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2017年9月24日 (日)

ヨハネ21:1-14 「新しい時代に生きる者として」

                                          2017924

   イエスの復活によって世界は新しい時代に入っています。「新しい創造(New Creation)](ガラテヤ6:15)はすでに始まっています。しかし、多くのキリスト者は、古い生き方に縛られ、新しい時代の生き方に適応しきれていないのかもしれません。

しばしば、私たちの日々の生活は、この世の人々と何も変わらないように見えることでしょう。しかし、それは既に、「キリストのうちにある生活」とされているのです。そのキリストは、死者の中からよみがえられた方です。

私たちが出会う十字架の苦しみの向こうには、必ず、復活の勝利が約束されています。「死も・・御使いたちも・・・どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません(ローマ8:39)と言われる通りです。

その新しい「いのち」は、主の語りかけを聞き、それに従い、そこに主の祝福を見ることを通して現されています。そこでは私たちの労苦は無駄になりません。そこには決して言語化することができないような深い感動があります。

 

1. 弟子たちが疲れ、失望した時、イエスは岸辺に立たれた。

   「その後、イエスはティベリヤ湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。現された次第はこうであった(21:1)。ティベリヤ湖とはガリラヤ湖のことですが、それはローマ皇帝にちなんで呼ばれた名称です。

その後」とありますが、イエスは死人の中からよみがえられた後、泣き続けているマリヤにご自身を現されました。マタイとマルコによると、その前かと思われますが、御使いは女たちにペテロと弟子たちへのメッセージを託し、「イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます(マルコ16:7)と告げたと記されています。

ただし、イエスはその直後、エルサレムにおいて、ユダヤ人を恐れて戸を閉じていた弟子たちの真中に立たれ、また、他の弟子たちの証しを拒絶したトマスにご自身を現されました。そこでは悲しみが喜びに、恐れが平安に、疑いが確信へと変えられて行きました。

これらはすべてエルサレムで起こったことでしたが、今、弟子たちはイエスの命令に従い、故郷のガリラヤに戻って来ていました。たぶん、それはマタイ2816-20節の、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」と言われた大宣教命令の直前のことかと思われます(マタイ28:19)

 

ここに登場するのは七人の弟子だけでしたが、あの仲間を拒絶したトマスが二番目に出てきます。その他には、ナタナエルがいましたが、イエスは彼を最初に見た時、「まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません(1:47)と称賛したほどの人で、彼はその直前に「いちじくの木の下」で黙想し、イエスに出会うなり、「あなたは神の子・・イスラエルの王です」と告白できた(1:48,49)、優れた弟子です。ここで初めて彼の出身地が「カナ」であると記されます。

他の弟子では「ゼベダイの子たち」が記されますが、この福音記者ヨハネとその兄ヤコブのことで、彼らは漁師でした。他の弟子が誰かは不明です。

 

そこでペテロが、「私は漁に行く(3)と言うと、他の弟子たちも、「私たちも一緒に行くと応じました。トマスもナタナエルも漁師ではなかったはずですが、今はペテロに同調するしかないかのようです。

彼らはイエスの言葉に従ってガリラヤに戻ってきていたのですが、具体的に何をすべきかはまだ示されておらず、困惑する中で、ただお腹ばかりがすいて来たのでしょう。イエスが人として共にいてくださった時、食べ物の心配は必要ありませんでした

確かに、イエスの復活は彼らに喜びと希望をもたらしたのですが、まだ、毎日の糧をどのように得るかについては暗中模索の状態だったのかも知れません。これは多くの人にとって、学生から社会人へ、中年期の転職、伴侶を失っての新しい生活等などの、「移行期」に相当するかもしれません。新しい人生の段階に、まだ十分に適応できていない状態です。

 

   そのような中で、彼らは漁に出ながら、「その夜は何も捕れなかった(3)という失望感を味わいました。夜通しの働きが無駄に終わり、疲れ果てていました。その「夜が明け始めていたころ」になって初めて「イエスは岸べに立たれ(4)ました。「けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった」と描かれますが、それは当然と言えましょう。

とにかく「ガリラヤ・・・でお会いできます」と言われて来たのに、イエスはまるで、彼らが失望感を味わうのを待っておられたかのようです。これはしばしば、私たちが何らかの形で主の臨在を感じるのが、途方に暮れたときであるのと同じです。イエスはしばしば、私たちが自分の計画を達成するために夢中になっているときには、ご自身を隠しておられます

この箇所が「イエスは・・弟子たちにご自分を現わされ」という記述から始まっているのは興味深いことです。イエスとの出会いは、私たちが求めて達成できるようなものではなく、主ご自身のご意志によるからです。

 

そこで復活のイエスは、岸から沖の舟の上にいる弟子たちに、「子どもたちよ。食べるものがありませんね」と語りかけます(21:5)。それは主ご自身が彼らを幼子かのように見守っておられたことを示しています。

主は、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます(6)と言われました。「舟の右側」というキリスト教雑誌がありますが、その名はここに由来します。イエスご自身が教会に、網をおろすべき場を示してくださるという意味かと思われます。

とにかく、彼らはそれがイエスであるとは知らずに、おことばに従ってみました。「すると、おびただしい数の魚のために、もはや・・網を引き上げることができなかった」(6)というのです。そうなって初めて、「イエスが愛されたあの弟子」が、ペテロに「主だ(7)と言うことができました。

これは、ルカ5章で、かつてペテロが夜通し働いても一匹の魚も捕れなかったときに、イエスに従って網をおろすと、網が破れそうになるほどの大漁となったことを思い起こさせるできごとでした。そのとき主はペテロに、「今から後、あなたは人間を捕るようになるのです(ルカ5:10)と言われました。

 

イエスは、私たちの日常生活や仕事の成果までを心に留めておられます。主は、「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします(20:21)と言われました。弟子たちはその意味が分かっていませんでした。漁に出たことはイエスの召しに背くことではありませんが、それをイエスに「遣わされた者」としての働きと受けとめなかったことこそが問題でした。

私も証券会社時代、そのように感じることはできませんでしたが、今振り返って見ると、私が営業の荒波でもがき苦しんでいる時、イエスは、その傍らの「岸辺に立って」見守っておられたのでした。

たとえば、営業の途中、絶望して喫茶店で必死に神の助けを求めた時、直後の飛び込みの訪問先で、驚くほど大口の契約を奇跡的に取ることができました。当時、それを単なる「幸運」かのように思い、神学的な意味を洞察できなかったことが後悔されます。

 

右側に網を打ちなさい。そうすれば・・・」とは、主が「その日には・・・わたしの名によって・・求めなさい。そうすれば受けます(16:23-26)と言われたことに従う生き方です。与えられた働きを、イエスの御名による祈りの生活の一部と捉えるのです。

今改めて、昔の仕事もイエスから遣わされ、導かれ、成果を生み出されたものだったと実感しています。イエスはあなた以上にあなたの仕事を理解しておられます。

 

2. 「それほど多かったけれど、網は破れなかった」

   イエスに最初に気づいたのはヨハネでしたが、みもとに早く行こうと湖に飛びこんだのはペテロでした。しかも、主に失礼にならないようにと、わざわざ「上着をまとい(7)ました。ヨハネは直感的な洞察力に、ペテロはその行動力に、それぞれ優れていたからです。

そして続けて、その場の情景が、「一方、ほかの弟子たちは、魚の入ったその網を引いて、小舟でやってきた。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである(21:8)と描かれます。ふと私は、ペテロが「私は漁に行く」と言ったことから、彼らが夜通し無駄に働くことになってしまったのに、魚が捕れたとたん、すぐに湖に飛び込んで、重労働を漁の素人を含む他の弟子たちに任せるとは、何とも無責任のような気がしました。

しかし、ペテロは三度イエスを知らないと言った後の、深い後悔を抱えていたので、そうせざるを得なかったのかと思います。そして、その気持ちを、トマスは誰よりも理解し、また直感に優れたナタナエルもよくわかったことでしょう。

 

    そして、弟子たちが「陸地に上がると」、すでに「そこには炭火が起こされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた(9)というのです。つまり、「食べるものがありませんね」と尋ねられた主ご自身が、空腹の弟子たちのために朝食を用意しておられたのです。まさに、「主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる(詩篇127:2)とある通りです。

イエスは、腹を満たす働きに向けられた彼らの目を、必要を満たす神ご自身に向けられたのです。私たちは「食べる」ために働く必要がありますが、仕事自体が、主の召しによっています

私たちは、仕事を通して主に仕えているのです。そして、私たちが仕事で主に仕える時、真の雇用者である主がパンの必要を満たしてくださいます。

 

   イエスはそれでも弟子たちに、「今捕った魚を何匹か持ってきなさい(10)と言われ、朝食に、彼らの働きの実を加えて下さいます。私たちの日々の糧も、太陽や水という無償で得られる神の恵みに、若干の自分たちの働きを加えることによって得られたものです。

しかも、昔の人々の労苦の蓄積のおかげで、少しの労力で多くの収入を得ることができます。しかし、それが「あなたがたの捕った魚」と呼ばれ、神の恵みの中で与えられた働きの実を、自分たちの労苦の実として喜ぶことが許されています。ですから、私たちの労働は、食べるために以前に、神のみわざを喜び祝い楽しむ機会とも言えるのです。

 

   ペテロはイエスとの出会いを喜ぶ間もなく、さっそく主の指示に率先して従い、「網を陸地に引き上げ」ました。するとそれは何と、「百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった」(11)というのです。魚の数が具体的なのは、忘れられない感動を表現するためです。

しかも、「それほど多かったのに、網は破れていなかった」とありますが、それはこれほどの大漁では網が破れても不思議ではなかったからでしょう。

しかし、もし網が破れるなら、せっかくの魚がみな逃げてしまうことになりました。それは、イエスご自身が、網が破れないように支えておられた結果との解釈できましょう。後にパウロは、復活のイエスがともにいてくださることの意味を、「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから(Ⅰコリント15:58)と語りました。

 

   なお、この際、魚の満ちた網を小舟で引いたのはヨハネを含む他の弟子たちでした(8)。一方、網を陸地引き上げたのはプロの漁師であるペテロです。そして、この交わりを造られたのはイエスご自身です。

私たちも、異なった感性や能力を与えられ、協力するものとして召され、その働きの実を共に喜ぶのです。それは特に、世の人々をキリストにある交わりのもとに導く教会の働きを指しています。

  

3. 「さあ来て、朝の食事をしなさい・・・あえて尋ねる者はいなかった」

  イエスは弟子たちに、「さあ、朝の食事をしなさい(12)と言われました。イエスを見捨てて逃げてしまった弟子たちが、主ご自身の用意してくださった食卓に招かれているのです。何と感動的なことでしょう。

ただ、不思議にもここで、不必要とも思える記述があります。それは、「弟子たちは主であることを知っていたので、だれも、『あなたはどなたですか』とあえて尋ねはしなかった」と描かれていることです。これは、復活のイエスの姿が、十字架にかかる前の姿とはかなり異なっていて、そのような質問が出ても不思議ではない状態があることを示唆しているとも言えましょう。

彼らは、以前とは異なった、復活後の栄光に包まれたイエスによって食卓に招かれながら、ただただ感動していました。それと同時に、その表情は以前とは異なっても、確かに、その方は自分たちの罪を負って十字架にかかってくださったイエスであるということが分かったのでしょう。

しかも、そこにことばの必要がないどころか、弟子たちには感動のあまり、どのように語ってよいかも分からない状態だったとも言えます。真の感動は沈黙を生むからです。

 

しかも、イエスはすでにそこで「炭火(21:9)を起こしておられました。ペテロはそこで、自分がかつて大祭司の家の中庭で「炭火」にあたりながら(18:18)、三度イエスを否認したことを思い起したのではないでしょうか。

イエスはここで、ペテロにことばで反省を促す前に、ただ沈黙の中で、心の闇に向き合う機会をお与えになりました。しかも、そこには非難とは正反対の、イエスご自身の優しさが満ちていました。

 

フーストン先生は、「『沈黙』という概念において、日本文化は、欧米のより言語的なコミュニケーションを重視する文化に対して、教えるべきことを多く持っています。それは沈黙のコミュニケーションに込められた真実があるからです・・・都会の人は、沈黙のうちに込められた意味の広さを解釈するための『時間を持っていない』と言われますが、それは同時に、解釈するための人間性を持っていないこととも言えましょう。

沈黙の中には、思いやりや謙遜、同意や忍耐だけでなく、否定的な感情としての、当惑や憤り、許せない思い、反抗、無関心、プライドなどが含まれているのです」(「キリストのうちにある生活」 PP128130と記しています。

ここでの沈黙は、否定的な感情が取り扱われる「間()」となったことでしょう。

 

フーストン氏はさらに、日本の伝統的な音楽では、「間」という沈黙の時間が中心に置かれており、音はこの「間」を作り出すための補助的役割を果たしているということ、歌舞伎や能において、言葉の間にある沈黙こそがクライマックスを表現しているということに注目しています(P129)

復活のイエスを中心とした朝食の交わりにおける「沈黙」、これこそがこの福音書のクライマックスを構成しているとも言えるのかもしれません。イエスの愛が、沈黙を通して、弟子たちの心に、そして私たちの心に迫っています。

 

その後のことが、「イエスは来て、パンをとり彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた(13)と描かれます。福音記者はその情景を簡潔に、しかも生き生きと描きだしています。私たちもその情景を思い浮かべることができます。

ペテロは後にローマの百人隊長コルネリオに、「私たちはイエスが死者の中からよみがえられた後、一緒に食べたり飲んだりしました」(使徒10:41)と印象深く語りました。

 

 これは御国で成就する「喜びの集い(ヘブル12:22)を指し示してはいないでしょうか。主はそれを、「過越が神の国において成就する(ルカ22:16)ときと言われました。

不思議にも、この書では、「最後の晩餐」の描写がほとんど描かれていません。そこで中心となっているのは、イエスが奴隷の姿になって、弟子たち一人一人の足を洗ったという情景です(13)。そこでもイエスが沈黙しながら弟子たちの足を洗っておられました。

弟子たちは唖然として、声を発することができませんでしたが、ペテロがそこで沈黙を破りました。その後の会話を通してイエスは、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(13:34)と言われました。沈黙の動作がこのことばを支えています。

 

一方、この福音書では、この湖の向こう岸での「五千人のパンの給食」の記事の中でのイエスの驚くべきことばが記録されています(6)。そこでイエスは不思議にも、「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく・・・渇くことがありません・・・わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことがなく、終わりの日によみがえらせることです」(6:35,39)と言われました。

ここでのイエスのおことばは、私たちの通常のことばの意味を超えています。これを文字通り受け取った人々はそれに、「小声で文句を言い始めた」と記されています(6:41,60)。まさに、このイエスのことばも、誤解を与えそうな表現を用いながら、敢えて説明を省いているという沈黙を味わう必要があります。

その真の意味がここで初めて明らかにされているとも言えましょう。つまり、イエスは、この地上の生活のパンを与え、来るべき復活の朝の食事を備える方として描かれているのです。

 

   ですから、「彼らが陸地に上がると(9)という時は、私たちの身体が復活する朝を連想させます。そして、イエスが、弟子たちの漁を見守りながら、岸辺に立っておられたことは、今も、主ご自身が、私たちの働きを見守り、私たちを待っておられることの象徴です。

そして、復活の朝、私たちの小さな働きを評価し、その実を祝宴の喜びに加えて下さいます。その岸辺は、主の御声が届き、ペテロが飛び込めるほど近くにありました。私たちはイエスから遣わされた者としてこの地の働きを担い、その働きの実をイエスとともに喜ぶことができるのです。

しかも、弟子たちが、イエスの差し出すパンと魚を食べた時、主の復活が、まさに腹の底に落ちた体験となりました。主の復活は、弟子の心の中に起こった心理現象のようなものではありません。聖餐式は、イエスの死と復活を、腹の底で味わう機会として与えられたものです。

 

   復活のキリストは、あなたを今の場に遣わしておられます。そして、私たちの日々の働きを見守り、結果をもたらしてくださるのは、その主ご自身です。

もし、あなたをこの地に遣わされた方を見上げさえするなら、その生涯はキリストの愛に包まれた者としての喜びの場となります。その喜びは、観念的なものではなく、目に見える生きた食事の交わりとして現されているのです。

新しい創造」としての、「キリストのうちにある生活」はすでに始まっています。私たちがキリストを信じる以前に、キリストが私たちの「いのち」を包んでおられるのです。静まり、霊の目を開かせていただいて、その感動を味わってみましょう! 

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2017年9月17日 (日)

コリント人への手紙第二3章1-18節 「キリストの手紙として」

                                           2017917

ヘンリ・ナウエンは自己嫌悪の危険性について次のように語っています。「人生の最大の罠は、成功でも、名声でも、権力でもなく、自分を嫌悪することです。成功や名声や権力は、実際、大きな誘惑をもたらします。しかし、それらに人が魅了されるのは、自己を嫌悪するという、もっと大きな誘惑から出ていることが多いのです。

『あなたには価値がない』『愛されるに価しない』と呼びかける声を私たちが信じるようになると、次は、成功、名声、権力を求めることこそが、その問題を解決する魅力的な手段のように感じられます・・・自己嫌悪は霊的生活の最大の敵です。それは、私たちを『愛する者』と呼んでくださる聖なる声に反することです。」 

実際、エリート街道まっしぐらと見えた国会議員の不祥事などを見る時、自己嫌悪感をこの世的な成功でカバーしようとした方の心の闇の深さの現れとも思えます。

 

事実、心理学的には、「傲慢」は、自己嫌悪と表裏一体の別の側面に過ぎません。自分のあるがままの姿を恥じているからこそ、強がってしまうのです。

私たちが日々、失望したり、疑ったり、人と争ったりするのは、自分が本当に愛されていることが自覚されていないからかもしれません。それを避けるためには、「愛する者」と呼びかけている神の愛の声を聴くための静かな時間が必要です。それは、『あなたは、愛されています』という言葉があなたの存在のあらゆる隅々にまで響き渡るためです。

 

深い悲しみを体験された何人もの方が、「生活の中の小さな出来事の中に主を発見する」ことを学んでいると証ししておられます。

御霊のみわざは、劇的な奇跡や癒しよりは、日々の生活の中に主の恵みを見出すことを助けてくれるものではないでしょうか。そこに神の愛の優しいご配慮を見られるようになる時、私たちは自己嫌悪や自己卑下の思いから自由にされて、この不条理に満ち、愛が冷めている世界に、さりげなく、「キリストの手紙」として出て行く勇気が生まれてくることでしょう。

 

1. あなたがたはキリストの手紙です

   コリント教会はパウロの二回目の伝道旅行で生まれた教会です。主はパウロの当初の意図に反して、彼をギリシャの地での異邦人伝道に導かれました。

パウロはそこで最初、ユダヤ人に伝道しましたが、彼らがパウロに反抗して暴言を吐いたため、コリントでは積極的に異邦人に伝道するようになりました。その際、主ご自身が彼に現れ、「恐れないで語り続けなさい・・わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われました(使徒18:9,10)

コリントは、当時としてはローマやエジプトのアレキサンドリヤに次ぐ国際都市で、数多くのユダヤ人も住んでいました。そして、イエスを救い主(メシヤ、キリスト)と告白する信仰は、当時はユダヤ教の一派として見られていました。

事実、当時は新約聖書ができておらず、旧約聖書だけから教えが説かれていましたから、パウロの去った後、その信仰に導かれた異邦人は、当時のユダヤ人からの影響も強く受けながら、福音理解が歪められて行きました。

しかも、ユダヤ人からクリスチャンになった人々は、パウロが十字架に架けられる前のイエスご自身から直接の教えを受けていない、新参者に過ぎないと見て、ペテロやヨハネのような使徒とは比較できないという人々も出て来ました。

 

彼らの中には、パウロの使徒として「資格」を疑う者が出てきて、パウロが使徒であるということを証明する文書を求める者さえ出て来ました。

それに対してパウロは、彼らに自分の権威を証明する「推薦の手紙(1)などは必要がないこと説得するために、「あなたがたこそ・・私たちの手紙です」(2)と言いました。彼らこそがパウロの働きの正当性を証明し、「すべての人々から知られ、また読まれている」(2)ところの、「キリストの手紙(3)であるというのです。

それは何よりも、「生ける神の御霊」がパウロの「奉仕」を認めた結果なのです。彼らをキリスト者としたのは、御霊ご自身の働きなのですから。

 

私たちはすべて「生ける神の御霊によって書かれ」(3)、公開されている「キリストの手紙です。マザーテレサのように人々から尊敬される「手紙」もあれば、「あれでもクリスチャン?」と言われる「手紙」もあるかも知れません。

しかし、自分を卑下する必要はありません。パウロはこれを救い難いほどの問題を抱え、自分に反抗するコリントの信者たちに向けて語っているのですから・・。人はだれも自分が生まれ育つ環境を選ぶことはできません。恐ろしいほどの心の傷や闇を受け継いで生きている人もいます。しかし、「それでも生きている!」という現実の中に、キリストのみわざを認めることができます。

 

実際、人は誰でも、自分の罪の現実を知るにつれ、「私はイエス様なしには生きて行けない!」という思いが湧いてきます。それこそが、「キリストの手紙」としての最も根本的な要素です。

偶像礼拝の慣習から抜け出し、十字架に付けられたイエスを主と告白し、その父なる神を礼拝しているという事実自体が、神の救いのみわざを証ししているのです。

世には尊敬に値する人が数多くいますが、私たちの主は、嘲られ罵られた方です。「人間的な標準」(Ⅱコリント5:16)で人や自分を測ってはなりません。

 

2. 「新しい契約」とは?

   モーセの時代の「石の板」(3)には、「・・・してはならない」という「十のことば」が、神ご自身によって刻まれていました。それは、神が人の次元にまで下って来てくださったということの、あわれみの象徴でした。

ところが、それを聞いた人は、「私は忠実に守っている!」と傲慢になるか、「私はこれらを破ったから、もう愛される資格はない!」と自暴自棄になるかのどちらかでした。

そればかりか、「・・してはならない」と言われるほど、かえってそれを破ってみたいという敵対心を起こさせる場合もあります。

 

とにかく、せっかくの、神の愛の教えが、愛の応答を生み出すことができなかったのです。それはすでに、創造主がエデンの園で、「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない」(創世記2:16,17)と言われたみ教えが、アダムに死をもたらしたことから始まっています。

それは本来、自分を善悪の基準として、神の競争者にしない限り、エデンの園で喜びと平安に満ちた生活を過ごせるという、人間が被造物としての限界を受け入れて生きられるための「自由の教え」でした。しかし、それが蛇の誘惑によって、神の意地悪に見えたのです。

 

それで、神はご自身の救いを、「石の板にではなく、心の肉の板に」(3節別訳)、つまり、外側から命令するのではなく、心の内側に直接ご自身のみこころを知らせると約束しておられました。

神は預言者エゼキエルを通して、ご自身が全世界を新しく再創造する際のみわざとして、「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける・・・石の心を取り除き・・肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを行わせる」(36:2627)と言われました。

パウロが「肉の板」ということばを用いているのは、この預言が成就して、私たちの心が、肉のように柔らかくされ、神の御教えに敏感に反応するように変えられることを指したものです。

 

また神は、預言者エレミヤを通して、「わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書き記す(31:33)と約束しておられました。

み教えが人の心の奥底に届くこと、それこそ「新しい契約」(6)と呼ばれるものであり、神が、「その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ(エレミヤ31:31参照)と約束しておられたことの成就でした。

つまり、神は、この新しい時代に、ご自身の霊を罪人たちに直接与え、心の内側に神への愛を起こさせ、律法を成就してくださるというのです。

 

あなたはその御霊を受けた結果として、「イエスは主です」(Ⅰコリント12:3)と告白し、イエスに従った生き方をしたいと心で願うようになりました。十字架にかけられた方の生き方に憧れるなど、世の人々にとっては「愚か」以外の何物でもないのですから(Ⅰコリント1:18、それこそ御霊を受けた証拠です。

そして、御霊を受けたあなたは、旧約の預言者たちが待ち望んだ憧れの神の民とされているのです。

 

パウロはローマ人の手紙89節で、「キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません」と記していますが、「キリストのもの」とは、私たちの日常用語で言えば「クリスチャン」です。つまり、聖霊を受けていないクリスチャンというのはあり得ないという意味なのです。

それは、神の御子が私たちと同じ肉体を持つ身体となり、私たちの罪を負って十字架にかかり、三日目に死人の中からよみがえって、私たちが「神の子」とされたと信じるすべての人は、創造主なる聖霊を、またキリストの御霊を受けた奇跡の人とされているという意味です。

聖霊を受けるということを、私たちはあまりにも人間的な変化とみてはいないでしょうか。基本的な信仰告白こそが、聖霊のみわざの現れなのです。

 

3. 「文字は殺し、御霊は生かす」

パウロは、「文字は殺し、御霊は生かす(6)と語り、石の板を受けたモーセの務めを「死に仕えること」(7節私訳)とさえ呼びました。それはその尊い教えが、人を罪に定め、死に追いやってしまったからです。

「文字」が悪かったのではありません。それを受けとめる人の心が、罪で歪んでいたからなのです。

 

それに対し、パウロは自分の務めを、「御霊に仕える」(6)ことと語りました。

そして、シナイ山で律法を受けたとき、「イスラエルの子らがモーセの顔を見られないほど、栄光がその顔に現れていたのですが、それは、消え去るものだったとしても」 (7)という「モーセの顔に現れた神の栄光」との比較で、「まして、御霊に仕えることには、どれほどの栄光があることでしょう」(8)と語りました。

 

この記事は、出エジプト記3429-35節を引用して比較したものです。そこでモーセは、主のことばを語り終えた後で「顔におおいをかけた」(33)のですが、それは「彼の顔のはだが光を放つ」(30)ので、民にとってまぶし過ぎたからです。

それは、「(ヤハウェ)は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセと語られた(33:11)という、モーセの栄光の現れです。モーセは肉から生まれた者で最も神に近い人ですから、パウロが自分の働きとモーセの働きを比べたということ自体が、当時の人々にとってはあり得ないことです。それは、パウロを神への冒涜者とするほどの恐ろしい表現です。

しかし、パウロはここで、そのような傲慢なことを言っているのではなく、「石に刻まれた文字」に仕えることと、「御霊に仕えること」とを対比して自分の働きを述べているのです。モーセは神と対面しましたが、私たちのうちには創造主ご自身が宿り、創造主であるキリストの手紙とされているからです。 

 

一方、イエスをキリストと信じないパウロの時代のユダヤ人たちの状態も、「古い契約が朗読されるときには、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません」(14)と描かれています。

パウロは、モーセの「顔のおおい」の話を、モーセの書の朗読を聞くユダヤ人の「心のおおい」の話に結び付けます(15)。それは、あわれみに満ちたはずの神のみことばが、人の心に傲慢か自己嫌悪しか起こさなくなっていたからです。その「おおい」「取りのける」のが、キリストのみわざなのです。

 

ある方が、ある人から「厳しいことを言われた!」と嘆いていました。話しを伺った後で、「僕も同じことを言うでしょうね。」と言いました。するとその人は、「先生は私のことを知った上で言ってくださるけれど、あの人は私のことを何も知らない・・・」と言いました。

同じことばが人を生かす場合もあり、殺す場合もあります。違いは、愛が伝わっているかどうかにあります。十字架は、「神が私たちの味方」(ローマ8:31)となってくださったことのしるしです。

キリストの愛が私たちの「心のおおい」(16)を取り除くのです。そして、それを分からせてくださるのが御霊のみわざです。

「文字は殺し」とは、正しいからこそ正論が人を追い詰めるという現実を現わしています。一方、私たちは、「御霊に仕える者」とされています。

 

御霊こそが、神の愛の教えをやさしく、寄り添うように、心の底に伝えることができます。御霊の働きは、私の罪が神のひとり子を十字架に架けるほどに恐ろしいものであることを示すとともに、このままの私の存在が、御子を身代わりにして救いたいと願うほどに「高価で尊い(イザヤ43:4)という逆説を納得させるものです。

驚くべき恵み(Amazing Grace)の二番の歌詞は、「恵みこそが私の心に神への恐れ(畏れ)を教え、恵みによって恐れが和らげられた」という逆説が歌われています。私たちは真に恐れるべき方を恐れる時に、自己嫌悪感や、神と人から拒絶されるという「恐れ」から自由にされるのです。

  

4. 御霊なる主の働き 

 「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです」(16)とは、「モーセが主(ヤハウェ)の前に入って行って主と話すときには・・おおいをはずしていた」(出エジ34:34)という事実が背景にあります。私たちはキリストの十字架により罪が赦された者として、モーセと同じように大胆に神の御前に出て行くことができます。

その上でパウロは、「その主とは御霊のことです」(17節私訳)と不思議な展開をします。これは、モーセが律法を与えた主ご自身を見たように、私たちも、「新しい契約」を与えてくださった御霊ご自身に向くことを意味します。

それは、私たちの罪深く、混乱した心のありのままを、聖霊の御前にさらけだすことです。それは外科手術をする医者の前に自分の身を差し出すようなことです。

 

そして、「主の御霊のあるところには自由があります」と言われます。それは、御霊が私たちの心の奥底にある「ことばにできないほどの深いうめき」をご自身の「うめき」として、父なる神に祈ってくださるからです(ローマ8:26)

聖霊は、私たちが自分を知る以上に、私たちの心を知っていてくださいます。「御霊のうめき」の中で、私たちの心が自由にされます。これは、モーセのように、神に選ばれ、「顔と顔とを合わせて」(出エジ33:11)、神を見る自由を意味します。

それは、敢えて言えば、「・・からの自由」ではなく、「・・への自由」を意味します。それこそが聖書が語る自由の中心です。モーセが、直接に神を仰ぎ見て、その顔がまぶしいほどに輝いたのと同じことが、こんな私たちにも実現するというのです。

 

   その上で、「主の栄光を鏡に映すように見ながら(18節新改訳別訳)と記されます(新改訳で「反映させ」と訳された動詞は、聖書中ここにしかありませんが、「見つめる」と訳す方が当時の一般的な用い方)

コリントは当時の最高の鏡の生産地でしたが、それにしても現代の鏡の精度よりは各段に落ちました。それで、「鏡に映すように見る」とは、「顔と顔とを合わせて」ではなく、間接的に見ることの象徴になりました。つまり、これは「黙想」することを意味します。

しかも、「主の栄光を見る」とは、後で「キリストの御顔にある神の栄光」(4:6)とも言われるように、キリストご自身を見ることです。つまり、ここでは、キリストの御姿を、またキリストの生涯の歩みを、十字架を黙想することを意味すると思われます。

 

その結果として、「その同じかたち」、つまり「主の栄光」である「御子のかたち」(ローマ8:29参照)にまで、「栄光から栄光へと、姿を変えられて行く」というのです。そして「これは、御霊なる主による」みわざであると結論づけられます。つまり、私たちが「御霊なる主」に向くことによって、御霊ご自身が私たちの「顔のおおい」を取りのけ、神の栄光を見ることを可能にし、その現れであるキリストと同じ姿にまで変えてくださるというのです。

私たちが自分の力で変わろうとするのではありません。人の力には傲慢か自己嫌悪が生まれまるからです。これは創造主ご自身であられる御霊の再創造のみわざであり、キリストの謙遜が生まれます

なお、これは私たちの「心のおおい」が取りのけられて「キリストの心」(Ⅰコリント2:16)によって「モーセの書」をはじめとする聖書全体を黙想できるようになることでもあります。私たちは聖書のどこにでも、キリストを見出し、そこにおいて(ヤハウェ)の栄光を黙想することができるのです。

 

私たちはすべて、「生ける神の御霊」によって記された「キリストの手紙」です。私たちはみことばの著者である御霊ご自身に仕える栄光が与えられています。それはモーセが受けた栄光にまさる「栄光」です。

そして、私たちが御霊なる主に向き、この身を御霊の働きに委ねるときに、キリストのすばらしさが迫ってきて、「栄光から栄光へと」、その「同じかたちに」まで「姿を変えられて行きます(3:18)

 

ただし、「栄光」とは、私たちが地上的な意味で求めるものとは異なるということも知る必要があります。

イエスは、かつて「人の子が栄光を受けるその時が来ました」と言いつつ、ご自分が「一粒の麦」として死ぬことを予告されました(ヨハネ12:23,24)。また、ユダの裏切りが実行に移される時、「今こそ人の子は栄光を受けました」(ヨハネ13:31)と言われました。

つまり、イエスが「栄光を受ける」とは、何と、ご自分の愛弟子に売り渡され、人々からののしられ、十字架で殺されることを指していたのです。しかし、それは悲惨なようでありながら、この地上の人々の評価からまったく自由にされている姿でもあります。そこに真の喜びがあります。なぜなら、真の栄光とは神との豊かな交わり自体にあるからです。

十字架のキリストの御跡に従う者に、神がどれほど身近にいてくださるかは、キリストの十字架と復活で明らかです。

 

キリストの御霊のみわざは何とダイナミックで、自由と喜びに満ちていることでしょう。あるとき、自己嫌悪に陥りながら、「神は私たちのうちに住まわせた御霊をねたむほどに慕っておられる」(ヤコブ4:5)というみことばに深く慰められました。

御霊を受け、神の子とされた誇りを忘れてはなりません。この逆説的な栄光は、人から誤解され、非難される中で体験できます。それこそキリストの歩みだからです。

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2017年9月10日 (日)

Ⅰサムエル13~15章 「人の顔色を気にしたサウルの悲劇」

  2017910

   日本では「その場の空気を読む」ことが、社会での成功の秘訣とも言われます。しかし、空気は一夜にして変わります。大戦前に鬼畜米英と言っていた世論は、米国への感謝へと変わりました。

2009年の鳩山政権下で、温室効果ガス25%削減を国際公約し、大型原発20基新設を試算していました。話題の巨大重電企業が米国の原発会社を買収したのは、それに至る空気の中で起きたことですが、皆がそれを忘れ、経営者の愚かさが非難されています。しかし、温暖化対策一辺倒の空気は、原発事故で一夜にして変わり、原発が一時全面停止されました。一方、ドイツでは、日本の事故のはるか前から長い年月をかけて原発を無くする方向に既に舵を切っていました。日本の政策の変わりやすさを見る時、どこに原則があるのかと不思議に思えます。

僕が米国留学中に信仰に導かれた理由の一つに、人の目を意識しながら生きることへの嫌悪と苦しみがありました。ただ、帰国して日本の教会に通い出すと、「空気を読めない帰国者」として浮いていたと妻に後で言われました。今、牧師となりながらも、いつも人々の気持ちを受け止め、場の空気を読むことと、主の眼差しのみを意識して従うこととの狭間で心が揺れています。

      

1.サウルは不安のあまり祭司の権威を犯してしまった

「サウルは三十歳で王となり、十二年間・・王であった」(13:1)とは、脚注のように原文が定かではありません。ギリシャ語七十人訳にはこの節自体が存在しません。

王としての支配の期間は、「二年」と原文にありますが、その前に何十年かが加えられると考える方が現実的です。ヨセフスのユダヤ古代誌の写本には、40年と20年の支配の両方があり、使徒の働き1321節には「四十年」と記されています。

 

サウルは東の敵アモン人(ロトの子孫)との戦いに勝利し、王権の創設宣言が喜びのうちになされました(11:14,15)。そして、ここでペリシテ人との戦いが記されますが、初めて息子ヨナタンが登場し、彼に三分の一の軍隊を任せたという記述からすると、これはサウルが30歳の時ではあり得ないと思われます。

サウルが王としての油注ぎを受けたのは、父親の雌ろばを捜すような若者の時代でした。それからすると、このペリシテ人との戦いは、サウルが王になってかなりの年月が経過した後と考えるのが自然です。

 

ヨナタンペリシテの守備隊長をベニヤミンの中心地ゲバで殺します(13:3)。そこは、105節で「ペリシテ人の守備隊のいる神のギブア」でサウルが預言者の一団と出会ったという記事とつながります。つまり、ペリシテ人がベニヤミンの領地の中に深く入り込み、要塞を築いて守備隊を配置していたというのです。

ヨナタンの攻撃は、「サムエルの生きている間、主(ヤハウェ)の手がペリシテ人を防いでいた(7:13)という軍事的な均衡を破った?とも言えましょう。

そこで、「サウルは国中に角笛を吹き鳴らし…イスラエル人はみな・・・ギルガルのサウルのもとに集合します(13:3,4)。このギルガルは、ゲバから20㎞~30㎞も東にあるヨルダン川沿いの低地で、イスラエル軍は退却して背水の陣を敷く形になっています。

 

ペリシテ人が「戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように多い民であった・・彼らは上って来て…ミクマスに陣を敷いた(10:5)とありますが、これはサムエルがかつて巡回していたベテルやミツパよりも5㎞以上も東に入り込んだ地で、ベニヤミンの中心部分に圧倒的なペリシテ人の前線が築かれたことを意味します。

彼らは鉄器を独占しており(13:19-22)、まだ青銅器時代のイスラエルには勝ち目が見えません。ですから、「イスラエルの人々は・・・圧迫されて・・・ほら穴や・・・地下室、水ための中に隠れた」ばかりか、ヨルダン川の東側に逃げた民もいました。そこで、サウルのもとにとどまった民も「震えながら彼に従っていた」と描かれます(10:6,7)71011節のサムエルの勝利が嘘のような事態に陥っています。

 

そのようなとき、「サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待ったが・・・来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした(13:8)というのです。この前提になるサムエルの命令108節にあり、そこでは彼がいけにえをささげにギルガルに来るまでに七日間待つようにと命じられ、その上で作戦が授けられるかのように記されていましたが、それはずっと昔のことだったと思われます。

ただそこでもここでも、政治的な王であるサウルがサムエルの祭司としての働きを侵害してはならないことでは共通しています。とにかく、サムエルのもとではペリシテ人の攻撃を恐れる必要が無かったので、彼の到着の遅れは大きな不安となりました。それで、サウルは焦り、自分の手で主にいけにえをささげました。

 

ちょうど彼が全焼のいけにえをささげ終わったとき、サムエルがやって来」て、「あなたは、何ということをしたのか」と叱責します(13:10,11)。それに対しサウルは「民が私から離れ去って行こうとし・・・今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主(ヤハウェ)に嘆願していないと考え」と言い訳しました(13:11,12)

それを聞いたサムエルは、「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主(ヤハウェ)が命じた命令を守らなかった。主(ヤハウェ)は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに今は、あなたの王国は立たない(13:13,14)と、サウルの王権を主が取り上げて、別の王が立てられると通告しました。これはまさに、取り返しのきかない過ちであったというのです。

サウルの行為は、主が立てられた権威を侮ることでした。それは、主ご自身を退けるのと同じ意味を持っていました。しかし、彼の関心は、主ご自身を求めることよりも、人心が自分から離れるのを防ぐことにあったのです。サウルは、「(ヤハウェ)の手がペリシテ人を防いでいた(7:13)という根本を忘れていました。

 

そして1315節は、七十人訳によると、「こうしてサムエルは立って、ギルガルから去って行った。残っていた人々は、戦士たちと合流するためにサウルについて行き、ギルガルからベニヤミンのギブアへ上って行った。サウルが彼とともにいる民を数えると、おおよそ六百人であった」と訳すことができ、多くの学者はそれがもともとの記述であったと理解します。

つまり、サウルは、ペリシテ人の大軍の前に孤立しているヨナタンの軍に合流しようとしたのです。民が震えていたにも関わらず、はるか先の高地にあるギブアにまで上って行ったのは、ヨナタンの救援のためでした。しかし、驚くほど少ない人々しか従いませんでした。この記述は、戦いを主導しているのがサウルよりもヨナタンであることを示唆します。

 

サウルは、恐れに囚われ、民の心を掌握するために、主が立てた祭司の権威さえ犯してしまいます。一方、息子のヨナタンは、後の記述に明らかなように、ただ主(ヤハウェ)だけを見上げ、これを主の戦いと見て、恐れを超えた、大胆な行動をします。親子でありながら、その姿勢は何と対照的なことでしょう。

 

2.神に信頼したヨナタン、神の好意を得ようと墓穴を掘ったサウル

そのような中で息子のヨナタンは、「大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、(ヤハウェ)がお救いになるのに妨げになるものは何もない」(14:6)と言い、たった一人の道具持ちの若者を引き連れ、「ペリシテ人の先陣に身を現わし」ます(14:811)

そこで、ペリシテ人が「おれたちのところに上って来い」と言えば、「(ヤハウェ)イスラエルの手に彼らを渡されたのだ(14:10,12)と、主のみこころを判断しようとします。それは、先陣が薄い守りで、イスラエルを攻撃するために兵を裂く余裕がないという軍事的な判断です。同時に、傲慢な者ほど、主の前に弱い者はないという神学的な知恵だと思われます。

ヨナタンは無謀な戦いを挑んだのではなく、全能の万軍の主に信頼する一歩を踏み出そうとしています。

 

その結果、彼らが「最初に殺したのは約二十人」だけですが(14:14)、これによってペリシテの陣営に恐れが起こり、それは神の恐れ(14:15原文)となったというのです。そして16節の群衆の動揺とはペリシテの陣地の様子であり、サウルはそこで攻撃を加えるべきかどうか迷い、主のみこころを求めます。

18節に記された「神の箱を持って来なさい」とは、3節にあった「エポデを持って来なさい」の読み間違いであろうという見方が多数あります。七十人訳の複数の写本ではそのように記されていますし、19節でサウルが祭司に、「もう手をしまいなさい」と命じたことばは、契約の箱の扱いには相応しくないからです。

 

どちらにしてもサウルは、ペリシテ人の陣営の騒動を確認すると、主のみこころを求めることをそこで止め、「戦場」に向かいます14:20。すると、ペリシテ人は「剣をもって同士討ちをしており、非常な大恐慌が起こっていた」(14:20)のでした。

イスラエルは鉄の剣をもっていなかったのに、ペリシテ人が自分の剣で互いに殺しあってくれたというのです。その様子を見てペリシテ人に従っていたヘブル人もイスラエルの陣営に戻り、また山地に隠れていた者たちも出てきてペリシテ人の追撃に加わりました(14:21)

 

その結果が、「こうしてその日、(ヤハウエ)はイスラエルを救い、戦いはベテ・アベンに移った」と記されます (14:23)。最後の言葉は「戦いはベテ・アベンの向こうに移った」と訳す方が良いと思われます。

さらに七十人訳では続けて「サウルとともにいた軍隊は一万人に上った。戦いはエフライムの山地全体に広がった」と記されます。戦いの勝利で、三千人から六百人に減った軍が、一万人に増えたのです。

 

   それを見たサウルは、民に「のろい」をかけて「誓わせ」、食べ物を断たせます。彼は主の不思議な勝利を見て、主のさらなる好意を得ようと必死になったのだと思われます。それと同時に、神の民の指導者として、民に感謝の犠牲を払わせることで自分の敬虔さをアピールしたのかもしれません。

彼の内心は、「夕方、私が敵に復讐するまで」(14:24)と、この戦いを私の復讐」と位置づけたことに現れています。

 

には「蜜がしたたっていた」のですが、彼らは「のろい」を恐れて、口にしませんでした(14:26)。一方、ヨナタンはそれを聞いていなかったため、を取って食べました。

民のひとりが注意すると、彼は、「父はこの国を悩ませている・・」(14:29)と言い切ります。それは戦略の過ちを批判しただけのようで、予言的な意味があります。サウルは、この後、自分の権威を立てるために、国を悩ませ続けるからです。

 

イスラエルはペリシテ人の国境まで追い詰めますが、空腹のため疲れ果てます。そればかりか、分捕り物に飛びかかり、羊や牛をその場でほふり、血のままで食べるという罪を犯します(14:32)

そのときサウルは、大きな石を用意させて、「めいめい・・私のところに連れて来て、ここでほふって食べなさい。血のままで食べて主(ヤハウェ)に罪を犯してはならない」と言いますが(14:34)、ここにも信仰の指導者を振舞う姿勢が見られます。

そして、祭司でもない彼が「主(ヤハウェ)のために祭壇を築き」ます(14:35)。サウルは、サムエルから「あなたの王国は立たない」(13:14)と言われたことばを変えてもらおうと、主の好意を得ようと必死なのでしょうが、その方法自体が主の怒りを買うことになるということをまったく自覚していません。

 

その後、サウルは、戦略の過ちを挽回するために、夜通しペリシテ人を攻め立てることを提案します。民は同意しますが、祭司はそれを差し止めて、「ここで、われわれは神の前に出ましょう」と提案します(14:36)。サウルは神に伺いますが、何の答えも得られません。

神の怒りを感じた彼は、誓いを最初に破ったのは誰かを確かめるため「ウリムによるさばき」(民数記27:21)を用いて、神に二者択一の答えを求めたのだと思われます(14:40-42)。その結果、戦いを勝利に導いた息子ヨナタンに死刑を宣言するはめになります。民の仲裁で彼を殺さずには済んだものの、サウルの霊的な暗黒が際立ちます。

彼は占いに似た目先の判断を主に尋ねましたが、このときこそ自分がサムエルを通して王に立てられたという原点に立ち返り、沈黙される主の御前に静まり、どこで自分が主のみこころに反したかを思い巡らすべきでした。

 

   そして、サウルは、イスラエルの王位を取ってから、周囲のすべての敵と戦った・・・どこに行っても彼らを懲らしめた。彼は勇気を奮って、アマレク人を打ち、イスラエル人を略奪者の手から救い出した・・・サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった・・勇気のある者や、力のある者を・・みな、召しかかえた」(14:47-52)と描かれます。

つまり、彼はこの世的には極めて有能な王で、人々から期待されていた王としての責任を果たしたとも言えましょう。ただサムエルの時は、「主(ヤハウェ)の手 」の守りが強調されていましたが、ここではサウル自身の働きという面が強調されています。

彼の性格は、人の目を強く意識するものでしたが、それは人間的には、指導力として評価される面があったとも言えましょう。

 

3. 悔いることのないはずの主が、サウルを王に任じたことを悔いたという不思議

この後サムエルは、サウルにアマレク人を聖絶せよ(滅ぼし尽くせ)との主の命令を伝えます。彼らはカナンの南側を支配し、イスラエルがエジプトから出てすぐに攻めかかってきた敵でした。アロンとフルがモーセの手を支え、ヨシュアが剣で彼らを打ち破りました。その時、主は、「わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう」(出エジプト17:14と宣言されました。

また申命記2519節では、「(ヤハウェ)が、周囲の敵から・・解放して、休息を与えられるようになったときには・・アマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない」と命じられていました。ですからサウルが王権を確立した後に、アマレクを聖絶するというのは、昔からの主のご計画であったのです。それこそ王に課せられた責任でした。

 

ところが、サウルはその主の思いに心を向ける代わりに、目先の自分の計算で、王をいけどりにするとともに、肥えた羊や牛の最も良いもの・・・を惜しみ、これらを聖絶することを好まず、ただ、つまらない、値打ちのないものだけを聖絶したのでした(15:9)

それは現代の私たちには合理的な判断に見えるかもしれませんが、主の正義を実現するためにサウルが王として立てられたという根本に真っ向から反することでした。これを見た(ヤハウェ)「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる(15:10)とサムエルに語ります。

サムエルは王を選ぶことに最初から反対しながら、主の命でサウルを任職せざるを得なかったのですから、彼が「怒り、夜通し主(ヤハウェ)に向かって叫んだ」のも当然とも言えないでしょうか。

 

一方、サウルは、「自分のために記念碑」まで立て(15:12)「私は主(ヤハウェ)のことばを守りました」(15:13)と豪語し、残した羊や牛に関しては、「民は・・惜しんだ・・あなたの神、主(ヤハウェ)にいけにえをささげるため」(15:15)と言い逃れをします。

それに対しサムエルは、「あなたは、自分では小さい者に過ぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主(ヤハウェ)があなたに油を注ぎ、イスラエルの王とされました。(ヤハウェ)はあなたに使命を与えて言われました」と主の選びには目的があると語りました。

そして、私たちも同じように、主からの使命を果たすために召されているのです。

 

ところがサウルは、「私は主(ヤハウェ)の御声に聞き従いました」と自己弁護を繰り返します(15:20)。そればかりか、15節と同じように、「しかし、民は・・・あなたの神、主(ヤハウエ)にいけにえをささげるために」と、自分の責任を回避するかのように、「民が・・あなたの神に」ということばを繰り返しました。

サウルは主のことばを自分の都合に合わせて再解釈したのですが、そこには「私の神」から与えられた「使命」という意識が欠如し、まるで、民の願望とサムエル神との間を取り持つという政治的な思惑が先行していました。

 

それでサムエルは、「主(ヤハウェ)は主(ヤハウェ)の御声に聞き従うほどに、全焼のいけにえ・・を喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」(15:22)と語ります。原文では「従う」というより「聴く」という心の姿勢が強調されています。従順は犠牲にまさるのです。

そしてサムエルは、「あなたが主(ヤハウェ)のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」と言い切ります。これは1314節に続く宣告なので、彼は激しい恐怖に捕われ、「私は罪を犯しました」(15:24)と告白し、「私は民を恐れて、彼らの声に従った(原文:聴いた)と自分の根本的な問題を認めました。

 

ただ、その後サウルは、「私の罪を赦し、私といっしょに帰ってください。私は主(ヤハウェ)を礼拝いたします」(15:25)と懇願しますが、サムエルはそれを断り、「イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔いることもない。この方は人間ではないので、悔いることがない(15:29)と言います。これは、サウルの罪によって神のご計画が無に帰するということがなく、主が新たな王を立てて御旨を成し遂げるという意味です。

ところが、サウルはそれを聞いて自分の罪を心から悲しみ嘆くのではなく、「どうか今は、私の民と長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください。どうか私といっしょに帰って、あなたの神、主(ヤハウェ)を礼拝させてください」(15:30)などと言います。これは民の前で「私に名誉を帰してください」という願いで、主よりも民を恐れたと24節で告白したことが口先だけだったことを自分で認めたことを意味します。

 

その後、「それでサムエルはサウルについて帰った(15:31)と記されているのは、明らかにサムエルがサウルに譲歩したことと言えましょうが、それはイスラエル全体の混乱を避けるための苦渋の選択でもありました。

そしてサムエルは、「ギルガルの(ヤハウェ)の前で、アガグずたずたに切った」(15:33)と記されるのは、サウルに託された使命を、サムエルが全うしたということを意味します。

ただし、これはふたりの最終的な決別になり、「サムエルはサウルのことで悲しんだ。(ヤハウェ)サウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた15:35と記されます。悔いることがないはずの主が、二度も「悔やまれた」のです。

 

「悔やまれた」とは、サウルのことで主が心を痛められたという感情表現で、本来、「深く呼吸する」という意味の派生語です。一方、彼は自分の立場ばかりを気にして、自分の罪を真に悲しんではいません。

主は、後に、「もし・・その民が悔い改める(立ち返る)なら、わたしは・・・わざわいを思い直す(原文:悔いる)(エレミヤ18:8)と言われ、ご自身のさばきの計画は変えられる余地があると約束しておられます。

 

 「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」(Ⅱコリント7:10)とありますが、サウロは、神やサムエルの悲しみを知ろうともせず、民の歓心を買おうとして自滅しました

彼は神に特別に目をかけられて王とされ、それを心から喜んでいたのに、神の御声を聴く誉れを忘れ、人の声ばかりを聴いてしまいました。これはすべての指導者を陥れる誘惑だと言えます。

あなたは神を見ているのか、人の顔色を気にしているかが、今問われています。

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2017年9月 3日 (日)

Ⅰサムエル8章~12章 「主(ヤハウェ)こそが王である」

                                              201793

核兵器の拡散に対して私たちは誰もが反対することでしょう。しかし、米国やロシアや中国に保有が認められて、他の国がそれに対抗しようとすると、それは一方的な悪であるかのように非難されるというのも不合理とも言えましょう。ただ、そこで問われているのは、すでに核兵器という悪が存在している中で、どのようにそれを制御し得るかという知恵です。そこで問われるのは、今ここでの判断と共に、永遠の平和を求めるという動機です。

すでに目の前に根本的な悪が存在している時に、それへの対応はどちらを選んでも別の問題を生み出します。敢えて言うと、どちらかが絶対正しいと主張することが新たな問題を生み出します。歴史上の独裁者はみな、自分こそ良い国を作ると自負していました。しかし、それが故に、他の意見を権力で押しつぶし、より恐ろしい悪を生み出してきたのです。

目の前の選択以前に、私たちの心の動機が問われています。神は全地の真の支配者であられ、あなたの誠実な行いを神は決して無駄にはされません。政治的判断以前に、目の前の問題に私たちがどう向き合うかが問われています。

 

イスラエルが主に従い続けていたなら、約束の地に入ってすぐ平和と繁栄を享受できたはずでしたが、彼らはそれに失敗し、目の前には異民族の脅威と貧困ばかりです。彼らは、場当たり的な解決をはかることしか頭になくなり、自分たちがどこから落ちたかを振り返る余裕がなくなっていました。

実は、私たちのすべての問題は、「自分を神とし、王とする」という、神を忘れた生き方から始まっているのです。

 

1. 「ほかのすべての国民と同じように、私たちをさばく王を立ててください。」

「サムエルの生きている間、主(ヤハウェ)の手がペリシテ人を防いで」(7:13)いましたが、「年老いたとき」(8:1)後継者のことが心配になりました。彼はふたりの息子「さばきつかさ」としました。それは申命記17:8-13に記されていた中央裁判所のような機能です。

申命記12章では、約束の地での礼拝の場は、契約の箱が置かれた唯一の中央聖所に限るべきと記され、本来はそれと合わさって神の民の一致が守られるはずでした。しかし、祭司エリの家が主に裁かれ、聖所が破壊されて以来、主はサムエルを通して、まず主のみことばを聴くという原点に立ち返らせ、中央での幕屋礼拝が停止されていました。

 

ところが、サムエルの息子たちは「わいろを取り、さばきを曲げて」(8:3)いたというのです。つまり、イスラエルは既にあるべき姿から外れている中でどのように神の民としての一致を保つことができるかが問われています。サムエルは、祭司エリが自分の息子たちを厳しく躾けることに失敗して、その家が神のさばきを受けたことを目の当たりに見ていたはずなのに、同じ問題を抱えてしまいました。

それでもエリの時代には神の幕屋での礼拝が機能していましたが、契約の箱を中心とした礼拝が中断した今、民の一致は、サムエルという一人の人にかかっていました。まさに後継者問題が最大の課題となったのです。

 

ただそこで民の長老たちは、原点に立ち返って、主にすがり、主に解決を求める代わりに、対症療法的に、「ほかのすべての国民と同じように、私たちをさばく王を立ててください」(8:5)と願います。「そのことばはサムエルの気に入らなかった」のですが、「そこでサムエルは主に祈った」と記されます(8:6)

それに対し、主は意外にも彼に、「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ」と命じつつ、「この民は、あなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのだ」(8:7)と言います。この後半は、「わたしが彼らの王であるということを退けたのだ」と訳すことができます。それは、「(ヤハウェ)は王である(詩篇99:1)というイスラエルの神制政治の根本に反することとも思われます。

目に見える地上の王の権力は、外敵から国民を守り、土地の所有権を保証するということによって成り立ちますが、それをしておられたのは、真のである(ヤハウェ)ご自身であられたという事実を彼らは否定したのです。

 

ところで、士師記には「その頃イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」(17:6,21:25)と、王の必要も示唆されていました。確かにモーセの教えが守られていたら、神の民の一致が守られて、周辺の偶像礼拝の民を恐れる必要がなかったはずでしたが、彼らは今、敵に囲まれ、戦いを導く地上的な王を必要とする事態にまで落ちていました。

しかも、主は、それを予測した上で、申命記17:14-20で、王制に関する教えを述べています。つまり、イスラエルの王制は、本来の主のみこころから外れたものであるとともに、主ご自身が、民のかたくなさのゆえに容認せざるを得ない可能性と見ておられたことでもあるのです。

しかも、エゼキエル48章では、終わりの日のイスラエルの十二部族への土地の分配が預言されますが、その中央の神殿の敷地の両脇には、「君主の所有地」が指定されています(2122)。ただ、君主への土地の分配は主ご自身によって定められ、王は神殿の内庭に入ることさえ禁じられ、王権は主(ヤハウェ)のご支配に徹底的に服従するようにと定められていました。

 

その意味で、主のご支配のもとでの制限された王制は、主のみこころのうちにありました。聖書からすると、民主主義か王制という問いかけよりも、「主(ヤハウェ)こそが、この地の真の王である」という現実を認めているかどうかが、私たちに問われていると言えましょう。

主のみこころは、この地上の白黒の判断を越えたところにあります。私たちも日々の生活の中で二者択一的な判断が求められることがありますが、多くの場合、最悪の事態が既に起こっている中で、目に見える理想をこの地に実現しようと焦る前に、私たちの中で、どなたが王とされているかが問われています。

敢えて言うならば、北朝鮮に対する対応を巡って熱く議論する以前に、「あなたは主(ヤハウェ)を全身全霊で愛しているか」という一点が問われます。

 

ここで主はサムエルに、「今、彼らの声を聞け。ただし、彼らに厳しく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ」(8:9)と語ります。11節と同様に「王の権利」と訳された言葉は、「王の支配(さばき)」と訳すべきでしょう。これは神が王に認めた権威ではなく、彼らが願った「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王」の「さばき(支配)」の厳しい現実を知らせるものでした。

その支配とは、王が自分の支配権を確立するために民衆の中から兵を徴集するばかりか、王家の耕地を耕させ、武器を作らせ、娘たちを王家の奴隷のように使い、神が分け与えた土地を取り上げ、自分に従う家来に分け与えるというものです。

どこにおいても、王権は土地の所有権の保証と、王のために戦うという軍務が一体となっていましたが、同じ原理が神の民にも起こるというのです。民はその警告を聞いてもなお、「ほかのすべての国民のように・・王が私たちをさばき、王が・・先に立って出陣し・・・戦ってくれる」ことを願いました(8:20)

 

しかし、それはイスラエルに恵みとして与えられた「神の国」の原則を根本から揺るがすことになります。その国は、すべての民が主の前に平等になる愛の共同体のはずでした。

たとえば、主は七年毎に同胞の負債を免除し、奴隷になっていた同胞を自由人とするように命じられていました(申命記15:1,12)。そればかりか、その七年の七倍の五十年毎のヨベル年には、「国中のすべての住民に解放を宣言し」、この借金の免除と奴隷解放を徹底することに加えて、原初の割り当て地に戻させました(レビ25:10)

これは自由な経済活動を保証しながら、そこから生まれる貧富の格差を定期的に是正し、階級の固定化を避けるという驚くべき知恵です。それは、しばしば相反する自由と平等の間に折り合いをつけるという神の知恵でした。

今も、経済活動の自由と、貧富の格差拡大や社会階級の固定化は大きな課題です。しかし、それに対する解決策が三千数百年前に神から提示されていたにも関わらず、イスラエルはその恵みの教えを捨て、この世のすべての王国と同じ政治形態を望んでしまったのです。

あなたも主が与えてくださる最高のものを待つことができないで、目の前の問題を急いで取り除くことばかりに熱くなってはいないでしょうか?しかし、急速な力による解決は、より大きな悪を招き入れる危険に満ちているのです。

 

2. 弱小民族ベニヤミンの中のまだ小さな家からサウルを王に立てる

   主は、民の願いを聞き入れ、サムエルを用いて王を立てます。ただし、この選択は誰の目にも意外なもので、主は、一度は絶滅しかかった弱小部族のベニヤミン(士師19-21)から、無名の若者であるサウルを選びます。

それにしても92節のサウルの描写は印象的で、「彼は美しい若い男で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民の誰よりも、肩から上だけ高かった」と描かれています。「美しい」と訳されていることばは、ごく一般的な「良い」を意味する言葉で、単純に「いい男」、英語ではハンサムと訳されることばです。この見かけの良さが、彼自身の魅力と同時に落とし穴となります。

 

サウルはあるとき父の命令で、いなくなった「雌ろば」を捜しに出かけます。捜しあぐねた彼はしもべの勧めで、「神の人(9:6)また「予見者(9:9)と呼ばれるサムエルを訪ねることにします。「予見者」とは「見る者」とも訳され、サウルが預言者に雌ロバの居場所を言い当ててもらうことしか期待していなかったことを表わします(9:8,10)

一方、主はサムエルにサウルの来訪がご自身の導きであることを告げ、「彼に油をそそいで、わたしの民イスラエルの君主とせよ」と命じます(9:15,16)。サムエルは彼に出会うと、すぐに彼の事情を言い当てるばかりか、彼を最高の賓客としてもてなすと告げます。

この時点ではサウルが王に任じられることは彼自身に隠されたままですが、彼は自分がそのような特別待遇を受ける理由が分からないと答えます(9:21)。ただ同時にサウルは、サムエルの導きに身を任せて行動し、自分のしもべを先に行かせたうえで、ふたりだけになって、「神のことばをお聞かせします」(8:27)というサムエルに従います。

 

そして、サムエルは、何の働きも見せていないサウルに油を注ぎ、王としてひそかに任職しました(10:1)。そしてサムエルは、主がすべてを支配しておられることを、その日にサウルが出会う三組の人のことをあらかじめ語ることで納得させます。

一組目のふたりは、雌ろばがすでに見つかっていることを彼に告げます(9:2)

二組目の三人は、神へのささげ物を手にベテルに向かっていましたが、神のために用意した三つのパンのうちの二つをサウルに差し出し、彼を神に選ばれた人として扱うというのです。

そして三組目は預言者の一団との出会いで、その時に起こることをサムエルは、(ウェ)の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。このしるしがあなたに起こったら、手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです」(10:67)と告げます。

ただ同時に、サウルにギルガルで七日間サムエルの到着を待つようにも命じます(10:8)。つまり、彼は何をやっても良いのですが、祭司としてのサムエルの働きだけは侵してはならなかったのです。

 

続けて、「神はサウルの心を変えて新しくされた」(10:9)とあるように、それがことごとく成就します。そして、周囲の人々は、サウルに起こった変化を見て、「サウルもまた、預言者のひとりなのか」というようになります(10:12)。これは、人々がサウルを違った目で見始めるきっかけになりました。

その上で、サムエルは、「民を主(ウェ)のもとに呼び集め」(10:17)、くじを通して、主がサウルを王として選ばれたことを示します。ただ、このとき、サウルは、誰よりも背が高いにも関わらず、「荷物の間に隠れていた」(10:22)と描かれるように恥ずかしがり屋でした。このシャイな性格というのは、常に他人の目を気にするということでもあり、そこに彼の弱さが示唆されます。

ただ、人々はサムエルを信頼していたので、「民はみな、喜び叫んで」、「王さま、ばんざい」と言いました(10:24)。つまり、サムエルの権威がサウルを王としたのです。 

 

サウルが新しくされ、また人々に前に王として紹介されたのは、油注がれた後でした。つまり、主の一方的な選びこそがすべてに先立っているのです。同じように、私たちの上に起こる変化も、自分の力である以前に、主の選びの結果だと言えないでしょうか。

サウルは誰よりも美男子で、背が高かったとしても、それは選びの根拠ではありませんでした。主は敢えてこの世の無力な者を選びながら、王を立て、また退けるのはご自身であることを明確に示されたのです。

しかも、主は、預言者サムエルを用いてサウルを王として民に示すことによって、イスラエルの王政をこの世のものと区別されました。主は本来のご自身のみこころに反して王を立てながら、なお、イスラエルをさらなる堕落から守ろうとしておられます。

 

3. サウルの王権の確立と、主がサムエルを通して与えた警告

  サムエルはそこで、「民に王の責任を告げ、それを文書にして主(ヤハウェ)の前に納め」ます(10:25)。その内容は先の申命記17章と同じだと思われ、その中心は、立てられた王が、「彼の神、主(ヤハウェ)を恐れ」、主の御教えに従い、「王の心が自分の同胞の上に高ぶることがない」という戒めでした(1920)。 

なおその際、「神に心を動かされた勇者は、彼について行った」と記される一方で、「よこしまな者たちは」、「この者がどうしてわれわれを救えよう」と言って、サウルを軽蔑したと描かれます(10:26,27)

彼の王権を認めないのは、弱小部族となっているベニヤミンへの軽蔑でしょうが、そこに神の選びへの不信があります。彼らは自分たちの先頭に立って戦う王を求めていたのですが、その基準は人間的でした。

 

10章の終わりの死海写本には、「さて、アモン人の王ナハシュはガドとルベンを残酷に圧迫して、それぞれの右目をえぐり取って、イスラエルからの救援を寄せ付けなかった・・・しかし、七千人の男たちがアモン人の手から逃れて、ヤベシュ・ギルアデに入っていた」という説明が追加されており、この文脈を分かり易く解説します。

そしてそれに続いて11章の最初の文章が登場し、「その後、アモン人ナハッシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた」と記されます。この町は、ガリラヤ湖の南30㎞余りのヨルダン川東岸のイスラエルの中心都市で、士師記21章ではベニヤミン攻撃作戦に参加せずに四百人の処女を奪い取られてベニヤミンの戦士に与えられたという、ベニヤミン族と縁の深い町です。

ヤベシュの住民はアモン人の王との和解を望みますが、彼はその住民の右の目をえぐり取ることを条件とします。その知らせを聞いたサウルの根拠地ギブアの住民は「声をあげて泣いた」のでした(11:4)

 

ところが、サウルがことの次第を聞くと、神の霊がサウルの上に激しく下った。それで彼の怒りは激しく燃え上がった」(11:6)というのです。そして、彼がサムエルの名をも用いて、民を戦いに招集した時、主への恐れがこの民に下ったので、彼らはひとりの人のように(一致して)出てきました」(11:7)

つまり、主ご自身がサウルのもとに民を一致させることによって、戦いに勝ったのです。戦いの様子は11節で「サウルは民を三組に分け・・陣営に突入し・・アモン人を打った」としか記されていません。それはサウルの功績というよりも、主が与えてくださった勝利だったからです。

ただ、これによって彼が名実ともに全イスラエルの王として認められることになり、ここに「王権を創設する宣言」(11:14)がサムエルによってなされます。そしてこの時、「サウルとイスラエルのすべての者が、そこで大いに喜んだ」(11:15)のでした。

 

彼らは、自分たちの上に王が立てられたことによって国がまとまり、周辺の国に勝利できるようになったと思ったことでしょう。しかし、そこに落とし穴があります。これはサムエルに代わってサウルが民の上に力を発揮して行く境目になります。

それでサムエルは最後に12章において、自分に与えられた権威を自分のために用いたことがあったかを問いかけます。それは自己弁護のためではなく、イスラエルの王のあるべき姿を改めて示すためでした(12:2-5)。その上で、イスラエルの歴史を振り返りながら主を恐れることを教えました(12:6-11)

そして、今、イスラエルは周辺の国々と同じ政治制度を持つようになりましたが、それで彼らは、「あなたがたの神、(ヤハウェ)があなたがたの王である」(12:12)という現実を忘れる可能性があります。それでサムエルは、「今は、小麦の刈り入れ時ではないか」と、この時が現在の五月から六月の乾季であることを思い起こさせながら、「だが私が主(ヤハウェ)に呼び求めると、主は雷と雨とを下される」と言います。

そして、それがその通り実現すると、「民はみな、主(ヤハウェ)とサムエルを非常に恐れた」(12:18)というのです。このときになって彼らは、「あらゆる罪の上に、王を求めるという悪を加えた」12:19自分たちの非を認めました。彼らはこの世の王制との違いを理解できたのだと思われます。

 

それでサムエルは、新しく始まった王政のもとで、神の民としての生きる道を教えます。その基本は、それまでのモーセの教えとまったく同じでした。彼らは、他国の王政と違い、目に見える王を支配しておられる主(ウェ)をこそ、第一に恐れるべきでした。

それでサムエルは最後に、「ただ主(ヤハウェ)を恐れ、心を尽くし、誠意をもって主に仕えなさい。主がどれほど偉大なことをあなたがたになさったかを見分けなさい。あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる」(12:24,25)と警告します。彼はこの後も影響力を残しますが、民全体に向かって語るのはこれが最後でした。

 

 イスラエルに王が立てられたというのは、神の幕屋を中心とした礼拝に祭司職による悪が入り込んだことの流れの中で起きたことです。サムエルの後継者が育っていたとしたら、人々は王を求めようとは言い出さなかったはずです。ひとつの問題が別の問題を生み出しました。

そのとき神は、聖書的な王制を求めさせるという別の道を示されました。そこには、王制の是非を越えた神の導きがありました。ですから私たちも、地上の目に見える現実を越えて、(ヤハウェ)のご支配の現実を覚える必要があります。

今、キリストご自身が、「王たちの王、主たちの主」として世界を治めておられます。そこで問われているのは、右か左かの選択以前に、「あなたの王、あなたの主はどなたなのか?」ということです。主を愛する者には、回り道をしているようなことがあっても、全てのことが無駄にならず、益に変えていただけるからです。

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