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2017年3月26日 (日)

ヨシュア記20-22章「神の平和をこの地に実現するために」

                                            2017326

   聖書で最も有名な言葉は、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬を向けなさい(マタイ3:39)かもしれません。ときに、このみことばが悪用されてクリスチャンホームの子供がいじめに遭うなどと聞いたことがあります。

しかし、これは当時の文脈では、ローマ軍に向かっての独立戦争を回避するための教えでした。現代的には、敵対する勢力がこちらを挑発して、戦いを引き起こそうと狙っているときに、その挑発に乗らないための教えです。逆に、こちらが明確に言い返さないことで、相手が図に乗っていじめを加速させるようなときには、断固として抗議することも必要です。

イエスは大祭司のしもべから平手打ちに合った時、「なぜ、わたしを打つのか」と抗議しました(ヨハネ18:22,23)。またパリサイ人たちの偽善を厳しく断罪し、宮清めの際には、両替人の台をひっくり返しました。

私たちにも、人を人とも思わない横暴な人に断固として立ち向かい、その悪を指摘すべき時があるのです。日本人は、しばしば、建設的な対決(Confrontation)が不得手で、徹底的に相手をやり込めるか、言うべきことを飲み込んでしまうかのどちらかになりがちです。

また同時に、感情的な衝突が生まれた際、「ほとぼり()が冷めるのを待つ」のも大切な知恵です。待つべきときと、対決すべきときを見極める知恵を、私たちは神に求めるべきでしょう。

 

1. のがれの町に与えられた責任

20章には「のがれの町」(2)を設定することが記され、改めて3節では、「あやまって、知らずに人を殺した殺人者が・・・血の復讐をする者(原文「血を贖う者」)から逃れる場所」と定義されます。

原文で、「血を贖う者」と記されるように、その目的は、殺人の血で汚された「土地を贖う」ことで、それは殺人者自身のいのちの血を流すことによるしかないからです(35:33)。また同時に、「除き去る」のは、「罪」である前に「血」であると記されます。主の相続地をきよく保つことが主題なのです。

しかも、「血を贖う」ことができたのは殺された者の近親者でした。しかし、殺意が全くないのに「木を切るために斧を振り上げ、その頭が柄から抜け、それが隣人に当たってその人が死んだ」(申命記19:5)などという場合、被害者家族が恨みを抱くのは当然としても、この過失加害者の血が流されないように保護する必要もあります。

 

これは最も古くは出エジプト211213節の記述から生まれています。そこでは、「人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。ただし、彼に殺意がなく、神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに彼の逃れる場所を指定しよう」と記されていました。

明確な過失であれ、律法には、殺人の罪を贖う方法はありません。それで、明らかな殺意がなかった場合の規定が必要になったのです。このことは民数記35章9-34節では「土地を贖う」という観点から記され、申命記19章1-10節では「罪のない者の血(原文:咎のない血)が流されることなく」という心の動機が問われていました。

 

なお、ヨルダン川の東には既にモーセの時に三つの町が取り分けられていました。それは「ルベンに属する高地の荒野にあるベツェル、ガド人に属するギルアデのラモテ、マナセ人に属するバシャンのゴランである(申命記4:43)と記されていました(ヨシュア20:8で再述)

そして、申命記1923節では、ヨルダン川の西側の「地域を三つに区分し」、「三つの町を取り分ける」ことが命じられ、89節では、主の道に従って、領土を広げることができたなら、「さらに三つの町を追加」するようにと命じられています。

 

出エジプト記、民数記、申命記と時代を追って記されてきたことが、ヨシュア記204節では、「人が、これらの町のひとつに逃げ込む場合、その者は、その町の入口に立ち、その町の長老たちに聞こえるように、そのわけを述べなさい。彼らは自分たちの町に彼を受け入れ、彼に一つの場所を与え、彼は、彼らとともに住む」(20:4)という具体的な手続きが命じられます。

同時に、「たとい、血の復讐をする者がその者を追って来ても、殺人者をその手に渡してはいけない(20:5)と、受け入れる町の保護責任が命じられます。亡命者の受け入れを国の責任とする思想はここに由来すると思われます。

 

最近は難民の受け入れが世界的に話題になっていますが、2013年の統計では米国が2万人余り、ドイツが1万人余りに対し、日本はたった11人でした。この数字は2015年にはドイツが44.2万人で断トツ一位に、米国が2位で17,3万人、3位はスウェーデンの15.6万人となっています。日本は2015年が27人、2016年が28人だったようです。

ドイツのメルケル首相は、かつてヒトラーによるユダヤ人排斥に対し命がけで戦った神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーを心から尊敬し、難民受け入れに積極的です。ただ、それは政治的には危険な賭けです。一方、トランプ政権の米国はこれを急激に減らそうとしています。しかし、日本の首相が難民問題について米国に何かの意見を言える立場にないことは明らかです。

 

なお、「会衆の前に立ってさばきを受けるまで(20:6)とは、加害者が無罪と宣告されて自分の町に住むことを可能にすることではなく、「逃げ込んだそののがれの町に返してやる(民数記35:25)ための手続きであり、彼は、「大祭司が死ぬまで、そこにいなければならない」のでした(民数記35:28)。これは、加害者が被害者家族の怒り狂っている町に住むことは危険ですから、当事者たちの間に距離と時間を置くという現実的な知恵とも解釈できます。

肉親の不条理な死を、加害者に何の責めも負わずに受け入れることは、心を麻痺させない限り不可能なことでしょう。しかし、そんな被害者の心情を満足させるために、悪意のなかった加害者を、結果だけを見て厳しく裁くのも不条理です。神は、その両者を同じようにあわれみ、「のがれの町」を与えてくださったのです。

そして、予期できない大祭司の死のみが、予期できなかった悲劇を解決する力を持ちました。同じように、今、私たちの大祭司イエスの死は、すべての罪を贖うばかりか、加害者と被害者を和解させることができます。しかし、それにしても、その具体的な和解が可能になるまで、過失による加害者を保護する共同体の存在が必要なことは今も昔も変わりありません。

 

   このような町は先に述べた東の三つに加え、ヨルダン川の西側の地にも新たに三つ設定されました(20:7)。それはガリラヤのケデシュ、エフライムのシェケム、ユダのヘブロンです。それらは豊かで大きな町であり、その富と力を生かして、自分たちとは無関係に起きた事件の処理に積極的に関わる責任を担わされたのです。

彼らは、自分たちの安全だけを守っていればよいわけではありませんでした。力がある分、イスラエルの支配地全体の正義を守るための負担を担う責任も課せられたのです。ただ、彼らは申命記199節にあったような「さらに三つの町を追加する」ことまでは進めませんでした。

 

私たちもこの世界の中で生きる中で、様々な人間関係の軋轢に直面し、人の恨みを買うことさえあるかも知れません。その際、キリストご自身が私たちの「のがれの町」です。主は、起きてしまった現実以前に、心の動機をやさしく見て、私たちを守ってくださいます。

そして、キリストの教会は、そのような人に居場所を提供する責任があるのではないでしょうか。それは、時に自分たちの平和を脅かすことかも知れませんが、神からの使命を回避して、祝福を受けることはできません

また、多くのキリスト者が、人間関係で傷つきながら教会を去って行きます。しかし、それがキリストご自身との交わりの失う契機にならないように、私たちはキリスト教会全体として、一人ひとりの居場所を守るという視点を持つべきでしょう。

 

最近、他の教会に属する方が、当教会の礼拝に集う中で、また当教会員との交わりの中で信仰が活性化され、母教会に使命感を持って帰ることができたという例が続きました。それは感謝なことです。

 

2. レビ族への放牧地の割り当てとイスラエルの平和

  21章はレビ族への住まいと家畜の放牧地の割り当てのことで、これは民数記351-8節で既に命じられていたことでした。レビ族は、「主ご自身が、彼らの相続地であり・・・主の御名によって奉仕に立つために・・・全部族の中から・・選ばれた」者たちでした(申命記18:2,5)

彼らの生活費は、「イスラエルのうちの十分の一をみな、相続財産として与える」(民数記18:21)ことによって満たされました。つまり、民全体が収入の十分の一を忠実に主に献げることで、レビ族が主への奉仕に専念することが可能になり、それによってイスラエル全体の主との交わりが正しく保たれるはずでした。

たとえば、ダビデ時代には奉仕可能な38,000人のレビ人が登録されていましたが、その4,000人もが、楽器を手にして主を賛美することに専念することができました(Ⅰ歴代誌23:5)これがうまく機能していたとき、イスラエルの国全体がまとまり、繁栄を享受できたのです。反対に、人間的な計算が優先されるようになると国が弱って行きました。

 

   なお、レビ族はそれぞれ家族を持ち、家畜を所有していましたから、その放牧地が必要になります。その割り当ての様子がこの21章に詳しく記されています。彼らは氏族ごとに、イスラエルの十二部族それぞれの相続地の中に点在するように放牧地が割り当てられました。

それは48箇所に及びましたが、それぞれは880m四方という狭いもので、しかも、六つの町は「のがれの町」と重なっています。そして、彼らは置かれた地で、イスラエルの民が主との交わりを正しく築けるように導く責任がありました。

 

   分配のための「くじ」はレビの三人の息子ゲルション、ケハテ、メラリ氏族ごとに行われました。祭司アロンの家系はケハテ族です(出エジプト6:16-20)。祭司アロンの子孫にはユダ、シメオン、ベニヤミンの相続地の中から13の町が割り当てられました(48-19)

そして、残りのケハテ族にはエフライム、ダン、マナセの西側の相続地の中から10の町が割り当てられました(520-26)。少なくともダンとマナセの地域は支配が確立していませんでした。

ゲルション族にはイッサカル、アシェル、ナフタリ、マナセの東側の相続地から13の町が割り当てられました(627-33)。この中でもイッサカルとアシェルは支配が確立していない町々でした。

メラリ族にはヨルダン川の東のルベン、ガドの相続地からとガリラヤ湖の西南にあるゼブルンの相続地から12の町が割り当てられました(734-40)。この場合もゼブルンの相続地は支配が確立していません。

これらを見ると祭司に割り当てられた地は比較的安定していたと思われますが、他の氏族に割り当てられた地は滅ぼすべき原住民との係争地がほとんどでした。

 

   つまり、レビ族の多くの割り当て地はカナンの偶像礼拝との対決が迫られている地だったのです。そしてレビ族の放牧地を占領し、軍事的に守るのは他の部族の責任でした。

一方、レビ族はイスラエルの信仰生活を守って導く責任がありました。この関係は現代の教職制度と信徒の関係につながります。

 

   このようにレビ人への放牧地の分配が決まった後で、「主(ウェ)は、彼らの先祖たちに誓ったように、周囲の者から守って、彼らに安住を許された。すべての敵の中で、ひとりも彼らの前に立ちはだかるものはいなかった(21:44)と記されます。

しかし、それは、イスラエルの民全体がヨシュアのもとで一致していたときに限ってのことでした。そして、彼らの平安の象徴は、生産活動に携わらないレビ人にも十分な放牧地を提供できているという現実にありました。

どの国でもどの共同体でも、内側から滅び始めると言われます。実際、どんな小さな国や共同体でも、その中に一致があるなら、独立を守り、繁栄を享受できます。イスラエルは歴史の中で繰り返し大きな苦難を体験していますが、それは常に、内側の腐敗と分裂から起こっています。

しかし、たとえば、エルサレムが主を恐れるヒゼキア王を中心に民がまとまっていたとき、圧倒的なアッシリヤ軍によって包囲されながらも、城壁が破られることはありませんでした。

 

   エルサレム初代教会も、ギリシャ語を使う信者がヘブル語を使う者たちに食料の配給で苦情を訴えた時、彼らは、分配の働きを、執事を選んで任せるとともに、十二使徒たちは「もっぱら祈りとみことばの奉仕に励む」という体制を作りました(使徒6:1-4

現代の教会も、主への賛美に多くの力が注がれ、牧師が「祈りとみことばの奉仕」に専念できるような体制が守られるなら、どんなに小さな群れでも、大きな力を持つことができます。しかし、一人ひとりが有能で敬虔でも、そこに共同体としての一致がないなら小さな働きしかできません。

また教会から世に遣わされる一人ひとりのキリスト者も、当時のレビ人のようにそれぞれ置かれている場で「地の塩、世の光」として生きるように召されているのではないでしょうか。  

 

3. 唯一の礼拝の場という原則を巡って

  土地の割り当てのことは13章から21章までで完了します。そして、22章にはヨルダン川の東西に分かれた部族の一致がテーマになっています。ルベン、ガド、マナセの半部族は、ヨルダン川の東側に相続地を与えられましたが、その際、彼らは他の十部族のために率先して戦うことが命じられていました(民数記32:16-27)

そして、今、彼らはその責任を果たし終え、家族の待つ地に帰ることが許されます。その際、ヨシュアは彼らに念を押すように、「あなたがたの神、主(ヤハウエ)を愛し、そのすべての道に歩み、その命令を守って、主にすがり、心を尽くし、精神を尽くして、主に仕えなさい」と命じます(22:5)


  ところが彼らが「カナンの地にあるヨルダン川のほとりの地に来たとき、そこ、ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた。それは大きくて、遠くから見える祭壇であった」と記されます(22:10)。それは、「イスラエル人に属する側」(22:11)、つまり、ヨルダン川西側の「ほとり」に築かれました。

それを聞いたイスラエルの残りの民は、契約の箱が置いてある「シロに集まり、彼らといくさをするために上って行こうとし」ます(22:12)。それは、約束の地に広がり住んだ後にも、唯一の礼拝の場を守ることが命じられていたからであり(申命記12:5,6)、これを看過することは神の民の存在基盤を揺るがすことだったからです。

 

ただし、戦う前に、イスラエルの十部族は祭司ピネハスを先頭に、十人の族長を派遣して事実を確認します(22:13,14)。ピネハスは民数記251-9節に記されていたバアル・ペオルの事件でモアブの娘たちに誘惑されて偶像礼拝に加担したイスラエル人を串刺しにして、神のねたみを自分のねたみとしたと称賛された祭司です。2217節でもその際の神罰のことが言及されますが、そこでは24,000人が命を落としました。

ピネハスたちはそれを思い起こさせながら、「私たちの神、主(ヤハウェ)の祭壇のほかに、自分たちの祭壇を築いて、主(ヤハウェ)に反逆してはならない」(22:19)と言います。

そればかりかアカンが聖絶のものを盗んだ事件までも引き合いに、「イスラエルの全会衆の上に御怒りが下った(22:20)と迫ります。

申命記12章に明確に命じられていたように、約束の地における礼拝の場は、神の幕屋がある唯一の場所だけで、どんなに遠くに住んでいる部族も、そこにまで旅をして、いけにえをささげる必要がありました。そして礼拝の場が一つであることによって、イスラエルの民全体の一致が守られるはずでした。

 

それに対し東の三部族は、「神々の神、ヤハウェ、神々の神ヤハウェ、この方はご存知です」と、ヤハウェの御名を最上級で呼びつつ、この祭壇は主へのいけにえをささげる場ではないことを弁明します(22:23)

そして、その動機を、彼らがヨルダン川の東側に渡るに当たって、「後になって」自分たちの子らが、西側のイスラエルの子らから、「あなたがたと、イスラエルの神、主(ヤハウェ)と何の関係があるのか。主(ヤハウェ)はヨルダン川を、私たちとあなたがた、ルベン族とガド族との間の境界とされた。あなたがたは主(ヤハウェ)の中に分け前を持っていない(22:24,25)と言われることを恐れたからであると述べます。

 

彼らは自分たちの家族を東側において危険にさらし、自分たちも命をかけてイスラエル全体のために戦いましたが、それにも関わらず、自分たちの子供の世代になると、イスラエルの民から異邦人のように扱われてしまうことを恐れたのです。何とも痛々しい姿です。これは、結束して戦っていたはずの民族の一致がいかに壊れ易いかを示すものでもありました。

それで、彼らは、全焼のいけにえをイスラエルの中央聖所でのみささげることを覚える「(ヤハウエ)の祭壇の型(模型)」を建設したというのです。しかもそれをヨルダン川の西側のほとりに建てることによって、西側のはるか向こうに本物がイスラエルのただ中にあるということをルベンガド族が覚えることができるための記念碑的なものだというのです。

 

祭司ピネハスと族長たちはその説明を聞いて、「それに満足した」、また、イスラエル人もその報告を聞いて「これに満足した」と重ねて記されます(22:30,33)

その結果がさらに、「それでルベン族とガド族は、その祭壇を『まことにこれは、私たちの間で、主(ヤハウェ)が神であるという証拠だ』と呼んだ」と記されます(22:34)

皮肉にも、一致を望んだ祭壇が、分裂の契機になりかけたのですが、彼らは真正面から向き合い、心の内の恐れを聞き、主への愛の動機を聞くことで初めて互いの一致を確認できたのです。

 

これは推測ですが、ルベン族やガド族は、このような祭壇を建てることが、イスラエルの他の部族の怒りを買うことを知った上で、このような行動を取ったとも言えそうに思います。そうでなければイスラエルは川向こうの民の痛みを不安を永遠に知らないままだったかもしれません。

私たちもときに、人の怒りを買ってでも、自分たちの不安や恐れを表現し、互いの一致を確認する必要があるかもしれません。言うべきことを言えないまま、疑心暗鬼が募り、互いの溝が深くなるということこそサタンの思うつぼです。

 

今は、キリストが贖いのみわざを完成し、いけにえを不要にされたので、いつでもどこでも、ともに主を礼拝することができ、教会が全世界に広がりました。

そして、私たちは組織的には分かれていても、同じ聖書を土台にすることによって霊的な一致を保ち、サタンとこの世の力に打ち勝つことができます。

 

しかし、聖書の権威とか救いの根本に関わることで異論が生じたときには、うやむやにしてはなりません。「戦うのに時があり、和睦するのに時がある」(伝道者3:8)とあるように、戦いを恐れずに直面すべき時があるのです。

本音を曖昧にした見せかけの一致は、かえって決定的な分裂の種になります。

 

どんな共同体も、崩れるのは、外からの迫害ではなく、内側の分裂から始まります。その際、当時のイスラエルが契約の箱を前にした礼拝で一致していたように、その存立の根本に関わる原則での安易な妥協は許されません。

しかし同時に、不完全な者同士があつまる場で対立関係が生まれたとき、地上の教会が互いに「のがれの町」として機能することも必要でしょう。感情を無視した和解を作り出すよりも、距離を保ち、時間をかけて、主のみわざを待つ機会を作るのです。

ただ、それらすべてを通して、神は私たちを用いて、ご自身の平和をこの地に実現しようとしておられることを心に刻みたいと思います。その平和とは、見せかけの平和ではなく、互いの気持ちを真に受け止めあったうえでの真の平和です。

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2017年3月19日 (日)

ヨシュア記12-19章「神から与えられた責任を果たす喜び」

                                          2017319

   私は以前、もっと普通の人間でありたいと思っていた時期があります。しかし、村上春樹の小説の中に、「私は普通の人間ですと自己申告するような人間を信用してはいけない」と引用されている言葉を見て、笑ってしまいました。それは、「たとえ凡庸であっても、代わりはきかない」という意味のようです。

私たちは一人ひとり何らかの責任を果たすために生かされています。「私の代わりは誰でもできる」と思う人々によってこの世界から愛が冷めて行きます。

蝋燭は、自分の身を削りながら、回りを照らします。その生き方に人生の美しさと喜びが生まれます。そのような機会から目を背けると寂しい人生になります。

 

1. 主に従い最良の地を受け継いだカレブ

  エジプトの奴隷に過ぎなかったイスラエルの民は、今、ヨシュアに導かれ、「乳と蜜の流れる地」(出エジ3:8)、つまり、適度な雨さえ降れば豊かな収穫が保証された肥沃な地を占領しつつありました。

「その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち・・」(民数記13:28)と描かれていましたが、彼らは四十年間の荒野の生活を通して、主に信頼することを学び、先住民に次々と勝利を収めることができました。

 

12章は6章から続く、約束の地の占領の物語のまとめに相当します。1-6節では、ヨルダン川の東側の地の占領が描かれますが、これは民数記21章、32章などの繰り返しです。その地は、南はアルノン川から北はヘルモン山まで、ルベン族、ガド族、マナセの半部族とに既に分割されていました。

そして7-24節では6章以降の戦いを振り返るように、ヨルダン川の西側にある31の主要な都市国家の王が滅ぼされたことが描かれます。これを聞く人は、主がヨシュアに、「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない・・・わたしはあなたを見放さず・・見捨てない(1:5)と言われた言葉の真実を味わうことができました。

そして新約でもこの原則は同じです。使徒パウロはローマ人への手紙831節では、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」と記しています。

 

13章では、ヨシュアが老人になっている中で、「まだ占領すべき地がたくさん残っている」(1)と言われます。それは第一に、地中海沿い南部のペリシテ人の地です(23)。また2節の「ゲシュル人の全土」とはガリラヤ湖の北東の地域だと思われます。

4-6節の占領すべき「残りの地」とは、ヘルモン山の北、現在のレバノンからシリヤ南部の広大な地域だと思われます(民数記34:7-9)。かつて主はアブラハムの子孫への約束の地を「エジプトの川からあの大川、ユーフラテス川まで(15:18)言っておられたからです。

さらに主は、「わたしは彼らをイスラエル人の前から追い払おう(13:6)と言われます。イスラエルがそれを信じさえしたら、その地をすべて支配できたはずです。

そして主は今、ヨシュアに、「その地をイスラエルに相続地としてくじで分けよ・・九つの部族とマナセの半部族とに」(13:6,7)と命じます。それはそれぞれの土地を割り当てられた部族がその地を占領する責任を担うためでした。その際、神が「くじ」を用いられるのは、土地の分配が、神ご自身のみこころによってなされることを明らかにするためでした。

 

   14613節は、特別にユダ族の代表であるカレブの相続地のことが記されます。それは45年前に主が、「カレブは・・わたしに従い通したので・・彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有する」(民数記14:24)と約束されたからです。

そのとき彼は12人の斥候の一人として約束の地を偵察し、ヨシュアとともに、主が私たちとともにおられる・・彼らを恐れてはならない」と主張しました。しかし、全会衆はそれを信じず、ふたりを石で打ち殺そうとしました(民数記14:9)。そのため彼らふたりを除く成人は、40年間の荒野の生活で死に絶えます。

1011節ではそのことを振り返りながら、カレブは、「今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。しかも・・・今も壮健です」と述べます。これは、主がご自身に忠実な者のいのちと健康を守り通すことができることを現しています。

ときに米国の福音派の教会では、この世の成功を私たちの忠実さに対する神からの報酬と短絡的に考える傾向があったようです。それも確かに危険な発想ではありますが、その反対に、真実な信仰者に対する主の報酬がこの地であり得ることを忘れてもなりません。

 

カレブはその上で、「どうか今、主(ヤハウェ)があの日に約束されたこの山地を私に与えてください」と大胆に願います(14:12)そして続けて、かつては不可能と思われたことが可能になることを、「そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。(ヤハウェ)が私とともにいてくだされば、主(ヤハウェ)が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう」と言います。

彼に割り当てられたのは、アブラハムの墓があるヘブロンですが(創世記23:2925:10)、そこは以前、「アナク人の中の最も偉大な人物」の名を持つ強大な町でした。しかし、彼は征服に成功し、「その地に戦争はやんだ」(14:15)のです。

 

   その上で、「ユダの諸氏族が、くじで割り当てられた地は・・」(15:1)と、その「境界線」が詳しく記されます。それは、約束の地の南端に位置します。それは「塩の海」の南端から、かつてイスラエルが侵入を諦めたカデシュ・バルネアの南を経て、エジプト川に至ります(15:2-4)。この川は、先に述べたアブラハムへの約束の「エジプトの川」のことだと思われます。

そして、北の境界線は「塩の海」の北の入り江から北に向かいヨルダン川を渡ってイスラエルの最初の基地ギルガルの南からエルサレムに至り、そこから西に向かう地域です(15:7,8)。それは驚くほど広大な地域でした。

なお、15:1-12には「境界線」(バウンダリー)という言葉が21回も用いられます。それは、主が、その地の先住民を追い出し、神の民がその地を完全に治めるはずの領域です。主は、今、約束の地に、エデンの園にあった祝福を回復させたいと願っておられます。ですから、彼らには、どんなに強い敵がいても、「恐れ退く」ことなく(ヘブル10:39)「足の裏で」(1:3)、その地を「踏み行く」(14:9)ことが求められます。

そして勇士の代表カレブは怖じることなく、彼らを「追い払い」南のデビルを攻略する者に自分の娘を与えると約束してまで前進を続けます(15:13-19)

 

その上で、「ユダ部族の諸氏族の相続地は次の通り」(15:20)と述べられた上で、具体的な町の名が描かれます。その諸氏族は、カレブに習ってその地を「踏み行く」べきはずでした。彼らは、氏族ごとに、その地を治めるという責任を、神の前に負っていたのです。

ただし、最後に、「ユダ族は、エルサレムの住民エブス人を追い払うことができなかった」(15:63)と描かれます。それは彼らの不信仰のためでした。

 

私たちにも、主から与えられた境界線、責任領域があり、臆することなく、主から遣わされた大使としての誇りを持って、そこに「踏み行く」ように命じられます。主がともにいてくださるなら不可能と思えた責任も果たすことができます。「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は・・・それを完成してくださることを私は堅く信じている(ピリピ1:6)とパウロが告白した通りです。神が「完成させてくださる」というのに、途中で諦めることこそ不信仰です

ただ、人の評価を恐れた虚栄心から、主から与えられた責任以上のものを背負ってしまう時、主がそれを成功させてくださるとは限らないということも忘れてはなりません。

 

2. 自分たちに与えられた責任を自覚していなかったヨセフ族

   1617章にはヨセフ族への土地の割り当てのことが記されます。彼らには約束の地の中心部分、南はエリコやベテル、北はイズレエルの谷に至る地が割り当てられ、中心にエバル山とゲリジム山、その間の町シェケムがありました。ほぼそこを境に南部はエフライム、北はマナセに割り当てられました。ヨシュアはエフライム族の出身です。

ただ、そこでも、彼らはゲゼルに住むカナン人を追い払わなかったので、カナン人はエフライムの中に住んでいた」(16:10)と記されます。彼らの支配は不徹底なままでした。

 

マナセ族に関しては既にヨルダン川の東側の北のギルアデとその北ガリラヤ湖の東北部に広がるバシャンの地が与えられていました。171節では、「マナセの長子で、ギルアデの父であるマキルは戦士であったので、ギルアデとバシャンは彼のものとなった」と記されています。

これは民数記3239-42節で、「マキルの子らはギルアデに行って攻めとり、そこにいたエモリ人を追い出した…マナセの子ヤイルは行って、彼らの村々を攻め取り・・・ノバフは行って、ケナテとそれに属する村落を攻め取り」と記されているように、モーセの時代にマナセ族が自力で切り開いた占領地であったことを指しているのだと思われます。

しかし、マナセの他の六つの諸氏族には相続地がまだありませんでした。しかも、ヘフェルの子ツェロフハデには息子がなく、特例によって五人の娘にも相続地が与えられたという経緯もあり17:3,4、参照民数記27:1-1136章)ヘフェルを除く5氏族と五人の娘で「十の割り当て地」がヨルダン川の西側に割り当てられました(17:5)

結果的にマナセ族はユダ族に並ぶ広大な地域を割り当てられることになりました。それはマナセの子らの戦士としての勇気と、ツェロフハデの娘たちの信仰の結果と言えます。

ただ、それにも関わらず、ここでも、「しかしマナセ族は、これらの町を占領することはできなかった。カナン人はこの土地に住みとおした」(17:12)という占領地支配の不徹底のことが描かれています。

  

ところが、最良の地を与えられたはずのヨセフの子の二部族は合わさって、相続地の不足を訴えます(17:14)。このとき、「エフライムの山地」(17:15)は既に支配下にありましたが、その周辺と思われる「ペリジ人やレファイム人の地の」はまだまだ切り開く余地がありました。

それに対し、ヨセフ族はさらに「山地は私どもには十分ではありません。それに、谷間の地に住んでいるカナン人も…鉄の戦車を持っています」と答えました。この谷間の地とは、ガリラヤ湖の南30㎞近くに広がるベテ・シェアンからその西のイズレエルの谷、カルメル山に至る肥沃な地で、その住民は強力な敵となりました。

ヨセフ族は「数の多い民」であるから、実質的な割り当て地が狭過ぎると主張したのですが、それに対しヨシュアはそれを逆手にとって、「あなたは数の多い民で、大きな力を持っている・・・・それが森であっても、切り開いて・・・あなたのものとしなければならない。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いのだからあなたは彼らを追い払わなければならないのだ」(17:17,18)と、責任をもって占領地を広げるよう促しました。

 

昔、ヨセフは、ヤコブ(イスラエル)の十人の兄のねたみを買って、奴隷に売られましたが、エジプトで総理大臣の地位にまで上げられ、家族を飢饉から救いました。そして、イスラエルの民は、モーセに導かれてエジプトを出るとき、「ヨセフの遺骸を携えて来た」(出エジ13:19)ほどでした。それで、ヨセフの子の二部族は特権意識を抱いていたのだと思われます。

しかし、イエスは、「すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます」(ルカ12:48)と言われました。私たちの場合も、それぞれ、能力や生まれ育った環境の差は歴然としているほどですが、多く与えられた者は、より多くの責任を果たすことによって初めて、神の前での平等が実現します。特権意識だけで責任を忘れた者は、神から裁かれます。実際、このヨセフ族の支配地は、後にサマリヤとして忌み嫌われるまでに没落しました。

 

神はそれぞれに異なった賜物を与えておられます。「神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」(Ⅰペテロ4:10)とあるように、それは人に仕える手段に過ぎません。しかも、目的どおりに用いられない賜物は、人と自分の価値を比較する基準として作用し、その所有者の心を苛みます

実際、「劣等感」という心理学用語を広めたアドラーは、健全な方向性を見失った劣等感、歪んだ優越性の目標こそ、あらゆる神経症の原因であると言いました(乱暴な見解ですが・・)

 

3. 割り当ての終わった地に遣わされ、占領する責任

   18章初めには、「イスラエル人の全会衆はシロに集まり、そこに会見の天幕を建てた」と記されますが、「シロ」はシェケムとベテルの中間にあるエフライム山地の中心です。

そして残る七つの部族には、「ヨシュアはシロで主の前に、彼らのため、くじを引いた」(18:10)ことで割り当て地が決められました。

 

まず最初に、ベニヤミンの相続地がユダとエフライムの間に与えられます。ベニヤミン族はこのときエフライムよりは大きな勢力になっていましたが、割り当てられた土地はエフライムよりもずっと狭く、微妙な位置です。特にエルサレムはベニヤミンとユダの双方に割り当てられましたが、そこは、数百年を経たダビデの時代に初めて占領されます。また、北のベテルはエフライムの相続地と重なります。

しかし、ベニヤミンの地こそ、イスラエルがカナンに入って来たときの最初の支配地で、中心地とも言えます。

 

シメオンは最小部族となっており、ユダ族の相続地の中の南の部分から取られて、割り当て地が与えられました。その中心はアブラハム以来のイスラエルの民の大切な町ベエル・シェバです。199節には、「それは、ユダ族の割り当て地が彼らには広すぎたので、シメオン族は彼らの相続地の中に割り当て地を持ったのである」と記されますが、これはとっても寂しい気がします。

しかし、割り当て地の約束を受けることと、実際に支配することは決定的に違います。彼らに与えられた責任は大きかったのです。

 

1910-16節には、ゼブルン族への割り当て地が記されますが、それはガリラヤ湖南東のタボル山の西に広がる地域です。彼らはマナセ族よりも大きな勢力でしたが、その地域はずっと狭く感じられます。しかし、後の救い主イエスは、その中心の町ナザレで育つことになります。

17-23節にはイッサカル族の割り当て地が記されます。彼らもゼブルン族より若干大きな勢力でしたが、与えられた地はゼブルンの南、またマナセの北の狭い地域でした。しかし、そこには、マナセにも征服が命じられたイズレエルの谷を含むガリラヤ湖の南の最も肥沃な土地がありました。

24-31節にはアシェル族への割り当て地が記されます。それはカルメル山から北の地中海沿いの土地で、そこには地中海貿易で繁栄したツロもその中にありました。人間的には、とうてい勝ち目のない強敵と言えます。

また32-39節には、ナフタリ族に割り当てられた地が描かれます。それはガリラヤ湖西岸の肥沃な地とその北に広がる山岳地帯でそれはレバノン山脈に至ります。

このナフタリアシェルの地は、神の約束によればユーフラテス川の近くまで支配を広げられる余地がありました。それこそ占領すべき残りの地の代表でした。

 

194048節にはダン族の割り当て地が描かれます。この部族は、ユダ族に続く大きな勢力ですが、その描写には不思議に領地の範囲を示す「境界線」ということばが登場しません。ここに記された町は、ベニヤミンとエフライムの西の地中海にまで広がる地域で、南はユダに接します。

後にダン族からサムソンが生まれますが、その地域は実質的にはペリシテ人の勢力下でした。それで47節にはダンがヘルモン山の南西部の土地を切り取って支配地としたことが記されています。

最後に、ヨシュアがエフライムの中にひとつの割り当て地を受け(19:50)「こうして彼らは、この地の割り当てを終わった」(19:51)とまとめられます。

ただそれらの地域がそれぞれの占領地となるためには、その地の原住民を追い払う必要がありました。彼らは、主に信頼して、割り当て地に強大な敵がいようとも前進する必要がありました。

 

   主はモーセを通してイスラエルの民に、「あなたがたは、氏族ごとに、くじを引いて、その地を相続地としなさい。大きい部族には、その相続地を多くし、小さい部族にはその相続地を少なくしなければならない。くじが当たったその場所が、その部族のものとなる(民数記33:54)と言われました。

しかし、実際に割り当てられた地を見ると、どうしてもこれは不公平としか思えません。しかも、一番の良い地を受けた部族が苦情を言っているのは何とも不思議です。ユダに続く多い部族であったダン、イッサカル、ゼブルン族などは、広がりようのない地を割り当てられたようにしか思えません。

しかし、誰もが忘れそうなヤコブの十番目の息子ゼブルンの割り当ての地にある小さな町ナザレから救い主イエスが登場します。しかも、それは預言者イザヤが預言したことでもありました(イザヤ9:1)神の割り当ての地は、人には常に不公平に見えるものなのでしょう。ときに神のみこころは、人には公平と見えないという現実があるのです。

 

それは、ときに人が、自分の親や出生地に不満を持つのと同じです。しかし、「測り綱は、私の好む地に落ちた・・・私への、すばらしいゆずりの地だ」と告白できる人の人生を、神は確かに祝福してくださり、そこには「喜びが満ち…楽しみがとこしえにある」と告白できるようになります(詩篇16:611)

 

 私たちにも、神から与えられた割り当ての地、つまり、果たすべき責任があります。ヨシュアの時代は、その地を切り取りましたが、私たちは、遣わされた地に、神のことばによって神の平和を実現します。イエスは、弟子たちに「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから」と述べられながら、「あなたがたは地の塩です・・あなたがたは世界の光です」と断言してくださいました(マタイ5:8,13,14)

また、イエスは復活の後、「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わしますと言われ、彼らに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と言われ、「あなたがたが誰かの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます」と約束されました(ヨハネ20:21-23)。それは争いではなく、和解の福音です。

 

  ヨシュアと私たちの時代には、決定的な違いがあるように見えますが、そこには、この地に「神の国」を実現するという同じ目的があります。しかも、あなたが遣わされる地は、楽園である以前に、管理を任された地、与えられた賜物を生かす働きの場です。

あなたの前には圧倒的なこの世の勢力がありますが、「恐れ、おののく」必要はありません。それは、あなたの神、主(ヤハウェ)が、あなたの行く所、どこにでも、あなたとともにある(1:9)からです。それはあなたの職場であり、あなたの家族であり、あなたが住む地域です。

私たちは、この礼拝の場から、それぞれの地に、キリストの大使として遣わされるのです。確かに、心が萎えてしまうときもあります。しかし、自分で自分を元気づけようとする代わりに、神の御前に遜って助けを求めるなら、神は、ちょうど良い時に、私を高く (God raise me up) してくださいます(Ⅰペテロ5:6)

 

   私たちはみな心の底で、「わたしの目には、あなたは高価で尊い(イザヤ43:4)と言われることを望んでいます。だからこそ、人から無視されると深く傷つきます。

しかし、そこには同時に、「あなたにしかできない働きがある」という逃げ出せない責任があることも忘れてはなりません。誇りと責任は表裏一体です。生まれ育つ環境を、人は選ぶことができませんが、そこでどのように生きるかを主は問うておられます。

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2017年3月 5日 (日)

ヨシュア記10,11章「神の戦いの昔と今…小羊の王国」

  201735

   詩篇46篇で、「万軍の主(ヤハウェ)はわれらとともにおられる」と繰り返されますが、それがどれほど大きな恵みかを忘れがちかもしれません。それは、地のどんな富、権力、軍隊も、神の御前には吹けば飛ぶような存在であることを意味します。神の敵がどれほど協力して、神の民に襲いかかって来ても、敵がまとまってくれていること自体が、戦いを短時間で終わらせる恵みの機会となっています。

ヨシュアに導かれたイスラエルの民がカナンの地の全土を支配できるようになったのは、たった二回の南と北の都市国家連合に圧倒的な勝利を得られたからです。神の敵がまとまって神の民に攻撃をしかけて来るときがあっても、それは「万軍の主」の勝利を見させていただくことができる絶好の機会に過ぎません。

私たちに求められているのは、ただ、主の前に遜って、主にすがり続けることです。勝利は確実だからです。

                                           

1.「主(ヤハウェ)が、イスラエルのために戦ったから」

エリコアイの戦いの勝利は、対照的なようで、主ご自身の細かな戦略を与えているという共通点がありました。

その後、イスラエルは約束の地の中心エバル山とゲリジム山に立ち、「祝福とのろい」のことばを改めて聞きました8:30-35。その核心は、「主を愛し、御声を聞き、主にすがる」ことで約束の地で繁栄できるというものでした(申命記30:16,20)

そして、9章では、ギブオンの住民たちがヨシュアを欺いて盟約を結んだことが描かれています。彼らは自分たちが約束の地の外にいる住民であるかのように装ったのですが、実際は、彼らの町はアイから南南西に10km程度の近距離にありました。このとき、彼らは「主(ウェ)の指示をあおがなかった」(9:14)ために先住民との妥協という問題の種を蒔くことになりました。

 

そして、エルサレムは、その南南東10kmぐらいの近くにありましたから、その王アドニ・ツェデクはこの盟約を聞いて「大いに恐れ」ました(10:2)。それは、「ギブオンが大きな町で・・そこの人々はみな勇士たち」だったからです。それで彼は、南のヘブロンや南西の三つの町との五王国連合を組み、ギブオンを攻撃し、その町を自分たちの防衛線にしようと計画しました。

ヘブロンはエルサレムの南約30㎞、ヤルムテはエルサレムの西南西約30㎞、ラキッシュはヤルムテの南南西約20㎞、エグロンの位置は定かではありませんが、ラキッシュの南東10㎞、ヘブロンの西南西20㎞程度の地にあると思われます。これらすべての町はギブオンの南側にありエルサレム以外の町は、30㎞から50㎞程度の距離にありました。

 

そこで、「ギブオンの人々は、ギルガルの陣営のヨシュアのところに使いをやって」、「あなたのしもべどもから・・手を引かないで、早く・・上って来て私たちを救い、助けてください。山地に住むエモリ人の王たちがみな集まって、私たちに向かっているからです」と言いました(10:6)

ギブオンの人々は自分たちをヨシュアの「しもべ」として位置付けながらすがって来ていますが、人間的に考えるなら一挙に五つの王国を相手にするなど無謀極まりません。しかも、ヨシュアのいたギルガルはギブオンから約30kmも東にあり、救援が間に合うかどうかも不明です。それに対して、ヨシュアは、躊躇することなく、「すべての戦う民と、すべての勇士たちとを率いて、ギルガルから上って行った」と記されます(10:7)。もともとギルガルとの盟約は、騙されて結んだものでしたが、ヨシュアはあくまでも「盟約」に忠実であろうとしました

 

このとき、主(ウェ)は彼に、「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない」(10:8)と励まします。この連合軍の勢力は、それまでと比較にならないほど強力だからです。

彼は、「夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲い」(10:9)ます。その際、「主(ウェ)は彼らをイスラエルの前でかき乱し」(10:10)、とあるように主ご自身が直接に御手を指しのべ敵軍を混乱に陥れます。

そして、「イスラエルはギブオンで彼らを打ち殺し」と敵軍を撃破したばかりか、その西7㎞ぐらいにある「ベテ・ホルンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダまで行って彼らを打った」と記されます。アゼカはヤルムテのすぐ西、マケダはエグロンの北5㎞ぐらいの場所だと思われ、西に20㎞、その後南に50㎞ぐらいの距離を一挙に追い落としたことになります。

その際、主はギベオンから西に10㎞あまりの「ベテ・ホロンの下り坂で」、「主(ウエ)は天からの・・大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった(10:11)と描かれます。

 

興味深いのは、ヨシュアが動き出したとき、主は「恐れてはならない」と励まし、また、急襲した時。敵の陣営を「かき乱し」、追跡しているとき「石を降らした」ということです。盟約を結んでいた以上、ヨシュアはギブオンを助けざるを得ませんでした。

私たちの人生にも損得勘定を越えて行動しなければならないことがあります。そのとき、主は不思議な形で私たちを助けてくださいますが、それは実際に動き出して見るまでは分からないことです。

 

そればかりかヨシュアはそこで、主(ヤハウェ)に向かって、「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で」と、彼の途方もないことを願います。これは三千数百年前のヨシュアが地球は丸いことも、地球が太陽の周りを回っているという天文学の基礎知識もなかったために願えたことですが、不思議なのは、それに応じて、「民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった」(10:13)、「日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出てくる(入る)のを急がなかった」と記されていることです。

私たちは常識にとらわれているため大胆なことを願うことができなくなっているのかもしれません。しかし、「神は仰せられた。『光があれ』。すると光があった(創世記1:3)を初めとする天地創造の不思議を誰が科学的に説明できるでしょう。

確かに、「神はご自分が定めた物理の法則をご自分で崩すことはないはず・・・」と言う見方もできますが、それも人間的な推論に過ぎません。無から光、また全宇宙を創造したということの不思議を思う時に、「神にとって不可能なことは一つありませんと御使いガブリエルが聖母マリヤに語ったことばの意味がわかります(ルカ1:37)。人間的な常識に囚われて、祈りが小さくなってはいけません。

 

しかも、「主(ウェ)が人の声を聞き入れられたこのような日は、先にもあとにもなかった」(10:14)とあるように、これは一度限りの奇跡でした。多くの人は、神を自然法則の中で働く方のように小さくとらえますが(理神論)、神はすべての上におられる方です。

ただし、人の理性をも創造された方は、理解不能な奇跡ばかりを行なうことを躊躇されるという現実もありましょう。これは、地球と太陽の関係が知られていなかった時代だから、神が敢えて起こした奇跡とも言えましょう。

しかも、これはヨシュア自身がまず、既に結んだ異邦人との「盟約」に忠実に行動したという中で起きたことです。自分でリスクを取ろうともせず、自分の身の安全ばかりを願う人がこのようなことを願っても何も起きはしないことでしょう。

そして、ここで何よりも大切なことは、(ウェ)がイスラエルのために戦った(10:14)という点です。今も、その同じ全能の主は、あなたのために戦ってくださいます。私たちにも、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ8:31)と言われています。それを前提に、「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい(マタイ5:39)と言われます。勝利が約束されているから、そうできるのです。

 

2. 神のさばきの器としての戦い

 「ヨシュアは、全イスラエルを率いてギルガルの陣営に引き上げた」(10:1543)とは、彼らが無傷のまま、神の幕屋が置かれら場に整然と戻った様子を表現したものです。ただ21節ではヨシュアはマケダの陣営にいると描かれていますから、15節は時間的な順序を現した表現ではないと思われます。

とにかく、ヨシュアの猛攻によって、五人の王たちは逃げて、マケダのほら穴に隠れ」ました(10:16)マケダの位置には異論がありますが、10節で述べたようにエグロンのすぐ北、ヘブロンの西10㎞余りと考える方が全体の流れに合うように思われます。

興味深いのは、ヨシュアはそのことを聞くと、まず「ほら穴の口に大きな石をころがし」て、王たち閉じ込め(10:18)、「敵のあとを追い…彼らを絶ち滅ぼし、ついに全滅させた」(10:19,20)と描かれていることです。王たちはそろって自分の身の安全を求め、その間に、部下たちが皆殺しにされるというのは、敵の混乱を如実に描いたものです。これが負け戦の典型とも言えます。

 

その後、ヨシュアは五人の王たちを捕え、イスラエルのすべての人々の前で、戦士たちに「王たちの首に足をかけ」(10:24)させます。これは当時、敵を圧倒したことの象徴的な動作ですが、それは詩篇1101節でダビデが、「(ヤハウェ)は私の主に仰せられる。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右に着いていよ』」と歌っていることにも現されています。

その後、五人の王は殺された上で、「木にかけ」られ、さらし者にされます。それは、彼らが神ののろいを受けてさばかれたことを知らせるためです(10:26、参照申命記21:22,23)。これはらは今から三千数百年前の常識的な風習でした。

 

しかし、イエスはそれを逆転されました。私たちの王である方ご自身が、私たちが受けるべきのろいをその身に引き受け、「木にかけられ」、「のろわれた者」となってくださいました(ガラテヤ3:13)。ここに描かれた卑怯な王たちと何と対照的なことでしょう。

しかもイエスは十字架の上で、ご自身を十字架にかけた人たちのために、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているか自分で分からないのです(ルカ23:34)と祈ってくださいました。私たちはその例にならって、今は、「迫害する者を・・祝福すべきであって、のろってはいけません」(ローマ12:14と命じられています。

当時の常識が残虐に見えるのは、主がいのちがけで真の愛を教えてくださった結果です。歴史の流れとともに啓示された過程を忘れてはなりません。

 

その後、ヨシュアは、この後、イスラエル南部の主要都市の掃討作戦を展開します。ここには最大の敵エルサレムを除いた、その南西部に広がる七つの町を絶滅したことが記されています。

それらすべてにおいて、「その中にいたすべての者を聖絶し、ひとりも生き残るものがないようにした」とか、「その中のすべての者を、剣の刃で打ち、その中にひとりも生き残る者がないようにした」と繰り返され、最後に、「息のあるものはみな聖絶した。イスラエルの神、主(ウェ)が命じられたとおりであった」とまとめられます(10:28-40)

何とも複雑な、やり切れない気持ちになりますが、それは、主がその七百年以上前にアブラハムに語っていたご計画の成就でした。主は罪に満ちたソドムとゴモラを硫黄の火で焼かれましたが、それに先立って、「エモリ人の咎が・・満ちる」(創世記15:16)のを待つ、と言っておられたのです。

つまり、主は、カナンに増え広がる罪に、忍耐に忍耐を重ね、その地にアブラハムの子孫によって「神の国」を建てようとの遠大な計画によって、イスラエルにこの地の民の聖絶を命じておられたのです。それは、さばきの執行者であるイスラエル自身も、神を恐れることを心から学ぶことができるためでした。

 

私たちも、自分の罪がどれほどに神のみこころを痛めているかを知るべきです。使徒ペテロはこの世界の完成の前の状況を、「今の天と地は・・・火で焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びの日まで保たれている」(Ⅱペテロ3:7)と描いています。

そして、その日が遅いと思われるのは、「主は・・ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」からです(3:9)。神は人々をご自身に立ち返らせるために、御子をこの世に送ってくださいました。御子の十字架は、私たちの罪がどれほどに解決困難な問題かを示しています。

私たちは自分に害を及ぼす悪に関してはたちどころに滅ぼされることを願いがちですが、悪を罰する者自身が、なお大きな悪となってしまうのが人間の歴史です。実際、この後、イスラエルは「神の敵」となってしまい、神の救いのご計画に反抗しました。イエスの十字架には、聖なる神の罪への怒りと、罪人への深いあわれみが交差しています。

 

3. 海辺の砂のように多い敵との戦い

その後、ガリラヤ湖の北15㎞余りにあるハツォルの王ヤビンは、カナンの南でのイスラエルの戦いのことを聞いて、恐れにとらわれ、ガリラヤ湖の南から地中海に至る都市国家の王たち、そして北はヘルモン山のふもとのヒビ人にまで広がる連合を訴えます。ハツォルは当時のカナン全域で最大の町であったとも言われます。

そしてその結果が、「それで彼らは、その陣営を率いて出てきた。その人数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多かった」(11:4)と描かれます。戦車をもたないイスラエルが勝てる見込みはあり得ないはずなのに、恐れた連合軍はハツォルの北西10㎞にあるメロムの水のあたりにまで引き下がって陣を敷きます。

 

そこでも、主(ヤハウェ)はヨシュアに、「彼らを恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らをことごとくイスラエルの前で、刺し殺された者とするからだ。あなたは、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない(11:6)と命じます。主は、戦車との戦い方まで教えてくださいました。

そして、「そこで、ヨシュアは戦う民をみな率いて、メロムの水のあたりで、彼らを急襲し・・襲いかかった(11:7)と記されます。その結果が、(ウェ)が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち、大シドンまで…さらに東の方では、ミツパの谷まで彼らを追い、ひとりも生き残る者がないまでにされた」(11:8)と戦いの様子が簡潔に描かれます。これは、地中海岸ではツロの北、東ではヘルモン山のふもとの谷まで敵を追って、彼らを絶滅したことを意味します。

そして、1011節では、「ヨシュアが引き返して、ハツォルを攻めとり・・・その中のすべての者を剣の刃で打ち…聖絶した」と記されます。そればかりか、「ヨシュアはそれらの王たちのすべての町々、および、そのすべての王たちを捕らえ、彼らを剣の刃で打ち殺し、聖絶した。主(ヤハウェ)のしもべモーセが命じたとおりであった(11:12)と記されます。これはカナンの人々を「聖絶する」ことが、主の明確な命令だったからです。

 

その上で1617節では死海の南西部からヘルモン山のふもとにいたる約束の地全体に広がる地の「王をことごとく捕らえて、彼らを打って、殺した」と約束の地の占領の様子が描かれます。

そして、「ヨシュアは、これらすべての王たちと長い間戦った」(11:18)と、その後の戦いがごく簡潔に要約され、「ギブオンの住民を除いては、イスラエルと和を講じた町はひとつもなかった・・・彼らの心をかたくなにし、イスラエルを迎えて戦わせたのは主から出たことであり、それは主が彼らを容赦なく聖絶するためであった」(11:19,20)と敢えて記されます。神のご計画は、この地から徹底的に悪を取り除くことでした。

 

そして、「それでイスラエルの地には、アナク人がいなくなった」(11:22)とは、かつて彼らが、「ネフィリム(巨人族)のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えた」(民数記13:33)と怯えていた時とは正反対の状況になりました。私たちも、この世の圧倒的な力による脅しを恐れる必要はありません。

 

その結果、「こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った・・・ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てに従って・・・分け与えた。その地に戦争はやんだ(11:23)と約束の地の占領が完了したかのように描かれます。

実際には、イスラエルの戦いは、土地の分配後も続きますが、これは13-6節に約束された土地の占領が、大枠において実現したという神の約束の成就を強調した表現です。

 

今も、国際政治では、軍事力のバランスによってしか平和を保てない現実があります。しかし、私たちは、隣人との関係では「悪に悪を報いることをせず・・自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい」(ローマ12:17)と命じられています。

ヨシュアの勝利を恐れたカナンの王たちが連合したように、悪霊たちは、この世の権力者を「ハルマゲドン」(黙示16:16)に集め、神の民を攻めてきます。しかし、「神のことば」と呼ばれる方が、「王の王、主の主」としてこの敵をたちどころに滅ぼされます(黙示19:13,16)私たちの使命は、敵と戦うことではなく、たとえ首をはねられてでも、主に従い続けることです。

 

 今、私たちの王は、「小羊」と呼ばれ、十字架で死ぬという「弱さ」によって、圧倒的な死の力に打ち勝ちました。私たちの戦いは、ヨシュアの時代とは違います。敵を力で圧倒することではなく、「敵が飢えたなら・・食べさせ、渇いたなら、飲ませる」ことで、善をもって悪に打ち勝つことこそが主のみこころです(ローマ12:20,21)。「小羊の王国」は、力ではなく、愛によって広がって行きます。

ただし、ヨシュアの時代も今も、私たちに求められていることは、「死に至るまで忠実である」(黙示2:10)こと、また、「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です(ヘブル10:39)と言われた通りに生きることです。

  

目の前に小さなハルマゲドンの戦いがあるように思えることがあっても、それは悪霊の空脅しに過ぎません。私たちの心の目が主の愛に向けられているなら、どんな試練の中でも、「私たちを愛してくださった方によって・・圧倒的な勝利者」(ローマ8:37)となっていると告白することができます。

神は不思議にも、イスラエルの戦いを圧倒的な勝利に導くため、敢えて、敵に大きな連合軍を組まさせられたからです。

 

今年は宗教改革五百年記念の年です。マルティン・ルターは改革に着手して十年後、精神的にも肉体的にも瀕死の状態になりました。熱狂主義者が聖霊の御名で秩序を否定し、カトリック勢力は猛烈な反撃に転じ、聖書教師は育たず、ペストの流行で長女が病死し、トルコ帝国が東から攻め、彼自身もサタンの誘惑に圧倒され神経衰弱に陥りました。

その時、詩篇46篇に慰められ、讃美歌「神はわれらが砦」を記しました。これは宗教改革の進軍歌とも呼ばれますが、実際は、祈りの歌です。そこでは、サタン勢力の圧倒的強さと私たちの無力さの対比が描かれ、私たちに代わって(「共に」ではない!) 戦ってくださる万軍の主キリストと、みことばひとつで敗北するサタンの様子が歌われます。

四番の原文「命も・・妻も子も奪うに任せよ」は衝撃的です。サタンは脅しで人々を動かし「からだを殺す」ことはできても、「たましいは殺せない」(マタイ10:28)からです。

なお、ルターはその後20年生かされ、福音的な教会の基礎を築きました。最愛の家族を守る人間的な努力さえも「やめよ!(10)と歌った人を、イエスはその家族ばかりか、その教会と国さえも守り通してくださったのです。平和のための祈りの戦いは今も続いています。

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