことばを伝えました。それは、この神殿に神の御子が入って来られることを期待してのことばでした。

私たちも今、本当に慎ましい教会堂を建てるための第一歩を踏み出そうとしています。今日の総会の日に、この箇所が読まれるようになることを、七年前に誰が予測できたでしょう。正直に言えば、私は創世記から読み始めて、何よりも、エゼキエル書やダニエル書を理解できるようになりたかっただけでした。そして、ヘブル語聖書では、ダニエル書の後に、エズラ記を読むのはまさに順番どおりの読み方です。

今日は、私が最も躊躇する会堂建設に伴う主へのささげ物の話が中心になります。しかし、それはまさに主の摂理の中で、本日の箇所に当たっているということです。それを覚えながら、謙遜に主のみことばをともに聴きましょう。

1.彼らは・・・毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のいけにえをささげた」

「イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、民はいっせいにエルサレムに集まって来た」(3:1)とありますが、「いっせいに」とは新改訳の脚注にあるように「ひとりの人のように」と記され、彼らがそれぞれの相続地に一度は落ち着きながら、この第七の月の第一日を目指してエルサレムに心を一つにして集まって来たということが強調されています。

その日は、現在のイスラエルの民にとっての元旦になり、現在の九月から十月の時期です。聖書では年の始まりは「過越の祭り(イースターの頃)の月のはずなのですが(出エジ12:2)、イエスの時代の少し前の頃から、太陰暦でその月から第七番目の月の第一日の「全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合の日(レビ23:24)を、年の初めとする習慣になったようです。それは、その十日目の「贖罪の日」(レビ23:27)が彼らにとって最も大切な日となったからだと思われます。

これは民の罪を負わせた雄やぎを荒野に放つ日として有名です。その日は、毎週の安息日同様、職業以外の労働行為を含め、「いっさいの仕事をしてはならない」と命じられるばかりか、「その日のうちに仕事を少しでもする者はだれでも・・滅ぼす」と格別に厳しく警告されました(同23:30)。

その五日後から「七日間にわたる主(ヤーウェ)の仮庵の祭り」になり、その最初の日と八日目は、「聖なる会合を開き」、「労働の仕事はいっさいしてはならない」と繰り返し命じられました(同23:35,36)。その間、「美しい木の実、なつめやしの葉と茂り合った木の大枝」などを取り、「七日間、あなたがたの神、主(ヤーウェ)の前で喜ぶように、またその間、「仮庵(テント)に住まなければならない」と命じられました(同23:40,42)。

  このようなレビ記の記述を背景に、「そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおり、全焼のいけにえをささげるために、こぞってイスラエルの神の祭壇を築いた」(3:2)と記されます。それは、神の幕屋も神殿もできるはるか前のアブラハムやヤコブ時代から、約束の地に入って最初にすべきことは自然のままの石を使って、祭壇を作り、主に全焼のいけにえをささげることだったからです。

それに続けて、「彼らは回りの国々の民を恐れていたので、祭壇をもとの所に設けた」(3:3)と記されています。紀元前586年のエルサレム神殿崩壊から、この紀元前537年の祭壇の再建までに50年間が経過していましたが、彼らは昔の神殿の祭壇の跡地と同じ場所に祭壇を建てました。なお、ここの中心的な意味は、「回りの国々の民を恐れた」からこそ、「祭壇を建てる」こと自体を大切にしたという意味だと思われます。バビロン帝国の政策によって、その地には五十年間の間に別の民族が住み着いていましたから、現在のパレスチナのように、そこには土地の所有権を巡ってトラブルが多発していたことでしょう。彼らはイスラエルの神、主(ヤハウェ)を生活の中心に置くことによって、万軍の主の御守りを期待したのだと思われます。

その上で、「主(ヤハウェ)に全焼のいけにえ、すなわち、朝ごと夕ごとの全焼のいけにえをささげた」(3:3)とありますが、出エジプト29章38-42節に記されている最も基本的ないけにえで、毎日二回、若い雄羊が全焼のいけにえとしてささげられました。これはイスラエルが神の民として、自分自身を主にささげることのしるしでした。

また、「彼らは、書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のいけにえをささげた」(3:4)とありますが、民数記29章12-45節にはいけにえの数が細かく記されていますが、それによると、第七の月の十五日から始まる七日間には、第一日目は、何と十三頭もの「若い雄牛」と、毎月の新月の祭りの二倍の、雄羊二頭、子羊十四頭が命じられました。雄牛の量は一日毎に減らされ、七日目には七頭になりますが、雄羊と子羊は同数のまま七日間続きます。そして八日目のきよめの集会になって、「贖罪の日」のいけにえと同数になります。

そしてこれらを合計するとこの八日間で、雄牛71頭、雄羊15頭、子羊105頭、やぎ8になりますが、これらは先にあった「朝ごと夕ごとの全焼のいけにえ」加えてのもので、罪のためのいけにえのやぎ以外は全て焼き尽くします。これは現代の人には野蛮な無駄?と見られそうな命令です。

しかし、仮庵の祭りには、収穫感謝の意味がありました。いけにえの量の多さは、神ご自身が余りあるほどの収穫を約束しておられることのしるしであり、同時に神の一方的なあわれみがなければ自分たちが生きることができないことを、全身全霊で覚えさせるためでした。

聖書の原則は、「主を愛する者は豊かに祝福され、主にそむく者はのろいを招く」とまとめることができます(申命記30:15-20)。そして、「愛」は、しばしば私たちの日常生活でも、人間的な目から見た無駄で表現されはしないでしょうか。それはたとえば、妻に、数日で枯れる満開のバラを贈ることを、「無駄」と感じる夫は、その心が問われるようなものです。

そして、その後、常供の全焼のいけにえと、新月の祭りのいけにえと、主(ヤハウェ)の例祭のすべての聖なるささげ物、それからめいめいが喜んで進んでささげるささげ物を主(ヤハウェ)にささげた」(3:5)とありますが、彼らはまさにモーセの書に記された途方もなく大量のいけにえをささげるという原点に立ち返った行動を、その後も続けようとしたのです。

ここに、「めいめいが喜んで進んでささげるささげ物」とありますが、これは彼らがまさに「ひとりの人」のように自由な心によって一致して、主を礼拝することを生活の第一としたということを表しています。

その上で、「彼らは第七の月の第一日から全焼のいけにえを主(ヤハウェ)にささげ始めたが、主(ヤハウェ)の神殿の礎はまだ据えられていなかった。彼らは石切り工や木工には金を与え、シドンとツロの人々には食べ物や飲み物や油を与えた。それはペルシヤの王クロスが与えた許可によって、レバノンから海路、ヤフォに杉材を運ぶためであった」(3:6,7)とありますが、ここで彼らは2章69節にあった多額の金や銀のささげものを用いたのです。そこでの金六万一千ダリクとは約518kgで、現在の金相場1g=4,800円からすると約25億円に、また銀五千ミナとは約2850kgで現在の銀価格1g=110円とすると3.1億円に相当しました。

彼らは現地周辺の異教徒たちをお金で雇って工事に取り掛かりました。かつてソロモンも、異教徒であるヒラムの建築師、ゲバルの石切職人を用いたのと同じです(Ⅰ列王記5:18)。なお、このときはまだ工事の準備段階で、材料を集めるのが中心的な働きでした。

2.「だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった」

  「彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いた翌年の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、その他の兄弟たちの祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、主(ヤハウェ)の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて工事を始めた」(3:8)とありますが、翌年の第二の月とは、紀元前536年の過ぎ越しの祭り、つまり、五月頃のことです。

ソロモンの神殿の工事も第二の月に始められましたが、それに習ってレビ人を中心にいよいよ神殿の建設工事が始まったのです。

なお続く3章9節は、「こうして、ヨシュアと、その子、その兄弟たち、カデミエルと、その子たち、ユダの子たち、そしてヘナダデの子らなど、レビの子、兄弟たちが一致して立ち、神の宮の工事をする者を指揮した」と訳すことができます。

ここに登場するヨシュアは大祭司ではなくレビ人、ユダの子たちもレビ人と考えられ、ここでは何よりも、すべてのレビ人が一致して、実際に神殿工事に携わる人々を指揮したということが強調されています。

そしてその上で、「建築師たちが主(ヤハウェ)の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主(ヤハウェ)を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た」(3:10)と記されますが、神殿の礎を据えたということが、ダビデが「神の契約の箱」を神殿の予定地に運び入れたときと同じ意味を持つかのように、Ⅰ歴代誌16章に残っている記録にしたがって主を賛美しました。

そして、ここでは、「彼らは主(ヤハウェ)を賛美し、感謝しながら、互いに、『主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに』と歌い合った」(3:11)と記されますが、ここに記されているのは詩篇118篇と基本は同じですが歴代誌には、詩篇96篇をはじめ、多くの詩篇の歌が記されています。

その上で、その賛美の広がりの様子が、「こうして、主(ヤハウェ)の宮の礎が据えられたので、民はみな、主(ヤハウェ)を賛美して大声で喜び叫んだ」と記されます。

  ところが、「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた」(3:12)と記されます。神殿が破壊されたのはちょうど50年前ですから、ここには栄光に輝く神殿を見ていた人がいます。彼らはこの神殿の礎が据えられただけの段階で、この神殿が完成した後の状態を思い浮かべ、改めて深い失望を味わったのだと思われます。

そこには、自分たちの先祖が神に逆らったことの代償の大きさを思い浮かべながら、自分たちの罪を告白するという純粋な思いもあったでしょうが、せっかく夢を抱いてエルサレムにやってきたのに、自分たちはこの程度のものしか建てることができないのかという深い失望感もあったのではないでしょうか。

それはヨーロッパの巨大な大聖堂の数々を見てきた人にとって、これから私たちが建てたいと願う教会堂の小ささに唖然とすることに似ています。しかも、ここで建てられようとしている神殿には、その心臓部である神の契約の箱すらもありません。ですから、これから建てられようとしている神殿は、アブラハムやヤコブが旅の途中で築いた貧しい祭壇と大して変わりはしないのです。

ところが、「一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた」(3:12)というのです。それはバビロン帝国から解放されて、ここに自分たちの神の神殿と自分たちの国を建てることができるそのスタートを正直に喜んでの反応です。つまり、小さな神殿の礎に、これからの夢を見ることができた人も多くいたのです。

そして、「そのため、だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた」(3:13)とありますが、厳密には、「民が大声をあげて叫んだ」という文章の中に「喜び」ということばは記されていません。泣く声も、喜ぶ声も両方ともあまりにも大きな声だったので、その区別がつかなかったという点が強調されています。

ヨセフスも、ユダヤ古代誌で、「長老や祭司たちは完工した聖所が破壊されたものよりも見劣りがするように思われたので、悲嘆の声を上げたが、それはラッパの音や人々の歓喜の声にまさるほどであった」と記録しています(11:83)。

神殿が破壊されて五十年も経っているのですから、昔の神殿を実際に見て記憶している人ははるかに少ないはずなのに、その少人数が上げた嘆きの声が、「多くの人々の喜び」の「叫び声」と区別できないほどの大きくなっていたということに、この神殿を巡る民の複雑な感情を見ることができます。

たとえば、私たちが現在考えている会堂は、ある意味で本当につつましい物です。もっと大きなことができないのかという思いも多くあることと思います。また、反対に、ようやく自前の会堂を持つことができるということ自体の中に、大きな感動を持つ人もいることでしょう。

ただ、そこで決して忘れてはならないのは、会堂建設はこの教会の今後の長い歩みの中での、初めの一歩、小さな通過点に過ぎないということです。私の尊敬するシンガポール福音自由教会のチャン先生が、「大きく考え、小さく始め、深く建てる(Think big, start small, bild deep)ということばを大切にしていますが、より大きなビジョンの中で、目の前のことをとらえるということが何よりも大切です。

3.「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか」

エズラ記4章から6章には、回りの敵の妨害の中で神殿建設が遅れながら、この二十年後にようやく神殿が完成する様子が描かれ、5章1節には、預言者ハガイとゼカリヤの名が登場します。彼らは神殿工事が約15年間中断した後の紀元前520年頃、イスラエルの民を励ますために遣わされた預言者でした。

ゼカリヤ4章9、10節には、「ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた・・・だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか」と、このときに失望の涙を流した人のことが非難されています。

そして、ハガイ書2章3節では、もっと具体的に、「あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか」と言いながら、その後の希望のことを、「まことに、万軍の主(ヤハウェ)はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主(ヤハウェ)は仰せられる。銀はわたしのもの。金もわたしのもの。─万軍の主(ヤハウェ)の御告げ─この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主(ヤハウェ)は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。─万軍の主(ヤハウェ)の御告げ─」(2:6-9)と記されています。

つまり、ゼルバベルがリードして建てたこの驚くほど小さな安っぽい神殿には、世界の奇跡といわれたソロモンの神殿にはるかにまさる栄光が期待されているというのです。

なお、この神殿は徐々に拡大され、後に、ヘロデのときの大拡張工事によって、外観上はソロモンの神殿にはるかにまさる巨大建造物へと成長しますが、それは決して、ここで記されているはるかにまさる栄光ではありません。このエルサレムには神の御子ご自身がロバにのって入城され、この神殿の真ん中にはイエスご自身が立たれ、その宮をきよめてくださいました。それこそ、この預言の成就です。

契約の箱も入れられていない神殿は、まさに、外観だけの石の家に過ぎませんでした。しかし、そこに栄光の王であるイエスが立たれたとき、この神殿は栄光で満たされたのです。ただ、それを知る人は子供やイエスに癒された一部の身体障害者だけでした。

大切なのは外観ではなく、この宮に伴っている約束です。Ⅱ歴代誌6章によると、ソロモンはこの神殿を奉献したとき、その後のイスラエルの歩みを心配しながら主に祈り、その中で、イスラエルが主の怒りを買って、遠くの地に捕虜として捕らわれたとき、自分たちの罪を悔い改め、「この宮の方に向いて祈るなら」、「あなたに対して罪を犯したあなたの民をお赦しください」と言いましたが(36-39節)、ソロモンがその祈りを終えたとき、火が天から下ってきて、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主(ヤハウェ)の栄光がこの宮に満ちた」(同7:1)と記されていました。

神の御子が私たちの罪のために十字架にかかり、三日目によみがえられたとき、このゼルバベルの建てた神殿は完成したのです。それはイエスがヘロデの神殿を見ながら、「この神殿をこわしてみなさい。わたしは三日でそれを建てよう」(2:19)と言われたことでも明らかです。

それにしても、このゼルバベルの神殿の礎が築かれた後に、工事がストップしたのは、周辺の異教徒による反対運動ばかりが問題だったわけではありません。何よりも大きな問題だったのは、約束の地に帰還を果たした民が、自分たちの日々の生活を立て直すことばかりに夢中になってしまったことで、神殿の工事が後回しになったことによります。

そのあたりのことが預言者ハガイのことば1章4節に印象的に、この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか」と記されています。

そして、「今、万軍の主(ヤハウェ)はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ」(1:5,6)と、自分たちの労苦が実を結ばない原因がどこにあるかを考えるようにと反省を迫り、その上で、「万軍の主(ヤハウェ)はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう」(1:7,8)と、主の宮を建てることを第一とするときに、主がこの国の繁栄を回復してくださり、それぞれの生活を祝福してくださると約束してくださいました。

そればかりか、この神殿の再建が再び軌道に乗り始める日以降のことを極めて具体的に、「さあ、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ。すなわち、第九の月の二十四日、主(ヤハウェ)の神殿の礎が据えられた日から後のことをよく考えよ。種はまだ穀物倉にあるだろうか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか。きょうから後、わたしは祝福しよう」(2:18、19)と言われました。

これは、現在は、あなたが主の宮を建てることを第一とした日から、あなたの労苦は実を結び始めるという約束です。それから四年後に神殿は完成し、彼らの生活も大きく改善されました。

しかし、その後再び、彼らは主を第一とすることを忘れ、エズラ、ネヘミヤの改革が必要になります。この神殿建設から約60年後に現れた預言者マラキ書は、主へのささげものを第一とする際の祝福について、「こうしてわたしをためしてみよー万軍の主は仰せられるーわたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかためしてみよ」(3:10) と露骨とも言える表現で、民を励ましています。

彼らは熱くなっては冷め、そこで主の励ましを受けて、また熱くなり、働きを進め、豊かになってはまた熱が冷めという繰り返しを続けてゆきます。しかし、そのような繰り返しの中で、救い主を待ち望む心が整えられていったのです。

私たちは目の前の課題を、主に与えられたより大きなビジョンの中から捉えなおす必要があります。私たちの教会のビジョンは、「新しい天と新しい地を待ち望み、その創造主を霊とまことによって礼拝し、キリストのみからだとして互いに愛し合い、地の塩、世の光として遣わされる」です。

礼拝の場は、永遠の世界と現実との接点です。「新しい天と新しい地」とは、いわゆる天国というよりは、現在の「天と地」からの連続性の中に存在します。

目の前の会堂建設を覚えるとき、「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう」という視点を決して忘れてはなりません。より大きなビジョンの中で、目の前の小さな一歩を踏み出すとき、会堂建設というチャレンジは、本当に意味で、私たち自身の信仰を見直し、主によって成長させていただく大きなチャンスになります。これは決してきれいごとでも恣意的な話でもありません。それこそ、旧約聖書を読む中から必然的に生まれる結論です。

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2011年9月11日 (日)

エズラ記1,2章「わざわいではなく平安の計画の実現」

                                                          2011年9月11日

  私たちは自業自得でとんでもない苦しみに会うことがあるかもしれません。そこで、「もう、私の人生は終わってしまった・・・」と落胆しながら、後悔の思いで一杯になることがあります。しかし、そこで神に立ち返るとき、どんな悲惨な中からも、不思議な道が開かれてきます。

その時たとえば、「何で、こんな仕事をするはめになってしまったのか・・・」と後悔する代わりに、現在の自分の境遇も、神の御手にあることを受け止めるのが神のみこころにかなった生き方です。なぜなら、主は、「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ・・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)と語りかけてくださるからです。

ユダヤ人の信仰はバビロン捕囚を通して堅くされ、私たちの信仰への道備えとなりました。生ける神の宮がバビロン帝国に滅ぼされたということを抜きに、キリストの福音を語ることは不可能です。

なお、私たちの聖書では、エズラ記は列王記、歴代誌の次になっていますが、ヘブル語聖書では最後から三番目で、ダニエル、エズラ、ネヘミヤ、歴代誌という順で聖書が閉じられています。

昔、エズラ記とネヘミヤ記は、ひとつの巻物に収められていました。エズラ7章にはエズラ自身の記録がありますが、彼の少し後の人が、ネヘミヤ記とともに当人の記録を編集し、紀元前432年以降にまとめたと想定するのが保守的な聖書学者の中でも一般的です。

なお、歴代誌はその少し後に、これらを引用しつつまとめられたと思われます。また、預言書の最後を飾るマラキ書には、これらの書と重なる描写があり、時代が重なっています。

これらの書には、すべてを失った神の民に自分たちのアイデンティティーを思い起こさせ、救い主キリストを待ち望むように、道を備えさせるという意味があります。

その中で、エズラ記には、神の民としての礼拝とその舞台である神殿の復興が描かれています。

1.「主(ヤハウエ)はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせた」

エズラ記の冒頭のことばは感動的で、「ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主(ヤハウェ)のことばを実現するために、主(ヤハウエ)はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った」(1:1)と記されています。

「ペルシャの王クロスの第一年」とは、紀元前538年のバビロン帝国滅亡の年でもあります。そしてクロスの名は、既に紀元前700年頃の預言者イザヤの書にイスラエルの民を解放し、神殿再建を導く「油注がれた者」(45:1)として記されています。つまり異教徒のペルシャ王が、神の民にとっての「救い主(キリスト)」となるというのです。

しかもここで「エレミヤにより告げられた主(ヤハウェ)のことばを実現するため」と記されていますが、エレミヤはエルサレムを滅ぼしたバビロン帝国の滅亡とユダヤ人の最終的な救いの希望を語り続けました。それは25章11,12節、32章37,38節にも記されますが、29章10,11節こそは暗唱すべきみことばです。

そこには、「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主(ヤハウェ)の御告げーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」と記されています。

ダニエルがバビロンに捕囚とされたのは紀元前605年、エルサレムの神殿の崩壊は紀元前586年ですから、どちらにしても七十年以内に、エレミヤの預言は成就しています。

エレミヤはここで何よりも、イスラエルの民にとっての最大の「わざわい」でさえ、「将来と希望を与えるための」「平安の計画」であると言ったのです。つまり、私たちにとっての想像を絶する「わざわい」でさえも、神の民としての完成につながる第一歩となり得るというのです。

ルカ15章に記された放蕩息子のたとえは、このイスラエルの物語をもとに記されています。放蕩息子は父に逆らって旅に出て、放蕩三昧で財産を失った挙句、飢え死にの寸前まで身を落としますが、そこで父の愛に目覚め、父の家へと帰ります。そのとき、父のほうから駆け寄り、彼を抱擁し、祝宴を開き、息子としての立場を永遠に回復させます自業自得での苦しみでさえ、神にあっては「平安の計画」の一部と変えられたのです。

そして、イスラエル民のバビロン捕囚からの解放の際は、主ご自身が、ご自分のことをまったく知らない異教徒の「クロスの霊を奮い立たせ」ることで、エルサレム神殿再建の勅令を出させるというのです。神はあなたを苦しみから救い出すために、神を知らない権力者を用いることができる方です。

その際の危険は、あなたがその目に見える権力者の精神的な奴隷になってしまうことです。イスラエルの民は、はるか昔のイザヤの時代から「クロス」という名が預言されていたおかげで、クロスを救い主としてあがめる代わりに、自分たちの神、主(ヤハウェ)をあがめることができました。私たちは権力者の顔色をうかがう必要はありません。

私の人生で最も苦しかったのは野村證券札幌支店での三年間の個人営業でした。あの時ほど自分の決断を後悔したことはありません。「最大手の銀行や損保の内定も取れていたのに、騙された・・」と恨みもしました。開拓農民のせがれにとっては、国内支店での証券営業ほど合わない仕事はありませんでした。不可能としか思えないノルマを課せられて、必死に新規顧客を獲得しても、最終的には大損をさせてしまうということがたびたびでした。当時は土曜も出勤の日が多い中で、日曜日の礼拝には欠かさず出席しましたが、そこではひたすら、「主よ、あわれんでください・・」と祈るばかりでした。

主のあわれみによってノルマを達成し続け、三年目に娘が生まれたとき、娘に恥じない仕事をしたいと心に決めました。でもそのとたん、営業成績が下がりました。心配した支店の営業責任者が自宅を訪ねてきてくださいました。私は、正直にその経緯を話しながら、「クリスチャンとしてこの仕事に誇りを感じることがまったくできない・・・」という趣旨のことを臆面もなく話しました。その道で生きてきた方に、よくもあんな失礼なことを言ったものだとも思いますが、その方は、誠実なばかりか、本社の人事部に影響力のある、後に副社長になった実力者でした。

そして、まもなく、お堅いキリスト教国?ドイツへの派遣へと話が進んでゆきました。営業成績も英語力も中途半端だった自分に留学の道が開けたのは、神のあわれみ以外の何物でもありません。私は、その方にずっと感謝していましたが、何よりも、神ご自身がその方を動かしてくださったと確信しています。

神はあなたの明日を開くために異教徒の権力者を用いられます。でも、その人の顔色を伺い、ご機嫌をとる必要はありません。必要なのは、神から示された思いを正直に、恥じることなく語ることです。

あなたにも、人生で最も苦しかったときに助けてくれた異教徒の権力者がいるのではないでしょうか。いなければこれから現れることでしょう。「神様はまったく願いをかなえてくださらない!」と言いたくなっても、失望する必要はありません。神は決定的なところで不思議な助けの御手を差し伸べてくださいます。

大切なのは、「同じ奇跡をもう一度・・・」と願う前に、その原点に繰り返し立ち返り、神に感謝をささげながら、今、この時に誠実な歩みすることです。主は、道の見えないところに、新しい道を開いてくださいます。そればかりか、主は、日々、あなたの前に道を作ってくださいます。

2.すべて主の民に属する者は・・・エルサレムに上り・・・主(ヤハウェ)の宮を建てるようにせよ」

「ペルシヤの王クロス」は、「天の神、主(ヤハウェ)は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた」(1:2)と言ったと記されますが、これはクロスがユダヤ人の神ヤハウェを礼拝する者となったという意味ではありません。

彼はたとえばほとんど同じ文書をベル、ネボ、マルドゥク神を礼拝する民にも送っているということが考古学の調査からわかっています。

ここにはユダヤ人の信仰を尊重する外交儀礼的な表現が見られると思います。少なくとも彼はユダヤ人に向かって、「神はただあなたのところだけにおられ、ほかにはなく、ほかに神々はいない」(45:14)というような信仰を持ってはいなかったことだけは確かです。

彼は、自分の支配地の住民たちがそれぞれ自分たちの神々を拝むことを奨励することによって、民心をつかみ、あとは強力な官僚機構で国を束ねて行こうとしました。

しかも、クロスはこの文書を、「すべて主の民に属する者」(1:3)というユダヤ人に向けてエルサレム神殿の再建を命じており、また、その際、「残る者はみな」(1:4)ということばで、エルサレムに帰還しない多くのユダヤ人に対しては、帰国して神殿を建てようとする者たちを全面的に援助するようにと命じました。

なお、イザヤ書の中で主は、「あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたの肩書きを与える」(45:4)とクロスに向かって語りかけておられるように、彼は本当の意味でイスラエルの神ヤハウェを知っていたわけではありません。

ただ、一方で、イエスの直後の時代に生きた歴史家ヨセフスはユダヤ古代誌で、このエズラ記にあるような勅令が出された理由を、「クロスは、イザヤが210年前に残した預言の書」に自分の名と働きがすでに記されていることを発見し、「イザヤの預言を読んだクロスは、神の力に驚嘆し、そこに書かれたことをぜひ自分の力で実現したいという思いにかられた。そこで王は、バビロンに在住するもっとも著名なユダヤ人たちを召集し、彼らに、祖国への帰還と、エルサレムの都や神の神殿の再建を許可すると伝えた」(11:5,6)と記録しています。

つまり、ユダヤ人ばかりかクロスもイザヤの預言を読んで、イザヤの預言を成就するように行動したというのです。なお、このヨセフスの記録を文字通り信じる学者は多くはいませんが、少なくともイエスの時代のユダヤ人にはイザヤの預言が歴史を動かしたということを心から信じていた者がいたということを示唆します。

どちらにしても、クロスを動かし、エルサレム神殿の再建へと動かしたのは、ユダヤ人の信仰である前に、主ご自身の働きなのです。

   ペルシャ王クロスの勅令に応じて、「そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たち、すなわち、神にその霊を奮い立たされた者はみな、エルサレムにある【主】の宮を建てるために上って行こうと立ち上がった」(1:5)と記されていますが、かつての北王国イスラエルの十部族はアッシリヤ帝国のもとで各地に散らされてヤハウェの民としてのアイデンティティーを失っていたのだと思われます。ですからここでは、ユダ族とベニヤミン族、そして、本来、神殿の奉仕に聖別されていたはずの祭司とレビ人のことだけが述べられます。

しかも、彼らはその血筋のゆえにエルサレムに向かったというよりは、「神にその霊を奮い立たされた者はみな・・立ち上がった」と記され、これらが神ご自身の主導であったことが強調されています。

神は、「クロスの霊を奮い立たせた」とともに、ユダヤ人たちの「霊を奮い立た」せたことによって、ご自身の神殿を再建させようとしておられるのです。

また、「彼らの回りの人々はみな、銀の器具、金、財貨、家畜、えりすぐりの品々、そのほか進んでささげるあらゆるささげ物をもって彼らを力づけた」(1:6)とは、様々な理由で帰還を果たせなかったユダヤ人たちが帰還する者たちを支えたという意味だと思われます。

このときエルサレムに向かって旅をできた人々の数は、42,360名に過ぎませんでした。エズラやネヘミヤの先祖たちはこのときはペルシャに残っており、エズラやネヘミヤという中心人物はこの約80年後にエルサレムにペルシャ王の許可を得て帰還しているに過ぎません。

ひとつの共同体が何かに取り組むとき、すべての人が同じ行動をとるということは不可能です。それぞれ、今なすべき課題があるからです。大切なのは、そのとき身動きができない人も、そのことで引け目を感じたりすることなく、今行動できる人を積極的に応援するということです。人にはそれぞれ責任を果たすことができる異なったタイミングがあります。

3.「エルサレムにある・・・神の宮のために自分から進んでささげ物をした」

  「クロス王は、ネブカデネザルがエルサレムから持って来て、自分の神々の宮に置いていた【主】の宮の用具を運び出した。すなわち、ペルシヤの王クロスは宝庫係ミテレダテに命じてこれを取り出し、その数を調べさせ、それをユダの君主シェシュバツァルに渡した」(1:7、8)とあるのは、バビロンの王ネブカデネザルがこの約50年前にエルサレム神殿を破壊して持ち出したものを、ペルシャ王クロスが返還させたということです。

主はご自身の神殿の宝物を、異教の神々の宮に保管させ、それをまた異教の王を用いてご自身で再建しようとする神殿に戻そうとしておられます。つまり、バビロンの神々の宮も、イスラエルの神ヤハウェの支配のもとにあったというのです。

なお、8,11節に記される「シェシュバツァル」という人物は、「ユダの君主」というよりは、「ユダ総督」と訳した方がよいかもしれません。

新改訳の脚注ではユダヤ人のリーダーのゼルバベルの別名であると記されていますが、5章14節の記事からすると、クロス王の直属のユダヤ人を管理した異教徒と考えるのが自然かとも思われます。

1章9節から11節にはエルサレムに戻された宝物の数が、また、2章1-67節では、エルサレムに帰還した者たちの一族の名と人数が記されています。イスラエルの民にとっては、主から与えられた地を子々孫々に受け継がせるということが何よりも大切なことでしたから、家系図は決定的に重要な意味を持っていました。

ユダヤ人たちは、このような書を読みながら、自分たちの先祖の具体的な名が記されていることに誇りを感じていたことでしょう。

   なお、「ゼルバベルといっしょに帰って来た者」(2:2)とあるように、ゼルバベルこそは、このとき帰還したユダヤ人のリーダーであり、ダビデ家系の者でした(マタイ1:12)。

また、「ヨシュア」は祭司のリーダーでした。ただし、ここに記されるネヘミヤとか、モルデカイは聖書でよく知られている人とは別人です。3-39節はエルサレムに帰還した一般のユダヤ人たちの家系です。

そして、36-39節には祭司たちが記されていますが、その合計は4,289人で帰還した者たちの約一割に相当します。それは、この帰還の目的が何よりも神殿再建にあったからです。なおダビデは祭司の家系を24組に分けていましたが、ここでは4組しか残っていません。イスラエル王国の歴史で信仰の堕落とともに祭司の家系が消滅して行ったことを示しています。それにしても、バビロンの地に捕囚とされながらこれほど多くの祭司たちが残っていてエルサレムに帰還できたということを、驚きをもって見ることもできます。

エゼキエルの例にも見られるように、彼らは捕囚の民の中にあって、聖書の教えに真剣に立ち返り、バビロン捕囚の中に神のさばきとともに希望を見出し、神の民としてのアイデンティティーを保つ要となっていました。

  その上で、「レビ人は、ホダブヤ族のヨシュアとカデミエルの二族、七十四名。歌うたいは、アサフ族、百二十八名。門衛の人々は・・・合計百三十九名」(2:40-42)と記され、レビ人の数が異常に少なくなっています。

彼らは神殿でいけにえをささげたり、賛美をささげたりするための実働部隊で、祭司よりもはるかの多くいたはずですが、神殿礼拝を行うことができない中でその数が減って行ったのではないでしょうか。

   興味深いのは、「宮に仕えるしもべたち」(2:43-54)と、「ソロモンのしもべたち」(2:55-58)の部族の名が具体的に記されていることです。彼らは基本的に、きっすいのユダヤ人ではなく、在留異国人の子孫です。

神は、隣人愛を、血筋を越えて在留異国人にまで広げるように命じていましたが、その表れをここに見ることができます。

   ただ、59-62節には、「先祖の家系と血統」を明確に「証明することができなかった」人々のことが記されています。それは特に、祭司職を果たすためには重要な基準でした。なぜなら、「アロンの子孫でないほかの者が、主の前に近づいて煙を立ち上らせる」ことは、神のさばきの対象になると警告されていたからです(民数16:40)。

それにしても、彼らの名が在留異国人の後に記されていることは興味深いことです。彼らに問われていることは、信仰の継承が行われて来ていなかったことです。私たちは、ここで家系図を守ることの大切さよりは、自分たちが主から受けた恵みの契約を、子孫たちに伝えることにおいて、その責任が問われているということではないでしょうか。

ただ、それでも同時に、家系図を失っていた人たちがエルサレムに帰還する者の仲間から外されたというわけでも、また、系図の見つからない祭司が、永遠に排除されたというわけでもないことも覚える必要があります。

その上で、「全集団の合計は四万二千三百六十名であった」(2:64)と記されながら、それに加えて、「このほかに、彼らの男女の奴隷が七千三百三十七名いた。また彼らには男女の歌うたいが二百名いた」(2:65)と記されますが、これはこの集団の豊かさを表します。

「男女の歌うたい」とは、41節にあった神殿の聖歌隊とは異なり、葬式や結婚式、余興のための要員です。実際、神殿で女性が歌うことはありませんでした。

この集団は五十年前には奴隷に近い状態でバビロンに引っ張られて行ったのですが、エルサレムへの帰還に際しては既に、数多くの奴隷や家畜を携え、余興のための歌い手までを伴って帰ることができたのです。

これはかつての、出エジプトのときと似ています。神は、寄留の地で、ご自身の残りの民を祝福し、増やし、豊かにしていてくださいました。

それに応答するように、「一族のかしらのある者たちは、エルサレムにある【主】の宮に着いたとき、それをもとの所に建てるために、神の宮のために自分から進んでささげ物をした。すなわち、彼らは自分たちにできることとして工事の資金のために金六万一千ダリク、銀五千ミナ、祭司の長服百着をささげた」(2:68、69)と記されます。

ちなみに、金六万一千ダリクとは約518kgで、現在の金相場1g=4,800円からすると約25億円に、また銀五千ミナとは約2850kgで現在の銀価格1g=110円とすると3.1億円に相当します。

これらはもちろん、エルサレムに戻るに当たって仲間のユダヤ人ばかりか多くの人々の贈り物を受けて来たのだと思われますが、彼らは着の身着のままでバビロンに連行されながら、50年後には捕囚の地で豊かになって帰ってきたということだけは明らかです。

最後に、「こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたちは、自分たちのもとの町々に住みつき、すべてのイスラエル人は、自分たちのもとの町々に住みついた」(2:70)と記されますが、これはまさにイザヤやエレミヤの預言が文字通り成就したことを示します。

預言者エレミヤは、自分の意に反してバビロンに連行されたユダヤ人に向かっての主のことばを、「家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べ、妻をめとって、息子、娘を生み・・そこでふえよ。減ってはならない。わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから」(29:5-7)と伝えています。

彼らはダニエルの例に見られるように、自分たちを滅ぼしたバビロンの繁栄を祈り、また、それを滅ぼしたペルシャの繁栄を祈りながら、そこで増え広がり、豊かにされました。

あなたも自分の置かれている町、職場、学校の祝福を祈るように召されています。ただ、それは永遠の住まいではありません。捕囚のユダヤ人が多くの財産を携えてエルサレムへの帰還を果たしたように、私たちは天のエルサレムへの旅路の途上にいます。

私たちはその途上で、神に向かって賛美と献金のいけにえをささげることが許されています。あなたにとって、今、ここが神の召してくださった場ですが、同時に、ここは決して永遠の住まいではありません。その両面を見る必要があります。

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2011年9月 4日 (日)

マルコ6章1-13節「神の国の福音の大きさ」

                             201194

私たちはしばしば、「どうして分かってもらえないのだろう!」と悩みます。イエスもご自分の郷里で同じでした。大科学者で神の臨在に感動したパスカルは、「気に障るからこそ、その理由が見つかる・・・心情(le Coeurは、理性の知らない、それ自身の理性を持っている・・神を感じるのは、心情であって、理性ではない」と語りました(パンセ276-278)。自分の「心」が自由でなければ、神のみわざが見えなくなります。

人は基本的に自分の常識の枠でしか人を見ることができません。いつも損得勘定ばかり考えている人は、他の人もそのような動機で動いていると思っています。理想を大切にする人は、人は常に理想を求めながら生きると思っています。勝ち負けばかり考えている人は、他の人も内心では同じだと思っています。

そして、この世の常識ですべてを見ようという心の動きがあるときに、神の国の福音はなかなか心に届きません。私たちはまず自分の偏見から自由になる必要があります。

1.「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです」

「イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った」(6:1)とありますが、イエスはまわりの地方で「あがめられる」ようになった後で初めて故郷に帰りました。それは郷里で福音を語ることの難しさを熟知しておられたからです。

そして、安息日になったとき、会堂で教え始められた」(6:2)と記されますが、安息日礼拝の中心は、創世記から申命記に至るモーセ五書(トーラー)の朗読でした。それは、動物のいけにえをささげる代わりでもありました。

彼らは、一年をかけて、一字一句省くことなく、また読み間違えることもなく、ただ厳かに朗読し続けました。その後で預言書が読まれましたが、当時の礼拝は、朗読者や説教者を自由に受け入れたようです。

ところが、イエスの話を「聞いた多くの人々は驚いて」、「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか」と言い、その結果が、「こうして彼らはイエスにつまずいた」と記されます(6:2、3)。

なおこの箇所は、「この人は・・」というより、「いったいどこからこいつは・・・、いったい何なのだ、こいつに与えられたこの知恵は・・こいつの手で行われる力あるわざは」という乱暴な言い方ではないかと思われます。

かつて、イエスがカペナウムの家で教えておられたとき、「イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た」ことがあり、その理由が「『気が狂ったのだ』と言う人たちがいたからである」と記されています(3:21)。少なくともイエスの肉の兄弟たちはイエスが正気を失っているという噂を真に受けたというのです。

そして、それと並行するように、「また、エルサレムから下って来た律法学者たちも」、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている」とか、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言ったということが描かれています(3:22)。

そのような評価が下る最大の理由は、「こいつは大工ではないか、マリヤの子で・・」というイエスの職業と出生にあります。「大工(テクトン)」というのは「建築家(アーキテクトン:英語のアーキテクト)」とは区別されており、建築家は労働者を用いて家を建てる指導的な働きをしましたが、大工はひとりで働くような専門職として、木を用いて家の中の家具や調度品を作っていました。ですからイエスは職人としての尊敬は得ていたかもしれませんが、聖書の教師や宗教指導者としてはいかなる経歴も持ち合わせてはいませんでした。

また、当時の人々は血筋を非常に大切にし、それによって人の地位を計りました。そして、基本的に苗字というのはありませんでしたから、「誰の息子の誰」という形でその人の名を呼びました。

興味深いのは、ここではイエスの父の名であるヨセフの名が出てこないことです。普通なら、「ヨセフの子のイエス」と呼ばれるのに、ここでは「マリヤの子」と呼ばれています。これはヨセフがなくなって長い月日が経過していたのか、それともイエスの出生に対する疑問からこのように呼ばれたのかわかりません。どちらにしても、この呼び方に軽蔑の意味が込められていることは確かです。

それにしても、「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか」ということからするとイエスには最低六人の弟や妹がいたことになります。

彼は、早くから一家の大黒柱として生計を立てていたのだと思われます。そのイエスが、30歳になったとき突然、新しい宗教指導者としての働きを始めました。それを狂気の沙汰と思うのは当然のことでしょう。

そのような反応に対してイエスは、「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです」(6:5)と言われました。たとえば、エリヤはシドンのサレプタに逃れ、あるやもめのもとに身を寄せ、彼女と息子は飢饉のなかで生き延びられました(Ⅰ列王17)エリヤがそこに遣わされたのは、郷里の人々から拒絶された結果だったのです。また、エリシャがアラムの将軍ナアマンのツァラアト(重い皮膚病)を癒すことができたのも、将軍が妻の女奴隷のことばを信じたからでした。使者を迎えたイスラエル王はその要請を「言いがかり」としか受け止めることができませんでした(Ⅱ列王記5)。ルカ424-27節ではこの二つの例を引用しながら、「預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません」と記されています。

それにしてもここでは、「預言者が尊敬されないのは・・・」という表現で、預言者は「自分の郷里、親族、家族の間」を除けば、当然のことに尊敬されるという面を強調しながら、生まれながらの関係が預言者の働きを受け入れる上では妨害となっているという皮肉が強調されています。

たとえば、イエスの兄弟の場合は身近にイエスの生き方を見ていて当然ながら尊敬の思いを持っていたはずだと思いますが、それでも同じ母から生まれた者を、神から特別に遣わされた神の御子と見ることはできませんでした。

それで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。

イエスは彼らの不信仰に驚かれた」(6:5、6)とありますが、これは信仰のない者にはイエスが奇跡を行うことができないという意味ではありません。イエスのみわざの核心は、何よりも、信仰のない者に信仰を与えることだからです。

しかし、信仰がないことと、不信仰とはまったく異なります。また、未信者と不信者もまったく異なります。不信仰とか不信者というのは、信仰を否定していること、また、不真実な者を意味します。イエスが「力あるわざ」を行うことができなかったのは、たとえば悪霊追い出しを見て、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出している」(3:22)などという評価を下すなら、かえってイエスのみわざがつまずきの原因となるからです。

また、信じる気のまったくない人は、不思議なみわざを見れば見るほど、かえって屁理屈をこねて、信じないでよい理由を探し出し、自分の構えを強化します。最も大きな違いは、心が、「信じたい・・」という方向に向かっているか、「何があろうとも、信じるものか・・」という方向に向かっているかということにあります。「豚に真珠」という以前に、信仰を生み出すような圧倒的なみわざを見るときに、人はかえって不信仰な行動に向かうことがあるということです。

イエスがラザロを生き返らせたとき、かえって宗教指導者たちは、断固としてイエスを除き去ろうと決意することになりました。人の心は、自分の不信仰を正当化するあらゆる言い訳を見出すことができるからです。

イエスの郷里での説教はこれが初めで最後でした。彼らの態度は、「もし・・なら、信じてやっても良い」というもので、イエスを主として「あがめる」思いではありませんでした。そこには、出生への偏見、好奇心や嫉妬心、競争心などの説明しがたい心情が渦巻いていました。

科学者パスカルは、「奇蹟が一つあれば、私の信仰は堅くされるだろうに・・」と言う人は奇蹟を見ていないだけであると言いました(パンセ263)心の中に神の救いへの「渇き」がない人は、どんなしるしを見ても信じられません。郷里の人々は自分たちの仲間が有名人になったという現象には心が惹かれても目の前にある神の奇蹟であるイエスご自身の姿に感動することができませんでした。

2.弟子たちが伝えた福音とは、「神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」

 「それからイエスは、近くの村々を教えて回られた」(6:6)とありますが、その内容は、1章15節に記されているように、「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」というものでした。「時が満ちた」とは旧約の預言が成就し始めるということを意味します。

人はしばしば、「二千年前にイエスは『神の国は近くなった』と言ったが、期待を裏切られ続けてきたではないか・・・」と言います。しかし、時間的な意味での神の国の到来を告げ知らせたのはバプテスマのヨハネの働きであり、イエスは厳密には「神の福音」実現する救い主であったのです。

イエスのバプテスマ以来、「神の国」はすでにこの地に始まっています。それは今まで述べたようにイザヤの預言から確実に断言できます。今もユダヤ人たちは安息日の終わりの祈りで、「エリヤよ、速やかにこの私たちの世界に来てください。ダビデの末裔のメシヤ(救い主)とともに」と祈っています。しかし、新約の福音によれば「バプテスマのヨハネ」こそ、預言された「エリヤ」だったのです(9:11-13)

そして、イエスこそはこの世界を完成に導く救い主であられ、実はこのとき、イエスはご自分の真の姿を隠しながら、「神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」と言っておられました。

しかし、この福音書を最後まで読んだ人は、イエスが真に言おうとしておられたのは、「神の国はわたしとともにある。心の目をわたしに向け、わたしに信頼しなさい」ということだったということがわかります。イエスが神の御子であることは、その働きを通して徐々に明らかにされるべきことでした。

イエスはこの後、次々と苦しみ悩んでいる人々の必要に答えて行かれます。盲人の目が、不自由な耳が開かれ、足なえが飛び跳ね、悪霊につかれた人々が解放されました。それらはみな、神の国の預言が成就したしるしでした。

イエスは彼らをローマ帝国の支配下のままで、「神の国」に招き入れてくださいまいした。そして弟子の召命は、当時のローマ皇帝と同じく、ことばひとつで人を動かすことができる権威を持っていたことの証明でした。

そして、ここでは、「また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった」(6:7)と記されます。十二弟子たちが伝えた福音の内容はイエスが伝えたものと同じです。

また、「ふたりずつ遣わし」というのは、「ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、よい報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす・・・もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる」(伝道者の書4:9-12)というみことばの通りです。

同時に、そこには、三位一体の福音の本質は、父、御子、御霊の愛の交わりにあります。私たちは、御父と御子の愛の交わりに中に、御霊によって招き入れられるのです。神の国の福音が、ことばだけではないかどうかの試金石は、弟子たちどうしの交わりに現れます。たとえば、その人の信仰が看板倒れになっていないかどうかは、その人の家族や友人関係を見ればすぐにわかると言われます。弟子たちが二人ずつ遣わされたのは、その福音が愛の交わりを生み出していることを証しするためでもありました。

また、「汚れた霊を追い出す権威をお与えになった」のは、彼らがイエスの代理として町や村に遣わされるからです。イエスは悪霊の上に力と権威を振るうことによって「病気を直し」ておられました。それは、ことばで「神の国を宣べ伝え」たことの真実さが、目に見える癒しによって証明されるということでした。

悪霊の力に人の力では勝つことができないからこそ、悪霊を制することにこそ「神の国」が到来したことが証しされ、イエスも、「わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているなら、神の国はあなたがたに来ているのです」(ルカ11:20)と言われました。

ただし、現代の日本における悪霊の働きはしばしば、識字率の低い社会で悪霊追い出しと病の癒しがセットになっているような状況とは異なります。日本では、人々を先祖崇拝や会社信仰、拝金主義、権力への妥協に導く漠然とした「恐れ」の中に悪霊の働きがあります。また、人と人との「間」を「魔」に変えるような力として現されます。

とにかく、イエスを真心から自分の主と告白することへのあらゆる妨害の働き、神の家族を内側から破壊する働きの中に悪霊の足跡を見ることができます。

日本の悪霊は自分を隠しながら人々を真の神から遠ざけています。その力を過小評価してはなりません。悪霊は今も生きて働いており、それに対する勝利が福音の核心です。

たとえば現在の日本で、多くの人が孤独に陥るのは、「おくびょうの霊」に支配されているからではないでしょうか。そこに現代的な悪霊のわざが見られます。

しかし、私たちは「力と愛と慎み(自制)との霊」によって、人の痛みに寄り添うことができます(Ⅱテモテ1:7)。そして、そのような中にこそ、「神の国」の祝福を味わうことができます。

3.「こうして十二人が出て行き、悔い改めを説き広め・・・」

  また、イエスは無謀にも、弟子たちに向かって、あらゆる旅行準備を排除するかのように、「旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻に金も持って行ってはいけません。くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません」(6:8、9)と言いました。これは、まるで家の周りを散歩するような仕度で旅に出るようにという命令です。

弟子たちは、招き入れられる家に驚くべき豊かな祝福をもたらすことができるので、生活の必要もその家から豊かに満たしてもらえるからです。弟子たちは、イエスからゆだねられた悪霊を追い出す権威によって多くの病を癒すことができました。また、人々を様々な恐れから解放することで、日々の与えられた責任を全うする生きる力を与えることができました。

ですから、彼らは何も持たずに旅をしたというより、多額の旅費にはるかにまさる神の宝を持参していたのです。そして、その宝の豊かさは、自分の力で生きていると思っている人には理解できなくなるものであるからこそ、弟子たちは何も持たずに行く必要があったのです。

なお、これは一軒一軒の家を回りながら、その祝福を祈り、対価としてお米を受け取るような托鉢修道の勧めではありません。その意味でイエスは弟子たちに、どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい」(6:10)と言われました。

福音は次から次とより多くの人に宣べ伝えるよりは、じっくりと腰を落ち着けて、生活の中に生きる福音をともに味わうということが何よりも大切です。しかも、弟子たちが長期滞在できた家は、将来、その町でのクリスチャンの交わりの拠点となりえる場所となります。

「もし、あなたがたを受け入れない場所、また、あなたがたに聞こうとしない人々なら、そこから出て行くときに、そこの人々に対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい」(6:11)という行動を勧められているのは、神のさばきを警告するためです。つまり、彼らが家々から受け入れられることこそ神のみこころなのです。

弟子たちは自分たちの伝えた福音が拒絶されたとき、「話し方が悪かったのか」、「祈りが足りなかったのか」、「福音が身についていなかったからか」などと反省することは勧められていません。基本的に福音を受け入れるかどうかは相手の問題として描かれています。それは、神の国の福音が、弟子たちの伝え方によって変わるほど曖昧なものではなく、それを受け入れた人の人生を根本から変革するほどの決定的な知らせだったからです。

ただし、それは現代の日本にはそのままには適用できない面があります。それは、イエスの時代の人々は、誤った期待を抱いていたという問題があったにせよ、ほとんどの人は、旧約聖書のストーリーを子供のときから聞きながら、イザヤやエゼキエルが預言したような神の国の実現を心から待ち望んでいたからです。

日本のような異教社会では、何よりもまず、この世界が唯一の神によって無から創造されたということを理解してもらうこと自体が非常に難しいことです。

「こうして十二人が出て行き、悔い改めを説き広め、悪霊を多く追い出し、大ぜいの病人に油を塗っていやした」(6:12、13)と、弟子たちが実際に、イエスの期待通りの働きができたことが記されます。

それは彼らに能力があったからというよりは、イエスから権威」を与えられていたことの結果です。人々は、弟子たちをイエスから遣わされた特命大使として理解し、その背後にイエス・キリストを見ることができました。

私たちも、キリストの大使としての立場を明確にすればするほど、世の人々は私たちを遣わした方の「権威」を見ることができます。「こんな私が大使であるなどと言うと、イエス様の顔に泥を塗ることになる・・・」などと妙な遠慮をする必要はありません。なぜなら、たとえば人々がアメリカの大使とサモアの大使を比較して見る時に、その大使の資質や人格以前に、派遣した国の力を評価するからです。

しかもイエスの御力は、しばしば、「イエスはこんな人の生き方を変え、ご自分の働きに用いることができるほど偉大な方なのですね・・・」という逆説を通して伝わるからです。

  なお、「悔い改め」を意味する「メタノエオー」(ギリシャ語)は、罪を「悔いて」行動を「改める」以前に、生きる方向の転換、つまり、「回心」を意味します。人はみな、何かに向かって生きています。それを、私たちの人生の方向を、創造主である神に向けることこそ「回心」です。また、たとえば、阿弥陀仏の代わりにイエス・キリストにすがるようになることです。

どの宗教を信じていても、その人の行動が高潔なものであれば良いという日本的な見方ではなく、どなたに向かって祈り、どなたにすがって生きるのかを問いかけるのが「悔い改め」または「回心」の本質です。

ところで、イエスの時代のユダヤ人たちは、武力革命によって独立を勝ち取るか、反対に、ローマ帝国の力にすがって目先の平安を得るかのどちらかに心が揺れていました。また、パリサイ人のように、互いに注意しあって民全体の生き方を変えることができれば神が自分たちを哀れんでくださると考える人もいました。それらに共通するのは、人間の力によって神の国を実現しようという発想です。

それに対してイエスは、神のあわれみの眼差しに立ち返ることを何よりも勧めておられました。それは、「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて信頼すれば、あなたがたは力を得る・・・・主は、あなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる・・・幸いなことよ。主を待ち望むすべての人は(イザヤ30:15,18)と記されているとおりです。

 なお、日々の生活は、どなたを主と告白しているかによって変わります。たとえば私は学生のころ、浄土真宗の開祖親鸞に傾倒したことがありました。しかし、彼が救い主としてすがるように勧めた阿弥陀仏がどのようなお方かは、皆目わかりませんでした。それに比べて、イエスの生き方というのはとってもリアルに伝わってきました。それはごく普通のクリスチャンを通しても見えるようになってきました。

そして、信仰の成長とはイエスとの交わりの中に生きることによって、イエスに似た者へと変えられることにあるということが良くわかりました。私たちはイエスを信じることでイエスに似た者へと変えられるのですから、どなたを主と告白するかは何よりも大切なことなのです。

ところで、イエスに似た者となるとは、それぞれの個性がなくなるという意味ではありません。イエスは全世界の創造主ですから、人の性格のような枠に収まりきる方ではありません。人によって、イエスがどのような方かを描く描き方は大きく異なります。人は自分の枠でしか、人を見ることができないからです。

イエスに似た者へと変えられるとは、ある意味で、あなたの成長の方向が、あなたの抱くイエスのイメージに影響されるという意味でもあります。イエスのすばらしさをどのように理解するかは、あなたがどの方向に成長しようとしているかを示すバロメーターでもあります。

ただし、それが人によって異なることから、クリスチャンの多様性が保障されているという面もあります。

世の人々は、自分の立場や仕事を保証してくれる権威者を恐れながら生きています。しかし、その「権威」はいかにもろいものでしょうか。私たちが真に恐れるべきお方は、ただおひとりです。その方こそが全世界の真の支配者だからです。私たちは、この方によって世に遣わされ、この方に報告責任を負います。

そして、主は、私たちにこの世が与えることができない「権威」を授けてくださいました。それは私たちが、主の御名によって祈る中に現されます。そして、それこそが心と身体の必要を満たす源泉です。

あなたは不足ばかりに目が向って、委ねられている恵みと賜物の豊かさを忘れてはいないでしょうか。イエスは私たちにご自身の霊、聖霊を与えてくださいました。聖霊は、創造主ご自身であられます。不可能を可能にする方が、あなたの内側に宿っているのです。そして、その力を体験するための秘訣は、イエスの弟子たちのように、身軽になって生きることではないでしょうか。

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