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2018年3月25日 (日)

エペソ3章1-13 「キリストの奥義に生かされる」

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生きるって、大変なことですよね。時々、めげそうになります。ときどき、「もう、やっていけない・・」と思うことがあるかもしれません。そして、ふと、「できたら、もっと気楽に生きてゆきたいな・・・」と思うことがあります。そんな中で、こんなことばが響いてきました。

君たちは、『できたら・・』を望んでいる。それにしても、『苦しみを無くそう・・』などというほど愚かな、『できたら・・』はあり得ない。私たちはそれに対して、『いまだかってないほどに、それを激しく、酷(ひど)く持ちたい!』と思う。君たちが理解する『無事安泰』、それは目標ではなく、終わりではないだろうか。それは、人間を嘲笑すべき、また軽蔑すべきものにする状態だ。それは人間の没落を望むことに他ならない。苦しみの訓練、しかも、偉大な苦しみの・・・君たちは分からないのか。この訓練のみが、今まで、人を高みに上げることを創り出してきたということを・・・」(善悪の彼岸225章私訳)

これは最近見直されているドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェのことばです。

 

しかし、彼は苦しみすぎて気が狂ったのかもしれません。彼は牧師の息子として生まれながら、五歳で父親が死に、その後、キリスト教会と牧師を何よりも憎む者となりました。彼によると道徳化されたキリスト教は、人間の内側にある生きることへの熱い意志を押し殺し、将来的な苦痛に対する恐怖の奴隷にしてしまったというのです。しかし彼は、人間イエスには深い尊敬の念を抱いていました。

彼は、「福音の使者は・・・いかに生くべきかを示すために死んだ・・彼は手向かいしない。自分の権利を擁護しない…彼は自分に害を加える人々・・の中に立ち混じって、嘆願し、悩み、愛している・・悪人に手向かいせず、これを愛する・・・イエスのような模範的な死に方、ルサンチマンの感情をことごとく超え出たあの自由感、超越感を、彼らは理解しなかったのである」(アンチクリスト353940)と書いています。

彼はある意味で、彼流の理解で、イエスに習おうとした孤高の哲学者であり、道徳化されたキリスト教の無力さを鋭く指摘しています。私はニーチェを読むたびに、三位一体論を忘れた、聖霊の働きを忘れたキリスト教の問題を気づかされます。

今も同じように、イエスに憧れ、この世の苦しみに真剣に向き合いながら、途中で息切れしてしまう人が後を絶ちません。クリスチャン生活の「奥義」を、パウロの証しと祈りから学んで見ましょう。

 

1.「異邦人のために、この私パウロはキリスト・イエスの囚人として・・・この福音に仕える」

3章1-7節は一つの文章で、「こういうわけで、あなたがた異邦人のために、この私パウロはキリスト・イエスの囚人として・・・この福音に仕えるとなりました。それは私に与えられた神の恵みの賜物によることであり、それは神の力の働き(エネルゲイア)によることです」が中心的な意味になっていると解釈できます。

ここでまずパウロは、自分が異邦人の救いのために、ローマで囚人となっているという事実に読者の目を向けさせます。ただ、それはローマ帝国の囚人というのではなく、キリスト・イエスに捕らえられている者として福音に仕えるためであり、しかもそれは、苦難というよりも神の恵みの賜物によることであり、そこに神の力が現実に働いているというのです。

パウロはかつてエペソ教会の長老たちに向かって、「私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。ただ聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません」(使徒20:22-24)と語っていました。

 

それは決して自分の苦労を自慢するためではなく、キリストの福音がいのちをかけるほどにすばらしいものであり、自分に与えられた務めは何よりの特権で、そこに「神の力が働いている(エネルゲオー)」ということを証しするためです。

ただし、それは同時に、福音がそこにある偽りの平和を壊す可能性を秘めていることを当時のユダヤ人指導者がよく理解していたことを意味します。それは、ユダヤ人と異邦人の世界が分離され、住み分けているという「隔ての壁を打ち壊す(2:14)ものでしたが、ユダヤ人にとっては、元のパリサイ人が自分たちの民族的な誇りを否定する行動をとっているようにしか見えませんでした。

 

当時、ユダヤ人とギリシャ人が、いっしょに食事を楽しむなどということはあり得ませんでした。また、ギリシャ人やローマ人がそのままの生活習慣を保ちながらユダヤ人といっしょに「神の国」に入れていただけるなどという考えは、多くのユダヤ人にとって、神のみことばに反する冒涜と思われました。

ですから、敬虔なユダヤ人たちは、異邦人がイエスに信頼することで神の民とされるという福音を説いているパウロを死刑に値する異端者と見ていました。

しかし、パウロがこの福音にいのちを賭け、牢獄にまで入れられたという犠牲と労苦が実を結んだ結果として、ユダヤからは地の果てのまだ向こうの日本にまで福音が届いているのです。その際、彼をそこまで熱くさせることができた福音にこそ目が向けられるべきです。

 

続けてパウロは、「もし、あなたがたが神の恵みの務め(計画、エコノミー)について聞いているならばのことですが、それはあなたがたのために私に与えられたものです。実に、奥義(ミステリー)が啓示によって私に知らされたのです。それは先に短く書いた通りです。それを読むことで知ることができるはずです。私がキリストの奥義(ミステリー)をどのように理解しているかということが」(3:2-4)と書いています。

彼にとって、「キリストの奥義」という啓示された偉大な知恵と、「神の恵みの務め(計画、エコノミー)という個人的な使命感は、切り離すことができない関係にありました。この「奥義」は、異邦人の救いのために、パウロがあずかったものであり、それは、いのちをかけて伝えるのに値する真理として伝わってきました。それは強いられた義務ではなく、「神の恵みの務め」と呼ばれます。

務め」とは「エコノミー(経世済民、世を治め民を救う)」の語源となることばで、「計画の全体像」とも訳すことができます。まさに「啓示された奥義」自体に、彼の生き方を180度変えるほどの力が秘められていました。それは私たちにとっても同じです。

 

「キリストの奥義」には、自己保身に向かわせる恐れ」から人を解放する力があります。そして、その「奥義」に関しては1章10,11節で、

それは、この方にあって、神があらかじめ喜びとされ、お立てになったもので、時が満ちて計画(エコノミー)が実行されるものです。それは、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。天(複数)にあるものも地にあるものも、この方にあってです」と記されていました。

これは「キリストにある再統合(recapitulation)」とも訳すことができる、東方教会神学の核心です。

 

そのことが1章20,21節では、「この大能の力を神はキリストのうちに働かせ(エネルゲオー)て、彼を死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました」と記され、キリストの支配の実現が強調されます。

そればかりか私たちも今すでに「キリストのからだ(1:23)の一部とされたことで、2章5,6節では、神は「私たちを、キリストとともに生かし・・・キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上にすわらせてくださいました」と記されます。これは復活と昇天が天国で実現するというより、「キリストのうちにある者」とされているという観点からは、既に実現していることとして見るという意味です。

私たちのうちに既にキリストご自身の分身とも言える全能の聖霊が住んでいるので、今から「王」としての誇りと責任のうちに生きられるのです。パウロが語った福音とは、ギリシャ人とユダヤ人が、ともにキリストのうちにある者とされて、ともにこの世界を治めるというものでした。

 

それはローマ帝国にとっても脅威となる教えでした。ローマ皇帝が「神の子」として崇められている社会で、イエスこそが「神の子」であり、全世界の王であると語ることだからです。

当時の人々はパウロの立場に関して、生粋のユダヤ人、パリサイ人であるという神の民のエリートであるとともに、彼が「ローマ市民」という貴族階級であることを特別視していましたが、彼は自分の内にキリストの「働き」(エネルゲイア)が満ちていることを知って、ローマ帝国の囚人とされていることを恥じるどころか、誇っているのです。

 

2.「奥義とは・・・キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり・・」

   その上でパウロは、「この奥義は、前の時代には、人の子らには知らされていませんでした。しかし、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています」(3:5)と解説します。旧約聖書には「異邦人の救い」は示唆されてはいても、疑いの余地のないほど明確には書いていなかったからです。

なぜなら、旧約の預言は、アブラハムの子孫に向かっての希望を語ったものだからです。

その中心テーマは、バビロン帝国によって破壊されたエルサレムの残りの民に希望を教えることでした。しかし、新約の時代には、聖書の教えはすべて、この世で様々な苦しみにあっているすべての異邦人のための希望でもあると知られるようになりました。

その特別な啓示を受けたのが、パウロばかりではなく、「キリストの聖なる使徒たちと預言者たち」でした。そして、それは「御霊によって」のことでした。

 

続く6節では「奥義」の内容が、「異邦人もまた共同の相続者となり、ともに同じからだに連なり、ともに約束にあずかる者になる」と解説され、そこでは、「ともに」ということばが三回も繰り返されています。その上で、それが、「キリスト・イエスにあって、福音を通して」実現したことだと語られます。

ユダヤ人の最高議会でイエスが死刑判決を受けた最大の理由は、彼が大祭司に向かって、「今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります」(マタイ26:64)と言いながら、ご自身こそがダニエル7章13,14節に預言された救い主であることを明かされたことにあります。

そこでは引き続き、神の民に対する試練の後に来る希望が、「いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐときがきた・・・国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる(同7:22,27)と描かれます。

これを当時のユダヤ人たちは、イスラエル王国の復興の約束と理解しましたが、新約の時代に啓示された「奥義(ミステリー)によれば、この約束の中に異邦人もともに加えられるというのです。

私たちは「神の国」がこの世界に完成する日を待ち望んでいます。そのときに何よりも目に見える形で実現することが、国語や民族や習慣の違いを超えて、神の民がひとつになり、この世のすべての豊かさを平和のうちに分かち合うことができるという世界です。

 

ジョン・レノンがイマジンという曲の中で、「もう国の区別なんかないって想像してごらん。そんなに難しいことじゃないよ。もう、国のためにと言って殺しあったり死んだりする必要なんてないんだ・・・もう所有なんてないって想像してごらん。それができるかな。そのとき、人はもう、欲張ったり、飢えたりする必要なんてないんだ。みなが兄弟になって、この世界を分かち合っているんだ」と歌っていましたが、それは聖書が語る「新しい天と新しい地」のイメージから生まれています。

ジョンは、この曲の初めで、キリスト教会の教えにチャレンジするような気持ちで「天国も地獄もないと想像してごらん」と歌い始めています。しかし、聖書が本当に意味で語っている「天国」の希望とは、彼が期待した「平和(シャローム)」が完成する世界だったのです。

キリストの「奥義」が実現する世界を「イマジン」しながら生きること、それこそクリスチャン生活の基本です。「新しい天と新しい地」は、私たちが憧れている愛の交わりの完成の世界です。

 

3.万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現

パウロは引き続き、「キリストの奥義」と自分の「務め」の関係を説明しながら、「この私に、すべての聖徒たちのうちで一番小さな者に、この恵みが与えられたのは、キリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、また、奥義の実現(計画の全体像、エコノミー)が何であるかをすべての人に明らかにするためです。ただ、それは万物を創造した神のうちに世々隠されていたものです」(3:8、9)と語っています。

彼が自分を「すべての聖徒たちのうちで一番小さな者」と呼んでいるのは、かつてクリスチャンたちを迫害することにいのちをかけていたという過去の過ちを心から悔いているからです。

パウロは決して、真理を求めて格闘しながら自分の知恵で福音を信じたという人ではありません。彼は聖徒を迫害する旅行の途中で、天からのキリストの声に捉えられて回心したのです。

ただし、彼のこの特別な選びは、彼が誰よりも福音のために苦しむということとセットになっていました。簡単にいうと、福音のために牢獄に入れられたり、鞭打たれ、ついには殉教の死を遂げることの代償として、彼に特別な恵みが与えられているのです。

 

どの世界でも、身勝手な「いいとこ取り」の要求は許されません。それにしても、私たちは様々な方法と段階で、「キリストの測りがたい富」の豊かさを理解できるように成長させていただけます。その豊かさを知れば知るほど、自分自身から自由になることができます

私たちが真の意味で神と人を愛することができないのは、キリストにある富の豊かさが見えていないことの結果です。「もっと恐れから自由になろう!」と自分を叱咤激励する前に「心の目がはっきり見えるようになる」(1:18)ことをこそ祈るべきです。

 

また「奥義の実現(計画の全体像)が何であるかをすべての人に明らかにする」とありますが、この「実現」とは2節の「務め」と同じ英語のエコノミー(経世済民)の語源の言葉です。

それは「万物を創造された神のうちに隠されていたもの」とあるように、パウロは人々の目を、異邦人も含めたすべての人間の創造のときという原点に立ち返らせます。

神は私たちの父祖のアダムとエバをその罪のゆえにエデンの園から追い出しましたが、今、キリストによって「新しいエルサレム」への道が開かれたのです。

 

パウロはさらに、「これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して、神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、それは永遠のご計画によるもので、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられることです(3:10、11)と語ります。

「天にある支配と権威」とは、御使いたちとサタンの支配の両方を指し、教会を通して彼らに神の救いのご計画が知らされるというのです。なぜならパウロに啓示された「奥義」とは、御使いを通してではなく、全能の神の御霊ご自身によって直接に与えられたものであり(3:5)、また、私たち弱く無知な者の集まりである「教会(エクレシア)は、「キリストのからだ」そのものであるからです。

この「集い(エクレシア)」は、悪霊を怯えさせたキリストご自身に直接に結びついているのです。この「エクレシア」の素晴らしさは、ソクラテス、プラトン、アリストテレスを生んだ世界的な学問の中心のギリシャ人と、いかなる偶像礼拝をも拒絶した最古の信仰の民であるユダヤ人が、アブラハムに繋がる「ひとりの新しい人間として創造」されたことによるのです(2:15)。「多様性を保った一致」こそ最大の力でした。

 

そしてまたパウロは、「この方にあって、私たちは確信をもって大胆に神に近づくことができます。それはこの方の真実によるのです。ですから、落胆することのないようお願いします。私があなたがたのために苦難に会っていることを。それはあなたがたの光栄だからです」(3:12、13)と述べます。

私たちは、自分の信仰によってではなく、「キリストの真実によって」、大胆に神に近づくことができます。私たちの信仰は、「キリストの真実」の反映にすぎません。

そして、すべてが愛に満ちた神のみわざによるものであるからこそ、パウロの受けている苦しみを見て、「せっかくキリストを信じたって、悪いことばかりが起きる・・・」などと落胆する必要がないのです。

いやそれどころか、パウロは、自分の苦しみの背後に、異邦人に救いをもたらそうと願うキリストご自身の熱い思いがあることに気づくようにと諭しているのです。

 

キリストは異邦人に「光栄」をもたらすためにパウロを用いますが、この世にはなお悪の力が満ちています。ですから、キリストがご自身の働きのために私たちを用いようとするとき、悪霊たちは必死に私たちの信仰を揺るがそうと攻撃をしかけてきます。

私たちが様々な試練に会うとき、自分たちが悪霊にさえ恐れられている存在であるという誇りを持つべきです。悪霊は、箸にも棒にもかからないようなどうでもよい人間を攻撃はしません。自分の信仰を恥じる前に、悪霊をも脅かしている自分に誇りを持ちましょう。

 

パウロにとって「キリストの奥義の実現(管理、エコノミー)」とは極めて具体的なことでした。彼はこの手紙をローマの獄中で書いたと思われますが、本来、初期の予定は、ギリシャ伝道の後、ローマ市民の立場を生かして当時の世界の中心のローマで伝道し、そこの教会を励まし、彼らに送られてスペインにまで行くことでした。

しかし、彼はエルサレムの貧しい聖徒たちを助けるために、ギリシャの諸教会から献金を集めて、自らエルサレムに戻ることが神のみこころであることを「御霊によって示され」ました(使徒19:21)。それは、ユダヤ人に憎まれている彼にとっては、いのちの危険が伴うことであり、回りの人々からは、無謀なこととして反対されました。

そればかりか、彼が献金の訴えをあまりにも大胆にしたためか、コリントの教会の人々からは、「悪賢く・・だましとった」(Ⅱ12:16)などという侮辱を受けました。

彼はしかし、それでも、「異邦人は霊的なことでは、エルサレムの人々からもらいものをしたのですから、物質的なことで奉仕すべきです」(ローマ15:27)と、この行為が、異邦人とユダヤ人の一致を生み出すために何よりも大切なことと信じ、エルサレムで殺されることを覚悟で行きました。彼の行動自体が「奥義の管理」の証しでした。

 

この世的な効率性の観点からは、これほど愚かな行為はありません。しかし、主イエス・キリストは、異邦人とユダヤ人の一致という「奥義」を、パウロに示すとともに、彼を動かして、目に見える形での一致を作り上げてくださいました。

このように、パウロが、誰の理解も得られないような行為を、いのちがけで行うことができたのは、彼自身のうちに「神の力の働き(エネルゲイヤ)」が聖霊によって実現していたからです。

 

パウロに明確なビジョンを与えた神は、それを実行する力をもお与えくださいました。それは、彼自身の信仰というより、「キリストの真実」によって生まれたことです。彼は結局、皇帝の裁判を受けるため、囚われの身として、ローマに移送されることになり、意外な形で彼の望みがかないました。パウロは、キリストと御霊に捕らえられて、父なる神のご計画のためにいのちをかけることができました。

そして、その結果として、今、福音が私たちのところに届いています。使命にために苦しむ力を、神は与えてくださいます。人はだれも自分の力でクリスチャン生活を全うすることはできません。

+聖書の教えは、生命力に反する道徳ではありません。そこには私たちの心を燃やし動かす、愛と力の「奥義」が啓示されています。「キリストの奥義」は、「知恵」であるとともに、私たちの心を動かす「神の力の働き(エネルゲイヤ)」でもあります。

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2018年3月11日 (日)

Ⅱサムエル18~20章「最も身近な人が苦しみの原因となる」

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 以前、ある関係者の誘いで、第二次大戦の激戦地、硫黄島で開かれた日米合同記念会に参加する機会を得ました。この戦いでは22,800人の日本兵が11万人の米国兵を迎え撃って、米国兵に死傷者28,686人という太平洋戦争最大の被害をもたらしました。

不思議なのは、米国の軍隊にこれほど甚大な被害を与えた日本の栗林中将やバロン西が、米国で深く尊敬されているという事実です。日本のご遺族も、アメリカに恨みを抱いてはおられません。両国のご遺族はともに、ただこの激戦が太平洋の平和の礎となり続けることを祈っておられるという点で一致しています。

それにしても、ある生き残りの方は、硫黄島の戦いの戦闘で無くなったのは3割に過ぎず、自決と処置が6割、残りの一割は日本人の上官自身によって殺されたと記しています。実際、日本兵は96%が戦死した一方、米国兵は死傷者の24%のみが戦死ということになっています。

日本兵の場合は戦闘能力を失った者は死ぬしかありませんでした。明らかな敵が、実は敵ではなく、味方の陣営にいるはずの人が、最も恐ろしい敵であるという現実がどの時代にもあります。もともと、水や食料の補給の目途がない戦地に兵士を追いやること自体が人を人とも思わない裏切りです。

 

今回の箇所は、ダビデ王とその将軍ヨアブの間の確執がテーマになっています。それは、身近な人からのストレスに耐えている人への慰めとなるのではないでしょうか。

ダビデが「私をののしる者が敵ではありません。それなら忍べたでしょう。私に高ぶる者が仇ではありません。それなら彼から身を隠したでしょう。しかし、おまえが。私と同等の者、私の友、私の親友が・・・」(詩篇55:12,13私訳)と嘆いたときは、彼はヨアブとの関係で深く悩んでいたのかもしれません。しかし、彼は生涯ヨアブとの関係を保ち続けていたのです。

 

1.「あなたは素知らぬ顔をなさるでしょう」と言われたヨアブ

ダビデは、アブサロムのクーデターに軍事的に対抗することを避けてエルサレムを後にし、ヨルダン川東側の奥地マハナイムに到着しました。そこはヤコブが「ここは神の陣営だ」と呼んだ場所でした(創世記32:2)。そこに三方から多くの食料を含む贈り物が届きました(17:27)

第一は以前に激しく戦ったアンモン人の新指導者のショビ、また先日まで足の不自由なメフィボシェテを匿っていたマキル(9:4)、またギルアデ人バルジライなどでした。それをダビデは詩篇235節で「敵の前で、あなたは私のために食事を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯は溢れています」と記したのだと思われます。それによってダビデに同行した民や兵士たちの活力が回復されました。

ダビデは自分たちの戦力が整ったのを見て、軍を三つに分け、それぞれをヨアブ、その兄弟アビシャイ、ペリシテのガテ人イタイの指揮に任せますが、同時に、自分があくまでも軍の先頭に立ちたいという思いを明らかにします(18:1,2)。彼はウリヤのことで罪を犯しましたが、本来、自分の身を守るために家来を犠牲にするような王ではなく、軍には一体感がありました。

一方アブサロムの軍隊は、利害で動く烏合の衆のようなもので、その勢いに明らかな差がありました。

 

ダビデは、家来たちから前線に出ないようにと懇願されると、今度は三人の将軍に、「私に免じて、若者アブサロムをゆるやかに扱ってくれ(18:5)と願いました。そしてそれは兵たちにも聞こえていました。戦いはヨルダン川の東に広がる「エフライムの森」で行なわれましたが(18:6)、一気に決着がつきます。

その様子が「イスラエルの兵たちは、そこでダビデの家来たちに打ち負かされ」死者の数が「二万人となった・・この日、剣よりも密林のほうが多くの者を食い尽くした18:7,8と描かれます。つまり、ダビデの敵たちは数の上では圧倒的な勢力になっていましたが、密林の中で連携を取ることができず自滅してしまったのです。

 

しかも、「アブサロムはダビデの家来たちに出会った・・・らばに乗って‥・大きな樫の木の・・下を通った・・頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった」という滑稽なほど悲しい結末を迎えます(18:9)

かつて、「イスラエルのどこにも、アブサロムほどその美しさをほめそやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで・・・彼は毎年、年の終わりに、頭が重いので髪の毛を刈っていたが‥王の秤で二百シェケル(2.3)もあった」と記されていましたが(14:26)、その余りにも多い髪の毛が樫の木に引っかかったのだと思われます。

これは神の摂理の中で、彼の誇りとなっていたものが彼の破滅の原因となったことを意味します。それは、「高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ(箴言16:18)と記されていることの実現です。

 

ひとりの男がそれを見つけてヨアブ報告しました。ヨアブは彼に、「なぜその場で地に打ち落とさなかったのか。私はおまえに銀十枚と帯一本を与えたのに」と言います。

それに対し彼はその百倍の報酬の銀千枚をいただいても、王のご子息には手を下せません」と答えます。それの理由を彼は、王が敢えて兵士たちにも聞こえるように、「若者アブサロム」の助命をヨアブたちに命じていたのを聞いていたからと応答します(18:11,12)

そればかりか、彼は、自分がヨアブの意向に沿うために、王命に逆らってアブサロムを打っても、「王には何も隠すことができません。あなたは素知らぬ顔をなさるでしょうが」(18:13)と面と向ってヨアブへの不信を口にします。これは、「いざとなったら、あなたは私を見捨てる方です」という意味です。

 

 ヨアブはダビデの姉ツェルヤの息子で、ダビデからも、「私にとっては手ごわすぎる(3:39)と言われるほどの勇猛な将軍でしたが、家来たちの心を捉えていたのはダビデでした。そこにダビデ軍の強さの秘密がありました。

将軍ヨアブは、ダビデの甥であり、最初から最後まで彼の側にいましたが、その心は対照的でした。ヨアブは、目的のためには手段を選ばないという点で、極めて合理的で冷徹な軍人でした。

 

 ヨアブは、この会話を打ち切って、「手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真ん中に引っ掛かったまま生きていたアブサロムの心臓を突き刺した」というのですが、そればかりか「ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも、アブサロムを取り巻いて彼を打ち殺した」という悲惨な最期が記されます(18:14,15)

その上、「彼らはアブサロムを取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石塚を積み上げた」というのです(18:17)

それはアブサロムを神に呪われた者とみなす仕打ちで、ヨシュアのアイに対する戦いで神の怒りを買って最初の敗北の原因を作ったアカンへのさばきを思い起こさせる仕打ちです(ヨシュア7:26)

 

ヨアブはかつてダビデに、アブサロムが母の実家のゲシュル王国亡命中の際に、テコアの女を使って彼の帰国と赦免を嘆願していました(14)。それとの対比でこの残酷な仕打ちには首をかしげますが、彼はその時にもゲシュル王国との関係しか考えていなかったのかもしれません。

またこのときは自分がかつてアブサロムを助けたことが仇になっている現実を怒っていたのかもしれません。

ただし、ヨアブがこの際、「兵たちを引き止め(18:16)同族イスラエルを深追いさせることを即座にやめさせたところを見ると、内乱の原因となった首謀者を厳しく処罰することでイスラエルの一致を回復するという大義があったとも思えます。

しかし、そこには、個々の人の痛みに寄り添うことができない全体主義の匂いが感じられます。

 

ところで、アブサロムは存命中に、「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから(18:18)と言って、自分のためにエルサレム近郊の王の谷(創世記14:17参照)に記念碑を立てていました。

ところが今、神にのろわれたアカンといたと同じ扱いを受けてしまいました。アブサロムは、おだてに乗せられて戦略を誤り、自滅したのでした。それは、人の愛に渇くあまり道を誤った「なれのはて」とも言えましょう。何とも心が痛みます。

しかし私たちの残すべき記念碑とは、「私たちに中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません(ローマ14:7)という生き様そのものではないでしょうか。

 

それにしても、やはり、人間にとっての最後の願いは、「私を覚えて欲しい」に尽きるのだと思われます。硫黄島を訪ね、そこにある洞窟の中に入って私は同じ叫びがあるように感じました。

彼らは暗い灼熱の洞窟の中で、水を求めて苦しんでいました。そして、同時、彼らが心の底から叫んでいたのも、「私たちを忘れないで欲しい」という訴えではないかと感じました。

硫黄島の戦いは216日の米軍上陸から始まり、2月末に飛行場が陥落すると、米軍は遺体を放置したまま、その上を舗装して3月初めには飛行場の整備を完了します。その結果が310日の死者10万人、被災者100万人をもたらした東京大空襲に結びつきます。

私たちは硫黄島の戦いには、東京を米軍のB29による絨毯爆撃から守るという使命があったことを忘れてはなりません。私たちは戦争を憎むべきですが、兵士の方々が流された血が無駄であったと判断するほど、犠牲者に失礼なことはありません。しかも、その共感力の欠如が、次の戦争につながるのです。

 

2.ダビデの嘆きとヨアブとの確執

   この戦いの勝利を祭司ツァドクの息子アヒアマツは、すぐに知らせたいと願います。その心は、「(ヤハウェ)が敵の手から王を救って、王のために正しいさばきをされたことを伝えたい(18:19)という純粋な動機でした。彼はかつてアヒトフェルによるダビデ追討計画を命がけで知らせた人であり、ダビデが「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう(18:27)と言ったのも無理がありません。

しかし、彼は、ダビデに会い、その心の痛みに触れると、アブサロムの死を自分で告げることができませんでした。一方、ヨアブは敢えて、ダビデの気持ちを察することができない異邦人であるクシュ人によって、王子の死を知らせました。それは彼であれば、アブサロムの死を、王の敵の当然の報いと報告すると思われたからです。

 

   知らせを聞いたダビデは、身震いしつつ号泣しますが(18:33)、ここで、「わが子よ」ということばが五回、アブサロムという名も三回も繰り返され、彼は、「ああ、私がお前に変わって死ねばよかったのに」とさえ言います。

アブサロムが反乱を起こしたのは、自分が父から疎まれ、憎まれていると思い込んでいたからですが、その最大の原因はダビデの沈黙でした。それにしてもこの悲劇は、「親の心、子知らず」ということわざの通りです。残念ながら、多くの人が神の燃えるような愛を知らずに、自分勝手な道に迷い込んでいます。

 

神もご自身への反抗を繰り返す北王国イスラエルに対するさばきを宣言しながら、同時に、「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている」(ホセア11:8)と言われます。その愛のゆえに神はご自身の御子を世に遣わしてくださいました。

息子に命を狙われながら、自分が身代わりになりたかったと泣いた父ダビデと同じお気持ちを、神は私たち一人ひとりに対して持っておられます。

 

   ただし、この場合、ダビデがその死を悼んでいるのは敵の大将であって、これでは命をかけて戦って帰って来た兵士たちの労は報われません。その様子が、「兵たちはその日、まるで戦場から逃げて恥じている兵がこっそり帰るように、町にこっそり帰ってきた(19:3)と描かれます。

そこでヨアブはその気持ちを代弁するかのように、「今日あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、そして妻や側女たちのいのちを救ってくれたあなたの家来たち全員に、あなたは今日、恥をかかせられました・・・もしアブサロムが生き、われわれがみな今日死んだなら、それはあなたの目にかなったのでしょう(19:5,6)と迫ります。

そして、王が顔を見せて、家来たちの労をねぎらわなければ、皆が今夜中に去って行くことになり、それは「あなたの幼いころから今に至るまで」の「どんなわざわいよりもひどいものとなるでしょう」と警告します(19:7)。ヨアブの激しいことばの背後には、自分の手でアブサロムを虐殺したという負い目があったのかも知れませんが、彼のことばは極めて合理的でした

ダビデは驚くほどに感受性が豊かでしたが、それが仇になることもあり、ヨアブのような冷徹な人の支えも必要でした。しかしこの弱さこそ、ダビデの魅力ではないでしょうか。

 

ところで、敗北して逃げていた北のイスラエル十部族は、自分たちの無節操さを恥じもせず、「われわれが油を注いで王としたアブサロムは、戦いで死んでしまった(19:10)と言いながら、再びダビデを自分たちの王にすぐに担ぎ上げようとします。

この変わり身の早い人々に頼ることは危険極まりません。それに気づいたダビデは、エルサレムにいるユダ部族の長老たちに、「あなたがたは、なぜ王を王宮に連れ戻すことをいつまでもためらっているのか」(19:11)と言いつつ、まず同族との関係の修復を願います。

その際、何と、アブサロムの将軍であった「アマサ(17:25)を、ヨアブの代わりの将軍に立てると約束します。アマサはダビデの姉アビガルの子であり(Ⅰ歴代2:16参照)、またヨアブ母ツェルヤはアビガルの姉で、アマサとヨアブはいとこ同士で、ふたりともダビデの甥です。このアマサがダビデの敵をまとめていたのですから、彼を味方につけることは大きな意味があります。ダビデが彼を「あなたは私の骨肉ではないか(19:13)と呼んだのはそのような関係があったからだと思われます。

その結果が、「すべてのユダの人々は、あたかも一人の人の心のように心を動かされた(19:14)と記されます。ダビデは利害よりも信頼関係の回復を優先しました。

 

   なお、この際、ダビデはアマサを「ヨアブに代わって‥私の軍の長」として任命しましたから(19:13)、それはヨアブを解任したということになります。それはアブサロムの最後を聞いたからでしょう。ダビデはヨアブのことで心を悩ましながらも、その能力を買っていましたが、家来たちの前で王命に背く態度を看過はできません。

ヨアブは人の心に無頓着すぎます。彼は自分こそ王を支えていると思っていたことでしょうが、ダビデの死後すぐに自滅します。ダビデが人々の心を捉えていなければ、ヨアブは家来たちを従えることができなかったのです。

最も身近な人との関係で悩むというのが人間の常です。近くにいるほど、発想の違いが耐え難いものに感じられるからです。しかし、それは互いが必要としていることのしるしかもしれません。

 

3.イスラエル王国の一致のために和解を最優先したダビデ

  ところでダビデを最初に迎えた人として描かれているのは、何と、かつてダビデを激しくのろったシムイでした。彼は、「千人のベニヤミン人」を引き連れてダビデの赦しを請います。

ヨアブの兄弟アビシャイは、彼は「死に値する」と主張しますが、ダビデは自分がベニヤミン人をも従える全イスラエルの王となっていることを前提に、すべての戦いの終結を宣言し、シムイに「あなたは死ぬことはない」と誓います(19:16-23)

 

続いてサウルの孫でヨナタンの息子メフィボシェテが王を迎えに来ますが、彼は王が出て行った日から今まで、「ひげも剃らず、衣服も洗っていなかった」ほどにダビデの心とともにありました(19:24)。そして、自分が王に従えなかった理由を、家来ツィバに欺かれ、捨て置かれたと弁解します。

ダビデは事の真偽を確かめようともせずに、メフィボシェテとツィバの両者が並び立つように財産の折半を命じます(19:24-30)。突き詰めても分らないことは、両者が並び立つように計るのが交わりを保つ秘訣だからではないでしょうか。

 

   一方、ギルアデ人バルジライは、ダビデをヨルダン川で見送るために進んで来ました。彼はダビデが最も辛く貧しかったときに養い続けてくれた恩人です。

ダビデはエルサレムで彼に恩返しをさせて欲しいと願いますが、彼は自分が高齢すぎて重荷になることを恐れ、息子のキムハムを託します(19:31-39)

 

 ところがダビデがヨルダン川を渡ったところで、北イスラエルの十部族とダビデの部族ユダとの間で、王家の主導権争いが生じます。その際、「ユダの人々のことばは、イスラエルの人々のことばよりも激しかった」(19:43)と記されます。

そこで「よこしまな者でシェバというベニヤミン人が、「ダビデには、われわれのための割り当て地がない(20:1)と、北の十部族に独立を訴えます。

そこで、「そのため、すべてのイスラエル人は、ダビデから離れて、ビクリの子シェバに従って行った(20:2)というのですが、その変節ぶりにはあきれるばかりです。ここには、後の北王国イスラエルと南王国ユダの分裂のはしりをみることができます。

ダビデはその危険をすぐに察知し、アマサに「ユダの人々を三日のうちに召集」して来るように命じます(20:4)。しかし、彼は期限に間に合わなかったため、ダビデはヨアブの兄弟アビシャイにシェバの討伐を命じます。

 

そのような中で、ヨアブアマサに出会い、挨拶をするふりをし、卑怯にも不意をついて左手をつかって剣で殺します。ヨアブはアマサが自分の代わりとされたことを逆恨みしたのでしょう。

他の家来たちが唖然としている中で、ヨアブの従者が、「ヨアブにつく者、ダビデに味方するものは、ヨアブに従え(20:11)と、シェバ追討作戦のどさくさにまぎれて、ヨアブの将軍復帰を宣言します。

そして、アマサから招集されたと思われる兵たちも一時的に「立ち止ま」りながらも(20:12)、その勢いに引きずられるようにヨアブに従います。

 

 シェバはイスラエルの北の果ての町アベルに逃げ込みますが、「ひとりの知恵ある女」が、シェバを差し出すことと条件に軍隊の撤退を願います。これによって反乱の張本人の血を流すだけで町が救われました(20:14-22)

このことをもとに、ソロモンは、「知恵は力にまさる・・知恵は武器にまさる(伝道者9:16-18)と言ったのだと思われます。それにしても、ヨアブはこれによって「イスラエルの全軍の長(20:23)としての立場に戻りました。この際、ダビデはヨアブのアマサ殺害の責任を問いはしていないようです

彼はイスラエル王国の確立という神からの使命のために、自分の怒りを抑え、さばきを主にゆだねたのです。物事を突き詰めてしまっては争いになるだけというときが誰にもあります。

ただし、ダビデはソロモンへの遺言で、「あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち彼がイスラエルの二人の軍の長、ネルの子アブネルとエテルの子アマサにしたことを知っている。ヨアブは彼らを虐殺し・・・自分の腰の帯と足の靴に戦いの血を付けた・・・彼の白髪頭を安らかによみに下らせてはならない(Ⅰ列王2:5)と命じています。

そして、ヨアブは後にソロモンの兄のアドニヤが王位を継ごうとしたことを応援することによって、自滅してしまいます

 

  ダビデは使命のために、個人的な恨みを押さえ、人と人との和解を成り立たせ、ヨアブの横暴にも耐えました。バルジライは謙遜な気持ちで、「私は今、八十歳です。私に善し悪しが分かるでしょうか。しもべは食べる物も飲む物も味わうことができません(19:35)と言いましたが、実際には、誰よりも神のご計画をわきまえ、一貫した態度を保っています。それは年を重ねることの恵みかもしれません。

正しすぎてはならない」とあるように、善悪を厳しく問うことが交わりを壊し、より大きな問題を起こすこともあるからです。「愛は寛容であり、愛は親切です(Ⅰコリント13:4とありますが、「寛容」とは不当な仕打ちに耐えること、「親切」とは、そのような人になお積極的に救いの手を差し伸べることを意味します。それこそ神の平和の基礎となります。                    

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2018年3月 4日 (日)

Ⅱサムエル15章13節~17章 「人生のどん底から始まる救い」 

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 サムエル記第二13-15章初めを読むと、「ダビデは何と愚かな父親なのだろう・・・」と唖然とするかもしれません。危機の中での「アダムの沈黙」はダビデの問題であり、多くの男たちの課題です。

ただし、その後のダビデの行動は、ほとんどすべて、信仰者にとっての模範と言えるようなものです。それは確かにダビデの類稀な資質にもよりますが、それ以上に、主がダビデの罪を通して、彼を徹底的に砕き、神のあわれみにすがるしかないという思いにさせた結果ではないでしょうか。

あなたはどうでしょうか?自分の力で生きているような錯覚に陥ることは、信仰の最大の危機かもしれません。ダビデの歩みに、またアブサロムの陥った過ちに、私たち自身の人生を照らし合わせてみるときに、いろんなことが見えてくることでしょう。

  

1.「主(ヤハウェ)の恵み(憐み)をいただくことができれば・・・」と言いつつの現実的な備え

   ダビデの長男アムノンが異母妹のタマルを強姦して捨てたことに対し、タマルの実兄アブサロムは復讐を果たします。ダビデは亡命していたアブサロムをエルサレムに呼び寄せますが、対応に苦慮して沈黙し続けます。

父から疎まれていると思い込んだアブサロムは自分が父に代わる王となろうと決意し、クーデターを決行します。彼はその前の四年間、「イスラエルの人々の心を盗んだ(15:6)と記されていました。

アブサロムはヘブロンで一方的に自分が王になったと宣言しましたが、「アブサロムにくみする民が多くなった」というのです(15:12)。こうなったのはダビデが11年間の家庭の問題に沈黙し続けた結果とも言えます。

 

そのような中でダビデに、「イスラエルの人々の心はアブサロムになびいています」と告げる者がいました(15:13)。エルサレムは天然の要害であり、ダビデは町に留まって戦う方が有利だったはずですが、アブサロムが「剣の刃でこの都を打つといけないから(15:14)と言って、町を後にします。そこには、王権にしがみつこうとしない潔さが見られます。

また、「王宮の留守番に十人の側女を残した(15:16)というのも、王宮を美しく保つためで、それはアブサロムを迎えさせるためとも、自分が戻ってくるときへの備えともとれます。彼は「all or nothing」という発想から自由でした。それは、神のみわざに「心を開く」という意味でもありました。

 

しかも、ダビデは、町はずれの家に一時的に留まり、そこで誰が王とともに都を離れるか、また王のもとを去るか、都に留めるべきかを相談します。クレテ人とペレテ人は、エホヤダの子ベナヤの指揮下にあった王の護衛の外人傭兵でしたから、王に従うのは当然でした。しかし、そのような必然性を持たない人々も自主的にダビデに従いました。

その代表が、かつてのダビデの亡命先であったペリシテガテから着いてきた六百人です。ダビデは彼らの頭であるイタイに、「戻って、あの王のところにとどまりなさい」と言いますが、それは「あなたは異国人で、自分の国からの亡命者・・・昨日来たばかりなのに、われわれと一緒にさまよわせるのは忍びない」との理由からです(15:19,20)

その際ダビデは彼に、「恵み(ヘセド)とまこと(アーメンの原型)が、あなたとともにあるように」と祝福を与えますが、それに対してイタイは、「(ヤハウェ)は生きておられ、私の主人である王も生きておられます。私の主人である王がおられるところであればどこでも、それが死ぬためであろうとも生きるためであろうとも、そこにあなたのしもべもいます(15:21私訳)と応答します。

この会話には、このペリシテ人が真の意味での主の民になっていることの証しを見ることができます。ダビデはその公平さのゆえに外国人から慕われ、彼らを神の民へと導いていたのです。

 

  23節は、「国中が泣いた、大きな声をあげて」ということばから始まり、「そしてこの民は渡って行き、王はキデロンの谷を渡り、この民もみな、荒野の方へ渡っていった」と続きます。なおそこに祭司「ツァドクも、すべてのレビ人と一緒に神の箱を担いでいた」というのです。

ただ、「民がみな都から出て行ってしまうまで、彼らは神の箱を降ろし、エブヤタルがささげ物を献げた」と記されます(15:24)。これは王とその一行が安全に逃亡できるようにと祈りを献げるためでしょう。

ただそこでダビデは、ツァドクに向かい「神の箱を町に戻しなさい(15:25)と命じました。かつて、イスラエルは神の箱をお守り代わりに利用してさばきを受けたことを思い起こしたのかもしれません。

その際、ダビデは、「もし、私が主(ヤハウェ)の恵み(憐み)をいただくことができれば、主は、私を連れ戻し・・・」と、自分が立つかどうかは、主のみこころ次第であると告白しました。

 

ダビデは、彼の家庭に起きた一連のことが、主が罪を赦しながらも、「見よ、わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす(12:11)と言われたことの成就であるということが分かっていました。

ただし、それと同時に、自分の王座はサウルのように取り去られることはなく、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」と言われた約束(7:15,16)は反古にはされていないと信じていました。

ですから、ダビデはその約束に信頼していたからこそ、潔くエルサレムを離れ、また契約の箱を残すことができたのでしょう。

 

しかしながら、それは人間の知恵を用いて問題に対処することと矛盾はしません。ダビデはそこで冷徹に、ふたりの祭司たちとその息子たちに、エルサレムの情報を知らせるように依頼します。

彼の態度には、イエスが弟子たちを世に遣わすに当たって、「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい(マタイ10:16)と言われたことと同じ原則が見られます。私たちの場合も「主に委ねる」ことと「頭を使う」ことは矛盾しません。

 

なお、ダビデはこの点で極めて冷静に見えますが、オリーブ山の坂を登るときの様子が、「彼は泣きながら登り、その頭をおおい、裸足で登った。彼と一緒にいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った」と描かれています(15:30)。これこそ、ダビデの詩篇に繰り返し描かれている祈りの姿勢です。

主に信頼するとは、冷静に頭を使うことと同時に、泣きわめきつつ、神のあわれみに必死にすがろうとすることです。

 

ところで、ダビデはこのとき自分の「助言者(15:12)であった「アヒトフェルがアブサロムの謀反に荷担している」という知らせを受けます。そのときダビデは、「(ヤハウェ)よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」と祈ります(15:31)

このようなダビデの祈りが記されているのはウリヤの妻を横取りして生まれた第一子が神に打たれて以来のことです。これは少なくとも12年ぶりの嘆願の記録です。もちろん、彼はその間も悔い改めの祈りをささげ、それが詩篇として残されてはいるのですが、彼にとって、神に具体的に願い、それがかなえられるというプロセスをこれから見ようとするというのは久しぶりのことでした。

 

ダビデはエルサレムを見下ろすオリーブ山の頂に立ちます。そこは「神を礼拝する場所になっていた(15:32)のですが、そこに、「アルキ人フシャイが上着を引き裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来た」というのです。それは、ダビデにとって祈りの答えと思えたことでしょう。

Ⅰ歴代誌27:33には、「アヒトフェルは王の助言者で、アルキ人フシャイは王の友であった」と並列して記されていますが、アヒトフェルの助言を愚かなものにできる者こそがフシャイだと思えました。ダビデは高齢のため「重荷」になりそうなフシャイに(15:33)、驚くほど危険な役割を依頼します。

それは第一に、アブシャロムに仕えるふりをして、アヒトフェルの助言を打ち壊すようにはかることであり、また第二には、政権内部の情報をエルサレムに残した二人の祭司を通して伝えるようにということです。つまり、彼は、神に真剣に祈りながらも、同時に自分が心から信頼できる人には、アブサロムを欺くための謀略まで頼んだのです。

聖書はこの善悪を論じていません。どちらにしても、神に頼ることと、友に頼ることは、本来矛盾することではないという教訓は得られましょう。

 

ダビデは家族のことに関しては、「父親失格!」という状態でしたが、国家の危機に際しては、驚くほど柔軟に潔い決断を下し、同時に現実的な政略を計ります。残念ながら、信仰の名の下に、「一か八か」の危険な賭けをすることを正当化する人がいます。

しかし、「あなたがたには、明日のことはわかりません」(ヤコブ4:14)と記されていることこそ、信仰の基本です。だからこそ、私たちは期待通りに行かないときの備えもしておく必要があります。

ただし、イエスが、「明日のことまで心配しなくて良いのです。明日のことは明日が心配します(マタイ6:34)と言われたように、今日できる以上のことにまで気を使いすぎて心と身体を傷つけてもいけません。泣いてオリーブ山を登る姿と、謀略を友に授ける姿の両面がダビデ王の真実です。

 

2.シムイの呪いに、「主(ヤハウェ)が彼に命じられたのだから・・・」と応答したダビデの信仰

   ダビデがオリーブ山からヨルダン川に向けて下り始めたとき、ヨナタンの息子(サウルの孫)メフィボシェテに仕えるツィバ二頭のろば、驚くほど大量の食料、ぶどう酒一袋を届けにきました(16:1)。彼は、自分の主人が、サウル家の復興を望み、ダビデの都落ちを喜んでいると伝えましたが(16:3)、このときダビデはそのことばをすぐに信じてしまいます。

それにしてもツィバはダビデに同行したわけではありません(19:17)。サウル王家からダビデ王家に渡り歩いてきた彼は機を見るに敏感で、将来への保険をかけたのでしょう。

 

ダビデがなおも下ってオリーブ山の北の中腹のベニヤミン人の町バフリムまで来ると、サウル家の一族の一人シムイが、狭い谷を挟んだところから、盛んにダビデへの呪いのことばを吐きながら石を投げつけてきました。

彼はダビデを、「血まみれの男、よこしまな者よ。主(ヤハウェ)がサウルの家のすべての血に報いたのだ」(16:7,8)と言って呪いました。それを聞いた将軍アビシャイは彼の首をはねさせてくださいと願います。

それに対し、何とダビデは、これは「(ヤハウェ)が彼に『ダビデを呪え』と言われたからだ」・・・「私の身から出た私の息子さえ、私のいのちを狙っている。今、このベニヤミン人としてはなおさらのことだ・・・彼に呪わせなさい。主(ヤハウェ)が彼に命じられたのだから」と答えます(16:10:11)

確かに、サウルの死後、その子イシュボシュテと将軍アブネルの死の責任がダビデにあるとベニヤミン族が思うのも当然と言えましょう。

 

後にイエスは、「あなたの右の頬を打つ(侮辱のしるし)ような者には、左の頬も向けなさい(マタイ5:39)と言われました。それをダビデは既に実践していたのです。

彼は息子の反乱が、バテシェバの夫ウリヤを計略にかけて死に至らしめたことに起因すると自覚しており、まさに自分が「血まみれ・・よこしま」であると認めざるを得ませんでした。シムイは誤解をしてはいたのですが、彼のことばには一面の真理がありました。

 

ただし同時に、このときダビデは、「おそらく、主(ヤハウェ)は私の心をご覧になるだろう。そして主(ヤハウェ)は、きょうの彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう(16:12)と言います。

シムイは自分の断固たる意思で、命がけでダビデを呪っているわけで、主が彼をロボットのように動かしているわけではありません。その意味で、悪をもたらすのは悪人であって、神ではありません。神は心の動機をご覧になって公正なさばきを下されます。

しかし、同時にダビデは、そこに主(ヤハウェ)のご支配を認めています。それゆえ、彼は、自分で復讐する必要を感じずに、神のさばきに任せることができました。彼は、サウルに命を狙われながら同じ態度を貫き通しました。生ける主のさばきを信じることが、復讐の連鎖を止めるのです。

 

それにしても、ダビデはシムイのことばに深く傷つきました。後に彼は死に臨んで後継者ソロモンに、「彼を咎(とが)のない者としてはならない」と遺言したほどです(Ⅰ列王2:9)

ただし、不当な非難でも、それが心に突き刺さるのは、恐れている自分の一面を鋭く突いているからに他なりません。ダビデはシムイのことばを聞きながら、神が自分にウリヤへの罪を思い起こさせようとしておられると感じたのだと思われます。

彼は、この件に関しては、自分の側に正義はなく、神のあわれみにすがるしかないと改めて示されたのです。私たちも、不当な非難を受けたとき、ダビデの応答を思い起こすべきではないでしょうか。

 

3.「主(ヤハウェ)がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられた」

   アブサロムが都に入ると、フシャイは彼を、「王様万歳!」と繰り返して歓迎します。アブサロムがフシャイのダビデに対する「忠誠(真実)」を確かめると、ダビデから授けられた知恵に従いながら、フシャイは、「(ヤハウェ)と、この民、イスラエルのすべての人々が選んだ方に私はつき・・・私の友の子に仕える」と彼をおだてます(16:18,19)

サウルと同じように格好が良くて、人々の評価に弱いアブサロムの自尊心が満足され、彼はフシャイをアヒトフェルと並ぶ顧問に任命したのだと思われます。

20節のアブサロムのアヒトフェルに対することばは、厳密には、「あなたがたの助言(協議)を知らせなさい。われわれは何をするか」と記されており、アヒトフェルがフシャイと相談して一つの意見を述べるように婉曲的に命じたことになっています。

 

 一方、アヒトフェルはフシャイの意見を聞くこともなく、すぐにアブサロムに、「父上が王宮の留守番に残した側女たちのところにお入りください。全イスラエルが、あなたは父上に憎まれるようなことをされたと聞くでしょう(16:21)と助言します。

それは律法違反であり(レビ20:11)、父親を死んだ者と見なす徹底的な侮辱ではありますが、アブサロムがすべてのものを受け継いだことをアピールする上では大きな効果があります。

彼は王宮の屋上に天幕を張り、全イスラエルの前で父の側女の十人のところに入ります。それは、民全体に、ダビデの時代は終わったことと、彼の男性的強さを印象付けました。

なお、これは、神がかつてダビデに、わたしはあなたの家の中から・・わざわいを引き起こす。あなたの妻たちを・・・あなたの隣人に与える。彼は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。あなたは隠れてそれをしたが、わたしはイスラエル全体の前で、白日のもとで、このことを行う(12:11,12)と言われたさばきの成就を意味しました。

 

   そして、「当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。アヒトフェルの助言はみなそうであった。ダビデにも、アブサロムにも(16:23下線部私訳)と敢えて記されます。ダビデも彼の助言を恐れていました。

その上で、その助言がアブサレムから退けられる過程が17章で描かれます。そこでアヒトフェルは、自分に12,000人の兵を選ばせて、ダビデを今夜中に追跡させて欲しいと願っていました。彼は、ダビデの逃げ足の速さを熟知し、殺すのは今しかないと分っていたからです。

 

ところが、アブサロムは念のためにフシャイの意見も聞くと言い出しました。これは不思議です。なぜなら、先のアヒトフェルの助言は「アブサロムとイスラエルの全長老の気に入るところとなった(17:4)と既に記されており、フシャイはこの肝心の会議のメンバーには入っていなかったのですから。

とにかくアブサロムの心には何らかの理由で、フシャイの意見を聞く必要があるという思いが芽生えたのだと思われます。

 

フシャイは、ダビデが戦いに慣れているからこそ、奇襲作戦は効果がないと進言し、「全イスラエルを・・・海辺の砂のように数多く・・・集めて、あなた自身が戦いに出られることです(17:11)と、人数で圧倒してダビデを包囲することを勧めます。

それに対する反応が、「アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。『フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い』(17:14)と描かれます。それはアブサロムのプライドを満足させる勧めだったとともに、リスクを恐れるイスラエルの人々にとっては、その方が安全に聞こえたからでしょう。

しかし、彼らは、アブサロムがダビデとは対照的に、実力ではなく人々の気分と幻想に訴えて王となっているに過ぎないことを忘れています。ダビデのまわりには彼のために命をかける人々がいますが、アブサロムのそばにいるのは烏合の衆に過ぎません。時間が経つほどその現実が明らかになるだけです。

 

そしてここで、「これは主(ヤハウェ)がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである(17:14)と敢えて記されます。アブサロムは愚かなプライドに動かされ誤った選択をしましたが、その背後に、主の御手があったというのです。

フシャイがやすやすと顧問になれたのも、公の作戦会議の後にフシャイの意見を聞く気になったのもそのためです。別にアブサロムが主の御手の中で、もて遊ばれていたという意味ではなく、主の霊がアブサロムの不安やプライドを刺激することによって、彼が自分の意志で愚かな決断をして行ったという意味だと思われます。

そしてフシャイはこの危機的状況を祭司たちの家族を通してダビデに伝えます(17:15-22)。そして、この知らせが間一髪で届けられたのも、主の導きです。

 

それに応じて、ダビデの一行はひとり残らずヨルダン川を渡りきりますます。一方、アヒトフェルは自分のはかりごとが行なわれないのを見て、アブシャロムの敗北を確信し、首をくくって死にます(17:23)。これはイエスを裏切ったユダの最後に通じるものがあり、自分の知恵を誇ったことの結末に過ぎません。

そして、これらすべては、ダビデが、「アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(15:31)祈ったことへの答えでした。アブサロムの反乱に至る11年間、神は沈黙しておられたかのようです。しかし、このときはダビデの願いをまっすぐにかなえておられます。私たちの人生にも、同じような変転があるのではないでしょうか。

 

   最後に、ダビデがヨルダン川東岸の奥地マハナイムに着きます。そこはヤコブが11人の息子たちともに約束の地に戻る際に、兄のエサウの復讐を恐れている中で、神の使いたちが現れ、ヤコブが「ここは神の陣営だ」と呼んだ場所です(32:2)。まさにダビデは神の陣営に入ったとも言えます。

一方、アブサロムに率いられたイスラエル軍もヨルダン川を渡り、その北のギルアデの地に陣を敷きます17:26

ところが、そこに、かつて敵対していたアンモン人や、ここで初めて名前が出てくるふたりの異邦人と思われる人々が、ダビデに大量の贈り物を届けに来たのです。この三組の人たちは、ダビデの一行が、「民は荒野で飢えて疲れ、渇いています」(17:29)との話を聞いて、助けに来たいという思いに導かれたからです。

ダビデは詩篇23篇で、「たとい 死の陰の谷を歩くことがあっても わざわいを恐れはしません。あなたが いつもともにいてくださいますから・・・敵の前で、あなたは私のために食事を整え、頭に香油を注いでくださいます。私の杯は 溢れています(私訳)と告白しますが、その背景には、このときの体験があったと思われます。

 

   ダビデはアブサロムの反乱に至る11年間、神を遠く感じていたことでしょう。しかし神は、敢えてダビデ家の破滅の一歩手前まで沈黙を守られました。そして、「もう絶望しかない・・」というときになって、神は力強くダビデを導いています。

私たちの人生にも、最も身近な人から裏切られ、絶望するようなときがあるかも知れません。しかし、神は思ってもみなかった援助者をあなたの前に送り、危機的状況の中であなたのために祝宴を用意することができるのです。

詩篇23篇の「あなたが いつもともにいてくださいます」との現実は、「フット・プリント」の詩に現わされるように、振り返ってみてわかる現実です。神はダビデの痛みを、自業自得と冷たく見下ろしていたのではありません。神はダビデとの契約をいつも覚えておられ、時期を見ておられたのです。

それは主がイスラエルを「彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ」呼びながら、「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、主の臨在の御使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった(イザヤ63:9)と記されているとおりです。

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