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2012年4月29日 (日)

マルコ10章1-12節 「戒律ではなく、対話の中に生きる」

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 シェークスピアの名作「ロミオとジュリエット」の最初の場面で、ジュリエットはロミオに聞かれているとも知らずに、「おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの・・」と問いかけながら、ロミオがモンタギュー家を捨てるなら、私もキャピュレット家を捨てるという趣旨のことを言ってしまいます。両家は激しい敵対関係にあったからです。しかし、ふたりが死によってひとつとなった時に、両家の和解が導かれました。

私たちの愛は、人と人とを結びつける力になっているでしょうか。義務感に駆られた愛ではなく、愛を深めるための問いかけが必要ではないでしょうか。

 

それにしても、私たちの人生には、様々なつまずきの種が横たわっています。神はエデンの園に最初の人間のアダムとエバを置いて、「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と言われました(創世記2:16,17)

 

自由学園の創立者羽仁もと子氏は、このときふたりが神に向かって、「どうして・・」と、愛を持って問いかけていたら、それは神への祈りとして受け入れられ、現在の人類が体験している様々な悲劇は避けられたのではないかと語っています。

このとき彼らは、「私どもに何でも豊かにたまわる神様、どうしてこの美しい実だけを惜しんでおいでになるのでしょう。私どもをこれほどに愛してくださる神様、食べて悪いものならば、なぜこの実を、みにくい色や形に作ってくださらなかったのでしょう・・・」と問いかけるべきであった、そして、神はその祈りを待っておられて、そこから彼らは神との対話の中で神の恵みの豊かさを喜ぶことができたはずではないかと記しています。

 

1.モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許した?

イエスは、そこを立って、ユダヤ地方とヨルダンの向こうに行かれた。すると、群衆がまたもみもとに集まって来たので、またいつものように彼らを教えられた。すると、パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである(10:12)と記されていますが、そこには当時の政治状況が反映されています。

かつて、バプテスマのヨハネの首が当時の支配者ヘロデ・アンテパスによってはねられた理由が617節以降に記されていました。ヨハネはヘロデに、「あなたが兄弟の妻を自分のものとしていることは不法です」と言い張ったために捕えられたのでした。ヘロデもヘロデヤもそれぞれの妻と夫を捨てて、結婚しましたが、それは明らかに神の教えに背くことでした。しかし、王家の怨念の歴史の中で育った王妃ヘロデヤは、自分の恨みをヨハネにぶつけました。彼は酒宴の余興の延長で殺されてしまいます。

つまり、当時、離婚問題に関して議論することは、支配者たちの恨みを買って、殺される恐れがあるほどに微妙な問題だったのです。

それに対して、イエスはそのような政治問題に振り回されることがないように、彼らの質問に直接答える代わりに、反対に彼らに質問をして、「モーセはあなたがたに、何と命じていますか(10:3)と尋ねました。

 

  それに対し、彼らは「モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許しました(10:4)と言いましたが、これは申命記241-4節を指しています。

そこでは、「人が妻をめとり夫となり、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなり、離婚状を書いてその女の手に渡し・・去らせ・・た場合(24:1,3)という長い文章が記されています。イエスの時代の律法学者は、そこでの「何か恥ずべきことを発見した」という意味を巡って様々な議論をしていました。

保守的なシャンマイ派はそれを、妻が浮気をして具体的に他の男性と性的な関係を持った場合に限ると解釈し、「(イスラエルの歴史上最も有名な悪女)イゼベルに匹敵するほどにひどい妻であっても、姦淫の罪以外の理由で離婚することは許されない」と言っていました。

それに対し、ヒレル派は、たとえば、「妻が、夫の食事を台無しにしたり、道で他の男と話したり、夫の親の悪口を言ったり、隣の家に聞こえる声でわめいた場合」には、夫は妻を合法的に離縁できるなどと具体的に解釈しました。

そして、当時はヒレル派の解釈の方が優勢であったように思われます。なぜなら、その直後の時代に最も影響力を持ったラビ・アキバなどに至っては、「それまでの妻より自分にふさわしい女性と出会った場合には離婚状を渡してもよい」と言ったほどだからです。

 

なおイエスは、マタイ53132節では、「誰であっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです」と述べていますが、その趣旨は何よりも、離婚を正当化すること自体を非難する趣旨であり、シャンマイ派を擁護したわけではありません。

 

しかし、イエスはこのとき律法学者の論争に立ち入ることなく、「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです」(10:5)と、このことばが記された原点に立ち返るようにと勧めました。

新改訳第三版での翻訳にも明らかなように、この規程の目的は、夫が妻を去らせ、彼女が「ほかの人の妻となり、・・」、その後ひとりになった場合、「再び自分の妻としてめとることはできない(24:4)と、再婚した元妻との再再婚に歯止めをかけることにありました。

つまり、些細な理由で離縁しておきながら、「恋しくなった・・」などと気まぐれを起こす男に、女性が振り回されることがないようにとの神の配慮だったと解釈できます。ところが、女性を守るためだったはずの規定が、女性を虐げる根拠にされてしまいました。イエスはそれを正そうとされたのです。

 

イエスの時代には、モーセの律法をもとに、日常生活を規定する具体的な細かい「言い伝え」が作られていましたが、それらは皮肉にも、人々の生活を縛り、また守れない人を排除する基準になっていました。

イエスは、それに対し、この律法が与えられた原点である「神のあわれみ」に人々を立ち返らせようとしました。私たちの間でも、本来、人を生かし合うための教えだったはずのものが、互いを裁き、排除しあう規程になる危険があります。

 

なお、本来の離婚状の意味は、日本の「三行半(みくだりはん)」とも通じますが、その中心は、再婚許可状ということにありました。先週のエステル記にも通じますが、たとえば、権力者や裕福な人は、数多くの妻やそばめを持つことができました。しかし、一度でも夫と関係を持った女性は、どんなに夫から無視され続けても、その家から離れることは許されません。たった一度、男性の気まぐれで一夜を共にしただけで、その女性は一生涯、家の中に閉じ込められるということだってあったのです。

富と権力を持つ男は、そのプライドのゆえに、一度でも自分と関係をもった女性が他の男性に好意を持ってしまうということ自体を許すことができないかもしれません。そのようなときに再婚許可状の規定があることで、男性はそのような女性を自由にすることを前向きに考える契機になります。

 

つまり、モーセの規定の本来の目的は、すでに破綻した結婚関係から女性を解放することにありました。たとえば、自動車会社は運転手が事故を起こさないようにと車を設計します。しかし、どんな立派な車にも事故が起きることはあります。その時の被害を最小限に抑えるのが設計者の責任です。

この規定はそのためにありました。それなのにパリサイ人たちは、みこころにかなった交通事故とは何なのかというような議論をしていたと言えましょう。

 

2.それゆえ、人はその父と母を離れ、ふたりは一体となる

そしてイエスは、モーセの教えの中でも最も古い創世記に立ち返って、「しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです」(10:6)と言われました。創世記127節には、「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」と記されています。

当時、「神のかたち」ということばは、国王に限って適用されることばでしたが、聖書は男ばかりか女をも「神のかたち」として見たのです。

 

ところで、(ヤハウェ)は、「人が、ひとりでいるのは良くない・・・ふさわしい助け手を造ろう」(2:18)と言われ、女を、人の「あばら骨」から造られました。

助け手」ということばは、神を指す場合もありますし、また「あばら骨」という素材は、「土」よりも上等とも言えますから、ここに、女が男に劣っているという響きを読み取る必要はありません

 

その後男は、女を見て「私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう(2:23)と言いました。女は、ヘブル語で「イシャー」と呼ばれ、男「イーシュ」の女性形という響きがあります。

つまり、男は女を同じ「神のかたち」に創造された尊い存在の女性形、自分と同じ骨と肉を持つかけがえのないパートナーとして喜んだのです。

 

そして、その上で、「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となる(2:24)と記されます。これは、すべての夫婦関係は、この初めの男と女の創造の原点に立ち帰るという意味です。聖書は、夫婦関係を親子関係に優先します。人間の始まりは、一組の夫婦だったからです。

実際、多くの夫婦関係の亀裂は、親離れができていないことから始まっています。今も、「自分の家に嫁を迎える」という発想で結婚する人がいますが、神は三千数百年前の人に向かって既に、結婚とは、ふたりでまったく新しい家庭を築くことだと説いているのです。

 

しかも、「そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいとは思わなかった(2:25)と記されますが、これこそ、エデンの園での平和のシンボル的表現です。彼らは、互いの欠けを補い合う関係にありましたから、互いに自分の弱さを隠す必要がまったくありませんでした。

そして、私たちが心の底からあこがれているべきはずの「新しいエルサレム」も、それぞれの存在をありのままで喜び合い、尊敬し合える場所です。人間の歴史は、調和に満ちた一組の夫婦から始まり、愛の交わりが全世界を満たすときに完成するのです。

 

なお、人は、個体として完全に創造されたというのではなく、「土の器(Ⅱコリント4:7)に過ぎない者であり、息を吹き込んでくださったに見守っていただくことなしにこの地を治めることはできない者なのです。

また人は「ひとりでいるのは良くない」者として創造されています。しかも、人以外のすべての被造物は、「助け手」にはなり得ません。

ですから、結婚に限らず、人は、互いに愛し合い、助け合う者として創造されたことを忘れてはなりません。

 

  そして、イエスはこのとき、このような創世記の原点に立ち返って、「それゆえ、人はその父と母を離れ、ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとり(一体、one fleshなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」と言われました(10:7-9)。

最後のことばは、キリスト教の結婚式ではふたりの誓約の後に司式者が宣言することばでもありますが、これはある意味で恐ろしいことばです。

なぜなら、離婚は、創造の秩序に反する、神への反逆であるということを意味するからです。

 

  しかし、そうは言っても、世の中には今も昔も、悲惨な夫婦関係は数多くあります。暴力ばかりを振う男から女性を保護する施設が必要な場合もありますし、ギャンブル依存の男の借金を背負わされる女性もいます。最近はその逆もあるかもしれませんが・・・。結婚関係を保つことが人を破滅に追いやる例だってあります。

それでイエスの弟子たちはイエスのことばに驚き、離婚はどんな場合でも罪になるのかということを再度確かめようとしました。

そのことが、「家に戻った弟子たちが、この問題についてイエスに尋ねた(10:10)と描かれています。

それに対するイエスの答えは、さらに厳しいもので、「だれでも、妻を離別して別の女を妻にするなら、前の妻に対して姦淫を犯すのです。 妻も、夫を離別して別の男にとつぐなら、姦淫を犯しているのです」(10:1112)と表現されます。

なお、マタイによる並行記事では、不貞以外の理由で妻を離別し、別の女を妻とする者は姦淫を犯すことになると記されています(19:9)。「不貞」は、本来、離婚の理由以前に、死刑に価する罪と見られていましたから、イエスはこれによって、離婚を原則的に禁じたと解釈することもできます。

皮肉にも、マタイではこのイエスの言葉に対して、弟子たちは、「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです(マタイ19:10)と言ったと記されています。つまり、イエスの結婚観は、イエスの弟子たちにとっても不可能なチャレンジと映ったのです。

 

  ただし、イエスは当時のパリサイ人や律法学者たちが考えたような意味の戒律を私たちに課そうとしているわけではありません。離婚は明らかに神に対する反抗であり、罪です。しかし、それは決して赦されない罪ではありません。自分を正当化せずに赦しを乞うことこそ信仰の基本です。

私たちは神のあわれみと赦しなしには、一日たりとも生きられない存在です。パリサイ人たちは自分を正当化することにおいて天才的で、それによって、ある種の離婚を、合法的なものとして正当化しましたが、その結果、女性の立場がますます悪くされてしまったのです。

 

 聖書の教えを戒律としてとらえること自体がすでに堕落です。しかし、同時に私たちは、聖書の教えを努力目標のようなものに引き下げて、神の赦しを、すべて当然なこと、私たちにとっての既得権益のように考えてはなりません

イエスはここで確かに、神が聖定された結婚関係に人々を立ち返らせたのです。イエスはこれによって、一夫多妻を排除し、女性の社会的地位を男性と同じレベルに引き上げました。このことばは社会に革命的な変化をもたらしました。

ですから、イエスのことばは新しい戒律と理解しても、また努力目標に引き下げてもなりません。

 

3.神のようになり、善悪を知る

ところで、自己正当化こそ、罪の基本であるということは創世記の堕落の記事に明らかです。蛇はエデンの園で女を誘惑した時、「それを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになる」と甘い約束をしました(創世記3:5)

これは完全な嘘ではありません。神ご自身が、「見よ。人はわれわれの一人のようになり、善悪を知るようになった」(3:22)と認めておられるのですから・・・。

 

  では実際に何が起こったのでしょう。それは、直接的には、互いの裸を恥じることがなかった者が、互いの裸を恥じる者となったということ(3:7)、つまり、エデンの園での調和が失われたということではないでしょうか。

かつては、彼らは、互いの弱さ知ることが、互いに助け合うというきっかけになりましたが、今は、「弱みを見せたら、つけ込まれる・・」というような関係になってしまいました。

アダムは、「私は罪を犯したので、恐れて、隠れました・・」と言ったわけではありません。自分の弱さがあらわになっていることに恐怖を感じているのです。

 

(ヤハウェ)は、彼らのすべての行動を見ておられましたが、そよ風の吹く夕方まで待たれた上で、「あなたは・・食べたのか?」と事実のみを尋ねられました。それは、人が自分の犯した罪を認めて、自分の方から告白する機会を与えるためでした。

ところが、人は、自分の罪を認める代わりに、「あなたが私のそばに置かれたこの女が・・」と、女に責任転嫁をしたばかりか、その創造主である神を非難しました(3:11,12)。そして、同じように、女も、罪を認めようとはせずに、「蛇が私を惑わしたのです」と責任転嫁します(3:13)

 

「責任」は、英語でResponsibilityと表現されますが、これはResponse(応答)するability(能力)を意味します。これこそ、「神のかたち」の基本です。ところが、人は、神の問いかけに正面から答える代わりに、自分を「無力な被害者」に仕立て上げてしまいました。

神は、過ちを犯すことも自分の弱さも恥じる必要もない方ですが、皮肉にも、神のようになった人間は、それによって自分の過ちも弱さも認めることができなくなったのです。

 

「神のようになり、善悪を知る」とは、自分を世界の中心、善悪の基準にして、まわりを非難する生き方の始まりでした。そこにおいて、最初に創造された男と女は、エデンの園における、「神のかたち」として調和を、自分から失ってしまいました。

そして、自分を正当化して争うようになったアダムとエバの関係から最初に生まれたカインは最初の殺人者になってしまいました。この世の悲惨は、すべて一組の夫婦関係の亀裂から始まっているのです。

私たちが罪人であることは、何よりも結婚関係を通して明らかになるのではないでしょうか。

 

このように、人は、「神のかたち」に創造されたのに、それに満足し、それを享受する代わりに、自分で「神のようになり、(自分を基準として)善悪を知る」ようになって、その祝福を失ってしまいました。それは何よりも夫婦関係、家族関係に顕にされました。

それに対し、キリストは、神の御子として、永遠に「神の御姿である方」でありながら、敢えてご自身から「仕える者の姿を取り」、何と「十字架の死にまでも従われ」るほどに、父なる神に従順をまっとうされました。つまり、アダムとその子孫たちと正反対の生き方がキリストに見られるのです。

ただ、多くの人は、そこに祝福があることを知らずに、今も、人を押しのけてでも人の上に立とうと競争を続けています。しかし、人より有能になり、人より豊かになり、そして、人よりも美しくなることで、人は平安になれるでしょうか。そこではかえって心の渇きが加速されるだけです。

もちろん、それは、私たちが自分に与えられた様々な資質や能力を成長させ、生かすことが悪いという意味ではありません。謙遜と才能を埋もれさせることはまったく別のことです。

 

そこで問われているのは、アダムに習って自分を神のようにするのか、キリストに習って、神と人とに仕える生き方を選ぶのかという選択です。

しかも、人の目には敗北としか見えなかったキリストの十字架こそ、勝利の始まりでした。なぜなら、「それゆえ神は、この方を高くあげて、すべての名にまさる名をお与えになりました」(ピリピ2:9)とある通りです。

そして、私たちも、地上の死の現実を超えて、復活のキリストの栄光のからだと同じ姿にまで変えていただくことができるのです(ピリピ3:21)

私たちはキリストにあって、失うことを恐れる必要はありません。もし、夫と妻が、互いにすべてを与えることができるなら、そこには理想的な家庭が生まれるでしょう。夫婦が互いに愛し合っているなら、子供も愛するということを学びながら育つことができます。そこに祝福の連鎖が始まるのです。

 

人の堕落は何よりも夫婦関係に現れ、反対に神の祝福は、何よりも夫婦関係に顕れます。そして、家庭を基礎に、すべての人間関係が築かれます。なお、これは決して結婚の勧めではありません。今も昔も、独身者であるほうがよりよく神に奉仕できるという場合もあります。

大切なのは、結婚か独身かということよりも、今ここで、神を喜びながら生きるということです。独身状態に不満を覚える人は、結婚してもその結婚に不満を覚えることでしょう。独身を楽しむ人は結婚をも楽しむことができます。

私たちの生活は、毎日が神の恵みの中にあります。最初の夫婦関係が壊れたのは、エデンの園の恵みを感謝する代わりにサタンに刺激された欲望に身を任せたためでした。

 

ある米国の精神分析医の方の結婚の司式をさせていただいたとき、私が、「離婚は神への神に対する反逆です」という感じのことを言ったところ、「そんな言い方では、問題は解決しないのでは・・・」とたしなめられてしまいました。なぜなら彼は、「結婚関係を保つのは義務である。私は責任を果たすために、自分の感情を抑えて、この嫌な人と共に暮らし続けるのだ・・」という感じの信仰者の悩みを聞いていたからです。

律法学者もイエスの弟子たちも、離婚は罪なのか、それとも状況によっては許されるのか・・・という次元で議論をしていました。しかし、イエスは彼らの視点を、神による人間の創造という原点に立ち返らせるとともに、十字架をも忍ぶというご自分の生き方を通して、人と人との和解への道を示してくださいました。

神との関係においても、人との関係においても、大切なのは、不満や恨みを押し隠して、義務を全うするという生き方よりも、愛を込めた対話を通して、互いを理解し合うことです。それはエデンの園から始まっているべき生き方でした。

聖書の教えの中心は、神との対話に生きることです。そして、人と人との関係においても、義務を果たすことよりも対話をこそ第一にして生きるべきでしょう。

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2012年4月22日 (日)

エステル記1:1-2:18 「神の摂理の御手の中で」

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  私たちの人生に中には、「何でこんなことになるのか・・」と、泣きたくなるようなことが起きます。しかし、それはしばしば、振り返って見ると、神が示してくださった方向転換のときとなってはいないでしょうか。

私たちは昨年11月末の臨時の教会総会で、錦町の土地の取得の方向を決めました。ただ、その際、「みこころ」などということばをひとことも使わなかったことを感謝しています。そして、今年の受難週、それまでの労苦が無に帰するような空しさを味わいました。

イースター礼拝では、「何もないところに希望がある・・」などとメッセージしながら、心は未練と後悔に苛まれて熟睡できず、朝早く目が覚めてしまいした。

そして、その直後から、不思議な展開が始まりました。ただそれを喜んだのも束の間、私はとんでもない誤解をしていたことに気づかされ、胃が痛くなってしまうほど悩みました。しかし、それも神の御手の中にあることがわかりました。私たちの教会堂建設には、母教会である東京武蔵野教会の理解と支援が不可欠ですが、それらすべてのタイミングが、今日という日にかかっています。

しかし、それらは、毎日、必死に手探りで進む中から、振り返って見て初めてわかることです。みこころは事前にはわかってはいけないことなのかと思います。神の摂理の御手というのは、危機的状況の中で初めてわかることと言えましょう。

 

1.「だれでもめいめい自分の好みのままにするようにと、王が・・命じ」

エステル記の最初は、「アハシュエロスの時代のこと」という書き出しで始まります。これは紀元前485年から464年にかけてのときを指します。これは、イスラエルにおいては紀元前516年のエルサレム神殿の再建と紀元前458年のエズラによる信仰復興運動の間の出来事です。

世界史的には安定期に入ったペルシャ帝国と新興国として勢力を増し加えていたギリシャの都市国家連合との紀元前500年から479年まで続くペルシャ戦争の後半部分に相当します。

歴史教科書には、紀元前480年のサラミスの海戦でペルシャ王クセルクセスが退却をし、その後大敗北として終わったと記されていますが、その王とこのアハシュエロスとは同一人物だと思われます。その当時のペルシャ帝国の支配は現在のギリシャ北東部からエジプト、インダス川流域にまで及んでいました(1:1)

 

そして、「シュシャンの城」(1:2)とは首都のスーサのこと、「第三年」とは紀元前583年のことで三年後のギリシャ遠征の準備のために王の権威を示し、家臣たちをまとめるための大宴会を開いたということだと思われます。

その宴会の様子が、「それにはペルシヤとメディヤの有力者、貴族たちおよび諸州の首長たちが出席した。そのとき、王は輝かしい王国の富と、そのきらびやかな栄誉を幾日も示して、百八十日に及んだ(1:34)と記されます。

その後、「王は、シュシャンの城にいた身分の高い者から低い者に至るまですべての民のために、七日間、王宮の園の庭で、宴会を催した(1:5)とありますが、これはこの酒宴のクライマックスのときを意味すると思われます。

 

その上で、6節にはそこにある調度品の豪華さが描かれ、続いて、「彼は金の杯で酒をふるまったが、その杯は一つ一つ違っていた。そして王の勢力にふさわしく王室の酒がたくさんあった」(1:7)と王の勢力と権力が強調されながら、「それを飲むとき、法令によって、だれも強いられなかった。だれでもめいめい自分の好みのままにするようにと王が宮殿のすべての役人に命じておいたからである(1:8)と特別に記されます。

王は各自に自由を保障することによって自分の権威を示そうとしています。自由には代価があると言われます。それは、主体的に行動するという責任です。それによって王は、家臣たちの資質を試すことができます。

 

それと並行して、「王妃ワシュティも、アハシュエロス王の王宮で婦人たちのために宴会を催した」(1:9)と描かれます。王妃も自分の権力を誇り、自由を満喫していたことでしょう。しかし、そのような中で事件が起きます。

人は強い力には屈服する一方で、自由が与えられると急に自己主張をすることがあります。もっと、王の気持ちに寄り添って、王がなぜ、このとき、「めいめい自分の好むままに」などという命令を出しているかの真意を推察すべきでしょう。

多くの人々は、自分をすぐに被害者の立場か反対に反抗者の立場に置こうとしますが、それこそが奴隷根性と呼ばれるものです。自分自身が主体的に考え、そしてその姿勢から、自分の上に立つ者の気持ちになって、上に立つ者の不安にまで思いを向けることができるなら、組織はずっとよく機能することでしょう。

 

2.「王妃は・・・王の命令を拒んで来ようとしなかったので、王は非常に怒り」

 10節から話が急展開します。「七日目に、王は酒で心が陽気になり・・七人の宦官・・に命じて、王妃ワシュティに王冠をかぶらせ・・王の前に連れて来るようにと言った。それは、彼女の容姿が美しかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった」のですが、ところが何と、「王妃ワシュティが宦官から伝えられた王の命令を拒んで来ようとしなかった」というのです。

それで、王は非常に怒り、その憤りが彼のうちで燃え立」ちました。

 

王妃は自分が見世物のように扱われることに屈辱を感じたのでしょうが、彼女の何よりの問題は、王が自分に特別待遇を与えてくれていたことを当然のように思ってしまっていたことでしょう。

多くの人は恵みを受ければ受けるほど、それを既得権益かのように誤解します。たとえば、最初は、10分間でも話を聞いてもらえたことが感謝だったことが、そのうち「たった10分しか聞いてくれない冷たい人・・・」というように評価が変わるのが常でしょう。

 

  一方、王が「非常に怒り・・」ということも、当時の国際情勢を考えれば推測できます。当時のペルシャ帝国は非常に大きく広がっていましたが、紀元前490年のマラトンの戦いでペルシャはアテネを中心としたギリシャ都市国家連合軍にまさかの敗北を喫します。その戦勝報告の走者が現在のマラソンの起源となっています。

その後、紀元前484年にはエジプトが反乱を起こし、その鎮圧に苦労するというようなことがありました。つまり、国としてのまとまりにほころびが見え始めていたときだったのです。王は自分の権威によって国をまとめようと必死でした。

ところが、王妃は七人の宦官を通して伝えられた王命を、公然と拒否したというのです。これではこの王国の統一性が内側から崩れることになってしまいます。王の命令が気まぐれから発せられたものであっても、それが公になってしまったなら、それに逆らうことは王の権威を傷つけることになります。

王妃は、小さなプライドに囚われて、王権のシステムを理解することができていませんでした。王がふだんから目をかけてくれていることを当然のことにように思い、自分の地位が、国の中でどのような意味を持っているかと言うことに思いが至っていませんでした。

 

  その後の展開が13節から、「そこで王は法令に詳しい、知恵のある者たちに相談した」と記されます。彼らは、「ペルシヤとメディヤの七人の首長たち」でした。そして、王の問いが、「王妃ワシュティは、宦官によって伝えられたアハシュエロス王の命令に従わなかったが、法令により、彼女をどう処分すべきだろうか」(1:15)と記されます。

 

それに対し、七人の名の最後に記されていた「メムカンは王と首長たちの前で」、「王妃ワシュティは王ひとりにではなく、すべての首長とアハシュエロス王のすべての州の全住民にも悪いことをしました」と、彼女の行動が王国の秩序に関わると指摘し、「なぜなら、王妃の行いが女たちみなに知れ渡り、『アハシュエロス王が王妃ワシュティに王の前に来るようにと命じたが、来なかった』と言って・・・きょうにでも・・ペルシヤとメディヤの首長の夫人たちは・・このことを言って、ひどい軽蔑と怒りが起こることでしょう(1:1718)と言いました。

 

  現代の人々は、「女たちは自分の夫を軽く見る」などという理屈に納得できないかと思います。しかし、よく考えてみると、ペルシャとメディヤの首長である者が、公然と、王の権威にほころびが出てきているときだから厳しく対処する方が良いなどとは言えません。

昔から、重要なことは言外に表現されます。夫が軽く見られてはならないという話は、当時の男性たちの間では非常に納得しやすい話で、当時の政治情勢を知っている人はすぐに、ペルシャ王の権威が侮られ、国の統一にほころびが生まれてはならないという危機感として理解できたことでしょう。

 

  それでメムカンは19節で、「もしも王によろしければ、ワシュティはアハシュエロス王の前に出てはならないという勅令をご自身で出し・・変更することのないようにし、王は王妃の位を彼女よりもすぐれた婦人に授けてください」という提案をします。

そして、その意味が、「王が出される詔勅が、この大きな王国の隅々まで告げ知らされると、女たちは、身分の高い者から低い者に至るまでみな、自分の夫を尊敬するようになりましょう(1:20)と説明されます。

自分の夫を尊敬するようになるという言葉の背後には、これによって、王から公に発せられる命令の権威が尊重されるという思いが込められているように思われます。

 

3.「このおとめは、ヘガイの心にかない、彼の好意を得た」

2章では、「この出来事の後、アハシュエロス王の憤りがおさまると、王は、ワシュティのこと、彼女のしたこと、また、彼女に対して決められたことを思い出した」ということばとともに、その後のユダヤ人の命運を握る意外な展開が、「王に仕える若い者たち」の提案が、「王のために容姿の美しい未婚の娘たちを捜しましょう・・王国のすべての州」から、「容姿の美しい未婚の娘たちをみな、シュシャンの城の婦人部屋に集めさせ」、そして、王のお心にかなうおとめをワシュティの代わりに王妃としてください」と記されます。

 

そして、突然ここに、「シュシャンの城にひとりのユダヤ人がいた。その名をモルデカイといって、ベニヤミン人キシュの子シムイの子ヤイルの子であった」(2:5)というひとりのユダヤ人が紹介されます。「ベニヤミン人キシュ」とは、イスラエル王国最初の王サウルの父の名です。ですから、モルデカイは初代王家の血筋を引く王家の子孫としてユダヤ人としての誇りを大切に守っていたことでしょう。

なお、6節初めの「このキシュ」ということばは原文では「彼」になっており、それはモルデカイを指すと考えた方が良いと思われ、「彼はバビロンの王ネブカデネザルが捕らえ移したユダの王エコヌヤといっしょに捕らえ移された捕囚の民とともに、エルサレムから捕らえ移された者(たちの中にいた)」と訳すことができます。

要するに、モルデカイは由緒ある家柄で、バビロンに捕囚とされ、そこで厚遇を受けていたエコヌヤとともにいた人の家系の子孫であったということです。ネヘミヤやエズラの例にもあるように、ペルシャ帝国の中でそれなりの地位を得ていた多くのユダヤ人とその親族は、エルサレム帰還が許されても、なおペルシャ帝国内に留まっていました。まさに、「住めば都」という感じになっていたのだと思われます。

 

そして、7節ではエステルの名が初めて描かれ、「モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。このおとめは、姿も顔だちも美しかった。彼女の父と母が死んだとき、モルデカイは彼女を引き取って自分の娘としたのである」と記されます。

 

 その上で、エステルが王宮に招き入れられる経緯が、「王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くのおとめたちがシュシャンの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた」(2:8)と記されます。

本来、ユダヤ人でありながら、異教徒の王の「そばめ」とされるというのは、非常に不名誉なこと、律法に反することと考えられました。しかし、ペルシャ帝国の首都に住んでいるおとめが王命に背くことなどできません。

彼女は、避けられない運命ならば、それを積極的に受け止めようとしたのではないでしょうか。その結果が、「このおとめは(宦官)ヘガイの心にかない、彼の好意を得た。そこで、彼は急いで化粧に必要な品々とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女にあてがった。そして、ヘガイは彼女とその侍女たちを、婦人部屋の最も良い所に移し(2:9)と記されます。

 

現代の私たちは、自分には職業選択や結婚の自由があるのは当然であると思っていますが、このような自由が保障されたのは歴史の中ではごく最近のことです。そして、自分の人生は自分で選ぶことができると思うところから、かえって様々な悩みが生まれてはいないでしょうか。それは、「こんなはずではなかった・・・」という思いです。

 

私は自分の職業選択を入社三日目で、「みこころを読み間違えた」と後悔してしまいました。しかし、今振り返って見ると、あのときの様々な条件を考える時、それが最善の選択だったと今は心から思えます。

人によっては、「何で私はこんな家に生まれたのか・・・」などと悩みます。しかし、よくよく振り返って見ると、自分の人生の中の最も核心的な部分は、すべて自分で選ぶことができない要素から成り立っています。そこで最も大きな違いとして現れるのは、それを積極的に受け止めるか、それを恥じながら生きるかという違いです。

 

4.「こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた」

ただ、そこで知恵が求められる部分があります。この後のことで明らかになるように、ユダヤ人は当時のペルシャ帝国の中では奇異な目で見られ、誤解を受けがちでした。それはあらゆる偶像礼拝を拒絶し、目に見えない神だけを拝むという生き方を貫こうとすることから生まれる必然的な反感と言えましょう。

それに対する対応が、「エステルは自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはならないと彼女に命じておいたからである。モルデカイは毎日婦人部屋の庭の前を歩き回り、エステルの安否と、彼女がどうされるかを知ろうとしていた」(2:1011)と記されます。

モルデカイは、エステルを養育するという自分のおじに対する約束を、ここに至っても守ろうと必死でした。モルデカイはエステルが自分のもとから連れ去れられるときほんとうに心を痛めたことでしょう。しかし、彼は無駄な抵抗をする代わりに、その状況を受け入れ、エステルにもその中で賢く生きることを勧めると同時に、自分自身もできる範囲でエステルの安否を確かめ続けようと必死でした。

 

 12節から 14節には当時の王宮で、おとめたちが一年間の準備期間を経て王のところに入って行くためのしきたりやその後のことが記されます。一度、王のところに入っていった女でも、「王の気に入り、指名されるのでなければ、二度と王のところには行けなかった」という厳しいおきてがありました。王のそばめとなった者たちは、自分では何の主体的な行動をとることもできません。ひたすら、王から声がかかるのをじっと待つしかなかったのです。エステルは自分の意に反して、まさに奴隷よりも自由のないと思える状況の中に身を置かなければなりませんでした。私たちは彼女のその後の成功を見る前に、彼女の不安や葛藤をこそ思い巡らすべきでしょう。

 

そして、15節では、「さて・・エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていたと記されています。まさにエステルは自分が何の選択権もない不自由な立場に身を置きながらも、その状況を積極的に受け入れて行動しようとしています。彼女は、宦官ヘガイへの信頼を態度で表現することによって、彼の好意を得ることができました。

なお、人は誰でも、人から好意を持たれたいと願うものですが、そのために最も大切なことは、まず、自分自身の出生や体形、気質、置かれた環境など、自分で変えることができないことをまず積極的に受け止める必要があります。自分を嫌っていながら、人から気に入ってもらおうなどというのは無理な要求です。まず自分自身を受け入れることこそ、人間関係を豊かに保つ最大の秘訣と言えましょう。

 

 16節では、「エステルがアハシュエロス王の王宮に召されたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった」と記されますが、これは紀元前479年の真冬のときを指します。これは王がギリシャ遠征にでかけながらサラミスの海戦でギリシャに大敗北を喫し、失意のうちに帰国した翌年に相当します。王はエステルによって大きな慰めを受けたのではないでしょうか。

そして、その後のことが、「王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。それから、王はすべての首長と家臣たちの大宴会、すなわち、エステルの宴会を催し、諸州には休日を与えて、王の勢力にふさわしい贈り物を配った」と記されます。

 王は、国をまとめるためにも自分の勢力を誇る必要がありました。そして、エステルはその従順さと美しさによって王を慰め、王の気持ちに寄り添って王権を支えることに協力することができたのではないでしょうか。

 

 エステル記をペルシャとギリシャとの戦争という歴史的な文脈の中で読むときに、いろいろ興味深いことが見えてきます。私たちの人生の中にも、緊張を強いられる様々な戦いの日々があります。

そのような中で、自分を被害者的な立場に置くか、権力者の気持ちに寄り添う立場に置くかで、人生はまったく違ったものに見えてくるでしょう。

 

そこで大切なのは、変えられないことを受け入れる平静な心、変えられることを変えてゆく勇気、ふたつのものを見分ける賢さです。ただし、その平静な心(Serenity)というのは、そのときそのときに神から与えられる賜物と言えましょう。自分の心がパニックに弱いことを嘆く人は、さらに自分をパニックに追いやってしまいます

 

先日も、健康診断に行ったとき、自分の血圧数値が高く出てしまうことに驚いてしまいました。普段はとっても低いからです。その保険医の方からは、血圧があがりやすいという性質を知ることの大切さを指摘されてしまいました。つまり、僕には平静な心がいかに足りないかということの証拠とも言えましょう。

しかし、それを嘆いたところで、この感性は、変わりはしません。かえって自分の敏感さを意識すれば意識するほど問題が深まるだけです。

 

私たちにとって何よりも大切なのは、心が様々なことに敏感に反応し、不安定になってしまう自分の感性や心のあり方を恥じることなく、神と人とに誠実を尽くすということに心を集中することです。

人は、誰でも、自分ではなく、目の前に働きに心を集中することによってのみ自分を忘れることができます。そして、そのように行動するときに、結果的に、すべてのときが神の摂理の御手の中にあったことを覚え、安心することができるでしょう。

「平静な心」と言うのは、不安を通してこそ体験できるものです。神の摂理の御手は、パニックを通してこそ体験できるものです。

ですから、目の前の責任を回避せずに、真正面から向かって行きましょう。先の見通しがまったくつかないと思えるような中にあっても、主を呼び求めるとき、主があなたのために道を開いてくださいます

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2012年4月15日 (日)

Joshua24:14-25 「But as for me and my house, we will serve the Lord.」

   April 15.2012 Hidenori Takahashi

Introduction: Importance of being out of your own country 

 It is a great pleasure for me to be in a fellowship with brothers and sisters in the Lord Jesus Christ at MCC.

I came to know Jesus Christ as my personal savior when I had an opportunity to study in the U.S. at the age of 21.  I decided to dedicate my life as a pastor when I was working for a Japanese financial institute in Germany at the age of 32. This shows that, in order to make a crucial decision in my life I needed to be out of my own country, Japan.

1. Reviewing the failure of Japanese Christianity

a. Problem of the group oriented thinking

 It is said that one of the reasons why Japanese people made a great success in business area is their good team work. A typical Japanese always earnestly try to respond to what his belonging group expects him to do. Because of this mentality Japanese Christian church committed great sin against the Lord and other nations especially in Asia People say that in Japan

there are not only institutional religions like Buddhism, Shintoism, and Christianity, but also something almost like religion that is deeply rooted in Japanese culture.  It is Japanese mentality, often called Japanism.

 In 1549 Jesuit missionary Francisco Xavier came to Japan, and the mission work by him and other missionaries was very successful. Within 50 years, there were almost 600,000 Christians in Japan. This number was about 2.4 % of Japanese population at that time. There were many mass-conversions.  For example, when one feudal-lord converted in one area, all the people in that area converted as well. But, when Japanese central government began persecuting Christians, almost all feudal-lord lapsed from faith.  Mass-conversion came to an end with mass-apostasy.

Of course, there were many Christians, who were faithful until death and left good testimonies. However, in spite of that, within a few decades, almost all Christians were vanished in Japan

. After sever persecution, for nearly 250 years, officially there were no Christian in

Japan

.b. Japanese Christians worshipped Japanese Emperor

  In 1868 modern Imperial Government began. Along with importing western technology, the government finally ceased prohibition of Christianity in 1873. Many missionaries from U.S. and Europe came to Japan, and a lot of Japanese intellectual people came to know Jesus. After 40 years, in 1912, the number of Protestant Christians in Japan was almost 50,000. In 1925 the number increased to 170,000. It tripled within 13 years. It was almost 0.3% of population and it is almost the same rate as it is now.

But in June 1941, during World War, shameful thing happened in Japanese Church. All the Japanese Protestant churches were united under the pressure of Japanese militaristic regime. The purpose was to make all churches to co-operate with Japanese government’s war policy. At that time each denomination reported relatively large number of members. Officially there were 230,000 Protestant

Church

members registered under the United Church of Christ in

Japan

. Can you believe that 230,000 Christians were united under the Japanese Emperor? At that time, the United Church officially declared that they were not only Christians, but also servants of Japanese Emperor, and their primary duty was to serve for the Japanese Empire. On the day of foundation of the United

Church

, all the leaders of the church went to Yasukuni Shrine, which is Japanese militaries’ memorial shrine, and they worshipped Japanese gods.  And almost all Japanese Christians worshipped Shinto shrines and worshipped the Emperor as a living god. A few Christians who rejected to do so were put into jail. However, Church leaders claimed that what they were doing was not religion but a part of Japanese culture.

2. “Fear the Lord and serve him in sincerity and in faithfulness.”

a. One man of you puts to flight a thousand.

 What I shared is one of the greatest shame in Christian history of the world. But according to the Bible, almost the same thing happened more than 3000 years ago in Irael

. After great success of defeating pagan nations in Canaan, Joshua became old and was waiting for death. Joshua wanted to leave a lasting Legacy.

 His command was simple “Now therefore ear the Lord and serve him in sincerity and in faithfulness.” People in Canaan was bigger than Israelite and had strong weapons, so Israelite might have feared them than the Lord and compromised with them against the commandment of the Lord. 

 Relating to this, Joshua promised, “ One man of you puts to flight a thousand, since it is the Lord your God who fights for you(23:10).

The secret of the victory was simple. Be very strong to keep and to do all that is written in the Book of the Law of Moses, turning aside from it neither to the right hand nor to the left, that you may not mix with these nations remaining among you ・・(23:6,7) 

There was a danger that Israelite would be mixed with remaining nations in Canaan, and that they would even mix the Law of Moses with the remaining pagan worship style. 

b. Failure to cling to pagan nations instead of God of the Bible.

Before World War, liberal theology from Germany influenced Christian leaders in Japanese church and they could not believe the Bible as the infallible word of God. Also, because of the inferiority complex to western countries, they tried to establish the new Christianity which fits to Japanese mentality. They tried to mix the teachings of the God of the Bible with remaining teachings of Japan, just as the same as Israelite did in 3000 years ago.

But Joshua urged that “you shall cling to the Lord your God just as you have done to this day・・・if you turn back and cling to the remnant of these nations remaining among you・・・they shall be a snare and a trap for you”(23:8,12) 

This means that they need to choose whether to cling to God or cling to pagan nations.  During World Warin Japan, leaders of Japanese churches thought that in order to protect church members from persecution by military regime, they should compromise with Japanese government. But such attitude was actually what was warned by Joshua.

 We must remember that there is always the danger. If you cling to pagan nations, you can enjoy short term peace with them. But as Joshua warned, they shall be a snare and trap for you.

For instance, in Korea, before and during World War, many Christians lost their lives because they refused to worship Japanese Emperor nor other gods in Shinto shrines. As you know, Korean church is now so blessed by God and powerful among nations.

 

c.  No one can serve two masters.

In Japan, the number of Christians right now is almost the same as the number before World War. What was the problem?  Just after the war, many people were attracted by Christianity, especially by American missionaries. Part of the reason was that they showed their wealth and strength. For instance, 17 years after the war, the number of rotestant Christians doubled to 360,000 in 1962. At that time, the number of Catholic Christians was 290,000. Together, the total number was 650,000, and it was 0.74% of Japanese population.

In 2006, official statistics showed that the number of Protestant Christians is 620,000 and the Catholics is 480,000, in total 1,100,000, and this is about 1% of Japanese population.

But in fact, many people had already disappeared from the church. Currently the number of officially registered active Protestant members is only 275,000, which is only 0.2% of Japanese population.

There were so many nominal Christians. Many of them were attracted by Christian cultures especially from the U.S. right after the war. But when Japanese could show success in business world better than lots of Americans, a lot of people were not attracted by Christian cultures any more. It is very simple. When Toyota-Moters became superior to General-Moters, people tend to think, Japanese religion is better than American one. It has been very tragic that Christianity has been seen as an American religion.

 In such circumstances, the word of Joshua really hits the point. 

 Now therefore fear the LORD and serve him in sincerity and in faithfulness. Put away the gods that your fathers served beyond the River and in Egypt, and serve the Lord.  And if it is evil in your eyes to serve the Lord, choose this day whom you will serve, whether the gods your fathers served in the region beyond the River, or the gods of the Amorites in whose land you dwell.  But as for me and my house, we will serve the Lord.”(24:1415)

 In these two verses Joshua used the word “serve” seven times. It is explained here, that our conversion is the changing of object, which means whom we will serve.  During World War, Japanese Christians chose to serve the Emperor, and after the war many of them chose to serve money. They thought that they can serve two masters at the same time. They forgot the word of our Lord Jesus, “ No one can serve two masters.(mat.6:24)”

The problem is that we always want to challenge what Jesus says impossible, and we do not challenge what Jesus says possible. We tend to think that we can serve money and the Lord at the same time, but we tend to be afraid of proclaiming the Gospel. Although Jesus is always glad to give us wisdom and power, somehow we tend to be timid in serving the Lord.

 

2.A personal commitment to the Living God.

a.  “As for me” Meaning of free church movement

 In any way we need to choose who is our master. And Joshua’s word “As for me and my house, we will serve the Lord” shows the real personal commitment to the Living God.

 Actually people in Israel and in Japan have similar mentality. They stress the importance of community, and the greatest threat for them is to be kicked out from the community. They always seek favor of other community members. But here Joshua is emphasizing the personal commitment, no matter how the others would respond. 

 Personally I was not an evangelical free church member at first. I was a member of the liberal Lutheran church, which originally was the State church of Germany. But when I had a chance to live in

Germany

, I could see the roots of problems. There were so many nominal Christians, and pastors of the state church were preaching morals and Philosophy instead of the resurrection of Jesus Christ and the power of the Holy Spirit. But in the free church I was able to see the living Christians, empowered by the spirit of Jesus.

I was a very typical Japanese and I always tried to meet other people’s expectations. I tended to cling to people instead of God. In the free church, on the other hand, personal commitment to God is always emphasized. Christianity is not morals nor a system, but a personal relationship with the resurrected Jesus Christ.

A visible church sometimes makes great mistakes like churches in Japan or in Germany during World War II. These mistakes happened, because those organizations tried to protect themselves and compromise with political movements at that time.

Dr. James Houston, the founding principal and chancellor of Regent College in  V

ancouver

,

Canada

, points out something that we all need to remember. In his book, “Joyful Exiles,” he says something like this (I have only Japanese translation…, but this is what he says)… "Organization tends to be blind to sin… it is not formed in a way to enable someone to repent… Rather, organization is intended not to believe in God and trust in Him, but to believe in oneself and trust in oneself politically… Organization itself can be an idle. " 

As this warning indicates, we should be very careful that we will not trust in organization too much.

Actually, as we know in Church history, the Reformation was realized with the following words by Martin Luther in 1521 at Imperial Congress in Worms

Luther said, “I do not believe in Pope nor the church council. I cannot delete my statement, because I am conquered by the Word of the Bible which is shown to me clearly, and by my conscience which is bound with the Word of God.”

This confession by Luther should be the foundation for all Protestant churches. Therefore, each Christian should read the Bible by oneself first and cling to God personally, instead of clinging to church organization.   

In order to make this possible, the church should first believe and teach the infallibility of the Bible, and stress the work of the Holy Spirit in each individual Christians. In this context, we EFC, firmly believe the infallibility of the Bible and the freedom of conscience.

Therefore Joshua’s confession “As for me and my house, we will serve the Lord” is truly the foundation of the free church movement.

b.   You are not able to serve the Lord

By the way, in response to the challenge of Joshua, the people answered, “Far be it from us that we should forsake the Lord to serve other gods, for it is the Lord our God who brought us and our fathers up from the land of Egypt, out of the house of slavery, and who did those great signs in our sight・・・・Therefore we also will serve the Lord, for he is our God.”(24:16-18)

They had already experienced the blessing and goodness of the Lord and their response must have been genuine. However, they did not know how weak human hearts are. 

Therefore Joshua said to the people, “You are not able to serve the Lord, for he is a holy God. He is a jealous God; he will not forgive your transgressions or your sins. If you forsake the Lord and serve foreign gods, then he will turn and do you harm and consume you, after having done you good.” (24:19-20)

 Joshua knew how Israelites were going to be attracted by pagan cultures. Those gods were gods of affluence and pleasure. They are gods that stimulate human hearts to seek worldly pleasures and do not say anything about being holy.  Israelites didn’t know the personal living relationship with the Lord. 

But the people said to Joshua, “No, but we will serve the Lord.” (24:21)

The reason why Joshua pointed out their weakness was to ensure that they would never forget their own response.

 

c.  Incline your heart to the Lord.

Therefore Joshua confirmed their response and said to the people, “You are witnesses against yourselves that you have chosen the Lord, to serve him.”  And they said, “We are witnesses.”(24:22)

He said, “Then put away the foreign gods that are among you, and incline your heart to the Lord, the God of Israel.” (24:23)

 Surprisingly they still possessed foreign gods, and Joshua urged them to throw those gods away.  After that he used the different words and said “ Incline your heart to the Lord.” That is, to stretch out, or, spread out their hearts, so that their hearts could be filled with the will of God, instead of demanding God to do their will. 

And the people said to Joshua, “The Lord our God we will serve, and his voice we will obey.”(24:24)

They responded correctly when they said to obey His voice. Original Hebrew word for “obey” is “Shema” which means “ to open their hearts and listen very carefully” . People often fail to obey God, simply because they don’t listen carefully and misunderstand the will of God.  That was the problem of the Pharisees, and Apostle Paul was one of them. Paul knew this failure very well from his own experience. So he said “ Faith comes from hearing, and hearing through the word of Christ”(Rom10:17) 

 

3. Making the covenant

a. If you forsake the Lord・・・

To the question by Joshua people responded three times,” we will serve the Lord our God.”(24:18,21,24)  Joshua wanted to confirm their commitment. So Joshua made a covenant with the people that day・・ (24:25)

 But the Bible tells us that soon after the death of Joshua, they abandoned the Lord and served Baal. It is hard to believe, but it is true.

 In the covenant, there was always the word of curse. In this case Joshua had warned,” If you forsake the Lord and serve foreign gods, then he will turn and do you harm and consume you, after having done you good.” (24:20) As you all know, Israel was cursed at the end and lost their Land.

The problem was that they did not know their own hearts. They thought they could. But the Bible is clear that descendents of Adam are unable to accomplish the will of God by their own strength.  

b.  Christ redeemed us from the curse of the law

 We all know the story that Apostle Peter denied Lord Jesus three times. But Peter had never thought he would do such an unfaithful conducts. He said “ Though they all fall away because of you, I will never fall away・・・Even if I must die with you, I will not deny you!”(Mat.26:33,35)  His response was basically the same as Israelis at the time of Joshua.

 Peter could have been cursed like Israel, but Jesus took his curse instead, and died for him on the cross. As it is written,” Christ redeemed us from the curse of the law by becoming a curse for us.”(Gal 3:13)

And Jesus was risen from the dead and appeared to Peter, and asked him three times, “ Do you love me?” and Peter answered three times, “ You know that I love you.” Because Peter denied Jesus three times, Jesus confirmed his love three times.  Peter’s third response was unique, he said, “Lord you know everything; you know that I love you.”

In our love there is always so called “ambivalence”. We don’t know how much contradictions and inconsistency exist in our hearts. Sometimes we even get angry with God, but Jesus knows everything. He knows our weakness.

Have you ever thought, why Peter could accomplish his love to Jesus until his death? Peter had learned his own weakness and he had received Holy Spirit, which is the Spirit of Jesus Christ. Peter could accomplish the will of Jesus with the Spirit of Jesus. 

 

Conclusion: We are all the covenant family of Jesus Christ, united by the Holy Spirit.

 I shared the failure of Japanese Church , because we can learn from failure much more effectively than from success. EFC Japan is still small. We have only 4700 members, and it is about 2% of Japanese Protestant Christians. But with the lasting legacy of personal commitment to Jesus Christ and faith in the Bible, we can influence Japanese church and society. We are all the covenant family of Jesus Christ, united by His Holy Spirit.

Please pray for Japanese church so that we really repent the terrible sins of the past and make the new covenant,  “As for me and my house, we will serve the Lord.” Not by the will of human nature, but by the blood of Jesus Christ and the Holy Spirit.

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2012年4月 8日 (日)

マルコ15章40節~16章8節「空の墓から生まれる希望」

                                                   201248

イエスの復活の記事は四つの福音書すべてにおいて、極めて生き生きと描かれています。私は最初その記述の違いに驚き、とまどいました。歴史的事実の記録なら、もっと記述に共通性があっても良いと思われたからです。しかし、記録の細かな違いに整合性をつけようとした形跡が見られないということ自体が、これら四つの福音書が、目撃者の記録をそのまま残しているということの証拠とも言えるということがわかって心が落ち着きました。

 

そして、今から百数十年前にエジプトでペテロ福音書と称される小さな羊皮紙が発見され、世界に衝撃が走りました。それは2世紀には多くの人に読まれていながら、同時に、それは偽物だと判断された記録でした。

たとえば、そのペテロ福音書と呼ばれる記録と、この四つの福音書を比べると、そこに決定的な違いがあることに気が付きます。それは、イエスが葬られたはずの墓が、誰一人目撃者のいない中で空になっていたということです。

四つの福音書は、すべて同じように、十字架で息を引き取られたイエスのみからだが、アリマタヤのヨセフによって引き取られ、女たちの見ている前で金曜日の日没前に葬られ、日曜日の朝に女たちが墓に行ったときには既に空になっていたということです。

しかも、イエスに従っていた者で、イエスの復活を期待していた者はなく、みな一様に、復活を信じがたいこととして受け止めていたということです。復活の何よりの証拠は、空の墓でした。

 

現在のエルサレムには、イエスの墓の上に建てられたと言われる聖墳墓教会と、今から百年あまり前に発掘された「園の墓」があります。前者には多くの聖画を飾った数々の黄金の礼拝室がありますが、後者はイエスの墓のイメージを今に伝えつつ空の墓を見せるとともに、後につけた木の扉にたった一言、「あの方はよみがえられました。ここにはおられません」と英語で書いてあります。

私は27年ほど前に、その空の墓を見、そのみことばが扉に記されているのを見たとき、電流が走るように、空の墓こそが、私たちの信仰の出発点であることが分かりました。

 

マルコの記録は、四つの福音書の中で最も素朴で、空の墓の描写だけに焦点が当てられています。もっと詳しい説明が欲しいと思う人の期待を裏切るように、不思議な終わり方をしています。

しかし、その記録の素朴さ、また読者の様々な疑問を無視するような書き方に、これこそ最も古い復活の記録であるということが証しされます。

 

1.神の国を待ち望んでいたヨセフの行動

154041節では、イエスが「息を引き取られた」ときの様子を、「イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たち」「遠くから方から見て」いたと描かれています。マルコは、男については「すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった」(14:50)でまとめ、復活の最初の目撃者として男性たちの存在をまったく無視します。

一方、女の弟子に関しては、マグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメ」という三人の名を記録した後は、「マグダラのマリヤとヨセの母マリヤ」「マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメ」(15:4716:1)というように名の記し方が変わりながら紹介されます。ある意味で、名の記し方に一貫性のないこと自体が、この記録が真実の証人によって記されたことの証しになります。

しかもその代表者の「マグダラのマリヤ」についても何の紹介もないばかりか、その心の動きも表現されません。この名が繰り返されるのは、目撃者に一貫性を持たせるためだけです。

しかも、「マリヤ」という名を敢えて繰り返しながら、イエスの母マリヤのことさえ省かれています。マルコは、読者の目を、人間以外に向けさせようとしていると言えないでしょうか。

 

それにしても、このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた(15:41)とあるのは不思議なことです。これは当時の女性の社会的な地位が低かったため、イエスについて来た者たちでありながら、男たちとは違い、ユダヤ人指導者からの攻撃を恐れる必要がなかったという面もありましょうが、とにかく神は、今、証言能力もないと見られていた女性たちをご自身の御子の復活の証人として用いようとされていたのです。

ここでは特に、「いつもつき従って仕えていた女たち」という描写が心に残ります。彼女たちは、イエスが死んだ後も、イエスに仕えようとしていました。その姿勢が、豊かに用いられようとしています。

 

  そして、154243節ではイエスが息を引き取られた後の様子が記されています。「すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので・・」とありますが、当時の安息日は金曜日の日没後に始まりましたから、ここでは、イエスの身体を葬る最後の時間の終わりが迫ってきたということが強調されています。

 

続けて、「アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った」と突然、新しい名が登場します。そして彼に関しては「ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった」と描かれます。

それにしても、ヨセフはイエスに死刑判決を下した最高議会のときはどうしていたのでしょう。そのときは欠席していたのか、それともイエスの死刑判決にいったん賛成して、その後、悔い改めたのかは、わかりません。

ただ、「思い切って」と敢えて記されているように、彼はイエスの十字架の場面を目撃した結果として、大胆に行動する勇気を得たと言えましょう。ただ、そこのことについてマルコは何も記述はしていません。

 

しかも、ヨセフに関しては敢えて、みずからも神の国を待ち望んでいた人」であったと紹介されています。申命記2122-23節には、木につるされた死体を「次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない」と記されています。

ヨセフはイエスの死体にふれることによって、身を汚したことになり、過ぎ越しの食事にあずかることもできなくなったはずですが、イエスを自分の家族として葬ろうとしたのです。また、他の議員仲間から、イエスの仲間として激しい攻撃を受ける可能性もありました。しかし、「神の国」への情熱が、今なすべき正しいことへと彼を動かしたと言えましょう。

 

しかも、この記述の中心は、何よりも、イエスが、犯罪人専用の共同墓地にではなく、富む者のための「新しい墓」に葬られた経緯を解説することにあります。

これはイザヤが、「墓は悪者どもと共にされるはずだったが、葬られたときは富む者と共にされた。それは、彼が暴虐を行なわず、その口に何の偽りもなかったから(イザヤ53:9私訳)と預言していた通りでした。

ヨセフは、イエスの死体が共同墓地に投げ込まれるのを避けたいと熱心に願っていただけですが、結果的にそれによって、イザヤの預言を成就することになったのです。

 

そして、これこそ、イエスの復活が宣言される舞台設定になりました。共同墓地に投げ込まれた人が、復活して弟子たちに現われたと言っても、だれも信用できないからです。なお、これらすべての箇所で人物描写が驚くほどそっけなく思えるのは、これらの場面における隠れた主人公を前面に出すためと言えないでしょうか。

 

2.「イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた」

その後のことが、「ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた(15:4445)と記されます。

なお、このときの百人隊長は、イエスの十字架の死の様子を見て「この方はまことに神の子であった」と告白したその人であったことは間違いないことでしょう。当然ながら彼は、ヨセフの行動を支援する者として行動したことと思われます。

なお、これはヨセフがそれまで43節に記されていたように、「思い切って」行動することができなかったことが益に変えられたとも言えましょう。彼がイエスの弟子であるとわかっていたなら、ヨセフはイエスの身体を引き渡してもらうことはできなかったはずだからです。

 

そして、その後の忙しい行動が、「そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入口には石をころがしかけておいた。マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた」(15:4647)と記されます。

イエスが息を引き取られたのは午後3時ぐらいでしたが、それから日が沈むまでの短い間に、これらすべてのことがなされました。女性たちはイエスのみからだをもっと丁重に葬ってさしあげたいと願っていましたが、それをすることはできませんでした。そして、それもその後の復活の証しにつながって行きます。

 

なお、当時の葬りは二段階に分かれていました。最初は遺体に香油を塗り、そして、匂いを消すための香料をふんだんに用いて亜麻布で包み、洞穴の中にしばらく放置します。すると肉が腐敗して溶けてなくなります。その後、骨だけを集めて、それを骨壺に入れて同じ洞穴か別の場所に安置しました。

とにかく、この自然な腐敗のプロセスを、悪臭を放つ醜いものにしないようにと、当時の人々はこの埋葬処理に時間をかけました。しかし、このときは安息日の始まりが迫っていたので、そこにいた女性たちは、安息日が明けてからもう一度丁重に葬りの処理をしたいと切望していたのです。イエスに対する彼女たちの愛が、このような行動へと彼女たちを動かしました。

 

男の弟子のほとんどは、ただ恐れて身を隠していましたが、女の弟子たちは心が張り裂けるほどの悲しみを味わっていました。そして、自分たちに今できることに心を集中していました。イエスはガリラヤにおいて、「心の貧しい者は幸いです・・悲しむ者は幸いです」と言われました。その幸いを、女たちが体験しようとしていました。

 

3.「あの方はよみがえられました。ここにはおられません」

16章では「さて、安息日が終わったので」という記述から始まります。土曜の日没とともに安息日は終わっていました。「マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った」とは、土曜の夜のことだと思います。夜にはどの店も閉まっていたことでしょうが、彼女たちは大胆に行動しました。

 

 「そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた」(16:2)とありますが、彼女たちは朝まだ暗いうちに家を出ることによって、日が上ったときにお墓につくことができました。とにかく、彼女たちは少しでも早くお墓についてイエスのみからだに香料を塗って差し上げたいと必死でした。

そして、彼女たちは、墓に向かう途中で、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」とみなで話し合っていましたが、墓について、「目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった」というのです(16:4)

 

  そこでのことが、「それで、墓の中に入ったところ、真っ白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた」と記されます(16:5)。これは明らかに神の御使いです。

そして、青年は、「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です(16:6)と言いました。

 

私たちも、空の墓を心の目で見るように招かれています。女性たちは、別に、イエスの復活を期待してその洞穴に向かったわけではないことは明らかです。彼女たちはあくまでもイエスの身体を丁重に葬ることしか頭になかったのです。

その彼女たちが、誰よりも、墓が空っぽであることに驚き、唖然としているのです。空の墓こそ、イエスの復活の何よりの証拠であることは明らかです。それ以外の説明は成り立ちえません。

 

  そこで引き続き、この青年は、ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』とそう言いなさい」と彼女たちに告げました(16:7)。イエスはかつて弟子たちに向かって、彼らがイエスを見捨てるということを予告して、「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると羊は散り散りになる』と書いてありますから」と言われましたが、そのときすぐに続けて、「しかし、わたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤに行きます」とご自身の復活と、ガリラヤでの再出発のことを既に語っておられました(14;27,28)

イエスは卑怯にもイエスを否認し、逃げてしまった弟子たちに向けて、ご自身の復活を、女性たちを通して知らせるととともに、神の国の宣教を始めたガリラヤから再び、弟子たちが神の国の福音を宣べ伝えることを求めたのです。

イエスは弟子たちを、信仰の原点に立ち返らせようとしておられます。弟子たちは、これを直接にではなく、女たちから聞いたことで謙遜にされました。

 

 ただ、マルコ168節では、その後のことが、「女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」と記されています。

なお、169節以降は、最も古い写本のどこにも残ってはいない記録です。ですから、本来のマルコの記事は、8節までしか残っていないということは多くの保守的な聖書学者も認めていることです。

ただ、これは、どう考えても不思議な終わり方です。多くの学者は、マルコは本来、その後の女性たちの行動やイエスと弟子たちのガリラヤでの出会いのことを書いていた可能性が高いと思われます。

ただ、それはマタイの福音書にも明確に記録されていることですから、それによってイエスの復活の物語が変わることはないとも言えましょう。

 

それにしても、摂理的にこの福音書は、女たちが動転していたということで終わっていること自体が、当時の弟子たちにとって、イエスの復活があり得ない、信じ得ない話であったことが明らかになります。残念ながら、今も、多くの人々が、イエスの復活は弟子たちが創作した物語であると主張します。

しかし、このマルコの終わり方に明らかなように、イエスが何度もご自身の復活に関して語っていたにも関わらず、イエスの復活は、どのような敬虔な弟子たちにも理解しがたいことであったということです。

 

近代の合理主義の影響を受けた学者たちが、イエスの復活を、「歴史的な事実というよりは、弟子たちの心の中に生まれた信仰の現実」などと説明する場合がありますが、昔の人にだって、イエスの復活は、とうてい信じられないことでした。

もし復活が初代教会の信仰の産物だとしたら、女たちが最初の復活の証人として描かれはしません。それは証拠として認められなかったからです。女たちは、大きな石がわきへ転がされたことと、墓が空であったという事実に、動かされるようにして、恐る恐る男の弟子たちに知らせたのです。

しかも、弟子たちには、イエスのからだを盗んで、復活の話しを捏造する動機は全くないことは明らかです。彼らはイエスの復活を信じられなかったからあれほど臆病だったのであり、また、イエスの復活を確信できたからこそ、その後、命がけで福音を伝えることができたのです。

誰が、自分たちが捏造した嘘のために命をかけるなどということができるでしょう。

 

4.「こうして、福音があらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません」

 169節以降は、マルコの末尾が失われたことを二世紀または三世紀の信徒たちが書き加えたものと思われます。それまでとは文体も描写の仕方も明らかに異なるからです。何よりも不思議なのは、この期に及んでマグダラのマリヤのことが、「イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたのであった」という紹介が記されていることです。

しかも、この後に記されていることはすべて、他の福音書に記されていることの寄せ集めです。当時の教会の多くは現在のようにまとまった聖書は持っていませんでした。ですから、このように他の福音書からの記録を書き加えることには大きな意味があったと思われます。

 

それにしても、1614節に、「しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現れて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである」のは興味深いことです。ここでもイエスの復活が弟子たちにとって想定外のことであったということが何よりも強調されています。

 

  また15節でイエスが弟子たちに言ったことばは、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」と記されますが、これは厳密には、「者」ではなく、被造物すべてを指すことばです。宣教の働きは人間ばかりか、すべての被造物を対象とするという意識が初代教会にはあったということを現していると思われます。

 

 また1718節の信じる者たちに伴うしるしは、「蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず」などと、理解しがたいことが書いておありますが 初代教会のペテロやパウロの宣教に多くのしるしと不思議が伴ったことは確かです。奇跡を完全に否定するのは伝えられている信仰の基本から外れることになります。

なお、マルコ自身、すでに1310節でイエスの言葉を「こうして、福音があらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません」と言いながら、その後、迫害の中でも聖霊ご自身がひとりひとりのうちに働いてイエスのみわざを証させてくださると記されています。

私たちは宣教の内容と方法を人間的に考えすぎる傾向があるかもしれません。宣教の中心はあくまでも神の国であり、イエスの十字架と復活です。また宣教の方法の基本は何よりも聖霊のみわざです。

 

使徒パウロは後にイエスの復活を大胆に語った後、その結論を、「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから」(Ⅰコリント15:58)と言いました。これこそ復活の記事から生まれる私たちの日々の生活への指針です。

私たちは、自分たちの労苦がむだになるように思えることがあります。努力が目に見える実を結ばないことを見るのは、非常に疲れることです。しかし、アリマタヤのヨセフもマグダラのマリヤも、自分たちの行動がどのような結果をもたらすかを知らずに、目の前のできることに集中しました。彼らはその結果、世界の歴史を変えた出来事の最高の舞台を設定し、また最初のキリストの復活の証人とされたのです。

 

この時代は、いつでもどこでも、結果ばかりが求められる風潮が見られます。しかし、主は、私たちの想像を超えた形でご自身のみわざを進めておられます。だいたい、「空の墓」こそが、最大の復活の証拠となるということ自体が不思議なことです。それは、復活などあり得ないと主張する人々への最大の反証とも言えましょう。

以前に流行った「ベンハー」という映画は、無神論者がイエスの復活を否定しようとあらゆる証拠を集めようとして、復活以外に「空の墓」の意味を説明することができないという事実に圧倒された人が書いた小説をもとにしています。今、何の結果も見えないと嘆いている人は、まさに空の墓の前にたたずんでいる人です。

 

マルコは、アリマタヤのヨセフや女性たちによる絶望の中での淡々とした行動だけに読者の目を向けさせています。そして、空の墓こそ、復活の最大のしるしであるとは、今、何の結果も見えないという事実こそが、あらゆる希望の源となることを示します。

先の希望が見えない中で、目の前に示されている働きを一歩一歩忠実に行うことから世界の歴史が変わりました。

そして「あなたがたの労苦は、主にあってむだではない」というのはすべての信仰者にとっての最も大切な常識、信仰の基本です。一方、エデンの園の外においては、労苦がむだになると思えることは、日常茶飯事です。しかし、私たちの救いとは、その空しさを超えたところに見られるものなのです。

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2012年4月 6日 (金)

「ユダヤ人の王としての十字架」

 

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 私たちは誰しも、平穏な毎日を過ごしたいと願います。それが人情でしょう。しかし、一年前の東日本大震災のように、良い人にも悪い人にも突如、襲ってくる災難があります。そのような中で、苦しみを自分のせいでも、また人のせいでもなく、神の御手の中にあるものと受け止められる人は幸いです。

 苦しみという字は、三本の十字架が口の上に立っているというように解釈することもできます。もちろん、これは漢字の由来に反するこじつけに過ぎませんが、三本の十字架とは、まさに強盗の間に挟まれて十字架にかけられたイエスの御苦しみを思い浮かべることができます。

 

  福島原発のすぐそばに立っていた福島第一聖書バプテスト教会の佐藤先生が次のようなことを話しておられました。教会員のお知り合いの方が、他県に逃れて、体調を崩し、病院に駆け込んだところが、原発の地域から来たと言うだけで、病院の外で長く立たされて待たされたというのです。また、ある教会員の方は、他県の市役所に転入届を出そうとしたら、「物でも欲しくて来たのですか」と言われたとのことです。また、別の所では、「福島ナンバーの車をこの地域に止めないでください」と言われたり、まるで、福島出身の方が汚れているかのような対応をされたことがあったとのことです。

そのような中で佐藤先生は、詩篇11971節の新共同訳が心に響いて来たのとことです。そこには、「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたのおきてを学ぶようになりました」と記されています。なぜなら、イエス様こそが、誰よりも激しくののしられ、嘲られた方だからです。

 

 イエスの十字架の場面には、人の身勝手さ、おぞましさが、これでもか・・これでもか・・というほどに描かれています。だいたい、ペテロを初めとする弟子たち自身が、真っ先にイエスを見捨てました。

死の脅しにも屈すことなくイエスに従うと言っていたペテロは、ある女の人から、イエスの仲間ではないかと言われただけで、神に堂々と偽りの誓いを立てながら、「そんな人は知らない」と言ってしまいました。

 

  イエスの弟子の集団の会計係をしていたユダもイエスを銀貨と引き換えに売ってしまい、偽りの口づけでローマの兵士たちを引き寄せました。また、イエスを十字架にかけろと罵ったユダヤ人たちは、そのたった五日前には、ダビデの子、万歳と言いながら、喜び迎えた人々だったのです。人の心は何と変わりやすいことでしょうか。

また、ローマの法律の執行者である総督ピラトも、イエスがローマの法律では無罪であることが分かっていながら、自分の身を守るために、イエスに死刑判決を下しました。

そしてローマの兵士たちは、イエスをユダヤ人の王として、散々にあざけりののしったあげく、イエスが苦しんでいるその足元で、イエスの衣をくじ引きにしていました。

まるで、イエスが、すべての人々の最も醜い性質を引き寄せているかのようです。

 

そして、実際、イエスの十字架は、サタンの攻撃をご自身の身に引き受けるという意味がありました。イエスはまるで両手を広げて、人々の不満、怒り、憎しみ、拒絶、辱め、優越感、サディズム的心理、それらの人間の罪をご自身の身に引き寄せているかのようです。

  今回の震災でも、放射能汚染の収拾をめぐって、各地のエゴが丸見えです。瓦礫処理はまったく進みません。原発の再開を巡っても、安全性以前に、それぞれの利害関係が前面に出ています。

不安な状況は、本来やさしいと思われた人のエゴイズムを引き出します。私たちも、自分の身に危険が及びそうなときには、急に身勝手な行動に出たり、また、自分に不利益をもたらしそうな人には、急に高飛車に攻撃を加えるということがあります。

 

 しかし、イエスは、そのような人々の内側にある身勝手な心をご自身の身に引き寄せ、そして、罪人の代表者として、私たちの代わりに、神の救いを求めてくださいました。それこそが、「わが神、わが神・・」という叫びの基本的な意味です。

そして、そのようなイエスの姿を見る時に、私たちの中にある怒り、憎しみ、妬みのような醜い思いが不思議に溶かされて行くのが分かります。

そして、不思議に、苦しみの中でも、神や人を恨む代わりに、神と人とに対する愛が生まれてきます。これは理屈では説明できない、十字架から生まれる不思議です。

 

実際、放射能問題で避難を余儀なくされた福島第一バプテスト教会の方々は、誰も、「神がおられるなら何でこんな目にあわされるのか・・」と言うことなく、かえって苦しみの中で主の慰めと守りを体験して、その家族も、次々とイエスを救い主として信じるようになったというのです。

 

 イエスの十字架の上には、「これはユダヤ人の王、イエスである」という罪状書きが記されていました。これはたしかに、嘲りのためでもありますが、それ以上に、これは神ご自身が記させた十字架の意味を表す神のことばでもあります。それは、ユダヤ人の代表者として、真のユダヤ人としての誠実を貫くという意味がありました。

当時のユダヤ人の問題は、ローマ帝国の暴力支配に対して、同じように暴力で対応しようとしていました。つまり、この世の王国と神の民の王国が同じ原理で動くようになってしまっていたのです。私たちクリスチャンも、知らないうちに、この世の原理を身に着けて、力に対して力で応じるという姿勢に駆り立てられてしまいます。

 

  先日も、土地の交渉のことで、僕は不動産業者に真っ向から怒りと不満をぶつけてしまいました。それはこの世の脅しの原理をやはり自分が身に着けていることの表れでもありました。

そのことを書いたら、あの被災地石巻で、誠実に被災者に仕えておられる友人の金谷先生が、「僕も、昔、会堂の土地取得のことで、ひどい目にあわされたことがあります。それを通して、へりくだるということを学ばされました。そして、へりくだるということを通して、近隣の人々の理解を得ることができました」と、どきっとするようなことを書いてきてくださいました。

彼の言葉が僕の心に響くのは、彼が口先だけではなく、本当に、僕とこの教会のために祈っていてくださるということが分かっているからです。

 

  イエスは真の神の民、イスラエルの王であったからこそ、謙遜と柔和の姿勢をもって、人々の罵りや嘲りに耐えることができました。そして、イエスの王としての権威は、何よりも、苦しみを忍ぶことができるという力に現されていました。

たとえば、福島第一バプテストの佐藤彰先生の誕生日は311日でした。そして、奥様は二十年も前から、教会員がバスに乗って旅を続けるという不思議な夢を見ていたそうです。そして、今回、このような災いに会ったとき、自分たちは神から特別に期待され選ばれたのだと信じることができたとのことです。

 

 多くの人々は、王様は、楽をできる立場だと誤解していますが、本来の王の責任は、民全体の苦しみを担うということに現されます。

イエスの死刑判決は、まずユダヤ人の最高議会で宣告されましたが、その最大の理由は、イエスがご自分のことを「神の子キリスト」であると認めたばかりか、「今からのち、人の子が力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります」と、ご自身がこれから神の栄光に包まれると言ったことにあります。

それを聞いた人々は、イエスをとんでもない大ウソつき、神を冒涜する者だと思いました。しかし、イエスがユダヤ人の王として、人々のあざけりを受けて、息を引き取られた様子を見ていたローマの百人隊長は、「この方はまことに神の子であった」と認めることになったのです。

 

  しかも、イエスが息を引き取られた時、「神殿の幕が上から下に真っ二つに裂けた」ばかりか、「地が揺れ動き、岩が避け」、「墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちの身体が生き返った」というのです。まさにイエスはご自身の栄光を十字架で現してくださいました。

 

  苦しみは、しばしば、何か大きなことが起きるきっかけに変えられます。福島第一聖書バプテスト教会は、昨年916日に福島県いわき市に1420㎡の土地、当教会の14倍の広さの土地を取得しました。

この三月にはその近くに、高齢者用アパートが建ち上がり、8月には、鳥が翼を広げ元の地に向かって新しい旅立ちをする形の「祈りと復活の」の教会堂が建ち上がることになっています。

それは世界中から献金が集まった結果として可能になりました。それは、すべてのものを失った彼らの痛みを、自分の痛みとしたいという心が多くの信仰者のうちに芽生えたからです。途方もない災いが、途方もない目に見える愛の交わりを生み出したのです。

 

  イエスの十字架には、憎しみを愛に変える力、絶望を希望に、不安を平安に、孤立を和解に変える力があります。その意味で、十字架は何よりもサタンと世の力に対する勝利でした。サタンは、わざわいから憎しみを生み出す専門家です。しかし、イエスはわざわいから愛を生み出してくださいます

私たちの人生にはいつも様々な問題が横たわっています。しかし、キリストにあっては、すべての災いは、神への愛と人への愛を成長させてくれるきっかけとされるものなのです。

イエスは神の民、ユダヤ人の王として十字架にかかってくださいました。それは脅しと「おくびょうの霊」が支配する国ではなく、真の「力と愛と慎みとの霊」が支配する神の国をこの地の実現するためでした。

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2012年4月 1日 (日)

マルコ15章1-39節 「世界の王としての十字架」

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  当教会での礼拝が始まったころ、世はバブルの全盛期でした。私は時代に逆らうように、この受難節の時期、来る日も来る日も、イエスの十字架の御苦しみに思いを馳せるというメッセージをし続けました。そこに私たちの癒しがあると信じていたからです(ただ、時代に逆らいすぎると、話は通じない、という現実も悟りましたが・・・)。そこではとにかく、「イエスの十字架を、罪の消しゴムのように軽く見てはならない・・」と、「重・・・く」語り続けました。それは当然、大切な真理です。

しかし、最近は、将来への希望が見えない風潮の中で、十字架の「暗さ」に、この世の暗やみを圧倒する「光」を見ることの大切さがわかってきました。N.T.Wrightは、「the cross is the victory that overcome the world (十字架は、世を打ち負かす勝利である)」と述べていますが、イエスの時代の「十字架」は、ローマ帝国の秩序に従わせる「脅し」の手段でした。しかし、その脅しはキリストの弟子には通用しなくなりました。

そればかりか、やがてローマ帝国が十字架の前にひざまずくことになりました。イエスの受難のシーンには、真の王者の姿が描かれています。それに、ハエを殺すように人を殺すことができたローマの百人隊長は気づきました。十字架はイエスが真の王であることを全世界に証しする場面となったのです。

なぜなら、真の王の権威とは、民を救うためには自分のいのちを差し出すことができるという生き様に現されるからです。私たちは十字架に見られる逆説をどれだけ理解しているでしょうか。そこには一生かかっても分からないほどの神秘が隠されています。

 

1.ユダヤ人の指導者がイエスの死刑判決を求めた理由

151節には、「夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した」と記されていますが、前夜イエスはユダヤ人の最高議会ですでに死刑と宣告されていました。

しかし、当時のユダヤでは正式な死刑判決はローマ総督しか下すことができませんでした。それで、ユダヤ人の宗教指導者はイエスをローマ総督ピラトに引き渡す必要があったのです。

 

なお、先の最高議会で、大祭司がイエスに、「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか(14:61)と質問したとき、主は「わたしはそれです」と言われたばかりか、「人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです」(14:62)と言われました。

これは、ダニエル713からの引用ですが、それは、救い主が、神の栄光を象徴する「天の雲」に乗って、父なる神の前に導かれ、その右の座に着いて、「主権と光栄と国が与えられる」という一連の栄光へのプロセスを「あなたがたは見る」と言われたという意味です。

 

しかし、イエスは今、弟子たちにも逃げられ、ひとりぼっちで無力に立っているのです。彼らがこれを、「神をけがすこのことばを聞いた」と言いながら、「全員で、イエスには死刑にあたる罪があると決めた」というのも、無理からぬことです。世の多くの人は、イエスが無実の罪で十字架にかけられた悲劇の主人公であるかのように考えます。

しかし、イエスが死刑判決を受けた直接のきっかけは、ご自身がダニエル7章の預言の成就者だと宣言したことにあります。彼は、死刑にふさわしい人であるか、本物の世界の支配者であるかのどちらかでしかあり得ません。単に無実の罪で十字架にかけられた人が、私たちすべての罪をどうして担えるのでしょう。

イエスは「あなたがたは見るはずです」と言われましたが、まさに、イエスの十字架を見たローマの百人隊長は、「この方はまことに神の子であった」と言ったのでした(15:39)。十字架でイエスの栄光が現わされ、新しい神の国が実現したのです。

 

イエスが引用されたダニエル7章には、その後、この世の権威が裁かれ、あなたがキリストとともに王とされ、栄光に包まれ、すべての問題が解決することが約束されています。あなたにとっての救いの理解は狭過ぎはしないでしょうか。今も起こる様々な奇跡や病の癒しは、救いの完成のしるしなのです。

 

2.イエスはユダヤ人の王としてあざけりを忍ばれた

そして、ピラトはイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねましたが、イエスは、「そのとおりです」とご自分が「王」であるとお認めになられました。

この15章には六回にわたって「ユダヤ人の王」または「イスラエルの王」ということばが繰り返されます(2,9,12,18,26,32)。当時の人々が待ち望んでいた救い主は、「ユダヤ人の王」としてローマ帝国からの独立を勝ち取る軍事指導者でしたが、イエスはご自分が「」であること認められたのです。

 

ただし、当時のローマ帝国の法律では、イエスが実際に群集を帝国への反抗へと扇動しない限り十字架刑にはできません。ですから、祭司長たちは、イエスが群衆を扇動していたと「きびしく訴え(15:3)ました。ところがイエスはご自分を弁護しようとはされませんでした。

そこで、ピラトはイエスに弁明を促しますが、「それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた(15:5)と記されます。これは、イザヤ537節に記された主のしもべの姿でした。

そこでは、痛めつけられても、彼はへりくだり、口を開かない。ほふり場に引かれる羊のように・・・。毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かないと預言されていました。イエスは敢えて、「ユダヤ人の王」として苦しむことを望まれました。王には民全体の身代わりになる資格があるからです。

 

ピラトは、イエスに「帝国への反逆罪」を適用するには無理があることを認めながら、責任のがれのための妥協策を考えます。それは誰の目からも十字架刑にふさわしいバラバという人と、イエスのどちらかに恩赦を与えるというものでした。群集は、つい五日前にイエスをダビデの子として歓迎しましたから、ピラトはイエスの釈放が願われると思ったことでしょう。

ところが彼らは、宗教指導者の説得に応じてバラバの釈放を願い、本来彼が受けるべき刑罰をイエスに要求しました。彼らは、無抵抗のイエスを見て、自分たちの期待が裏切られたことに腹を立てたのだと思われます。

ピラトはユダヤ人を皮肉って、「あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよと言うのか」と尋ねますが、すると彼らはまたも「十字架につけろ」と叫んだというのです(15:13)

 

バラバが釈放されたのは、イエスが「ユダヤ人の王」として訴えられていたためでした。これは、イエスが真にユダヤ人の王であるからこそ、一人のユダヤ人が王の権威によって恩赦に浴したと解釈することもできましょう。

 

それに対し、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪い事をしたというのか」と言いました。これは本当に群衆が自分自身に問うべき質問でした。ところが、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫んだというのです。

 

その後のことが、「それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した(15:15)と記されます。当時のローマ総督は、民衆をうまく治めることができないと、すぐにローマ皇帝によって首を挿げ替えられる不安定なものでした。それでピラトは自分の身に危険が及ばないように、ローマの法律では死刑にできないはずの人に死刑判決を下しました。

人間的には、もし、イエスがユダヤ人を独立運動に導いていたら、こんなことにはならなかったことでしょう・・・。それにしても、ここにはピラトの支配力の脆弱さが見られます。多くの現代の中間管理職も同じような行動をとってはいないでしょうか。

 

  16-19節にはローマの兵士たちがイエスをあざける様子が描かれています。彼らは、「イエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ」ますが、それは王の格好をさせたという意味です。ただ月桂樹の代わりに「いばら」で冠を編んだのはひどい侮辱です。

そして彼らは、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをし始めたばかりか、「葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた」というのです。

「葦の棒」とは彼らが王酌に見せるためにイエスに持たせたものですが、彼らはユダヤ人のテロ攻撃を恐れていましたから、彼らはイエスをテロリストの王に見たてて日頃の憎しみをぶつけたのかもしれません。

 

3.この世的な王と、聖書で預言されていた王

 イエスの十字架を負われた歩みが驚くほど簡潔に、「彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した(15:20)と記されます。マルコは、読者の心の目を、イエスの肉体的な痛みの代わりに、兵士たちの思いのままに振り回される様子に向けさせます。これは、イエスが当時の人々が」に期待する姿の正反対の姿です。

イエスはこの少し前で、「異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また偉い人たちは彼らの上に権威をふるいます。しかし・・あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい・・・人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」(10:42-45)と言っておられましたが、そのような王としもべの立場の逆転がここに見られます。

 

 そして、「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた」(15:21)と意外な光景が描かれます。クレネ人シモンに十字架が背負わされたのは、イエスが衰弱し切っていたからですが、ここでも肉体的な苦しみは描かれません。

イエスは、かつて、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい(8:34)と言っておられました。いなか者のシモンは、このとき、とんでもない目にあったと思ったことでしょうが、後には、自分がどれだけ名誉ある働きを担うことができたのかということに気づきました。

そして、ここに名が記された彼のふたりの子は、誰もが知る初代教会の有力のリーダーなったのだと思われます。シモンは、イエスの十字架を担わされましたが、私たちは進んで自分の十字架を負って、イエスの御跡に従うように召されています。それがどのような意味を持っていたかは、シモンのように後でわかります。

 

そして、イエスが十字架にかけられる様子が、淡々と、「そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた」(15:22-24)と描かれます。

不思議にも、イエスがどのように両手に釘を打たれ、十字架にかけられたかなどという描写は省かれています。その代わりに、イエスが、痛み止めの「没薬を混ぜたぶどう酒」をお飲みにならなかったということが記されます。それはイエスがイスラエルの王として、彼らが飲むべき神の怒りの盃を飲み干そうとしておられたからです(10:38、イザヤ51:17)

また、イエスの着物がくじで分けられたということは、兵士たちはイエスの痛みにはまったく無関心であったということを現しています。

 

イエスはこのとき人間として最も厳しい孤独を味わっておられました。それはダビデが詩篇22篇で、「私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています・・・彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします」(1518)と記したことをそのまま体験したことを意味します。

イエスはイスラエルの王、ダビデの子として、ダビデが味わった心の痛みをそのまま味わっておられるのです。これも当時の人々が思い描いた王の姿とは真逆のものですが、それこそ聖書に記されたイスラエルの王の姿だったのです。

 

4.「ユダヤ人の王」という罪状書きに隠された二重のアイロニー

そして、イエスの十字架の様子が、「彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。イエスの罪状書きには、『ユダヤ人の王』と書いてあった。また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた」(15:25-27)と描かれます。ここには驚くべき二重のアイロニーが見られます。

「ユダヤ人の王」であるはずの人が、「ふたりの強盗」に挟まれ、罪人の頭」として十字架にかけられたというのは当時の人々にとってはアイロニーと思えました。

アイロニーとは、出来事の表面で起こっていることと、実際の現実との間にギャップがある状況のことであると言われます。十字架にかけられた方は真の「ユダヤ人の王」でした。人々は愚かにもその現実を知らずに、彼らの王をののしっていました。これほど悲劇に満ちたアイロニーがあるでしょうか。

 

その上で、十字架のイエスを見た人の反応が、「道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって」、「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ(15:2930)と言ったと記されています。イエスはご自分で神殿を壊すとは決して言っておられませんが、「わたしは、三日でそれを建てよう」と確かに言われました(ヨハネ2:19)

当時の人々は、ヘロデの神殿の豪華さはみせかけで、そこに神の栄光の隣在がないことを知って、救い主が神殿を完成してくれることを待ち望んでいました。イエスはそれを成就する救い主だったのですが、人々はその救い主が十字架に犯罪人としてかけられていることにつまずき、厳しくののしりました。

 

 「また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって」、「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから」と言いました(15:3132)。これは何よりも、イエスがイスラエル王国を再興するダビデの子であるとの期待を持たせたことを皮肉ったアイロニーです。

しかし、ダビデ自身が詩篇227,8節で、イスラエルの王としての嘆きを、「私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。『主にまかせよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから』」と表現しています。まさにイエスは、ダビデの子として、ダビデが受けたとの同じようなあざけりを受けたのです。

イエスはこれによってご自分こそが預言されたイスラエルの王であることを証しされたとも言えましょう。これも私たちにとっての王のイメージを変える神のアイロニーです。

 

なおこのときマタイもマルコも十字架にかけられたひとりの犯罪人の悔い改めを描く代わりに、「また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった」と記します(ルカの場面はその後)。それは十字架上のイエスの孤独を強調して描くためです。

ユダヤ人たちは、神殿に神の栄光が戻って来ること、自分たちの国がローマの支配から解放されることを望んでおり、神が長らく沈黙しておられることにとまどっていました。イエスはこの時、彼らが心の底に貯め込んできた神への不満と怒りをその身に受けたのではないでしょうか?

 

5.全世界の王として、「わが神、わが神・・・」と叫ばれ、「神の子」と認められた

さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた(15:33)と描かれますが、これは救い主のうめきに、すべての被造物のうめきが重なったというしるしです。

イエスはかつてダニエル927節の「荒らす忌むべき者」の現れのときに起こる苦難を、「だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり・・(13:24)と語っておられましたが、それが成就したのです。

そしてこの暗やみは、救い主の栄光が現される始まりでもあります。イエスは先の表現に続いて、「そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです」(13:26)と言っておられました。つまり、このときの暗やみは、世界が新しくなることの始まりでもあったのです。

 

そして、暗闇が三時間続いた後、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれたと記されます。これはイエスが実際に言われたアラム語の発音をそのまま記録した画期的な描写です。それは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味でした。

ただし、イエスは、この期に及んで「どうして」と疑ったわけではなく、全世界の罪を負って、のろわれた者となりながら、なおあきらめることなく、「神の救い」を訴え続けたのです。しかも、これは先ほどから何度も引用された詩篇22編の冒頭のことばです。そこではダビデ自身が、神から見捨てられているかのような不安と孤独を味わったことが描かれます。

イエスはここでもダビデの子として、ダビデの苦しみをそのまま味わってくださったのです。今も、多くの人々はそのことを知らずにいます。

 

なお、これまでのすべての描写は、イエスの孤独に焦点を当てています。イエスは「私たちの王」として、私たちが味わう最も厳しい苦しみを味わっておられました。預言者イザヤは救い主の姿を、「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった」(53:4)と語っていました。

そして、イエスのいやしのみわざをマタイは、「これは預言者イザヤを通して言われたことが成就するためであった(8:17)と解説しています。イエスは私たちすべての痛みや悲しみを引き受けながら、十字架にかかり、すべての人の代表者としての痛みを神に訴えられたのです。

 

そして、パウロはこのことの意味を、「キリストは私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました(ガラテヤ3:13)と語っています。イエスはこの時、神と人の両者からのろわれた者となり、絶対的な孤独を味わわれたのです。

その上で、神と人から見捨てられたと嘆くすべての人の「王」として、神に叫ばれたのです。そして、神はこのイエスの叫びを聞かれたことによって、私たちが神の子とされたのです。

 

ただ、それを聞いた幾人かの人々は、「そら、エリヤを呼んでいる」と言ったというのですが、「エリ、エリ・・」という叫びは、この期に及んで、預言者エリヤを呼び求めたこととしてあざけりの理由とされました。イエスが救い主なら、その前にエリヤが現れはずであり、順番が間違ったというわけです。

そのあざけりの様子が、「すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら」、「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう」と言ったと記されます(15:36)

 

しかし、人々の無理解の一方で、驚くべきことが起きました。それが、「それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(15:3738)という表現です。それは、待ちに待ったエルサレム神殿の完成という救い主のみわざの完成です。

神殿は神が私たちの真ん中に住んでくださることの象徴です。イエスが息を引き取られた時、神と人とを隔てる隔ての壁が打ち壊されたのです(エペソ2:14)。またそれは、「私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができる」(ヘブル10:19)ようになったしるしです。

 

 そして、最後に、「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て」、「この方はまことに神の子であった」と言ったということが記されます(15:39)。これこそ、イエスが十字架においてご自身の栄光を現されたしるしです。ローマの将校は、本来、ローマ皇帝のことだけを「神の子」と呼んだはずですが、無力に十字架にかけられ、殺された方を、「神の子」と呼ぶなどということは奇想天外なことです。

イエスを「ユダヤ人の王」として、あざけり、ののしり、その衣をくじ引きで分けた兵士たちは、この百人隊長の部下であったはずです。彼はそれに対するイエスの対応に、真の王としての風格を見て、深く感動したのではないでしょうか。

 

イエスは「ユダヤ人の王」として彼らのすべての罪を負って、罪の束縛から解放し、彼らに与えられた「祭司の王国」(出エジ19:6)としての使命を全うしてくださいました。

預言者イザヤはそれを産婦の「産みの苦しみ」として描いています(66:7以降)。それによって、神の救いの御計画は新しい段階に移り、今、私たち異邦人もこのままの姿で「神の子」とされる道が開かれたのです。すべての負債は免除され、自由な歩みを始めることができます。私たちは母親に抱擁された乳飲み子のような平安に包まれて、不条理に満ちた世界に遣わされることができます。

そして、私たちが出会うすべての試練も、「産みの苦しみ」となりました。そこには新しい喜びの世界が待っています。

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