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2012年6月24日 (日)

マルコ11:1-11 「主(ヤハウェ)がシオンに帰られる」

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  今から百年余り前にフランスの画家ポール・ゴーギャンは、『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、 われわれはどこへ行くのか』という長いタイトルの大きな絵を描きます。

私たちの人生には様々な予測不能なことが起きますが、これを理解しているとき、目の前の様々な問題を、もっと余裕をもって見ることができるようになるのではないでしょうか。その意味で、聖書の始まりと終わりという大枠をとらえることは、何よりも大切なことです。

 

人間の歴史はエデンの園から始まります。それは、神の祝福に満ちた神殿でもありました。人はそこに、「神のかたち(image of God)」として創造され、その園を管理する者として置かれました。この世の神殿には神々のイメージが飾られますが、エデンにおいて神のイメージを現すのは、何と、人間自身だったのです。

そしてエデンの園における礼拝の中心は、「善悪の知識の木」だったかもしれません。それは、神こそが善悪の基準であることを示すシンボルでした。人は、そこで神のあわれみに満ちたことばと、超えてはならない限界を示すみことばを聞きました。

しかし、人は、その限界を超え、自分自身を善悪の基準とし、自分を神としてしまい、エデンの園から追い出されました。つまり、人類の歴史の悲惨は、最初の人間が、神の宮から追い出されたことから始まったのです。

 

 その後、神はご自身の側からアブラハムを選び、神の民を創造し、彼らの真ん中に住むと約束されました。神はアブラハムの子孫をエジプトで増え広がらせた後、そこから約束の地へと導かれました。

その際、神はご自身が彼らの真ん中に住むしるしとして、「幕屋」を建てさせました。神は、人間と同じレベルにまで降りて来られ、地上の幕屋から人間に語りかけてくださいました。それはカナンの地をエデンの園のような祝福の世界にするためでした。

 

 ところが、イスラエルの民は何度も神に逆らいました。それでも神は彼らをあわれみ、神の前に謙遜なダビデを王として立て、目に見える神の国を築き、その中心に、ダビデの子のソロモンを通して壮麗な神殿を立てさせました。宮が完成した時の様子が、雲が主(ヤハウェ)の宮に満ち・・・祭司たちは・・そこに立って仕えることができなかった。(ヤハウェ)の栄光が主(ヤハウェ)の宮に満ちたからである」と描かれていました(Ⅰ列王8:10,11)。それは神が彼らの真ん中に住んでくださったというしるしでした。

ところがイスラエルの民はその後も、神に逆らい続けました。それで、神はついに、ご自身の神殿から立ち去ってしまわれました。そして、神殿はただの石の家になりました。その結果、エルサレムの町も神殿もバビロン軍によって廃墟とされました。その後、神の臨在のしるしであった「契約の箱」の行方すら分からなくなりました。

その後、ペルシャの王クロスの勅令によって、エルサレム神殿は再建されますが、この第二神殿はその後、一度も、神の栄光に包まれるということはありませんでした。

 

そのため、当時のユダヤ人たちは、ソロモンの神殿のときのように、この宮に神の栄光が戻ってくることを待ち望んでいました。そのような中で、イエスは「ダビデの子」としてそこに入って来られました。それは神の栄光が神殿に戻ってきたしるしでした。

そして今、私たちの救いが完成するのは、「新しいエルサレムが・・天から下って来る」ときですが、そこで実現する情景が、「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものがもはや過ぎ去ったからである」(黙示21:3,4)と描かれます。

 私たちは最初の神殿である「エデンの園」と、来るべき神殿である「新しいエルサレム」の間に、「神のかたち」として置かれ、様々な悲しみや苦しみの中にありながら、神の宮としての信仰共同体を今、形成しているのです。

 

1.『主がお入用なのです。すぐにまたここに送り返されます』と言いなさい

10章ではイエスがエリコを通られたとき、道端に座っていた盲人バルテマイが、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び続けた様子が描かれていました。

彼がイエスをダビデの子」と呼んだのは不思議なことです。イエスは彼の目を見えるようにした上で、「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言って、彼の信仰を称賛しました。それから、バルテマイは道の真ん中を歩いて、イエスに従ってエルサレム上って行きました。

 

ちなみにエリコはヨルダン渓谷の低地にあり、世界で最も低地の町と言われます。そこは約海抜マイナス240mですが、そこから標高800mのエルサレムまで、標高差一千メートルを一気に上がることになります。巡礼に来る人は、オリーブ山から見下ろすエルサレム神殿の輝きに深い感動を覚えます。

イエスの時代、ヘロデが大拡張工事をした神殿が、世界の奇跡として立っていました。しかし、当時の人々はみな知っていました。そこには神殿の心臓である「契約の箱」が存在せず、その宮は一度も神の栄光の雲に包まれたことがないことを・・・。

 

そして、今、イエスと弟子たちがエルサレムを訪ねている季節は、春の過ぎ越しの時でした。これはイスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放され、約束の地に向かっての一歩を踏み出したことを記念する祭りでした。ユダヤ人たちはこの祭りの時には、全世界からエルサレムに上り、祭りを祝いつつ、神の救い、神の国の実現を待ち望んでいました。

それは、神が自分たちの真ん中に住んでくださるときでした。イエスの弟子たちも、エリコからエルサレムに向かって、登山のような歩みをしながら、神の国の実現への期待に胸を躍らせていたことでしょう。

 

11章初めでは「さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき」と記されますが、オリーブ山はエルサレムのすぐ東にある標高817mの山で、このふたつの村はその南から東麓にあった村です。

ここからエルサレムは目と鼻の先ですが、ここにきてイエスは不思議な行動を取ります。

 

そこで、イエスはふたりの弟子を使いに出して」、「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい」と言われました。まるでイエスには透視能力があるかのようですが、これはご自分のエルサレム入城を、預言の成就として、劇的に演出するためだったと思われます。

ゼカリヤ9章では、「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに(9節)と記されているからです。軍馬ではなく、戦いを止めさせることの象徴として、ろばの子に乗って、人々の歓呼の中を入城するというのがその預言の中心的な意味です。

 

そればかりか、イエスは、「もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい」と弟子たちが直面する質問とそれに対する返答の仕方まで指示されました。

そして、その後のことが、「そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた」と描かれます(11:4)これはまさに、すべてのことがイエスの言われた通りに進んでゆくことを示したものです。

ただ、これはイエスの神としての超能力という以前に、彼が預言者のことばを心から深く味わい、それを実現することにご自分の使命を確信し、それに従って父なる神に祈られ、その答えをいただくことができたことの結果と言えましょう。ここに、父なる神と御子イエスとの共同演出の成果が見られます。

 

そして、その後のことが「すると、そこに立っていた何人かが」、「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか」と言い、「弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた」と描かれています(11:5,6)。弟子たちは、そこで「主がお入用なのです・」と言ったのですが、これは村人たちもイエスのことを既に知っており、その権威に服したという意味です。

この描写は驚くほど簡潔ですが、それによって、イエスの「王としての権威」が強調されます。イスラエルの栄光の王ダビデが自分の部下を用いてこれを行ったとしたら、誰も驚きはしません。「ダビデ王がお入用なのです」と言われて断ることができる国民などはいないからです。

今、イエスは、待ちに待ったダビデの子としてエレサレムに入城するのです。これぐらいのことが起こるのは当然のことと言えましょう。

 

イエスは、今も私たちが大切にしているものを用いてくださるために、全世界の王としてその弟子を遣わし、「主がお入り用なのです」と言わせることがあります。「ろばの子」を差し出した村人がそれを躊躇なく承諾したのは、「すぐにまたここに送り返されます」ということばに信頼したからではないでしょうか。

私たちの教会も今、一時的に、「ろばの子」の代わりに、教会債として信者の方々の大切なお金を、お貸しいただくことを願っています。しかし、それは「送り返される」ものです。一時的に、主のご入用のために用いられることは非常に名誉なことです。

 

 2.「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に」

 その後のことが、「そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた」と描かれます(11:7)。イエスはまさにご自分がゼカリヤの預言を成就するという自覚を持って、王として行動しておられます。

イエスはこの四日後、「祭司長、律法学者、長老たちから指し向けられた」人々に捕えられ(14:43-46)、ユダヤ人の最高議会で死刑に定められ、ローマ帝国の総督に引き渡され、その翌日の金曜日には十字架にかけられて殺されます。人間的には、そこではイエスの無力な姿が描かれているように思えますが、イエスはそのすべての始まりのエルサレム入城をご自分で正確に把握し、演出しておられたのです。

 

  そして、イエスがろばの子に載ってエルサレムに入城されると、「多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた(11:8)と描かれます。

当時の人々は上着を何枚も持ってはいません。それをイエスがろばに乗って進む道の前に惜しげもなく敷いたというのです。これは、まさに、人々がイエスを待望の王、「ダビデの子」として認めたというしるしです。

Ⅱ列王記9章13節では、アハブの家を滅ぼすために神がエフーを王として立てたということを認めた者たちは、「大急ぎで、みな自分の上着を脱ぎ、入り口の階段の足もとに敷き、角笛を吹き鳴らして、『エフーは王である』と言った」と記されています。新しい王を迎えるとき、家来たちは我先にと自分の上着を敷物として差し出して臣従を誓うのが慣わしでした。

 

  また、ほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた」とは、神殿の解放者を迎える姿勢です。

この約200年前に、シリヤ全域を支配したギリシャ人の王アンテイオコス・エピファネスがエルサレム神殿にゼウスの像を置き、祭壇に豚のいけにえをささげさせて神殿を汚したとき、ユダ・マカベオスに導かれたユダヤ人が、ゲリラ戦によって奇跡的な勝利を収め、神殿をきよめました。

そのとき人々は、「テュルソスと青葉の小枝と、しゅろの葉をかざして、ご自分の場所の清めを成功させた方に賛歌をささげた」(Ⅱマカバイ10:7)とありますが、当時の人々はイエスがユダ・マカベオスのような軍事指導者であることを期待して、このように迎えたのです。

 

そしてそこでは、「前を行く者も、あとに従う者も」、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に」と叫びました(11:9)。それは詩篇118篇25、26節に基づいています。

そこでは、「ああ、主(ヤハウェ)よ。どうぞ救ってください。ああ、主(ヤハウェ)よ。どうぞ栄えさせてください。主(ヤハウェ)の御名によって来る人に祝福があるように」と記されます。

ここで「どうぞ救ってください」ということばはヘブル語で「ホシアナ」と記され、それがアラム語化して「ホサナ」という叫びになったのだと思われます。ただ、イエスの時代にはこのことばは、神の栄光をたたえる賛美の感嘆詞のようにも用いられていたようです。

不思議なのは、これをイエスに向かって叫びながら、イエスを「主の御名によって来られる方」としてたたえていることです。これは、イエスを期待された救い主として認めたという意味です。

 

ルカではこれと並行して、「するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、『先生。お弟子たちをしかってください』」(19:39)と言ったと記しています。パリサイ人たちの目には、人々が神の代わりに人間をあがめていると思われたからです。

世の人々は、イエスを最高の道徳教師であるかのように見ていますが、もしそれが事実なら、パリサイ人の言うとおり、イエスはこのような賛美を止めさせるべきでした。

ところがイエスはここで、「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」(19:40)と答えました。イエスはご自分こそが、「主の御名によって来られる王」であると主張されたのです。

イエスは、決して、謙遜な道徳教師の枠に納まる方ではありません。イエスはここで、ご自身の身をもって、聖書の預言を成就しようとされたのです。

 

3.「祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に」

  そればかりか、彼らは「祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に」と叫んだと、マルコは記録しています。これは、イエスによって新しいダビデ王国が実現したという途方もない宣言です。

それは、ユダ・マカベオスが神殿をきよめ、その後、約百年間続くユダヤ人の独立国家を建てたことを思い起こさせる表現です。

当時の人々はイエスをそのようなにローマ帝国の支配からの解放者として受け止めたことでしょう。

 

  預言書を概観するなら、これがどれだけ画期的な意味を持つかが分かります。イエスの時代の人々は、ヘロデが大拡張工事をした壮麗な神殿が、ソロモンの時のように、神の栄光の雲に包まれることを確かに期待していた面がありました。

ヘロデは自分をイスラエルの救い主として見せるために、神殿に莫大なお金をつぎ込みました。しかし、人々はヘロデの支配に心から失望し、真の神の国」の実現を待ち望んでいました。

そして今、イエスがエルサレムに預言された王として入城するとは、この「神の栄光」がエルサレムに戻ってくることを意味しました

 

主はかつて御使いを通して預言者エゼキエルに終わりの日にエルサレム神殿に起こる幻を、「イスラエルの神の栄光が東のほうから現れた。その音は大水のとどろきのようであって、地はその栄光で輝いた・・主(ヤハウェ)の栄光が東向きの門を通って宮に入ってきたと描いています(43:2-4)。

これこそ旧約の預言者たちが待ち焦がれていた喜びの時でした。多くの人々は見過ごしていますが、これこそ「神の国」の幕開けのしるしだったのです。

 

 ところがこの福音書では、イエスが神殿に入られたことがエゼキエルの預言を成就することであることを隠すように、あまりにもあっけなく、「こうして、イエスはエルサレムに着き、宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた」(11:11)と描かれます。

当時の人々にとっても、これはあまりにも物足りないことだったのではないでしょうか。しかし、イエスが神殿の中の「すべてを見て回った」ときに、何を思われたことでしょう。それは、翌日に宮の中で売り買いしている人を追い出すという宮清めのわざにつながります。

イエスは、神殿が見かけだけのものになっていることに心を痛められたと思われます。

 

 モーセが神の幕屋を建てたときも、ソロモンが神殿を建てたときも、栄光の雲がその宮を覆い、祭司たちばかりかモーセでさえも近づくことができなくなりました。

イエスがご自身の父の家に入られたときの様子は、それに比べ、あまりにもあっけないものです。しかし、それこそ、預言者たちが憧れていた画期的な時代の始まりでした。

 

 使徒パウロは、イエスによる救いを宣べ伝えることの祝福を、「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」(ローマ10:15)と記しますが、それはイザヤ52章7節のみことばの引用でした。

そこでは、「その足は、平和を聴かせ、幸いな福音を伝え、『あなたの神が王となる』とシオンに告げる救いを聴かせる」(私訳)と解説されています。

そして、そのとき人々が共に喜ぶ理由が、主(ヤハウェ)がシオンに帰られるのをまのあたりに見るからだ」と説明されます。ただ、その上で、主がシオンに帰られるときの様子が、イザヤ52章13節から53章12節の「主のしもべの歌」として記されます。

つまり、イザヤの預言においては、「あなたの神が王となる」、また「主がシオンに帰られる」という世界の歴史を変える画期的な出来事が、「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、苦しみの人で病を知っていた」(53:3)という、あまりにも意表をつく「主のしもべの姿」によって現されると預言されていたのです。

 

イエスのエルサレム入城は、「主(ヤハウェ)がシオンに帰られる」という預言の成就でした。しかし、それは人々の意標をつく姿によってでした。人々はイエスを、独立王国を立てるダビデの子として、神殿の解放者ユダ・マカベオスの再来として迎えました。

しかし、イエスはご自分を、ゼカリヤが預言した柔和な王として示しましたが、彼らの期待するような行動は何もしませんでした。

イエスはエルサレムにも神殿にも、何の変化ももたらしてはいないように見えました。しかし、主はこのとき、彼らの期待とは異なる「神の国」を示しておられたのではないでしょうか。

 

預言者イザヤは、主のことばが歴史を完成に導く姿を、「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ・・・パンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる(55:10,11)と記します。

そして、私たちの救いが完成に導かれる様子が、「まことにあなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く(55:12)と描かれます。

私たちは今、サタンの支配から解放されて「新しいエルサレム」に向かって旅をしています。そのときの希望が、「山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える」(55:12,13)と描かれます。

いばら」は人を傷つける役に立たない木の代名詞ですが、「もみの木」とは「糸杉」とも訳され、神殿建設にも用いられた高価な木材です。「おどろ」もとげのある雑草ですが、「ミルトス」とはその果実には鎮痛作用があり、祝いの木とも言われます。

これは、「のろい」の時代が過ぎ去り、「祝福」の時代が来ることを象徴的に描いた表現です。そしてそのような自然界の変化こそ、「(ヤハウェ)の記念となり、絶えることのない永遠のしるし」となります。

 

これこそ、「新しい天と新しい地」の象徴的な表現です。残念ながら、多くの人は、これらのみことばの深みを十分に味わうことができていないように思います。

私たちの「救い」は全被造物の救いにつながり、アダムの罪によってのろわれた地が、神の祝福に満たされた世界へと変えられるのです。

私たちの希望は、私と身近な人が天国に入れられるという個人的な救いばかりではなく、全世界が神の平和に満たされるという希望です(ローマ8:19,21)

 

  神はこの世界をご自身の神殿として、ご自身の栄光を現す場として創造されました。そして人間こそ、そこにおけるかけがえのない「神のかたち(イメージ)です。

目に見える建物以前に、私たちの交わり自体が今、神の神殿とされています。そして、この神殿は、栄光に満ちた完成へと向かっています。

イエスこそ真の神のイメージであり、私たちの王です。イエスはご自分が「ダビデの子」、「救い主」であることを、エルサレム入城の際に明確に示されました。ただ、それはこの世の戦いの指導者ではなく、イザヤが預言した「主(ヤハウェ)のしもべ」としての姿でした。

 

  この世界には、被造物の「うめき」が満ちています。世界は変えられる必要があります。そのためには権力を握ることが大切かもしれません。

しかし、偉大な理想を掲げたはずの人が、かえってこの世に争いと混乱を広げてきたというのが人類の歴史ではないでしょうか。力は力の反動を生みます。

「神の国」は、神の御子がしもべの姿となることによって始まったことを忘れてはなりません。あなたの隣人にどう接するかが何よりも問われているのです。

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2012年6月17日 (日)

エステル9,10章 「あなたは祝福の基(もとい)となる」

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「あなたのせいで、何もかも滅茶苦茶になった・・」などと言われるのは辛いことです。モルデカイはそのように言われるに値する人だったとも言えましょう。彼が権力者ハマンにもっと柔軟に対処していたら、ユダヤ人を根絶やしするなどという王命が発せられることはなかったかもしれません。

この書では、彼がなぜ王命に背いてまでハマンにひざをかがめずひれ伏そうとしなかったのかの理由は記されていません。彼は同僚から理由を問われても何の答えもせずに一貫した行動を取っていました。彼はどこかで明確な神のみこころを受け止めていたのでしょうが、理由は周りに人にはまったく理解されませんでした。そして、彼の頑固さは、ユダヤ人を絶滅させかけました。

 

あなたの回りでも、「あなたがクリスチャンになってさえいなければ、すべてまるく収まっていたはず・・」などと言われることがあるかもしれません。しかし、私たちはそんな非難を恐れる必要はありません。クリスチャンとして生きるとは、アブラハムへの約束が自分のものとされるということを意味します。

アブラハムは一人で神に従おうと決心しました。それは周りの人には理解されなかったことでしょう。あなたもどこかで一人で神の招きに応答したのではないでしょうか。それも周りの人々には理解されないことでしょう。しかし、そこには次のような約束があります。

 

「あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される(創世記12:2,3) 

 

最初のことばは最新のフランシスコ会訳では「お前は祝福の基(もとい)となる」と訳されていますが、「基」ということばを付加した方が前後関係を明らかにし、「名」ということばを省く方が原文に忠実です。頑固なモルデカイは、ユダヤ人ばかりかペルシャ帝国の「祝福の基」となりました。

あなたも一途にイエスに従おうとするとき、一時的に、「お前のせいで・・」と言われるようなことが起きるかもしれません。しかし、最終的には、「あなたのおかげで、みんなが助かった」と言われるような「祝福の基」となることができます。そして、そこに神の民としての交わりが生まれます。

 

1.「それが一変して・・・」

9章初めに「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令とその法令が実施された。この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった」とありますが、ここでは「それが一変して(新共同訳では「事態は逆転し」、ESV訳ではthe reverse occurred)ということばが鍵になります。

それは22節では「悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月と記されています。これは紀元前473年の春の頃を指します。エステルがペルシャの王妃とされたのはその六年前の紀元前479年、アハシュエロス王がギリシャとの戦でまさかの大敗北を喫した年の暮でした。その直後、アハシュエロス王暗殺計画がモルデカイの功績によって差し止められました。

しかし、その後、総理大臣の地位に引き上げられたのはユダヤ人の仇敵、アマレク人の王アガグの子孫のハマンでした。アマレク人はエジプト脱出時のイスラエルを呪ったことで、呪われた民となりました(申命記25:17-19)。神はイスラエルの初代王サウルを通してこの民を滅ぼうそうとされましたが、彼の不従順でアマレク人は生きながらえ、サウルの子孫のモルデカイをアマレクの王アガグの子孫のハマンが攻撃するという構図になりました。

そして、エステルが王妃になって四年余りが経った紀元前474年の春の頃、ハマンはユダヤ人モルデカイが自分に対してひざもかがめず、ひれ伏そうとしないのを見て、憤りに満たされ、ユダヤ人絶滅計画を立て王の一任を取り付けました。その際、ユダヤ人を根絶やしにする日を「くじ」(プル)で決めますが、それがその約一年後の第十二の月アダルの十三日に当たりました。

 

それを聞いたモルデカイは、「着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真ん中に出て行き」(4:1)ましたが、その後の行動は極めて冷静で、王妃となったエステル向かって、「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このときのためであるかもしれない」(4:14)と、彼女の主体性を尊重しつつも、決死の覚悟を迫りました。

彼女はペルシャ帝国の首都シュシャンに住むすべてのユダヤ人に三日三晩の断食の協力を要請し、三日目に王の前に出てゆきました。この書に、神の名は一度も記されませんが、それからの動きは、まさに神の圧倒的な導きを感じさせます。

王は好意をもってエステルの願いを何度も聞こうとしますが、その一方で、夜眠れない中で、ユダヤ人モルデカイの功績が書かれた記録に心を留めます(6:23)

エステルもモルデカイも、仇敵ハマンに対しては驚くほど冷静に対処しますが、ハマンはモルデカイの冷静さになおも腹を立てて、彼を自分の家の庭の高い木に吊り下げようとしました。

しかし、その間、王もハマンの野心に危機意識を持つようになり、エステルの訴えを聞いたときに即座に、王はハマンが立てさせた木の上に彼を吊るしました。ハマンはモルデカイを呪うことで、呪いを受けたのです。一方、モルデカイは、ペルシャの総理大臣に引き上げられました。

 

そして、エステルとモルデカイの願いで、ユダヤ人が絶滅されるはずだった日に、ユダヤ人は自分を守るために立ちあがることを許す王命が発布されました。それはハマンが王命を出した二か月後のことでした。

かつてハマンは、「アダルの月の十三日に・・子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪え(3:13)と国中の民に王命を下しましたが、今度はその反対に、「どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしに、殺害し、滅ぼすことを許し、また彼らの家財をかすめ奪うことも許した(8:11)という王命が発布されました。アダルの月の十三日とはそれから約9か月後のこと、過ぎ越しの祭りの一か月前でした。

とにかく、ユダヤ人はその日に根絶やしにされるはずだったのに、「それが一変して」、ユダヤ人に襲いかかる者を根絶やしにすることが許されたのです。

それから9か月間、ユダヤ人に攻撃をしかけようと思う民族は減って行きましたが、それでも、かつてハマンが出した王命を盾にユダヤ人に襲いかかろうとする民族がいなくなったわけではありません。

かつてエステルはモルデカイの命令により自分がユダヤ人であることを隠し続けていました。それは、ユダヤ人に敵対心を持つ民族は数多くいたからです。その代表がハマンの属するアマレク人です。彼らはユダヤ人を滅ぼすことにまさに情熱を傾けていました。そして、王命によって、民族と民族がぶつかる日、アダルの月の十三日が迫ってきました。

 

2.「彼らは獲物には手をかけなかった」

 そして、その日のことが、「その日、ユダヤ人が自分たちに害を加えようとする者たちを殺そうと、アハシュエロス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったが、だれもユダヤ人に抵抗する者はいなかった。民はみなユダヤ人を恐れていたからである。諸州の首長、太守、総督、王の役人もみな、ユダヤ人を助けた。彼らはモルデカイを恐れたからである。というのは、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっており、モルデカイはますます勢力を伸ばす人物だったからである(9:2-4)と描かれますが、それと同時に、「ユダヤ人は彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した(9:5)とも記されています。それは、この期に及んでも、アマレク人を初めとするユダヤ人敵対勢力が少なからずいたからです。

 

王命によると、ユダヤ人には自衛のための戦いしか認められてはいませんでしたから、彼らが自分たちの敵を積極的に捜し出したわけではありません。ユダヤ人に襲いかかる人だけを、ユダヤ人は殺すことができましたが、それでも、「ユダヤ人はシュシャンの城でも五百人(男)を殺して滅ぼし」たと記されています(9:6)

そればかりか、「ユダヤ人を迫害する者ハマンの子十人を虐殺した」と記されます。彼らは、ハマンが出した王命を盾にユダヤ人に襲いかかったのだと思われます。そのような自己防衛の戦において、彼らは王の許可があったにも関わらず、「獲物には手をかけなかった(9:10)というのです。

王命では、襲いかかって来た者のたちの家族も財産もかすめ奪うことが許されていましたが、ユダヤ人たちはそのような無差別な復讐は思いとどまったのだと思われます。

 

そのことが王に報告された後、王妃エステルは王の許可を得て、さらなる願いを申し出ます。それは、「あすも、シュシャンにいるユダヤ人に、きょうの法令どおりにすることを許してください。また、ハマンの十人の子を柱にかけてください」9:13)というものでした。

十人の子はすでに殺されていましたから、彼女は彼らを見せしめにし、ユダヤ人を呪う者は、呪いを受けることを示し、人々のユダヤ人への攻撃心に水を浴びせようとしたのでしょう。

 

それと同時に、なおユダヤ人に対する攻撃の兆候が残っていたので、徹底的に自己防衛できる日をもう一日延ばすことを願ったという意味だと思われます。それで、「シュシャンにいるユダヤ人は、アダルの月の十四日にも集まって、シュシャンで三百人()を殺した」と記されますが、同時にここでも、「獲物には手をかけなかった」と再び描かれます(9:15)。

首都シュシャンには、多数のユダヤ人と共に、ユダヤ人に敵対する民族も多かったので、例外的に、二日間にわたって、徹底的な自己防衛の権利が認められたのです。

 

 一方、他の地方での様子が、「王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り、彼らの敵を除いて休みを得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺したが、獲物には手をかけなかった。これは、アダルの月の十三日のことであって、その十四日には彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした(9:1617)と描かれます。広大なペルシャ帝国の中にあるすべての町で、ユダヤ人は自分たちに襲いかかる者たちを殺すことが許され、その数は何と七万五千人にも達しました。

彼らは、ハマンから出された王命を利用して、その日にわざわざユダヤ人に襲い掛かったのですから、アブラハムの子孫を呪うことによって、自ら呪いを招いたと言えましょう。

しかし、ユダヤ人たちは王の許可があったにも関わらず、敵の家族や財産には手を付けませんでした。そして、地方にいるユダヤ人たちは、翌日には、敵の攻撃を恐れる必要もなく、祝宴を開くことができました。

 

 つまり、シュシャンにいるユダヤ人は二日間の防衛戦争をしたため、祝宴の日が十五日になり、地方にいるユダヤ人は、防衛戦争を一日で終えたというのです(9:19)。モルデカイが書いた王命の中心は、「どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって(8:11)ということにあり、また、彼らの行動も、「王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り・・・」(9:16)という自己防衛にありました。

その際ユダヤ人には、襲いかかってきた者たちの「家財をかすめ奪うこと」が許されていましたが、三度に渡って、「獲物には手をかけなかった」と繰り返されています。それは、彼らが言外にある王命の意図を理解したからと言えましょう。

 

 ハマンが出した王命の意図は、「子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし」ということと同時に「彼らの家財をかすめ奪え」という点にありました。ハマンはユダヤ絶滅計画を実行するために驚くほど多額の私財を投資しました。それは彼らの財産をかすめ奪うことによって回収されることを見込んだからです。

モルデカイが出した命令の文書の趣旨はハマンが書いた文書をある意味で模倣し、それを真逆にすることにありましたから、「彼らの家財をかすめ奪う」ということは、ある意味で、付け足しのような意味しかありません。

中心は、攻撃されるはずだった日に、自己防衛のために団結して、武器を取ることの許可であり、ユダヤ人がもはや迫害を受けることがないようにすることにありましたから、ユダヤ人がこの自己防衛の戦いで経済的な得をすることは本来の趣旨に反することでした。ここでは、あくまでも、ユダヤ人に襲いかかる者が、自滅していったということを強調することにあります。

 

3.「ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し」

それでモルデカイは、ペルシャ全土にわたって、ユダヤ人に手紙を書き送り、「それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定める」ことにしました(9:21,22)

ここでも、「変わる」ということばに注目する必要があります。この表現は、ダビデの詩篇にもあり、そこで彼は、「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました」(詩篇30;11)と歌っています。モルデカイもユダヤ人もこのダビデの詩篇を心から歌ったことでしょう。

 

しかも、この詩篇には「神殿奉献の歌(フランシスコ会訳)というタイトルがついています。ダビデにとっては、神殿を建てることができるということこそが、何よりも、「嘆きが踊りに変えられ」ことの証しだったからです。

今回の会堂建設に際し、意外な方々からの献金が数多くささげられています。私は牧師として、それぞれの献金の背後にあった「嘆きが踊りに変えられた」というお証しを知ることが許されています。

なお、ほとんどの場合、まだ『踊り』というところまで劇的な解決が見えているわけではありませんが、献金のことを考える心の余裕もないほどに切羽詰った状況にあったことが、このときになって希望が見え始めてきたということは紛れもない事実なのです。

 

プリムの祭りはこのように「悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった」ことの記念として祝われるようになりましたが、それは何よりもエルサレム神殿から遠く離れて住む離散のユダヤ人たちの中で、「祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日」として、共同体を建て上げるため用いられました。

とにかく、この祭りは、ユダヤ人にとっての過ぎ越しの祭りに次いで盛大に祝われますが、楽しさの点では最高の祭りです。

 

そして、この祭りの由来が、このエステル記を要約するかのように、「アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、そのことが、王の耳に入ると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけた・・・こういうわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ」(9:24-26)と記されます。

ここでは特に、「悪い計略をハマンの頭上に返し」という表現に注目すべきです。これは単にユダヤ人の敵が滅ぼされたというのではなく、神が、アブラハムに「あなたをのろう者をわたしはのろう」と言われたことが成就したことを意味します。ハマンはユダヤ人に滅ぼされたというより自滅したのです。

 

この原則は神の民と神の民の敵すべてにあてはまり、黙示録のテーマでもあります。そこでは、神の民が、自分たちの信仰のゆえにこの世の権力者たちから激しい攻撃を受け、非業の死を遂げながら、「聖なる真実の主よ。いつまでもさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をしないのですか」という訴えがなされます(6:11)。それに対し、神は、神の敵がますます傲慢になり、勢力を増し加えるのを、待つよう勧めますが、彼らは最後にハルマゲドンに集結します。その間、神の民は、ただ神と小羊とを賛美し続けます。そして、最後のときに、再臨のキリストが「王の王、主の主」として現れ、神の敵をたちどころに滅ぼしてしまいます。

つまり、黙示録でも、神の民の敵は、ハルマゲドンで自分たちの勝利が近いと大集結したところで、一挙に滅ぼされるのです。それは、ハマンがモルデカイを木にかけると決めたとたんに自滅し、自分も自分の子たちも木に吊るされたというのと同じです。

 

そして、この記念日に関して最後に、「ユダヤ人は・・・毎年定まった時期に、この両日は・・すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした」(9:2728)と記されます。

そして、モルデカイとエステルは、ペルシャ帝国内のすべてのユダヤ人にこの祭りを祝うように命じました。これによって、ユダヤ人の共同体が全世界に広がりながら、同じ祭りを祝うという習慣が生まれました。

ユダヤ人がホロコーストのような悲惨を何度も体験しながらひとつの民として残っているのは、このような神にある逆転を毎年決まった時に祝っているからとも言えましょう。まさに祭りによって、神の民の共同体の絆は固められて行ったのです。

 

なお10章1節には「アハシュエロス王は、本土と海の島々に苦役(税金)を課した」と記されますが、これは、ギリシャとの戦いで失墜した王の権威がモルデカイの功績によって再び確固とされたということを意味します。

エステルが王妃として就任した年は、ギリシャとの戦いで敗北を喫したときであり、「王は・・エステルの宴会を催し、諸州には休日を与えて、王の勢力にふさわしい贈り物を配った(2:18)という民の懐柔策が必要でしたが、モルデカイの功績で王の権威が回復すると、王は民に遠慮をする必要がなくなりました。

 

そのことが、「(王)の権威と勇気によるすべての功績と、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細とは、メディヤとペルシヤの王の年代記の書にしるされているではないか(10:2)と記されています。

そして、この書の結論では再びモルデカイの功績が、「それはユダヤ人モルデカイが、アハシュエロス王の次に位し、ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語った(10:3)と描かれます。

 

エステル記には神の名が一度も出てきませんが、モルデカイもエステルも、自分たちの民族が根絶やしにされるという王命が出されたき、神に向かって必死に叫び、三日三晩の断食を布告して、みんなで神に向かって祈るようにと民を導いたことは確かです。そして、その祈りが聞かれ、ユダヤ人に平和が訪れたとき、彼らはその恵みをユダヤ人が決して代々に渡って忘れることがないようにと二日間の祝日を定めました。そして、この祝日こそ、ユダヤ人の共同体を全世界で堅くする大きな力となっています。

そして、その背後にはアブラハムへの約束があります。ハマンはアブラハムの子孫を呪ったことによって、自分自身が呪われることになりました。アハシュエロス王はアブラハムの子孫を祝福することによって、祝福を受け、ギリシャとの戦争で失墜した王の権威を回復できました。

私たちもこの地にあって、アブラハムの子孫とされていますが、そのことのゆえに様々な迫害を受けることがあるかもしれません。しかし、私たちを呪う者は、それによってハマンと同じようにその呪いを自分の頭上に返してしまうことになります。

一方、私たちを祝福してくださる方々は、それによって神からの豊かな祝福を受けることができます。

 

そのことをイエスは、「あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです(マルコ9:41)と言われました。

私たちはキリストの弟子として世の人々を愛し、彼らに仕えるように召されていますが、反対に、他の人の助けを受けることによっても、人々に祝福をもたらすことができます。堂々と自分の信仰を証しながら、世の人々との互いに助け合う関係を築くことが大切です。そのとき私たちは世界にとっての「祝福の基」となることができます。

モルデカイもダニエルもヨセフも異教社会で豊かに用いられましたが、それによって彼らはそれぞれの国々に祝福をもたらしました。

 

私たちは被害者意識に流されないように気を付ける必要があります。私たちをいじめる者は、それ自身によって自滅に向かっています。私たちに助けの手を差し伸べる者は、そのことによって神からの祝福が約束されています。私たちが自分をキリストの弟子として生きるとき、神は私たちを「祝福の基」としてくださるのです。

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2012年6月10日 (日)

マルコ10:46-52「あなたの信仰があなたを救ったのです」 

                                                  2012610

 マルコの福音書には多くの奇跡的な癒しが記されています。それらはすべて「神の国が目の前に来た」ことのしるしでした。その背後には「神は来て、あなたがたを救われる。そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う」(イザヤ35:4-6)という預言の成就というテーマがあります。

しかも、イエスはその人の信仰の程度に応じてその人を癒したのではありません。イエスは信仰のない多くの人々を癒されました。その代表例が悪霊につかれた人です。イエスはご自身の一方的なあわれみによって彼らから悪霊を追い出してくださったのです。ですから、「救い」にとって何よりも大切なのは、神のあわれみであり、私たちの信仰ではありません。

ところが、このマルコの福音書において、イエスは例外的に、ふたりの人に対して、「あなたの信仰があなたを救ったのです」と、信仰が救いの原因となったかのような言い方をしています。信仰者であればだれでも、そのような称賛のことばをイエスから受けてみたいと思うことでしょう。

でも、このふたり、十二年間長血をわずらっていた女と、盲人の乞食は、当時の誰の目から見ても、「神の国」の外れ者ではないでしょうか。

たぶん、現代の多くの教会においても、なかなか馴染むことができない種類の人でしょう。彼らは、その衣服も、匂いも、言葉遣いも、礼儀作法も、多くの意味で人々に不快感を与えるかもしれません。決して、誰も彼らを模範的な信仰者などとは見ません。往々にして人々が交わりに受け入れたいと願うのは、多額の財産を捨てることができなくてイエスの前を立ち去った金持ちの青年のような人です。

 

 盲人バルテマイのいやしの記事は、マルコが記録したイエスによる最後の癒しの記事であり、またイエスがエルサレムの入城において、群衆の歓呼をもって迎えられるという「しゅろの日曜日」の直前の記事です。

しかも、この前にイエスは三回にわたってご自身の受難を予告しましたが、それらは、822-26節のベツサイダの盲人の癒しの記事と、このバルテマイの癒しの記事に挟まれて記されています。まるで、イエスの弟子たちが霊的に盲目であったことと、肉の目の癒しがセットになっているかのようです。

しかも、盲人バルテマイの信仰が称賛されたことは、弟子たちの無理解と対比されているかのようです。なお、マルコではイエスを「ダビデの子」と呼んだ人はこのバルテマイ以外には記されていません。彼はどのような意味で、私たちにとっての信仰の模範となり得るのでしょう。

 

1.「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」

1046節は「彼らはエリコに来た」ということばから始まります。イエスと弟子たちはヨルダン川沿いを東の側を南下し、ヨルダン川を渡ってエリコに来ました。かつてヨシュアがヨルダンの川をせき止めて川を渡った後、町の回りを七日間にわたり神の契約の箱を祭司たちがかついでまわって、七日目には民が大声でときの声をあげて城壁を崩したという劇的な神の勝利の地でした。

そして、エリコはエルサレムに向かって登ってゆく宿場町のような意味もありました。新しいヨシュアであるイエスのエリコ入城は、人々に大きな期待と興奮を生み出したことでしょう。

 

そして、マルコはイエスがすぐにエリコを出たかのように、「イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると」と描いていますが、この部分がルカでは「イエスがエリコに近づかれたころ(18:35)と記され、その後エリコに入ってザアカイに出会ったという流れになっています。実は、当時のエリコには旧市街とヘロデが建てた新市街からなっており、ルカが描いたのは新市街への入城であると言われます。

またマタイの福音書ではイエスに叫んだのはふたりの盲人であると記されています(20:30)。これもまったく矛盾することではありません。このエリコの旧市街と新市街を結ぶ道は、物乞いにとって最もお金を受け取りやすい道でした。人々はこれからエルサレム神殿に上って行くにあたって、神のあわれみに期待しながら、自分もあわれみ深くなる必要があると感じるところだからです。

ただ、マルコはここでひとりの人に焦点を当て、その名前までも正確に、「テマイの子のバルテマイという盲人の物ごいが、道ばたにすわっていた」と描きました。ひょっとしたらこの人は、初代教会で大きな働きをすることになった人かもしれません。

しかし、このとき誰がこの人に目を留めたでしょう。このときのイエスには多くの群衆がついて歩いていましたが、彼らがひしめき合って歩んでいる道端に、この人は物ごいをするために座っていただけです。

当時の多くの宗教指導者たちは、盲人は神ののろいを受けていると解釈していました。その意味で、この盲人にはイエスに従うことすら許されてはいないと、イエスの弟子たちも思っていたことでしょう。

 

 「ところが、ナザレのイエスだと聞くと」、バルテマイは、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めたというのです(10:47)

彼がイエスを、「ダビデの子」と呼んでいたのは不思議です。イエスという名は、ヘブル語ではヨシュアと呼ばれますが、「ナザレの・・」という呼び名は、多くの人々にとっては彼の卑しい出生を表す表現、新しいヨシュアなどではないという響きがあったことでしょう。

ところがこのバルテマイは、イエスを「ダビデの子」と呼んだのです。それはまさにイスラエルを「神の国」として復興させる救い主を意味しました。

 

しかも、「あわれんでください」という叫びには、ただ自分の悲劇的な状況にあわれみを注いでほしいという極めて控えめで謙遜な祈りです。彼は自分の目が見えるようになること以前に、神の愛の眼差し自体を求めていたのです。それは多くの人々から、「お前は神の呪いを受けた結果として、このように目が見えなくなったのだ・・」と忌み嫌われながら、自分は神に見捨てられていると絶望を味わっていた彼に、ただ、神のあわれみの眼差しが注がれること自体を求めたことばです。

ところで、この「あわれんでください」ということばをギリシャ語にすると「エレイソン」ということばになります。昔からカトリックやルター派の教会の典礼文には「キリエ・エレイソン」という祈りがあります。これはこの盲人バルテマイの祈りに由来します。

古代教会以来東方教会の流れの中では。一日中、呼吸とともに唱えるように勧められていている、「イエスの御名の祈り」というのがあります。それは、「イエス・キリスト神の御子、この罪人の私をあわれんでください」ということばを繰り返し味わいつつ祈り続けることでした。

 

  そこにいたイエスの弟子たちを初めとする大勢の人々は、彼の叫びのことばの奥深さに感動するどころか、「彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめ」ました(10:48)。彼らにとってこの盲人の乞食の叫びは、単に、お金をせびっている声にしか聞こえなかったことでしょう。

また、この盲人が「ダビデの子」と呼びかけたということに注目し、この乞食はイエスにお金以上のことを求めているということに気づいたとしても、そこには、「先生は、今決死の覚悟でエルサレムに上ろうとしておられる。お前のような汚れた罪人に関わっている余裕などはない・・」という思いが込められていたかもしれません。

なぜなら、イエスご自身もこの最後のエルサレム行きの時には、「イエスは人に知られたくないと思われた(9:30)とあったように、多くの群衆の訴えに耳を傾けるという働きを少なくして、弟子たちとの会話を大切にするようになっていたからです。

そのような中で既にイエスは三度にわたってご自身がエルサレムで殺された後、三日目によみがえると明確に語っておられました。弟子たちはそのことばの意味を十分には理解はしなかったものの、このエルサレムに上るという歩みは、イエスご自身にとっても大変な苦難と危険への道であることは分かっていました。ですから彼らが盲人バルテマイを黙らせようとしかことは無理もないとも言えます。

 

ところが彼は、「ますます」、「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てたというのです。バルテマイはこの機会を逃したら一生自分はこの呪われた生活を続けざるを得ないと思い、必死に叫び続けたのです。

 

それに対し、「すると、イエスは立ち止まって」、「あの人を呼んで来なさい」と言われました(10:49)。イエスはこの人の心の底にある真実に気づかれたことでしょう。

そこで、弟子たちは「その盲人を呼び」、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言いました(10:49)。「心配しないでよい」ということばは、「勇気を出しなさい」「しかりしなさい」「安心しなさい」などと訳すことができることばです。それは、彼が不安に満ちて叫んでいたことに対して、安心感を与えようとすることばです。

そして、「さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」ということばは、王に召されてみもとに近づくことができるという特権を思い起こさせるような表現です。

 

すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た(10:50)とありますが、「脱ぎ捨て」という訳は、「捨て置き」と訳した方が良いと思われます。ペテロは復活のイエスに出会ったとき、わざわざ上着を着て、湖に飛び込んだと記されているように、王の御前に出る時は上着を着るのが礼儀です。

しかし、この乞食にとっての上着とは、商売道具でした。彼は上着を広げて、人々がそこにコインを投げ入れてくれるのを待っていたのです。

彼は、物乞いの生活を捨てる覚悟で、イエスのもとに行ったと解釈することができるように思えます。彼はイエスのみもとで自分の人生がまったく新しくされることを期待して、上着を捨て置いてイエスに近づきました。

 

2.「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」

 そして、「そこでイエスは、さらに」、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねました(10:51)。目に見えない彼は、イエスの声をすぐ目の前に感じ、そのあわれみの調子に感動を覚えたことでしょう。イエスは、何よりもこの一人の人との対話を望んでおられました

そして、当時の一般の人々は、王の許しを得て初めて自分の願いを言うことが許されていましたから、個人的な対話を望まれたイエスが王として、彼にこのように尋ねるのは当然のことでした。

 

それに対しこの「盲人は」、「先生。目が見えるようになることです」と答えました。先に彼はイエスを「ダビデの子」と呼んでいましたが、イエスの優しい語りかけを聞いて、自分を弟子の立場に置いたかのように親しみの尊敬をこめて「ラボニ」と呼びかけました(新改訳脚注)。これはマグダラのマリヤが自分の目の前にいる方が復活のイエスであると気づいたときに最初に言ったことばでもあります。これは「ラビ(先生)というよりは、「わが主よ」という、より大きな尊敬を表す呼びかけです。

その上で、自分の望みを大胆に述べました。この真っ向からの願いというのは大きな意味を持っています。彼はイエスが自分の目を見えるようにすることができると信じていたのです。

 

イエスはかつて、耳が聞こえず、口のきけない人を癒したときにも、また、人々に連れてこられた盲人の目を癒したときにも、彼らがご自分のことを宣伝することを戒めました(7:368:26)

それらのみわざは、ご自身が預言された救い主であることの証しでしたが、それを不特定多数の人に一度に知らせたいとは思われませんでした。たとえば、イザヤ2918-20節には、「その日、耳の聞こえない者が書物のことばを聞き、目の見えない者の目が暗黒とやみから物を見る」ということと並行して「横暴な者はいなくなり、あざける者は滅びてしまい、悪をしようとうかがう者はみな、断ち滅ぼされる」と記されています。

つまり、貧しい者の救いと横暴な者へのさばきは同時に行われると示唆されているのです。当時のユダヤ人は、ローマ帝国からの独立を切望していましたが、それは盲人の目を開く救い主は、同時に、ローマ軍を立ち滅ぼしてくれる戦士でもあると期待されていたということを意味します。彼らのそのような期待を刺激してしまうことは、彼らを戦争に駆り立てることになりかねません。

 

そして、このときのイエスは群衆に取り囲まれていました。ですから、いやしのみわざはなるべくひっそりと簡単に行う必要もあったのかもしれません。

イエスは、彼の目が人間的には治療不可能であるなどという印象を与えることなく、また、ご自身の権威を隠すかのように、「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われました(10:52)

イエスは、かつてベツサイダにおいては人々が盲人を連れてきたときには、彼を村の外に連れ出して、その両目につばきをつけ、両手を彼に当てて段階的に癒されるというようなステップを踏みましたが(8:23-25)、ここでは「さあ、自分の好きなところに自由に歩きなさい」という意味が込めて言われたのです。

 

イエスは、たとえばかつてツァラアトに冒された人を癒すとき、その人にさわって「わたしの心だ。きよくなれ」と言われましたが(1:41)、ここではご自身ではなく、「あなたの信仰」が「いやし」の原因であったかのように話したのです。

ベツサイダでのときには、盲人の癒し以前に、盲人の信仰を育み育てるという意味で、時間のかかる方法を取られましたが、この場合は、彼の信仰をはっきり認めていたからこそ、たった一言、「行きなさい」というだけで十分だったとも言えましょう。

聖書の教えの中心は何よりも、私たちの信仰を育むことにありますから、「あなたの信仰があなたをいやした」ということばは、この盲人のそれまでの全生涯を肯定するような意味が込められています。

 

このことば原文では、イエスが十二年間長血を患っていた女性に言ったことばとまったく同じです。534節でも「あなたの信仰が、あなたを救ったのです」と訳すべきでした。

イエスは、「あなたは救っていただけました」という受動態で言う代わりに、「あなたの信仰が、あなたを(すでに)救ったのです」という完了形の能動態で表現しています。

当時の人々の感覚では、12年間も長血をわずらった女は、不信仰のゆえに神ののろいを受けているとも思われたことでしょう。しかしイエスは、正反対に、彼女の信仰が癒しを起こしたと断言しました。

それは彼女が、信仰の父アブラハム同様に、「死者を生かし、無い(無価値な)ものをある者のようにお呼びになる」を信じ、また、望みえないときに望みを抱いて信じ」からです(ローマ4:17,18)

この結果、彼女は日陰で生きる者から、社会の真ん中に生きる者へと変えられました。それこそイエスの癒しの目的です。そのことを、イエスは保障するように、「安心して帰りなさい」と言われました。それと同じニュアンスのことばをイエスはバルテマイにも語ったのです。

 

「信仰」ということばは、真実とも訳すことができる、神の真実に対する私たちの応答です。「いわしの頭も信心から」などというような、思い込みの力、揺るぎない確信などという意味ではありません神のあわれみに「すがる心の動きこそ信仰です。

彼の心はこの世の人々が思うような信仰深い状態ではありませんでした。多くの人は、信仰の深い人は、どんな状況の中でも、神を待ち望んで落ち着いて、静かにしていることができるはずと誤解しています。

しかし、バルテマイの信仰とは、弟子たちが黙らせたいと願うほどに、大声で叫び続けること、また、「心配しなくてもよい」と言われるほどに不安を顕にすることでした。実は、信仰の核心とは、何よりも、自分の弱さや頼りなさを認めることにあるのです。その表れが、「私をあわれんでください」という謙遜な願いとして現されています。

 

3.「すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った」

イエスのことばを聞いた結果が、「すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った」と記されています。イエスは、自分の好きなところに行きなさいと言われたのに、彼は見えるようになった結果、「イエスの行かれるところについて行った」というのです。

彼に起こった何よりの変化とは、道端で物乞いをしている生活から、イエスの御跡について、道の真ん中を歩んで行くということでした。私たちのうちに起こる何よりの癒しと言うのも、それを表しています。

現代は、誰かの祈りによって、目の見えない人の目が開くとか、盲人が自分の信仰によって目が目えるようになったという話はほとんど聞くことができません。しかし、目の見えない人がイエスを信じるようになって、目が見えないままでイエスの御跡に従って行くということは数限りなく起こっています。

 

しばしば、目も耳も健康な人よりも、不自由がある人の方が、信仰がしっかりしています。それは信仰の基礎が、何よりも、自分の弱さや頼りなさを自覚することにあるからです。

自分にはゆるぎない信仰があると思っている人がイエスの喜ばれる信仰を持っているわけではありません。信仰の核心とは、「すがる」ことです(申命30:20)。このバルテマイは、まさにイエスに徹底的におすがりしようとしたという意味で、主が喜ばれる信仰を持っていたのです。

 

金持ちの青年は、イエスから「わたしについて来なさい」という明確な招きのことばをかけていただきながら、その前の「あなたの持ち物をみな売り払い」ということばにひっかかって、イエスについて行くことができませんでした。

バルテマイはイエスが呼んでいるという弟子たちのことばを聞いただけで、商売道具の上着を捨て置いてイエスのもとに行き、好きなところに行きなさいとイエスに言われながらも、イエスの行かれるところについて行きました

彼こそは、弟子たちに中で最後にイエスのもとに来た弟子と言えましょう。イエスは、「先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです(10:31)と言われましたが、それはペテロとバルテマイとの関係に当てはめることができることでしょう。

こののち、イエスの弟子たちはイエスにつき従ってエルサレムに上って行きました。バルテマイはなかなか弟子たちの交わりになじむことができなくて、あとをひっそりとついて行ったかもしれません。

 

しかし、後に使徒ペテロがマルコを通してこの福音書を書き残そうとしたとき、このバルテマイの名を明確にここに残す必要を感じたのではないでしょうか。ペテロは彼の信仰の姿勢に習いたいと思ったことでしょう。

非常に差別的で残念な表現ですが、「医者と乞食は三日やったらやめられない」ということばがあります。両方とも楽に儲けられるという、実態を知らない失礼な表現です。しかし、一面の真理を表しているからことわざになるとも言えます。

 

このバルテマイは当時の乞食にとっての最高の場で、自分の上着を広げて、エルサレムへの巡礼者から物乞いをしていました。彼は何も考えず、ただ、あわれみを乞うだけで良かったのです。何の責任を負う必要もありません。何も迷う必要もありません。ただ自分のことだけを考えて、そこに座っていればよかったのです。

それはある意味で、心地よい状態です。しかし、イエスは彼に向かって、「あなたの信仰が、あなたを救った」と言われました。

それは彼が、乞食をやめて、神の国の実現のためにイエスの御跡に従うという覚悟を彼の中に見たからです。

 

 

残念ながら今も、イエスに従って道の真ん中を歩む代わりに、道端に座って、「社会が悪い、家族が悪い・・」と恨み言ばかりを言って責任を担うことができない人がいます。自分を徹底的に被害者に祭り上げることができるなら、人は自分に優しくせざるを得なくなります。

しかし、イエスのあわれみにすがるとは、自分を無力な何もできない人間にすることではありません。それは、イエスが自分のうちに生きてくださるように自分を明け渡すという意味です。自分で自分を変えられないということが心から分かった結果として、自分の心の王座をイエスに明け渡すのです。

金持ちの青年のように、自分がありすぎる人は自分を明け渡すことができないという意味で、何も持たなかったバルテマイはより良い立場にいたのは確かですが、バルテマイのような人は、自分は社会のお荷物になって当然という被害者意識や自己憐憫の思いに苛まれる可能性があります。

しかし、彼は道端に座る人から、イエスの御跡を従う人へと変えられました。それは彼が、変わりたいと心から願っていたからです。

あなたは本当に、自分の生き方を変えたい、変えられたいと願っているでしょうか。信仰においては何よりもそれが問われています。

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2012年6月 3日 (日)

エステル7、8章「神の怒りに任せなさい」

                                                   201263

 私たちは「怒り」や「憤り」の気持ちに振り回されて大きな過ちを犯すことがあります。それは「怒る者は争いを引き起こし、憤る者は多くのそむきの罪を犯す」(箴言29:22)と記されている通りです。

しかし、「万軍の主(ヤハウェ)憤りによって、その燃える怒りの日に、大地はその基から揺れ動く」(イザヤ13:13)などとあるように、神は憤りを発せられる方です。そして、「神のかたち」に創造されている者は、この世の悪に対して怒るべきときがあります。

 

しかし、私たちの怒りや憤りは、不安や愚かなプライドから生まれてはいないでしょうか。エステル記に描かれる王もハマンもすぐに憤りに満たされてしまう人々でした。しかし、モルデカイもエステルも、「怒る」のではなく「嘆いて」います。怒りの第一次感情は不安であると言われますが、ふたりは不安を嘆きと祈りに変えました。そして、神はそれに答えてくださいました。

パウロは、「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい(ローマ12:18,19)と言いましたが、モルデカイもエステルもハマンに力で対抗しようとする代わりに、嘆いて祈りながら、「神の怒りに任せた」と言えましょう。

 

1.「私にいのちを与え・・私の民族にもいのちを与えてください」

 多くの人々は、ユダヤ人モルデカイが、なぜ王命に逆らってまで、アガグ人ハマンに対し、「ひざをかがめず、ひれ伏そうともしなかった」のかを不思議に思います。ところがこの書では、その理由が明確には記されていません。ただ、ハマンが「モルデカイに対する憤りに満たされ」理由が、二度に渡って明確に記されています。

一回目は、「ハマンはモルデカイが自分に対してひざをかがめず、ひれ伏そうとしないのを見て、憤りに満たされた(3:5)と描かれました。この直後にハマンは、ユダヤ人絶滅計画を立て、その実行日を「くじ(プル)を投げ」ることで決め(3:7)、どの民族を滅ぼすかを伏せたまま、ペルシャ王アハシュエロスを動かし、王の全面委任を受けて、約一年後の第十二(アダル)の月の十三日に、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、家財をかすめ奪うことを命じる文書をペルシャ帝国全土に書き送りました(3:13)

そして、二回目は、ハマンが王と共に王妃エステルの宴会に招かれ、その帰り道のことが、「ハマンは、王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、自分を少しも恐れていないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされ(5:9)と描かれています。このときハマンは、高さ50キュビト(23)の柱を立てさせ、モルデカイをそこに吊るすことの許可を王から受けようと決めました。これによって、モルデカイの命は翌日には奪われ、せっかくのエスエルの決死の覚悟も萎えてしまう可能性がありました。

 

 ところが、その夜、ペルシャ王アハシュエロスは眠りにつくことができませんでした。それで王は、王国のできごとを記した記録を読み上げさせました。その結果、ユダヤ人モルデカイが、王殺害のクーデターを未然に防いだという功績に気づきました。

そして、王はハマンに、誰にどのような理由で恩賞を与えるかを隠したまま、「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう」(6:6)と尋ねました。ハマンはてっきりそれは自分のことと思って、その人に王服を着させ、王の馬に乗させ、その上で、王の首長の一人に馬を引かせて町の広場の人々の前でその人の功績をたたえさせるようにと進言しました。王はそのとき、ハマンの恐ろしい野心に気づいたことでしょう。

 その結果は、何と、ハマンがモルデカイを載せた馬を引いて、人々の前でモルデカイの功績をたたえるという逆転に至りました。

そしてそれを聞いたハマンの妻は、彼がモルデカイに負けてしまうことを予告しました。

 

 その直後に開かれた王妃エステルの二回目の宴会の様子が、「王とハマンはやって来て、王妃エステルと酒をくみかわした(7:1)と描かれます。エステルは前日に、まさに命がけで、王から召されてもいないのに王の前に出てゆきました。それはユダヤ人絶滅計画を思いとどまってもらうためでしたが、彼女はそのときも、またその後の宴会でも、自分の願いを王に申し出はしませんでした

そのような中で、「この酒宴の二日目にもまた、王はエステルに」、「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう」と尋ねたと記されます(7:2)。王がこのような表現を使うのは三度目です。これは当時の王が自分の権威を示す常套句かもしれませんが、エステルは、王が三度にもわたって自分の寛容さを紹介せざるを得ない状況を作ったとも言えましょう。

簡単に願いを言わなかったことで、王の方が、エステルの願いが何なのか聞きたくてたまらなくなっています。まるで王の心はエステルの手の内にもてあそばれているかのようです。

 

 そこで、「王妃エステルは」ついに自分の願いを表現して、「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください」と言いました(7:3)

彼女は「私の願い」と言いながら「私にいのちを」、また、「私の望み」と言いながら「私の民族に(いのちを)」、「与えてください」と、明らかに王の意標をつくような、驚くほど控えめな願いを述べました。

 そして、そのように願う理由を、「私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています」(7:4)と述べます。王はこのことばを、身を乗り出すように聞いたのではないでしょうか。自分の知らないところで、エステルの民族が、取引の材料にされ、滅ぼされようとされるというのですから・・。

これは、かつてハマンが銀一万タラント(当時の王家の年収の三分の二)もの金額を国庫に納めて一つの民族を根絶やしにすると言ったことを思い起こさせたことでしょう(3:9)。そればかりか、エステルは「私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです」と付け加えました。

最後の文章は、「私たちの苦しみは王の損失に比べたら取るに足りませんから」と訳すことができます。彼女は王の同情を引き寄せるような表現でことばを始めながら、最後には、王の損得を自分は何よりも気にしていると付け加えました。

彼女は、ハマンのユダヤ人絶滅計画は、ただでさえギリシャとの戦争に負けて困難に陥っている王家を、さらに困難に追い込むことになると言外に言ったのではないでしょうか。王はエステルのことを大切に思っていましたから、彼女とその民を失うことが自分にとっても、とてつもない損失になるということが、すぐに理解できたことでしょう。

エステルは、決して、自分に対する王の愛情を確かめるような表現は使っていません。ただ、自分の切実な願いを、驚くほど控えめに、しかも、王の心や王の置かれている状況に寄り添うようにして表現したのです。

 

2.「そんなことを・・たくらんでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか」

 それに対し、「アハシュエロス王は王妃エステルに尋ねて」、「そんなことをあえてしようとたくらんでいる者は、いったいだれかどこにいるのか」と言いました(7:5)。ここでは、「だれか」「どこか」という問いが強調されていますが、彼女は驚くほど簡潔に、「その迫害する者、その敵は、この悪い(忌まわしい)ハマンです」と答えました(7:6)

私たちの時代の常識からすれば、エステルはもっと慎重に、ハマンの悪事を証明する必要があるように思います。しかし彼女は本題に入るまでに十分すぎるほどの時間を取りながら、王が身を乗り出して、「だれか」「どこか」という質問をしたくなるように仕向け、最後は有無を言わさずにハマンを追い込むような会話へと持って行きました。

 

その結果が、「ハマンは王と王妃の前で震え上がった」と描かれます。彼はエステルの話を聞きながら、自分のユダヤ人絶滅計画が問題にされていることに驚きを覚え、何らかの弁明のことばを述べたいと思っていたかもしれません。しかし、エステルと王のあまりにも簡潔な会話の前で、すべての弁明の機会を失ってしまいました。

 

 その後の展開が、「王は憤って酒宴の席を立って、宮殿の園に出て行った。ハマンは王妃エステルにいのち請いをしようとして、居残った。王が彼にわざわい(悪)を下す決心をしたのがわかったからである」(7:7)と記されます。

王はこのときに、一瞬のうちに、それまでのハマンとの会話を思い起こし、ハマンの狡猾さと残虐さ、危険な野心に思いが至ったのではないでしょうか。なお、すでに、王がハマンに、「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう」と聞いたときの彼の反応を聞いたあたりから、信頼できない気持ちを持っていたと思われます。

 

そして、「王が宮殿の園から酒宴の広間に戻って来ると、エステルのいた長いすの上にハマンがひれ伏していたので」、王は、「私の前で、この家の中で、王妃に乱暴しようとするのか」と言ったというのです(7:8)。これはハマンがエステルにすがるために、その長椅子に手をかけていたという程度のことかと思われますが、憤っていた王には、ハマンが乱暴をしようとしているように見えたという意味だと思われます。

そして、「このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔はおおわれたとありますが、これは当時の犯罪人が捕えられるときに頭に袋をかぶされることを指しています。ハマンは総理大臣の地位から一転して王家への反逆者として捕えられたのです。

 

 しかも、「そのとき、王の前にいた宦官のひとりハルボナが」「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのために、ハマンが用意した高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています」と言いました。それに対し、王は即座に、「彼をそれにかけよ」と命じました。そして、その結末が、「こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りはおさまった」(7:10)と記されます。

ハマンが憤りに満たされてユダヤ人絶滅計画を立て、またモルデカイを木にかけて殺そうとして行動したことが、結果的に、王の憤りを買うことにつながり、ハマンは自分が用意した木にかけられて殺されました。

まさに、「穴を掘る者は、自分がその穴に陥り(箴言26:27)と記されている通りです。また、日本語のことわざの「策を弄して墓穴を掘る」に相当すると言えましょう。

 

3.「王はハマンから取り返した自分の指輪をはずして、それをモルデカイに与え」

8章の初めには、「その日、アハシュエロス王は王妃エステルに、ユダヤ人を迫害する者ハマンの家を与えた。モルデカイは王の前に来た。エステルが自分と彼との関係を明かしたからである。王はハマンから取り返した自分の指輪をはずして、それをモルデカイに与え、エステルはモルデカイにハマンの家の管理を任せた」と簡潔に描かれますが、これはまさに天地が引っくり返るようなできごとです。

つい一日前までは、ペルシャ全土のユダヤ人はハマンの策略によって、絶滅の運命が定まっているかのように思えました。モルデカイは本来、この時間にはハマンの家に立てられた木に吊り下げられていたはずでした。

ところが今、モルデカイはハマンに代わって、法令を発布する王の指輪をあずかる総理大臣の立場に上げられたのです。

 

これまでの物語の展開の鍵は、「憤り」にありました。エステルが宮殿に召されるようになったきっかけは、王が前王妃ワシュティが命令に従わなかったことに「非常に怒り、その憤りが彼のうちで燃え立った(1:12)ことから始まっていました。ユダヤ人虐殺計画は、ハマンがモルデカイの不遜な態度に「憤った」ことから立てられました。そして、ハマンの滅亡は王の「憤り」によって決まりました。

ところが、モルデカイもエステルの場合も、彼らが「憤った」という表現がありません。彼らは当然ながら、ハマンに対して憤ったはずですが、ここに記されているのは、彼らを初めとするユダヤ人すべてが嘆き叫びながら断食をして神に祈ったということです。

エステル記には敢えて、神の名が省かれていますが、彼らがハマンに対して憤りの気持ちを顕にする代わりに、すべてを支配する神に向かって叫んだということは明らかです。

そして、神はご自身の姿を隠しながら、エステルを王妃の立場へと導き、クーデター計画をモルデカイに気づかせ、時間が経過してから、王を不眠にしてモルデカイの功績に気づかせ、ハマンが高慢になるのにまかせて自滅への道を開いて行かれました。モルデカイもエステルも、ハマンに対する復讐心に駆られて行動したのではなく、神のさばき、また神が立てた王のさばきに信頼しようとしていました。

 

ハマンは最後の最後まで、エステルが自分のことを、「その敵は、この悪い(忌まわしい)ハマンです」などと呼ぶとは思いもしませんでした。ハマンは自分が王妃からも高く評価されていると思い込んでいたのです。

彼女はもちろんハマンを心から憎んでいたはずです。しかし、憤りと憎しみの心を、神に訴えることによって、極めて冷静な行動を取ることができました。

また、モルデカイも決して、ハマンに対して卑屈になることも、怒りを顕にすることもありませんでした。ハマンがしぶしぶ、モルデカイを王の馬に乗せて人々の前で彼の功績をたたえざるを得なかったときにも、モルデカイは決して嫌味の一言も言わなかったに違いありません。

 

モルデカイもエステルも、神にはすべてを逆転させる力があることを信じて、憤りに身を任せはしませんでした。しかも彼らは、神がすべてを支配しておられるなら、自分たちは何もしなくても良いはずだなどとは決して思ってはいません。

エステルの願いにより、ペルシャの首都に住むユダヤ人は三日三晩の断食をして祈りました。エステルはそのとき死を覚悟しました。そして、三日目に王の前に決死の覚悟で出たときから、すべての歯車の動きが変わったかのようです。これはイエスが十字架で死んだ後、三日目によみがえったことを示唆するできごとです。

 

4.「王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができない」

エステルは、モルデカイが総理大臣の地位に抜擢されたことに満足することなく、ユダヤ人絶滅計画自体を無効にするために、初めて具体的な提案を、「泣きながら嘆願」しました(8:3)。それは、「アガグ人ハメダタの子ハマンが、王のすべての州にいるユダヤ人を滅ぼしてしまえと書いたあのたくらみの書簡を取り消すように、詔書を出してください」というものでした(8:5)

しかし、一度出された王命を取り消すことはできません。それで王は、「王妃エステルとユダヤ人モルデカイに」向かって、「あなたがたはユダヤ人についてあなたがたのよいと思うように、王の名で書き、王の指輪でそれに印を押しなさい。王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができないのだ」と言いました(8:7,8)。

それでモルデカイはアハシュエロス王の名で新たな命令を書きました。その内容は、「どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを許し、また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した」(8:11)というものでした。

先には、ペルシャ帝国内のすべての民に向かって、「すべてのユダヤ人を根絶やしにし・・・家財をかすめ奪え」という王命が出されていましたが、それを無効にするためにユダヤ人に徹底抗戦を許したばかりか、襲いかかって来た者の家族までをも根絶やしにし、家財もかすめ奪うことを許可したのです。つまり、ユダヤ人の自己防衛権をペルシャ王が保護し、それを応援するという姿勢を見せたのです。

 

国際政治で熱い戦争を防ぐために「抑止力」ということばが用いられます。たとえば北朝鮮は、何度も公に韓国の政権に鉄槌を下すと脅していますが、それを実行できないのは、韓国およびその同盟国アメリカの戦力が自分たちに勝っていることを知っているからです。

軍事力を持つことの最大の意義は、攻撃を退けること以前に、敵の攻撃の意欲をなくしてしまうことです。ミサイルの最大の存在意義は、攻撃力よりも抑止力にあります。

 

しかも、この王命には、具体的な日付が、「このことは、アハシュエロス王のすべての州において、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに行うようになっていた」と記されていました(8:12)。これは、ハマンがくじ(プル)て決めたユダヤ人絶滅計画の実行日に当たります。つまり、ユダヤ人にはいつでもどこでも、敵に復讐する権利が認められたのではなく、ユダヤ人絶滅計画の予定日に限って、復讐が認められたのです。

そして、「各州に法令として発布される文書の写しが、すべての民族に公示された。それはユダヤ人が、自分たちの敵に復讐するこの日の準備をするためであった(8:13)と記されますが、ユダヤ人がこの日に徹底的な防衛の権利を王から認められているのをすべての民が知ることによって、彼らはユダヤ人への攻撃を思いとどまりました。

 

この法令はシュシャンの城でも発布され」ましたが(8:14)、その後、「モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。するとシュシャンの町は喜びの声にあふれた。ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした」と描かれます(8:1517)

ユダヤ人はこのことを毎年覚えてプリムの祭りを祝いますが、その時期は過ぎ越しの祭りの一か月前です。それはカトリック教国におけるカーニバルに似ています。過ぎ越しの祭りには、祝い方の厳密なルールがありますが、この祭りは、心の奥底からの喜びを自由に表現する日、まさに、「光と、喜びと、楽しみと、栄誉」の日として祝われる日です。

 

そして、その結果が、「この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大ぜいいた。それは彼らがユダヤ人を恐れるようになったからである(8:17)と記されます。自分たちの立場を公にできるということは、神の民がこれからは堂々と礼拝のために集まり、神の民としての愛の交わりを自由に深めることができることを意味しました。

これ以降も、ユダヤ人は世界中で自分たちの共同体を築いてゆきますが、その原点がここに記されています。私たちも自分が神の民であることを互いに喜ぶ交わりを、この世に対して証することができます。私たちが特別な「神の民」であることを周りの人々も評価せざるを得なくなるということ、それこそ最大の伝道になります。

 

ペルシャ王アハシュエロスは暗愚な王ではありますが、当時の王権と神のご主権には似た面があります。神もすでに出されたご自身のことばを変えることはできません。神はご自身に逆らう者にのろいを下されると警告しておられました。また神はご自身が創造された世界を台無しにする者たちに「怒り」を発しておられます。

私たちは神の「怒り」と「のろい」を受けるのにふさわしい者でしたが、神は何とその怒りを、ご自身の御子をなだめのそなえものとすることでご自身でしずめてくださったのです。

イエスは私たちの身代わりに神ののろいをその身に引き受けられました。それによって、イエスに信頼する者は、「のろい」から「祝福」へと移されました。イエスを主と告白する者は、もはや神の怒りとのろいを恐れる必要はありません。エステル記での大逆転はそれを示唆しています。

 

モルデカイはイエスのひな型でもあります。ヘブル57節には、「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました」と記されますが、モルデカイもハマンの策略によりユダヤ人絶滅計画が王命として出されたとき、「着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真ん中に出て行った」(4:1)と記されていました。

彼は何かの具体的な計画を練ろうなどと考える前に、ひたすら泣き叫んだのです。

神はそれを聞き入れて状況を逆転させ、死ぬはずだったモルデカイを生かしたばかりか、彼を総理大臣の地位に引き上げました。それは神がイエスを死から救い出してご自身の右の座に着座させたことに通じます。

私たちは人々の前で強がる必要はありません。恐れや悲しみが迫ってきたときには、人から軽蔑されるほどに泣き叫んだら良いのです。ただ、それを神の御前ですることが何よりも大切です。神はすべて逆転させてくださるからです。

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