« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »

2017年5月28日 (日)

士師記10章~12章 「主に用いられながら、主を知らなかった人」

                                            2017528

「勝った負けたと♪騒ぐじゃないぜ♪あと態度が大事だよ♪」という演歌が流行ったことがあります。人生には勝ち負けよりもはるかに大切なことがあるというのですが、アモン人のとの戦いに勝ちながら、自分の一人娘を失ってしまったエフタの記事には、心が痛みます。

彼は主(ヤハウェ)に用いていただきながら、主が彼とイスラエルに何を望んでおられるかを理解しようとはしませんでした。目の前の勝ち負けに夢中になり過ぎていたのです。その誤解は、私たちのうちにもあるかもしれません。

私たちは神に犠牲を献げることによって神の好意を勝ち取るのではありません。(ヤハウェ)の霊に導かれてキリストの大使とされ、主との交わりを通して、自分自身の心の渇きから自由にされ犠牲をも厭わない者とされるのです。

 

1.主の怒りの背後に見られる主のあわれみ

トラは六番目の士師です(10:1,2)。彼はイッサカル部族の出身で、その相続地はガリラヤ湖の南側でマナセの北です。その彼がそのなお南のエフライムの山地に住んだとは、彼のもとで23年間、イスラエルは部族間の一致をある程度保つことができたことを表しています。アビメレク時代の悲惨から救われたのです。

七番目の士師ヤイルは、民数記32:39-42にも記され、マナセ部族の子で、その相続地ギルアデは、ヨルダン川東岸、ガリラヤ湖の南東に広がっています。「彼には、三十人の息子がいて・・三十の町を持っていた(10:4)という表現に繁栄の様子が描かれています。彼はヨルダン川東側に22年間の平和をもたらしました。

この二人の士師に関してはほとんど何も分かりませんが、イスラエルの部族間の平和を守ったということや、多くの息子を持ち多くの町を治めていたということは次の物語と対照的です。

 

しかしその後、イスラエル人は、バアルや、アシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた」(10:6)と七つの「神々」という言葉が繰り返されますが、これは、「イスラエルの神(エロヒーム)と呼ぶときと同じ普通名詞です。つまり、彼らは多くの日本人のように、周りのすべての神々のご機嫌をとろうと試みたのです。

またそれらは豊穣を約束する神々で、その礼拝には食欲と性欲の両方を満たすような享楽が伴いましたから、魅力的に感じられたのでもありましょう。しかし、主はイスラエルとの親密な愛の交わり自体を求める方ですから、それを浮気として怒られました。

すべての偶像礼拝の基本は、欲望の満足とそれから離れる場合の祟り、つまり飴と鞭をセットに人々の心を支配することです。それは依存症と同じように、一度関係を持ってしまうと、自力で離れることが難しくなります。

ですから、依存症の治療には、その人の底着き体験を早めることが一番だと言われます。つまり、中途半端な生活を続けることができない状況に追い込むのが真の愛だというのです。

  

ですから、「主(ヤハウェ)の怒りはイスラエルに向って燃え上がり、彼らを・・アモン人の手に売り渡された・・彼らは・・・イスラエル人をみな、十八年の間、苦しめた」(10:8)というさばきの中にも神の愛が見られます。

この時はヨルダン川の東にいたロトの子孫アモン人が勢力を強くし、同じヨルダン川東岸のギルアデの地を支配したばかりか、川の西側にまで勢力を伸ばしました。

ただここに至ってようやく、「イスラエル人は主(ヤハウェ)に叫んで」・・「私たちは、あなたに罪を犯しました」と、主に立ち返って来ました(10:10)

 

そのとき、主は、彼らが七つの民族の神々に仕えたこと(10:6)に呼応するように、ご自身がエジプト人、エモリ人、アモン人などの七つの異民族の手から彼らを救ってきたこと(10:11,12)を思い起こさせます。そして、それにも関わらず、「わたしを捨てて、ほかの神々に仕えた」のだから、「あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい」と言い放たれました(10:10-14)

しかし、彼らが重ねて悔い改めを告白したときのことが、「自分たちのうちから外国の神々を取り去って主(ヤハウェ)に仕えたので、主はイスラエルの苦しみを見るのに忍びなくなった(10:16)と描かれます。「主のあわれみは尽きない」(哀歌3:22)からです。

 

ここで私たちは、「そのとき、主(ヤハウェ)さばきつかさ(士師)を起こして、彼らを・・救われた・・主はさばきつかさとともにおられ、その・・生きている間は、敵の手から彼らを救われた」(2:16,18)というこの書のテーマに戻る必要があります。つまり、主の救いは、神の民の敬虔な行いへの応答ではなく、一方的なあわれみのわざなのです。

ですから、士師記を偉人伝として読むことは大間違いです。主は、イスラエルの罪にも関わらず、士師の弱さにも関わらず、ご自身のあわれみのゆえに士師を用いられたのです。

 

ただ、不思議にも10章17節~11章11節まで、主ご自身の側から士師を選び、召したという記述の代わりに、ギルアデの長老たちが皮肉にも人間的な基準でエフタを選んだというプロセスが描かれています。まず、アモン人マナセ族のギルアデ氏族の地に陣を敷いたときにイスラエルの民も集まって、ミツパに陣を敷きます(10:17)。そこは、かつてヤコブが祈りの格闘をしたヤボクの渡しから南東に十数キロの地です。

そこでギルアデの首長たちは、「アモン人と戦いを始める者はだれか。その者がギルアデのすべての住民の頭となるのだ」と言います(10:18)。ここには、主のみこころを求めるという代わりに、自分たちが頭にした者を、主が追認して、御手を差し伸べてくださるようにという思いが描かれています。

 

2. エフタの愚かな誓願

 エフタはマナセの孫ギルアデ直系の息子でしたが、その母は遊女でした。それで彼が成長した時、正妻の息子たちから疎まれて家を追い出され、マナセの支配地の東端の地トブに住み、やくざの親分のようになりました(11:1-3)。彼の心は「見捨てられた痛み」に支配されたことでしょう。

そしてそこに同じ境遇の「ごろつき」と呼ばれる「見捨てられた人々」が集まり、大きな力を持ったのだと思われます。しかし、ギルアデの地がアモン人の攻撃に苦しんだ時、その長老たちはエフタを首領として迎えようとします。

 

 ギデオンの場合は四度にわたり、主が本当に自分のような者を用いられるかのしるしを求めました。しかし、エフタの場合は、ギルアデの長老たちに対し、まず自分が戦いに勝った場合の「かしら」としての立場を保証させようとします。

その際、「もしあなたがたが、私を・・アモン人と戦わせ、主(ヤハウェ)が彼らを私に渡してくださったなら、私はあなたがたのかしらになりましょう(11:9)と言いますこの際の出発点は、主のみこころではなく、ギルアデの長老たちの意志です。長老たちは、「(ヤハウェ)が私たちの間の証人となられます(11:10)と、「ヤハウェの御名」を持ち出してエフタに保障し、彼も「自分が言ったことをみな、ミツパで主(ヤハウェ)の前に告げた」(11:11)というのです。

つまり、彼は自分がかつて「追い出された」ことを忘れず、自分が使い捨てにされないことの保証を求め、主に対しても、主に聞くというよりも、主に自分の身の保全を求めているのです。長老たちも、主に聞こうとはしなかったという点で全く同じです。

 

なお、エフタが才知溢れ、主の偉大なみわざの数々をよく知っていたことは、アモン人の王とのやり取りにも明らかにされています(11:12-28)。まず、アモン人は、イスラエルの民が勝手に彼らの領土に入り込んで占領したと非難しています。しかし、イスラエルはアブラハムの甥であるロトの子孫のモアブとアモンとは直接に戦おうとしたわけではなく、エモリ人の王シホンとの戦いの中で、主が占領させてくださった地に住んだだけだというのです。

そして、「審判者である主(ヤハウェ)が、きょう、イスラエル人とアモン人との間をさばいてくださるように(11:27)という祈りで終わります。ここにおいても、主は審判者」としてのみ描かれており、主がイスラエルに「神の国」を建てさせようとしたという創造的なみこころの根本は描かれていません。

今も、審判者としての主からの厳しいさばきからの救いばかりを願う信仰者がいます。

 

   11章29節で、「主(ヤハウェ)の霊がエフタにくだったとき」と記されますが、これは明らかに、先の12節でエフタがアモン人の王と対話を始める前のことです。なぜならそれは、エフタがイスラエル軍の陣地であるミツパに向かう前のことを指しているからです。

つまり、エフタギルアデの長老たちの招きに応じて、私兵を引き連れてマナセの最果ての地のトブからアモン人と戦うために出て来たのは、(ヤハウェ)の御霊」の導きであるということが、ここに至って初めて記されるのです。

彼は自分の内側に、不思議な力と勇気が湧いてくるのを感じて、アモン人の王と交渉したことでしょう。ところが、実際に戦いに臨む際に、彼は急に不安になったのか、主の助けを確かに引き出すための大きな犠牲を伴った誓願を立てます。

 

それは、「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を(ヤウェ)のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます」(11:30,31)というものです。自分の家の戸口から出て来る者が誰かは分かりませんが、それが動物ではなく、人間であることは確かだと思われます。つまり、エフタは、愚かにも、人間をいけにえとすることで神の助けを得ようとしたのです。

これはあり得ない誓願のようですが、これから数百年後の記録に、モアブの王が、戦いが不利になるのを見て、自分の長男を城壁の上で全焼のいけにえとしてささげ、それを契機に彼らが勝利をおさめたという記録があります(Ⅱ列王記3:27)から、それはカナンの宗教ではよくあることでした。

エフタは主によって動かされ、知識においても主のみわざを知ってはいたのですが、その心はカナンの偶像礼拝の習慣に毒されていました。彼は主の前に静まってみこころを知ろうとしたのではなく、勝利のために神の力を利用しようとしたのです。

 

その戦いの様子は、「主(ヤハウェ)は彼らをエフタの手に渡された」ので、彼はアモン人の20もの町を「非常に激しく打った。こうして、アモン人はイスラエル人に屈服した」と描かれます(11:3233)。この流れは、彼の誓願の結果ではなく、「(ヤハウェ)の霊がエフタの上に下った(11:29)ということの結果として生まれた勝利です。

ところが、彼が勝利の凱旋をしたとき、「タンバリンを鳴らし、踊りながら」、家から真っ先に彼を迎えに出てきたのは、何と彼の一人娘でした(11:34)。彼は激しく悲しみますが、私は主(ヤウェ)に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ」(11:35)と言わざるを得ません。

そして、彼女も、「お父さま・・お口に出されたとおりのことを私にしてください。主(ヤハウェ)があなたの敵アモン人に復讐なさったのですから」(11:36)と応答し、自分はその勝利の犠牲として身をささげると応答します。そして、彼女は、子孫を残すことができないままに死ぬことを友達といっしょに二ヶ月間悲しみます。

 

その後のことが簡潔に、「父は誓った誓願どおり彼女に行なった」(11:39)とのみ記されます。これを、娘を神への奉仕にささげて一生を処女のまま残したと優しく解釈する人もいます。しかし、それでは40節の、イスラエルの娘たちが「年に四日間」彼女のための「嘆きの歌を歌う」という習慣の記述の意味が分からなくなります。

とにかく、律法では、「あなたのくちびるから出たことを守り・・主に誓願したとおり行なわなければならない(申命記23:23)と厳しく戒められており、だからこそ誓って果たさないよりは、誓わないほうが良い。あなたの口が、あなたに罪を犯させないようにせよ」(伝道者5:5,6)とも言われます。

 

 エフタは誓願をする必要は全くありませんでした。このすべてのプロセスは、主の主導によるもので、彼の責任はその召しに従うことだけでした。それなのに、彼はまるで神と取引をするかのような発想で、ひとり娘を全焼のいけにえにせざるを得なくなりました。彼は異教の神を見る習慣でイスラエルの神を見ていたのでした。

同じことが私たちに起きる場合があります。私たちの「祈り」は、主に動いていただく「手段」というより、愛する人との対話のようにそれ自体が目的です。詩篇作者が、「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにありません」(詩篇16:2)と告白したように、私たちは、主がくださる勝利、地位、富、友人、伴侶などのような目に見える宝以前に、主ご自身との交わりをこそ喜ぶことができるのです。

 

後にハンナは、自分に男の子が授けられるなら、「その子の一生を主(ヤハウェ)におささげします」という誓願を立てて、サムエルを生み、彼がイスラエルを救う者として成長します。これは良い誓願の例です。そのとき彼女は主の御前にへりくだり、涙ながらに訴えました。

しかし、エフタは自分の惨めさや無力さを訴えたのではなく、他人を犠牲にささげて自分の勝利をつかみとるつもりでした。彼は、主の御前に遜って、自分の心の奥底の不安と向き合ってはいません。その強がりの姿勢こそが、悲劇の原因でした。

 

3. 主の救いのみわざの目的を知らないことの悲劇

12章では、エフタが同じイスラエル民族のエフライム部族との野蛮な戦争をした様子が描かれます。まず誇り高いエフライムが、アモン人との戦いに自分たちを招かなかったことを非難し、エフタを家もろとも「火で焼き払う」とまで言います(12:1)

それに対し、エフタはエフライムの側が援軍の要請を断ったと応答します。これは多分、エフタからの要請がギデオンの場合のように、彼らのプライドを満足させるような形ではなかったからでしょう(7:24-8:3)

エフタはそのときの葛藤を、「あなたがたが私を救ってくれないことがわかったので、私は自分のいのちをかけてアモン人のところへ進んで行った(12:3)と表現します。ここにはエフタが自分の一人娘を犠牲にしてしまった悲痛の叫びが込められています。

彼はエフライム軍を撃破しますが、彼らがヨルダン川の西側の居留地に逃亡する際に、その発音の仕方で見分けて多くのエフライム人を殺し、その死者の数が42,000人に及んだことが記されます。エフタは自分の娘を犠牲にしてしまった痛みを、エフライムに向けたのではないでしょうか。

皮肉にもこれらの記事ではイスラエルの敵となったアモン人の犠牲者の数ではなく、同じ神の民エフライムの犠牲者数のみが描かれます。

 

エフタは、遊女の子として生まれ、人々から退け者にされる中で、自分で自分の道を開くことを学んできたのでしょうが、それが彼の命を縮めました。彼は六年間だけイスラエルをさばいて(12:7)、一人娘を失い、他の子供を残すことができないまま死んで葬られます。

彼は一時的な平和をもたらすことができただけで、部族間の融和も、民全体による幕屋礼拝も復興することができませんでした。他の士師の場合は、イスラエルの平和が何十年続いたとか記されるのに、ここではその記述がないのは驚きです。

 

その後、九番目の士師ベツレヘムイブツァンが登場します(12:8-10)。その綴りから見ると、この町はユダではなく、北のゼブルン領だと思われます(ヨシュア19:11)。彼は30人の息子と30人の娘を用いて氏族間の融和をはかり勢力を伸ばしました。一人の子も残せなかったエフタとの対照が際立ちます。

第十番目の士師ゼブルン人エロンについては何も記されませんが、それにも関わらず、「十年間・・さばいた(12:11)と描かれています。

また、第十一番目のアブドンは家系も不明のまま、四十人の息子のことが記されます(12:14)。それはエフタの悲劇をクローズアップさせるだけです。

三人もの士師についてほとんど何も記されないのは、これを英雄伝ではなく、神のみわざの記録として残すためだと思われます。

 

エフタは成功を掴むことに必死になりすぎて最も大切なものを失いました。彼は、主に用いられながら主のあわれみを知りませんでした。しかし、人の信仰が主を動かすのではなく、主が人を動かされるのです。そして主は、私たち以上に私たちの必要をご存知です。

「ゲットする」という和製英語がありますが、人生の輝きは獲得ではなく、差し出すところから生まれます。このままの私が、創造主の最高傑作として、お役に立てていただけるのです。

私たちの幸いは、以下の詩のような境地に表わされます。神が私たちを召してくださった目的は、神の平和(シャローム)がこの地に広げられることです。そのためには、しばしば、勝利や成功よりも、私たちの痛みや悲しみ、貧しさの中にも神の恵みを見出すべきでしょう。

 

「病者の祈り」 米国南北戦争南部連合軍の傷病兵士の詩(NY物理療法リハビリテーション研究所) 

 

私は神に 大きなことを成し遂げるようにと 強さを求めたのに、 
     謙遜に(慎み深く)従うことを学ぶようにと 弱い者とされた
   より偉大なことができるようにと 健康を求めたのに  
     より良いことができるようにと 病弱さをいただいた。           
   幸せになれるようにと 豊かさを求めたのに     
     賢明であるようにと  貧しさをいただいた  
   人の称賛を得られるようにと 力を求めたのに  
     神の必要を感じるようにと 弱さをいただいた        
   いのちを楽しむことができるようにと あらゆるものを求めたのに     
     あらゆることを楽しめるようにと いのちをいただいた     
   求めたものは 何一つ得られなかったが 心の願いは すべてかなえられた
     このような私であるにも関わらず ことばにならない祈りはすべてかなえられた 
   私は あらゆる人の中で 最も豊かに祝福されたのだ。        (私訳)

|

2017年5月21日 (日)

ヨハネ19:16-30 「イスラエルの使命を完了した王なる小羊」

                                        2017521

   「主のみこころは?」と多くの信仰者が問いかけますが、多くの場合は、就職、結婚、自宅の建設、教会の選択などということに絡んで用いられます。

私も就職の際に、多くの内定をいただきながら、「みこころの就職先は?」と真剣に祈りました。しかし、入社三日目に、「みこころを読み間違えた・・・」と深く後悔しました。しかし、それは、新規開拓の飛び込み訪問外交が苦しかったからかもしれません。

 

主のしもべの歌」には、「彼を砕いて痛めることは、主(ヤハウェ)のみこころであった(イザヤ53:10)と記されますが、それによると、「みこころ」とは、「自分の賜物が生かされる職場は?」などというよりも、神のご計画のために苦難を忍ぶことにあります。

このイザヤ預言は、イエスを十字架に導いたみことばとも言えます。イエスは、「ユダヤ人の王」を自称する偽預言者として嘲られ、苦しめられながら、そこに神のみこころがあることを信じ、ご自分の民の代表者、王」としての使命を全うしておられました。

 

1. 「ユダヤ人の王」として、祭司の働きを全うされた方

  「ピラトは・・イエスを・・彼らに引き渡した。彼らはイエスを受け取った・・・彼らはそこでイエスを十字架につけた(16)とある、「彼ら」とは、「祭司長たち(15)を指します。実際に動いたのはローマの兵隊なのですが、ここではイエスを十字架にかけた張本人が誰であるかに目が向けられているからです。

祭司長たちは「カイザルのほかには、私たちの王はありません」と口走りました。それは、イエスが「自分を王だとする」ことによって「カイザルにそむく」者になっていると訴え、同時に自分たちはカイザルに忠誠を誓っているとアピールするためです。これでピラトがイエスへの十字架刑を躊躇するなら、カイザルへの忠誠が疑われることになります。ピラトにはイエスを十字架刑にする以外の選択肢はなくなりました。

それにしても、ユダヤ人の宗教指導者がイエスの抹殺を決意したのは、ラザロの復活によってイエスの人気が最高潮に達したからです。これではイエスのもとでユダヤの一般民衆がまとまり、ローマ帝国からの独立運動を果たそうとする運動が起きて、ローマ軍の介入を招き、自分たちの自治権が奪われ、宗教指導者たちの特権が失われると思ったからでした。

彼らの論理の中では、ユダヤ人の信教の自由を守るという大義のために、イエスを犠牲にすることは正しいことと思えたのです(11:47-53)。ただし、彼らの発想は、神の前での「真理(真実)」よりも、この世の力の原理に従うという打算的なものでした。その意味で、イエスを十字架にかけたのは、人の力を神とするすべての者とも言えましょう。

 

   17節では、「イエスはご自分で十字架を負って、『どくろの地』という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた」と、イエスご自身が十字架を負われて、死刑場に雄々しく向かう様子が描かれます。

他の福音書では、ローマの兵士たちが「シモンというクレネ人に・・・イエスの十字架を、むりやりに背負わせた(マタイ27:32)と、最初イエスがご自身で十字架を担ったという部分が省かれます。主が極度に消耗していたからでしょうが、ここでは、苦難に立ち向かう「」としての姿が強調されます。

 

  十字架は、古代の最も残酷な忌まわしい刑罰で、奴隷や被征服民がローマ帝国に反抗した時、見せしめとして用いられました。激しく苦しみながら、ゆっくり死ぬのを見るなら、反抗の気力が萎えるからです。

ただし、ここでは十字架にかけられる場面は、「彼らはそこでイエスを十字架につけた」としか記されず、それを解説することばは、「イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真ん中にしてであった」とのみ記されます(18)

これはイエスを十字架刑にふさわしい犯罪人の仲間とするという軽蔑と嘲りの意味があったのでしょうが、同時にそれはイザヤ5213節以降の「主のしもべの歌」の結論部分を指します。そこには、「それゆえ、わたしは多くの人々の間で彼に分け与え、彼は強い者たちに戦利品を分け与える。それは、彼がそのいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたから。だが、彼こそが多くの人の罪を負った。そして、そむいた人たちのためにとりなしをする(53:12私訳)と記されていました。

イエスご自身は、犯罪人の真ん中にされたことを、「そむいた人たちとともに数えられた」という「主のしもべ」の預言の成就と受け止めておられたことでしょう。

 

  しかもここでは、「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掲げた。それには、『ユダヤ人の王ナザレ人イエス』と書いてあった。大勢のユダヤ人がこの罪状書きを読んだ(1920)という「罪状書き」ばかりが注目されます。さらに、それはヘブル語ばかりか、ラテン語とギリシャ語で、当時の全世界に向けて書かれていたというのです。

ユダヤ人の祭司長たちは、「彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください」と抗議しましたが、ピラトは、「私の書いたことは、私が書いた」と、そこに自分の明確な意志を籠めている旨を明らかにしました(2122)。それは、当時の人々が期待した「ユダヤ人の王」の姿とは異なっていましたが、ピラトはイエスとの対話で、イエスご自身が「ユダヤ人の王」であることを否定はしなかったことを良くわかっていました。そして、これこそ、神のご計画の成就でした。

イエスは、まさに「ユダヤ人の王」として十字架につかれ、救いを実現されたのです。それは、ご自身が、「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます(12:32)と言っておられた通りです。十字架で広げられた手は、すべての人をご自身のもとに招き寄せるというしるしでした。

 

   ユダヤ人には本来、「契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる・・わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」(出エジプト19:5,6)との使命が与えられ、終わりの日には、「彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう(イザヤ66:19)と約束され、その証しを通して、全世界の民がヤハウェを礼拝すると預言されていました(66:23)

ところが彼らは使命に不従順でした。それでイエスは、ユダヤ人の代表者、王として地に来られました。憲法で「天皇は日本国の象徴」とあるように(是非は別として)王は個人で民全体を表わす存在と見られます。イエスはイスラエル全体の罪の代表者として死なれたと共に、彼らの崇高な使命を全うする王として十字架を生き抜かれました。

主は、「ユダヤ人の王」として、すべての民を神のもとに導くという「祭司の王国」の働きをされたのです。ですから私たちもイエスを「ユダヤ人の王」と告白することで、神の民に加えられます。

 

2. すべての迫害され、軽蔑された人々の王となられた方

  「さて、兵士たちは、イエスを十字架にかけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着(英語ではtunic,チュニカ、肌につく外衣)をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。そこで彼らは互いに言った。『それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。』」(23)と、今度は、兵士たちの行動に焦点が当てられます。

マタイではこの部分は、「彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け(27:35)としか記さず、ルカは何も描きませんが、ヨハネはこの部分を詳細に描いています。

兵士たちはローマ帝国の力の象徴ですが、その目は、イエスを無視して、任務の遂行と、分捕り物に向けられています。彼らは、生きておられる方を、既に死んだ者として扱い、その着物に注目しました。ユダヤ人の王は、虫けら同然に見られたのです。

しかし、そのことをヨハネは、「それは、『彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた』という聖書が成就するためであった(24)と語っています。これは詩篇22:18の引用で、そこでは、「彼らは私をながめ、ただ見ています。私の上着を互いに分け合い、この衣のためにくじを引きます」と記されていました。

そこには、神から見放されたような孤独感と、人々の嘲りの様子が生々しく描かれています。イエスは、まさに「王」として、神と人から見捨てられた者の痛みを味わっておられたのです。

 

なおこの詩篇の冒頭が、マタイとマルコによる福音書で引用されています。実は、イエスが十字架で、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれたのは(マタイ27:46)、この詩篇のことばそのものでした。人はこのような時、神の救いを待つことができなくなり、目に見える力の解決に駆られがちです。ペテロも剣を抜いて戦いました。

その時、イエスは「剣を取る者はみな剣で滅びます。それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか(マタイ26:52,53)と言われました。イエスの王としての威厳は、利用可能な力を、敢えて用いず、神の時を待っておられるという点に見られます。この時、主は、神の救いを待ち続けるすべての民の代表者、「王」として苦しみを味わい尽くしつつ、生きておられたのです。

 

なお、詩篇22篇は22節以降、神の救いを喜び、分かち合うというテーマに変わりますが、イエスもここで、愛の交わりの形成に心を配ります。他の福音書では、ガリラヤからついてきた女たちが遠くから眺めていた様子ばかりが描かれ、そこにはイエスの母マリヤの名すら登場しません。しかし、彼女たちや他の弟子のひとりでもイエスの十字架のそばにいなかったなら、どうして他の福音書でもこれほど詳しい十字架の場面やイエスのことばが記録され得るでしょう。

この福音書は、その部分に焦点を当て、25節では、「イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた」と記されます。イエスの母の名がマリヤだと知らない人はいませんが、ここには他にもマリヤという名のふたりの女と、イエスの母の姉妹までが言及されます。

そればかりか、「そばに立っている愛する弟子」のことまでもが記されます。これは、この福音書を記したと思われるヨハネです。たぶん、ヨハネは「大祭司の知り合い(18:15)で、しかも非常に若かったので、この場にいることができたのでしょう。

他の福音書では、弟子たちの臆病さによる逃亡に焦点が当てられていますが、この福音書ではイエスが彼らを守るためにその逃亡を可能にしたという面が強調されています。

とにかくイエスは十字架にかけられていてもこの場の支配者であるということが、間接的に、そこにイエスの母マリヤとヨハネという、人々から一目置かれている確かな目撃者の存在を示すことで明らかにされます。

 

そのような中で主はご自身の母マリヤの身を案じて、「愛する弟子」ヨハネに委ねるようにして、「女の方。見なさい。あなたの息子です(26節私訳)と言われます。それは彼女に弟子たちの母となる使命を与えることであり、ヨハネにご自分と同じ立場を与えることでもあります。

イエスはさらに、その弟子に向かって、「見なさい。あなたの母です(私訳)と言われます。そして、「その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った」と追加の説明がなされます。

このようにイエスは、マリヤとヨハネへのことばを通して、ご自身が血縁を超えた神の家族を造るために十字架にかかられたことを明確にしました。イエスは、この時、愛のことばによって、人と人とを分裂させるサタンの剣の力と戦っていたのです。

 

3. すべての死すべき者の王となられた方

 「この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、『わたしは渇く』と言われた(28)との不思議な表現があります。

成就する」ということばは、先のイエスの衣の分配の際にも用いられましたが、何よりも1745節に記されていたイエスの大祭司の祈りを思い起こさせます。そこでイエスは御父に向かって、「あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざをわたしは成し遂げて(成就して)地上であなたの栄光を現しました。今は、父よ、みそばでわたしを栄光で輝かせてください」と祈っておられました。

イエスは、ご自身に与えられた使命を聖書から読み取られて、それを一つひとつ成し遂げられ、最後に、「すべてのことが完了した」ことを知ったというのです。

 

   ただ、なぜそこで「わたしは渇く」が、最後に成就すべき聖書のことばになるのでしょう。この福音書の「最初のしるし」は、イエスの母が婚礼に招かれた裏方として働いている中で、「ぶどう酒がありません」と言われたことに対し、「」を最上の「ぶどう酒」に変えることから始まりました(2:1-11)

そして、愛に渇いたサマリヤの女との会話の中で、「わたしが与える水を飲む者はだれでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます(4:14)と約束されました。

また、仮庵の祭りの終わりの大いなる日に、イエスはエルサレム神殿の外庭に立って、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる(7:37,38)と言われました。

 

イエスを信じる者は「渇くことがない」ばかりか、人の渇きを癒す者とされると約束されていたのです。ところがその当人が最後に、「わたしは渇く」と言われたのです。それは一見、「彼は他人を救ったが、自分は救えない(マタイ27:42)と嘲られたとおりとも思えます。

しかしこれは預言者イザヤが、「まことに、彼は私たちの病を負い、わたしたちの痛みを担った(53:4)と言われたことの成就でした。イエスはすべての人の「渇き」を引き受けられたのです。

この福音書では、イエスの母が「女の方」と冷たく呼ばれているようでも、「最初のしるし」は母との対話から生まれ、最後は母への気遣いで終わります。すべての人を愛し尽くすことと、実の母に適度な距離を保ちつつ、特別に気遣うということは矛盾しません。

 

それにしても、「わたしは渇く」ということばは、「彼らは・・私が渇いたときには酢を飲ませました」という詩篇69:21の引用です。兵士たちが「酸いぶどう酒」を差し出したのは、イエスの渇きを癒すためではなく、激しくするための「あざけり(ルカ23:36)でした。つまり、イエスは、人が味わいうる最も悲惨で孤独な死の苦しみを、その極みまで味わい尽くされたという意味で、「完了したのを知った」というのではないでしょうか。

そして、主が、「渇く」と言われたとき、詩篇69篇によるなら、まさに「愛に渇いて」おられたのです。そこには「そしりが私の心を打ち砕き、私は、ひどく病んでいます。私は同情者を待ち望みましたが、ひとりもいません。慰める者を待ち望みましたが、見つけることはできませんでした。彼らは・・・私が渇いたときには酢を飲ませました(2021)と記されていました。

イエスは、愛に渇いたすべての人の代表者、「」として十字架の苦しみを忍ばれたのです。この福音書では、詩篇69篇は既に二度引用されています。イエスの最初の宮清めの際(2:17)、「あなたの家を思う熱心が・・」と9節が、また主が人々から憎まれることでは(15:25)、「彼らは理由なしにわたしを憎んだ」と4節が引用されました。主はご自身で、この詩篇の苦しみを引き受けられました

そのテーマも詩篇22篇と同じように、人々から憎まれ、嘲られ、孤独を味わい、神の沈黙に直面しつつ御名を呼び続け、苦しみから救い出され、それを人々に証しするというものでした。それこそ「神の民」としての使命を完成することでした。

 

その上でイエスは、「完了した」(30)と言われましたが、これはご自分の死を「殺される」という受け身ではなく、「王としての働きを全うした」と宣言することでした。

そして、頭をたれて、霊をお渡しになった」と死の瞬間が描かれます。普通は、死んで力が抜けて、頭が垂れるはずですが、イエスはまるで御父のふところに休むように頭を垂れて、ご自身の霊を御父にお渡しになられたのです。それは、主が以前、「わたしは自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります(10:18)と言っておられた通りです。

それにしても、「完了した」とは、イスラエルの負債が、またアダム以来の全人類の負債の支払いが「完了したという意味と理解できます。このことばは、当時の社会では、請求書の支払いが「完了した」ときにスタンプとして押されたものでした。

このことを前提に、使徒パウロは、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました(Ⅱコリント5:17)と記しました。私たちはキリストのうちに入れられた者として、「新しい創造new creation)」としての歩みを始めることができます。

 

しかも、イエスの死は、「霊をお渡しになった」こととして描かれていますが、この三日目に復活したイエスは弟子たちの真ん中に立って、「平安があなた方にあるように(シャローム・アレヘム)父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」と言われ、ご自身の息を吹きかけて、「聖霊を受けなさい」と言われました(20:21,22)

これはイエスがご自身の死に際して、御父にご自身の霊をお返しなられ、そして、復活の際に再び御父から霊を受けられそれを弟子たちにお渡しになったということを意味するのだと思われます。私たちイエスの弟子たちは、キリストの大使としてこの地に遣わされるのです。

 

  主のみこころとは、神の平和(シャローム)がこの地に広げられることです。そのために信仰者はまず世界の矛盾や悲しみを自分自身で体験する必要があります。

そう考えると、私が苦難を通して、「苦しみ甲斐のある人生」を求めるようになったというのも、「主のみこころ」の中にあったのかと思います。

 

当時のユダヤ人は、ローマ帝国の力に脅えつつ、それからの解放を望んでいました。しかし、イエスは、悲惨な十字架刑を忍びつつ、神と人とを愛し続け、剣の力を無力化しました。ここに真の自由が見られます。

黙示録には、教会が苦しみの極みを体験する中で、「ほふられた小羊」イエスを礼拝し続けることが勧められています。特に13章では、獣が支配するこの世の帝国が「聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許された(7)という大迫害が描かれますが、その圧倒的な力に、剣を取って対抗しようとすることが、「剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある」と、戒められています(10)

小羊は無力さの象徴ですが、そこにこそ、この世の力への決定的な勝利が見られます。初代、古代教会時代、多くの信者がローマ帝国の迫害で命を落しましたが、殉教者の血が流される度に、福音は広がり続けました。そして、やがてイエス・キリストご自身が帝国全体の「王」として崇められるようになりました。それは小羊」の力が、剣の力に勝利したしるしでした。

|

2017年5月14日 (日)

ヨハネ18:38-19:16 「真の王として苦しみを忍ぶ方」

                                     2017514

  「真の王」とは、どのような存在でしょうか。自分の王権を主張して、人を従わせる人でしょうか。かつてモーセはイスラエルの民が金の子牛を作って拝んだ時、自分の名をいのちの書から消し去っても良いから、その代わりに彼らの罪を赦してほしいと願いました(出エジ32:32

昭和天皇が終戦直後マッカーサー元帥を訪ね、「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする・・・この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」と願ったと言われる話があります。

誰もこの真偽を確認はできませんが、多くの国民が、「あの方なら、そのように言われても不思議はない」と思っています。天皇制について議論はしませんが、日本人が理想とする「真の王」の姿に、そのようなイメージがあることは感謝なことです。

日本国憲法で、「天皇は・・日本国民統合の象徴」であると記されています。そして現在の天皇は、ご自身の退位を示唆するに当たった、被災地訪問等の、象徴としての務めを果たすことが困難に至る事態」について言及されました。一方、天皇の神道的な大祭司として務めを重んじる人々は、象徴としての働きよりも、存在自体に意味があると強調します。

 

   聖書が描く「真の王」の姿こそ、その国民全体のために自分の身を犠牲にする姿です。しかし、多くの人々は、それ以前に、指導者の問題解決能力を求めます。それは最近の各国での民族主義的な指導者が、「一部の悪い金持ちをやっつけたら、問題が解決する」と断言して人気を得ることに似ています。

イスラエルの民がサムエルに「私たちをさばく(治める)王を与えてください」と願った際の王の働きとは、「私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれる」という軍事指導者でした(Ⅰサムエル8:6,20)。イエスの時代の人々が描く「ユダヤ人の王」としての姿も、ローマ帝国の圧政から自分たちを解放してくれる軍事指導者でした。

しかし、イエスが指し示したの姿とは、民の犠牲になることで、人々を力と力の対決の悪循環から救い出すことでした。

イエスは日本の天皇とは違い、全世界の創造主、全能の神であられましたが、反対勢力を吹き飛ばして物事を推し進める代わりに、人々の苦難に寄り添い、心の中に愛の種を蒔き、愛する心を芽生えさせ、ご自身の愛の国を広げる働きの中に私たちを参画させてくださる方です。

 

1.「見よ。この人を」(エッケ・ホモ)

   ピラトは、イエスが「ユダヤ人の王」であるかどうかを確かめながら、同時に、イエスは決してローマ帝国に反旗を翻す軍事指導者ではなく、ローマ法の基準で死刑にはできないことを理解しました。それが、「私は、あの人には(有罪とする)理由を一つも見いだしません」(18:38私訳)ということばです。これは1946節でも繰り返されます。それにも関わらず、なぜイエスは十字架刑を宣告されたのでしょう? 

 

ピラトは、そこでことばを終えればよかったのですが、自分の権威をひけらかすように、「過越の祭りに、私はあなたがたのためにひとりの者を釈放するのがならわしになっています。それで、・・・ユダヤ人の王を釈放しましょうか」と言いながら、イエスを恩赦にするという妥協案を提示します。イエスを無罪とすることも、不当な裁判で死刑にすることも回避できるからです。

しかし、ユダヤ人たちは納得せず、「この人ではない。バラバだ」と言って、ローマ法で死刑がふさわしい強盗バラバを釈放するように叫びました。

 

ピラトはイエスに、「真理とは何か(18:38)と尋ねながら、真理に真っ向からそむく判決を下さざるを得なくなります。それにしても彼は無自覚にも「過越の祭り」ということばを使いながら、当初の思惑に反して、本来死刑にふさわしいバラバを釈放することになってしまいました。

そしてイエスは、ローマ法から言えば、バラバがつくべき十字架にかかります。しかし、そこに不思議な神のみこころが現されました。

 

  その後のことが、「そこで、ピラトはイエスを捕らえて、むち打ちにした(19:1)と余りにも簡潔に記されます。この理由は明白には記されませんが、ピラトはユダヤ人を満足させるため、イエスを苦しめ、辱めた上で、イエスがローマ帝国にとって脅威にもならない、無力な人間であることを人々に分からせようとしたのだと思われます。

当時の鞭には先に鋲がつき、皮膚が破れ背骨が顕にされるほどの威力があり、それによって死ぬ人もいたほどです。ところがこの福音書では、イエスが「ユダヤ人の王」として嘲りを受けた様子ばかりに焦点が当てられます。

ローマ皇帝は月桂樹の冠をかぶりましたが、ローマの「兵士たちは」、それに似た「いばら」で「」を編んで、かぶせました。これは嘲りと肉体的痛みの両方を与えるためです。主の頭から血がしたたり落ちたことでしょう。「紫色」は、高貴な人だけの着物でしたが、彼らは古びたマントを見つけ出して着せ(2)、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と言いながら「イエスの顔を平手で打った」のです3節)

彼らはイエスがつい五日前、大勢の群集の歓呼を受けてエルサレムに入城したこと、また、ユダヤを救うとして期待を集めていたことを知っていました。日ごろからユダヤ人たちのテロ活動に悩まされていた彼らは、鬱積した不満の故に、本気でイエスをユダヤ人の王と見たてて、嘲ったとも言えます。

 

イエスは、黙々とそれに身を任せていました。主の心には、イザヤの預言が響いていたのではないでしょうか。そこには、「神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、うしろに退きもせず、打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった・・」(50:5-8)と記されています。

イエスは父なる神によって「耳を開かれた」者として、この孤独の中で、神の励ましの声を心で聞いていたと思われます。イエスが神から受けていた使命は、ローマの兵士と戦う代わりに、その侮辱に身を任せることでした。それこそ、真の「ユダヤ人の王」としての姿でした。

 

その後のことが、「ピラトは、もう一度外に出て来て」、「見なさい。私は彼をお前たちの前に引き出す。そうすれば、私が彼に(有罪とする)理由を見出さないということが分かるだろう」と言います19:4私訳)。ピラトは、イエスの惨めな姿を見せることで、イエスがローマ帝国に立てつく反逆者でないことを分からせようとしたのです。

そのように言った後、彼はユダヤ人たちの前にイエスをさらしました。それは鞭打たれて消耗し、いばらの冠で血を流し、古びた紫色の衣を着た惨めな姿でした。

そして、「見なさい。この人を(5節別訳)と言いました。これは、ラテン語では「エッケ・ホモ」と訳され、絵画や音楽のテーマとなってきました。「この人を見よ」と繰り返される讃美歌121番もその一つです。

私たちは、このイエスの姿に、人となられた神、真の王の威厳を見るように招かれています。それを思い起こすたびに、生き方が変わります。

 

この福音書の11011節では、「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」と記されていましたが、まさにその通りでした。

イエスは真の「神のかたち」としての姿を示してくださいました。それは、目に見えない神を、目に見えるイメージとして現す存在です。

イエスこそは私たちに神の真の姿を見させてくださいました。それは、この世界で人々が互いに傷つけ合い、滅ぼし合っている様子を上から見下ろして、さばきを下す頃合いを見定める代わりに、人々の葛藤や苦しみをともに味わう姿でした。

そのことが14節で、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」と記されていました。人は、自分の都合を優先して生きています。しかし、国民のために自分を投げ出すことができる者こそ「真の王」でした。

 

2. 「イエスは彼に何の答えもされなかった」

   ユダヤ人は、イエスの惨めな姿を見ると、ピラトの期待とは反対に、「十字架につけろ!」と激しく叫びました(6)。それをリードしたのは祭司長たちでしたが、それに群集もすぐに同調します。

彼らはこの五日前には、イエスのエルサレム入城を、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に(12:13)と、大声で叫んで喜び迎えたのでした。

彼らは力強い「」としての軍事的な「救い主」を、勝手に待ち望んでいただけなのですが、このときのイエスの姿は、彼らの期待を裏切った敗北者としか見られませんでした。人は、ときに自分の期待を裏切ったと思われる人に、恐ろしいほどに残酷になります。

 

それでピラトは、ユダヤ人たちが自分たちの手を汚さずに、自分に泥をかぶらせようとしているのを見て、「お前たち自身で彼を引き取り、十字架につけろ。私は彼に(有罪にする)理由を見出さないから」と言います(6節私訳)

すると彼らは、「私たちには律法があります。そして、律法によれば彼は死に当たります。彼は自分を神の子としたのですから(私訳)と答えます。彼らは「律法」という言葉を繰り返し、死刑の正当性を主張しますが、同時に、イエスは自分を「神の子」としたということで、ピラトを脅します。

なぜなら、当時、ローマ皇帝こそが自分を「神の子」と称し、それをコインにも刻んでいたからです。ユダヤ人は、イエスの言動は彼らの律法に反するばかりか、ローマ皇帝にも反抗しているものだと訴えたのです。

 

「ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れた」(8)というのは当然です。彼は、あずかり知らない宗教論議に巻き込まれ、「神の子」と呼ばれる人を十字架刑にするよう迫られています。

彼はイエスの瞳に見つめられて、この方を自分の手で十字架刑にすることを避けたいと、必死に願っていたことでしょう。

 

  しかし、ピラトはその思いを殺し、裁判官としての姿をアピールするように、「あなたはどこの人ですか」決まりきった尋問を始めます(9)

イエスは少し前に、ピラトに対して「真理(真実)にかなった行動を取るようにと優しく問いかけ、彼が自分の心の闇に向き合うようにと導いておられました。イエスこそが真実の裁判官でした。しかし、ピラトはその愛の語りかけを振り払うように、闇に向かって動き出します。

 

その上、ピラトは、「イエスが何の答えもされなかった」ことを、自分への侮辱ととらえたのか、自分の「権威」をひけらかしながら、「私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを知らないのか」と問います(10)

彼はイエスに、自分の無罪を弁明し命乞いをする姿を期待していたのでしょう。しかし、イエスは嘲りに身を任しても、真の王としての権威を保っておられ、ローマ総督の権威の前にひざまづくことはなさいませんでした

それは、同時に、真の権威を持つ方を知り、その方の前にへりくだり、信頼しているしるしでした。イエスはこの時、ご自身の心の中で、「彼は苦しんだが、口を開かない・・毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」(イザヤ53:7)という預言を味わい、それをご自身が、「主(ヤハウェ)のしもべ」として成就していることを意識していたのではないでしょうか。

 

   ただし、イエスは自分を守るためには無言でも、ピラトのことを思って一転して口を開かれ、「あなたは、わたしに対して何の権威も持っていません。もし、それが上から与えられているのでなければ・・・。それゆえ、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きな罪がある」と言われました(11節私訳)

このことばは、ピラトに真に恐れるべき方を指し示すと同時に、ユダヤ人の罪に彼が捲き込まれていることを警告したものです。これによって、一体だれが神の御前でさばきの危機にさらされているかが明らかになります

 

3. 「見よ。あなたがたの王を。」

   ピラトはイエスの聖なる威厳に圧倒されて釈放しようと努力しましたが、ユダヤ人たちは、「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべてカイザルに背くのです」(12)と脅しました。

これはピラトが最も恐れたことです。ユダヤ人の宗教指導者には、ピラトがどのような政治を行っているかを、ローマ皇帝に報告する道が開かれていたからです。

彼には、正義よりも自分の身の安全を守ることが先決になりました。なぜなら、そのような現地の人々の訴えで、皇帝から毒杯を飲むように命じられた総督は、帝国内にいくらでもいたからです。彼はこのことばに敗北しました。

 

イエスはピラトに「真の権威」を恐れるようにと忠告したのですが、ピラトにはローマ皇帝という権威しか見えていませんでした。彼がこのときローマ皇帝よりも恐ろしい方を知っていたとしたら、次の行動はとらなかったでしょう。とにかくピラトは、威厳を繕い、公式な裁判の席につき判決を下そうとします。

 

そして、この日時がここで、「その日は過越の備え日で、時は第六時頃であった」と記されます。これは現在の正午ごろを指します(4:6参照)

ここに「過越」ということばが再度、敢えて記されるのは、イエスがご自身を過越のいけにえ」としての、「神の小羊(1:36)とされることが明らかにされるためです。

 

そこでピラトはユダヤ人たちに、「見よ(さあ)。あなたがたの王を」と言います(14節別訳)。彼が、「見よ」と言ったのは三度目です(4節では「よく聞きなさい」(または「さあ」),5節では「さあ」と訳されている)

その時、ユダヤ人たちは、「除け。除け。十字架につけろ」と叫びました(15)。ピラトは、「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか」と再確認します。それは彼が、ローマ帝国に反抗する「ユダヤ人の王」を十字架にかけたという裁判記録を残したかったからでしょう。

 

.しかし、これは同時に、「(ヤハウェ)は、私たちのすべての咎を彼に負わせた(イザヤ53:6)という預言の成就でもありました。イエスはこの時、真の意味での「ユダヤ人の王」として、彼らの咎をその身に負われました。そしてそれは同時に、全人類の創造主、全世界の王として、私たちの咎をもその身に負われたことを意味しました。

過越の小羊の血が、イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から救い出すために用いられたのと同じように、神の御子イエスの血は、私たちを、「悪魔という、死の力を持つ者」の支配、死の恐怖の奴隷状態から解放したのです(ヘブル2:14)

 

   イエスの十字架刑の判決の理由を、マタイは、「ピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て・・・『この人の血について、私には責任がない』と言って・・・十字架につけるために引き渡した」と描きます(27:24-26)

マルコは、「ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスを・・・十字架につけるようにと引き渡した(15:15)と描きます。

ルカは、ピラトが「あの人には、死に当たる罪は何も見つかりません。だから私は懲らしめたうえで釈放します」と言ったことに対し、ユダヤ人たちが「十字架につけるように大声で要求し・・ついにその声が勝った・・(23:2223)と記しています。三つの福音書ともピラトが十字架刑を宣告した理由が、法律的には明確にはされていません

 

しかし、この福音書では、イエスがあくまでもユダヤ人の王」という「反乱者としての罪名」の故に十字架刑に処せられたと記録されます。それは当時の人々にとっての「」の理解に従えば死刑の理由になり得ます。

ただしピラトは同時に、イエスがご自身を「ユダヤ人の王」として認めるのは別の意味であると理解し、この罪名が死刑の「理由にならない」と三度も明言していたのです。彼は、この罪名を明記することで、自分がユダヤ人の言いなりになったわけではないと示すと同時に、自分の偽善をも顕にしました。

 

   イエスの心にはイザヤの預言が響いていたことでしょう。それは、「見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる(52:13)ということばから始まり、「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うように見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった・・彼は私たちのそむきのため刺し通され、私たちの咎のために砕かれた(53:2,35)と続きます。

そこには、すべての民の咎の責任を引き受け、苦しみを通して高くされる者としての、真の王の姿が描かれています。

 

   ピラトが皮肉を込めて、「あなたがたの王を私が十字架にかけるのですか」と問いかけたことに対し、祭司長たちはそれを受け入れることが民族的な屈辱と思ったのか、その反動で、「カイザルのほかには、私たちに王はありません(15)と言ってしまいました。

これは、「主(ヤハウェ)は王である(詩篇99:1)という自分たちの告白を否定する暴言です。しかし、これは心の底にある告白でもありました。カイザルを王として認めるとは、この世の力の原理に自分の心をささげるという意味です。

彼らが十字架刑を急いだのは、民衆の心がイエスになびいて、反ローマ革命運動が起こると心配したからです(11:48)。彼らは、身の安全や政治的な立場を守ることで心を一杯にしていたため、イエスの真の姿を見ることができませんでした。

 

  これから約40年後、ユダヤ人たちはローマ皇帝を王と告白することをやめて、武力に頼ってローマ帝国に反旗を翻し、エルサレムは廃墟とされました。皇帝への服従も反抗も、目に見えない神を王とする代わりに、力の原理に頼るという意味で、根は同じです。

この世の政治でも、権力者は刑罰の脅しという公権力を用いて自分たちの意志を全うしようとすることがありますが、同時に、それに対して反抗する人々も、ときに権力者に罵詈雑言を浴びせたり、その人格を否定するためのあらゆる手段を使おうとしますが、それもここに記されたユダヤ人と同じ言葉の暴力に過ぎません。

当時のユダヤ人たちは、真の王を退けることで、自分たちの身にさばきを招き、その苦しみは今に至るまで続いています。しかし、「イエスは私の王です」と告白する者は、その生まれに関わりなく、イエスと同じ「神の子」の立場が与えられます。

今も、神は、「あなたの王はだれですか?」と問うておられます。そして、私たちもイエスとこの世界を共同統治する王として、この世の苦しみを引き受け、この世界に神の平和を広げるという責任を与えられているのです。

|

2017年5月 7日 (日)

士師記6-9章 「神の救いを人間の働きとする悲劇」

 201757

   歴史上の英雄には、必ず負の遺産が伴います。たとえば、豊臣秀吉は日本では尊敬を集めますが、朝鮮半島では悪魔の代名詞のような存在です。マルティン・ルターもユダヤ人迫害への道を開いたことで批判を浴びています。

どんなにすばらしいと思う人でも、近づけば近づくほど、粗が見えてくるものです。未熟な人間は、人を理想化して近づいては、「裏切られた・・」と言って非難することを繰り返します。

 

ギデオンは士師記における最高の英雄と見られています。しかし、彼はイスラエルの堕落を止められたでしょうか?それどころか彼の死後、国はますます堕落してしまいます。

聖書は決して、ギデオンを英雄としては描いていません。彼が起こした問題が見えて初めて、聖書を理解できたと言えましょう。

 

1. 弱虫ギデオンに「勇士よ。」と語りかけ、召し出された神

デボラとバラクが北のカナン人の王に勝利を収め、「この国は四十年の間、穏やか」(5:31)であったのですが、「イスラエル人はまた、主(ウェ)の目の前に悪を行なった」(6:1)ので、「主(ヤハウェ)は七年の間、彼らをミデアン人の手に渡し」ました。

ミデアン人は、かつてモーセが寄留していた遊牧民ですが、このとき、「らくだ」(6:5)を軍隊に用いて死海の東南部の本拠地からの約400kmもの長距離を「らく」に移動し、収穫を奪い取り続けました。

そこには、「アマレク人や、東の人々」が加わって、イスラエルの西南の果てのガザに至るまで、地の産物を奪い取り、家畜の餌も残らないほどになりました(6:3,4)。その悲惨は、「いなごの大軍」の来襲に例えられますが(6:5)、これはあらゆる作物を食い尽くす最大の災いでした。

 

先のデボラが戦ったハツォルの王は「二十年の間、イスラエル人をひどく圧迫した(4:3)と記されていたことに比べても「七年の間」はごく短い期間のように思えますが、それは被害が並はずれて大きかったこととセットになっています。神はご自身の民のために、常に、大患難の時期を短くしてくださいます。

 

そして、「イスラエル人は・・・非常に弱くなっていった。すると、イスラエル人は(ヤハウェ)に叫び求めた。イスラエル人がミデアン人のために(ヤハウェ)に叫び求めたとき、主はひとりの預言者を遣わした」(6:6-8)と記されます。最初に遣わされたのは士師ではなく預言者でした。

ミデアン人の勢力を強くしイスラエルを弱くされたのは、主ご自身のみわざであり、それも一定期間のことでした。それはまたレビ記26:16に、神との契約を破る時に、「あなたがたの上に恐怖を臨ませ・・・心をすり減らさせる・・種を蒔いても無駄になる・・敵がそれを食べる」と預言されていたことの成就でもありました。それは彼らを主の御前に遜らせ、「主に叫び求め」させるためでした。

残念ながら人は順境のとき、神に祈ることを忘れてしまいがちだからです。なお、遣わされた預言者は、イスラエルの民が現地の「エモリ人の神々を恐れて」(6:10)生きている罪を指摘します。それは具体的には「バアルの祭壇」を築いていたことを指します。

イエスも「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません」(マタイ10:28)と言われました。人は、恐れるべき方を恐れることを忘れた時、この世の神々や権威者の奴隷とされてしまうのです。

 

このときイスラエル人は、恐れに囚われ、「山々にある洞窟や、ほら穴や要害に」(6:2)隠れて住んでいましたが、ここに登場するギデオンも、「ミデアン人から逃れて、酒ぶねの中で小麦を打っていた」(6:11)というのです。小麦を、ぶどう酒を作る大きな酒ぶねの中で脱穀するなどあり得ないことですが、彼はそれほどに恐れに囚われていました。

そんな弱虫に、主の使いは「勇士よ」と語りかけます(6:12)。しかし、これは皮肉ではありません。主は、自分の弱さを熟知し、主の全能の力を知る人を、はじめて勇士として用いられるからです。

ギデオンは、「主は私たちを・・ミデアン人の手に渡された」(6:13)という霊的現実を知っていました。また、主が彼に「あなたのその(弱いままの)力で行き・・イスラエルを救え」(6:14)と命じられたとき、「私の分団はマナセ族のうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです」(6:15)と、自分が解放者として選ばれる人間的な資格がないことをよく知っていました。

それに対して主(ヤハウェ)ご自身が、わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデアン人を打ち殺そう」(6:16)と言われました。つまり、神がともにおられるなら、イスラエル人がまとまってでも決して勝てないミデアン人にひとりでも立ち向かえるというのです。

私たちはこれをギデオンという英雄の物語として読む傾向がありますが、これはあくまでも主ご自身による救いの物語であることを決して忘れてはなりません。

 

なお、主とギデオンとの対話は、モーセが主の召しに対し、自分が不適任であると躊躇したことを思い起こさせます。彼は40歳の時は自分の力でイスラエル人を救おうとしましたが、80歳で主の働きに召された時には、自分の弱さを徹底的に自覚していました。このときのギデオンも同じような気持ちでした。

 

2. ギデオンが求めた「しるし」の意味 

それに対しギデオンは、「そんなことは無理です!」と言う代わりに、「私と話しているのがあなたであるというしるし」(6:17)を求めます。つまり彼は、イスラエルをエジプトから救い出した神が自分とともにいてくださるなら不可能が可能になることを知っていたのです。

それに応えて主は、ご自身に献げられた肉とパンをたちどころに焼き尽くす不思議を示されました(6:19-21)。なおこのとき、「一エパの粉で種を入れないパンを作り」とありますが、一エパは22リットルですから、この苦難の時期としては途方もない大きなささげ物とも言えます。

とにかくこれを通して主は彼を、主だけを恐れる礼拝者として整えられました

 

その後、主は彼に「あなたの父の雄牛、七歳の第二の雄牛を取り・・父が持っているバアルの祭壇を取り壊し・・アシュラ像の木で全焼のいけにえをささげよ」(6:25,26)と命じます。彼の父がバアルの祭壇を持っていたこと自体が衝撃ですし、しかも彼はそれを夜陰にまぎれて行わざるを得ませんでした。しかし、雄牛バアルの象徴で、それを偶像の木で焼くのは、神のユーモアです。

翌朝、それを発見した町の人はギデオンを殺すように主張しますが、この時になって父は、偶像礼拝の愚かしさを反省し、「もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が取り壊されたのだから自分で争えばよい」(6:31)と言ってのけます。これによって、彼は「エルバアル」(バアルに戦わせよ)という名で呼ばれるようになったというのです。

 

そして、ミデアン人がヨルダン川の東のアマレク人などを糾合して、「ヨルダン川を渡り、イズレエルの谷に陣を敷いた(6:33)と記されますが、これは毎年続いていたことかと思います。かつてはイスラエルの民は逃げるしかなかったのですが、このときは違いました。

(ヤハウェ)の霊がギデオンをおおったので、彼が角笛を吹き鳴らすと、(父の氏族の)アビエゼル人が集まって来て、彼に従った」というのです。そればかりか、彼は自分の属するマナセの全域に使者を遣わし、地中海岸沿いの北に割り当て地を持つアシェル、タボル山の西側のゼブルン、ガリラヤ湖畔のナフタリ部族までもが合流します(6:3435)

ギデオンの呼びかけに人々が応じること自体が主の霊が起こしてくださった圧倒的な不思議と言えましょう。

 

そこでギデオンは改めて主のみこころを探りますが、その際の表現が、「もしあなたが仰せられたように、私の手でイスラエルを救おうとされるなら・・」(6:36,37)とあるのは、少し残念です。「私の手で」と、人間的な力に強調点を置いているかのように見えるからです。

主はかつて、「あなたのその力で行き、イスラエルを救え・・・わたしがあなたを遣わすのではないか(6:14)と言っておられましたが、その中心は、主が遣わし、主が責任を持ってくださるという意味でした。

しかも、そのしるしの求め方にも素直さが欠ける面があります。「羊の毛の上にだけ露が降りる」(6:37)ことは、羊の毛が水分を吸収する自然現象と誤解される可能性があるからです。本当は最初から、「羊の毛だけがかわいていて土全体に露が降りる」(6:39)という自然に反するしるしを求めたかったのかと思われます。

彼はだからこそ、「私に向かって御怒りを燃やさないでください」と必死にすがるように願いました。これは明らかに、「主を試みる」という律法違反とも思えますが、主は、彼の必死さの気持ちを見られ、怒らずにその求めに応じてくださいました。

 

 「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけがなる」(箴言19:21)とありますが、私たちの働きが、計り知れない大きな主のご計画の一部とされているなら、人間的な不可能が可能へと変えられます。

私たちは多くの場合、主に問いかける前に、自分の心だけで納得しようとする傾向があります。私たちは常に、主の御前に静まり、全世界に対する主の救いのご計画に思いを馳せ、ときにギデオンに習って、主ご自身が自分を用いようとしておられるかどうかを真剣に問いかけるべきかもしれません。

 

3. 『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけない

このとき集まったイスラエル軍の数は三万二千人に及びました(7:3)。しかし、ミデヤン人の陣営には、はるかに多い135,000人の兵士がいたと思われます(8:10)。ただし、ここではその軍隊の規模の違いは明白にはされていません。

イスラエルが陣地をひいた「ハロデの泉」はギルボア山の西側の山麓、ミデヤン人の陣地はその北の「モレの山沿いの谷」、タボル山の南山麓で、この二つの陣地は8㎞ぐらい離れていたと思われます。彼らにはその勢力の違いが明らかに分かっていたことでしょうが、神は何と「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない」(7:2)と言われます。

 

そこで主はギデオンを通して、「恐れ、おののく者はみな帰りなさい」と命じます(7:3)。それに応じて、三分の二もの人数が減り、一万人が残りました。

しかし、主はなおも、「民はまだ多すぎる」と言われ、水の飲み方から、三百人にまで削らせます。彼らは「口に手を当てて水をなめた者」(7:6)たちで、敵への備えが身についている精鋭と言えることは確かです。

ただし、主は決して、戦いの勝敗は、軍の多寡ではなく、勇気や力によるということを教えようとしたわけではありません。事実、主はここで、人数を減らされる理由を、「『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけない」(7:2)と説明しています。つまり、勝利が不可能と見えるまで人数を削ること自体に目的があったのです。

奇襲作戦の模範とされる源義経による鵯越や織田信長の桶狭間の戦いなどと決して混同してはなりません。

 

「ギデオンの精鋭三百人がいれば大丈夫・・」などと、積極思考の人が臆病な人々の意見を押さえる口実にこれを用いてはなりません。それは神の民の一致を崩すだけです。

実際、主はギデオンに、「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから」(7:9)と命じつつも、「しかし、もし下って行くことを恐れるなら・・・」(7:10)と言われながら、ミデアンの陣営の中にギデオンの剣を恐れさせる夢を見させ、その解き明かしまでも彼に聞かせてくださいました(7:13,14)

なお、その夢は、大麦のパンのかたまりがミデアンの天幕の中に転がり込んで来て、天幕にぶつかり、倒してしまったということですが、「大麦のパンのかたまり」は農耕中心のイスラエルを、「天幕」は遊牧民族のミデアン人の象徴でした。

 

しかも、彼は少人数を大軍に思わせる手段を講じ、「三百人を三隊に分け、全員の手に角笛とからつぼとを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせ」、真夜中の番兵の交代の時期を狙って全陣営を取り囲み、角笛を吹きならし、つぼを打ち砕き、(ヤハウェ)の剣だ、ギデオンの」と叫ばせます(7:16-20)

興味深いのは、全員の両手が、左手にたいまつ、右手に角笛持つことでふさがっているので、彼らができることはただ叫ぶことだけでした。彼らが叫んだことの中心は、そこに「(ウェ)の剣」があるということでした。

そしてそのとき、「三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、主(ヤハウェ)は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた(7:22)と記されます。これは、番兵の交代の時で立って歩いている人が多い中で敵と味方が区別がつかなくなったからでもありますが、中心は、「(ウェ)の剣」が彼らを同士討ちにさせたということにあります。

ギデオンは、私の手でイスラエルを救おうとされるなら」と尋ねましたが、救ったのは「主(ヤハウェ)の剣」だったのです。私たちの場合も、自分が剣を持って戦うのではありません。私たちの責任は、角笛を吹くように主のご臨在を知らせたいまつ世を照らすことです。

 

なお、723節で、「イスラエル人はナフタリと、アシェルと、全マナセから呼び集められ(集まってきて)彼らはミデアン人を追撃した」と記されますが、これを集めたのがギデオンであるとは記されていません。彼らは二度にわたって帰宅を命じられた人々で、戦いの様子を、息を飲むようにして見守りながら、これが追撃の好機と、自分たちで追撃作戦に加わったとも思われます。

そして、24節から8章にかけての戦いには、主(ヤハウェ)の指示がなく、すべてギデオンの主導権でなされています。彼が最初にやったことは、この勝利が確定した時点で、エフライム族を戦いに招いたことです。彼らはヨシュアを生んだ誇り高い部族なので、最初に声を掛けても従わなかったでしょうし、戦いに招かなくてもへそを曲げられます。そこでギデオンは、彼らにミデヤン人のふたりの首長の首を取らせることで花を持たせました。

 

どちらにしても、ギデオンの精鋭三百人だけで勝利を勝ち取ったと思わせないような配慮がなされています。臆病な人たちも後で戦いに加わり、勝利を味わい、分配にあずかる道が用意されていたのです。しかも、最後にエフライムも戦いに招かれイスラエルの一致が保たれています。

教会の働きにおいても、ギデオンの精鋭のような人が主導権を取ったとしても、それによって神の民全体の和が乱されてはなりません。どちらにしても、勝利を与えてくださるのは、人の剣ではなく、主ご自身の剣だからです。

 

4. ギデオンの最後の失敗と一族の滅亡

84節以降のギデオン三百人によるミデアン人のふたりのの追跡劇には、主の導きが記されていません。残念なことに、ヨルダン川の東側のスコテペヌエルの住民は、ギデオン軍に食料を与えるのを拒絶して、二人の王が捕らえられた後で、ギデオンから報復を受けます。

また、1819節を見ると、ギデオンがふたりの王を徹底的に追撃した理由が、かつてタボル山で、自分の兄弟たちが殺されたことへの報復であることがわかります。戦いが、主の戦いから、人間同士の戦いに変わっています。

 

ギデオンによる勝利の後、イスラエルの民は、彼と彼の子孫に王になるように求めます(8:22)。彼は、「主(ヤハウェ)があなたがたを治められます」(8:23)とそれを退けます。これは模範的な応答でしたが、同時に、分捕り物の金の耳輪を供出させてエポデを作ります。このとき集められた金の量は、約17,000gで現在の金価格1=4,920円で計算すると8,400万円に相当します。

本来エポデは、神の栄光と美を現わす大祭司が身に着ける装束でしたが、彼はそれを自分の町オフラにおいて人々の礼拝の対象になるのに任せてしまいます。「イスラエルはみな、それを慕って、そこで淫行を行なった。それはギデオンとその一族にとって、落とし穴となった8:27と記されるのは、その後の悲劇の導入のことばです。

 

本来なら、ギデオンは、民全体を当時エフライムとベニヤミンの境のベテルにあったと思われる神の幕屋に集め、感謝のいけにえを献げて主を礼拝すべきだったのです。この勝利が真の礼拝復興に結びつかなかったことが、民全体とギデオン一族の悲劇になります。つまり、神が与えられた勝利がカナン文化の影響で歪められて捉えられたのです。

私たちも、神のみわざを信仰の英雄の働きとして解釈することがありますが、人の能力が前面に立つと、そこから自分を神とする人と人との戦いが生まれます。

 

イスラエルは「四十年の間、穏やかであった」(8:28)のですが、「ギデオンが死ぬとすぐ、バアルを慕って淫行を行ない・・・自分たちを救い出した彼らの神、主(ヤハウェ)を心に留めなかった」(8:3334)という堕落に陥ります。

そして、9章では彼の一族の滅亡が描かれます。彼は大勢の妻を抱え(8:30)、支配下のカナン人の町シェケムの女からアビメレクを生みます(8:31)92-4節から明らかなようにこの女はカナン人であり、それは明らかな律法違反です。しかも、アビメレクとは「私の父は王」という意味ですから、ギデオンは自分を王と見ていたことが示唆されます。

そして、835節以降、ギデオンの名はエルバアル(バアルに戦わせよ)という名で思い起こされます。9章では、エルバアルの子アビメレクが、母の一族の異邦人を味方に引き入れ、バアルの宮から得た軍資金を元手に兵士を集め、エルバアルの息子たち七十人を虐殺し、王になります(9:5,6)。何と、イスラエルとカナン人の混合王朝ができたのです。

しかし、神は彼らに「わざわいの霊」(9:23)を送って戦いを起こさせ、シェケムを裁くとともに、アビメレクを女の手によって殺します。ギデオンエルバアルという戦いの名で呼ばれるところに、バアル礼拝と戦いながら、その子の時代にそれに呑み込まれ、エルバアルの王国が自滅するという皮肉が見られます。

彼らは主の勝利を、人間の勝利に再解釈し、神の国ではなく人間の王国を作ろうとして滅びてしまったのです。

 

  ギデオンの歩みは、最初は謙遜でしたが、劇的な勝利の後で、人間的な行動をするようになりました。そして、人々を真の礼拝者として整えることに失敗しました。

その結果、彼が残した家庭は、子供同士の殺し合いで自滅しました。これはキリストの教会が心から注意しなければならないことです。「あの人の信仰によって」とか「あの人の祈りによって」などと、神のみわざを人間のわざに再解釈してはなりません。

 

  人の熱心さが、主を動かすのではありません。「万軍の主(ヤハウェ)の熱心」が人を動かすのです。そして主に用いられる人は、何よりも、主の御前に遜り、主のみこころに自分の意志を合わせられる人です。

|

« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »