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2011年11月27日 (日)

ネヘミヤ1,2章「神の恵みの御手が働くとき」

                                                20111127

 

 私たちの人生は、なかなか思い通りには進みません。そのような中で、多くの信仰者は、伝道者の書の3章に、「すべてには季節があり、天の下のすべての営みには時がある・・崩すのに時があり、建てるのに時がある。泣くのに時があり、笑うのに時がある・・・求めるのに時があり、失うのに時がある・・黙るのに時があり、話すのに時がある・・私は見た…神がすべてをご自身の時に美しくしておられるのを」(1-11私訳)(新改訳「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」)と記されていることに慰めを見出しています。

 

エルサレムにユダヤ人たちの期間が許されたのは紀元前538年、神殿が再建されたのは紀元前516年です。本来なら、そのときにエルサレムの城壁も再建されているべきはずでした。そしてエズラがエルサレム来て信仰復興を導いたのは紀元前458年でしたが、少なくともそのときには城壁の再建に大きな動きがあっても良いはずでした。ところが神がネヘミヤを遣わして城壁の再建に着手させたのはそれから13年後の紀元前445年のこと、何とユダヤ人のエルサレム帰還から93年もたってのことでした。

 

しかし、ネヘミヤがペルシャの王に訴え出てから半年もたたないうちに城壁は再建されます。まるでどこかの教会の会堂建設の話のように、もう無理かと思われたことが急に動き出すということがあるものです。神の御手が押してくださるときに、閉ざされていた道が、次々と開かれて行くという不思議を見ることができます。

 

 

 

1.私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り・・・

 

著者ネヘミヤは、ペルシャの王アルタシャスタの「第二十年」(紀元前445年)の「キスレウの月」(過ぎ越しの祭りから第九の月、現在の1112月頃)、ペルシャの首都である「シュシャンの城」にいたと記されます(1:1)

 

そのときのことですが、「親類のひとりハナニが、ユダから来た数人の者といっしょにやって来た」ので、ネヘミヤは「捕囚から残ってのがれたユダヤ人とエルサレムのことについて」尋ねました(1:2)。すると、彼らは、「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです」と答えました(1:3)

 

 

 

エズラ42123節による、ペルシャの王アルタシャスタは即位して間もなくユダヤ人の敵の訴えを聞いて、新たな命令を出すまでは工事を差し止めるようにと命じましたが、そのときユダヤ人の敵たちは「武力をもって彼らの働きをやめさせた」とあるように、再建した部分までも破壊してしまったのだと思われます。

 

その後、王は、立場をまったく逆にして、祭司エズラに全権を与えて再建されたエルサレム神殿を中心とした信仰復興を助けました。ネヘミヤのこのときはすでにそれから13年間が経過していましたから、エルサレムの城壁の再建も進んでいると期待できたはずだったのに、実際は、なお廃墟のままに置かれていたというのです。

 

彼はそれを聞いたとき大きな衝撃を受け、「すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に」、次のように祈りました(1:4)

 

 

 

彼はまず、「ああ、天の神、主(ヤハウェ)。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方。どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください」1:56)と恐れをもって呼びかけます。

 

ここでは、神の民に求められていたはずのことが「主を愛し、主の命令を守る」と記され、主が何よりも私たちとの愛の交わりを求めていることが明らかになります。

 

 

 

そのうえで、自分が民を代表する者であるかのように、「私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています」(1:6)と述べます。

 

ペテロはすべてのキリスト者に向かって、「あなたがたは・・王である祭司・・です(Ⅰペテロ2:9)と言いました。そこからプロテスタントの共通信条である「万人祭司」ということばが生まれました。日本のため、また様々な共同体のためにとりなしの祈りをささげるのは、聖職者の務めではなく、すべてのキリスト者に与えられた特権なのです。日本の政治の不毛を批判する前に、ネヘミヤにならって神の前に祈る必要がありましょう。

 

 

 

ネヘミヤはそのうえで、「まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした」1:67)と自分たちの罪を告白しました。多くの人々は罪に関して大きな誤解をしていますが、神の前での「」とは、モーセ律法への違反を意味します。

 

そして、イエスは一番大切な命令は何かとの質問に対して(マルコ12:29-31)、「イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」という申命記645節を引用しつつ述べるとともに、「次にはこれです」と言いながら、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」とレビ記1918節を引用しました。その上で、「この二つより大事な命令は、ほかにありません」と答えられました。

 

ところが、彼らはエルサレム神殿で確かに礼拝をささげながら、同時に他の神々をも並行して拝んでいました。しかし、それは最も主が嫌われることでした。また、彼らは主にいけにえをささげていましたが、それは貧しい者たちをしいたげ、搾取して得たお金でなされたことでした。彼らは見せかけだけの礼拝を続けた結果として、神の怒りを買い、神の神殿さえも神ご自身によって滅ぼされたのでした。

 

 

 

2.「どうか、あなたの・・ことばを、思い起こしてください」

 

 ネヘミヤはその上で、申命記2864節、301-5節を要約しながら、神がイスラエルの民に、「あなたがたが不信の罪を犯すなら、わたしはあなたがたを諸国民の間に散らす。あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとい、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れて来る」と約束されたことを、敢えて、「思い起こしてください」と訴えます(1:8,9)

 

そこには、神の命令を軽蔑したものを諸国に散らすというさばきと同時に、神に立ち返り、神にへりくだった者たちを約束の地に戻すという約束が記されていました。そこでは、「神の命令を再び守り行うなら・・」という条件が記されていました。それは先の律法の原点に立ち返ることを意味します。過去に守ることをできなかった命令を再び守るということは決して容易なことではありません。

 

 

 

それでネヘミヤは、10節において、神の選びの原点に立ち返って、「これらの者たちは、あなたのしもべ、あなたの民です」と訴えます。これは申命記929節では、「彼らは、あなたの所有の民です」と呼ばれていました。

 

その上で、彼らのことを「あなたの偉大な力とその力強い御手をもって、あなたが贖われた」と説明します。「力強い御手」とあるように、神の御手がどう動くかでイスラエルの将来が変わることを覚え、神にすがっているのです。

 

そして、その上で、「ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださいますように」1:1011)と訴えています。

 

ここでは、「きょう・・・この人の前に」という表現が注目されます。ネヘミヤは、「きょう」、ペルシャの王「アルタシャスタ王の前に」出て、具体的な願いをしようとしているのです。

 

 

 

その上でネヘミヤは、「そのとき、私は王の献酌官であった」と初めて自分の立場を記します。この職務は、その日の料理に合わせてワインを選ぶとともに、毒見をする役ですから、王の身近に常にいて話し相手にもなる政治的な影響力を行使できる高官です。

 

ところで、このときエルサレムの指導者として活躍していた祭司エズラはその約12年前にエルサレムで、ユダヤ人と異教徒たちとの雑婚の問題を正し、彼らが神の民としての純粋さを保つことができるように導きました。

 

しかし、エズラは律法の教師であって、エルサレム城壁の再建という政治的、また実務的な働きは指導できませんでした。城壁再建後の集会のことが、「総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと・・レビ人たちは、民全部に向かって言った」(8:9)と、二人の共同の指導の様子が描かれています。

 

 

 

たとえば、長老教会では、牧師を宣教長老と呼び、代表執事のような立場の人を治会長老と呼び、みことばの解き明かしの働きと、実際上の教会運営に関する働きとを分離して、二人で教会を治めるようにします。ふたりが互いに謙遜に仕え合うときに、教会は調和を保って成長することができます。

 

私たち自由教会においては、教会運営に関する働きを教会員全体が担うような形になっていますが、それでもネヘミヤのように、神の前に日々祈りながら、政治的な判断ができる指導者がいるときに、ひとりひとりの信徒が力を発揮することができます。

 

 

 

3.私の神の恵みの御手が私の上にあったので・・・、

 

アルタシャスタ王の第二十年のニサンの月に」(2:1)とありますが、ニサンとは現在の34月頃で当時の一年の初めの月でした。これは、ネヘミヤがエルサレムの様子を聞いてから約4か月間が経過したことを意味します。彼はその間、断食とともに主に祈り続けていたことでしょう。そして今、行動の時が来ました。

 

その時の様子が、「王の前に酒が出たとき、私は酒を取り上げ、それを王に差し上げた。これまで、私は王の前でしおれたことはなかった」と描かれます。

 

献酌官の務めは、お酒によって王の心を楽しませることにありましたから、王の前でしおれるなどということは、職務怠慢になります。その点でネヘミヤは忠実に職務を果たしていたと言えましょう。

 

 

 

しかし、「そのとき、王は」ネヘミヤに、「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない」2:2)と尋ねます。これは確かにネヘミヤが意図的に悲しみを隠さなかったのでしょうが、それでもその問いかけに、「ひどく恐れ」ます。なぜなら、献酌官が王の前で悲しい顔つきを見せることなど、本来あってはならないことだからです。

 

しかし、王のことばには叱責よりも、ネヘミヤへの気遣いの気持ちがあふれていました。それは、ネヘミヤのそれまでの誠実な働きを王が高く評価してきたからでしょう。

 

 

 

そこでネヘミヤも「王よ。いつまでも生きられますように(2:3)と尊敬の枕詞を用いながらも、「明るい顔をできなくてすみません」という謝罪を言うべきところを、「どうして悲しい顔をしないでおられましょうか」と、悲しむのが当然であるかのように答えながら、その理由を「私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに」という説明を加えます。

 

ネヘミヤは、この機会をずっと祈り求めていたからこそ、極めてダイレクトに自分の気持ちを訴えることができました。しかも彼はエルサレムという名を持ち出さずに、極めて個人的なことであるかのように、「私の先祖の墓がある町」と答えています。それは王の共感を得やすくするための表現です。

 

そして、王もネヘミヤの意図を察していたからこそ、率直に、「では、あなたは何を願うのか」(2:4)と問いかけます。

 

 

 

そのときネヘミヤはずっと神に祈ってきたはずなのに、改めて即座に「天の神に祈って」、その上で「王に答え」ました(2:4)

 

このような祈りは、arrow prayer(矢の祈り)とも呼ばれ、瞬間的にひとつの課題を祈るものです。私たちも重大な局面に直面するとき、とっさに神に祈るという習慣を身に着けていたいものです。

 

 

 

そしてネヘミヤは、「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら」と王の前に徹底的にへりくだる態度を見せながらも、極めて直接的に、「私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください」と願います。そのとき「王妃もそばにすわっていた」とわざわざ記されているように、王がくつろいでいた時であり、また王妃もネヘミヤに好意を持っていたということをうかがい知ることができます。

 

それで、王はさっそく「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか」と尋ねながら、彼が「その期間を申し出ると、王は快く私を送り出してくれた」という願い通りの展開になりました(2:6)。まさに神の御手が働いていたからです。

 

 

 

ただネヘミヤはそれだけで満足することなく、さらに続けて、「もしも、王さまがよろしければ、川向こうの総督たちへの手紙を私に賜り、私がユダに着くまで、彼らが私を通らせるようにしてください」(2:7)と通行の安全を保障する手紙を求めるとともに、「王に属する御園の番人アサフへの手紙」までも求めます。これは王の所有の森林を管理している人から材木を調達するためでしたが、その管理人の名前はアサフというユダヤ人の名前であることが興味深いことです。その材木は、神殿の城門に梁を置くため、また、エルサエムの城壁と、ネヘミヤが入る家のために用いられるものでした(2:8)

 

ネヘミヤは王が心を開いてくれたタイミングを生かして城壁再建に必要不可欠なことを訴えました。多くの場合、話をするタイミングは何よりも重要です。しかも、彼は四か月間このときのために祈り続けていたのです。

 

この率直な願いの結果を彼は「私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた」と記します(2:8)。主ご自身がアルタシャスタ王の心を動かしてくださいました。

 

 

 

4.「私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった」

 

  そしてネヘミヤが「川向こうの総督たち」、つまりユーフラテス川の南西の支配者のところに行って、王の手紙を渡しましたが、それに先立って、「王は将校たちと騎兵を私につけてくれた」というのです(2:9)。これは安全を計るためと同時に、ペルシャ王の保護を諸国にアピールする効果があったと思われます。

 

このような王の一連の配慮のことを聞いて、「ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤは・・非常に不きげんに」なりました。なぜなら、「イスラエル人の利益を求める人」が、王の保護のもとに「やって来たから」でした(2:10)。

 

 

 

サヌバテラはこの38年後に記された古文書によるといつの時代かは不明ですがサマリヤの総督であったとのことです。

 

また、「トビヤ」というのは明らかにユダヤ人の名前なのですが、彼がユダヤ人の敵であった「アモン人の(「で」ではなく)役人」、つまりアモン人を治める役職についていたのだと思われます。彼はユダヤ人でありながら、異教徒との深い交わりの中で自分の富と地位を得ていたのだと思われます。

 

 

 

その後のことが、ネヘミヤは「エルサレムにやって来て、そこに三日間とどまった。あるとき、私は夜中に起きた」(2:1112)と描かれますが、これは「三日間たった日の夜中」という意味だと思われます。ネヘミヤは数人の者」を引き連れただけでエルサレムの様子を調査に行きました。

 

その際、彼は、「私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかったと敢えて記しています。彼はまず神の導きの中で、神との対話の中でエルサレムの現状を把握しようとしたのです。

 

 

 

彼は目立たないようにと「乗った獣のほかには、一頭の獣も連れて行かなかった」というのです。そして、その時の様子を、「私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べると、それはくずされ、その門は火で焼け尽きていた。さらに、私は泉の門と王の池のほうへ進んで行ったが、私の乗っている獣の通れる所がなかった。そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た(2:13-15)と記しています。

 

彼が視察したルートは、エルサレムの南半分のダビデの町と呼ばれた部分の城壁を北西部分から南端を経由して北東の王の池の手前まで行って、また戻ったということです。彼は本来、城壁を一回りしたかったはずなのですが、それもできないほどに荒れ果てていました。

 

 

 

ネヘミヤは主との交わりの中で、自分の目で現状を冷静に判断しようとしています。その際、「代表者たちは」、彼が「どこへ行っていたか・・・何をしていたか知らなかった」というのです。それは彼が「ユダヤ人にも、祭司たちにも、おもだった人たちにも、代表者たちにも、その他工事をする者たちにも、まだ知らせていなかった」からでした(2:16)

 

彼は人々の声以前に、主のみこころを確信することに心を集中しています。彼はずっと城壁の再建のために祈ってきましたが、再建の号令をかけるときのタイミングを計っていたのでしょう。なぜなら、一度、それを口にしてから後戻りすることはできないと思っていたからでした。

 

私も牧師として会堂建設のために祈ってきましたが、数年前までは、会堂建設の必要とともに、そこに潜む危険の方も強調して話していました。それで、「先生はいったい何を考えているのだろう・・」と疑問を持った人々もあったようです。しかし、今年になってからは私の意図を疑う人はいなくなったと思われます。指導者は自分が号令をかけるタイミングを慎重に見極める必要があります。

 

 

 

 それから、ネヘミヤは彼らに、「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう」(2:17)と簡潔に訴えます。

 

そして、その現実性を根拠づけるために、「私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた」というのです(2:18)。

 

彼は、「私の神の御手が私の上に恵み深くあり続けていた」という自分に対する神のみわざと、「私に話された王のことば」という、当時の絶対権力者の保障を話しました。ここには天の王の保障と地上の王の保障のふたつが重なっています。

 

それを聞いた民は、「さあ、再建に取りかかろう」と、即座に反応して、「この良い仕事に着手した」と簡潔に記されます。

 

 

 

「ところが、ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤ、および、アラブ人ゲシェムは、これを聞いて」、ユダヤ人たちを「あざけり・・・さげすんで」、「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか」2:19)と彼らの気持ちをくじくようなことを言います。ここには三番目の反対者の名が記されています。サヌバテラはサマリヤという北部からの敵、トビヤは東のアモンからの敵、そして、ゲシェムは南のアラブからの敵です。まさに彼らはユダを取り囲む包囲網を築いたのです。

 

そして、彼らはペルシャの王の心も動かそうとしています。実際、かつてアルタシャスタ王は、工事の差し止めを命じたことがありますから、それを思い起こさせて、ネヘミヤのことばに対する不信をもユダヤ人たちに植え付けようとしたのではないでしょうか。

 

 

 

それに対し、ネヘミヤは、「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ」(2:20)と答えます。

 

エズラ記42節によると、サマリヤ人たちはエルサレム神殿をともに建てることを提案して拒絶されたと記されていますが、それ以来、彼らはエルサレム神殿での礼拝の交わりに加えられることを心の底では願いながら、同時にそれを拒絶したユダヤ人を憎むという矛盾する気持ちを持っていました。

 

それに対しネヘミヤは改めて、他宗教との混合礼拝者たちにはエルサレムに何の居場所もないということを語りました。

 

 

 

ネヘミヤはエルサレムの悲惨な状況を聞いてから四か月間祈り続け、神のときを待っていました。そして、彼はそののち、突然、神に向かって「きょう・・この人の前に」という具体的な祈りをささげ、また、祈りつつ、大胆な願い王に訴えます。そして、誰にも話さずに城壁を調査したうえで、不退転の決意で民衆に訴えます。

 

そして、工事が始まってから52日間で城壁は完成します(6:15)。百年近く動かなかったことが、ネヘミヤが、「きょう」と神に真剣に懇願した半年以内に完成に至ったというのです。そこに時を支配する神の御手があったからです。

 

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2011年11月21日 (月)

マルコ7章1-23節 「人から出て来るものが、人を汚す」

マルコ71-23節 「人から出て来るものが、人を汚す」

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 多くの宗教には何らかの戒律があります。イスラム教では豚肉を食べずお酒も飲みません。モルモン教徒はカフェイン飲料を飲みませんし、エホバの証人は輸血を拒否し、格闘技をしません。それは異教徒のとの区別を明らかにして、信仰共同体の一致を保つ上で大きな力となります。それに対して、正統的なキリスト教会ではあまり目に見える戒律や規則のようなものはありません。しかし、それでも、ときにこの世の常識との分離をどのように明確にするかということが課題になります。

しかし、そのような分離をルール化したとたん、多く場合、別の問題が生まれます。イエスに敵対したパリサイ派の名前の由来は、「分離された者」という意味です。そして、分離を強調すると、しばしば、イエスが非難した偽善の問題が前面に出てきてしまいます。それよりもイエスは、自分の内側から汚れが広がるということ言われました。罪の根本は、心の方向にあることを忘れてはなりません。

 

1.「堅く守るように伝えられた、しきたり」

「さて、パリサイ人たちと幾人かの律法学者がエルサレムから来ていて、イエスの回りに集まった」(7:1)とあるのは、パリサイ人たちの多くは宗教の中心都市であるエルサレムに住んでいましたが、イエスの人気が非常に高くなっているのを耳にして、それを調べるために、彼らが軽蔑していたガリラヤ地方にまで下って来たのだと思われます。

そこで彼らは、「イエスの弟子のうちに、汚れた手で、すなわち洗わない手でパンを食べている者があるのを見て」、スキャンダルを発見したかのように驚きました。なお、「汚れた手」とは私たちが思うような意味での汚さではありません。「汚れ」のギリシャ語は、一般的には「普通の」(英語のcommon)と訳されることばで、宗教的な「きよめ」の儀式を経ていないという意味にすぎません。

それでマルコは異邦人のために「パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、手をよく洗わないでは食事をせず、また、市場から帰ったときには、からだをきよめてからでないと食事をしない。まだこのほかにも、杯、水差し、銅器を洗うことなど、堅く守るように伝えられた、しきたりがたくさんある」(7:4)という解説を加えています。

なお、「よく洗う」の「よく」とは原文で「こぶしで」と記されており、特別な洗い方を示しています。それは、次のような方法だったと言われます。

 

「水はきよめられた石の器に入ったものを用います。一回に使う水の量は卵一個半程度です。まず指先を上にして手を差し出し、他の人に上から水を注いでもらい、そのしずくが手首から落ちるのを確かめます。それは、汚れた水が再び手を汚すことがないようにするためです。その後、一方の手を握ってこぶしにし、他方の開いた手とこすり合わせ、同じ動作を手を入れ替えて行い、最後に手の指を下に向けて水を注いでもらいます。」

 

たとえばレビ記には、「人が、何であろうと汚れたもの・・・に触れていながら、主への和解のいけにえの肉を食べるなら、その者はその民から断ち切られる」(7:21)とか、「聖なるものと俗なるもの(common)・・汚れたものときよいものを区別する」(10:10)という教えが記されていましたが、当時のパリサイ人はみことばを正確に守ろうとするあまり、「俗」とか「汚れ」の意味を細かく規定したり、「きよめ」の手続きを明確にして、民を指導していました。それがハラカーという口伝律法としてまとめられていました。

それが垣根のように本来の律法を取り囲むことで、口伝律法の規定にさえ従っていたら、神の教えに反することにはならないという安心感を与えていました。日本でも葬儀の際の塩を初め、冠婚葬祭の際の様々なしきたりがあります。多くの人はそのような慣習が生まれた経緯を知らずに、形だけを整えようとする傾向がありますが、同じことが、聖書を信じる人の集まりでもなされることがあります。

 

フィリップ・ヤンシーというアメリカのクリスチャン・ジャーナリストは南部のバイブルカレッジでの1960年代後半の生活を次のように記しています。女子学生には厳格な服装の規定があり、スカート丈は膝下と決まっていました。ときに学部長の助手が違反者を探し回り、ものさしでスカート丈を測ることもありました。また、異性どうしは、手をつなぐこと、抱擁、キスやその他の肉体的接触は絶対に避けなければならないと、聖書の66巻をまねた66頁もある規則本には記されていました。下級生は週に二回だけデートが許されましたが、二回とも同じ相手ではいけないとか、ダブルデートでなければいけないとか、そのうち一度は日曜の夜に教会に行くことでなければならないとか、カフェテリヤで近づきすぎないようにとか、様々な規定がありました。

そして、禁止されたリストの中には、ダンス、トランプ、ビリヤード、映画、ボクシング、レスリング、そして、「バレエやダンス、みだらな歌が入ってるオペラや音楽プログラムの上演が禁止され、学生たちは自室でのみ、「キリスト教の証しと一致する」音楽をかけることが許されていました。もちろん、当時はやりのビートルズを聞いたり、彼らを称賛するような発言をしたら、仲間から信仰の道から堕落をした者として軽蔑されました。大学としては、学生たちをあらゆる性的な誘惑から守ろうとしたのだと思われますが、それがかえって聖書の教えの本質を見失わせることになったとヤンシーは振り返っています。

特に彼はC.S.ルイスというイギリスの作家を信仰の命綱として尊敬していましたが、大学の仲間たちは、「彼がパイプをふかしビールを飲むからという理由で、その著作に眉をひそめた」というのです。

本当に不思議なのですが、彼らの多くは聖書を真剣に読み、すべてを捨ててキリストに従うことに憧れていたのに、その行動や考え方は、イエスと激しい対立関係にあったパリサイ人と限りなく近くなって行ったのではないかと思われます。

 

ただし、パリサイ人たちは聖書の教えを日常生活に生かそうとする信仰熱心な人々で、社会では人々の尊敬を集めていました。彼らは模範的な市民でした。使徒パウロが最高の聖書教師でありながら、同時に、自分の生活費をテント作りをしながら稼いだという生き方は、パリサイ人として訓練を受けた成果です。

パウロはガマリエルという当時最高のパリサイ人から訓練を受けていたからこそ、キリストに出会った後に、様々な試練に耐えながら、キリストにある正しい聖書解釈を教え続け、また何にも代えがたい宝物の手紙を残すことができたのです。私たちは、この社会で模範的な生活ができる、そのためならば、もっとパリサイ人の生き方から学ぶべきかもしれません。

 

ところがここで、「パリサイ人と律法学者たち」は、イエスの教えや弟子たちを軽蔑し、真っ向からその疑問を、「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか」(7:5)とぶつけました。そこにはイエスへの激しい敵意が込められていました。イエスは彼らが最も大切にしていた「昔の人たちの言い伝え」を否定しているように思えたからです。

たとえば、あなたの身近な人が冠婚葬祭に関わる様々な日本のしきたりをあなたに親切心から教えようとしているときに、あなたが、「私はクリスチャンですから、そのようにはできません・・」と答えたら、多くの人は怒りだし、キリスト教を日本の美しい伝統を壊す教えのように警戒することでしょう。パリサイ人たちは、それと同じような敵対心をイエスに対して抱いたのだと思われます。彼らにとっては、イエスは伝統的な聖書解釈を真っ向から否定する異端の教師と見えたことでしょう。

 

2.「自分たちの言い伝えを守るために・・神の戒めをないがしろにした」

それに対して、イエスは、「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです」(7:6)と、イザヤ29章13節のことばを、 「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから」と引用しながら、「あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている」(7:8)と非難しました。

パリサイ人たちはもちろん、預言者イザヤの書を愛読していました。そして、イザヤがマナセという王に「のこ引き」の刑で殺されたという殉教の話をしながら、先祖のような過ちを犯すまいと心に決めていたことでしょう。

しかし、イエスによるとパリサイ人の心はイザヤをあざけった人々とまったく同じだというのです。イザヤの時代の人々は、それなりに礼拝儀式を守っていました。経済的な犠牲をともなったいけにえもささげていました。そして人々はエルサレム神殿を誇っていました。そのような中で、イザヤは、人々の信仰生活の場であるエルサレム神殿が破壊され、異教徒の王によって再建されるというようなことを言っていたのです。それは当時の信仰者たちには、神を冒涜するような教えにしか思えませんでした。

しかし、イザヤが何よりも指摘していたのは彼らの心の内側のことでした。なぜなら、イエスも言われたように、聖書の教えの中心は、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:5)と、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(レビ19:18)というふたつにまとめることができますが、これはすべて、神と人とに対する私たちの「心のあり方」に関わっていることです。

 

たとえば、日本では葬儀に関わる様々なしきたりがあります。しかし、その基本は、故人のことを思い起こすということにあります。ところがしばしば、形だけ整っているけれども、故人の思い出話しも、故人への感謝の思いも、何も聞くことが出来なかったという通夜や法事というのがあるのではないでしょうか。

これは、私たちの信仰にも起こり得ます。先ほどの米国南部のバイブルカレッジの規則を守っているような人々が、しばしば、自分たちの枠にはまらない人々を軽蔑していました。しかし、人を軽蔑することと、スカートたけの規則を破ることと、どちらが神の前に重い罪なのでしょう。

彼らの中には、南部の人種差別を正当化している人や当時のベトナム戦争を聖戦かのように言う人々が少なからずいました。人種差別に無抵抗で戦い、ベトナム戦争を非難したマルティン・ルーサー・キング牧師などは、自由主義神学に流れた共産主義者の手先と見られていました。しかし、今になって思うと、彼らが悪魔呼ばわりしていたビートルズの方がまともなことを言っていたとも言えるのではないでしょうか。

 

そのことを思いながらイエスは、「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めをないがしろにしたものです」(7:9)と言いながら、一例として、「モーセは、『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言っています。それなのに、あなたがたは、もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです」(7:10-13)と言われました。

 

これはたとえば、ある人の年老いた親が、生活費の援助を求めてきたようなとき、「お父さん、残念ながら、このお金は神へのささげものとして聖別していますから、もう私の自由にはならないのです」と言ってしまうようなことを正当化していたことを非難したことばです。

理屈から言えば、神に対する約束は、親に対する約束にはるかにまさります。しかし、議論の焦点が、その二者択一に向かった時点で、基本が神の教えからずれているのです。心の動きから言うならば、神をあがめることと親を敬うことには何の矛盾がないばかりか、そのふたつは車の両輪のように進むものです。たとえば、未信者の親から偶像礼拝を強要されるようなことがあったとしても、親の命令を拒絶しながら、なおも親を尊敬し、親に尽くすということは可能なのです。

しばしば、規則やしきたりは、細かくなればなるほど、また丁寧になればなるほど、その本質を見失わせることになります。たとえば、アメリカでクリントンが大統領だった時、別荘のキャンプデービットなどにはいかがわしい雑誌が散乱し、スタッフの規律もゆるみ公私混同が多くなっていたと言われます。しかし、ブッシュが大統領になったとき、すべてが見違えるようにきれいになり、秩序が生まれたと言われます。彼はアルコール依存から立ち直ったいわゆる敬虔なクリスチャンでした。しかし、彼はしばしば、狭い正義感に駆られた怒りから、より大きな悲惨である戦争を引き起こしてしまったように思えます。キャンプデービットには秩序が回復されたけれども、西アジアには混乱をもたらしたのではないでしょうか。国際平和の観点から見る限り、不倫疑惑のクリントンと気まじめなブッシュと、どちらが良かったかは言いにくくなります。

 

3.「外側から人に入って、人を汚すことのできる物は何もありません」

  そのうえでイエスは再び群衆を呼び寄せて、「みな、わたしの言うことを聞いて、悟るようになりなさい。外側から人に入って、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです」(7:14、15)と言われました。

ある人が、「クリスチャンは、酒は良いけど、タバコはだめなのですね。だって、酒は外から人に入るけど、タバコの煙は人から出てくるから・・・」と言いましたが、それは本質を見失わせる冗談です。

 

パリサイ人たちは、何よりも、この世の汚れから自分たちを分離することに心を配っていました。弟子たちは、イエスの話の意味がわかりませんでしたが、それに対しイエスは、「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人に入って来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。そのような物は、人の心には、入らないで、腹に入り、そして、かわやに出されてしまうのです」と明快な説明をしました。実際、私たちの心も身体も、外から入って来る汚れには、驚くほどの抵抗力を持っているものです。

あるクリスチャンの外科医がまず、「イエスはここで解剖学の授業をしておられます。身体の内側と外側にはその境界線をまもる精巧な皮膚の細胞があって、外からの危険から身体を守っています。私は素手でどぶさらいをしたり、トイレに手をつっこんで栓を開けることさえできます。皮膚細胞は、バクテリヤが私の身体に侵入しないように、しっかりと守ってくれます。イエスの言われたことを強調すると、上皮細胞がすべての消化管の内側を覆い、不活性物質を飲み込んでもーたとえば泥棒がダイヤを飲み込んでも、ドラッグの密輸業者がビニールの包みを飲み込んでもーその物質は決して身体に侵入しないし、外に排出される前に、上皮細胞の障壁を突き抜けることもありません」と説明しました。

 

   そして、ここでは不思議な解説が、「イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた(7:19)と記されています。マルコの福音書は異邦人に向けて記されています。そして、その時代のホットな課題は、聖書を信じるようになった異邦人は、レビ記で「汚れている」と規定されている食べ物を食べてよいのか悪いのかという問題でした。

カトリック教会では聖典に準じる文書として聖書に挿入されているマカベア記第二の7章では、紀元前二世紀にギリシャの王アンティオコス・エピファネスから豚肉を食べることを強要されたひとりの母と七人の息子の殉教の記事が記されています。彼らは手足を切断され、舌を切られても、豚肉を口にしませんでした。母はすべての息子たちに、神の教えに背いて豚肉を食べるよりも、潔く死ぬことを勧めたということが英雄談として記されていました。

それに対して、ここではイエスが、豚肉もえびやたこも、「きよい」と見られたこととして適用することが出来ます。では、レビ記の記述は無意味になったのでしょうか。そうではなく、レビ記は人々をキリストのもとに導く養育係であったのです。

ユダヤ人が命をかけて神の民としてのアイデンティティーを守ったからこそ、イエスはユダヤ人の王として来ることが出来ました。キリストの教会はあくまでもユダヤ人の共同体の上に建てられているのです。彼らが豚もえびもたこも食べなかったおかげで、彼らはまわりの偶像礼拝の国々から区別されてくることができたのです。

 

4.「悪はみな、内側から出て、人を汚す」

  その上で、イエスは、「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです」と言われました(7:18-23)。

ここでは「人の心から悪い考えが出てくる」と述べた後で、その具体的な現われとして12の罪が記されていると解釈できます。「殺人」にしても「姦淫」にしても、まず心の内側で恨みや欲情がマグマのようにたまってしまったことの結果が行動に現れたものです。心が神への愛と人への愛から離れて行った結果として、目に見える様々な罪が現れるのです。

 

残念ながら、パリサイ人は人々から尊敬される人になることで社会を変えようと自分を厳しく律しようと思うあまり、神のあわれみが見えなくなっていました。彼らは礼儀に反することや無駄話はしませんでしたが、神のあわれみに感動したり、罪の赦しの恵みに涙を流すこともありませんでした。外側を整えることよりも、内側が神と人との愛を受けて守られることの方がはるかに大切なのです。

フィリップ・ヤンシーは自分の学生時代を振り返りながら、祈りは特権であるよりも責任と思え、聖書を読むことはいのちの源であるよりも義務になっていたと反省しています。そして、彼の多くの友人たちが、卒業して規則の枠がなくなったとたん、堕落していったのに心を痛めていました。

 

私たちには確かに守るべき境界線があります。境界線が破られるとすべてが汚される恐れがあります。そのことを先の外科医は次のように続けています。

「しかし、皮膚の障壁が切られて、内側の傷つきやすい部分が外界からの危険にさらされると、極めて重大な危機にさらされます。外科医は手術する前に出来る限り強力な消毒薬で手を洗いますが、それでも患者は深刻な伝染病にかかる可能性があります。私は手をごしごし洗ったあとで、患者の準備が整うまで、指先と指先をつけて両手を合わせています。部屋の中のバイ菌を隠し持っているかもしれないもの一切に触れないためです」と説明しながら、この両手を合わせた姿を、祈りの手として描きます。

 

ところで、私たちは自分で自分のこころをきよくできるでしょうか。パリサイ人は外側の汚れから身を守ることで内側をきよくできると考えましたが、実際には、まったく逆のことになりました。彼らの心は規則を守る自分への誇りと、規則を守ることが出来ない人々への軽蔑で満ちました。

そればかりか彼らには、神のあわれみが感じられなくなっていました。私たちに何よりも大切なのは、自分の内側にある汚れをすなおに認めて、祈りのうちにそれを神の身前に差し出すことです。そのとき創造主である聖霊ご自身が私たちを内側からきよくして行ってくださいます。

それはたとえば、目の毒になるものから目をそむけようと注意深くなることよりも、心がイエスの愛のまなざしにとらえられ、イエスのみことばによって養われることを目指すことです。汚れから身を避けることよりも、自分の心に響いてきたみことばを思いめぐらし、心が神と人への愛で満たされる方向を目指すことです。

私たちは、外の世界から自分を守ろうとすることよりも、内的な生活を豊かに育むことにエネルギーを注ぐべきなのです。それは自分の汚れを聖霊のみわざに明け渡すことから始まります。聖霊こそが私たちの内側を守ってくださる創造主なのですから。

 

主は、「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」(レビ19:2、Ⅰペテロ1:16)と言われました。聖ということばは、「汚れ」とも訳された「普通」Commonに対比させられる概念です。

つまり、クリスチャンは、「普通であってはいけない」のです。それは確かに、普通の人と違った手の洗い方をするとか、普通の人と違った音楽を聴くとかという分離で表現されることもありますが、イエスは何よりも、心のあり方や方向を問われました。

それは、神と人との間の愛の交わりです。私たちが聖なる者になるとは、この世の基準を超えた神の基準で生きるということを意味します。聖とは神の領域であり、私たちはその聖なる交わりの中に入れられました。ですから大切なのは、この世との分離を目指すこと以上に、神と教会との交わりを深めることです。そこに聖霊様の働きが現れます。

 

神があなたの人生に現れてくださったその原点を大切にすること、あなたが人の優しさに支えられたその原点を大切にすること、それこそが交わりを深める原点になります。普通とは違った形で、神を愛し、人を愛する、それこそが聖なるものとされるという意味です。聖における、分離から交わりへの転換を私たちは考えるべきでしょう。

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2011年11月13日 (日)

エズラ記9,10章 「この世と調子を合わせてはいけません」

                                              20111113

  私たちは今、新しい会堂の候補地を探していますが、物件が少ない中、予算と敷地面積から可能性のあるのは、競輪場の隣接地と、立川駅南口の場外馬券場を経由するのが近道という場所です。この数ヶ月、様々なご意見も聞きながら本当に悩んできました。

この世の中ではしばしば、「あちらを立てれば、こちらが立たず」という葛藤の中で、より悪影響の少ない方を選び、最高のものは来たるべき世界まで待つという苦しい決断を迫られます。

本日の箇所も、これを文字通り私たちの指針とするには注意深くなければなりません。なぜなら、異教徒の妻を娶った人に、妻と子供を追い出すように命じられているからです。教会の歴史の中では、しばしば、教会がこの世と妥協しすぎたことの反動として、厳しい分離を強調することがありました。

たとえば、未信者との結婚を奨励するようなキリスト教会が増えてくると、その反動として、未信者との結婚を決めた人を除名するような教会が生まれました。日本の福音派は、後者のようにこの世との明確な分離を強調するアメリカの教会の影響を少なからず受けています。聖書に従うなら、同じ信仰に立つ人との結婚を勧めるのは当然のことです。しかし、その指導に反する行動をした人を教会から締め出すようなことは、より大きな問題の引き金になります。

イエスは、この世との分離ばかりを主張するパリサイ人から、「食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ」と非難されるほどでしたが(マタイ11:19)、それは決して、この世の悪と妥協することを意味はしませんでした。ですから使徒パウロは、「この世と調子を合わせてはいけません」(ローマ12:2)と、すべてを原点に立ち返って自分で考えるように勧めています。この世との境界線を杓子定規に指導することは、より大きな悪のパリサイ主義を招くことになるからです。

多くの信仰者は、「主のみこころがわからない・・・」と悩みますが、迷いながら祈っていること自体が主のみこころの中にあります。

1.「忌みきらうべき国々の民と・・・混じり合ってしまいました」

「これらのことが終わって後」とは、紀元前516年にエルサレム神殿が再建された約60年後、「ペルシヤの王アルタシャスタの治世の第七年」(7:7)紀元前458年にエズラがペルシャ王の勅令を受けて、エルサレムの住民の信仰生活を建て直すために遣わされ、王からあずかった多額のささげものを神殿にささげた後の時代を指します。そこでエルサレムに既に住んでいた指導者たちから、「イスラエルの民や、祭司や、レビ人は、カナン人、ヘテ人、ペリジ人、エブス人、アモン人、モアブ人、エジプト人、エモリ人などの、忌みきらうべき国々の民と縁を絶つことなく、かえって、彼らも、その息子たちも、これらの国々の娘をめとり、聖なる種族がこれらの国々の民と混じり合ってしまいました。しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです」(9:1、2)という訴えがなされました。

それを聞いたエズラは、「着物と上着を裂き、髪の毛とひげを引き抜き、色を失ってすわって」(9:3)しまいました。このような激しい反応は、エルサレムに既に戻っていた同胞たちが自分たちの歴史をまったく理解せず、まったく同じ過ちをしようとしていたことへの失望と怒りを示します。

私はモーセ五書の解説書のタイトルを、「主(ヤハウェ)があなたがたを恋い慕って・・」とさせていただきましたが、それは申命記7章7節のみことばです。ただ、その直前には、神が約束の地の先住民との戦いに勝利を与えて、その地を占領させてくださるときには、「彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。また、彼らと互いに縁を結んではならない」(同7:2,3)と厳しく命じられています。

これは結婚の誓約に似ています。聖書に基づく結婚式は、互いの愛を誓い合うことによって初めて成立します。そして、その誓約の基本は、結婚によってたとい自分に不利な事態が生じるようなことがあっても、相手を愛し続け、決して浮気はしないと約束することにあります。

ですから、神の愛を受ける民とされることと表裏一体に、他の神々を決して拝まないばかりか、そのような風習を断固退けると約束することが求められます。そして、日本の法律でさえ、浮気によって結婚が壊れた場合には、浮気をした方が慰謝料を支払わなければなりません。まして、神との約束を軽く見て、霊的な浮気をする者は、厳しいさばきを受けるのは当然です。ところがイスラエルの民はなおも、神が何に対して怒っているのかが見えていませんでした。

ところで、モーセ五書においては、約束の地の先住民の罪をさばく手段としてイスラエルの民が用いられていますから、そこでは俗悪な偶像礼拝によって退廃していた「カナン人やヘテ人」などの先住民族を容赦せずに絶滅することが命じられていました。それは、癌細胞が広がるのを徹底的に抑えることができなければ健全な細胞が生き残れないことに似ています。まして、その地の先住民と結婚するなどということは論外でした。

ところがイスラエルの民は先住民たちとの共存の道を探りました。その結果が士師記に見られるおぞましいイスラエルの民の歴史です。しかし、神は彼らを繰り返し苦難の中から救い、民を導く指導者を立ててくださいました。その最高の指導者がダビデでした。しかし、彼の後継者のソロモンは、エルサレム神殿を建てた後、近隣諸国の美女を集め、彼女たちのそれぞれの偶像礼拝を支援しました。その結果、イスラエルの民全体が偶像礼拝に流れ、神の怒りを買ってしまい、神はご自身が民の真ん中に住まわれるという象徴としてのエルサレム神殿を捨て去り、民はバビロンの地に奴隷として引っ張って行かれました。

エズラはその歴史をイスラエルの民がまったく理解していないことに驚きながら、「私の神よ。私は恥を受け、私の神であるあなたに向かって顔を上げるのも恥ずかしく思います。私たちの咎は私たちの頭より高く増し加わり、私たちの罪過は大きく天にまで達したからです・・・」(9:6)と心から祈っています。

聖書全体のストーリーを読むと、イスラエルの民の何よりの問題は、神の愛の語りかけを忘れ、神の明確な命令を非現実的なことと軽蔑したことにあります。彼らは先住民との戦いのただ中にありましたから、彼らと戦うよりも結婚関係を結ぶことによって共存の道を選ぶほうが、現実的に思えます。しかし、そのようにするとき、彼ら自身が現地の悪い習慣に染まってしまい「地の塩」としての役割を失ってしまいます。目の前のことに現実的に対応しようとすることが、神がイスラエルを選んでくださったということの原点をまったく無に帰させてしまうのです。

河合隼雄が以前、「日本人という病」という本を書きましたが、その中で、震災のときに暴動も略奪も起こさず静かに助け合っている日本人の姿と政治のリーダーシップの欠如ということは表裏一体であると書いてあって、妙に納得しました。以心伝心で合意を形成する文化は明確なビジョンを示す指導力を排除する傾向に結びつきます。かつての日本が一致団結して第二次大戦の悲惨に突入して行った姿と、原発安全神話をコンセンサスにして今回の大事故に至ったプロセスは非常に似ています。その場その場での人と人との結びつきを大切にするために、将来を見据えた決断ができずに問題を先送りしてしまうのです。

その結果が、たとえば現在の年金問題や国民総生産の二倍にも及ぶ国家債務の問題になっています。村社会の和を乱すこと自体が最大の悪とされる文化の中では、長期的にはベストの選択ではあっても、当面の痛みを伴う外科手術のような問題解決は困難になります。

聖書の適用も日本では、「日本人という病」の影響を受けます。しかし、私たちは神との交わりを第一とするために、どこかで対決をしなければならないことがあります。

たとえば私は入社一年目の札幌支店営業時代に、本社の人事部の要請で新入社員の採用のお手伝いをしました。命令系統を超えた依頼でしたので、本社の次長から、「もしできたら、日曜日に出勤して採用の手伝いをしてほしい」と優しく要請されました。私は、「日曜日の朝は礼拝に行くことにしていますから、そちらを優先させてほしいのですが・・」とお断りしました。人事部の要請を断る新入社員ということで強烈な印象を与えたように思いますが、それを言えた事は、自分の立場を明確にする大きな契機になりました。おかげで、「それでもクリスチャンか・・」と罵倒されることもありましたが、基本的に、周りの人々が私の休日の生活に理解を示してくれるようになりました。社費でドイツに留学させてもらえたのもその流れがあったからかなとも思います。

ただし、私の場合は、仕事や会社のお付き合いよりも礼拝生活を第一としていたという割には、礼拝中は居眠りをしたり、日々のデイボーションも疎かであるといういい加減な信仰生活でした。しかし、敬虔な行いができることよりも、どなたとの関係を優先するかという点で、私の信仰は守られてきたと思えます。

私たちもどこかで、この世との区別を明確にする必要があります。この世との融和ばかりを優先すると、何のためにクリスチャンとされているかが見えなくなります。

イエスも、「人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います」(マタイ10:33)と厳しいことを言われました。この世に埋没してしまうクリスチャンは、自分でイエスの助けを拒絶し、自分で自分の首を絞めているのです。

2.「私たちの目を明るくし、奴隷の身の私たちをしばらく生き返らせてくださるため」

イスラエルの民は、自分から神を捨てたのですから、この地から消えてしまっても仕方がありませんでした。実際に北王国イスラエルはアッシリヤに滅ぼされた後、他の地域に強制移住させられ、移住先の住民に同化させられ、民族としてのアイデンティティーを失ってしまいました。

しかし、南王国ユダの民は異なりました。そのことをエズラは、「しかし、今、しばらくの間、私たちの神、主(ヤハウェ)のあわれみによって、私たちに、のがれた者を残しておき、私たちのためにご自分の聖なる所の中に一つの釘を与えてくださいました。これは、私たちの神が私たちの目を明るくし、奴隷の身の私たちをしばらく生き返らせてくださるためでした」(9:8)と述べています。ここでの「釘」とは天幕を張るときの杭のようなものを指し、最近のフランシスコ会訳では、「聖なる所に住処(すみか)を与えられました」と訳されています。これは神が、バビロンにおいてご自分の民を守り通し、エルサレムへの帰還を導き、そこに住処を与えてくださったことを指します。

そればかりか、主は「ペルシヤの王たち」を用い、「神の宮を再建させ」てくださいました。ところが彼らはその神のあわれみを軽蔑し、神の民としての独自性を捨てようとしていたのです。

エズラは9章11節から、まずレビ記18章24,25節を引用します。その中心テーマは「地の汚れ」です。彼らはその地の偶像礼拝によって汚れた地をきよめる必要がありましたが、その汚れに呑み込まれるなら、彼ら自身もその地から吐き出されてしまわざるを得ません。

その上で、先の申命記7章の記事が引用されますが、そこではその地の住民と交じり合って偶像礼拝の悪習に流れるなら、「主はあなたをたちどころに根絶やしにする」(4節)と警告される一方、主の愛に応答して生きるなら、「あなたはすべての国々の民の中で、最も祝福された者となる」(14節)と約束されていました。

しかし、彼らはこのように明確な警告と約束があったにも関わらず、その汚れた地の風習になじみ、また「忌みきらうべき国々の民」と混じり合い、滅びを招いてしまいました。

それなのに彼らは、せっかくエルサレム神殿が再建されたというのに、「再び・・(主の)命令を破って、忌みきらうべき行いをする・・民と互いに縁を結んで」しまいました。それでは主が彼らを、「絶ち滅ぼし、生き残った者も、のがれた者もいないようにされる」可能性があります(9:14)。

そこでエズラは、「イスラエルの神、主(ヤハウェ)。あなたは正しい方です」と呼びかけ祈ります。それは主がご自身の「正しさ」(真実)のゆえに彼らを「のがれた者として残され」たからです。8、13-15節では「逃れた者」という言葉が四回繰り返され、神がイスラエルの「罪過」にも関わらず、彼らを主の「御前に立つ」ことを許してくださっていることが強調されます(9:15)。エズラはその主の正しさとあわれみにすがろうとしていました。

  エズラは神のあわれみによって自分たちが今、なお生かされ、エルサレム神殿までもが再建されたことを心から神に感謝しながら、同時に、その神のあわれみを軽く見ることの危険を心から悟っていました。「神の仕事は、罪人を赦すこと・・」などという傲慢な態度ほど危険なものはありません。私の神学校の恩師は、「キリストの十字架を罪の消しゴムのように甘く捉えてはならない」と繰り返しておられました。

私たちはみな、罪に満ちた世界のただなかに生かされており、この世は富と力によって、私たちを支配しようとします。私たちもこのときのイスラエルの民と同じように、自分で自分の行動を決めることができない部分があります。いわゆる「この世のしがらみ」の中に生かされているからです。しかし、同時に、そこには深い神のあわれみとご配慮があります。私たちが信仰に立つことができるようにと、神ご自身が立たせてくださっています。その神のあわれみを決して軽んじてはなりません

 アジアの文化においては、親分子分のような序列の関係がいたる所に生きています。それを否定的に見ては、この社会で自分のやりたい仕事すらできなくなるということも忘れてはなりません。

ただ、どんなに目をかけてくれる権力者がいても、神との関係よりもそれを優先してはなりません。最高の権力者を忘れてしまっては、すべての働きは最終的に無に帰してしまいます。目に見える人間の恩義よりも、神の恩義の方がはるかに重いからです。

3.「この地の民と、外国の女から離れなさい」

そして、「エズラが神の宮の前でひれ伏し、涙ながらに祈って告白しているとき、イスラエルのうちから男や女や子どもの大集団が彼のところに集まって来て、民は激しく涙を流して泣いた」(10:1)というのです。これは捕囚から帰還した民が、エズラの嘆きに合わせて自分たちの罪を深く嘆いたことを示します。そればかりか彼らは、「これらの(外国の)妻たちと、その子どもたちをみな、追い出しましょう。律法に従ってこれを行いましょう。立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください」(10:3、4)と驚くべき提案をしました。

そこで、彼らは、「捕囚から帰って来た者はみなエルサレムに集合するように」と命令を出すとともに、「三日のうちに出頭しない者はだれでも、その全財産は聖絶され、その者は、捕囚から帰って来た人々の集団から切り離される」という警告までつけていました(10:7、8)。

その後のことが、「それで、ユダとベニヤミンの男はみな、三日のうちに、エルサレムに集まって来た。それは第九の月の二十日であった。こうして、すべての民は神の宮の前の広場にすわり、このことと、大雨のために震えていた」(10:9)と記されます。これは私たちの暦では12月ごろのことで当地の最も寒い季節でした。彼らは寒さと恐れで震えていました。これほど大規模で悲しみに満ちた集会はなかったことと思います。

 その中で「祭司エズラは立ち上がって」、「あなたがたは、不信の罪を犯した。外国の女をめとって、イスラエルの罪過を増し加えた。だから今、あなたがたの父祖の神、主(ヤハウェ)に告白して、その御旨にかなったことをしなさい。この地の民と、外国の女から離れなさい」(10:10、11)と命じました。

それに対して、「全集団は大声をあげて」、「必ずあなたの言われたとおりにします」(10:12)と応答しました。ただ、そこに集った民はあまりにも多く、また主の命令に背いている民もあまりにも多いため、それぞれの氏族の代表者だけが残り、議論を重ねました。

そこに「アサエルの子ヨナタンとティクワの子ヤフゼヤだけは、メシュラムとレビ人シャベタイの支持を得て、これに反対した」と記されますが、それがどのような意味での反対であったかは明らかにされていません。ただ、妻も子もすぐに追い出すという提案に異論が出るのは当然のことと言えましょう。

それ以上に、大多数の者がエズラのことばにそのまま従ったということ自体が驚きです。それは彼らが、自分たちの罪の深刻さを悟ったからです。

 その上で、「祭司エズラは・・一族のかしら・・をみな、名ざしで選び出し」ました(10:16)。それは調査チームをエズラの権威の下でまとめるためです。そして、会議は「第十の月の一日」から始まり、「第一の月の一日まで」に、「外国の女をめとった男たちについて、みな調べ終え」ました。何とすべてを調べるのに三ヶ月も要したというのです。その上で、外国の女を娶った祭司の名が記されます。彼らは民を指導する祭司の立場でありながら、自分も同じ罪を犯し、民を誤った道に引き入れてしまいました。

それで「彼らはその妻を出すという誓いをして、彼らの罪過のために、雄羊一頭を罪過のためのいけにえとしてささげ」(10:19)ました。その上で、外国の女をめとった人々の名が記されます。調査に三ヶ月がかかったにしては短いリストですから、これは抜粋と言えましょう。

その上で最後に、「これらの者はみな、外国の女をめとった者である。彼らの妻たちのうちには、すでに子どもを産んだ者もいた」(10:44)と記されています。これは本当に心が痛む記述です。しかし、それにしても、このように罪を明確にすることによって、二度と同じ過ちを繰り返さないという決意の現れです。

しかし、ネヘミヤ記13章を読むと、この約25年後にはるかに小さな規模にせよ、イスラエルの民は再び同じ問題に直面せざるを得ませんでした。

  なお、私たちは当時のイスラエルの民とは異なり、聖霊を受けることによって新しい神の民とされています。その証として私たちはレビ記で食べることが堅く禁じられている豚肉もイカもタコも食べることができます。ですから、エズラによる分離の命令を、そのまま新約の時代に適用する必要はありません。

そのことをパウロは、Ⅰコリント7章12-14節で、自分の個人的な見解と注意しながら、「これを言うのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです」と言っています。つまり、エズラ記の記述は、新約の時代には文字通りは適用する必要はないというのです。

しかし、続けてパウロは、「しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのような場合には、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか」とも記しています。それは、神と自分との関係はいかなる夫婦関係にも優先するという意味です。聖書は基本的に、夫婦の関係をすべての人間関係の基礎と見て尊重しています。しかし、それを守ろうとすることが、神との関係を壊してしまうことになるなら、離婚もあり得るという点ではエズラとパウロに矛盾はありません。

  エズラの命令は、あくまでも、「主があなたがたを恋い慕って・・」と記されている申命記7章との関係で理解される必要があります。それを新約のことばで言うと、「この世と調子を合わせてはなりません」という原則になります。私たちは自分を愛し、選んでくださった方を喜ばせるために生きるのです。決して、この世の人々の歓心を得ることやこの世と衝突しないことを優先してはなりません。

イエスも、「塩が塩けをなくしたら・・踏みつけられるだけ」だと警告されました(マタイ5:13)。私たちを支えてくださる神を忘れて、この世の人々の歓心を得ようとしても、最終的には、神と人から見捨てられ、踏みつけられるだけです。

しかし、神は、ご自身との交わりを大切にしようとする者は、どんな非道な罪を犯した人であっても、赦し、守り通してくださいます。神の命令の背後には、主があなたがたを恋い慕っておられるという、主の熱い愛の語りかけがあることを決して忘れてはなりません。周りの人から敬虔なクリスチャンと評価されることよりも、神にすがり、神のあわれみに感謝しながら生きることを第一に求めましょう。

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2011年11月 6日 (日)

マルコ6章45-56 「わたしだ。恐れることはない」

                                                 2011116

  私たちは奇跡に包まれて生きています。宇宙の広がり自体が驚異です。研究が進めば進むほど、わかっていなかった世界が増えてゆきます。また私たちの身体や、脳細胞自体が不思議です。なぜ心臓が休みなく動き続け、また、なぜこの脳にはこれほどの想像力があるのでしょう。科学の発展にしたがって、未知の分野は急速な勢いで増えています。それからしたら、アヒルが水の上を歩くように泳ぐことなど何の不思議でもありませんが、ましてイエスが湖の上を歩いたからと言って何の不思議がありましょう。これを理解できないのは、この宇宙の創造の神秘や人間の身体の神秘を、心から味わってはいないからではないでしょうか。

イエスが、「わたしだ。恐れることはない」と言われたとき、そこにどれだけ大きな意味が込められていたことでしょう。それを心から味わうとき、私たちは目に見える状況に惑わされずに、この世の暗闇や困難に向かってゆく勇気を持つことができます。

私たちはイエスが救い主であるということをあまりにも精神的な次元に矮小化して捉えてはいないでしょうか。

1.「イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり」

「それからすぐに、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、先に向こう岸のベツサイダに行かせ、ご自分は、その間に群衆を解散させておられた」(6:45)とありますが、ベツサイダという町は、ヨルダン川の両岸に広がっていたという解釈があります。とにかく、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませることによって、群集と引き離し、その後、ご自身で群集を解散させました。

イエスは人々の必要に答えるとともに、ご自分と弟子たちがそれぞれ、神の御前に静まることができるという時を大切にしておられました。どちらにしても、イエスはその場の状況をすべて支配しておられたのです。

なお、6章7-13節では、イエスが十二人の弟子たちに「汚れた霊を追い出す権威」(6:7)を授け、近隣の村々に派遣したことが描かれていました。彼らは帰ってきて、喜びのうちに「自分たちのしたこと、教えたこと」を「報告」しました(6:30)。その後、イエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい」と言われ、「そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った」とありますが、これはルカによれば、「ベツサイダ」という町の近くで(9:10)、ガリラヤ湖の北岸の町カペナウムから東に四キロぐらい、ヨルダン川を渡った地でした。そこで五千人の給食の奇跡が行われました。

とにかく、イエスは伝道旅行から帰ってきた弟子たちを休ませてあげたかったのですが、多くの群集が弟子たちについて来たためにそれができませんでした。そこでここでは、イエスが強いて弟子たちを舟に乗り込ませたということになったのだと思われます。

一方、イエスは、それから、群衆に別れ、祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた」(6:46)と記されます。1章35節でも、イエスはカペナウムのペテロの家において夜遅くまで、人々の必要に答えておられた翌朝のことが、「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」(1:35)と記されています。

この世では、自分で判断し自分の力で行動できる人が尊敬されますが、イエスは父なる神との交わりなしには何もできないかのように、祈りの時間を大切にしておられました。私たちも忙しければ忙しいほど、祈りの時間を大切にする必要があります。

ヨハネの福音書の並行箇所では、「イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた」(6:15)と記されています。

 続けてここでは、 「夕方になったころ、舟は湖の真ん中に出ており、イエスだけが陸地におられた」(6:47)と描かれますが、弟子たちはガリラヤ湖の北岸沿いを少しだけ舟で移動するつもりが、湖の真ん中にまで流されたのだと思われます。なぜなら、夜になると風は山側から湖面に向かって吹いてくるからです。

「イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり、夜中の三時ごろ、湖の上を歩いて、彼らに近づいて行かれたが、そのままそばを通り過ぎようとのおつもりであった」(6:48)とありますが、確かに私たちと同じ肉体を持ったイエスが「湖の上を歩いた」というのはどうして可能になったのかは分かりませんが、ことばひとつで光を創造することに比べたら、ごく簡単なことと言えましょう。

なお、「通り過ぎる」とは、弟子たちを捨て置いて過ぎ去ってゆくというのではなく、彼らのそばを過ぎ行くことによって神の栄光を現されるという意味です。かつてモーセは心が頑ななイスラエルの民を約束の地に導くという働きの困難さのゆえ、主(ヤハウェ)に向かって、「どうか、あなたの栄光を私に見せてください」と願ったとき、主がモーセを岩の裂け目に入れて、ご自身の御手で彼を覆いながら彼の前の通り過ぎ、ご自身の栄光を現してくださいました。その際、「主(ヤハウェ)は彼の前を通り過ぎるとき」、「主(ヤハウェ)は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとあわれみに富み・・・」とご自身のことを明かされました(出エジ33:17-34:7)。

そして、人となられた神の御子のことが、「この方は恵みとまことに満ちておられた」(ヨハネ1:14)と描かれたのは、モーセにご自身を現された方が、イエスにおいてご自身を現されたことを示しています。

とにかく、イエスはここで、弟子たちが「向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧に」なったからこそ、ご自身の真の姿を、彼らの前を通り過ぎることによって明らかにしたのだと思われます。

なお、Ⅰ列王記19章では、疲労困憊し欝状態になって洞穴に潜んでいたエリヤに向かって、主は、「外に出て、山の上で主(ヤハウェ)の前に立て。見よ。主(ヤハウェ)が通り過ぎるから」(11節私訳)と言われました。その直後、激しい大風、地震、火がそれぞれに通り過ぎましたが、それらの中に「主(ヤハウェ)はおられなかった」と描かれ、火の後に「かすかな細い声があった」(12節)と記されますが、これは厳密には、「優しい沈黙の声(a sound of silence)があった」と訳した方が良いと思われます。主はエリヤを圧倒するような栄光によってではなく、「沈黙の声」として洞穴に隠れるエリヤの前を、優しく「通り過ぎて」くださったのです。

そして、同じようにここでイエスは、神の栄光を私たちと同じひ弱な肉体を通して現そうと、敢えて湖の上を歩いて彼らの前を「通り過ぎ」ようとされたのです。ここには、私たちと同じ肉体を持つ主が、神の御手に支えられながら、強風に荒れる湖の上を静かに優しく歩いておられる姿を通して、神の栄光が現されています。

つまり、ここでの神の栄光は、エリヤのときと同じように、弟子たちを圧倒する大風や地震や火としてではなく、荒れ狂う水の上を歩くという静けさとして現されたのです。コントロール不能になった舟と、イエスの静かな歩みの対比が生き生きと描かれています。イエスは、私たちが向かい風に翻弄され、前進できなくなって困っているときに、優しく私たちのそばに近づき、私たちを支えてくださる方なのです。

2.「しっかりしなさい(安心しなさい)。わたしだ。恐れることはない」

「しかし、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、叫び声をあげた」(6:49)というのです。それは、「みなイエスを見ておびえてしまったから」でした(6:50)。弟子たちがおびえたのも無理がありません。しかし、イエスは、「すぐに彼らに話しかけ」て、「しっかりしなさい(安心しなさい)。わたしだ。恐れることはない」と言われました。

わたしだ」ということばは、ギリシャ語で、「エゴー・エイミー」と記され、「わたしはある」と訳すことができます。かつて主はモーセに対してご自身の名を「わたしは、『わたしはある』という者である」と紹介されながら、「わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた」(出エジ3:14)と話すようにと告げるようにと命じられました。これは英語訳(ESV)では次のように訳されています。 God said to Moses, "I AM WHO I AM." And he said, "Say this to the people of Israel, 'I AM has sent me to you.'. なお興味深いことに、ユダヤ協会英語訳では原文を残しながら次のように訳しています。 And God said to Moses, "Ehyeh-Asher-Ehyeh." He continued, "Thus shall you say to the Israelites, 'Ehyeh sent me to you.'" そして、ヘブル語のEhyeh「わたしはある」ということばはギリシャ語で「エゴー・エイミー」と記されています。つまり、このことばは、イエスがご自分は父なる神と一体の方であることを表現したことばとも解釈できるのです。

それとともに、このことばには、「わたしはあなたとともにいる」という思いも込められています。出エジプト記3章では、モーセがイスラエルの民の指導者として遣わされることに困惑していたときに、主はご自身の名、ヤハウェの意味を説明しながら、モーセがイスラエルの民に向かって、「あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、ヤハウェが、私をあなたがたのところに遣わされた」というように命じられています。

そして、モーセが自分の口も舌も重いことを訴えたとき、主は、「わたしがあなたの口とともにあって、あなたがたの言うべきことを教えよう」(4:12)と言われました。

主のお名前には、「わたしはある」という意味がこめられています。そして、イエスも「このわたしが今、目の前にいるではないか」と、優しく語りかけてくださいました。かつて湖の嵐をたったひとことで静めてくださったイエスが弟子たちとともにいるのですから、もう何の心配もありません。そして、実際、イエスが舟に乗り込まれると、風がやんだ」(6:51)と記されています。

つまり、イエスが文字通り弟子たちといっしょになったとき、不安材料がなくなったのです。そして、その後のことが、「彼らの心中の驚きは非常なものであった」と描かれます。そして、「というのは、彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていたからである」(6:52)とは、彼らが五千人のパンの給食の奇跡からイエスの力をもっと理解してもよかったはずであるという思いが込められています。

イエスが真の救い主であり、全世界の王であるならば、彼にとって制御不可能なことはありません。今日最初に読んだ詩篇8篇では、「あなたは御手のわざの数々を彼に治めさせようと、すべてのものを彼の足の下に置かれました」(6節私訳)と記されていました。そして、イエスが湖の上を歩いたことはまさに、天地万物の創造主が、神の被造物である湖をご自身が遣わした救い主の「足の下に置いた」ということの何よりの証しになったのです。

イエスが真の救い主であるなら、かつてモーセがイスラエルの民を導いたときと同じように、神はイエスを通して目の前の海を二つに分け、また天からパンを降らせて人々を養うことができるのが当然です。このときイエスは、天からパンを降らす代わりに五つのパンと二匹の魚から五千人の群集を養い、また、湖を二つに分ける代わりに、水の上を歩いて弟子たちに近づき、強い風を静め、舟を目的地に向けてくださいました。

神のみわざは毎回、ユニークで同じ繰り返しはありませんが、そこに生きている原則はいつも同じです。主にとって弟子とご自分の間に、強い風に荒れ狂う海があることは何の障害にもなりません。主の行く手を阻むものはなにもありません。そして、主が遠く離れておられると感じられることがあっても、主はすぐに私たちのすぐそばに来ることができるのです。

 ところで、マタイ14章28節以降の記事によると、ペテロはこのとき、「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」と大胆なことを願いました。そこで、イエスは「来なさい」と言われたので、「ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った」と、ペテロも水の上を歩いた様子が描かれます。

先の詩篇8篇には、神が人間を創造されたときの計画が記されていましたが、ペテロも神によって、「すべてのものを足の下に置く」ことができるように創造されたのですから、これは、ペテロが本来の神のかたちに戻ったことを意味すると解釈しても良いかもしれません。

そこまでは良かったのですが、「ところが」、ペテロは「風を見て、こわくなり、沈みかけたので」、「主よ。助けてください」と、叫びだしたというのです。ペテロはイエスだけを見ていたときには、水の上を歩くことができました。しかし、風を見てしまったときに恐怖に襲われ、恐怖の結果として、沈んだと描かれていることです。

それに対して、「イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで」、その上で、「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」と言われました。ペテロが叱責を受けたのは、彼がイエスから目を離して、風を見てしまって恐れに圧倒されたことです。

なお、ここで、「信仰が薄い」という意味は、信念を貫くとか揺るがない心を持つとかいう以前に、目の前の現象に心が奪われて、神を見失ってしまうことに他なりません。

3.「さわった人々はみな、いやされた」       

 「彼らは湖を渡って、ゲネサレの地に着き、舟をつないだ」(6:53)とありますが、ゲネサレの地とはカペナウムより少し西南にあるガリラヤ湖畔です。これは、舟が当初の予定よりもずっと南に流されたことを示しています。

そのとき、「彼らが舟から上がると、人々はすぐにイエスだと気がついて、そのあたりをくまなく走り回り、イエスがおられると聞いた場所へ、病人を床に載せて運んで来た」(6:54、55)というのです。イエスの名はこのあたり一帯に知れ渡っていました。

その後のことが、「イエスが入って行かれると、村でも町でも部落でも、人々は病人たちを広場に寝かせ、そして、せめて、イエスの着物の端にでもさわらせてくださるようにと願った。そして、さわった人々はみな、いやされた(6:56)と記されています。そこにはイエスの到来が、多くの人々に感動と喜びをもたらしたことが描かれています。それこそ、神の国が実現したしるしでした。

「さわった人々はみな、いやされた」ということばに、12年間長血をわずらっていた女性のいやしの出来事(5:25-29)が、みんなに言い広められ、人々がそのまねをしている様子が示唆されています。

ここにはイエスが群集の切実な心の叫びに応答してくださることが強調されています。一人一人が自分自身の必要または身近な病人の必要しか見えていません。彼らはある意味で、ご利益だけを求めているような人々です。しかし、イエスは彼らの心の姿勢を問うことなく、すべての人をいやしてくださいました。

  多くの人々は、神はとっても忙しいので、こんな自分の小さな願いには関心がないに違いないと勝手に思い込んで、主に叫ぶことを忘れています。また主に祈っても、七十億人の中のたったひとりの声など、届きはしないなどと思っている人がいます。

しかし、神は宇宙の果てまでを支配しておられるとともに、私たちの身体の隅々の細胞の動きも知っておられます。神には忙しすぎるということはありません。そのことがここに明らかにされています。

ただそれでも残念なのは、かつての五千人の給食の際は、イエスは「多くの群集をご覧になって、彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろ教えられた」(6:34)と記されていたのに、ここでは何の教えをする間もなかったのだと思われます。

病は癒されても、ふたたびどんな人でもまた病になって、やがて死んでゆきます。病のいやしよりも大切なことがあるということを彼らは悟ろうとはしていなかったのかもしれません。

 イエスはこの世の嵐の中で怯えている私たちに近づき、ご自身の栄光を垣間見せてくださいます。イエスが、「わたしだ。恐れることはない」と言われることばは、まさに天地万物の創造主としてのことばです。飢えた者にはパンを与え、病を癒し、嵐を静め、気力のない者には気力を与えてくださる全能の主であるとともに私たちに寄り添ってくださる慰め主です。

そして、そのイエスの神としての力は、私たちが自分の無力さに打ちひしがれているときにわかります。パウロはその不思議を次のように語っています。それを、心から味わってみましょう。

私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、 

人に知られないようでも、よく知られ、

死にそうでも、見よ、生きており、     

罰せられているようであっても、殺されず、

悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、

貧しいようでも、多くの人を富ませ、

何も持たないようでも、すべてのものを持っています」        (Ⅱコリント6:8-10)。

最後にマザーテレサがカルカッタの孤児院の壁に書き留めたと言われる次のことばを味わってみましょう。すべては、「わたしはある」と言われる方の御前で起こっていることです。ペテロがただイエスを見ていたときは水の上を歩くことができました。しかし、風を見たとたん、恐くなって沈みだしました。私たちも、目に見える結果や状況によって、自分のなすべきことを簡単に変えるような、無節操な生き方にならないように注意したいものです。                                     

私たちの働きはすべてキリストに向けて、神の栄光のためになされるべきものなのですから。そして、イエスはあなたの労苦を喜び、あなたが困難を覚えているとき、その身近に来て助け、その労苦の無駄にせず、その実を見させてくださいます。私たちの目の前にどんな障害や邪魔があっても、主が近づいて来られるのを阻むものは何もありません。

. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を赦しなさい。

 People are often unreasonable, irrational, and self-centered. Forgive them anyway.

. あなたが人に親切にするなら、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、親切でありなさい。If you are kind, people may accuse you of selfish, ulterior motives. Be kind anyway.

. あなたが成功するなら、うその友達と本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。

 If you are successful, you will win some unfaithful friends and some genuine enemies. Succeed anyway.

. あなたが正直で誠実なら、人はあなたを騙そうとするかもしれない。それでもなお、正直で誠実でありなさい。

If you are honest and sincere, people may deceive you. Be honest and sincere anyway

5.何年もかけて創造してきたものが、一夜にして崩れさるかもしれない。それでもなお、創造しなさい。

What you spend years creating, others could destroy overnight. Create anyway.

. あなたが平安と幸せを見出すなら、人のねたみを買うかもしれない。それでもなお、幸せでありなさい。

If you find serenity and happiness, some may be jealous. Be happy anyway.

. あなたが今日した良い行いは、しばしばすぐに忘れられるでしょう。それでもなお、良いことをしなさい。

The good you do today, will often be forgotten. Do good anyway.

. あなたが持っている最高のものを与えても、なお十分になることはないでしょう。

それでも最高のものを与えなさい。

Give the best you have, and it will never be enough. Give your best anyway.

. 結局のところ、それはあなたと神との間のことなのです。

あなたと他の人との間のことであったことは、一度もなかったのです。

In the final analysis, it is between you and God. It was never between you and them anyway.

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