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2012年1月29日 (日)

マルコ8:22-38 「良い人ではなく、一途なキリスト者に」

                                              2012年1月29日

 私たちは多くの場合、自分の力の限界や心の醜さを示され、「より良い人間になりたい・・」と願ってイエスを救い主として告白するように導かれました。しかし、そこから矛盾が始まります。この世には、立派で力のある人々は数多くいます。そこで私たちは、そのような人々に劣らない、「良い人」と評価されることが何よりの証しになると思うようになり、生真面目な、失敗を恐れる臆病な生き方に走ることがあります。

  宗教改革者マルティン・ルターにとって誰よりも頼りになったメランヒトンという若い学者がいます。ルターは多くの人を敵に回しましたが、メランヒトンは争いを嫌い、万人から認められるような改革を進めようとしました。そしてついに、ルターにもルターの敵たちにも気を遣いながら、間違いを犯すことを恐れるあまり、悩みに囚われ、仕事が進まなくなりました。良い人であろうとすることが重荷となり、信仰の喜びを見失いそうになったのです。そんな彼にルターは驚くべき手紙を書きました。

  「あなたが恵みの説教者であれば、作り物の恵みでなく、本物の恵みを説教しなさい。もしそれが本物の恵みであれば、作り物の罪でなく本物の罪を負いなさい。神は作り物の罪人を救いたまいません。

  罪人でありなさい。大胆に罪を犯しなさい。しかしもっと大胆にキリストを信じ喜びなさい。彼こそは、罪と死とこの世との勝利者です。

  私たちがこの地上にいる限り、罪を犯さざるを得ません。この地上での生は、義が私のものとなるというようなものではありません。ペテロが言うように、私たちは義の宿る新しい天と新しい地とを待ち望むのです。この世の罪を取り除く小羊・キリストを、神の大きな恵みによって私たちが知るに至ったことで十分です。

  たとえ日に千度殺人を犯しても、どんな罪でも私たちをこの小羊から引き離すことはないでしょう。これほど偉大な小羊によって、私たちの罪の贖いのために支払われた代価が少なすぎるとあなたは思うのですか。

  大胆に祈りなさい。最も大胆な罪人になりなさい。1521年、使徒ペテロの日に。マルティン・ルター」

  私たちがしばしば、八方ふさがりに陥り、身動きがとれなくなるのは、良い人であろうとするあまり、臆病になりすぎている結果かもしれません。

  良い人になることよりも、一途なキリスト者になることを求めましょう。何よりもイエスの救いを喜び、一途にイエスを愛し、人の評価を恐れず、失敗を恐れず、イエスのために生きて行きましょう。

1. 「イエスはもう一度彼の両目に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると・・・」

  イエスと弟子たちはガリラヤ湖の北岸にある「ベツサイダに着」きました。「すると人々が盲人を連れて来て、彼にさわってくださるよう、イエスに願」いました(8:22)。当人の信仰というより、周りの人々の信仰によって導かれるというパターンは732節以降と同じです。そして、イエスは彼との静かな交わりのために「盲人の手を取って村の外に連れて行かれ」ました(8:23)

  そしてここでも733節に記されていた口のきけない人の癒しと同じようにご自分の「つばき」を用い、「その両目につばきをつけ、両手を彼に当てて」、「何か見えるか」と聞かれました。「つばき」を用いることに何かのまじないのような意味があるのではなく、これはイエスの口が彼の目に近づき、いのちの温かさを伝えるという感じだと思われます。盲目な人がイエスのいのちの息吹を直接に受けたのです。

  その結果が、「すると彼は、見えるようになって」、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えますと言った、と描かれています(8:24)

 イエスは不思議に、たちどころにではなく段階的に癒そうとしておられます。これはその後の弟子たちの信仰の目が段階的に開かれてくることと並行しているとも思えます。

 その後、「それから、イエスはもう一度彼の両目に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった」(8:25)とありますが、目を開いて「見つめている」ときに、ぼんやりと見えていたものが、徐々にはっきりしてくるというのは本当に感動的だったことでしょう。

 しかも、彼の両目にイエスの両手が当てられていたということは、彼のすぐ目の前にイエスの御顔があったということです。彼が開かれた目で最初に見たのはイエスの御顔だったのです!

  それは、私たちにやがて起きることでもあります。私たちもみな肉体が徐々に衰え、目もかすみ、やがて死とともに見えなくなります。しかし、私たちの身体が復活し、新しいエルサレムに入れられるとき、「顔と顔とを合わせて」イエスの御顔を「見る」ことになります(Ⅰコリント13:12)

 そして、ここでもイエスは彼がご自分のことを宣伝することを戒めて、家に帰しながら「村に入って行かないように」と言われました(8:26)。イエスのいやしのみわざは、ご自身が預言された救い主であるということの証しでしたが、それを不特定多数の人に一度に知らせたいとは思われませんでした。

  たとえば、イザヤ2918-20節には、「その日、耳の聞こえない者が書物のことばを聞き、目の見えない者の目が暗黒とやみから物を見る」ということと並行して「横暴な者はいなくなり、あざける者は滅びてしまい、悪をしようとうかがう者はみな、断ち滅ぼされる」と記されています。つまり、貧しい者の救いと横暴な者へのさばきは同時に行われると示唆されているのです。

  当時のユダヤ人は、ローマ帝国からの独立を切望していましたが、それは盲人の目を開く救い主は、同時に、ローマ軍を立ち滅ぼしてくれる戦士でもあると期待されていたということを意味します。

  彼らのそのような期待を刺激してしまうなら、イエスはご自身が語りたいと思われる神の国の福音を、弟子たちをはじめとする身近な人に静かに語り継げ、彼らが納得できるように導くということができなくなります。真理は静かに伝えられる必要があったのです。

2.あなたは、キリストです

  「それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた」8:27)とは、ベツサイダからヨルダン川の水源地帯に向かって北上することを意味しました。それはガリラヤ湖から北に40㎞の地で、当時の偶像礼拝の中心地でした。

  カイザリヤとはローマ皇帝の町という意味で、ピリポというのは皇帝から支配を任されたヘロデ大王の息子の名です。イエスは敢えて、「私たちの王は、ローマ皇帝です」と人々が告白する地において、世界の真の王は誰かを示そうとされました

  それで、「その途中、イエスは弟子たちに尋ねて」、「人々はわたしをだれだと言っていますか」われました。不思議にもイエスは、彼ら自身の意見を聞く前に人々がご自身をどのように見ているかを問われます。それは、主がご自身のことを徐々に明らかにしてゆくというプロセスでもあります。

当時の人々の中には、イエスをヘロデ・アンテパスに殺されたはずの「バプテスマのヨハネ」が生き返って現れたと言う人もいました(8:28)。また「エリヤだと言う人も」いたというのは、最後の預言者マラキが、救い主の到来の前に、かつて生きたまま天に引き上げられたエリヤが再びこの地に送られてくると語っていたからです。

  そのような超自然的な存在としてイエスを見たのは、彼らがイエスの行う様々な不思議に圧倒されていたからです。

  なお、後にイエスご自身はバプテスマのヨハネこそが、預言されたエリヤの現れであると言っています(9:11-13)

  その上で、「預言者のひとり」という見方は、より現実的な存在に聞こえます。ただ、それでもイエスをエリヤと見ることも、預言者のひとりと見ることも、イエスが人間であって、神の御子としての救い主とは認めていなかったという点では同じです。

  彼らにとって、イエスは神の救いを告げ知らせる人であって、実現する人ではありませんでした。現代のイスラム教徒も、イエスを預言者とは認めても、救い主であるとは認めていません。

  その答えを受けて、イエスは弟子たちに、「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と尋ねます。それに対して、ペテロは「あなたは、キリストです」と告白しました(8:29)。この告白はマルコの福音書の前半のクライマックスでもあります。なぜなら、この福音書は「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」ということばから始まりますが、そのことがイエスの弟子の口から明らかにされたことになるからです。

  なおマタイの並行個所では、ペテロは、「あなたは、生ける神の御子キリストです」と答えたと記されています(16:16)。

  当時の人々にとって、キリスト(救い主)とは、虐げられている人を救うと同時に、彼らを虐げる権力者を滅ぼす存在でした。決して、バプテスマのヨハネのように、権力者に殺される存在ではなく、目に見える世界を作り変えてくれる方でした。

  それに対し、イエスは、「自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められた」と記されていますが(8:30)、ここでもイエスは救い主のイメージが独り歩きして広まることを避けたかったのです。

  ペテロの告白は間違ってはいませんが、キリスト(救い主)ということばは、人々をローマ帝国からの独立運動に駆り立てる可能性を持っていました。それでイエスは弟子たちに沈黙を命じた上で、救い主のイメージを修正しようとされました。

3.「人の子は・・・」

  イエスは、意外な救い主の姿を示すために、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められ」ました(8:31)。それは、ご自身が世界を救う前に、誰も想像しなかった苦しみの道をたどる必要があるということを示すことばです。

  なお、イエスが「人の子」ということばを使われたのは、栄光に満ちた権威を指し示すもので、ご自分をダニエル71314節が描く救い主として現したからに他なりません。

  そこでは、「見よ。人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は亡びることがない」と記されていました。

  そして、イエスは十字架にかけられる前のユダヤの最高議会における裁判の席で、このダニエル書のことばを引用しながら、ご自分が救い主であることを証しされましたが、それに対してユダヤの最高議会は全員一致でイエスは神への冒涜のゆえに死刑に値すると決めました(14:61-64)

  ただし、イエスの時代、「人の子」ということばは、もっと広い意味で用いられていたようです。神は預言者エゼキエルに語りかける時、繰り返し、「人の子よ」と呼びかけています。

  そして、当時の敬虔な人々は自分のことを「人の子」として表現することがあったとも言われます。ですから、ペテロを初めとする弟子たちが、イエスがご自分を「人の子」と呼んだからと言って、すぐにダニエル書713節を思い浮かべることができたとは思われません。

  ただそれにしても、当時のユダヤ人にとっての救い主というのは、イスラエルの解放者であったことは間違いありません。彼らは、約二百年前にギリシャ人が支配するセレウコス朝シリアからの独立を勝ち取ったユダ・マカベオスのような存在をイメージしていました。

  ですから、救い主が、ユダヤ人の宗教指導者である「長老、祭司長、律法学者たちに捨てられる」などということは、想像だにすることはできませんでした。なぜなら、当時の人々は、エルサレム神殿に主の栄光が戻ってくることを期待していたからです。

  当時のエルサレム神殿は、外面は壮麗たるものでも、その中には契約の箱も入ってはいませんでした。まるでご本尊のないお寺のようなものです。

  モーセのもとで建てられた神の幕屋にも、ソロモンが建てた神殿にも、神の栄光が満ちて、人々が近づくことができないほどになったということが記されていますが、バビロン捕囚からの帰還後に建てられた神殿には一度もそのようなことが起きませんでした。

  それに対して、当時、期待された救い主はエルサレム神殿に神の栄光を満たす存在であり、それと同時に、ローマ帝国からの独立を勝ち取ってくれる強力な指導者でもあったのです。

4.「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている

  なお、イエスはご自分が「苦しみを受け・・捨てられ、殺される」ことを「はっきりと・・話された」と敢えて記されますが(8:32)、それに対し、「するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた」と描かれます。

  マタイの並行記事では、ペテロは、「そんなことが、あなたに起こることはありません」と言いながらイエスをいさめたと記されています。簡単に言うと、ペテロはイエスに向かって、「あなたは不信仰だ!」と言ったに等しいのです。

  それに対してのイエスの反応は驚くほど激しいものでした。そのことが「しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって」、「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と言われたと記されています(8:33)イエスはペテロに向かって、「おまえはサタンの誘惑に負けている」と言ったのではなく、ペテロ自身を、「サタン」と呼んで退けたのです。これほどに厳しい叱責はありません。

 なぜなら、それは武力闘争への道か、神の平和への道かの分かれ道だと思われたからです。たとえば、日本の青年将校たちは1936年の226事件で、軍備拡張に否定的な高橋是清をはじめとする指導者たちを殺害しました。それ以来、軍部に批判的な人々は公然と発言することはできなくなりました。それが日本の分かれ道でした。

  当時のユダヤにも武力闘争主義者が満ちていましたが、ペテロを初めとする弟子たちは、そのような道に進む可能性があったのです。

  それから、イエスは、弟子たちばかりか、「群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて」、彼らに、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」と言われました(8:34)。つまり、これは特別な弟子たちへのことばではなく、すべての人への招きなのです。

  これは、たとえば、ダニエルが目に見える王を拝むことを拒絶して、無抵抗のままライオンの穴に投げ込まれた生き方であり、また、ダニエルの三人の友人たちが、ネブカデネザルが作った金の像を拝むことを拒絶して、無抵抗で燃える炉の中に投げ込まれたことと同じ生き方です。

  神は、ライオンの穴の中でダニエルを守り通し、また、三人を燃える炉の中で守り通しました。神は、彼らを人間の目には死んだ状態にまで追い込んだ上で、その苦しみのただ中で守り通してくださったのです。

  そして、ダニエル書の結論は、イスラエルの神、主に死に至るまで忠実である、「思慮深い人」が、「永遠のいのち」へと復活すると記されています(12:2,3)。これは、人間的には死ぬこと、敗北をすることを厭わないことによって、神にある勝利を体験できるという、神にある逆転の生き方です。

  なお、「自分の十字架を負う」とは、何か重い責任を担うという意味に解釈されることがありますが、これは何よりも十字架を背負ってゴルゴタに向かったイエスの御跡に従う歩みです。イエスは多くのユダヤ人たちから罵声を浴びせられ、唾をかけられ、死刑場に向かいました。重たい責任を担っているという誇りを持つこともできなければ、人間的にはいかなる出口も見えない歩みです。

  十字架を負ってイエスに従うとは、富も名誉も、すべてを捨てる覚悟で、ただ「わたしについて来なさい」というイエスの招きだけに従う歩みなのです。誰からの評価も期待せずに、ただイエスのまなざしのみを意識して生きることです。

  イエスはある意味で、不可能をお命じになられたとさえ言えましょう。ですから誰も、自分の力や勇気ではなく、御霊の助けがなければキリストに従うことはできないのです。

5.「いのちを救おうと思う者はそれを失い・・・いのちを失う者はそれを救う」

 そしてイエスは続けて、「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう」(8:35-37)と言いました。

イザヤ5213節から5312節には、主のしもべの歌というのが記されています。その最初において、「見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる」と言われた上で、その方が、「さげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた」という状態になると言われ、「彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった」と記されます。

  まさに、復活への道は十字架を通して開かれると記されているのです。

  ダニエルが、バビロンでもペルシャでも異教徒の王から信頼されたのは、死に至るまで神への忠誠を保ったその信仰が認められたからです。彼が権力者におもねるような生き方をしていたなら、決して信頼されることはありませんでした。

  しかし、それはダニエルの信仰というよりは、神がダニエルを励まし、守り通してくださった結果でした。預言者イザヤもエゼキレルもエレミヤも、それぞれ「死に至るまで忠実」(黙示2:10)でした。

  それこそが神のしもべとしての生き方でした。イエスは私たちにもこれらの預言者と同じように生きることを求めておられるのです。

  そして、それを誤解することがないようにイエスは最後に、「このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます」(8:38)と断言されました。

  つまり、人の顔色を窺って、イエスが自分の主であることを人々の前で否定するような者は、イエスとともに栄光を受けることはできないのです。なお、ここではイエスは最終的に、この世のすべての悪をさばく方として現れるということが示唆されています。

イエスを甘く見てはならないのです。

ただし、ペテロはこのことばを聞きながらとんでもないことをしました。彼はイエスがとらえられ、その後をこっそりとついて行ったとき、人々からイエスの仲間であることを尋ねられますが、そのとき、三度にわたって、イエスのことなど知らないと、神に誓って、断言しました。しかし、イエスはペテロをその後、真の悔い改めに導いてくださいました。

ペテロは、「自分は大丈夫だ」と豪語していたときには負けました。しかし、自分の弱さを思知らされたあとには、死に至るまで忠実に歩むことができました。

  私たちに信仰を与え、信仰を全うさせてくださるのは、聖霊のみわざです。自分の弱さを認めながら、なお、イエスに従い続けたいと願う者のうちに聖霊が働いてくださいます

 ある方が、マザー・テレサに、「なぜ、十分にない薬や人手を、死に行く病人に与えるのですか」と尋ねたところ、彼女は毅然と、しかし笑顔で、「私は、与え続けます。なぜなら路上で瀕死の状態の人たちが、身体を拭いてもらって傷口を洗い、包帯を巻き、お薬を飲ませてもらう。初めて温かい看護をしてもらう。そして人によっては数時間後に召される・・ほとんどの人たちが、『ありがとう』と言って死ぬのです・・・

  世を恨みながら死ぬ代わりに、感謝を持って生涯を終えられる・・それは本当に美しい光景なのです・・・

  私は死に行く人の最後のまなざしをいつも心に留めています。人々が死を迎える時に、『愛された』と感じながらこの世を去ることができるなら、何でもしたいと思っています」と答えたとのことです。

  彼女にとって、死に行く人に仕えることは、イエスを礼拝することでした。彼らからの感謝のことばは、イエスからのことばとして聞こえました。彼女はそのために、多くの信仰者が首をかしげたくなるような大胆な行動をとりました。しかし、彼女にとっては、そんな人の評価など、何の意味も持ちませんでした。

  一方、私などは、人の評価が気になってたまりません。「先生は、自分のことばかり考えている・・」などと言われたら、夜も眠られなくなります。しかし、イエスが、「自分の十字架を負って、わたしについて来なさい」と言われたことばを思い起こすたびに、ふと、人々の評価から自由になれるような気がします。

  いわれのない批判を受けながらも、「私は十字架を負っている」と思えるなら、そこにはイエスと一つとされているという感動が生まれるからです。

 二・二六事件の際に、お父様を目の前で殺されたのを目撃し、その後、様々な導きの中で日本のカトリック教会のリーダー的存在になられた渡辺和子さんは、マザー・テレサに最初に会ったとき、「なんと厳しいまなざしをお持ちの方なのだろう」と思ったとのことです。マザーは、世に言われる「良い人」ではありませんでした。しかし、彼女は誰よりもイエスのまなざしを求め続けた「一途な人」でした。

 ちなみに、渡辺和子さんも、18歳で洗礼を受けてから、ことあるごとにお母様から、「それでもあなたはクリスチャン?」と言われ、つらい思いをしたと言っておられます。その後も、様々なつまずきを体験しながら、「イエス様、きょうもまたしくじりました。倒れてしまいました」と言っていたそうです。

  するとイエスは、「いいよ。わたしだってゴルゴタの丘を登っているときに、三度も倒れたのだから・・・倒れてもいいよ。また笑顔で、起き上がってごらん」と言っていてくださるのを感じていたそうです。

  私たちも、イエスが死んで生きられたように、より豊かになって生きるために毎日、小さな死を体験する必要があります。それは言い返したいときに言い返さないことなど些細なことに始まり、愛されるよりは愛することを、慰められるよりは慰めることを求めることなのです。

  いつでもどこでも、主に喜ばれ、主に従うことのみを考えて生きてゆきたいものです。最善を目指しながら、同時に、自分の弱さを正直に認めるときに神の力が働いてくださいます。

 

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2012年1月22日 (日)

ネヘミヤ7,8章 「主(ヤハウェ)を喜ぶことは、あなたがたの力です」

                                                  2012122

  日本人は過去を水に流してまったく新しい歩みを始めるということが得意ですが、そこには大きな危険も伴います。

デフレ経済の中で今から約80年前の高橋是清の財政政策が見直され、また昨年の東日本大震災では現在の東京の都市計画の基礎を関東大震災の直後に作った後藤新平が見直されています。そして今、NHK大河ドラマでは、世界史でもユニークな朝廷と武家の二重政権の基礎を築いた平清盛の功績が見直されています。日本は今、少子高齢化、デフレ経済、膨大な財政赤字などで世界の最先端を走っていますが、日本の歴史の中にもユニークな発想で危機を乗り越えたリーダーがいました。

しかし、日本ではそのような人々のユニークな発想はいつもその後の人々によってつぶされてきました。それは、過去の記憶を忘れるのがあまりにも得意すぎるからではないでしょうか。それに対して、聖書の世界では、何よりも、歴史が尊重されます。しかも、そこには夢が世代を超えて受け継がれるという記録が見られます。

ネヘミヤはユニークな発想でイスラエルを導いた強力なリーダーでしたが、彼は何よりも、神の恵みの歴史に基づいた夢を掲げていました。申命記309節にはバビロン捕囚後の夢が、「主は、あなたの先祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる」と記されています。自己犠牲を訴えることも時には大切ですが、人々を導くのは歴史に基礎を置いた夢ではないでしょうか。

 

1.「私の神は、私の心を動かして・・・彼らの系図を記載するようにされた」

7章初めでは、エルサレム城壁完成直後の様子が、「城壁が再建され、私がとびらを取りつけたとき、門衛と、歌うたいと、レビ人が任命された。私は、兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた」7:12)と描かれます。

ハナニとは、12節では、ペルシャの王宮に仕えていたネヘミヤに最初にエルサレムの悲惨を伝えた人でした。またハナヌヤについては「誠実な人」「神を恐れていた」と記されています。

ネヘミヤはエルサレムの指導体制をこれによって固めたのでしょう。その上で彼は、ふたりに、「太陽が高く上って暑くなる前に、エルサレムの門をあけてはならない。そして住民が警備に立っている間に、門を閉じ、かんぬきを差しなさい・・それぞれの見張り所と自分の家の前に見張りを立てなさい」と言いました(7:3)

これはエルサレムの城壁の門を開く時間を短くすることによって敵の攻撃や内部を攪乱する敵のスパイの侵入を防ぐためでした。

 

その上で、「この町は広々としていて大きかったが、そのうちの住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった」(7:4)と当時の状況が描かれますが、城壁が完成した今、いよいよ新たな発展を望むことができます。

 

そして、ネヘミヤは私の神は、私の心を動かして、私がおもだった人々や、代表者たちや、民衆を集めて、彼らの系図を記載するようにされた」(7:5)と記しますが、これは彼が、212節で、私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった」と記していることと基本的に同じです。彼は何よりも、神の御前に静まり、神が自分の心を動かしてくれることに忠実であろうとしました。

なお、しばしば、「御霊の導きで示されて・・」と言いながら、自分の直感に頼っている場合がありますが、ネヘミヤの場合は、神に心を動かされるということと、現実を正確に理解するということは車の両輪のように切り離せない関係にありました

 

当時のイスラエルの民にとって、系図の記録は神の契約を受け継がせるという意味を持っていました。信仰は極めて個人的なことですが、それは同時に親から子へと受け継がれてゆくものでもあるからです。

私たちの時代は信仰の継承における親の権威があまりにも軽くなりすぎている気がします。それは教会においても同じです。それぞれの教会には神の特別な導きがあります。教会の歴史を知り、それを尊重することは非常に大切です。

 

そのような中でネヘミヤは、「私は最初に上って来た人々の系図を発見し、その中に次のように書かれているのを見つけた」と記します。これは彼にとって90年前の記録です。それは日本が1918年の第一次世界大戦終結を通して先進国の仲間入りをし、1923年の関東大震災後の帝都復興計画による復興の記録を振り返るようなものです。

ネヘミヤはその記録を見ながら、そこにあった恵みと同時に、そこから始まった問題に関して思いを巡らしたのではないでしょうか。詩篇126篇にはその時の感動が、「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた」と記されています。

しかし、それは夢が破れる始まりでもありました。人々はすぐに自分の生活のことで心が一杯になり、民の間の経済格差が広がり、民の一致が乱れ、城壁の再建がまったくできなくなりました。

ネヘミヤは当時を振り返りながら、あるべき原点に立ち返ろうとしていたのです。今から90年前の日本もそこから金融恐慌、満州進出、第二次大戦へと坂道を転がるように落ちてゆきました。

しかし、私たちはすべてを否定するのではなく、復興計画を主導した後藤新平や、大恐慌からの復興を導き、緊縮財政で軍部の反発を受け1936年の226事件で倒れた高橋是清など、当時の高潔な政治家たちが夢見ていたことも思い起こす必要があります。

 

2.系図の意味と、系図を失った人の末裔

そして、6節から72節までのことばは、エズラ2章の記事とほとんど同じです。一族の呼び名や数字に若干の違いがある箇所がありますが、それは記者がいつどこで書いたかの違いから生まれる誤差と言えましょう。同一の出来事に関して敢えてふたつの記録が残され、それがほとんど同じであること自体が、何よりも驚くべきことです。

 

そこでまず最初のエルサレム帰還者のリストが、「バビロンの王ネブカデネザルが引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれて上り、エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。ゼルバベルといっしょに帰って来た者は、ヨシュア、ネヘミヤ・・・」7:67)と記されます。ネヘミヤにとってゼルバベルとかヨシュアは神殿建設を導いた偉人、模範となるべき人だったのではないでしょうか。

なお、ここに記されるネヘミヤは、ネヘミヤ記のネヘミヤの祖先であったのかもしれません。彼はこの系図を見ながら、改めて自分の使命を自覚したことでしょう。彼は自分をここに登場するリーダーの後継者として位置付けていました。

 

そして、8-38節はエルサレムに帰還した一般のユダヤ人たちの氏族ごとの帰還者の人数です。39-42節には祭司たちが記されますが、その合計は4,289人で帰還者の約一割に相当します。バビロンの地に捕囚とされながらこれほど多くの祭司たちがエルサレムに帰還できたということは驚きです。

祭司でもあった預言者エゼキエルの例にも見られるように、彼らは捕囚の民の中にあって、聖書の教えに真剣に立ち返り、バビロン捕囚の中に神のさばきとともに希望を見出し、神の民としてのアイデンティティーを保つ要となっていました。

 

   興味深いのは、「宮に仕えるしもべたち」(46-56節)と、「ソロモンのしもべたち」(57-60節)の部族の名が具体的に記されていることです。神は、隣人愛を、血筋を越えて在留異国人にまで広げてくださっていました。

 

   ただ、61-65節には、「先祖の家系と血統」を明確に「証明することができなかった」人々のことが記されています。62節にはトビヤ族の名が出ていますが、ネヘミヤの仇敵トビヤはその族長の子孫だったかと思われます。彼がユダの貴族たちと親しくしながら、エズラやネヘミヤの働きを徹底的に妨害しようとしたのは、この負い目があったからと考えると納得できます。なおこの家系を証明できることは、特に、祭司職を果たすためには重要な基準でした。

それにしても、彼らの名が在留異国人の後に記されていることは興味深いことです。私たちの場合は、系図を記録することよりも、自分たちが主から受けた恵みの契約を、子孫たちに伝えるということの責任が問われています。ただし、ここでは、家系図を失っていた人たちがエルサレムに帰還する者の仲間から外されたというわけでも、また、系図の見つからない祭司が、永遠に排除されたというわけでもないことも覚える必要があります。

 

その上で、「全集団の合計は四万二千三百六十名であった」(66節)と記されながら、それに加えて、「このほかに、彼らの男女の奴隷が七千三百三十七名いた。また彼らには男女の歌うたいが二百四十五名いた」(67節)と記されますが、これはこの集団の豊かさを表します。

男女の歌うたい」とは、44節にあった神殿の聖歌隊とは異なり、葬式や結婚式、余興のための要員です。この集団は五十年前には奴隷に近い状態でバビロンに引っ張られて行ったことを思えば何という恵みでしょう。これはかつての、出エジプトのときと似ています。

 

それに応答するように、「一族のかしらの何人かは、工事のためにささげ物をした・・」としながら、エズラ記の場合とは異なり、総督、一族のかしら、そのほかの民のささげものと区分けして描かれます。

エズラ記ではこれらの合計が、「金六万一千ダリク、銀五千ミナ」(2:69)と記されていました。これは現在の数十億円に相当します。彼らは着の身着のままでバビロンに連行されながら、50年後には捕囚の地で豊かになって帰ってきたのです。

 

最後に、「こうして、祭司、レビ人、門衛、歌うたい、民のある者たち、宮に仕えるしもべたち、およびすべてのイスラエル人は、自分たちのもとの町々に住みついた」(72節)と記されますが、これはまさにイザヤやエレミヤの預言が成就したことを示します。

預言者エレミヤは、バビロン捕囚として連行されたユダヤ人に向かって、敵国に根をおろし、敵国の繁栄のために祈ることが、かえってエルサレムへの帰還の近道となると言いました(29:5-7)。

 

不思議にも、50年間のバビロン捕囚を通してイスラエルの民は豊かにされました。しかし、エルサレムに帰ってからの90年間は、夢が破れ、問題が山積して行きました。

ネヘミヤの改革はその悪循環を断ち切ったのです。逆境の中の方が人間は成長します。日本も戦後の復興を成し遂げた後で、夢が破れるプロセスに入りました。

 

3.「民はみな・・・大いに喜んだ。これは、彼らが教えられたことを理解したからである」

7章72節の最後の文章からはこのエルサレムへの最初の帰還から約90年余り後の城壁完成後の記述です。「イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、民はみな、いっせいに・・・集まって来た」という記述は、エズラ記3章とまったく同じ表現です。

そこではエルサレムへの最初の帰還の様子が描かれた後、皆がそろってエルサレム神殿のあった場所に集まり、神の祭壇を築き、全焼のいけにえをささげ、仮庵の祭りを祝い、神殿の礎を据えた様子が描かれていました。それはエルサレムに帰還できたことを心から喜ぶ祝いの機会でもありました。

それに対して、ここのテーマはエルサレム城壁の完成の祝いという意味があります。城壁の完成はエルルの月、つまり第六の月の二十五日でしたから、これはその五日以内のことです。

第七の月の第一日は「ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合」の日で(レビ23:24)、後のイスラエルではそれが一年の始まりの日、元旦とされました。そして、その十日は民全体のための大贖罪の日、十五日から仮庵の祭りが始まりました。つまり第七の月はイスラエルにとって再出発を記念する月だったのです。

ただここでは集会の場が、「水の門(Water Gate)の前の広場」となっています。それは城壁の外にあるギホンの泉に最も近い門であったかと思われます。これは城壁の完成を祝うという意味では最もふさわしい場所だったからだと思われます。

ただ同時に、ここではその後の展開が、「彼らは、主(ヤハウェ)がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに願った(8:1)と記されます。それは、律法の朗読と解き明かしが、民の生活の場の中心で語られたという意味でもあります。

 

かつてエルサレムに最初に戻ってきた人々にとっての最大の課題は神殿再建と礼拝の復興でしたが、ここでのテーマは、神の民の共同体としての再建でした。

ネヘミヤは城壁工事の真っ最中に、貧しい人々の訴えに真剣に耳を傾けて、民の貧富の格差の是正のための大きな決断を導きましたが、その連続性がここにあるのでしょう。

 

なお、この13年前の記録がエズラ記109節に記されています。そこではすべてのイスラエルの男性神の宮の前の広場に集められ、大雨に震えながら、外国の女をめとった者たちへの悔い改めが強く迫られていました。

しかし、この集会の場は、水の門の前であり、秋の麗しい日差しのもとで、女性も子供も集いみなが心から神のみことばを聞こうとしていました

その様子が、「そこで、第七の月の一日目に祭司エズラは、男も女も、すべて聞いて理解できる人たちからなる集団の前に律法を持って来て、水の門の前の広場で、夜明けから真昼まで、男や女で理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな、律法の書に耳を傾け(8:23)と描かれます。

ここではエズラの祭司としてのリーダシップが強調されながら、その直後に、「学者エズラは、このために作られた木の台の上に立った」(8:4)と、彼が民に律法の内容を解き明かす学者とも呼ばれていることは興味深いことです。彼のそばには、右手に六人、左手に七人が立っていました。彼らは交代しながら聖書を朗読したのでしょう。

 

そしてそこでの様子が、「エズラはすべての民の面前で、その書を開いた・・彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。エズラが大いなる神、主(ヤハウェ)をほめたたえると、民はみな、手を上げながら、「アーメン、アーメン」と答えてひざまずき、地にひれ伏して主(ヤハウェ)を礼拝した(8:56)と描かれます。

 

7節には再び別の13人のレビ人の名が記されますが、彼らは「民に律法を解き明かした(8:7)と記されます。それは読まれたヘブル語を当時の民の言葉のアラム語に翻訳することだったかもしれませんし、読まれた箇所の短い解説だったかもしれません。

その結果が、「彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解し(8:8)と記されます。仏教のお経の例にあるように、しばしば宗教の聖典は、理解されることよりも正確に朗読されること自体に意味を持たせようとする場合がありますが、ここでは「民は・・理解した」ということが強調されています。

 

そのような中で、「総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全部に向かって」、「きょうは、あなたがたの神、主(ヤハウェ)のために聖別された日である。悲しんではならない。泣いてはならない」と言いました(8:9)。それは「民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたから」だと言うのです。

律法の終わりの部分には、神の御教えを軽蔑した者に対する恐ろしいさばきが記されています。それがバビロン捕囚として成就しました。民はその歴史を思い起こしながら泣いていたのでしょう。

それにしても、ネヘミヤとエズラとレビ人たちがひとつ思いになって民を導いているという姿は感動的です。これこそ御霊のみわざです。

 

その上でネヘミヤは、「行って、上等な肉を食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった者にはごちそうを贈ってやりなさい。きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない」と言いました(8:10)

何も用意できなかった者に対する配慮までが記されていることは、まさにネヘミヤらしいことばです。

 

なお、最後のことばは、新改訳の別訳のように「(ヤハウェ)を喜ぶことは、あなたがたの力であるから」と訳す方が一般的です。レビ記でも申命記でも、主ののろいが実現した後に、主の祝福のときが始まると記されていました。過去の反省も大切なのですが、それ以上に大切なのは、主が私たちの罪にも関わらず、私たちを赦し、回復させてくださったということを覚えることです。

深く反省して行動を改めるというのは、この世の道徳律での常識です。しかし、聖書の教えの核心は、人間の教えを超えた神のみわざに目を留めることです。彼らはこのとき新しい神の民の共同体として再出発するときでした。ですから、彼らに必要なのは、何よりも、主を喜ぶことだったのです。

 

そして、その結果が、「こうして、民はみな、行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。これは、彼らが教えられたことを理解したからである(8:12)と記されます。「理解した」ということばが8節と同じように用いられていることに注目したいと思います。

このときの民は、真剣に律法の朗読と解き明かしに耳を傾けました。そして、「心から聞く」ことこそが律法の核心です。イエスは律法の核心を、申命記64節を引用しながら、「イスラエルよ。聞け」という部分から読まれました(マルコ12:29)。「聞きなさい」(シェマー)という部分を省略して神の命令を語ることは、律法の核心を歪めることになります。

 

4.「捕囚から帰って来た全集団は・・仮庵に住んだ・・それは非常に大きな喜びであった

「二日目に、すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た(8:13)とは、民の指導者たちが自分から積極的に聖書を学ぶ姿勢を持つようになったということを示します。その中で彼らは、「(ヤハウェ)がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない」と書かれているのを見つけ出します(8:14)

これは仮庵の祭りを祝うことに関しては、ソロモンの神殿が完成したときにも、また最初のエルサレム帰還の民も大々的に祝ったということが記されています(Ⅱ歴代8:13、エズラ3:4)。しかし、実際に仮庵を作って住むということは忘れられていたのでしょう。

それを聞いた民の指導者たちは、「自分たちの町々とエルサレムに」、「山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、また、枝の茂った木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作りなさい」というおふれを出しました(8:15)

仮庵を作る材料はすべて土地の豊かさを現す植物です。それはレビ記2339-43節に記されていますが、そこでは何よりも、「七日間、あなたがたの神、(ヤハウェ)の前で喜ぶ」ことが命じられていました。申命記の並行個所でも、「あなたは大いに喜びなさい」16:15)と命じられています。

 

そこで「民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門の広場、エフライムの門の広場などに、自分たちのために仮庵を作った」というのです(8:16)

そして、「捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった」(8:17)と、これがヨシュアに導かれて約束の地に入ってきて以来の大きな出来事であると描かれます。

これは先に述べたようにイスラエルの民が、まったく仮庵の祭りを祝ってこなかったという意味ではなく、このように本格的な、律法通りの仮庵に住むという形では守ってこなかったという意味です。

そして、最後に、「神の律法の書は、最初の日から最後の日まで、毎日朗読された。祭りは七日間、祝われ、八日目には定めに従って、きよめの集会が行われた」(8:18)と記されます。

 

エズラ記以前の記述では、祭りにおけるいけにえの量に焦点が合わされていましたが、ネヘミヤでは何よりも聖書の朗読に耳を傾けるということと、主を喜ぶということに焦点が合わされています。不思議に今回の箇所では、民の側からのいけにえをささげるという犠牲に関しては何も書かれずに、聖書朗読を聞き、みことばを学び、主を喜ぶということばかりが強調されています。

そして、それこそバビロン捕囚から帰還した民にとっての礼拝の特徴になったのだと思われます。それこそ新約における礼拝への橋渡しになる礼拝です。

 

 「主(ヤハウェ)を喜ぶことは、あなたがたの力である」(8:10別訳)とありますが、「主を喜ぶ」とは、何よりも、主の恵みのみわざを思い起こすことと同時に、主が約束しておられる将来への「夢」を思い描くことから生まれるものです。聖書を読むことによって、神がこの世界の歴史を完成へと導いておられることが見えてきます。

そして、それはひとりひとりの人生に関しても適用できることです。あなたの人生に現された神の恵みの歴史を繰り返し思い起こしましょう。そしてそこから将来への夢を思い描きましょう。それこそ神の民の「」の源泉です。

自分の無力さに圧倒されるような時こそ、「主を喜ぶ」という信仰の原点に立ち返り、将来に対する主の約束を生き生きと思い描いてみましょう。現実に根差した夢を持っている人は、閉塞感に満ちた世界を変える力を持っています。

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2012年1月 8日 (日)

ネヘミヤ5:1-7:4 「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」

                                                  201218

  16世紀の甲斐の大名の武田信玄のことばに、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」ということばがあり、これが1961年に作られた民謡歌曲では、「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」と歌われています。信玄は強固な城を築くよりも家臣たちとの心の繋がりこそが最大の防御になると信じました。そして、徳川家康は信玄に敗北することを通してそれらの原則を学び、それが徳川幕府の長期政権へと結びつきます。

 

ただ、目に見える城壁が不必要だったわけではありません。人心が乱れるとき城は必要になります。その備えができていなかったことが武田家滅亡に結びつきました。

 

信玄の二千年前に生きたネヘミヤは、エルサレム城壁の再建と並行して、共同体を建てあげることに心を傾けました。なぜなら、バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちの間には貧富の格差が広がり、神の民の敵たちは、何よりも指導者ネヘミヤとユダヤ人貴族の間に不信の種を蒔くことに必死になっていたからです。

 

今、私たちは教会堂建設に向けて動き出していますが、その際に注意すべきことがあります。

 

 

 

1.民とその妻たちの抗議とネヘミヤの対応

 

5章初めで、バビロン捕囚から帰還してエルサレムとその周辺に住んでいる貧しい民の訴えが、「ときに、民とその妻たちは、その同胞のユダヤ人たちに対して強い抗議の声をあげた」と記されますが、特に、「妻たち」とあるのは、夫たちが自分から進んで城壁の修理のために身をささげ、夜になっても服を脱がず、投槍を手にして休み、また投槍を手にしながら荷物を運ぶというような過酷な働きを続けていたからでしょう。妻たちはそれを理解しつつも、子供たちに与える食べ物が日に日に不足してくる様子を見て、不安なり、豊かな人々に抗議の声を挙げました。

 

現代の教会でも、自分の伴侶が仕事ばかりか教会奉仕にも忙しくしている中で、もっと家庭を顧みてほしいという訴えがなされることがありますが、当時の悲惨は想像を超えていました。飢饉がのために飢え死にする恐れさえあると思われていました。

 

ここに記されてはいませんが、彼女たちの中には、「こんな大変なときに、なぜネヘミヤは城壁再建をそれほど急ぐのか・・・」という、声にならない不満が募っていた可能性があります。

 

 

 

第一の訴えは、「このききんに際し、穀物を手に入れるために、私たちの畑も、ぶどう畑も、家も抵当に入れなければならない」(5:3)というものでした。これは、子供たちに食べさせるために、土地や家を抵当に穀物を借りる必要があったということです。

 

出エジプト記22章では、同胞の貧しい者に金を貸すときに、隣人の着る物を質に取るようなことをしてはならないと記されていましたが(25-27)、捕囚から約束の地に帰ってきた者が、ようやく取り戻した相続地を借金の抵当として同胞に差し出す必要があるなどということは、あってはならないことでした。

 

 

 

また、545節では、ペルシャ王に支払う税金のための借金の抵当として同胞に土地を差し出してしまった者たちが、今度は、穀物を手に入れるために息子や娘たちを奴隷に売らなければならないと訴えます。

 

その際、「私たちの肉は私たちの兄弟の肉と同じであり、私たちの子どもも彼らの子どもと同じなのだ」と、同じ神の民に対する借金のために奴隷にされる不条理を問題にします。なお、ネヘミヤはペルシャ王から派遣された総督でしたから、ここには、彼に対する不満の気持ちも込められていました。

 

ただし、律法では外国人を奴隷にすることは認められていましたが、同胞を奴隷にすることは堅く禁じられていました(レビ記25:39-46)

 

 

 

イスラエルではかつての王政のもとでは、貧富の格差が広がり、同胞間で利息や抵当をとってお金を貸すことは日常茶飯事になってしまっていました。神がイスラエル王国を滅ぼした理由の一つは、神の国としてこの世に模範を示すはずの国で恐ろしい不正がまかり通っていたからです。

 

ところが、バビロン捕囚から帰って来た人々は再び、昔の過ちを繰り返し、この世の経済原理でお金の貸し借りを行い、貧富の格差を広げていました。彼らは熱い理想を抱いてエルサレムに帰って来たはずなのに、約90年が経過した時点で昔と同じようになっていました。そこに城壁再建プロジェクトが急に始まったのですから、民と妻たちの抗議が激しくなったのだと思われます。

 

 

 

ネヘミヤは「彼らの不平と、これらのことばを聞いて、非常に怒った(5:6)というのですが、その怒りは、このように同胞が互いを苦しめ合っていることに対してのものでした。

 

ただし、彼はまず「私は十分考えたうえで(5:7)とありますが、これは直訳的には「私の心を治めたうえで」と訳すこともできることばで、怒りの感情に振り回される代わりに、自分の心の王として自分の感情を治めたという意味が込められています。感情を爆発させてしまっては、かえって反発を招くことがあるからです。

 

そして、彼は、「おもだった者たちや代表者たちを非難して」「あなたがたはみな、自分の兄弟たちに、担保を取って金を貸している」と、彼らの行為が律法に反していると言いました。

 

 

 

その際、ネヘミヤは彼らに対しての「大集会を開いて」、彼が自分の資産を用いて、異邦人からできるだけ多くのユダヤ人の奴隷を買い戻して自由人にしてきたのに、ユダヤ人の金持ちたちがそのまったく逆に「自分の兄弟たちを売ろうとしている」と非難しました(5:8)。それに対し「彼らは黙ってしまい、一言も言いだせなかった」と記されています。彼らにはネヘミヤの言葉が口先だけのきれいごとではないことが分かったからです。

 

 

 

2.貧富の格差を縮め、民の負担を軽減しながら、城壁再建への力を結集する

 

なおネヘミヤは彼らに向かって、「私たちの神を恐れながら歩むべきではないか(5:9)と言って、律法の原点に立ち返るようにと訴えました。その上で、「私も、私の親類の者も・・彼らに金や穀物を貸してやったが、私たちはその負債を帳消しにしよう」5:10)とネヘミヤが率先して負債を帳消しにすると言いました。

 

申命記15章には「七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない」と記され、50年に一度はヨベルの年として、借金を帳消しにするばかりか、その人の土地がなくなっていても、自分の本来の所有地に戻ることができると保障されていましたが、ここでネヘミヤは自分の債務者に同じようなヨベルの年の恩恵を施すと約束しました。ネヘミヤはそのようにする必要はありませんでしたが、他のユダヤ人の模範となるためにより大きな犠牲を払うと約束しました。

 

 

 

その上で、11節は原文では、「だから、あなたがたも、きょう、彼らに返してやりなさい」と記した上で、その対象をまず、借金の抵当としていた「畑、ぶどう畑、オリーブ畑、家」としました。そればかりか、「それにまた、あなたがたが彼らに貸していた金や、穀物、新しいぶどう酒、油などの利子」の返却を勧めました。

 

彼は借金の帳消しではなく、借金の利息の返却を求めたのです。ここでの「利子」とは原文では「百分の一」と記され、月々の金利が1%、年利では12%の金利の部分を指しています。申命記2319,20節などでは、「利息を、あなたの同胞から取ってはならない。外国人から利息を取っても良いが・・・」と記されているからです。

 

 

 

ちなみに、イスラム教世界ではこの原則は今も生きています。ただ、彼らはお金を貸す代わりに、商取引の際の名義上の主体となって手数料として徴収したり、また、共同出資という形での投資をしてその収益を得たりという方法を取ることによって資金を運用を行っています。ただ、利子所得の禁止という道徳的な歯止めがあるために、アメリカのように金融取引ばかりが独り歩きするようなことにはならないと言われます。

 

 

 

この勧めに対して、彼らはすぐに、「私たちは返します。彼らから何も要求しません」(5:12)と応答したというのです。それに対してネヘミヤは、「祭司たちを呼び、彼らにこの約束を実行する誓いを立てさせ」たばかりか、自分の「すそを振って」、「この約束を果たさない者を、ひとり残らず、神がこのように、その家とその勤労の実とから振り落としてくださいますように・・」と警告を与えたというのです(5:13)

 

それに対し全集団は、「アーメン」と言って、「主(ヤハウェ)をほめたたえ」「こうして、民はこの約束を実行した」と描かれます。

 

 

 

そればかりか、ネヘミヤは「私がユダの地の総督として任命された時から、すなわち、アルタシャスタ王の第二十年から第三十二年までの十二年間、私も私の親類も、総督としての手当を受けなかった(5:14)と自分の行動を記します。彼の願いはあくまでもエルサレム城壁を再建することでしたから、それ以上の負担を決してかけないと決めていたのでしょう。

 

一方、「私の前任の総督たちは民の負担を重くし・・若い者たちは民にいばりちらした。しかし、私は神を恐れて、そのようなことはしなかった」自分の行動の背後に、神への恐れがあったと述べます。

 

 

 

引き続き彼は、「私はこの城壁の工事に専念し、私たちは農地を買わなかった。私に仕える若い者たちはみな、工事に集まっていた」(5:16)と記します。

 

そしてその時の食事の様子が、「ユダヤ人の代表者たち百五十人と、私たちの回りの国々から来る者が、私の食卓についていた。それで、一日に牛一頭、えり抜きの羊六頭、鶏が私の負担で料理された。それに、十日ごとに、あらゆる種類のぶどう酒をたくさん用意した」(5:18英語のESV訳のprepared at my expenseを参照)と描かれ、すべての料理の彼の負担で出したという面を強調しています。それは民の労働意欲を高めるためでした。

 

そればかりか、「それでも私は、この民に重い労役がかかっていたので、総督としての手当を要求しなかった(5:18)と、避けられないこととは言え、城壁再建工事自体が民にとっての大きな負担となっていることを十分に理解し、民の負担を少しでも軽くしようと気配りをしていたことを強調します。

 

 

 

たぶん、彼はペルシャ王宮で献酌官として勤めている間に、将来のエルサレム城壁再建のことを覚えてお金を貯めていたのだと思われます。彼はすべての行動を、城壁再建に向けて律していました。

 

そして、彼は最後に、「私の神。どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください(5:19)とまとめました。彼は自分の神だけを見上げて、これらの大きな犠牲を払って行動していました。

 

 

 

3.神の民の分裂を引き起こそうとする敵の策略

 

6章では城壁の「破れ口は残されていない」という状態になり、あとは「門にとびらを取りつけ」るだけというときになって、サマリヤの支配者サヌバラテとアラブ人ゲシェムがネヘミヤをおびき出そうとしました。彼は四度にわたってその誘いを断りましたが、五度目にサヌバラテは、「一通の開封した手紙」を届けました(6:5)。そこには、「諸国民の間に言いふらされ・・・ているが、あなたとユダヤ人たちは反逆をたくらんでおり、そのために、あなたは城壁を建て直している。このうわさによれば、あなたは彼らの王になろうとしている(6:6)と書いてありました。

 

これは、ネヘミヤがペルシャ帝国からの独立を画策しているといううわさに関するもので、それを否定できなければペルシャ王の攻撃があるという看過できない脅しでした。

 

しかし、彼は慌てることなく、「あなたが言っているようなことはされていない。あなたはそのことを自分でかってに考え出したのだ(6:8)と返事しました。なぜなら、彼は全能の神の導きのもとで、ペルシャ王アルタシャスタとの信頼関係を築いているという自負があったからだと思われます。

 

 

 

ユダヤ人の敵たちは、城壁再建をペルシャ帝国への反逆行為であると宣伝し、それがユダヤ人の間にも広まって、ユダヤ人たちが「気力を失って工事をやめ、中止する」ことを期待していました(6:9)。なぜなら、ネヘミヤに確信があっても、ユダヤ人たちが疑いを持ってしまえば工事は中断してしまうからです。

 

それで再びネヘミヤは、主に向かって「ああ、今、私を力づけてください」と簡潔な祈りをささげます。ネヘミヤは何かあるたびに瞬時の祈りをささげています。これこそネヘミヤが主に用いられた秘訣と言えましょう。

 

 

 

そのような中で、ネヘミヤは預言者シェマヤの家を訪ねますが、「彼は引きこもって」いました。これはエルサレムが敵に包囲されていることを象徴的に示した行為かもしれません。そこでシェマヤは預言のことばとして、「私たちは、神の宮、本堂の中で会い、本堂の戸を閉じておこう。彼らがあなたを殺しにやって来るからだ。きっと夜分にあなたを殺しにやって来る」と告げます(6:10)

 

ヘブル語原文では、括弧内のことばが預言の言葉とわかるように改行されています。それに対してネヘミヤは、まず、自分は指導者として、「私のような者が逃げてよいものか」と応答します(6:11)指導者が逃げの姿勢を取るなら集団は総崩れになるからです。

 

それと同時に、「私のような者で、だれが本堂に入って生きながらえようか。私は入って行かない」と答えます。これは祭司でない自分が神の宮の本堂に入ってしまえば、神のさばきを受けるという神を恐れる態度の表明です。

 

 

 

その上でネヘミヤは、シェマヤを「遣わしたのは、神ではない」とその偽りを見抜きます(6:12)。なぜなら、主はご自身の律法に反する預言を伝えさせないからです。そして、「彼がこの預言を私に伝えたのは、トビヤとサヌバラテが彼を買収したからである」という敵の策略を見抜きます。トビヤはアモン人を治める役人ではありましたが、ユダヤ人であり、ユダヤ人の祭司や預言者の一族と結びつきがあったからだと思われます。

 

そして、ネヘミヤは、「彼が買収されたのは、私が恐れ、言われるとおりにして、私が罪を犯すようにするためであり、彼らの悪口の種とし、私をそしるためであった」と敵の策略を解説します(6:13)ユダヤ人の敵たちはネヘミヤとユダヤ人貴族との間に不信の種を蒔こうとしていました

 

先にネヘミヤは彼らに経済的な犠牲を強いるようなことを、大集会を開いて有無を言わせずに決めましたが、それに対する反発があり、敵はその緊張関係を刺激したのかもしれません。いつの時代にも、改革案で既得権益を失う者は陰に隠れて、指導者の足を掬うような計略を謀る傾向があります。

 

 

 

 その上で、14節では再びネヘミヤの祈りが記されますが、この書き出しは原文では「覚えてください」です。それは18節、519節でも同じでした。それは神の正しいさばきを訴える願いです。

 

そして、その祈りの内容は、「トビヤやサヌバラテのあのしわざと、また、私を恐れさせようとした女預言者ノアデヤや、その他の預言者たちのしわざを忘れないでください」というものでした。女預言者ノアデアが何をしたかは記されていませんが、これは、シェマヤが買収されて偽りの預言をしたと同じようなことが、このときに重ねて起きたということを示唆します。

 

 

 

神の都エルサレムの再建のためにあらゆる犠牲を厭わずに労苦している指導者が、既得権益を守ろうとする人々によって抹殺されようとしています。このような悲惨は、神に従おうとする者が繰り返し味わってきたことでもありました。

 

ですから、詩篇431節にも、「神よ。私のためにさばいてください。私の訴えを取り上げ、神を恐れない民の言い分を退けてください。欺きと不正の人から私を助けだしてください」という祈りがあります。そこでは、神のさばきを願うことと、自分の救いを願うことは、しばしば表裏一体とされています。

 

 

 

4.城壁の完成とトビヤの執拗な混乱作戦

 

こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した(6:15)というのは感動的な記述です。アルルの月とはユダヤ歴で第六番目の月で、現在の89月を指します。ネヘミヤがアルタシャスタ王に城壁再建を願い出たのはニサンの月、当時のユダヤ暦の第一の月、現在の34月でしたから(2:1)城壁はペルシャ王に願い出てから半年以内に完成したことになります。しかも、それは再建工事が始まってから52日目のことでした。ユダヤ人が90年前にエルサレムに戻っていたことを思えば、これは驚くべき進み方です。

 

それは神がネヘミヤを立てると同時に、すべてのことを背後で導いておられたからです。それはネヘミヤの不屈の意志と強力なリーダーシップによるものでもありますが、主役は神ご自身でした。ネヘミヤ自身が誰よりもそれを理解していました。

 

そして、そのことを彼は、「私たちの敵がみな、これを聞いたとき、私たちの回りの諸国民はみな恐れ、大いに面目を失った。この工事が、私たちの神によってなされたことを知ったからである」(6:16)と述べています。

 

 

 

ただ、そのような中で、トビヤとユダヤ人貴族との関係が、「また、そのころ、ユダのおもだった人々は、トビヤのところにひんぱんに手紙を送っており、トビヤも彼らに返事をしていた。それは、トビヤがアラフの子シェカヌヤの婿であり、また、トビヤの子ヨハナンもベレクヤの子メシュラムの娘を妻にめとっていたので、彼と誓いを立てていた者がユダの中に大ぜいいたからである」(6:1718)と描かれます。

 

アラフという名はエズラ記25節にバビロン捕囚からの最初の帰還者のリストに出てくる名門で、トビヤはその族長の家系の娘婿となっていたというのです。なお、トビヤの子の名ヨハナンは新約ではヨハネと発音されユダヤ人として一般的な名前でした。761,62節ではトビヤ族は「先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明することができなかった」というリストに入っています。トビヤの家系は、エルサレムへの帰還者の第一陣に中にありながら、冷たい目で見られ、ユダヤ人の貴族たちと縁を結びながらも、ユダヤ人の敵となってしまったのかもしれません。

 

そして、彼と縁を結んだユダヤ人たちはネヘミヤの前で「トビヤの善行を語り」ながら、裏ではネヘミヤのことばを「彼に伝え」、それに応じて、トビヤはネヘミヤを「おどそうと、たびたび手紙を送って来た」という不健全な関係が続いていました(6:19)。13章ではトビヤが城壁再建後もエルサレムの祭司たちに影響力を発揮していたことが描かれています。

 

 

 

そして、最後に、城壁完成直後の様子が、「城壁が再建され、私がとびらを取りつけたとき、門衛と、歌うたいと、レビ人が任命された。私は、兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである」(7:12)と描かれます。

 

ハナニとは、12節では、ペルシャの王宮に仕えていたネヘミヤに最初にエルサレムの悲惨を伝えた人でした。ハナニはそれ以来、ずっとネヘミヤを支え続けてきたのでしょう。またハナヌヤについては「誠実な人」で「神を恐れていた」と記されています。ネヘミヤはエルサレムの指導体制をこれによって固めたのでしょう。

 

 

 

そして、最後に、当時のエルサレムの様子が「この町は広々としていて大きかったが、そのうちの住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった(7:4)と描かれます。城壁の再建が遅れていたため町は成長していませんでした。しかし、これからはいよいよ新たな発展を望むことができます。

 

 

 

城壁の再建工事が進む中で、隠れていた社会の矛盾があらわになってきました。ネヘミヤは城壁再建工事を急ぎながらもユダヤ人貴族に立ち向かい、律法の原則に立ち返って貧しい者たちに「情け」をかける政策を実行しました。

 

それに対し敵は、ユダヤ人の指導者の間を引き裂こうと様々な策略を謀ってきました。何人もの貴族たちが敵によって買収され、ネヘミヤを退ける動きに加担しました。ネヘミヤはそれらの内部の敵に対して、「仇」という恨みで対処する代わりに、すべての問題を神に祈り、神のさばきにゆだねて行きました。

 

 

 

武田信玄のことばをネヘミヤ記によって再解釈することは、現代の教会に有益です。信玄の死から十年後に武田家は滅亡します。徳川家康は武田家の家臣を裏切らせ味方にします。それに怒った勝頼は長篠の合戦で無謀な戦いを仕掛け有能な家来を数多く失います。その後、織田信長が武田家の家臣を次々と買収し、寝返らせます。勝頼はその時になって堅固な城を築こうと大増税を行います。それに家臣がまた反発し、武田家は内部分裂します。

 

ネヘミヤは人の心の変わりやすさをよく知っていたからこそ、エルサレム城壁の再建を急ぎました。しかし、彼はそれと並行して、貧しい民の不満に耳を傾け、共同体を建て上げることに注意を向けました。城壁を築くことと共同体を建て上げることは車の両輪のようなものでした。

 

その際、彼は、「仇」という「恨み」の力の危険に何よりも神への祈りで対処しました。「情けは味方、仇は敵」という原則は、「自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい(ローマ12:19)という聖書の原則を知って初めて可能になります。多くの家庭や職場でも恨みが蔓延し、内側から崩れてゆきます。逆説的ですが、神のさばきを求める祈りこそが、平和の礎となります。

 

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2012年1月 1日 (日)

Ⅱコリント4:1-18 「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです」

                                                                                      2012年元旦

  私たちは年の初めに、「今年こそは、良い年でありますように」と祈りたいものです。それは当然ことで、そのように祈るのは決して間違ってはいません。しかし、毎年、振り返ってみると、一つや二つ、「なんでこんなひどいことになってしまったのか・・・」と思うようなことが必ず起きています。

昨年の年末はいろんな番組で原発事故を振り返る特集が組まれていました。それを見て改めて日本人は、想定外のことを想定するという能力に欠けている民族ではないかと思わされました。そして、私自身も、極めて日本人的であると思わされています。

 

  昨年の元旦にも述べましたが、日本はあらゆる意味で、世界の先頭を走っています。それは原発事故の問題ばかりではありません。まず少子高齢化が進み、十年余りで65歳以上が全人口の30%を超え、生産活動に従事する人の数が急速に減少します。一人子政策を取ってきた中国は約20年遅れで日本と同じ問題に直面します。

日本の債務残高はGNPの約二倍の金額に達し、今年度第三次修正予算では収入の52%を国債で賄っており、債務残高は急速に増え続けています。ちなみにギリシャの債務残高はGNPに比して30%を超える金額で支払い不能と烙印を押されて、超緊縮財政を強いられています。日本はそれよりもはるかに深刻な状況でありながら、海外の投資家までもが日本の国債を買ってくれています。アジア諸国にとって日本は、まだまだ魅力的な国として映っているからかもしれません。

日本には二十年前までは、常に模範や目標にできる国がありましたが、今や世界の先頭を走っており、あらゆる意味で、想定外の世界に直面せざるを得ないのです。

 

ただし、そのための知恵は聖書には満ちています。基本的に、世の終わりが近づくに連れ世界の混乱が増し加わると預言されているからです。主の祈りで、「我らを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」と祈られますが、厳密には、「誘惑に陥らせないで、悪い者から救ってください」と祈られています。多くの英語訳でも、「lead us not into temptation,but deliver us from evil」と訳されます。

「試練」も「誘惑」もギリシャ語では同じことばですが、残念ながら「試みに会わせないでください」と祈っても、私たちが試みに会わないということはあり得ません。この祈りの要点は、何が起こるかわからない人生の中で、サタンの誘惑に負けてしまわないように守ってくださいという意味なのです。

困難を通して神に近づくか、それとも神から離れるか、それが問われています。人生の目標は、平穏に暮らすことではなく、神に近づくことにあるということを決して忘れてはなりません。

 

1.「神のことばを曲げず、真理を明らかにし・・・」

「こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています」(4:1、2)とは、この手紙のこれまでの要約のような意味があります。

この手紙は使徒パウロから「コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たち」(1:1)に向けてのものです。「アカヤ」とは現在のギリシャの南部で、そこにはアテネやスパルタもありコリントは商業の中心都市として繁栄を謳歌していました。パウロはきっすいのユダヤ人として育ち、聖書の最高の教育を受けていましたから、自分がキリストの使徒として召されたときも、まったく異なった価値観を持つギリシャ人に向けて伝道することになるなど、まさに「想定外」だったことでしょう。

しかも、彼はそれによって同胞のユダヤ人から激しく憎まれました。そればかりか、せっかくコリントにおいてキリストの教会を建てあげたのに、パウロが去った後、彼の使徒職に疑問を持つ者が現れて、教会に混乱をもたらされました。

復活のキリストは、パウロに洗礼を授けたアナニアに向かって、「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを・・示すつもりです」(使徒9:16)と言われましたが、彼の伝道生涯は苦難の連続でした。彼は苦しむために使徒とされたような人でした。

 

ただし、パウロの関心は、個人的な平穏に満ちた人生を送ることではなく、神の務めを果たすことでしたから、コリントの人々がキリストの福音から離れて行くことを見過ごすことはできませんでした。それで彼は自分を「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒」(1:1)と位置づけながらコリント教会に厳しく向き合いました。

普通なら、「あんな聞き分けのない恩知らずに関わっても、時間の無駄・・」と言いたくなるような人たちに向かって、彼は涙を流しながら、コリント教会で起こっている不道徳と誤った教えを指摘しつつ、彼らを悔い改めに導く手紙を書きました。そして、それが受け入れられ、多くの人々が悔い改めたのをテトスから聞いたとき、その勝利をローマ軍の戦勝パレードにたとえて大喜びをしました。この手紙の書き出しには、そのような涙に満ちた衝突を乗り越えることができたことの感動と喜びが満ちています。

それを彼は、「私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれている」(1:5)と表現しました。福音は何よりも「苦難に耐え抜く力」として現されています。パウロはそのことを自分の苦難を通して証しました。しかも、そこにはこの世のあらゆる理解を越えた「すべての慰め神」からの「慰め」がありました。キリスト者の人生は、「退屈な人生」とは対極にあります。

 

 なおパウロはここで、「神のことばを曲げず、真理を明らかにし」と述べていますが、2章17節では、「私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことは」しないと言っています(2:17)。

パウロの使徒職に疑問を表明した偽教師たちは、豊かな生活を享受しているコリントやアテネの人々の知的好奇心を満たすような話をしましたが、パウロは真っ向からその不道徳を責めました。それによって彼のことばがますますコリントの人々から敬遠される恐れがありましたが、彼は人間的な知恵ではなく、聖霊の働きにゆだねたのです。

 

ところで、彼は自分の宣教の働きを振り返りながら、「それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです」(4:3、4)と、みことばが人の心に届かないのは、「この世の神」の妨害があるからだと語っています。

パウロは、モーセの書の朗読を聞くときにユダヤ人の「心にはおおいが掛かっている(3:15)と言いながら、「人が主に向くなら、そのおおいは取り除けられるのです(3:16)と語り、すぐに「その主とは御霊のことです(3:17私訳)「主の御霊のあるところには自由があります」と続けます。これは、モーセのように「顔と顔とを合わせて(出エジ33:11)、神を見る自由を意味します。御霊は人を神に向かわてくださるのです。

私たちはみな、みことばの著者である御霊ご自身に仕える栄光が与えられています。それはモーセにまさる栄光です。そして私たちが御霊なる主に向き、この身を御霊の働きに委ねるとき、真の「自由」を体験できます。

そのとき、「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、主の栄光を鏡に映すように見ながら」(3:18新改訳脚注別訳)、つまり、御霊にある自由の中で、キリストの生涯を黙想し、キリストの素晴らしさが心の奥底に迫ってくることを通して、「主の栄光」である「御子のかたち(ローマ8:29参照)にまで、栄光から栄光へと、姿を変えられて行くと約束されています。御霊の働きは何とダイナミックで自由と喜びに満ちていることでしょう。

 

私は深い自己嫌悪に陥っていたとき、「神は私たちのうちに住まわせた御霊をねたむほどに慕っておられる」(ヤコブ4:5)というみことばが心に迫って深く慰められたことがあります。御霊を受け、神の子とされた誇りを忘れてはなりません。そして、御霊は聖書のどこにおいてでもキリストの姿を見させてくださいます。

 

2.「神は、私たちの心を照らし・・・知識を輝かせてくださった」

そして、パウロは、自分の使命を「私たちは自分自身をではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えるのです(4:5)と言います。私たちの心には「私の価値を認めて欲しい」という強い願望があり、それが仕事の最大の動機となりがちです。しかし、パウロは才能や世的な地位までも含めすべてを、自分ではなく、キリストのすばらしさを証しするために生かしました。

しかも、彼が伝えた福音は、「光が、やみの中から輝き出よ(4:6)と、ひとことで光を創造した神のみわざが彼の「心を照らした」結果です。ここにはパウロ自身の体験が示唆されています。

 

多くの人々は、信仰は自分で見いだすものだと誤解していますが、パウロはそうではありません。彼はエルサレムからダマスコへと、クリスチャンたちを次々と捕えるために旅行していました。彼は、求道をしていたのではなく、「主の弟子たちに対する脅かしと殺意に燃えて」いました(使徒9:1)

ところが、「天からの光が彼を巡り照らし(9:3)、復活のイエスが彼に向かって、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と言ってご自身を啓示してくださいました。つまり、パウロがクリスチャンになったということ自体が、神の特別なみわざなのです。

それは、私たちひとりひとりについて言えます。私たちも、ほとんどの場合、自分の意志で聖書を買って読み始めて真理を発見したというのではなく、家族や友人を通して、福音への目が開かれています。日本ではクリスチャン・ホーム以外の男性が信仰に導かれる際の、もっとも大きなきっかけは、クリスチャン女性に好意を抱くということに始まっています。それは私たちの信仰が、人間の知恵や求道心を超えていることを現しています。

 

人は、教会に通うようになったきっかけをいろいろ説明しますが、それよりもはるかに大切なのは、ある日、突然、どういうわけか、「イエスは私の主です」と告白できるようになったということ自体にあります。

私たちは、自分の心に起きた突然の変化にこそ目を留めるべきなのです。あなたの心に、突然、神のみことばが響いてきたということ自体が大切なのであって、そのきっかけがどこにあったかなどということは本質ではありません。

 

なお、ここで、「輝き出よ」とか「照らし」と訳されていることばはランプの語源となるギリシャ語の動詞、ランポウです。つまり、聖霊を受けている者は、心の中にランプの灯が灯されているのです。

そして、そのことが、「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです(4:7)とさらに説明されます。なお、この「宝」とは「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かす」ということを指しますが、それは名詞形ではなく動詞形の「知識を輝かす」というダイナミックな働きを指します。それこそ神の奇跡なのです。

「イエスは主です」(Ⅰコリント12:3)と告白する者の「土器」の中には、「」の源である創造主なる聖霊が住んでおられるのです。コリントの人々は目に見える超自然的なことばかりを求めましたが、聖霊の働きは何よりも、私たちの「心を照らす」ことにあるのです。

 

ポール・トゥルニエは、戦後間もなくのスイスの教会を見ながら、「教会が、過半数は生気がなく、物悲しげで疲れた心の持ち主によって占められている」という現実に心を痛めました。その原因は、教会が聖書の教えを道徳主義に歪めて、恩恵によるひろやかな解放を与える代わりに、過ちを犯し、神の罰を受けるのではないかという「抑圧的な不安」の重荷を与え続けてきた結果でないかと語っています。

ある女性は、古い伝統に縛られた田舎の町で育ちながら、この「抑圧的な不安」を味わっていました。彼女の中には、広い世界で活躍したいと思うのは傲慢であるという声が聞こえていました。そう思っていないと、思うようなことが果たせなかった場合、平静を保って晩年を迎えられないという不安がありました。彼女はその思いを私に相談してきました。私は「広い世界に出て行かずして、どうして謙遜を学べますか」と逆説的に励ましました。彼女はその時、心からの「解放」を味わったと言ってくれました。

人間の心の中で、願望は必ず不安と結びついています。ですから、不安を刺激すれば自動的に願望が抑圧されます。実際、多くの宗教は、不安を駆りたてて人の願望と行動を制御します。でも、それは、同時に、いのちの力をも抑圧させ、生気をも失わせます。

 

3.「イエスのいのちが私たちの身において明らかに示される」

大切なのは、どこで何をするかということではありません。神のみこころは、恐れに囚われて自分を抑制することなく、キリストの苦しみをともに引き受けようという積極的な生き方を保つことです。そして、神から与えられた測り知れない力」(4:7)は、困難の中でこそ体験できます。

私たちの肉体という「土の器」は、壊れそうになることがありますが、不思議に、そのような逆境の中で、神からいただいた「宝」の豊かさを体験できるのです。

 

パウロはそれを四つの対比を用い、「四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません」(4:8,9)と美しく表現します。そして、それらを通して、「イエスのいのちが私たちの身において明らかに示される」(4:10)と言っています。

誰しも不安定な立場は避けたいと思うのが人情ですが、パウロのようなぎりぎりの状況でこそ「イエスのいのち」を体験できるのです。残念ながら、多くのクリスチャンはそれをリアルに体験することができていません。そのような人々は、「私は神と人とのために、損得勘定を超えて自分の身をささげようとしたことがあるだろうか・・自分の身を守ることばかりに汲々としてはいなかったか・・」と、自分に問いかけるべきかもしれません。

なぜなら、「イエスのいのち」は、「イエスの死をこの身に帯びる」ということ、つまり、「四方八方から苦しめられ」「途方に暮れ」「迫害され」「倒される」という苦難を通してこそ現されるからです。

 

パウロはここで、「私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです(4:1112)と不思議なことを言っています。

コリントの教会の人々が求めていたのは、極めて個人的な霊的な祝福体験でした。それに対し、パウロは教会を建てあげるためにいのちを捨てる覚悟で生きていました。彼は、人々から罵られ嘲られ十字架にかけられた「イエスの死」を自分の人生の中で再現していました。しかし、それによってコリントの人々に「イエスのいのち」がもたらされたのです。

私たちが「イエスのいのち」を受けることができた背後には、数えきれないほど多くの人々の「」があったことを忘れてはなりません。先輩たちの犠牲の血がなければ、福音は日本に届くことはなかったのです。それは宣教師の流した血ばかりではありません。第二次大戦を通して日本に民主化がもたらされ、信教の自由が確立されました。しかし、それは驚くほど多くの人々の血が流されたことによって初めて実現したことなのです。

 

パウロ が引用した「私は信じた。それゆえに語った(4:13)ということばは詩篇116篇の要約のような意味があります。それは、信仰者が不条理な苦しみに会いながら、なおも、主への信頼を告白し続ける姿を現しています。そして彼は、「それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです」と言います。

私たちも同じ「信仰の霊」を受けています。そしてパウロはその御霊の働きを、「それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです」(4:14)と説明します。私たちのうちには復活の御霊が宿っているということを忘れてはなりません。

そしてパウロは改めて「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです(4:15)と語って、自分たちの苦しみを通して、世界に祝福が広がっている様子を思い起こさせようとします。

コリントの人々は、世界の不条理を無視して、自分のたましいの救いばかりを求めていました。そして、それは現代の教会にも当てはまります。

しかし、信仰の本質とは、苦しみことができる力にあります。私たちは神からの「測り知れない力」という「宝」「土の器の中に入れている」のです。その宝の豊かさは、死を乗り越えるいのちとして現されます。不安によって自分の気持ちを抑圧せずに、大胆に困難に立ち向かう者こそが、キリストにあるいのちの輝きを体験することができるのです。

 

4. 外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

  パウロは自分の身体が衰える中で、「私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(4:16)と告白しました。「内なる人」とは「イエスのいのち(4:10,11)を指します。そして、彼は「今の時の軽い患難は・・」(4:17)と言いますが、それは皮肉にも、「三十九のむちを受けたことが五度・・難船したことが三度・・海上を漂ったこともあり・・盗賊に襲われ・・食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいた(11:23-29)という重い患難を指します。

しかし、それは、やがてもたらされる「測り知れない、重い永遠の栄光」との比較では、一時的な軽いものと見えるのです。その栄光とは、「天から与えられる住まいを着る(5:2)こと、つまり私たちのからだの最終的な復活の希望です

これは、せみや蝶々の幼虫が、さなぎの中で人知れず成長し、羽を生やした美しい姿に変えられることに似ています。人は老年になると行動範囲が縮まり、能力が急速に衰えます。しかし、その現実の下では、新しい復活のいのちが成長し始めているのです。

しかも、そのいのちはせみのように短命ではなく、永遠に続きます。それが「見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続く」(4:18)という信仰の事実です。

 

ただ、パウロが非難や誤解を受けたのは、彼自身の「弱さ」に原因があると、この世的には評価できるとも思います。私も、自分の善意が通じないどころか別の問題を生むということが重なった時期がありました。それに対し、「このようにすれば良かったのでは・・・」という、数多くの適切な助言を受けながら、かえって心が萎えることがありました。しかし、そのときパウロの葛藤が身近に感じられ、自分の対応の仕方以前に、この世の罪の力自体が、そのような問題を引き起こしているということが心から分かりました。

しかも、それこそが、「弱さを誇る」ことの本質だと分かったのです。なぜなら、人は自分の安全地帯にとどまっていれば、不当な苦しみに会う確率は非常に低くなりますが、パウロのようにキリストの召しによって、この世の矛盾が渦巻く場に身を置くなら、どんなに賢く振舞っても、問題は避けられないからです。

しかし、それこそキリストに従う道であり、そのような中でこそ、自分の弱さを思い知らされながら、キリストの力が現されるという不思議を体験できるのです。

 

  宗教改革者カルヴァンは、その教理問答書で「何が人生の目的だろうか?」という問いに、「神を知ることである」と答え、「どこに人間の幸福があるだろうか」という問いに同じく「神を知ることの中にある」と答えました。

残念ながら、年を重ねるに連れ、世への恨みと怒りをつのらせる人がいます。それは闇への道です。一方、年を重ねるほど、生かされている恵みを感謝できる人がいます。それは光への道です。どちらの道を選ぶかの選択は遅すぎることはありません。

広い世界に出ることで弱さを自覚する人もあれば、肉体の不自由を通して弱さを自覚する人もいますが、イエスのいのちの豊かさはその弱さの中でこそ体験できます。日陰のもやしのような生き方ではなく、光のもとで、「この宝を、土の器の中に入れている」というダイナミックな生き方を求めましょう。

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